2015年02月

2015年02月12日

追悼・岩本太郎さん

 悪い冗談のようなタイトルに聞こえたかもしれないが、私と同姓同名の方の訃報だ。

大塚製薬社長の岩本太郎さん死去 心不全
(朝日新聞 2015年2月12日11時22分)

 不謹慎な言い方を敢えてすると、私も心不全を起こすかと思った(-_-;)。「え、俺死んだの!?」って。

 不思議なものだ。これがテレビや新聞での訃報で知ったなら、たぶんそんな思いは抱かなかったような気がする。ところがネット上で自分の名前(それが私自身についての記述であるか、此度のように同姓同名の方であるかを問わず)をみるたびに、ネットの世界を自分の分身である「岩本太郎」が勝手にあちこちを一人歩きしているような印象を、正直これまでずっと覚えていた。

 だから今回の大塚製薬の同姓同名の社長さんが亡くなられたとの知らせにも最初にFBで接したことで、何か本当に自分の訃報に接したような、そんな不思議な感覚に、まず最初に包まれた。
 何て言ったらいいんだろう? こういうの。

 ともあれ、今日の私は午前中は有楽町の日本外国特派員協会で、例の「パスポート没収」事件に遭った杉本祐一さん(フリーランスフォトグラファー)の記者会見に参加。午後からずっと東京地裁で裁判の傍聴取材をしていた。そんなわけで午後はずっと法廷内にいて携帯が使えず、5時過ぎに閉廷した後で地裁のロビーでFACEBOOKをチェックした途端にみなさん話題にされているのを見て思わずのけぞり返った次第(汗)。

 思えば数年前に社長就任の記事を偶然新聞で見た時にものけぞったが(しかも私と同じ静岡の御出身とのことだったし)、まさかこんなに早く、しかも訃報に接する形で再びのけぞることになるとは……。

 しかし洒落にならないな。実は私も今週は体調を壊してしまい、昨日あたりは終日寝込んで、ある打ち合わせをキャンセルして御迷惑を各位におかけしていたからだ。

 しかも今はこうしてネットでたちまち情報が広まるし、ロフトの平野さんなどは慌てて電話をかけたものの繋がらなかったために私が本当に死んだのかと思ったらしい(お気遣いいただき本当にありがとうございます)。実家にも誤解が広まらないよう、さっき母に電話したところだが、幸い先方はまだ報道は知らなかったため、慌てさせずに済んだ。

 それにしても社長在職中、しかも54歳での死は御本人もさぞや無念のことだったのではとお察しします。製薬会社の社長さん、しかも私よりもおそらくはるかに健康には気をつけられていたのではないかとお察ししますし、よもや私よりも先に亡くなられるなどとは思うだにしませんでした。

 生前、直接お会いすることはありませんでしたが、たまさかながら同じ名前をいただいた者としても他人事とは思えません。何か私に代わって逝かれてしまったような……そんなあらぬ思いも抱いてしまったものです。

 謹んで哀悼の意を表します。

ourplanet_iwamoto at 21:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2015年02月09日

2月8日、東京・渋谷駅ハチ公前広場『湯川遥菜さん、後藤健二さんの追悼集会』その2

 引き続き、8日(日)18時以降のハチ公前広場からの映像報告。

■2015年2月8日、東京・渋谷駅ハチ公前広場「湯川遥菜さん、後藤健二さんの追悼集会」その2(1時間8分44秒)


 引き続き中継しつつ、11分30秒頃から長めのメッセージを掲げた女性、15分過ぎから小さなお子さん2人を連れて参加の女性(「ママデモ」にもご参加)にインタビュー。

 そして19分30秒頃からは「Not Abe」のパネルを掲げた男性におじさん(昔中東で商社マンとして働いていたとか?)が絡んでいたので撮影がてら助太刀ついでに加勢したら、周りでパネルを掲げていた人たちもまじえた俄か論争バトルに発展f(^_^;

