2007年02月

2007年02月23日

ニュージーランドの山釣り 3

2月7日
 快晴。峡谷に沿った山腹に平坦な道が続く。その道を、ひたすらトランピング(トレッキング)する。青空を背景に、対岸には雪をいただく連山、眼下にはきらめく川の帯が続く。後をふりむいた時にザックがぶれ、あやうく谷底に落ちそうになる。焼けつくような日差しだ。
 山小屋に泊まることにする。夕方、テラスで涼んでいると、若者が話しかけてきた。自分はオーストラリア人で、ニュージーランドは、オーストラリアより美しいので来た、という。内容が十分に理解できないのが残念だ。

2月8日
 快晴。山を下る。歩きが長い。川辺でテントを張る。川の水を沸かして、食事をつくる。

2月9日
 羊たちが、明るい日差しを浴びて草を食んでいる。青い空に、筆で描いたようなかすれた白い雲が浮かぶ。冠雪した山々に囲まれて牧草地が広がる。その中を透明な川が蛇行している。
 ルートバーントラックの終点から歩くこと3時間半、ワカティプ湖に注ぐダートリバー(泥河)の支流のクリーク(小川)に着く。川幅は15mから20mある。
 テンカラ竿(リールのない和式毛バリ竿)に長い飛ばし糸を付け、先糸に毛バリを結ぶ。竿と糸を両手で持ち、川岸の踏み跡を上流に向かう。
 川が大きく曲がり、瀬をつくっている。水辺にはアシが生え、いかにも鱒がいそうだ。しかし確実に釣りたいので、先に進むことにする。
 踏み跡が少し岸から離れると、緑色の草の中に黄色や白の小さな花が咲いている。川の中を見ながら、上流に向かって右側の低い土手を歩く。
 何度か毛バリを飛ばしてみる。川上からの強い風によって、ときどき糸がトゲの木にからまる。毛バリに魚は出ない。日差しが強くなってきた。水の中が見えにくい。偏光眼鏡をザックの中に忘れてきてしまった。
 鱒は釣れそうもなく、惰性で竿を振りつつ、上流に向かう。ふと横を見ると、鯉のように太った魚がいる。大鱒だ。強風の中、毛バリを飛ばす。鼻先に落とす。出ない。また飛ばす。糸が水面をたたいた。鱒はユラッと動いて、水草の中へ身をひそめた。
 川幅が狭くなってきた。いた。70cm前後の鮭のような鱒が、水草のあいだで尾鰭を動かしている。この川はブラウントラウトだけだと聞いていたが、ニジマスのようだ。腹ばいで毛バリを飛ばす。近くに落ちるが出ない。鱒は水草の中に姿を隠してしまう。
 清透な流れがうす緑色の深淵に変わる。倒木が対岸から水中に没し、かっこうの大場所だ。淵の水面に毛バリをのせる。何度か繰り返す。だが、出ない。淵上の平瀬へと移動する。大鱒がいた。飛ばし糸が鱒の上空を通過したとたん、逃げてしまった。
 引き返す時刻だ。風が強い。川岸のやや高まった草の中を戻る。来るとき見た魚はまだいるだろうか。川をのぞいてみると、同じところにいた。気づかれないように鱒の後ろにまわり、這って土手を下がる。上流に向かって風が吹き、大鱒の上にさざ波をつくる。毛バリを風にのせる。毛バリがふわっと鼻先に落ちる。反応がない。くり返すと、大鱒はゆっくりと水草の中に消えていった。
 帰り道、川岸をとぼとぼ歩いていると、数人の釣り人がやって来た。「ディジューゲット(手にしたか)?」と初老の男が聞く。「ノー」と答える。「シーゴット(彼女が釣った)」と後ろを指す。フライ竿を持った中年の女性が網を持ち上げると、40cmほどのブラウントラウトが身をくねらせていた。

(1993年2月)


