2007年10月

2007年10月17日

ブログのお引っ越し

このブログの表示が突然悪くなり、下記の方へ引っ越しいたしました。
http://ozatti.exblog.jp/
タイトルは今まで同様に「おざっちの漕ぎコギ日記2」にしました。
おざっちのブログにちゃちゃ入れたい!という奇特な方は、どうぞ遊びにおいで下さい。
主も喜ぶことと思います。

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2007年10月15日

我が心の東海学園

68f1b439.JPG建築家、黒川紀章氏が亡くなられた。建築家としても世界的に名を馳せたのはもちろんだが、ユニークなキャラクターでも知られていた。なにを隠そう、ボクの高校の先輩である。
で、ここからちょっと自慢の連続になるので、「クサイ!ウザイ!」と思われた方は、このブログを閉じていただきたい。でも、一度これをやってみたかった。


我が東海学園からはたくさんの有名人を排出している。
ここに一冊の本がある。「東海学園ユニーク人脈」(近藤智雄著 毎日新聞社出版 1300円)。
で、ページをくってみると、出てくる出てくる、各界で活躍するあの人、この人。
宗教哲学者・梅原猛。
元総理大臣・海部俊樹。
ステーキのあさくま社長・近藤誠司
元NHKキャスター・木村太郎
元プロレスラー・サンダー杉山
スケーター・伊藤みどり etc.
東海は中高一貫の男子校だったのだが、ボクが高3の時に女子校が併設された。で、そこから出たのが伊藤みどりだ。
浄土宗の経営する坊さん学校で、全員がぼうず頭。ボクも青々としたぼうす頭だった。「質実剛健」、正にこれを地で行く校風で、昔で言うところの「バンカラ」の気風が横溢していた。


とにかく国公立大学に入ることが第一義とされ、毎年、東大、京大、名古屋大に大量に入っていた。しかしその為の勉強は苛烈を極め、ボクも毎晩2時くらいまで勉強していた。とにかく宿題の量がハンパじゃなく、この時間まで必死にやらないと、こなせないのだ。
先生はほとんどがお寺のボウスであり、非常に恐い先生もいて、特に数学の先生は「赤鬼」とあだ名されていたことを思い出す。
朝礼では、「A校に負けるな!M校に負けるな!」と公立進学校の名を挙げて叱咤激励するのである。「お前らは今までの中で一番レベルが低い!今度の全国模試で、悪い成績だったら恥ずかしい!」とまで言われ、生徒は皆必死で勉強したものだ。


しかし一方でクラブ活動も非常に活発で、特に柔道部・剣道部が強かった。上記のプロレスラーの他、服部祐児という力士も排出している。この時が東海柔道部の全盛期であった。体育の授業は柔道と剣道が必須。面をかぶった時の汗臭いにおいを今でも思い出す。
また、学園祭がとても力の入ったものであり、その評判を聞いて名古屋中から見にきたそうだ。今の埼玉川越高の男子シンクロのようなものだ。
まさに文部両道の気風のまっただ中でボクは青春時代を送った。


しかし男子校というのはひとつ問題があり、一番多感な時期に女性と接することが極めて少なかった。ボクは自転車通学していたのだが、雨の日は憂鬱だった。バスで通学すると、決まって金城学院という女子校の子が前に立ち、「座った人間は立っている人の荷物を持つべし」と教育されていた我々は、非常に恥ずかしい気持ちでカバンを持ってあげるのだった。その間は身動きひとつせず、もちろん彼女の顔も見上げることはなく、顔を真っ赤にしてシートに座っているのだった。しかし、手先のカバンからほんのり漂う甘い香りに、おもわず力が入るのだった。


このように、あの3年間というものは、熱く、凝縮された3年間だったような気がする。そういった振幅の多い校風から、あのようなユニークな人脈が形成されたこともうなずけよう。


え?おざっちはこの本に載っていないのかって?
箸にも棒にも引っかかりません。

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2007年10月14日

ルーツを探す旅

f347ef25.JPGリタイア後、富士山のふもとの河口湖畔に住む兄が我が家にやってきた。5年ぶりになるだろうか。今回の目的は墓参りと、おざっち家のルーツを探すということ。ウチの父親は滋賀県八日市の出なのだが、その家がもしあれば訪ね、あわよくば親類一族がどうなっているのかを知りたいとのことだった。


