小山バプテスト教会のblog

栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。小山バプテスト教会活動を紹介していきます。家庭的な雰囲気の中、毎週日曜日に礼拝を捧げております。聖書に興味がある方、初心者の方も大歓迎です。気楽にお入りください。人生について、聖書について共に学んでいきましょう。

集会案内です。
主日礼拝 日曜午前 10:30-12:00
日曜学校 日曜    9:00-10:00
祈祷会  水曜午後  7:30- 9:00
     土曜午前  6:00- 6:40
家庭集会 金曜午後  7:30- 9:00

〒323-0829 栃木県小山市東城南5丁目9番25号

0285-27-9105
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「父なる神」 6月11日礼拝より

毎月第二日曜日は、森正義先生が聖書からメッセージを語ってくださいます。
奥様ともども、今やすっかり教会ファミリーに溶け込んでいる先生ご夫妻に、お会いするのを楽しみにしている私たちです。

今年に入って森先生は「使徒信条」をテーマに語ってくださっています。使徒信条の中に、私たちが何を信じているかのエッセンスが練りこまれているからです。
2月;『我信ず』
3月;『天地の造り主』
4月;受難週『ポンテオピラトのもとに苦しみをうけ』
5月;昇天記念日『天に上り』
6月;『父なる神』

今日は来週の父の日に寄せて、父なる神、がテーマでした。
聖書の引用箇所は、交読文がマタイ26:36-46、説教箇所はルカ15:11-32 
①創造主なる神様の義、力強さ、とともに放蕩息子を待っている母のような温かさと赦しに満ちた方でもあることが語られました。
②三位一体(父なる神、子なる主イエスキリスト、聖霊なる神)の交わりとしての唯一の神であること。
③私たち自身が「お父さーん」と呼ぶことのできる個人的な神様であることが語られました。

礼拝の最後には主イエスキリストの十字架を記念する聖餐式が持たれました。

小さい集まりですがとても温かい教会です。ぜひ皆さんもおいでください^^ 

「わたしもあなた方を遣わす」 6月4日礼拝メッセージより

6月4日日曜日、日下健一先生が遠方より来て礼拝メッセージを取り次いでくださいました。

交読文;イザヤ59章19-21節
メッセージ箇所;ヨハネの福音書20章19-23節

 ペンテコステ記念礼拝です。イエスキリストが復活後天に昇り、地上に残された弟子たちへの助け主として聖霊を送られた記念日です。この世界が創られたごく初期に人間は神を無視して生きるという罪を選んでしまいました。そのために約束された救い主としてイエスキリストという方が、人間としての人生を生き、人間の罪を背負って十字架で死んだ。それは創造主から派遣されてきた救い主として。この方が死んだままで終わらずによみがえったことを、この2000年間命をかけて伝え続けたキリストの弟子をクリスチャン達という。その十字架の死と復活が、自分自身の罪のための代償であると信じたものは、創造主のゆるしと新しく人生を踏み出す希望を受ける。
 創造主がイエスキリストを人間として社会に遣わしたように、このイエス様を自分の人生の師として従う私たちも創造主から派遣され社会で地上で生きる者である。その伴走者としてイエス様から与えられているのが聖霊。ペンテコステ記念礼拝は、聖霊とともに歩む私たちへの派遣礼拝でもある。
           
                (以上は日下師のメッセージの要約に加えて、聖書からの解説を含んだものです。)

聖書を生きていますか

 今日は飯島勅先生がルカの福音書24:13-25「エマオの途上でのこと」を題材に語ってくださいました。
イエスキリストが十字架で死に3日以上が経ち、復活したイエスの姿をみたという女性たちが現れ証言していました。しかしそんな中でもイエスキリストの復活のニュースを自分自身の希望として受け入れることができずに暗い顔でエマオ村に向かっていた二人の人に復活後のイエスキリストが近づきます。彼らは近づいてきた旅人に促されて自分たちの知っている事実を伝えます。彼らの知っていたことは、
① イエスキリストは力ある預言者だった
② 死と十字架にかかわる事実、エルサレムで起きたこと
③ イエスという方の目的と使命
④ イエスの復活についてのニュース
どれも事実を伝えましたが、彼らはまだ暗い顔をしていました。そんな彼らを旅人の姿で近づいたイエスキリストは叱責されます。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」(ルカ24:25-26)
そんな風に叱られて、二人はショックを受けたでしょう。さらにイエスキリストは聖書全体(今の旧約聖書のこと)から解説を始めます。「モーせおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中でご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」(ルカ24:27) 二人が救いの計画と実現をわが身の希望として受け止められるように説明を尽くされました。そして、彼らが聖書に示された希望の中に生きるように、自由意志で希望の生き方を選ぶようにとゆだねられました。

