May 2008
May 31, 2008
書道
ヒヨコが書道の道具を持ち帰ってきた。
「学校に置いておいたらいけないの?」
昔と違って硯がセラミック製になるなどかなり軽量化されているとはいえ、重たそう……。
「先生が、お家できれいに洗ってもらいなさい、って」
見れば十分きれいに洗ってある。
「黄色い文鎮にパンダのシールが貼ってあると、何だかお箸箱みたいだね。誰だろ、シール貼ったの」
「ママじゃん」
「えへへ」
「ねえねえ、ママとお習字する?今すぐ」
「する!」
ずいぶん前に習ったきりなので(25年!)、正直、思うとおりに筆を運べるのか不安もあったけれど、トメ、ハネ、はらい、どれも思うよりもきちんと書けた。書道教室の先生の顔や声が浮かんできた。
ヒヨコは「ママ! すご……」と言ったきり呆然としていたよ。
その姿を見て、前世のわたしは教師だったことが何度かあり、だから厳しくしてしまうらしい、というのを思い出したら、ふっと心が軽くなった。
今生に生まれた意味と違うことを続けていたって、ほとんど誰のためにもならない。
62. 比較
昨夜感じたことをメールしたのは、おやすみなさいと伝えてから2時間くらい経ってからかな。
まだ抱えてたんだなぁ。と気づいたんだ。「比べないで」という気持ちは、劣等感から湧き上がるものなのかもしれない。
そしたら、このメッセージでしょ。図星なんだね。
62.比較
比較は劣等感を、優越感をもたらす。
比較しなければ、すべての劣等感、すべての優越感は消える。
そのときこそ、あなたは在る。
ただそこに在る。
小さな潅木、あるいは大きく高い木――そんなことは関係ない。
あなたはあなた自身だ。
あなたは必要とされている。
草の葉は、もっとも大きな星と同じように必要とされている。
その草の葉がなければ、神は在るべき自分より少なくなってしまう。郭公(かっこう) のこの声は、どのようなブッダとも同じくらい必要とされているのだ。
もしこの郭公が消えたら、世界はより少なくなる、豊かさがより少なくなってしまう。ちょっとまわりを見てみるがいい。
すべてが必要とされていて、あらゆるものが互いにぴったり合っている。
それは有機的なひとつのまとまりだ。
高いものは誰もいないし、低いものも誰もいない。
優れているものは誰もいないし、劣っているものも誰もいない。
誰もが比較できないほどユニークだ。【解説】
竹はオークよりも美しいとか、オークは竹よりも貴重だとか、いったい誰があなたに教えたのでしょう?
オークはこの竹のように自分もなかが空っぽな幹がほしいと願っている――あなたはそう思いますか?
その一方で竹は、オークの方が大きいし、秋になったら葉の色が変わるので、嫉妬するでしょうか?
二本の木が自分たちを比べ合っているという考え方そのものがばかげていますが、私たち人間にはこの習性を断ち切るのがとてもむずかしいようです。
現実を直視しましょう。
あなたより美しい人、才能のある人、強い人、頭のいい人、あるいは明らかに幸せそうな人はつねにいます。
そして逆に、こうしたすべての意味であなたに及ばない人もつねにいます。
自分とは誰なのかを見いだす道は、他人と自分を比較することで得られるのではなく、わかっている最良の方法でみずからの潜在能力を自分が実現させているかどうか、それを見ることによって得られます。
わたしはわたし。そういうことだ。