2007年05月

2007年05月22日

原野にて

 遠い記憶を確かめるために、夜汽車に乗った。

10月23日
 金曜の夜、根室本線に乗り、無人の上厚内駅に着く。駅に灯りがない。懐中電灯をつけ、中央にあるステンレスの荷台に横になる。遠くのほうで、ウマがいななく。足音がして、大型獣が建物のまわりを歩く気配がする。ヒグマだろうか。ガラスごしに覗かれたらどうしよう。建物の中はがらんとして、逃れるための天井の梁もない。寝袋の中で、朝まで気が抜けない一夜を過ごす。

10月24日
 うかつにも、駅には水がなかった。寒さで水道が凍るためだろう。コンビニで買ったガスカートリッジが使えない。朝食は水が飲めず、カロリーメイトで済ませる。
 駅前には、厚内川が流れる。まわりは紅葉し、ヒグマが出そうだ。5.3mの竿に3mの糸を付け、糸の先に毛鉤を結ぶ。カワゲラの成虫を模したような毛鉤は、頭から尾にかけて羽根が放射状に広がる。川幅は10mくらいで、落差のない冷たい水が流れる。
 毛鉤を飛ばすと、深みの水面にふわっと落ちる。水面を割って魚が飛び出た。竿を握ると、ギュンと合わせがきき、魚体が空中に舞う。銀色に包まれた20cm強の白い斑点があるアメマスだ。
 流れが弱く、思ったよりアメマスの出が悪い。毛鉤を着水させ、沈めてから、毛鉤の羽根が開いたり閉じたりするようにして、手前に引いてみる。がまんできなくなったアメマスが、すかさず食いつくようになる。
 
 サケ科イワナ属のアメマスは、エゾイワナが海に下り、河口付近で成長して川にもどる。アメマスは50cmくらいになる。雨の日に海から遡上するといわれ、雨鱒と書く。
 北海道の禁漁期間は、場所にもよるが、7月から8月になっている。食用にアメマスを確保し、腹を開く。釣った15匹すべてが、精巣も卵巣もない。海と行き来して、大型になると雌雄が決まるのだろうか。
 佐渡の大野川では、釣れたヤマメはすべて雄で雌がいない。サクラマスになった雌が、川にいる20cmくらいの雄と交配しているようだ。

 夕方、上厚内駅から尺別駅に向かう。厚内駅、直別駅のつぎが、太平洋に面した尺別駅だ。ほんとうは尺別岐線(ぎせん)駅が正しい呼び名だった。というのは、根室本線から分岐し、蒸気機関車で10kmほど山中に入った所に尺別駅があったからだ。尺別は、人口5000人の炭鉱の町で、閉山とともに建物は壊され、カラマツ林と牧場になっている。

                   尺別
                   |
 帯広 ←浦幌―上厚内―厚内―直別―尺別岐線―音別―白糠→ 釧路

 尺別(岐線)駅の入り口の上に看板があり、左にハマナスの絵、中央に駅名、右にアメマスの絵が画かれている。
 夕暮れの尺別原野に風が吹く。駅の近くで、赤黄色く濁った川を見つける。かつて父とウグイを釣った川だ。さらに行くと橋があり、尺別川が流れていた。石炭で濁り、黒川と呼ばれた川は、澄んだ流れに変わっている。父とウグイを釣り、ドジョウやカジカを網ですくった。
 アシの原野を蛇行する川の水を汲み、駅にもどる。床にすわり、何度も夢に見た、子どもの頃は釣れなかったアメマスを、生まれ育った川の水で煮て食べた。
 (1998年10月)


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2007年05月19日

父とすくったイワナ

 根室本線に乗り、釧路から1時間ほどで尺別(しゃくべつ)という駅に着く。駅の近くを尺別川が流れ、目の前にある海にそそぐ。上流にはかつての炭鉱があり、私はそこで生まれ育った。
 40数年前、尺別川は石炭で黒くにごっていた。その黒川には、冷たく澄んだ数本の支流があり、町の中で合流する。合流付近で、カメの甲羅を逆さにしたような形の、片方の口が開いているザルを、水の中でかまえる。上流のほうを足でかき混ぜると、ドジョウやカジカがザルの口からはいってくる。ときには、ヤマメがはいることもあった。
 支流をさかのぼると、バラ線とよぶ鉄条網がはってある。放牧のウシや、人が上流にいかないようにするためだ。5000人が住む炭鉱の町は山にかこまれ、ヒグマがでる。そのバラ線をくぐり、奥に進むと、淵の中にアメマスの子が群れている。手ぬぐいですくい、もち帰って金魚鉢にいれた。稚魚は銀色で細長かった。堰堤のない川は、ヤマメやイワナが海と行き来できる。
 ときどき町内の人たちが支流に集まり、三角網で魚を獲った。三角網は、入り口が半円形で、先が円錐状になっている。半円の下が浮かないように、棒で押さえる。
 獲った魚は川原で、ブタ汁にして食べた。味噌じたての大鍋の中身は、ドジョウやカジカやウグイが主体で、ブタ肉がはいっていたかあやしい。大人が上流から魚を追うと、下流で三角網をかまえる。網に魚がはいると、奥のほうに誘導され、袋状の先端にたまる。ドジョウは泥くさく、カジカは骨っぽく、ウグイは水っぽかった。
 同じ場所に、父と魚をすくいに行ったことがある。腰から胸のあたりまで川につかった父が、魚を追い立てる。小学生の私は、流れの浅いところで網をかまえる。網の中に魚がはいるのが見えた。父がそばまで来たので、網をあげると魚がいない。奥にたまるはずだが、入り口から出たようだ。またもや網の中に魚が走る。すばやく網をもち上げると、イワナがはいっていた。
 その魚を、バケツにいれてもち帰った。イワナは腹を上にして浮き、すでに硬くなっている。焼いて食べてみた。白身がしまっていて、ほかの魚とは比べものにならないほど、おいしかった。
 いっしょにイワナをすくった父は亡くなったが、いまでも記憶の中に生きている。