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2007年02月22日

ニュージーランドの山釣り 2

 夕暮れまで時間がある。下は黒いジャージに長靴、上は黒のウィンドブレーカーを着て、5.3メートル、112グラムの渓流竿を背中につける。黒装束の忍者姿で川沿いの道を下ろうと考えていたが、道は逆に上がりぎみで、進むにつれて川がどんどん下に遠ざかっていく。小屋から10分ほど歩いたので、川に向かって下りて行くことにする。大シダをかき分け、コケむした中を進む。たしか、毒蛇はいないはずだが。
 薄暗い川辺で、毛バリをつける。歩きと釣り兼用の長靴で川に入る。綿と毛糸の靴下を2枚はいているが冷たい。川幅は約3メートル、水深はひざ下で、落差はない。
 毛バリを瀬に流す。魚は姿を見せない。下流に倒木がある。いそうだ。倒木の陰になっている水面に毛バリをのせる。しかし、魚は出てこない。
 釣り上がる。淵だ。落ち込みから流れ出た水は、ゆっくりと回り、白泡にもどる。その流れに毛バリをのせる。水面に、小さなアマゴのような魚がとび出た。鱒がいる。
 日本の藪川で釣っているかのようだ。白樺に似ている木、トゲのある植物、大きなシダ、そして黒い川底。川の中を歩いていると、25センチほどの魚が走った。
 上流に、右から左へと「く」の字に曲がった淵がある。曲がり角の深みに流木がからみ、流れを遅くしている。流木の下に、30センチはある黒っぽい魚がいた。しかし、すばやく隠れてしまう。
 流木の向こうにもいる。ゆるやかな流れの水面近くで、尾をゆっくり動かしている。見ていると、曲がり角の奥に入ってしまう。
 少し上の瀬から毛バリを流す。水面で、魚が毛バリをくわえた。すかさず竿を少し上げ合わせる。かかった。竿を手元から縮め、魚を取り込む。25センチのブラウントラウトだ。憧れのニュージーランドで、はじめて鱒を釣った。
 ブラウントラウトは6匹釣れた。この川では、警戒心が強く、すぐ逃げる。水が止まっている所でゆらゆらしている。口の中が硬く、ハリがかりしにくい。かかると身をくねらしジャンプして暴れる。毛バリの大きさが10番だと、よく出るがばらしやすい。それより大きい8番だと出が悪い。毛バリを動かし操作すると、毛バリをくわえようとしない。そこで、小さめの毛バリで、糸にたるみをもたせ、自然に流し、くわえたのを確かめて、強めにあわせるとかかりやすい。
 21時を過ぎているが、明るい夕方のようだ。これからルアーで大物をねらう。湖面には、昆虫をくわえようとして魚たちが浮き出た輪が広がる。沈みそうな水草のじゅうたんを踏み、湖に突き出た倒木に乗る。スプーンをつけ、竿を振って飛ばす。リールを巻く。水の輪があちこちにできる。絶好の時だ。スプーンを投げる。だが輪に届かない。足元で輪ができる。よく飛ぶルアーを倒木に引っかけてしまう。薄暗くなってきた。残念だがあきらめよう。
 小屋にもどり、ストーブで暖をとった。

 つづく


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2007年02月21日

ニュージーランドの山釣り 1

 初めて行ったニュージーランドで、山歩きをしながら鱒釣りをした。

2月6日
 快晴。ニュージーランド南島のクイーンズタウン(女王町)から、朝8時のバスに乗る。羊の群れや氷河湖を見ていると、ついうとうとしてしまう。
 12時にようやくデバイド(分岐)に着く。ここが、ルートバーントラック(日焼け道)の出発点だ。
 霧雨のため、休憩所で食事を作っていると、3人の外国人がやって来た。フライロッドを持っている。トレッキングシューズやズボンがずぶぬれだ。ドイツの若者たちで、ブラウントラウトの大物を何匹も釣ったという。ここ数日、雨に降られたといって、ズボンをしぼっている。ザックにカバーをつける。「グッドラック(幸運を)」といわれ、山道にはいる。
 平坦な道が続く。原生林の中につけられた道をジグザグに上がる。1時間後、キーサミット(要所の頂)の分岐に到着する。雨はあがり、快晴に向かっている。
 荷物を置き、キーサミットへの道を登る。ウメバチソウのような白い花が咲いている。20分で上に着く。湿原の池と雄大な山々を背景に、写真撮影をする。日本庭園のような岩と池をまわり、分岐にもどる。
 下る途中、日本人の若者に会う。さきほど登ったが、見晴らしがよくなかったので、もう一度上がるという。山道の途中で会った20代の女性ハイカー3人と合わせて、日本人は4人目だ。
 分岐に戻り出発する。道は下りになる。妻子と歩く仙人のようなヒゲをはやした男に挨拶をする。「ハイ(こんちわ)」。愛用の黒長靴を指差し、「グード(それはいい)」「ゲーム(狩猟用)の靴か」といっている。連日の雨で道がぬかるんでいるので、長靴が歩きやすい。
 20分で湖畔の小屋に着く。ブロンドの美しい女性が2人、小屋の前のせせらぎで足を洗っている。小屋の前は、湖からの流れ出しになっている。小川だが鱒がいそうだ。ルートバーントラックの地図を見ると、釣りの印がついている。マッケンジー湖のキャンプ地まであと数時間かかりそうだ。今日は2時間20分歩いたので、山小屋で泊まることにする。
 ベッドにはマットレスが敷かれていて、食堂では石炭ストーブがたかれている。水道があり、ガスコンロもついている。トイレの手前にある物干しには、ブラジャーなどがかかり揺れている。トイレは水洗でペーパつきだ。内側の戸に「簡素であることが大切」という詩が貼ってある。ハウデン湖の山小屋は快適だ。

