最近 動画とかゲームとかドラ11とかドラ10とか 見たり聞いたり これらについて考えていたりすると モーレツに思うことがある。 最近。


 それは 俺にとってのゲームは 『学び』 だったんだなぁ〜〜ということである。  てか それはこれまでのブログとかでも 学んだことや経験したことから考えたことばっかりを書き続けているわけだから 自分のしてきた過去を振り返ってみると まったくもってその通りとしか言いようがなくて 中学の頃とかに一度 物凄く なんで俺はゲームが好きなんだろう? とか ゲームをやってしまうんだろう? ということを考えてみたことがあるんだが・・ その時の答えは 「ゲームから何か語りけてくるものがあり 何かゲームを通して人生に必要なことを ゲームの作り手(先人)から学んでいる気がした。 それが貴重」 ということと 「ゲームの辿っている歴史は なんだか人類の歴史を最初から現代まで 高速で再生しているようだと感じる。 もし本当にそうで ゲームをしているだけで人類の歴史がそれなりに身に入ってくるなら 「今 ゲームが出て来た時代である」 という時代限定で 物凄く お得な時代経験だ。 そんな貴重なもの やらない理由がない」 という 2つ だったんですよね。  以前でもこのことは少し書いたりはしてますが。


 ここで 要注意だが 「学び」 と言っても 「ステディ」 の方の勉強ではなくて 「ラーン」 の方の 「学び」 です。 ゲームが学びだとするならこんだけゲームしてきてるんだから 勉強も好きなのかなぁと思われるかもしれませんが 学校の勉強は 『大嫌い』 です。  なんせ 先生に歯向かうくらいのヤツでしたからね(笑)。  学校の勉強というのは 「ステディ(スタディ)」 なんです。   私がここで言っている 私が好きな 『勉強ではなく 学びの方』 は 『ラーン』 の方です。   まぁ ラーンする前にステディ(基礎知識習得のための反復練習 反復勉強) は あるにはあったりするのですが(笑)。


 本が読めるようになるために 国語の勉強をするのが 「ステディ」。  実際に本を読めるようになったので たくさんの本から知識を習得しまくるのが 「ラーン」 というような違いでしょうか?  まぁ それはさておき。



 ゲームが一通りプレイできる というか 操作できるようになった後では ゲームで遊ぶことがそのまま 「ラーン」 になるわけです。  そこに ゲームクリエイター達がゲームを作るために学んだことが 凝縮されて詰まっている。  今 こうしてそう考えてみると 当時のゲームというものは やっぱりメチャクチャお得で 貴重なものだと思います。  なので 「ゲームのクリエイター」 というよりも 「ゲームを使って 何かを教えている先生(=がクリエイターと呼ばれたのである)」 という〜方が俺からすると 今 そう捉えてみると やっぱ しっくりくる。 



 当時のゲーム界は 基本的には誰がゲームを作っても 時代的に出て来たばかりの 電子機器 を用いてゲームを作ることになるので ゲームを作るために電子機器の扱いやプログラムなどなどを勉強しなければなりません。 そうして勉強したことを反映させてゲームを作るわけです。 当時は 『時代的に出て来たばかり』 ですので 基本的には 誰がゲームを作ろうとしても 『そうなる』。 結果的にそうして作られるゲームは 「ラーン型でクリエイトされたもの」 になっているのですが・・ それをプレイするプレイヤー側も 勝手に 「ラーン学習」 の成果を学んでいたことになるんですね。  ゲームを作る人の方が勉強していて 最初に時代的に新しく出て来たパソコンなどの電子機器のことを勉強していて・・ その勉強したことを 『いかに面白くプレイさせるか?』 を 必死になって考えて・・ で・・ 俺らプレイヤーというのは 「プレイするだけでラーン学習になっているゲームをありがたくプレイさせて(遊ばせて) 貰っていた(笑)」 ということです。  そのゲーム制作の側にある苦労を思うと プレイヤー(遊び手)としては 「感謝しかないなぁ」 という次第なわけですね。 



 最近のゲームは つまらない ものばかりが目立つというよりも そればかりな気がしますが ちょっと面白いのが ゲームが(ラーン学習の割合が減っていることで)つまらなくなっていくことと 動画の割合が多くなってきていることとは 比例している という点ですね。  動画の割合が多くなればなるほど ゲームはつまらなくなっていく傾向にあるというわけです。  ここでは そうだとして考えてみますと・・ では 何故 動画の割合が多くなるとゲームはつまらなくなるのか?