私たちはどうでしょうか。聖書をもっている、読んでいる、知っている、でもそれを生きているでしょうか。
二人の弟子たちが、イエス様の聖書講解を聞いた時に「心が内に燃えた」といった、そんな読み方をしたいものです。私は今日のメッセージを聞きながら、教会というのは、この希望で心が内に燃えている人たちが集まって希望を語りあう祈りあう場所なんだな、と思いました。 (記;S.K)

4月15日礼拝・・・

イースターおめでとうございます。

今日は小山バプテスト教会の兄弟が奨励をしてくださいました。
イースターにちなんで、復活についてです。

十字架に掛かったイエス様が復活して弟子たちの前に
現れた話です。はじめ弟子たちもイエス様の復活を
疑う者が多かったのですが、弟子たちの前に現れ共に
食事をして会話をした後、イエス様は天に昇られます。

私たち人間の常識では人は死んで、肉体は滅びます。
復活なんてとてもじゃないが信じられるものではありませんが、
広大な宇宙を創造された神様にとって、私たちには及びもつかない
奇跡も造作もないことです。

そして、十字架の死からの復活こそがイエス様が私たち人間の
罪からの解放と、自由を与える鍵となる部分です。

そんな重要な出来事だからこそ、教会ではイースターは特別な日として
 扱われています。

午後は、新会堂の候補地への内覧に行ってきました。
なかなかの好物件。
御心が示されますように。

皆様の一週間のお守りと導きを願いつつ。 

イエスキリスト ~やみの中の光~

今日の日曜礼拝では、イエスキリストはこの世界を造られた創造主であり、暗やみの世界の中の光である方だということを聖書から学びました。昨今寂しい恐ろしいニュースが相次ぎます、殺人・暴力・紛争・餓え・人間関係の断絶…真っ暗なやみを感じるような世界で、光であるイエスキリストに出会いあたためられて希望を受け取っていただきたい、そんなメッセージが語られました。

(今日皆さんで学んだ聖書の箇所)
旧約聖書・創世記1:1-5
新約聖書・ヨハネの福音書1:1-18

(アウトライン)
著者ヨハネが書いた福音書には、イエスキリストを「光」と表現しているところがたくさんある。
1章について;
天地創造者が「光よ。あれ」とことばを発したからこの世界ができた。(参照;創世記1章1-5節)
そのことばが人間・イエスキリストとなって地上に誕生した。
同時に、イエスキリストはいのちの源である創造者ご本人。 闇の中の光。
闇とは何か。創造者の愛に逆らい隠れた罪の道を自分勝手に歩む人間の暗やみの世界。
3章について;  
暗やみの世界、罪の闇からの救い、それがイエスキリストの十字架における身代わりの死。
イエスキリストの十字架で暗闇の世界から光の中に出てくる橋がかけられた。
光の中に戻っておいで、と私たちは招かれている。
8章について; 
つらい人生を歩んでいた女性の話。
その女性の人生を「罪人だ」と指差す学者たち。
イエスキリストの答えは断罪ではなく、罪のゆるしと、新しい希望の人生への招き。
好ましく思わない人たちはイエスキリストの光の中から離れていった。
12章について; 
イエスキリストつまり光を信じるものは、光の子となる。
そして二度と闇の中を歩むことがない。
隣人をあたためる光となる人生を歩むことができる。

このブログをお読みの方で興味のある方は、ぜひ書店で聖書を買いお読みください。あなたの心を照らす光であるイエスキリストに出会うことができます。ご質問があればお気軽に投稿してください。 
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