 つづく


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2007年02月14日

イワナは凛とした洗いに

 渓流にすむイワナにあった食べ方は洗いだと思う。沢の水で冷えた透きとおるような身をはしでつまみ、ワサビを効かせて醤油にちょっとつけ口にいれる。コリッとして淡白な中に甘みとうま味が広がる。焼き焦がしたイワナの頭や尾が入った、コハク色の熱いイワナ酒がすすむ。

 野外でイワナの洗いを食べるには、どうすればよいだろう。それはイワナの調達と料理にかかっている。
 洗いに適しているイワナは、水が飲める冷たい沢にいる。卵巣や精巣があまり発達していない夏までがシーズンで、胴が丸く太った30センチ前後のイワナだ。鮮度を保つため、釣ったその場で頭をたたき、即死させ、エラ、内臓、血合いを取りのぞく。イワナは次第に硬直するので、その前に洗いにする。
 よく切れるナイフで背ビレと腹ビレを除き、首のつけ根からナイフで皮をむく。三枚におろした身をそぎ切り、体温くらいの湯に入れる。湯が濁り、身が半透明になっていく。1、2、3と、20ほど数えてから、目の細かい網の袋に身を移し、袋の口を閉じて渓流にさらす。宴の準備ができたなら、冷水から上げた袋を軽くふりまわして水気を飛ばし、あとは盛りつければイワナの洗いができあがる。

 野外でのイワナの食べ方は洗いのほかに、塩や味噌でゆでたり、たき火で焼いたりする。
 ゆでるのは10数分で手軽だ。25センチ以上ある太ったイワナの皮をむき、ぶつ切りにする。塩を入れた水からゆでると表面に脂が浮いてくる。味噌を入れてもよい。
 白くしまった身はタイのような味がする。皮をむくのはヌメリが苦味のもとになるからだ。ただし、弾力とヌメリのある皮はナイフでは切りにくい。ハサミで切って湯を通すと湯引きができる。
 たき火は時間をかけた分だけ楽しみが多い。火を起こしてから1時間、串を打ったイワナをこげ目がつかないように遠火で焼くと、煙の香りがついたホクホクとしたイワナが焼き上がる。頭や尾は骨酒に使う。硬い骨も焼いて食べる。
 イワナが釣れなければ、ソーセージを縦に割って、それぞれをナイフで削り、イワナの形にする。串を刺して遠火で焼くと、これがソーセージかと思えるほど美味だ。

 イワナの刺身はタイミングがむずかしい。身が硬くなったころに刺身にするが、硬直後の身はすぐに軟らかくなりやすい。くずれた身は不透明でヌメリがついたりする。清冽な流れに棲むイワナには、ぬくまった刺身より、凛とした冷たい洗いがふさわしい。

 なお、アメマスという海と行き来をするイワナの洗いや刺身は禁物だ。アメマスは銀色の鱗におおわれ、桃色から赤色の身をしている。
 長野水産試験場・山本 聡氏の『イワナの生態と釣り』によると、海から遡上したアメマスには、日本海裂頭条虫やアニサキス線虫の危険があり、生食は避けたほうがよい、とある。その一方、山岳渓流のイワナには人間に害をおよぼす寄生虫は見られない、と書かれている。
 (『日本食糧新聞』 2006年8月28日)