 動画というのはほとんどの場合が お金持ちさんがその資金力を以って割と強引に贅沢になるように作らせています。  つまり 『お金で勉強や学びが買えますか?』 ということです。 


 例えば・・ 英語を学ぶ(ステディする) 目的は 英語を日常語にする外国人とコミュニケーションをとり その会話から別の知識を得ることが目的(これがラーン) です。  本を読めるようにまるまで国語の勉強をする期間がステディ。  実際に本が読めるようになって 本自体から知識を習得する勉強や学びが ラーン なので そういうことです。 


 ラーンできるようになるまでの ステディ期間は 英単語を覚えたり 文法を覚えたり と まぁ ここは大変と言えば大変です。 ここの 「ステディ」 のところの 『勉強』 は みんな嫌いで 嫌がるわけですが(笑)  勉強が終わった後の 「ラーン」 が楽しみでみんな勉強(ステディ)するわけですね。  そして この 勉強期間 というものは個人差や習得のために必要な期間の差はありますが 基本的にはそこそこ時間がかかります。 


 『金持ちがお金を大量〜に払ったからと言って手に入るものではない』

 
 ということです。 また ステディやラーンで実際にスキルや技能が身につくのは ステディやラーンを 『した人』 です。 お金を払って ゲームができるまで待っていた人は 別に何も身につかないのです。 ただ 上記で書いているように ステディの成果としてのラーン創作物を 遊ぶことはできるのですが。


 お金を払って物量でゲームを短期間で作らせてもそこに 「ラーン」 が反映されていることは稀。 ほとんどない。 ということです。  ラーンが反映されていないのに作らせたらどうなるか? それは まず 『昔ラーンで作られたものを コピーしたものを用意する』 ようになる。 これは 短時間&短期間で簡単に 「ラーンで作られたものの成果だけを見せることができますからね」。  とある市場では当たり前のラーンも 別の市場では新鮮なラーンかもしれません。 これが通用したなら お得ですからね。


 次に 『ラーンに至らないで作り続けることになるので ひたすらステディ(作業) になる』 ということです。 ラーン表現にならないまま ステディし続けることが作ることになるので 同じものを何回も反復作業(≒反復練習)そているだけの 『工場的な作り方』 になる。  同じものをひたすら磨き上げるだけの作り方なので その内 細かいところの 「質(クオリティ)」 は アホみたいに上がりますが 『質が上がっても学ぶところはない なら ステディ止まりで ラーン表現になっていない』。   これが顕著なのは 「イラスト関連」 ですね。 美麗なだけで 何も学ぶところがない。 ただ・・ この美麗イラストを描く方は 工場での単純労働のような 「ステディ型作業」 を 物凄くしているはずなので 大変だね ご苦労様だね ということは出て来るのですが ここではクールに言わせてもらうが それと 「ラーン型ゲーム表現とでは なんの関係もなく・・ 基本的に ゲームをする人は ラーン表現の方を待っている」。 


 アニメも動画ですが・・ アニメを作るのにはたくさんのイラストを描かないといけない。 絵の大量生産である。 あんだけの枚数の絵を描く となれば ラーン表現は捨てられて ステディ式で 絵を描いてさえいれば絵の大量生産ができるという方のみが着目される というわけですわな。 


 ま よぉ〜するに 『動画関連というものは ラーン(学び)の要素が極めて少ない 少なくなるような ジャンルの世界なのである』 という〜ことです。 


 ドラ10の学園批判も ひょっとしたら・・ 「動画の世界=現実の世界と認識しているような動画人達からすると・・ 勉強・学び嫌いの動画人達なので 『学園!』 というだけで リアルの学校のような勉強の場所なのか? と 思っているからメチャクチャ批判されるのかもしれません」。 



 私的に・・


 今のゲームが面白くない・つまらない・つまらないと感じる・のは 『ゲームをすることで学べることがないから』 ということになります。 






 ドラクエで言ってみましょうか?


