出版界

2015年03月02日

「大反響ヘアヌード岩本太郎 50代で死んでいくその『無念』を想う」

 まだ余波が続いてるんだよなあ、しかしすぐ隣が「大反響ヘアヌード」かあ……とか思いながら眺めた今朝の新聞広告(^_^;

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2015年01月31日

『マルコポーロ』廃刊事件から20年

 西岡昌紀さんがfacebookで「20年が経ちました」「時の流れの速さに驚いて居ます」と、ご自身のブログ記事を紹介されていた。

『マルコポーロ事件』の真実――当時報道されなかった事件の裏側
(「西岡昌紀のブログ」2013年08月01日19:28)

 今から20年前の阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件のちょうど合間に起こった、日本の出版、特に雑誌史上に記録されるべき大事件。それからもとうとう20年。

 今、改めて雑誌の世界を取材する仕事に就いているけど、振り返るにあの事件(何しろ一つの記事をきっかけに大手出版社が出していたメジャーな雑誌が即座に廃刊となり、版元の文藝春秋の社長まで辞めることになってしまったのだ)以降、あそこまでの大事件が雑誌の世界であっただろうかと思いをめぐらせてしまう。
 もちろん、全然何にもなかったとは言わない。『フォーカス』『週刊新潮』の酒鬼薔薇事件報道など「販売中止」に至った事件はいくつもあったけど(その『フォーカス』もなくなって久しい)。

 それでもあの頃には雑誌が「(賛否はあれども)物議を醸してこそナンボ」のメディアとして存在感を発揮していたと思う。今だって、例えば今日発売の『週刊文春』の後藤健二さんの記事はそれなりに話題になってる(ただ「10分間で300万円」ってさあ……以前にビルマで長井健司さんが殺された時にも同誌は似たようなこと書いてビデオジャーナリストの人たちからはアホ扱いされてたよ? 「そのくらいじゃ赤字に決まってんだろーが」とか。そういう意味ではパワーダウンは否めないよな)けど、世の中を騒がすスケールは20年間でものすごく小さくなってしまったような気がするな。むしろ「危なっかしいことはやめとこ」とかいう意識や、企業のコンプライアンスだの何だのが優先するようになっちゃって。

 で、ここから上記の後藤さんの件についてもいろいろ書きたいところがあるのだけど……また長くなりそうなのでf(^_^;、稿を改めます。

 ほんとに早かった20年。でも、その間にいろいろあったことを思えば「20年40昔」ぐらい、あまりに長かったような感慨も同時になしとしない20年。

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2014年11月23日

残念な編集長

 まあ、例の件についてはその後、予期せだぬ事態が身近で起こっちゃったものだから書くことは控えているけど、

残念な編集長
(「角岡伸彦 五十の手習い」2014年10月25日)

 で角岡氏が書かれている

この人は、その場その場で適当なことを言って生き延びてきた、と私は思う。

何足ものわらじを履くのは、会社の経営上やむをえなかったのかもしれないが、別の理由もあると私は考える。目立ちたがり屋なのである。

 というのは、私の経験上からしても全くその通りだと思う。
(ちなみに私も先日某所で会って向こうから挨拶されにきたけど、こっちも適当に頷いただけで黙殺した)。

 と、他人の尻馬に乗って書くのは気が引けるけど……いざ俺が書くとなったら、この程度じゃすまないからな。覚悟しやがれ。

ourplanet_iwamoto at 23:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年11月08日

追悼・種村直樹さん

 亡くなられたのか……。

訃報:レイルウェイ・ライター種村直樹氏ご逝去
(「イケてる、モノ・コト」2014年11月7日)