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塩なし「素食」のすすめ

 転勤先の広島から東京に戻ったとき、駅のホームでうどんを食べた。醤油のたれは黒っぽく塩辛かった。広島駅で食べた天婦羅うどんは薄味で、うどんの味がよくわかった。
 昔、山に住む人たちはひと握りの塩で1年間暮らした、と民俗学か何かの本で読んだことがある。もっとあっさりと食べることはできないのだろうか。突き詰めていえば、塩なしで食事は可能だろうか。
 私は塩がなくても食事はできる、と考えている。というのは、食材が新鮮であれば塩分がなくても美味しく、食材の持つ味がわかる。たとえば豆腐、納豆、タマゴ、大根おろし、キャベツ、ニンジンなどは、塩や醤油を使わなくても食べることができる。サンマ、アサリ、ワカメのような魚貝類や海藻は、塩を使わなくても食材自体に塩分を含む。また、減塩、無塩を食習慣で変えることができる。野外活動で塩なしで自然食材を美味しく食べたことがある。北海道の奥尻島、紀伊半島、新潟の苗場山での体験だ。
 1日1食分の食料を持ち、野宿をしながら1週間、奥尻島の川を釣り歩いた。夏のため川は空き家で小さいヤマメ数匹と25センチのイワナが1匹釣れただけだった。空腹のため、スミレの根、フキ、アイヌネギ(別名・ギョウジャニンニク)を生で食べた。
 スミレ(正しくはスミレサイシン、別名・トロロスミレ)の根の形はワサビに似ているが、辛くははなかった。
 フキは川の中に生えていて、切り口からは冷たい水がほとばしった。表皮をむいて食べると、シャキシャキしてほろ苦かった。
 アイヌネギは川岸に生えていて、ガーゼ状の繊維をむき、直径2センチはある白いラッキョウ形の根をかじって食べた。甘みと辛味があった。
 磯を歩いているときは、海中にナマコを見つけ、流木の先を矢の穂先のように削って刺して獲り、その場でぶつ切りにして食べた。磯の香りのするコリコリとした赤いナマコだった。
 紀伊半島の山を西から東に3分の2歩き、大台ケ原から谷に沿って石積みの道を下ったことがあった。このときも川岸で野宿した。その翌朝、毛ばりで数匹のアマゴ(朱点のあるヤマメに似た魚)を釣った。杉の枯枝で焚き火をして、1時間かけて塩なしの素焼きにしたアマゴは、煙の香りとともに、ホクホクとして脂がのっていた。
 越後湯沢でも渓流釣りの後、苗場山に登って赤湯温泉で泊まったとき、釣ったイワナを炉辺で焼枯らしにしてもらったが、焦げ目はなく、水分の抜けた身は固くしまって淡白な味がした。残りは新聞紙にくるんで横浜の自宅へ持ち帰った。塩が付いていないので湿気を含まず、イワナの身は固いままだった。
 弘前大学医学部の元教授・佐々木直亮氏のホームページ『衛生の旅』によると、ブラジルの原住民ヤノマモ族の人たちは、1日1グラム以下という「塩のない文化」で元気に暮らしているという。塩分のとり過ぎは脳卒中や高血圧を引き起こすといわれている。減塩のためにも、食べ物をできるだけ素のまま味わってみてはいかがだろう。
 (『日本食糧新聞』 2006年2月17日)