 ドラクエは村た街などで情報を収集して レベルを上げてボスを倒すゲームですが 情報収集は 「日本語テキストが使える人間が情報を引き出していること」 なので 「内容がラーン」 です。  この点を少し厳しく言いますと・・ 日本語が扱えるということは ゲーム以外の日本の国語の勉強をし日本語を習得した後でないとダメなので 厳密には RPGにおけるNPCとの会話は 『ドラクエというゲーム独自の ゲームならではの産物ではありません』。  借り物です。 別ジャンルの力を借りています。  でも まぁ 「ラーン(学び)の楽しみが NPCとの会話(〜情報収集〜そこから推理など 「考える楽しみ」 まで)」 ということです。 


 レベルを上げてボスを倒す。  これがドラクエの場合主流になる 「ステディ ⇒ ラーン」 ということになると思いますが・・ レベル上げが 勉強の国語で言えば 日本語を習得する期間。 ステディ です。 ボスを倒すというのは勉強したことで 「できるようになったこと (≒ラーン)」 なので 「ラーン」 となります。 ボスを倒すという目的(ラーン)に向かって レベル上げ(=ステディ) をするという構図というわけです。  なので 『レベルが上がると嬉しい (=ラーン行動ができるようになった(=ボスを倒せるようになった))」 という次第で あとは 「挑戦」 をするだけだとなります。


 現在のドラ10では レベル上げ(ステディ) をしたことで得られるものが ボスを倒すことの他に 「スキルを習得すること」 という要素も大きくありますな。  まぁ ドラ1でも レベルが上がれば ホイミ やら ギラ やらは 覚えるというか 「習得できる(ラーンできることが増える)」 のですが。  まぁ それはさておき。


 つまり 「ラーン」 を目標としている ということです。  ラーンのため (⇒ ボスを倒せる。 スキルを習得できるなど) レベル上げ(ステディ)をしている ということです。 


 このため・・ ラーン成果として用意されている 「ボスがいない(笑) (≒ いわゆる大変な思いというか時間をかけてレベル上げ(ステディ)をしても 倒すボスがいないよ問題 ですな)」 と レベルを上げる意味がなくなりつまらなくなる ということですな。  習得したスキルも実用を考えた際に ダメージだけであり 他のダメージスキルと代わり映えしない となれば レベルを上げてスキルを習得する意味がなくなり スキル習得も面白いものではなくなる ということですな。  個人的にはそのどちらも 「ネタ切れ」 をしていて・・ というか むしろ ネタ切れをしているままの状態で かなりの長い期間続けていたし 今後 そんなにポンポン新しいネタが出るわけもないだろう ⇒ だって ラーンを生み出すためのステディはしてないか 『同じステディ内容しかやってない。 もうそのステディは十分過ぎるほどに修練し尽しているのに それでもまだ同じ勉強をし続ける無駄をし続けている』 のだから。  中学生になっても永久に 算数の足し算のドリルをしているだけ みたいな状況ですね。  


 よく ドラ10飽きたら FF14やれ みたいな声を見かけるのですが FF14は算数から数学になったようなもんという感じなので そう言われるのかな? と思いますね。  でもね。 中学から高校・・大学の数学というヤツは 「日常ではほとんど使わない・使われない」 ので 「ラーン学習(学び)」 からしてみれば 難しい内容の割に リアル現実で生きる際にには 役に立たない!(笑) と言う〜領域に踏み込んでいるのですよ。  つまり 「学びから得られるものが少ない」。  コスパが超悪いということです。 また マニアの領域ということです。  学ぶのが楽しい好きであるとする場合・・ 逆にやらないことになる内容だと思うわけですね。  だって 「マニア同士の間では 話題になるが 実際に学べている量は少ない」 のですから(笑)。  まぁ それは さておき。 