おざっち一族はどうも「ケチ」の家系のようで、兄はいい歳して夜行バスで京都までやってきた。「あー、やっぱり疲れるわ!」と開口一番。「はい、これみやげ!」ん?片手に乗るちっさな紅茶セットだけ、、。
やっぱりこの家系に流れる血は、頭が真っ白になったこの兄にも、しっかり受け継がれているようである。
「あ、ありがと。まずは墓参り、行こか?」と、その足で近所のお墓へ。「花、持ってきたしな」ん?398円、、、? 貧相!
「あ、そうか、、、じゃあ線香あげとこ。ひとり3本づつでいいやろ?」と先祖様に手を合わせるケチ兄弟であった。
(念のために断っておくが、普段はケチでも使うときは使うのだ。ポーンと高い自転車とか、ね!)


自宅にて朝飯をとり、久しぶりの再会を喜び合ったあと、いよいよおざっち家のルーツを訪ねることにした。
兄は戸籍謄本のコピーを取りだし、「八日市市金屋」という地名を指さす。現在は「東近江市」に統合されている。しかし親父からは「太郎坊宮」のふもと、鳥居の近く、と聞かされていた。


名神「八日市」で降り、八風街道を琵琶湖方面に走ると、その「太郎坊宮」がある。まずは門前の煙草屋で「金屋」という土地がどのへんかを聞いた。もっと市街地の方だという。で、元来た方面に車を走らせ、図書館に車を止め、地図を片手に歩いて探すことにした。


金屋交差点からさびれた商店街が続いており、一軒の花屋さんに入って聞いてみることにした。
「あのー、八百善というスーパー、このあたりにありませんか?」おざっち家の本家は、どうやら商売をここらでしているらしい、との情報があったから、その線から探してみることにした。
「ああ、あそこにあったんやけど、今はなくなってしもたわ。でも、その隣りで息子さんが理容室やってはるで」「えー!で、その人の名前は?」とあせる兄。
「コザワさんちゅうんやで」「そ、それや!」と礼も言わず駆け出す兄。おざっち家は実はオではなく、コで始まるのである。


二人ともドキドキして理容室のドアを開ける。その途端、ボクは心の中で「あ!!」とビックリした。実にボクに似ているのである。客の髪をいじる手を止め、ハサミを置いてこちらへやって来るコザワさん。「あー、こりゃ間違いない!」と瞬間的に分かった。ボクと血が繋がっている人だ。
しかし、彼は詳しいことが分からず、近くの父親の実家を教えてくれた。「三菱のスタンド左に曲がってですね、、」しかし三菱はなくエネオスしかない。電話で尋ねると、「あー、間違いました!エネオスでしたわ」、、ウーム、そのうっかりミスはボクとそっくりや!こりゃ間違いない!とますます確信を深めたおざっちであった。もとい、こざっちであった。


実家のお父さんが玄関から出てきた。あーーー、これまたボクにそっくりや!細く四角い顔、とがった鼻、ひょろっとした背丈、、
彼、善之助さんは最近までスーパーを経営していたが、やめてしまったと話し、筒から大事そうに家系図を取り出した。長い巻物をクルクルと広げると、そこには1661年からの家系図が記されていた。「代々、商店を営んでいたみたいでねえ」と善之助さん。
で、我々はたくさんの中から親父の名を探す、、。
「あああ、あった!すごい!」
ついにルーツ発見。やはりこの土地がおざっち家のルーツなんや。おじいさんまでは分かっていたが、ここで一気に江戸初期までさかのぼってしまったのだ。


ここで善之助さんは遠い目をし、こうおっしゃった。「そういや、戦後すぐにあんたらの親父さんがここへ来たような気がするなあ」。そうか、これですべてが繋がったぞ。たった一日でまさかここまで分かるだなんて思ってもみなかったけど、とてもすばらしいことだなあ。
ご先祖様の入っている仏壇に、しっかり手を合わせる兄弟だった。