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2007年02月07日

激流を越えて 5

 話し合い、尾根に上がることにする。休憩地点から少し戻った場所から、「尾根状−沢状−尾根状」の凹凸のひだを見て取る。立木をたよりに急斜面をジグザグに登る。左の尾根状の出っ張りから沢状の窪みを通過し、右側の出っ張りに取りつく。
 「深みにはまってしまったなぁ」「でも、(今月の14日に)子供が生まれたので、あきらめるわけにはいかない」と思う。
 谷底まで落ちないよう立木につかまり、登れる経路を見いだしながら登り続ける。皆が黙々と続く。
 ようやく尾根に出る。ヒグマを警戒し、笛を吹き鈴を鳴らす。谷の様子を見に行く。谷底は浅い。熊笹のゆるやかな斜面の下にある。四ノ谷の滝は予想以上に高かった。4人が続く。木に巻きついたツタウルシに注意するように言う。ツタウルシはウルシより強烈で、礼文岳のやぶこぎ登山でひどくかぶれた。体が震えるほどかゆくなる。かゆみ止めはほとんど効かなかった。
 四ノ沢は土底と岩から成り、その上を茶色い水が流れている。これから、対岸を登り返し、尾根を越える。渓流靴のフェルト底は滑落しやすいので、靴にはきかえてもらう。
 2万5千分の1の地図を確認し、最短経路で尾根の向こう側に行くよう方向を定める。熊笹をかき分けまっすぐ進む。笛を吹く。ヒグマが解体したと思われる太い倒木の上を進むと、足元に目印があった。青いひもが縛ってある。
 目印は尾根の下に続く。皆に伝える。急な尾根を下っていると、泥で左足が滑りひやっとする。このまま行くと川底に降りてしまうようだ。増水した茶色の濁流に近づいてはいけない。ここは渡渉開始点の淵の上にある巻き道らしい。来るときに登ろうとしたが、違うようなので戻り、対岸に渡った場所と思われる。
 札幌の人が偵察に降りる。通行できないという。神戸の人が横に進むというので制止する。岩壁を横切るからだ。やむなく登り返す。神戸の人がここから横に進もうという。岩壁の上で危険なので私が先に行く。枝の束をまたぎ、横切るとそこに踏み跡があった。下がっていくと帰路につながった。次々に降りてくる。皆で喜びの握手をする。
 「あなたがいなければ、帰ることはできなかった」と一人一人に言われる。幸運のうえに、皆が力を合わせて難局を乗り越えた。黙々と歩く老人を気づかうことが結束力を高めたのかもしれない。
 老人は日本百名山を99登頂した。札幌の人は明日の仕事に間に合う。神戸の人は、夕方待ち合わせている妻子とこれから会えるだろう。池田君は貴重な体験ができたと言う。
 6時に車の置いてある場所に戻る。行きは小屋まで2時間40分だったが、帰りは7時間30分かかった。
 薄暗くなった雨の林道を国道に向かって車は進む。ときどき見える川は、轟音とともに、峡谷にあふれんばかりの濁流と化していた。
(2000年7月)




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2007年02月06日

激流を越えて 4

 川岸を進む。我々は下流に向かって右側(右岸)にいる。薄茶色になった川は轟音をあげ、狭い廊下状の峡谷を左から右に急傾斜で流れ、さらに右側から滝の水がドドドと吹き出し合流している。倍近くになった流れはさらに左に向かう。もう渡れない。
 四ノ沢との合流点に近いと札幌の人がいう。しかし、川の様相が変わっていて定かではないようだ。昨年、最後の徒渉地点である四ノ沢の出合いが渡れずに、1週間閉じ込められた登山者たちがいたという。中には地元の人もいたそうだ。団体58人が早々に撤退したことは正しい判断だと思う。
 「もし四ノ沢ならば、この峡谷を登り尾根にでて、右側の滝の上を巻けば、川沿いの道にでられるはずだ」と考えた。
 休憩することにする。携帯食を食べる。まず場所の特定が先決だ。5万分の1の地図を見る。幌尻小屋と四ノ沢の中間にもう1本無名の沢がある。右側の滝は四ノ沢か無名の沢のどちらかに違いない。途中で沢を見た人がいないか聞くが、はっきりしない。高度計は山頂で100mほど高く示していた。気圧が下がっているからだ。四ノ沢のようだが高度計では断定できない。神戸の人が濡れた2万5千分の1の地図を差し出す。5万分の1の地図では分からなかったが、二つの谷の出口の方向が明らかに違っている。数10mほど下流の右側に見える沢の方向を、スウェーデン製のシルバコンパスに写しとる。地図上の2本の沢の方向と照合する。結果は四ノ沢の方向と一致する。無名の沢の方向とは違う。四ノ沢の手前にいることを確信する。
 濡れた体が冷えてきた。老人の体調が気になる。聞くと大丈夫だという。他の人にどうすべきか意見を聞いてみる。
 札幌の人 ここでしばらく様子をみよう。ツェルトを持っている。
 神戸の人 山越えするしかない。高巻きの経験はない。
 池田君  引き返そう。
 田中   山越えをしよう。なぜなら、現在2時で、日暮れまで4時間以上
      ある。雨の中でここに停滞すれば、川石の状況から見て水没
      する可能性がある。引き返すことは、倒木もないしさらに増水し
      ているので不可能に近い。だが、この峡谷を登れるかどうかは
      不明だ。
 休憩の間、地形を確認する。本流に注ぐ四ノ沢の落ち口は絶壁だ。地図から、四ノ沢の滝の上に、さらに大きな滝があるようだ。休憩地点の横にある急斜面を笹につかまりながら登ってみる。斜面の上は黒い垂直の岩壁で登れない。岩壁の下に沿って四ノ沢の方向に垂直な岩の大きな割れ目がある。通過できそうもない。滑り落ちないように、皆が休む所に戻る。