 まぁ 今のドラ10には 「ラーンの領域になっているものがない」 のです。  個人的な考えでは ですが。  これは 現在に至るまでに 少しずつ 『用意しなくなった』 という〜方が正解だと思います。  で 少しずつラーンの領域になるものを用意しなくなり 現在 それは 「ほぼない(笑)」 という〜状況になってみたら 「つまらないという声が増えた(笑)」 ということですね。  「お金を払っても 必ずしも勉強や学びができるわけではない」 と 上記で書いていますが・・ カネカネ連呼する お金を払えば ラーンの領域は作れるものなんだ! と主張し続ける方々が ラーンの領域を実は楽しんでいた プレイの目標にしていた とすると なんだかおかしな話ですね。 『分かってない』 とは そういうことですな。 また そんなに言うならお前が作れ! と言えば 黙りこくるのは 動画人は尚の事ですが 自分で勉強(ステディ)して ラーン表現を作る気はないから または そもそもで その勉強が嫌いだから(笑) という〜ことになりますなー。  まぁ それはさておき。




 ドラクエの場合 個人的には 「鳥山明の絵」 と 「すぎやんの音楽」 を使ったところが 更にラッキーだったと思うわけです。


 どういうことか? と言いますと・・ まず 鳥山明の絵は 『イラストではなくデザイン』 です。  デザインというのは ドラ11の主人公の絵を描いた時の話ですが・・ スポンサー(?)の要求で 主人公にフードをかぶせられないか? という要望があったらしいですが 鳥山明は 「そのように直すのは手間もそんなにかからず簡単だが・・ この主人公は大剣を背に背負って そこから剣を抜くという動作がある。 その動作を活かして見せようとすれば フードをかぶった状態では邪魔になる。 だから フードをかぶらせない方が良い」 と スポンサー(?) の要求をつっぱねた!(笑) らしいですが・・ 『デザインとはそういうこと』 です。 機能性も含んでの絵なわけです。


 つまり 一度 鳥山明の絵が完成した後では その後 その絵のキャラが 「どう動くか?」 まで考慮されている絵 = ステディ(絵の完成)の後の ラーン(絵がどう動くか? それが 様々な動きまで で。 その絵が動かせる範囲が広い多い = (その絵からの)学びが多い ということなので ラーン です) まで 考慮されている絵 ということです。 


 (あと 個人的に重要だと思うのは 鳥山明はドラ1の時に 一応・・ 『間違って(笑)』 になるのだが 一度 モンスターのイラストを ドット絵で描いてきたとのことですね。 これ・・ 私的には 物凄く重要なことだと思いますが・・ まぁ これは 今回の話からすると別の話なので 泣く泣く割愛します)。


 すぎやんの音楽。 というのは まず すぎやん自体が そもそもで 「東大卒(笑)」 であり なかなかに頭が良い。  「学問 と 音楽」 は おそらく密接に関係しているはずなのだが・・ 現在の俺ではその両者との関連性に 腹落ちする明らかな関係性をまだちょっと見出せていないので その2つを絡めてでは あまり言えないのですが・・ ただ 「学問(ラーン) を 音楽 の関連性は すぎやんのそもそもの頭の良さは 関連していると思う」。 そういうこともあると思う上で・・。


 ドラクエで採用された音楽というのは クラッシックで 本来では難解で小難しい西洋クラッシック音楽が 『ファミコン音源という 3音+1ノイズ再生のみの音源で表現された!』 わけです。  つまり 『クラッシック音楽を ステディ(勉強) した 人間が その応用(ラーン) で作った 『クラッシックオーケストラ構成の音楽。 その構成でなければ普通は聞けないとされていた (そうみんなが思い込んでいた) 音楽』 を みんな聞けることで クラッシック音楽の 『良さ』 を 聞いているだけで 学んだ(ラーン&ステディした)』 ということです。  そして これは ファミコン的には 「初」 ということになると思います。 ちゃんとした規模や内容では ですが。