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2007年10月13日

おじさん二人、YGを行く

bba59580.JPG急に思い立って行くことにしたYGトレール。奈良にあるのだが、秋の奈良を走るって素敵、ウフ、、という感じで、もし他に行く人がいないかとストラーダのBBSで呼びかけたところ、たっちゃんが参加表明してくれた。最近めっきり力をつけ、もう対等に走れる人だから、今日はストレスなくYGを走ることができる、と楽しみであった。


9時に佐久奈度公園に集合し、一路笠置を目指す。わかさぎ湯でバイクを降ろし、車はここに止めておいた。帰ってきてから温泉に入る予定。車道を走り奈良市街を目指す。めったに車の通らない道なので、実に気持ちいい。狭川西からさらに脇道に入る。暗い林道は渓谷沿いのさらに寂しい道。緩い坂を上るおじさん二人。ヒガンバナが道端で僕らを応援している。時折森が切れ、暖かい日が射す。


再び車道に出、少し行くと旧道に入る。いきなりの急坂を上り、森の中を走る。しかし、オフロードの道はクモの巣だらけで、先頭を行くボクに次々とからまりつく。それを手でどけようとするのだが、無駄な抵抗。植村牧場に着く頃には、すっかりクモの巣にからめとられてしまった。


植村牧場はたくさんの人たちでにぎわっていた。さっそくソフトクリームを注文。おじさん二人で仲良くナメナメした。たっちゃんはさらにうわさのコーヒー牛乳を飲んでいたが、「こんなもんかな?」とテンションの下がる評価を下していた。


奈良公園に入り、東大寺の裏から二月堂、三月堂、さらに春日大社を横切っていく。ここからYG最初の長い上りにかかる。「もう飽きた!」とたっちゃんが言うまでもなく、この上りはダラダラと続く。そしてようやく峠の茶屋に到着。180年続くというこの茶屋には、柳生十兵衛や荒木又右衛門も立ち寄ったというからすごい。ここでワラビ餅をこれまた仲良く食べるおじさん二人であった。


車道からいよいよYGの核心部に入る。手入れされた杉林を走るのだが、下りは以前にもまして溝が深くなっており、降りざるをえない状態であった。山の中を走り、石畳を降りると、「円成寺」。今日は池をめぐる庭を拝見としゃれてみた。


ふたたびMTBにまたがり、先を急ぐ。いやいや、全然急ぐ必要はないのだが、とても気持ちの良い日なので、ついついスピードが出てしまう。赤い柿の実がなっている。奈良には柿がよく似合うのだ。「夜伎布神社」を通過し、古墳を通過し、いよいよ「かえりばさ峠」にさしかかる。何度上ってもきついこの坂は、一生完登できそうにない。


最後の笹薮を抜けると、あっけなく峠頂上に着く。一部昔の石畳が残る下りを行く。途中「疱瘡地蔵」を見学し、ようやく里に到達。ここまで無事に走ってきたから、もう大丈夫だろう。そして「小学校裏の小橋」に来た。腐って傾いた橋だが、ギリギリMTBで通れないこともない。ただし滑ったら、下の川に転落する恐い橋なのだ。ところがなんと、橋は新しいものに掛け替えられていた。ちょっとガッカリしたが、これはこれで本来の姿。再び童謡の世界に戻った感じで、うれしくなった。


「錦生酒造」は本日お休み。せっかく試飲しようと思っていたのだが、、、。
布目川沿いの長い下りを気持ちよく走ると、ポンと木津川に出た。レール脇の東海自然歩道を最後のオフロードを楽しみながら走った。

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2007年10月12日

決戦! 金曜日

99a3ea18.JPGとんでもなく忙しい金曜日。「綾小路きみまろ」あり、「渡辺淳一」あり、「XUXU」あり、、んでもって「カストロの息子」あり、とまあバラエティに富んでいること。そのたんびにアタマを切り替えて広告を作っていく。その間に眠気も襲ってくる。ノドが乾いて茶飲みたいぞ!おしっこもしたいぞ!その前にメシ食いたいよー!
しかし仕事は待ったなし。あ、写真撮影もあるし、、。
「おざっちさーん、カラーで作ってって言ったのに、モノクロで上がってるやん!」営業から言われ、トホホでやり直しする。「あー、オレこう見えても管理職なんやけど、、いくら現場が好きでもなあ、、」とついグチのひとつも言いたくなる。


