小山バプテスト教会のblog

栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。小山バプテスト教会活動を紹介していきます。家庭的な雰囲気の中、毎週日曜日に礼拝を捧げております。聖書に興味がある方、初心者の方も大歓迎です。気楽にお入りください。人生について、聖書について共に学んでいきましょう。

集会案内です。
主日礼拝 日曜午前 10:30-12:00
日曜学校 日曜    9:00-10:00
祈祷会  水曜午後  7:30- 9:00
     土曜午前  6:00- 6:40
家庭集会 金曜午後  7:30- 9:00

〒323-0829 栃木県小山市東城南5丁目9番25号

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イエスキリスト ~やみの中の光~

今日の日曜礼拝では、イエスキリストはこの世界を造られた創造主であり、暗やみの世界の中の光である方だということを聖書から学びました。昨今寂しい恐ろしいニュースが相次ぎます、殺人・暴力・紛争・餓え・人間関係の断絶…真っ暗なやみを感じるような世界で、光であるイエスキリストに出会いあたためられて希望を受け取っていただきたい、そんなメッセージが語られました。

(今日皆さんで学んだ聖書の箇所)
旧約聖書・創世記1:1-5
新約聖書・ヨハネの福音書1:1-18

(アウトライン)
著者ヨハネが書いた福音書には、イエスキリストを「光」と表現しているところがたくさんある。
1章について;
天地創造者が「光よ。あれ」とことばを発したからこの世界ができた。(参照;創世記1章1-5節)
そのことばが人間・イエスキリストとなって地上に誕生した。
同時に、イエスキリストはいのちの源である創造者ご本人。 闇の中の光。
闇とは何か。創造者の愛に逆らい隠れた罪の道を自分勝手に歩む人間の暗やみの世界。
3章について;  
暗やみの世界、罪の闇からの救い、それがイエスキリストの十字架における身代わりの死。
イエスキリストの十字架で暗闇の世界から光の中に出てくる橋がかけられた。
光の中に戻っておいで、と私たちは招かれている。
8章について; 
つらい人生を歩んでいた女性の話。
その女性の人生を「罪人だ」と指差す学者たち。
イエスキリストの答えは断罪ではなく、罪のゆるしと、新しい希望の人生への招き。
好ましく思わない人たちはイエスキリストの光の中から離れていった。
12章について; 
イエスキリストつまり光を信じるものは、光の子となる。
そして二度と闇の中を歩むことがない。
隣人をあたためる光となる人生を歩むことができる。

このブログをお読みの方で興味のある方は、ぜひ書店で聖書を買いお読みください。あなたの心を照らす光であるイエスキリストに出会うことができます。ご質問があればお気軽に投稿してください。 

1月8日礼拝・・・

本日は森正義先生が来会され、へブル人への手紙12章1~2節から、
「イエスから目を離さないで」との主題でメッセージをしてくださいました。

へブル人への手紙
12.1「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように
     私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの
     重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている
     競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
12.2「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで
     いなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、
     はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に
     着座されました。

このへブル人への手紙の著者は以前はパウロとされていたようですが、
現在は著者不明というのが正確のようです。

このへブル人への手紙から、森先生が「信仰」について語ってください
ました。
まず、世間一般的な信仰に対する見解として、
「信仰や宗教は前世紀の遺物」、「弱い者が頼るものだ」等といった
考え方があること。

また、クリスチャンであっても、つい「不信仰な私」「信仰弱い私」といった
言い方をしてしまう時があります。

信仰とは一体何でしょうか。

森先生は信仰の要素として、次の3つがあげられると話してくださいました。

信仰の3要素
①知的要素  ②意志的要素  ③感情的要素

そして勝利の信仰生活を送るためには、「イエスから目を離さない」
ということが一番大切であるということです。

イエスキリストは、信仰の創始者であり、完成者であり、使徒であり、
大祭司であります。
また、イエス様ご自身が信仰を完走されただけでなく、
他の競技者に力を与え、完走の手助けをされるのです。

信仰のレースをイエス様を見つめて走る時、多くの証人、雲のような
証人が応援団として私たちを後押しして支えてくださる、ということも
今回のメッセージを通して学びました。

自分や他の人に目を向ける前に、まずイエスキリストから
目を離さない、見続けていくことが信仰生活を続けていく時に
とても大切なのだと感じました。


礼拝後は森先生夫妻を囲んで愛餐会、その後、臨時総会が行われました。

講壇の花(ユリとカーネーション)
8

11月27日礼拝・・・

本日は近藤牧師より、
ルカの福音書12章54節~13章5節から
「悔い改め」との主題でメッセージがなされました。

12:54 群衆にもこう言われた。「あなたがたは、
    西に雲が起こるのを見るとすぐに、『にわか雨が
    来るぞ』と言い、事実そのとおりになります。
12:55 また南風が吹きだすと、『暑い日になるぞ』と言い、
    事実そのとおりになります。
12:56 偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を
    見分けることを知りながら、どうして今のこの
    時代を見分けることができないのですか。
12:57 また、なぜ自分から進んで、何が正しいかを
    判断しないのですか。
12:58 あなたを告訴する者といっしょに役人の前に
    行くときは、途中でも、熱心に彼と和解するよう
    努めなさい。そうでないと、その人はあなたを
    裁判官のもとにひっぱって行きます。裁判官は
    執行人に引き渡し、執行人は牢に投げ込んで
    しまいます。
12:59 あなたに言います。最後の1レプタを支払うまでは、
    そこから決して出られないのです。
13:1 ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、
    イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血を
    ガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたという
    のである。
13:2 イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人
    たちがそのような災難を受けたから、ほかのどの
    ガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うの
    ですか。
13:3 そうではない。わたしはあなたがたに言います。
    あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように
    滅びます。
13:4 また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、
    エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだった
    とでも思うのですか。
13:5 そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなた
    がたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」

