神社・仏閣

熊本県 草部吉見神社

草部吉見神社は、全国的にも珍しい鳥居より下に社殿がある「日本三大下り宮」の一つと言われています。他二つは、
宮崎県日南市の「鵜戸うど神宮」、群馬県富岡市の「一之宮貫前ぬきさき神社」があります。
草部吉見神社
草部吉見神社
御祭神 
日子八井命(ひこやいのみこと)
御由緒
御祭神は、神武天皇が大和に遷られて事代主命の娘の、比売多々良伊須気余理比売と結婚されて三皇子が御誕生、その中の長男・日子八井命をお祀りしています。因みに次男は神八井命、三男は神沼河耳命と云うことであります。
これより先 神武天皇には日向国に住されていた頃阿比良比売との間に手研耳命、岐須耳命の二皇子を儲けられて
いたので、第三皇子とも云われてますけれども当神社では御長男という事になって居ります。
日子八井命(以後命という)はある日、日向国高千穂より五ヶ瀬川を遡り上流にある鏡山に登り天神地祗を祭り、日向
国の安泰と武運を祈られました。祭祀の途中、草部郷の物凄い大蛇の影が鏡に映り、郷の住民を苦しめている様がわかり住民が「命」の来征を頸を長くして待ち望んでいるのを知られました。一説には大蛇とは里を支配した悪長者の事と云う説もあります。
神武69年8月5日、勅命により草部の郷で猛威を奮っている大蛇を征伐し民生を安堵するため能代の宮を発ち馬見原の幣立てに寄り、戦勝を祈願し一路草部を目指されました。道筋で里人の長が道案内をして、大蛇の棲む吉ノ池の傍に着かれました。吉ノ池は満々と暗緑色の水を湛え周囲には苔むした老木古木が生い茂り、いかにも凄まじい様相で、池からは物凄く凶悪な形相の大蛇が猛々しく火を噴きながら苔を被った頭をもたげ、外来者の命を睨みつけました。「命」は内心その凶悪な形相に驚きながらも、大蛇をハッタと睨みつけられ『おのれコノ邪悪なる奴』と大声で叱咤しながら、腰の大剣を抜くやいなや大蛇の苔の生えた頭に切り付けられました。大蛇は一太刀や二太刀を物ともせず妖気毒気を噴きながら「命」を一呑みにせんとして赤い口を張り裂けんばかりに開き「命」に迫ります。しかし、勇猛な「命」は少しも怯む事無く大剣を振い、渾身の力でズタズタに切り捲くられたので流石の大蛇も「コレは叶わぬ」と池より這い出て南の方によたよたと逃げましたが物の三百メートルも行かぬ内、息絶え凄まじいばかりの全身を長々と横たえました。「命」はその死骸を焼き払い灰を近くの原に撒かれました。故にここを「灰原」(はいばる)という様になりました。また大蛇が、血を引きながら逃げ息絶えたところを「血引き原」(ちひきばる)と云い後世「命」の武勇を讃えました。「命」は大蛇の棲んでいた「吉ノ池」の水を東の谷に流し、池を埋め立て宮居を建てられ屋根や壁を草で葺かれた故事から地名を「草壁」と云い後「草部」に改めました。現今「くだり宮」としては通称「百段」の石段を下る当神社と日向の「うど神宮」と関東の一社のみと云われています。  草部吉見神社パンフレットより
拝殿
草部吉見神社
高森町無形文化財指定 『草部吉見神楽』
高千穂岩戸系神楽を伝承
夏大祭(七月三十一日)、秋祭( 十月十七日)に奉納
神楽殿
神楽殿御朱印
草部吉見神社(くさかべよしみじんじゃ)
【所在地】 熊本県阿蘇郡高森町草部2175  地図
【問い合せ】 0967-64-0355
【駐車場】 25台/無料 
【備考】 御朱印は、「お賽銭箱」横の台に「書き置き」あり/初穂料300円