ふと気が付けばはや4時。目の前の大文字を西日が煌々と照らしている。一日って早い、早すぎるで! 時間よ止まれ!
あ、そういや子どもの頃、『不思議な少年』ちゅうNHKの番組あったなあ。小僧寿司チェーンの社長になった太田博之演じる主人公の少年が「時間よ止まれ!」と叫ぶと、自分以外周囲の時間が止まってしまうんだけど、止まったハズの役者が微妙にフラついてて、笑えたなあ。


あ、もうどーでもええわ、、集中力、切れた!甘栗でも食ったろ。
あ、中国産やがな、、へんな薬かけて育てたんとちゃうやろなあ。朝TVで農薬がしたたり落ちてるブドウの映像をやっとったなあ。
「おざっちさーん、メールできみまろの写真送ったでー!」、、、「あかん、こんな荒いデータ、使い物にならへん! もっと精度高いもん送れや!」
きみまろ、きみまろって、真剣に広告作るのバカみたいなあ、、でもオレ好き、きみまろ。あのワンパターンのギャグ、、うふふ。


もう、とにかくアタマの中、弘法さんの市みたいにゴチャゴチャでおま。
なんやかんやで一日が終わろうとしたその時! 「おざっちさーん、月曜日までに全ページ一個作ってー!急ぎなんや」って、ドヒャー!もう7時やないか。「あかん、もうワシャ帰る!店じまい」「頼むわ!」「しゃーないなあ」
というわけで、ドドドっと大きな広告ラフを作りあげる。とりあえずスポンサーに見せて、月曜日にフィニッシュ。「ん、でも以外といい感じのがでけた!?」


写真は通勤途上にて、阿弥陀堂の石段前に秋を告げる「萩」。
オレもこんな風に可憐に生きたいよ、、。

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2007年10月11日

今森光彦写真展

7e05eb5c.jpg先日、大丸で行われている「今森光彦写真展」に行ってきた。今森さんが写真を通して発信するメッセージは、滋賀県という狭い地域からのものであり、昆虫や里山という限定された世界であるにも関わらず、全地球の環境問題にまで思いを馳せる、非常に普遍性の強いものと受け取れた。


昔、本屋でなにげなくパラパラと立ち読みしていた「昆虫記」(今森光彦著 2800円 福音館書店)。子ども向けの図鑑に近い本であったにも関わらず、一発で気に入って購入してしまった。めったに本など買わない自分だったが、なぜか「これは!」と思ってしまった。そして、現在に至るまで折りにふれ、飽きず見ている。


実は、琵琶湖博物館のオープン記念イベントとして、今森さんの写真展が行われたのだが、この時初めて実写真を見る機会を得、ここでもその写真のすばらしさに心打たれた覚えがある。


また、何年か前の正月、仰木の里の棚田を見に行った。ここには「馬蹄形の棚田」というのがあり、棚田ファンが写真を撮っていた。その帰り道、「小椋神社」という非常に古い社を訪ねた時、偶然今森さんに出会ったのだ。おそらく神主と氏子さん十人ほどが記念撮影をしていたのだが、それを中望遠レンズで撮影していたのが今森さんだった。この時の写真は後に本になって出版され、「このとき自分は横にいたんやで」というのが自慢(?)になっている。里山での人と自然の交わりをテーマとした写真集だ。


もうひとつエピソード。今森さんとボクの親父がとても似ているのだ。なんとなく渡来系のDNAを引き継いだ顔なのだが、今森さんも親父も滋賀県人であり、もしかしたらこのあたりが近江人のひとつの典型的な顔なのかもしれない、などと余計な想像をしている。
(滋賀県には点々と渡来系の地名が残っている)


さて、大丸の写真展である。
歩み進むにつれ、すばらしい写真が現れて期待を裏切らない。どれもがなにげないアングルであり、色であり、大見得をきったような写真などないのだが、光の切り取り方がすごくうまい。この時間でなければならない、という一瞬のシャッターチャンスをねらった一枚一枚であった。