 次回に続く


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2007年02月05日

激流を越えて 3

 小屋の前の川岸で札幌の人に、「川になれているようなので、お先にどうぞ」と言われる。自作したアルミ製の折りたたみ杖をつき、腰までつかって対岸に渡る。淵尻が大石で囲われているので流される心配は少ない。4人が続いて渡る。
 次の徒渉地点だ。川に入る。だが流れが強い。流されそうだ。いろいろ試すがこのままでは渡れない。倒木を探す。向こう岸の突き出た大石に倒木をかける。しかし、流される。長い倒木を再びかけるため、向こう岸の淵に向かって飛び込む。大石につかまり倒木を受ける。手掛かりができた。木につかまって次々に渡ってくる。
 次の徒渉地点でも、枝のついた倒木1本分をかけ渡る。老人の足元が滑るため、腕をつかんで確保する。
 この沢は、両岸が切り立っていて、曲がりくねった廊下状になっている。そのため徒渉しないと下れない。
 また徒渉だ。先に川を渡り補助し、札幌の人、池田君、神戸の人が渡る。老人が渡ってきて神戸の人と私の間に老人が入る。そのとき、老人が滑った。3人の足が浮く。流されるかもしれない。石から手がはずれそうだ。後ろを向いていた札幌の人と池田君を呼ぶ。引っ張ってもらい、難をのがれる。
 老人が心配なので、しんがり(最後尾)を池田君に歩いてもらうことにする。神戸の人は、来た時の通路をよく覚えている。前日に団体58人が渋滞し小屋まで5時間かかったそうで、地形の印象が強いようだ。
 難所になった。対岸に渡れそうもないので、左側の斜面を登り偵察に行く。曲がった流れを巻いて川原に降りることができる。しかし、対岸には渡れない。滑り落ちないように草木をつかんで戻る。
 ここを渡るしかない。皆で力を出し倒木を対岸の石にかけようとする。しかし、流れが強くうまくいかない。10mくらい上手の淵から対岸に渡った池田君が木をつかみ、こちら側の木を神戸と札幌の人が石にあてがい押さえる。木につかまり、流心を渡っていると水圧で足が浮く。体が「く」の字になり、内蔵が圧迫される。内蔵がちぎれそうだ。背中のリュックに激しく水がぶつかる。両足は水流に引きずられる。流されそうだ。腕に力をいれ、体勢を立て直そうとがんばる。池田君につかまれ、ようやく渡ることができる。
 危険なので上手の淵状の流れに倒木を移動する。神戸の人が渡り、老人が渡り、最後は札幌の人だ。対岸には木を押さえる人がいなくなったので、4人で対側の石に木を押しつける。札幌の人が木につかまって渡ってくる。流心を渡ろうとして、私が手を差し出し、もう少しで渡りきるときに、直径20cmくらいある木が中央からボキッと折れた。アッと声がでて、手をつかむ。流れが強く手がはずれる。札幌の人は仰向けのまま激流を流される。岸を走るが追いつかない。30mほど下流が淵になっていて、枝が水面に垂れ下がっている。札幌の人は大丈夫といいながら、仰向けのまま枝につかまる。川に入り、手を差しのべて岸にあがる。


 次回に続く



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2007年02月03日

激流を越えて 2

7月23日(日) 雨
 3時に北大生に起こされる。テントを撤収して帰るという。雨のため、川が増水し危険なので、登頂せずに3時40分に出発するという。小屋の外で数名の高齢者が「このくらいなら大丈夫だ。登ろう」としきりに言っている。
 テント内の荷物を持って小屋に移る。荷役の北大生だけが床の拭き掃除をしている。大勢の団体がいなくなると、小屋は急に静かになった。
 食事を済ませ、川の様子を見にいく。昨日より増水している。まだ大丈夫そうだ。
 5時、札幌の人を先頭に幌尻岳を目指す。小屋の裏手の道脇で、腐った太い木がバラバラになっている。ヒグマの仕業らしい。途中、「命の水」という岩から流れ落ちる冷たい水を飲む。エゾフウロウ・ニリンソウ・ハクサンチドリなどの咲くお花畑を通過し、8時に山頂に立つ。強い風で雨があたり寒い。写真を撮って下山する。10時に山小屋に戻る。
 川を見にいく。水嵩がさらに増し、気になる。こちらは1週間休みなので、小屋に泊まって減水するのを待ってもよいのだが。
 札幌の人の話だと、増水のため昨年の登山者が1週間小屋止めになり、食料をヘリコプターから投下されたそうだ。
 札幌の人は、翌日仕事があるので帰るという。気が進まなかったが、いきがかり上、付き合うことにする。
 小屋の中で川を下る準備をする。リュック内の荷を大きなゴミ袋に入れ、口を縛って防水していると、隣にいた男に一緒に連れていってほしいと言われる。年齢は40代のように見える(神戸に住み52歳であることがあとでわかる)。危険なら途中から引き返すと告げる。出発直前、65歳の人に一緒に連れていってほしいと頼まれる。
 10時30分、総勢5人が増水した川を下ることになった。各人の特徴は次のとおりだ。