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2007年05月09日

渓流魚が往来できる川

 群馬県の川で、「全国初の治山ダム撤去を行います」という記事が、NACS-J 誌に載っていました〔1〕。渓流環境の連続性や多様性を回復させるために、茂倉沢の治山ダムを複数撤去するというのです。

 治山ダムは林野庁、砂防ダムは国土交通省のよび名です。治山ダムと砂防ダムは、見た目に違いが分からないので、堰堤とよぶことにします。写真は、東丹沢の谷太郎川にある堰堤で、中央部の切り込みから水が落ちています。同誌に写真が載っている茂倉沢の治山ダムと、上部のようすが似ています。左側・中央・右側に分けると、中央部が撤去されます。

   堰堤

 堰堤の中央部を撤去したあとに、階段状の流水路をつくった例はすでにあります。山梨県の陣場山から流れる沢井川がそうです。堰堤に制約されずに、ヤマメが生息しています。

 離島にある堰堤は、渓流魚の海との往来を妨げ、生息できなくしてしまいました。佐渡では、炭焼きをしていた老人が、堰堤ができてから、ヤマメがいなくなった、と話していました。奥尻島の漁師も、マスが獲れなくなった、と言っていました。

 奥尻島も佐渡と同じように、堰堤が川に連続しています。奥尻にある遡上不可能な大堰堤の上で、エゾイワナに混じって銀毛化したアメマスを釣ったことがあります。堰堤上から下降すると、この魚はもとの場所には戻れません。ヤマメも同じです。サクラマスになって遡上しても、途中で止められてしまいます。

 堰堤のない川には、ヤマメやイワナが足にあたるくらい生息していることがあります。堰堤の撤去がすすみ、海や湖と渓流魚が行き来できるようになると、渓流魚が復活します。


参考文献
1.茅野恒秀:NACS-J 5・6 497「AKAYAプロジェクト・エリアで、全国初の治山ダム撤去を行います」
2.AKAYAプロジェクト (2007年5月9日参照)



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2007年05月03日

初めての毛鉤釣り

 東京都の奥多摩駅に最終列車で着き、夜明けを待ちながら眠る。足元が見えだし、奥多摩川支流の倉沢まで1時間歩く。倉沢は岩の沢という意味で、背丈以上の岩が重なりあっている。

 これから、自作の毛鉤でヤマメを釣る。広島・島根の県境で、シマミミズを使ってゴギを釣っていたころは、3.6mのグラス竿だった。毛鉤釣りをするため、日本初のカーボン竿4.2mを用意している。

 マスタッド社のドライフライ用12番の鉤に、タクシーの運転手からもらった茶色い羽箒の毛を巻き、胴に薄茶色の糸を巻いてある。

 U字形に近い倉沢の谷におりる。竿先に、フロロカーボン2号の糸を40cmほどつけ、糸の先に毛鉤を結ぶ。エサ釣りとちがって、目印、重り、ヨリモドシがいらない。

 ひざ下まで流れにつかり、フロータントというシリコンでできた浮かせ薬を毛鉤にしみこませる。薄茶色だった胴が茶色に変わる。竿をさしだし、毛鉤を水面にのせる。まばたきをしないで毛鉤を見つめる。

 白っぽい魚が毛鉤をくわえたような気がして、すかさず竿をあげる。ヤマメがかかっている。18cmほどの幅の広いヤマメだ。

 積み重なる岩をつかみながら一つずつこえ、谷をさかのぼる。5mはあろうか、大岩が立つ淵でヤマメを追加し、滝横の岩を登り林道にあがる。はじめての毛鉤釣りで、柳の魚籠には5匹のヤマメがはいっていた。



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