環境問題が大きくクローズアップされ、今後さらに重要性を帯びてくるわけだが、映像を通し今後もオピニオンリーダーとして活躍してほしい写真家である。


写真上から
・今森さん
・ボクの今は亡き父親 な、似てるやろ!?
・「昆虫記」
・昆虫記の中の好きなページ「虫の時計」

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2007年10月10日

夫婦で日本縦断

b41ccfc9.jpg京都府宇治市在住の夫婦が、鹿児島佐多岬から北海道宗谷岬まで、3400キロを歩き通し、このたびその旅行記を出版された。「日本縦断徒歩の旅 夫婦で歩いた118日」(金澤良彦著 京都新聞出版センター 1470円)。昨夜完読したので、その感想を記しておきたい。


徒歩で日本縦断を成し遂げた人の数はどれだけいるのか知らないが、彼らの場合は環境、特にゴミ問題について訴えながらの旅であったことがちょっとユニーク。巻末にこう書いてあるのが印象的だった。日本縦断する方はたくさんいますが、旅の途中で自分がなぜ歩いているのかという目的を見失い、挫折したり、ひどい時には「ウツ」になる人もいる。また、あまりの寂しさにホームシックになって断念する場合もあるとのこと。そういう意味では「ゴミ問題を訴える」という明確な目的を終始持てたことが自分たちの精神的支えであった、と。また夫婦二人で励まし合っての旅は、孤独になることがなかった。


彼らのスタイルは自作のリヤカーに生活道具を積み、ノボリを立て、夫婦で前後を引っ張り、押すというもの。基本的に安い宿に泊まるのだが、テントあり、バス停・駅舎あり、一般の見知らぬ人の家あり、知人宅あり、と様々。学生時代に自転車で長旅をした自分には、このあたりが面白かった。特に印象的だったのは、北海道の駅(貨車を改造)の中があまりに汚く、旦那さんが掃除をしている時、ふと見ると奥さんがしゃがんでサメザメと泣いていたシーン。あまりに情けなかったらしい。これ、映画にしたら面白い場面になりそうだと思った。
まあ、色々あってついに宗谷岬まで歩き通すのだが、道中で様々な人たちと出会い、これが横糸となって面白い旅行記に織り上がっている。


実は2005年3月23日のこのブログにも記録があるように、ボクの知り合いの娘の恋人「金太郎」ことタイラーというアメリカ人が日本縦断の途中に拙宅に寄ったのだが、彼は外人の眼から見た日本をとても興味深く語ってくれたことを記憶している。そんなことも重ね合わせて一気に読んでしまった。


その人なりの目的意識を持っての旅。ボクの定年後は、まずこれかなと思うことしきりである。

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2007年10月09日

靴の嫁入り

a2a72311.JPG少し履いただけの中古の軽トレッキングシューズ。ジムで一緒になる会社の人の(足)元へ嫁いでいった。「アゾロ」というイタリアのメーカーのもので、数年前に購入したのだが、一度ハイキングに行ったきり使ったことがなかった。理由は「小さ過ぎ」。店先であれほど試し履きしたにもかかわらず、フィールドに出たとたん、窮屈で窮屈で、楽しいはずのハイキングが苦しいだけのものになってしまった覚えがある。「やはり靴は慎重に選ばなあかんなあ」と歩きながら痛感した。


ボクの足は26.5センチなのだが、メーカーによっては26センチでもOK。そしてその時は確かに指一本くらいが入る大きさで、デザインも気に入って26センチを購入した。店先にテストするために作られた坂があるのだが、そこをさんざん往復してテストしたつもりだったのに、本番でマメができてしまい、二度と履かなくなった。しかし廃棄するのももったいないので、しばらく机の下に眠っていたのであった。
以来、自転車用、ハイキング用、普段履き用を問わず、靴だけは慎重に選ぶようになった。
で、嫁入りしたアゾロは、彼に丁度ピッタリで、これから大事に使ってくれるというから、譲ってよかった。