 最後は46分頃から、広場の一角に集められたメッセージやキャンドル、花束のまわりに集まった人々が佇み、時に祈りをささげる様子を撮影のうえ、19時過ぎに中継終了。

ourplanet_iwamoto at 01:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 映像日記 

2月8日、東京・渋谷駅ハチ公前広場『湯川遥菜さん、後藤健二さんの追悼集会』その1

 17〜19時に現場まで行ってきました。取り急ぎ現場の模様を映像で、以下↓。

■2015年2月8日、東京・渋谷駅ハチ公前広場「湯川遥菜さん、後藤健二さんの追悼集会」その1(1時間1分16秒)


 17時の開始時刻に現場到着して中継開始。
 26分頃からは福島県郡山市から自転車で署名を集めながらやってきた広野晶正さんほか。38分30秒頃からは「平和」を多言語でパネルで示して佇む女性。50分過ぎからは「We are Kenji」とパネルを掲げた女性に「『We』の範囲は?」と聞きながら(「『We』の中に安倍さんも入って欲しいと思っています」との御返事に同意)にそれぞれインタビュー。最後は広場中央の植え込みに登って全体の風景を撮影。

ourplanet_iwamoto at 01:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 映像日記 

2015年02月08日

本日(8日)17時頃から渋谷・ハチ公前へ

 後藤健二さんの追悼集会の模様を見に行ってきます。場合によっては下記で中継します。

http://www.ustream.tv/channel/%E5%B2%A9%E6%9C%AC%E5%A4%AA%E9%83%8E


ourplanet_iwamoto at 16:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) お知らせ 

2015年02月07日

『天国と地獄』が『アートの街に変貌』だ? うるせー馬鹿野郎

 さすが産経新聞。こういう話題を、俺を凄く逆撫でするというか、反感をかきたてる書き方でまとめやがっている。

【日本の議論】『天国と地獄』の売春窟『黄金町』が“アートの街”に変貌途上
(産経新聞2月2日11:00)

と、言っても、悔しいがこの記事に対してきちんと批判できるだけの知見や体験は私にはないので、不本意ながらそちらは他の方にお任せする(と言っても書く人がいるかどうかはわかんないけど)として、ここはついでに、ちょうど15年前の今頃、私がこの黄金町に足繁く通っていた頃の思い出話を勝手に書く。

 何で私が東京からこの黄金町まで「足繁く通っていた」かというと、当時の私はちょうどオウム真理教をめぐる各地でのゴタゴタを取材しており、15年前(2000年)の2月初旬と言えば、前年末に刑期を終えて広島刑務所を出所した、あの上祐史浩さんが東京に戻ってきたものの、予約していた新宿のホテルから宿泊拒否され、報道陣にも車で追い回されたあげく、ここ黄金町の一角にあるマンションに駆け込み、やがて当時の教団幹部らとも協議の末、一連のオウム事件への責任を認めたうえで名称を「宗教団体・アレフ」に改める……という時期だったからだ(ちなみにその時期の教団内外の模様は森達也さんのドキュメンタリー映画「A2」にも描かれているので宜しければご覧下さい。今から15歳若かった私が上祐さんの前で正座して話を聞いてる場面とか出てきます ^_^;)。

 それにしてもどうして世俗を絶ったはずのオウム信者の幹部が黄金町に逃げ込んだのかというと、当時のオウム真理教横浜支部がそこにあったからだ。まあ、物件を借りるほうも逃げ込むほうも諸々の事情からそこに行くしかなかったのだろうが、しかし同じ通りの並びに古式ゆかしいストリップの「黄金劇場」(今はなくなったようだが、その頃は繁盛していて、教団に取材に行く途中に前を通りかかるとお客さんたちが盛大に拍手しているのがよく聞こえた)があるという、何とも信仰生活を送るにあたっては相応しくないというか、あるいは逆に信仰心を試すには好都合? な場所に入居したものだなあと感心した覚えがある。