 まだ小学生だった1970年代半ばから『鉄道ジャーナル』を読んでた私だから、当然この方のルポや論説には数多接してきたし、そこで教わった鉄道知識も多かった。

 ただ、学生、社会人になっていくにつれ、この方の記事や旅のスタイル、考え方とは自分はどうも違うようだ、とも次第に思い、離れていくようになった。

 あるいは、それは自分が最終的にフリーランスの物書きになり、なおかつ生まれながらの鉄道好きでありながら、その過程で一度として「鉄道モノを仕事として書いていこう」とは考えなかったこと(ある時に自分でも気がついてびっくりしたくらい。本当にそうなんだよ)や、むしろ宮脇俊三さん(鉄道紀行作家。元中央公論社常務取締役編集局長。2003年没)の世界に高校生ぐらいからハマるようになって、フリーランスになってからも「50歳すぎたらもうメディアがどうしたオウム真理教がどうしたなんて仕事は辞めて『宮脇俊三の世界』をやろう」と考えるようになったからかもしれない。

(現実には諸々の事情から、50歳になった今なおメディア業界モノを書いたりネトウヨとドツキ合いをしたりしてますけど ^_^;)

 それはまた、そこで自分が同じ物書きでも新聞記者(故人はもともと毎日新聞で国鉄を担当する新聞記者だった)より雑誌を主な舞台とするフリーランス、あるいは同じ活字媒体でも新聞よりも初めから雑誌や出版を志向するという分かれ目にも、今思えばなっていたのかもしれない。

 いずれにせよ、そういう意味ではこの方がもしかしたら自分にとっての「きっかけ」を作ってくれたのかもしれないな、とも思う。幼少〜青年期に接してきた人がまた一人去っていったことへの寂しさとともに。

 本当にありがとうございました。心より哀悼の意を表します。

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2014年10月24日

何かいきなり続出し始めた著者vs編集者(出版社)の話題に絡めて昔話を一つ

 これも版元・編集者―著者間の関係性のあり方を問うケース。

柳美里問題よりヒドい!? 大手・集英社でも著者軽視の強引商法が!
(LITERA 2014年10月22日/田中ヒロナ)

 まあ柳美里さんと『創』との件とは背景事情がだいぶ異なるんだけど、あれをきっかけにこの種の話が今後しばらくはどんどん表面化してくることになるんだろうか。
(あ、ちなみに宣伝ですが今日発行の『週刊金曜日』の「メディア一撃:草の根www.」でも今回の「柳美里vs『創』」の件は簡単に紹介しました)

 ちなみに私も10年以上前、あるライターから某大手出版社から著書を出したにも関わらず印税が……という相談を受けたことがある。もっとも、電話で話を聞いたところ相手は相当にテンパっていて何を言いたいんだかわからなかったんだが、その次の連絡は東京都内の某警察署から、弁護士の連絡先入りの書面で来た(どうやら別の版元の編集部に突入して大暴れしたあげく通報されてブチ込まれたらしい)。

 最初で最後に会ったのは新宿でだったが、この時にも何を言ってるのかよくわからないまま、分かり際に「帰り道(関西地方在住とのことだった)への電車賃がない」ということで、夜の路上で「一万円、貸してくれませんか?」と頼まれて貸してあげたのを覚えている。

 その一万円は未だに返ってきていない。それどころかさらに一年ぐらい経った頃、彼は何故か私のこと逆恨みしたらしく(別に上記も含めて彼に関連したことを記事に書いたこともなかったし、恨まれることをした覚えはないのに)、某雑誌の編集部に「岩本を使うとはどういうことだあ!」と電話でねじ込んできて、困った編集者が「何とかしてください」と私に泣きついてきた。

 仕方なく連絡先を聞いて(忘れてたので)彼に電話したら「どこからこの連絡を聞いた!?」と逆上し出して大喧嘩になりかけたので、私のほうから「まずここは冷静に、お互いで事実関係を整理しながらFAXでやりとりしましょう」と持ちかけ、当然まずは私から、敢えて物凄くへりくだった文面を、最後に「ところであの夜に歌舞伎町の路上でお貸しした一万円はどうなったのでしょう?」と末尾を結んで送ったら、その後の返事がないまま今日に至っている。

 当時「いずれ自分の著書を出したいなあ」と思っていて、未だ出せずにいる(共著は数冊出した)私だけど、あの時「著書を、それも大手出版社から出したライターでもこういうことになるんだなあ」と思った次第であった。

ourplanet_iwamoto at 00:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)