熊本県 上色見熊野座神社     

阿蘇山の南東麓に位置する、パワースポットとして話題の穿戸磐うげといわ(権現)が厳かに鎮座する神社です。
上色見熊野座神社
参道には、苔やシダに覆われた100基近くの石灯籠が整然と立ち並び、上へと続く階段は、まるで異世界へ続く道のようでした。
上色見熊野座神社 参道
上色見熊野座神社の由来

創設は相当古く、紀州熊野より移したものと云う。由来、南郷の総鎮守として祭祀して来たが、従前の建物は天正年間に兵火により頽廃し、現在の物は享保七年に建立されたものである。
 祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと)
 里俗 穿戸権現(うげとごんげん)
由緒
阿蘇大明神の荒神、石君大将軍八葉の兜の中に出現のニ神は、熊野大神也と云える伝説によりて社殿を建立せる処に、大鳥二羽来たり、神献すべき榊の枝を咥持ちて、東麓を指して飛び行き、洞窟の在る処に止まりたれば、その処に一社建立熊野穿戸社と崇め、南郷の総鎮守として祭祀し来たる。
社殿 なぎ(梛)の葉
熊野三山(那智大社、速玉大社、本宮大社)における熊野権現の御神木でもあり、その葉に魔よけの力があると信じられたことから、昔から熊野詣の帰りに持ち帰る旅人も多く、帰りの道中を守護してくれるお守りとしても用いられました。ナギ(梛)は凪に繋がり、波風を鎮めること、葉脈のない葉の特徴から(横方向に筋がありません)縦には簡単にさける
ものの、横に引き千切ろうとすると相当の力が必要です。このことから昔から男女が『縁が切れないように』とお互いに
なぎの葉を身につけたり、鏡の裏にそっとしのばせてお守りとしてきました。また嫁ぐ娘に母親が持たせることもあった
そうです。男女のご縁に関わらず、大切な人とのご縁を結ぶなぎの木は人と人とのご縁を結ぶことから『商売繁盛』にも通じる大変縁起のよい木なのです。ちなみに『千早ぶる くまのゝ宮の なぎの葉を かわらぬ千代の ためしにぞ折る』は、新古今和歌集の選者の一人、藤原定家の和歌です。
拝殿
御朱印
神殿より更に上にある穿戸磐(うげといわ)
拝殿 穿戸磐
神話における穿戸
古い昔、阿蘇大明神が弓を楽しみ、阿蘇山頂より矢を放たれた。この際、大明神の従者、鬼八法師が、主人の矢をいちいち拾い来る事を面倒くさく思い、足の指に挟み投げ返した。これに大明神が激怒し猛追され、当上色見の外輪山を越えて逃げんとしたが、この岩壁に阻害された。この時岩壁を蹴破って逃げ去った岩穴が穿戸である。その後、熊野社の創立は室町時代以降であろうと思われるが、次のような伝承がある。
「阿蘇大神の荒人神、石君代将軍、八葉の兜の中に出現のニ神は熊野大神なり」という伝説により社殿を建立するに当たり、大鳥二羽飛翔し来り神献すべき榊の枝を食い持ちて山の東麓を指して飛びゆき洞窟(穿戸)のある所に止まったので、そこに一社建立、熊野穿戸社と崇め、石君と同じく南郷の総鎮守として祭祀してきた。
歴史を背景とする穿戸
上色見外輪山下の大村地区後方に、四〜五世紀頃の古墳が多く発見されている。そこに住む住民が信仰の対象として、尊い磐・稀有な岩穴である穿戸を崇めた事が始まりと思われる。古代人の神観念を考えると、巨石・大木・滝や山等、自然物は神が降臨して宿る依り代として考えられていた。つまり、自然
物が神ではなく、人々の崇拝を通じて自然物が神になると考えられたからである。従って、稀有な岩穴は特別な処であり、「神気」を感じる処として、信仰の対象となったと推測される。
祭祀が営まれるようになったのは、鎌倉時代末か室町時代初期と考えられ我々の祖先が山嶽信仰と岩石信仰とを結び付け、この地に神社を建立したと思われる。また、この時代、熊野信仰の広がりとともに修験者がこの神社に紀伊熊野三山の伊邪那岐・伊邪那美二柱の大神を祀り、上色見熊野座神社(熊野権現)としたと考えられる。
現在も里人に、『穿戸権現』として親しまれ、崇められている事をみても、この地での「神気」に満ちた特別な場所であることが窺える。(上色見熊野座神社リーフレットより引用)
穿戸磐 参道
穿戸磐
上色見熊野座(かみしきみくまのいます)神社
【所在地】 熊本県阿蘇郡高森町上色見2619  地図 
       ※国道265線沿い「色見郵便局」前に鳥居(参道入り口)、拝殿まで約280段の階段
【問い合せ】 0967-62-1111(高森町政策推進課)
【駐車場】 あり/無料 ※国道265線沿い「色見郵便局」北へすぐ 地図
【備考】 御朱印=「高森観光交流センター 地図」書き置き、3種類 ※8:30〜17:30(休日/水曜日)