 ま そういうことだよ。 「どっちも ラーンの領域」 ということなんだよ。 私的には (^−^;;)。



 堀井雄二のシナリオ〜テキスト。


 これは ドラクエが出る前から 堀井雄二は ポートピア連続殺人事件 などと言った アドベンチャーテキストゲーム を出していて・・ 最初から 『テキスト媒体のゲームを ユーザー&プレイヤーに 『教えていた』 』 わけです。   私的には 当時のファミコンブームを支えていたのは実は 「学ぶのが好きな人達だった」 と俺は思っている。 その 子供時代。  ファミコンで 「楽しく教えます!」 という〜ことが 実は 『隠しセールスポイントだった(笑)』 中で 「教える」 という要素があるゲームは あまり警戒せずに遊んでしまったわけだなぁ。 


 その後・・ ドラ1 ⇒ ドラ2 と 全て 「海外のRPGを日本風に紹介する(=教える) 教科書のようなゲームだった」 わけだから・・ ドラクエをマスターする(クリアーする) ことは そのまま 「ステディ ⇒ ラーン」 の構図になっていたわけです。 



 つまり 私的には ドラクエのヒットに繋がるために必要な 「ゲームとしての面白さの部分」 は 「ラーンの要素だった」 というわけで次第です。 


 ドラ4以降〜・・ 「海外のRPGを紹介する(=教える)」 という〜要素は 終了しているので まぁ そういう意味では廃れ・・ 方法論や販売方法を変化させる必要があり・・ なんだかんだで今に至る と。


 ドラクエで 「ドラクエの歴史系(時系列など)への興味が高い人が多い」 のは・・ 


 日本のリアル学校の勉強というのは 『勉強(ステディ)したことで その勉強したことを 『使って』 もっと他のことを学ぶ(ラーンする)』 という〜 『こと自体を教えることが少ない』。  すると 上記で書いているように 『既に生まれているラーン実例を 『コピーする』 ことになり また そのコピーしたことをたくさん大量に教える(というよりは 覚えさせる。 暗記させる) しか 脳がない教育になりやすい』。   これにもっとも適している 「教科」 は 実は 「歴史」 である(笑)。  


 この 「歴史そのものに ラーンする」 が働いた場合・・ 「温故知新」 も含めて 歴史から何かを学ぶ とか 過去から何かを学べないか? という模索すら始まる という次第。  「歴史にラーンする」 という 少し変態的と言えば変態的なラーン技法に踏み込んだ人間からするとそうなるからね。  すると 「過去の歴史 や 時系列 (を学ぶ。 知りたいと思うこと) には 異常〜〜 なまでの 好奇心が生まれて来る」 という次第。 


 ドラクエの4以降〜というのは 私的には 「ドラクエから学んでいた人達の残党(元・ドラクエ内での名称は勇者(笑)。 現在では ドラ11で勇者のスタンスは変化している)」 と 「女子ファン(多分コアになっている女子層ファンは 驚くくらい年齢が上のおばあちゃんかと推測されるが・・)」 と 「初級ステディ ⇒ ラーン の原理にとびついているファン (言い方は悪いが そういう意味では低年齢層にあたる 精神年齢 のファン。 学門の難度によるものとしてで)」。 バトルをしてボスを倒すまたはスキルを習得する という部分の虜になっている方々が主。 これに 鳥山明の堀井雄二の週刊少年ジャンプの繋がりにより 週刊少年ジャンプにおけるような 幅広く大衆的なファンがついている ことや すぎやんの往年の実績も手伝って・・ ということや・・ 「歴史マニア(リアル学校の少しおかしな教育方針により ステディ⇒ラーン の構図を 過去事例である歴史から学ぶという(本来のラーンとは少し違う)技術に 偏っている方々」 などなど により 複雑に重複したファン層が獲得されているんだろうね とはなりますね。 


 ドラクエから いや ドラクエに限らないが・・ ゲームから 「ステディ&ラーンの要素」 が 除外されると・・ 「女子ファン」 と 「インチキ歴史学者」 しか 多分 残らなくなる。 インチキ歴史学者は もはや 「ウソでもいいので 歴史を学ぶことに生きがいを感じている方々だと思う」 ので 『ドラクエの歴史』 という独立したウソの歴史でも 作られたり提供されるなら 彼らは嬉しいはずなので。 このインチキ歴史学にシナリオ内容をミックスさせる というわけですね。