  - 老人 札幌 神戸 田中 池田
年齢 65歳 50代 50代 40代 30代
荷物
荷物防水 外カバー 外カバー 外カバー 内ゴミ袋 外カバー
履物 登山靴 渓流靴 渓流足袋 防雪長靴 渓流靴
山杖 山杖 山杖 自作杖 なし
手袋 素手 素手 着用 着用 素手
登山経験 50歳か
ら百名山
を登る
山岳副部
長、毎週
登山
不明 年間80
日くらい
山や川へ
体力・平
衡感覚・
読図よし


 次回に続く



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2007年02月02日

激流を越えて 1

 幌尻岳(2052m)は日高山脈の最高峰である。アイヌ語でポロ(大きい)シリ(山)を意味する。今回、額平川(ぬかびらがわ)を遡行し、幌尻岳を登って往路を戻る予定だ。渓流釣り・登山・山スキーをともに楽しんでいる15歳下の池田君と登る。

7月22日(土) 曇り、雨
 羽田空港を7時30分の便で出発し、新千歳空港に到着する。予約しておいたレンタカーに乗り、幌尻岳登山口に向かう。1時半に林道の車止めに到着する。
 食事をして午後2時に出発する。地図では山小屋まで4時間かかるようになっている。暗くなると沢歩きやヒグマの危険があるので、急ぐことにする。
 雨が強く降りだし、雨具を着る。ヒグマよけの鈴と笛で音を出して歩く。下山者と10人くらいすれちがう。
 川沿いで会った男女の下山者は、雨足が強くなったので、登頂をあきらめ引き返してきた。増水すると帰れなくなるという。もう少し様子を見るため、先に進むことにする。
 膝上くらいの徒渉を繰り返し、4時40分に山荘に着く。休憩をしなかったが、快適な沢歩きだった。
 さて、無人小屋に入って驚いた。団体で満員だ。2階もいっぱいで、「なんとか2人はいれませんか」と頼んだが、宴会をしている中年女性に「無理です!」と言われる。リーダーは誰なのかわからない。
 「新ハイキング」の団体58人が小屋に入っていることがわかる。北大生数名が荷役(ボッカ)で雇われ、やかんに湯を沸かし運んでいる。斜里岳登頂後、トムラウシ岳を登りに行ったが、雨のため引き返し、ここに来ているという。高齢者が多い。一人12万円のツアー登山だそうだ。7月の週末は毎週どこかの団体が小屋を占拠しているという。
 入口付近のようやく一人が座れる濡れた板の間を確保しようとしていると、北大生が手招きする。テントを張るので外で寝てほしいという。ドーム型の4人用テントに、同じく小屋に泊まれない人と、合わせて3人で入った。
 いっしょに泊まることになった人は札幌に住み、年齢は50代に見える。学生時代に山岳部の副部長をしていたという。北海道の山を毎週登っているそうだ。
 いっしょに飲んで話しているうちに、すっかりうちとけた。今回の山行は、日高のカムエク(カムイエクカウシ岳1979m)に登るための予備調査を兼ねていることを告げる。来年か再来年にいっしょに登ろうと話がはずむ。
 カムエクは福岡大の学生5人中、3人がヒグマに命を奪われた山だ。今回の幌尻岳と同様、川が自然の道である。毎年、雪崩・増水・滑落で遭難救助があると登山案内書に書いてある。
 札幌の人の話では、ヒグマは恐くないという。遠くから見かけたが、大丈夫だったそうだ。福岡大は例外で、近年登山者は襲われていないという。


 次回に続く



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