今回はブログのトラックバック(記事を参照している記事のこと)です。

私はまったく存じ上げない佐藤先生という方の講演を聞かれたという記事を参照しています。佐藤先生の奥様の順子さんのご本の中の詩です。

全身の筋肉が萎縮し筋力が衰えていく難病、筋ジストロフィーで20歳までの命と宣告された息子さんに連れ添って行かれる中での気持ちなどを綴られた本とのことでした。

「病の進行は思ったよりも早く、最後に残るはずの手首の筋力もとうとう失われ、最後の瞬間がせまったと静かに悟られたときはまだ高校二年生でした。そして心臓をしぼられるような苦しみの合間に、集まった家族、お世話になった友達、先生、手を貸してくれたたくさんの人達一人一人に自分を助けてくれてうれしかった気持ちとありがとうの感謝の言葉を伝えられ、旅立たれたそうです」
メリーベルさんのブログ「明日も笑顔でいられるように」より

その息子さんが中学一年生のときに書かれた詩だそうです。


もしも・・・もしも・・・
今 僕が立つことできるなら
いつもおんぶの母さんと
肩でせいくらべ してみたい
もう 僕が少し高いだろう
ぼくのほうが大きいだろう

もしも・・・もしも・・・
今 ぼくが歩くことできるなら
ザックザックと 砂浜を
風に吹かれて 歩きたい
ほら 僕の足跡つづくだろう
どこまでも つづくだろう

もしも・・・もしも・・・
今 ぼくが走ることできるなら
汗にまみれて 友達と
力いっぱい走りたい
きっと白いテープ 切るだろう
一等賞に なるだろう

もしも 今 ぼくが立つことできるなら
もしも 今 ぼくが歩くことできるなら
もしも 今 ぼくが走ることできるなら

(引用図書:「ひまわりが咲いたよ」佐藤順子著)





この詩から感じられることは人それぞれでしょう。


今日は私はあるクライアントさんの学校へ、登校後何度目かのご挨拶に行ってきました。

学校の校長先生、担任の先生から学校に無事復学して「信じられないこと。楽しそうに学校で過ごしている」ことを本当に喜んでいただいて、当初はどこまでみんなと一緒のことができるのかと心配していただいていたこともお話いただきました。

また、担任の先生の上手な声かけのおかげで、クラスのみんなからも「いてくれてよかった」とまで言ってもらえるようになったことも教えていただきました。


私は今まで復学支援を専門とする立場でありながら、中立の立場であることを心がけてきました。私が代表を勤めさせていただいている
不登校自立支援センターでも、復学のご相談があった際「復学以外の考え方」ももう一度説明してもらうように指示しています。

多くの機関でゆっくり家にいさせてあげる対応を指導されます。この考え方とは180度違う趣旨でセンターが設立されているのも事実です。

それでも、民間でありながら中立な立場で「どの考え方がご家族にとって一番良い選択なのか」を考えるお手伝いをさせていただくスタンスを取ってきました。

「不登校を乗り越える」という表現や「復学」という考え方「待つのではなく積極的なアプローチ」実際には復学という考え方を選択されなかった方たちや、さまざまな親御さんや子どもたちのことを考えて、声高に復学の必要性を広めようとはしてきませんでした。復学という考えが誰かを逆に苦しめることにならないように気をつけてきました。

カウンセリングにおいても「大丈夫学校へ行けるようになりますよ」とは言わないようにしてきました。

カウンセリング中に「先生。うちにおいで、学校に行けるようにしてあげる、と言ってください。そうすればどんなことでも親としてできることすべてをやってみせます」と親御さんに言われたときも「言えません」と答えてきました。「安易に復学ができる、とは言えないし、復学だけが正しいと考え方を押し付けるようなことは主義としてできないのです」と答えてきました。


とても私の手に負えないと思ったケースをたくさん受け入れてきました。他機関の専門の先生方、学校の先生方、子どもの周りにいるクラスの生徒さん、クラスメイトの親御さんたち数え切れない方たちに助けていただきながら、ここまできました。本当に元気になれた子どもたちを見ても、いくらたくさんの方に喜んでいただいていても私は主義を変えてきませんでした。


私の考えは間違っていたのでしょうか。


「立ちあがりたい」と感じている子どもたちがいることを知っていて、「立ち上がれるように」支える手を私が持っていることを強く訴えることをしてこなかったことは正しいことだったでしょうか。


ずいぶん昔に復学のために支えに入っていた子どもがいました。中学三年生だったその子は無事に高校進学を決めることができました。その子は合格した高校を気に入っていましたし、とても喜んでもいました。その子がポツンとこう言いました。



「先生がもっと早くに来てくれてたらもっと違うこと(違う高校にも行ける様)になってたかな」



その子のケースは実は半年も前に相談を受けていたのです。でも私は背中を押してあげることを善しとせず、いえ、お母さんは一人でも頑張りたいとおっしゃっていましたが、ご主人の意思が不明確だったため、「時間をかけてでも話をしてください。それぞれの考えを押し付けることはよくないので、本当にお二人が協力して頑張れる方法を探してください。正解はひとつではないはず。」  

そう言って私は「支える手を」伸ばそうとはしなかったのです。半年早く支えることができていたら彼女の将来はまた少し違っていたでしょう。



「センターでのインテーク(初回のカウンセリングのこと)は原則ご両親そろって大阪事務所で平日の10時〜17時まで受けること」としています。

けれど、実際のクライアントさんは、支援が始まると24時間OPENの専用携帯電話の番号を渡されて、土曜日でも日曜日でも朝五時でも、夜中の三時でも相談ができるのです。支援が始まってからは、どんなに遠方であっても私が全国とんで来ることを知ります。

最初から平日以外でもカウンセリングをしてあげられたのでは?

ご両親がそろって来られなくても依頼を受けてあげられたのでは?

大阪以外でもカウンセリングをしてあげられたのでは?

悩んでいる親御さんに「大丈夫ですよ。学校へ戻してあげますよ」と言ってあげられたのでは?

そうです。初回であってもいくらでもしてあげられることがあるのにしてこなかったのです。それが正しいと信じて。


詩にある、

「もしも・・・もしも・・・ぼくが立つことができるなら」

「汗にまみれて友達と力いっばい走りたい」


この言葉が私を突き刺すのです。

今日うかがった学校の先生方の信じられないと喜んでいただいている姿と、元気にみんなと汗をかいて力いっぱい走れるようになった子どもことを思い出します。

自分を過大評価しないように戒めて、傲慢にならないように気をつけて、誰も傷つけないように配慮してきたフリをして、私は「支える手」を持ちながらその手を伸ばそうとしてこなかった、これは罪ではないのでしょうか。

もしも 今 ぼくが立つことできるなら
もしも 今 ぼくが歩くことできるなら
もしも 今 ぼくが走ることできるなら




言葉が突き刺さるのです。








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