小山バプテスト教会のblog

栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。小山バプテスト教会活動を紹介していきます。家庭的な雰囲気の中、毎週日曜日に礼拝を捧げております。聖書に興味がある方、初心者の方も大歓迎です。気楽にお入りください。人生について、聖書について共に学んでいきましょう。

集会案内です。
主日礼拝 日曜午前 10:30-12:00
日曜学校 日曜    9:00-10:00
祈祷会  水曜午後  7:30- 9:00
     土曜午前  6:00- 6:40
家庭集会 金曜午後  7:30- 9:00

〒323-0829 栃木県小山市東城南5丁目9番25号

0285-27-9105
mail
oyamabaptist@gmail.com

その独り子 イエスキリストを信ず

8月13日日曜礼拝
森正義先生が聖書について語ってくださいました。
開かれた聖書の箇所; 旧約聖書詩篇2:1-12、 新約聖書ヨハネ1:1-5

今年は使徒信条をゆっくり学んでいます
1)使徒信条のつくられた背景 (2017年1月)
  我信ず (2017年2月)
2)使徒信条のテーマ 「神について」 
  天地の造り主 (2017年3月)
  父なる神 (2017年6月)
  全能の神 (2017年7月)
3)使徒信条のテーマ 「イエスキリスト」
  ポンテオピラトのもとに苦しみを受け… (2017年4月)
  天に昇り (2017年5月)
  父なる神の右に座し (2017年6月)
4)神とイエスキリストとの関係 (2017年8月)
  
 今回は、天地の造り主と、イエスキリストのつながりについて聖書から学びました。
 天地の造り主を信じる人は世界中にたくさんいます。ユダヤ教やイスラム教の方々も、世界をつくった創造主がいると信じています。聖書にはさらなる奥義が書かれています。イエスキリストです。世界の時間を数える時に西歴という年号が使われていますね。これは「イエスキリストより前か、後か」で時代を二分した数え方です。BC(=Before Christ), AD(=アンノ・ドミニ=主の年)という呼び方です。それによって私たち世界は、キリストによって  世界が大きく変わったことを告白しています。
 今日の聖書箇所であるヨハネ1:1-5には、イエスキリストのことを、世界を規範する真理という意味で、「ことば」と訳しています。「ことば」は天地創造の前からおられ、神そのものであること。驚くべきことに、神のご性質を持ちながら、人間として我々人間の間に住むという方法で、私たち人間の罪を負い十字架に釘打たれて死に、世界の罪への解決を完成させられた。このイエスキリストを信じるかどうか。そこに私たちの信仰の土台があり、それを告白する者たち(=クリスチャンと呼ばれる)の生きざまはイエスキリストによって変えられる。

 ブログをお読みの方たちも、ぜひ一緒に人生を変える力のあるイエスキリストについてお聴きになりませんか?教会や聖書について知らなくても、ぜひお気軽においでください。もしご自宅で聖書をお読みになって疑問や質問ある方は、ブログへのコメントとしてご質問いただいても結構です。           (S.K)

弱さのうちに 6月25日礼拝メッセージ

6月25日の日曜礼拝メッセージは近藤宏兄でした。
題名「弱さのうちに」
コリントⅡ11:21-30
ピリピ3:1-21

 GWに訪問した秋田県・尾去沢鉱山跡地。危険と重労働にもかかわらずここに移り住んだ宗教弾圧下のキリシタンの歴史を学ぶ旅だった。なぜ人は苦しみの人生を選んでまで、命のリスクを冒してまで信仰し続けようとするのかという質問が湧いてきた。
 今日はパウロが獄中から書いた4書簡のうち、ピリピ書からともに学びたい。
知識人として律法学者として訓練を受け人がうらやむ特権階級にもいたパウロ。彼がそのすべてを「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。」(ピリピ3:7)といわしめた信仰とはなにか。私たちは自分の人生を何のために使っているか。私たちが価値ありと思うことも歴史の中で一瞬にして過ぎ去ってしまうだろう。肉体が衰え死んでも永遠に続くのは魂の世界。その自分の魂を大切にするあゆみをしているか。パウロは様々な誇りをもっていた。宗教熱心で、彼にとって異端と考えたクリスチャンたちを迫害し殺害までしていった。しかし復活したキリストイエスに出会い信仰をもった。そのあと、表舞台にでるまでの10年以上の静まりのなかで、魂がキリストに向き合っていった。彼は自分自身の弱さに徹底的に向き合わされただろう。人生の旅はキリストへ向かう完全を目指して歩き続けるようなものだと悟った。目指すものが変わった。人生の目的と過ごし方が変わった。パウロの人生は「私たちの国籍は天にあります」(ピリピ3:20)と言わしめるものとなった。
 尾去沢鉱山で薄暗い地下水のしたたる危険な壁面に、十字架が彫ってあった。そこは礼拝の場所であった、キリストに喜ばれる教会であった。教会とは建物のことではない、キリストに向き合う人々の集合体である。信仰によって迫害されることは、愚かであるか?自己の弱さの自覚は、信仰の強さに結びつくのではないか。
「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」 (第Ⅱコリント12:9)
 私たちも魂をキリストに向けて静まろう。自分の魂がどこにいるのか。どこに向かっているのかを思う1週間にしよう。