 そして ドラ11で 『ステディ&ラーンの 逆』 となる 『勉強が嫌いな人達』 という〜ファンが新規顧客で獲得しようとしている ということになるかね。  ドラ11はレベル上げの必要がほとんどなかった。 つまり 「ステディ&ラーンの要素がない」 ということです。 




 個人的に言わせてもらうとすれば・・ 『こうなってしまった場合』 では ドラクエが従来で持っていた 面白さは 『失われるはず』 である。  ドラクエだって ファミコン(ステディ&ラーン) の産物で 俺としては 『そこが面白い。 そこが面白いものであり続けたと思っている』 ので そこがなくなれば 廃れる というか・・ 少なくとも 『ファミコン時代のドラクエが持っていた持ち味は消える』 だろう。 そのことで どう今後に影響するのか? は 今後の未来で分かるわけですね。  なので ドラクエだって 「ステディ&ラーン」 だろう! と俺は思うわけです。 また 私的に 「それでも まだ ドラクエが ファミコンから生まれたものだと 俺が思えた要素は そこ」 だと思うわけですね。   もちろん ドラクエはファミコンから生まれて来たわけではないのですが(笑)  まぁ 当時 「実は学ぶことが好きな連中の巣窟だった ファミコン界でリリースした ラッキー」 があったね! ということですな。 



 ただ・・



 ここで ゲームの面白さは 「ステディ&ラーン」 とか書いているものの・・ 例えば リアル学校の 小学校教育の 『期間』 は どうだ? ということです。 6年ですね。 中学は3年。 高校も3年。 大学は4年だが・・ もうここは (本来では) これまでの積み重ねて来た ステディの成果を 「ラーン(博士号)で示す段階だね」 というものですが・・ まぁ 大学&大学院はさておき (日本の大学はこれが著しく欠けているのが参るわけだが。  よぉは ステディのみが評価されてるのよね)。



 「ゲームが実は学びである」


 
 とするのであれば・・ ゲームのブームというものはこの 「ステディ期間 ないし ラーン習得期間」 におそらく該当し シンクロすると思われる。  つまり 「6年程度・3年程度・3年程度」 の 「ブーム期間になる」 ということです (合計目安としては 木星の公転周期である 11.58611年程度 ≒ つまり合計約12年程度 に相当と推測される)。 


 この約12年という期間が過ぎた後では 基本的にはみんな 「ステディ期間 ならびに ラーン習得期間 が 終了している (⇒ ゲーム=学び とした場合では つまり ゲームのブームが終わっている)。 『ここまで!』 あるいは 『そこまで!』 という〜ことです。



 ただ 現在のゲーム界もそうだしポケモンなんかもそうだと思うし もちろん ドラクエもそうだと思うが・・ 現代&現在になるまで 『長続きしているゲーム』 というものは 『ステディ&ラーンの要素を含んでいたゲームやゲーム作品』 だと思うわけです。 


 それくらい 子供時代に受けた 『勉強と学ぶ方法』 というものは 年が経過しても なかなかなくならず・・ その時 教えてくれた 『先生の愛と それに対する感謝』 という気持ち と 勉強の仕方 は 人の心に残り続けるということなんでしょうね。   俺なんて 今でもまだまだ ゲームからゲームを通して何か学ぼうとしている始末なわけですからね(笑・笑・笑)。  このブログでこういうことを書いているように。



 現代のゲームは 「動画要素 = 学ばない要素」 に進んでいるわけだから そりゃ 35年と半年程度(木星の公転周期3周分)で 「なんらかのことが原因でファミコンのもたらしたものは消えるんじゃないのか?」 と 俺は書いてきているのだが・・ その原因になるのは 「学びがウリであったはずのゲームから 学びの要素が消えることで」 になりそうですね。 
 


 「俺は何故ゲームをしてきたのか?」


 の答えは こういうことなんじゃないかなぁ〜? と最近物凄く思うんだよね という話でした。