 が、問題は教団はある程度仕方ないとして、先の「黄金劇場」や産経の記事中にある京急高架下の風俗店、さらには周辺住民に与える影響だった。何たって当時(といっても既に今の20代以下の人にはわかんないかもしれないが)は「あの上祐がここに来た!」ということでマスメディア各社の報道陣が大挙してマンション前に連日集結。

 ……しただけだったらまだいいのだが、さらに壮絶だったのは右翼各団体がマンション周辺に集結し、トラメガでもって「上祐さん、貴方に残された道は事件について謝罪するか、表に出てきて私たちに切り殺されるかです。わかってんのかバカヤロー!!」とか叫んでいた(ちなみに報道各社のカメラマンやディレクター・記者たちはその間、そうやって叫ぶ右翼に背を向けながら折りたたみ脚立のうえでしゃがみ込みながら、彼らに取材するどころか背中を向けて見ないようにしていた)。

 さらには周辺の黄金町を、突入する機会をうかがうべく黒塗りの街宣車が最盛期には100台以上、京急線の高架下あたりまで大音響を流しながら突入の機会を伺いながら徘徊し、加えて神奈川県警の機動隊員輸送車が黄金川沿いにエンジンを掛けっぱなしのまま駐車していたもんだから音響に加えて排ガスも物凄かった。しかもマンションの玄関前にはその機動隊員が100人ぐらい待ち構え、その前に張られた折りたたみ式フェンスを、血気盛んな右翼のアンチャンたちが「テメーバカヤロー!!」と引っつかんで揺さぶりながら、時折本気で突っ込もうとする(右翼側も若手を鍛錬する場としてオウム施設前での街宣攻撃に動員していたのは、それまでも各地の教団施設前で見ていてわかった)もんだから右翼側の幹部と神奈川県警の私服警官がそのたびに慌てて静止に入ったりしていた。

 そんな様子をフェンスのすぐ横で見ながらカメラを向けたりしていた私に、その場にいた私服警官たちはよく「どこ?」と聞いてきた。「報道関係者であることはわかるが、どこの会社の社員か?」という意味だろう。「フリーライターです」と答えると、「ああ、フリーね」と小馬鹿にしたようにソッポを向かれつつ「刺激しないでね」と言われたものだった。

(その13年後、東京・新大久保ほかでのネトウヨデモvsカウンターの攻防をスマホやカメラ持参で取材に行った際には現場の警官から「どこ?」ではなく「どっち?」と聞かれたものでしたが ^_^;)

 以上のような攻防が続くうち、件のマンションの通り向かいにあった果物屋さんは閉店に追い込まれ、それをマスメディア各社が「ここでもまたオウム転入による被害者が」とか報じているのを読みながら「何言ってんだ馬鹿野郎」と思った私ですが(笑)、実際あの時のマスメディアや右翼・警察の大挙集結によって果物屋さんに限らず周辺の風俗店さんも結構迷惑を蒙ったんじゃないかなあ、という気がする。

 まあ、別にそれが先の産経記事の言う「『天国と地獄』の売春窟『黄金町』が“アートの街”に変貌途上」のきっかけになったかどうかはわからないけどね。

 その後、黄金町には、たまに近所にある「ジャック&ベティ」( ここも後に『ザ・コーヴ』の上映の時とかには大変だったらしいけど ^ ^;)に映画を観にいったりしたついでに寄るくらいだけど、今では当の「オウム→アレフ」がいたマンションってどこだっけ? と、私ですらもはや忘れて思い出せないくらいの静寂に満ちている。まあ、それ自体は喜ばしいことだし、街に住む人々が“アートの街”に変貌途上であることを本当に喜んでいるのだとしたら、よそ者はあまりとやかく言うまい。

 ただし、

ここ(黄金町)において昔、何があったのか?

 ということは、よそ者である我々も含めて、あるいはテーマがオウムか風俗かを問わずに、後世へと末永く伝えられていくべきだと思う。「街の記憶」を誰かに都合よく抹消して成り立つ「街」こそ、私に言わせれば「不健全」だ。

ourplanet_iwamoto at 02:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ジャーナリズム論