福岡県 宗像大社

宗像大社とは、辺津宮へつぐう、中津宮なかつぐう(大島)、沖津宮おきつぐう(沖ノ島)の三宮を総称して「宗像大社」と言い、
日本各地に約6400社ある宗像神社、厳島神社の総本社で古くから「道」の守り神としても崇敬されています。
2017年(平成29年)7月に、「 宗像・沖ノ島と関連遺産群」として世界文化遺産に登録されています。
御祭神
市杵島姫神(いちきしまひめかみ)辺津宮
湍津姫神(たぎつひめかみ)中津宮
田心姫神(たごりひめのかみ)沖津宮
宗像大社御朱印

辺津宮へつぐう(総社・宗像大社)
広大な神苑は大部分が国の史跡に指定され、本殿を中心に各種祈願を行う祈願殿、第二宮(沖津宮)、第三宮
(中津宮)、高宮祭場、そして国宝8万点を収蔵する「神宝館」が点在しています。
現在の本殿・拝殿は、弘治3年(1557年)に焼失したものを、本殿が天正6年(1578年)、拝殿は天正18年(1590年)
にそれぞれ再建したもので、国の重要文化財に指定されています。
辺津宮へつぐう
沖津宮おきつぐう(沖ノ島)
玄界灘のほぼ真ん中に位置する周囲わずか4劼療隋⊆囲50匏内に島はなく「絶海の孤島」と呼ばれるのが
沖ノ島です。定住者はなく、九州本土の辺津宮(総社・宗像大社)より派遣された神職が10日交代で365日勤務し、
中腹に鎮まる沖津宮で日々祭祀を行ない、たった一人で島を守っています。また一木一草一石たりとも島から持
ち出さない、女人禁制、上陸時の海中での禊(みそぎ)などの掟が今も固く守られている、神の島です。
画像は、辺津宮へつぐう境内に鎮座する第二宮(沖津宮)
辺津宮へつぐう境内に鎮座する第二宮(沖津宮)
中津宮なかつぐう(大島)
宗像市の沿岸部、神湊港(こうのみなとこう)から約11厠イ譴真邑700人ほどの「大島」は、福岡県最大の島です。
フェリーターミナルより徒歩約5分の小高い丘の上に、中津宮は鎮まっています。境内には「天の真名井」、七夕
伝説を今に伝える「天の川」「牽牛社」「織女社」、島内には沖津宮遙拝所や御嶽神社などが鎮座する歴史ある
島です。
画像は、辺津宮へつぐう境内に鎮座する第三宮(中津宮)
辺津宮へつぐう境内に鎮座する第三宮(中津宮)
お参り後は、福みくじを
宗像大社福みくじ
11等は、可愛らしい 「干支ぬいぐるみ(小)」
11等「干支ぬいぐるみ(小)」
14等は、シャボン玉石けんとコラボした、勾玉形の「禊(みそぎ)せっけん(非売品)」
14等「禊(みそぎ)せっけん(非売品)」                                                    
宗像大社 
【所在地】 福岡県宗像市田島2331 (社務所)  地図
【問い合せ】 0940-62-1311
【駐車場】 1000台/無料
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ドライブをしながら立ち寄った温泉・
食事・観光などを書いています。
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