さらに、通勤に使っているニューバランスの革靴。これがかなりの年代モノで、かれこれ5年(いやもっとなるかな、、)、ボクをあちこち連れっていってくれたが、寄る年波に勝てず、継ぎ目がほつれてきていた。ところが丁度うまいことに、会社の健保組合が毎年還元してくれる商品の中にウォーキングシューズの項目があり、先日モノが届いて、こちらに履き替えることになった。グッドタイミング。
しかしニューバランスは足の一部のように、ジャストフィットしていただけに惜しまれる。だが、靴の先端が毎日乗る通勤自転車のトークリップのせいで汚れて黒くなっており、サラリーマンとしてはどうかと思っていた。


靴ネタでもうひとつ。
ロード用シューズだが、最近2時間も履いていると、右母指球のあたりが痛くなってくるのだ。昔はどうもなかったのに、、。やはり足も年齢と共に変化してくるようだ。問題は今度のスズカ8時間エンデューロ。時々休憩してシューズを脱ぎ、マッサージしながら走ることになるのだろうか。今から不安である。


帰宅まぎわになって、部下のパソコンがフリーズ。再起動すればたいがい直るのだが、今回は違った。
何をやっても固まってしまい、急ぎの仕事がフィニッシュできない。
急きょパソコンの110番を呼び、修理してもらった。
「機能拡張のなにかが壊れてますねえ」と言いながら、原因を少しずつしぼっていく。そして最後に「あ、ノートンが悪さしてるみたいなので、これをはずせば直りますよ」と、その言葉どおり復活させてしまった。
さすがプロである。

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2007年10月08日

カヌーで過ごす秋の休日

dcbd2f4c.JPG「カヌーやってみたい、キャンプやってみたい症候群」のご夫婦とその友人を連れて、木津川へ行った。朝から小雨が降るあいにくの日となったが、昼ぐらいから上がりそうとの天気予報だったので、決行することにした。もちろん車の横にはタープを張り、テーブルとイスをセットして、いかにも「キャンプ!」「アウトドア!」の雰囲気を演出した。


木津のキャンプ場に到着すると雨はほぼやみ、さっそくカーサイドタープを張った。テーブルとイスもセットし、メインの焼きそばをやろうと、ガソリンバーナーを取り出し、ポンピングしていざ点火! と、ところがガスの「シュー」っという音が全然しないではないか!こりゃどうしたことだ?腹ぺこの皆が注目する中、もう一度祈るような気持ちでポンピングを繰り返す。しかし哀れ、コールマン君はいっこうに火をともす気配すら見せないのであった。アウトドアの達人、おざっちの面目まるつぶれ!しかし火がないことには焼きそばも絶対にできないと判断し、あたりをキョロキョロすると、石で組んだかまどがあり、商店街にて急きょ炭を購入して火をおこし、1時間遅れの焼きそばとなった。
このコールマン、以前にも同じ症状になったので、修理したハズなのになあ、、。
そんなこんなで、食事後はしばらくおしゃべりしたり、木津川と曼珠沙華を背景に写真を撮ってもらったりしてまったりした時間を過ごした。


で、ようやくカヌーに乗ることに。着替えてもらい、順に試乗してもらう。川は水位が低く、橋の下の大きな瀞場もほぼ水が止まっている状態だったので、安心して乗ってもらえた。
ボクはもの足りないので、上流の岩場の流れのあるところまで漕いでいった。すると川の上に息子の姿が。今カヌーを終えて帰るところだった。
久しぶりにC-1を漕いだので、疲れてしまい、小1時間で上がることに。秋の夕日が川面に映ってきれいだった。その後、近くのワカサギ湯でさっぱりし、皆で食事をして帰宅した。


たまにはこんなまったりした休日もいいと思った。

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2007年10月07日

朽木ツーリング

38755d9b.JPG以前ひとりで走った「葛川→朽木→生杉→久多→葛川」の60キロ周回ロードコース。車が圧倒的に少なく、適度なアップダウンとカーブ、そしてなにより日本的な風景の中をずっと走れるという、すべての条件をクリアしたすばらしいコースへストラーダの皆を案内したかった。
もし一緒に走る人がいればと思い、ストラーダのBBSで呼びかけたところ、本日は12名もの参加をいただいた。しかし、お店集合にしたものの、現地まで自走で行くという人が多く、ここがいかにもストラーダたる所以だと思った。