「父なる神」 6月11日礼拝より

毎月第二日曜日は、森正義先生が聖書からメッセージを語ってくださいます。
奥様ともども、今やすっかり教会ファミリーに溶け込んでいる先生ご夫妻に、お会いするのを楽しみにしている私たちです。

今年に入って森先生は「使徒信条」をテーマに語ってくださっています。使徒信条の中に、私たちが何を信じているかのエッセンスが練りこまれているからです。
2月;『我信ず』
3月;『天地の造り主』
4月;受難週『ポンテオピラトのもとに苦しみをうけ』
5月;昇天記念日『天に上り』
6月;『父なる神』

今日は来週の父の日に寄せて、父なる神、がテーマでした。
聖書の引用箇所は、交読文がマタイ26:36-46、説教箇所はルカ15:11-32 
①創造主なる神様の義、力強さ、とともに放蕩息子を待っている母のような温かさと赦しに満ちた方でもあることが語られました。
②三位一体(父なる神、子なる主イエスキリスト、聖霊なる神)の交わりとしての唯一の神であること。
③私たち自身が「お父さーん」と呼ぶことのできる個人的な神様であることが語られました。

礼拝の最後には主イエスキリストの十字架を記念する聖餐式が持たれました。

小さい集まりですがとても温かい教会です。ぜひ皆さんもおいでください^^ 

「わたしもあなた方を遣わす」 6月4日礼拝メッセージより

6月4日日曜日、日下健一先生が遠方より来て礼拝メッセージを取り次いでくださいました。

交読文;イザヤ59章19-21節
メッセージ箇所;ヨハネの福音書20章19-23節

 ペンテコステ記念礼拝です。イエスキリストが復活後天に昇り、地上に残された弟子たちへの助け主として聖霊を送られた記念日です。この世界が創られたごく初期に人間は神を無視して生きるという罪を選んでしまいました。そのために約束された救い主としてイエスキリストという方が、人間としての人生を生き、人間の罪を背負って十字架で死んだ。それは創造主から派遣されてきた救い主として。この方が死んだままで終わらずによみがえったことを、この2000年間命をかけて伝え続けたキリストの弟子をクリスチャン達という。その十字架の死と復活が、自分自身の罪のための代償であると信じたものは、創造主のゆるしと新しく人生を踏み出す希望を受ける。
 創造主がイエスキリストを人間として社会に遣わしたように、このイエス様を自分の人生の師として従う私たちも創造主から派遣され社会で地上で生きる者である。その伴走者としてイエス様から与えられているのが聖霊。ペンテコステ記念礼拝は、聖霊とともに歩む私たちへの派遣礼拝でもある。
           
                (以上は日下師のメッセージの要約に加えて、聖書からの解説を含んだものです。)

聖書を生きていますか

 今日は飯島勅先生がルカの福音書24:13-25「エマオの途上でのこと」を題材に語ってくださいました。
イエスキリストが十字架で死に3日以上が経ち、復活したイエスの姿をみたという女性たちが現れ証言していました。しかしそんな中でもイエスキリストの復活のニュースを自分自身の希望として受け入れることができずに暗い顔でエマオ村に向かっていた二人の人に復活後のイエスキリストが近づきます。彼らは近づいてきた旅人に促されて自分たちの知っている事実を伝えます。彼らの知っていたことは、
① イエスキリストは力ある預言者だった
② 死と十字架にかかわる事実、エルサレムで起きたこと
③ イエスという方の目的と使命
④ イエスの復活についてのニュース
どれも事実を伝えましたが、彼らはまだ暗い顔をしていました。そんな彼らを旅人の姿で近づいたイエスキリストは叱責されます。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」(ルカ24:25-26)
そんな風に叱られて、二人はショックを受けたでしょう。さらにイエスキリストは聖書全体(今の旧約聖書のこと)から解説を始めます。「モーせおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中でご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」(ルカ24:27) 二人が救いの計画と実現をわが身の希望として受け止められるように説明を尽くされました。そして、彼らが聖書に示された希望の中に生きるように、自由意志で希望の生き方を選ぶようにとゆだねられました。

私たちはどうでしょうか。聖書をもっている、読んでいる、知っている、でもそれを生きているでしょうか。
二人の弟子たちが、イエス様の聖書講解を聞いた時に「心が内に燃えた」といった、そんな読み方をしたいものです。私は今日のメッセージを聞きながら、教会というのは、この希望で心が内に燃えている人たちが集まって希望を語りあう祈りあう場所なんだな、と思いました。 (記;S.K)
livedoor プロフィール
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