小山バプテスト教会BLOG

栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。小山バプテスト教会活動を紹介していきます。家庭的な雰囲気の中、毎週日曜日に礼拝を捧げております。聖書に興味がある方、初心者の方も大歓迎です。気楽にお入りください。人生について、聖書について共に学んでいきましょう。 Welcome to Oyama Baptist Church!! For the Creator God so loved the world He gave His only son Jesus Christ. We follow Jesus to love and pray for Oyama city, Japan and the world.

集会案内です。
主日礼拝 日曜午前 10:30-12:00
日曜学校 日曜    9:00-10:00
祈祷会  水曜午後  7:30- 9:00
     土曜午前  6:00- 6:40
家庭集会 金曜午後  7:30- 9:00

< Sunday worship service 10:30-12:00 we have kids play area >
< Weekly prayer time 19:30-21:00 >

〒323-0029 栃木県小山市城北2-22-11
< Address; Johoku 2-22-11, Oyama city, Tochigi >

0285-21-4655
mail
oyamabaptist@gmail.com

きみもそこにいたのか

 今日の日曜礼拝は、黒人霊歌の「君もそこにいたのか」で始まりました。
私たちの罪の身代わりに十字架で死なれたイエスキリストの、その方の愛、痛み、苦しみ、それをあなたも経験しましたか、という曲。礼拝メッセージのテーマは「金よりも価値がある信仰」

 生きていれば人間には、喜びや悲しみがあります。期待を裏切られて悲しんだり、人生の疑問にうちひしがれたり。創造主である神さまの存在を信じているクリスチャンも、なぜこの祈りに神はこたえてくださらないのか?と神を責めたくなるような思い、悲しみをいだくことがあります。ついには、もう頼んでもだめだ、と信仰をやめてしまったり。でも、神様は招いています。十字架がその招きの証拠です。
「そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちていく金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。」新約聖書ペテロの手紙Ⅰ 1章6-7節より)

 現実の
人生を導き、死を超えた永遠のいのちまで同行してくださるイエスキリストがあなたと歩んでくださるのです。苦悩の中にいる方へ。それは神があなたを愛していない証拠では決してありません。イエスキリストは待っています。あなたを愛するあまりずっと待っています。それにお応えになりませんか?イエスキリストを人生に招くと、苦しみの中も喜びの中も、一緒に歩いてくださいます。それによって生きている神様であることを示してくださいます。小山バプテスト教会では、疑問を持っているかたも、悩んでいるかたも心から歓迎します。
 第二日曜日は、礼拝のあとにコーヒータイムがあり気軽におしゃべりができる空間です。お子さん連れの方もお年寄りの方もみんな大歓迎です。                (文責;近藤栄恵)

愛されている生活

 先週・今週の日曜礼拝では、三原牧師が聖書の詩篇103篇11-19節から、神様の愛について語られました。
 私たちは不完全な者たちです。人生には苦しみもたくさんあります。努力しても人間の力に限界があり、人生の目的を自分ひとりでは見出すことができずもがいています。聖書を読むと、私は一人で生きているのではない、私の人生を創造し、愛して育て見守っておられる存在があるということを知り驚きます。この地球をつくった永遠の昔からの創造主が私を愛している。この方を無視し悲しませてきた自己中心な(=神の目には罪人である)私たちですが、神様は罪の代価を払うためにイエスキリストを遣わし、私たちの罪を私たちから遠く引き離してくださいました。それは東が西から遠く離れているほどの完全な解放です。私たちは、時間も場所も越えたはかりしれない広がりと深さをもった神様の愛で愛されています。この方を信じる時、死の向こうまで続く永遠のいのちの平安を受け取ることができます。この神様の壮大な愛の告白を受け入れ、見つめ生きるのが、クリスチャンの人生です。私たちは日々苦労のある人生を生きていますが、この永遠の希望から決して目を話しません。
「人の日は、草のよう。野の花のように咲く。風がそこを過ぎると、それは、もはやない。
 その場所すら、それを、知らない。
 しかし、主の恵みは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にある。
 主の義はその子らの子に及び、主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ。
 主は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める。」    詩篇103:15-18  
                                     (近藤栄恵)

力と聖霊による強い確信

 5月20日の日曜礼拝では、新約聖書・テサロニケ第一1:5から聖書のメッセージが語られました。
 人がイエスキリストの福音を聴いて信じること、それは自らが創造主なる神の前に罪びとであることを知り、それにもかかわらず愛されている赦しの道がある、と知り信じることです。クリスチャンと呼ばれイエスキリストの聖霊に伴われて人生を歩む中で、心が燃やされて確信が増す経験をしていくのです。私たちはキリストの十字架が罪ある人間=自分のための犠牲であったと単純に信じる者たちです。そしてその信仰をもってこの社会を生きる時に、それが現実であり日々私たちの心を燃やす糧であり原動力であることを知るのです。これがテサロニケ第一1:5に書かれている「強い確信」です。