晴れてはいるが、時によりやや曇りがちの、涼しく湿度も低い絶好のコンディションに恵まれた。
ストラーダで集合したのは4名だけ。実はゆみっこさんという、今回の紅一点の方がどれくらい走れるのか未知数であったが、どうやらかなりの健脚らしく、昨日も六甲の方を走ってきたとのこと。これなら充分大丈夫だと安心した。


各自の車で葛川の支所に向かう。「花折トンネル」手前で自走組のタニさん、シンさんを追い越す。
駐車場に到着すると、ネット上の心の友、ononoさんも到着し、固い握手を交わした。次々にメンバーが集合し、最後はやや遅れて巨匠が登場した。自己紹介し、簡単にコースの説明をしていよいよスタートした。


367号線は普段車が少ないのだが、今日は秋の行楽日よりのせいか、かなりの交通量だった。数年前の崖崩れを避けるようにして仮設道を走り、桑野橋を渡ると、すぐに朽木の本陣に到着、ここで最初の休憩と補給食の買い出しタイムとした。「山神橋」のY字路を左へ行くとすぐに「三石」のT字路を左折。ここからがこのコースのハイライトとなる。安曇川の支流「北川」の上流へと遡るようにして道は続く。


今日は時速25から30キロで走るつもりであったが、先ほどの367号線で早くもその掟をボク自らが破ってしまった。下り坂だし、追い風ときたから、足を止めていても40キロオーバーが出てしまうのだ。
そしてなにより、走りたい!と思わせるすばらしい風景が延々と続くからたまらない。


県道763号線に入ってしばらく気分良く走っていると、右手に湧き水を発見。「広野の涌水」と小さな看板が出ていた。ここで顔を洗ったり、飲んだり、しばし休憩をとった。皆が笑い合い、うち解けた雰囲気がすばらしい。涼しい風、良い仲間。自転車をやっていてよかったと思う瞬間だ。


暗い杉木立を抜けると数件の集落があり、名もない神社があり、ススキの穂が揺れる。その間を道がカーブしながら続いていく。脇には透明な流れが寄り添っている。そんな風景の中をオレンジジャージの集団が走っていく様子はまさに一服の絵としか言いようがない。


やがて坂がきつくなり、前後にばらけ始めた。小さな峠だ。いかにも峠のピークという感じのところを過ぎれば一気の下りにかかる。途中に「百里ヶ岳」への登山道があった。そして休憩地点の生杉に到着。ちょうど手頃なベンチと水やトイレのある場所があり、ここで昼食とした。ここで全行程の3分の2あたりだろう。
周囲は山に囲まれた小さな盆地、といった風情で、シーンとした雰囲気がすばらしい。
食事をしながら、楽しい会話がはずんだ。


さて、ここから367号線までは下り基調。これまた綺麗な川に沿って、すばらしいライディングを楽しむことができた。途中でハプニング!ononoさんが突然「アイタタ!」と叫んだ。なにごとかと自転車を停止させ、彼の元へ。首を押さえ顔をしかめるononoさん。どうやらハチに刺されたようである。かなりのスピードで走っているにもかかわらずハチに刺されるなんて聞いたことがないだけに、ちょっとビックリであった。
しかし走りには問題なさそうなので、そのまま走ることにした。


今度は久多川に沿って少しずつ高度を下げていく。この間もすばらしく楽しい道で、通り過ぎる集落の風景が心に残る。やがて久多のキャンプ場を過ぎるとすぐに国道に出た。そして葛川の駐車場に無事帰還。全員がなにごともなくてよかった。自走組は再び自転車に乗り、大津方面へ走っていった。


全行程55キロ、約2時間半のツーリングはボクには丁度よい負荷だし、なにより空気の澄んだ中を走るのは気持ちよい。滋賀県にこんな良いコースがあることは貴重だと改めて思った。


写真は上から
・広野の湧き水。
・静かな一本道を走るストラーダな皆さん。
・ボクの足にとまったトンボ。おじさん、こわくないからね。
・昔茅葺き屋根、今トタン屋根。でも懐かしい日本の風景の中を走る。

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