海中水族館や真珠専門店・レストランなどが揃う複合施設「天草パール・センター」駐車場脇にある天草四郎像です。
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奇蹟をおこす 天草四郎時貞 
悽惨極まる切支丹弾圧の嵐と、苛酷な領主の圧政に、屈従と耐乏を強いられてきた天草及び島原地方の農民たちは、宗門再興の聖旗を翻えして一斉に蜂起した。時、寛永14年(1637年)秋10月のことである。組織も訓練もない農民の集団であったが、そこには、ひたむきに信仰の火を守らんとする素朴な悲願がこめられ、鉄壁の団結があった。 そして、これら3万数千の農民が、救世主と仰ぎ、頭領と擁したのが、若冠16歳の天草四郎時貞であった。
小西の浪人益田甚兵衛好次の子といわれる天草四郎は、幼より利発、衆にすぐれて神童の称あり、長じて長崎に出で、医術を初め諸芸を学び、やがて天草の風雲急を告ぐるに及び、盟主に擁されて帰って来たものである。
 一揆の火の手は、島原城下と天草の両所において、殆ど同時にあがった。天草では権力の中枢富岡城を猛攻したが、遂に陥すこと叶わず退いて島原勢と合流し、原の城跡に集結して守りを固め、幕府の大軍10余万に包囲されて、勇戦
すること約3ヶ月 矢弾尽き果て遂に翌15年2月末日、全軍と共に玉砕して果てたのである。
天主の教えを奉じて、楽土を夢見た天草四郎の雄図は空しく潰えたが、その信仰と反骨の血は、殉教戦の哀話として、永く語りつがれているのである。 田中昭策
この像は天より鳩を呼び奇蹟をおこしている姿である 亀井勇
                                                             現地碑文より
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天草パールセンター 天草四郎像
天草パールセンター 天草四郎像・与謝野夫婦句碑
天草パールセンター
天草パールセンター 
【住所】 熊本県上天草市松島町合津6225-8  地図
【駐車場】150台/無料