知れば知るほど謎が深まる。枯れ山水の石庭で有名な臨済宗妙心寺派の龍安寺(京都市右京区)。建立されてから今年でちょうど560年となり、方丈(本堂)屋根の全面ふき替えが完了、黄金色の屋根がお目見えした。その方丈の前にあるのが石庭。作庭時期も作者も不明で、多くの人々が興味をかき立てられてきた。そのミステリーが、今も古刹(こさつ)の魅力となっている。(嶋田知加子)

 今は真新しい方丈の屋根だが、黄金色を保てる期間はわずか半年と短い。素材自体が変色してしまうためで、見逃せば次のふき替えまでに早くて30年かかる。果たして石庭ができた当初もこんな風景だったのかと、思いをはせてしまう。

 創建は宝徳2(1450)年6月2日とされる。室町幕府の武将、細川勝元が龍安寺を開山した義天玄承に所領を寄進する旨が書かれた寄進状に記されているのが、この日付だ。

 なぜ「りょうあんじ」と読むのか。同寺の学芸員、岩田晃治さんによると、天皇の側近が記した「御湯殿上(おゆどのうえ)日記」の文明9(1477)年3月23日の項に「れうあん寺」と記されていたからだという。「創建から27年。『りょうあんじ』で間違いないとされました。ちなみに京都・嵐山の天龍寺は『てんりう寺』となっています」

 応仁の乱で焼けた龍安寺だが、今も当時の姿を伝えているのが境内にある鏡容池。実はパワースポットでもある。池に浮かぶ弁天島には鳥居があり、豊臣秀吉が礼拝する仏像を「とりわけ霊力のある名池があるので、その中の島に御堂を建設し、安置された」(京都府寺誌稿、明治24年10月、龍安寺志稿より)という。弁財天は神様で、鳥居があっても矛盾はないそうだ。

 そして、白砂に15個の石が配置された石庭は、今も最大の謎とされる。平成14年に京都大学大学院人間・環境学研究科が脳に心地よさを与える構造という分析結果を発表。そんな庭が数百年も前に造られていたのだ。

 作庭時期は主に2説。歴代住職の口伝が記された寺伝にある室町後期と、江戸初期説がある。作庭者としては、近江小室藩初代藩主・小堀遠州や、龍安寺第四世・特芳禅傑和尚、茶人・金森宗和らの名が挙がるが、いずれも根拠はない。

 岩田さんは私見として「2度手を加えられた」と推測する。「オーソドックスなパターンを踏まえながら、一度でこれだけ完璧(かんぺき)な庭はできない。寺伝にあるように室町後期に一度造られ、完璧を目指して江戸初期に手直しされたのではないか」

 560年目の今もこうして多くの人々が庭を語らう。岩田さんは言う。「果たしてすべて分かればいいのか。分からないことがまたいいんです」

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