本日の聖書箇所では、特に悔い改めということばが何度も
出てきます。
悔い改めとは、自分の罪を神様の前に認め、神様に自分の
罪をいいあらわすことです。
悔い改めとは、「神様との和解」であると近藤先生も
メッセージの中で話してくださいました。

また、13章4節に書かれているような、何か災害や災難に
見舞われた人はことさら重い罪を犯したからだというような
考えもイエス様ははっきり否定されました。

すべての人が神様の前に罪を犯している罪人であること、
イエス様の十字架を信じる信仰によって救われます。

クリスチャンになった後も、罪を犯し続けてしまう性質が
人にはあります。たえず、日々神様に立ち返り、
自分の罪を悔い改めることが大切なのだと改めて
本日のメッセージを通して学びました。

講壇の花(カーネーション、アメジストセイジ)
写真

10月30日礼拝・・・

本日は秋田から佐々木シゲ師が来会してくださり、
ヤコブの手紙5章13~20節から、
「祈りの勧め」との主題でメッセージをしてくださいました。

13:あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。
  その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。
  その人は賛美しなさい。
14:あなたがたのうちに病気の人がいますか。
  その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を
  塗って祈ってもらいなさい。
15:信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせて
  くださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は
  赦されます。
16:ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために
  祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力が
  あります。
17:エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に
  祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。
18:そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。
19:私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、
  だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、
20:罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い
  出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知って
  いなさい。


シゲ先生は、「祈り」はクリスチャンに与えられた特権であること、
たとえどのような境遇におかれても、神様にゆだねて祈ることができる
のだということをご自身の証と本日のみことばから語ってくださいました。

本日の箇所は、、
13~18節までが「祈りのすすめ」、
19~20節までが「迷っている兄弟姉妹のために祈りの手を差し伸べよ」
という大きく2つに分けることができるとのことでした。

ヤコブの手紙は特に、行いによる信仰の大切さを書いており、
行いの書、実行の書とも呼ばれているようです。

そのなかで、祈りについてすすめられています。

シゲ先生は、みことばと合わせて祈ることの大切さ、
「みことば」と「祈り」がともにクリスチャン生活にとって欠かせない
両輪であることを話してくださいました。

神様のみこころ、御旨を求めて祈る。自分の願いではなく、神様の
みこころを求めてゆだねる時に、最終的にみことばに行き着くとの
話が特に印象的でした。

人と比べるのではなく、神様と自分との関係で祈る。
美辞麗句ではなく、正直に心のうちを神様に告白する。
心からの叫びを祈る。健やかな時も病める時も祈る。

本当にどれも、とても大切なことばかりだと思いました。


また、聖書は読まれる福音書ですが、私たち一人ひとりは
(他の人から)見られる福音書として、神様を信じる者として
ふさわしい行いをしていくことも学びました。

メッセージの最後にもあったのですが、自分の願いや思いだけでなく、
神様を賛美、感謝する祈り、自分だけでなく他の人のために祈る祈りを
もっと求めていかなくてはならないと、本日のメッセージを通して感じました。

礼拝後はシゲ先生を囲んで愛餐会がもたれました。



講壇の花(デンドロビウムとアメジストセージ)
IMGP2072

10月23日礼拝・・・

本日は野村兄がマタイの福音書4章1~11節から、
「試みを受けられたイエス様」との主題で
奨励をしてくださいました。

マタイの福音書4章1~11節
 1.さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて
  荒野に上って行かれた。
 2.そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
 3.すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、
  この石がパンになるように、命じなさい。」
 4.イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、
   神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
 5.すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に
   立たせて、
 6.言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。
  『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、
  あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いて
  ありますから」
 7.イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』
   とも書いてある。」
 8.今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世の
  すべての国々とその栄華を見せて、
 9.言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに
  差し上げましょう。」
10.イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である
  主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
11.すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて
  来て仕えた。

この箇所は有名な部分であり、何度か聞いたことがある方も
多いのではないでしょうか。

イエス様が公に宣教を開始しようとしたまさにその時に、サタンが
近づいてきたのです。
しかもイエス様は四十日四十夜の断食を終えられた後で、
心身ともに疲れが達していた時だったと思われます。

そのような時にサタンは三度イエス様を誘惑しました。

本日のメッセージを聞いて特に心に残り改めて学んだことは、
イエス様はサタンのすべての誘惑に、
聖書のみことばをもって退けられたということです。

最初の3節の、石がパンになるように命じなさいとの誘惑には、
旧約聖書の申命記8章3節のみことばをもって退けられ
ました。

次の6節の、下に身を投げてみなさいという聖書の詩篇92編
12節のみことばを引用しての誘惑には、申命記6章16節の
みことばで退けられ、

最後の9節の、サタンをひれ伏して拝むという誘惑には、
申命記6章13節のみことばをもって退けられました。

また、サタンは時に聖書のみことばさえも利用して、
誘惑してくることがあることも学びました。
聖書は何といっているのか、意味を正しく正確に
理解することもとても大切なことなのだと思いました。

本日のメッセージを通して、イエス様は本当に聖書の
みことばに生き、みことばに従って歩まれたのだと
強く感じました。

みことばを大切にする、みことばに生きる姿勢を
もっと求めていきたいと思いました。



講壇の花(デンドロビウム)
IMGP2064
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