 私はこの日のメッセージを聴きながら、自分自身が10代の頃に悩んでいたことについて思い出しました。家族みんなキリスト教徒という家庭に育ちましたが、本当にこの教えを信じていっていいのか、これは本物なのか、人生にとって必要なのか悩みました。しかし20代になり自分の小ささや人生の目的に悩んだとき、世界を造り私を造った創造主が愛を携えて私と一緒に歩みたいと言っていることを感じました。イエスキリストの十字架は私への愛情表現だと単純に信じてみることにしました。心のドアを開いてみました。聖書について質問は色々ありましたが、とにかくイエスと一緒に歩き始めてみました。その後の人生は虚しくなるどころか、毎日一歩一歩、キリストへの信頼が増しています。苦しければ苦しいほどキリストは最も信頼できる同伴者です。
 このブログをお読みの皆さん。もしかしてあなたは以前キリストを信じたことがあるかもしれません、信じようか悩んでいるかもしれません。でも、キリストを信じ一緒に歩むと一歩先に光が見えます。どうぞ一緒に歩きませんか。ご連絡をお待ちしています。毎週日曜日10時半からはみんなで一緒にこのキリストを喜び賛美し祝う礼拝が持たれています。ご自由にお入りください。
                                (文責 近藤栄恵)

三原牧師就任式

今日は礼拝後、三原識文牧師の牧師就任式が行われました。

司式は宇都宮バプテスト教会の矢吹徹牧師、メッセージは
大田原キリスト教会の大橋富男牧師でした。
三原牧師は、社会人1年目のときに大田原キリスト教会で
大橋牧師と出会います。そして、三原牧師の御言葉に対する姿勢と
神に愛されていることを見て、当時の三原牧師に献身を勧め、今日まで
見守り、また今後も見守り続けるであろう、いわば父親代わりの人でした。

遠いところから遠路遥々、多くの先生方が三原牧師の前途を祈り、祝福する
ために駆けつけてくださいました。また、都合により来られずとも、
祈りをもって仕えてくださる方々や祝電を送ってくださった方々、
この場を借り深く御礼申し上げます。

小山バプテスト教会は地域に仕え、信徒と共に成長していく教会でありたいと願います。
皆様本当にありがとうございました。

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養ってくださる方 ~イエスキリスト~

 私たち小山バプテスト教会は、今年4月から新しく三原識文(みはら・しもん)牧師を迎えました。
人生に最も大切なことはなにか。創造主のメッセージである聖書から丁寧に祈りのこもったメッセージを届けてくださる牧師です。皆さんの来会をお待ちしています。

 今日は聖書の詩篇23:1-6から、私たちを導き養う方としての創造主の姿を学びました。

 詩篇23篇の著者ダビデは、命を狙われ敵意に取り囲まれて苦しみの内に荒野を逃げ惑う経験をした人物です。以前羊飼いだった経験からダビデはそんな自分を羊に、困難な中にも導き守ってくださる創造主を羊飼いに例えています。悪意と死に囲まれてもなぜダビデは「主は私の羊飼い」という希望の告白をすることができたのでしょうか。羊飼いを信頼する羊として私たちは、どんな困難の中にも「ここは安全な場所だ」と平安の中に過ごすことができる。養い手である創造主に信頼し、安全な食事と水を知っていると信頼してついていく。この現実社会を歩むなかで内面の乾きに気づくことがあります。しかしこの渇きを永続的に満たす方がいる。この方(羊飼い)は愛のゆえに羊(私たち)のために十字架で死なれたイエスキリストである。詩篇23篇の最後には「私たちはいつまでも主の家に住まいましょう」とある。これは宗教的な建物のことではない。創造主がイエスキリストを通して示された愛を受け取り、人生を親しく導いていただく経験をすること自体を”主の家”と呼び、それを私たちは愛し慕います。

 このブログをお読みの皆さん、魂の深い部分での渇きや虚しさを覚える時はありませんか?世間が提供する気晴らしや、つかの間の楽しみでは埋められない深い穴がぽっかりと心に空いていると感じることはありませんか?あなたを愛し、人生を喜びと平安へと導きたいと願っている、あなたを造った創造主の懐に戻ってきませんか?小山バプテスト教会に集う私たちはそのことを経験しています。迷子の羊のようであったのに、創造主の懐に飛び込み、困難のなかにも平安をいだいて生きる人生です。皆さんも一緒にこの愛を受け取りませんか、心からお招きいたします。
                                   (文;近藤栄恵)
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