若山町に大市八幡神社があります。

 大市八幡正面大市八幡神社

 社伝では大同元年(806)に石清水八幡宮から勧請された、という話を山下忠男先生の「町名の話」が載せておられますが、石清水八幡宮の創建が860年とも言われてますので、この話にはちょっと無理があるようです。しかし西宮有数の古社であることは間違いないでしょう。
 ここには兵庫県指定文化財の本殿があります。慶長15年(1610)の建立であるとされています。ということは西宮神社の表大門より古く、市内でも相当の古建築です。しかし残念ながら覆屋があり全体を見ることはできません。

 大市八幡本殿本殿

 詳しいことは知らないのですが、これも震災の爪痕であるのでしょうか。拝殿はまだプレハブです。
 境内に大きなクスノキがご神木としてそびえています。樹高24mだそうです。

 クスノキ

 さすがに全体像をカメラにおさめられませんでした(汗)。デカい。
 このクスノキは、池田輝政が本殿建立時(1610)に参詣した際、記念に植樹したと伝えられているそうです。されば、樹齢400年を超えました。

 池田輝政

 僕は最初、この碑を見た時に「なんで池田輝政が西宮に?」とやっぱり思いました。池田輝政って姫路じゃないの、と。1610年(慶長15年)といえば、ちょうど姫路城が出来上がった頃ですよ。
 調べますと、この播州で姫路藩主として後に姫路城を築いた池田輝政は、若い頃尼崎に入っています。
 例の荒木村重の乱で、信長の重臣である池田恒興が村重の籠る花隈城攻めを担当します。村重を破った恒興は、村重の旧領(西摂津)を与えられます。そして恒興は兵庫城を築き、次男の輝政は尼崎へ、ということらしいです。花隈城合戦が天正8年(1580)ですから…輝政はまだ10代ですね。本能寺の変後も、池田恒興は摂津を領有しています。天正11年に恒興が大垣城主となり輝政も美濃へ。そのあと尼崎に郡代として建部高光が来ます。しかし、池田氏と西摂津の関係は切れなかったようです。
 建部氏は、市史によれば徳川時代も引き続き尼崎の郡代でしたが、2代光重が早く没し後継の政長が8歳。継げるか、となったときに池田輝政が後見して本領安堵となったようです。政長の母は池田輝政の養女らしい。つまり輝政はずっと西摂津に影響力を残し続けていたのです。そして、尼崎藩初代藩主は建部政長になります。8歳の政長が成長し、大坂の陣の武功をあげ加増、万石を領することになり、尼崎藩が誕生しました。市史によりますと、建部氏はあくまで郡代であり、藩とは示されていませんが、一万石を超えたことで封建領主とみなしてもいいのではないかとも思えます。少なくとも大名には列したことに。
 この時もう輝政は死去していますが、おそらく縁戚筋の池田氏の力添えはあったでしょう。
 市史には他に興味深い話の記載もあります。下大市村の庄屋、助兵衛の父は姫路藩にいた輝政の寺社奉行だった、と。詳細はわかりませんが、何かウラがありそうな話ですね。
 どうも大市村には池田輝政の色が濃いようで。現在では、このクスの大木を植樹した、くらいしか目に見える痕跡はありませんけれどもね。
 しかし植樹なんて習慣は、はたしていつからあったものなんでしょうか。そういうことにはとんと疎くて。

 江戸時代の西宮の所領関係というのは、ややこしいですね。いろいろ入り混じって。
 北部の山口、塩瀬地区(有馬郡)については、最初有馬氏の所領となり、後山口地区は幕府直領(天領)、一部は田安家(御三卿)領となっています。塩瀬地区は天領となった後、尼崎藩支配となりました。
 さて、武庫郡の西宮市域についてなんですが、江戸幕府発足時はおおむね幕府直領(天領)であり、のちそのほとんどが尼崎藩領となります。例外は鳴尾に佐々氏、瓦林と門戸の一部が石川氏、他少し旗本領があります。鳴尾義民騒動のときに出てきた石川氏は、江戸時代には尾張藩家老、ということになっています。時代は変転していますね。この頃からは石河氏と表記することが多いようです。
 尼崎藩は、初代建部氏のあとは譜代の戸田氏、次に青山氏が遠江掛川藩から入封します。この青山氏は、青山忠成の四男幸成です。
 青山忠成といえば、初代江戸町奉行。家康の譜代として江戸に広大な屋敷を持っていたことで知られ、東京のおしゃれな街青山にその名を残しています。丹波篠山藩の青山氏も、その一族の流れですね。
 つまり、青山氏はこの頃、幕府に顔が利いていたということです。で、尼崎藩主となった青山幸成は、息子の分家を願います。次男、三男、四男を旗本にして、あわせて6000石。のちにもう一家を増やして、その旗本青山四家が西宮のあちこち(大市や芝や高木や中村)に所領を持ちます。
 鳴尾佐々家は、別の項で書きましたがのち断絶し天領になります。そして、尼崎青山家は転封となり、次に尼崎には譜代の松平氏が入るのですが、分家の旗本青山四家のそれぞれの所領はそのまま残ります。そして、西宮所領分布図は徐々にだんだら模様になってくるのです。もっと後年ですが、上田は篠山藩の所領となります。ややこしい。
 さらに、明和6年(1769)、幕府は尼崎藩松平家に上知令を出します。
 これはつまり、尼崎藩領から西宮町をはじめ、越木岩や今津を取り上げ幕府領にする、という命令です。西宮は交通の要衝ですから、ここを押えると儲かるんです。ヒドいですな(汗)。もちろん尼崎藩は代替地をもらいますけど、その代替地は赤穂とか宍粟の飛び地であって、石高はともかく実収は減りますね。そして、さらに西宮は所領分布がややこしくなるのです。
 このややこしい所領配置が、水争いの元となったり、悪代官があらわれたりする原因にもなるわけで。

 当初、尼崎藩は西宮に陣屋を置いて支配していました。そして明和6年の上知令で、幕府はそこに勤番所を置きます。実質は大阪奉行所の管轄ということになりますね。
 その尼崎藩陣屋、そして幕府勤番所は、今の戸田町におかれたとされています。その勤番所跡には、明治以降に「三浦座」という劇場が建てられたらしいのです。その三浦座跡は戸田公園になったと「町名の話(山下忠男著)」に書かれているのですが、今戸田町に行きましても三浦座も戸田公園もありません。陣屋・勤番所跡はどこだ?
 いろんな人に尋ねても首を傾げられるばかりでしてね。途方に暮れた頃、向こうから品のいいおばあさんが歩いてこられましたので、ちょっと聞いてみました。すると、そのおばあさんはご存知だったようで、僕をその公園跡にわざわざ連れて行って下さいました。おばあさんありがとう♪
 その場所には、マンションが建っていました。

 戸田公園跡3勤番所跡

 ここらあたりが、江戸時代の西宮支配の中心だったわけですか。勤番所時代にはここに大塩平八郎も勤務していたことがあったようです。
 幕府は、その勤番所の近くに高札場を設けました。お触書を出すところですね。その場所は、古地図によるとこの場所であったようで。

 交番高札場跡

 現在は派出所とはね。本町筋のちょうど半ばです。人通りが最も多かった場所なのでしょう。
 もちろん「札場筋」の名前はこの高札場からきています。

 札場筋

 このように西宮では所領が入り混じっていますので、当時は領地の境目を示す石標がありました。それは、市内に今も残っています。
 津門神社にひとつ。

 津門神社領界碑津門神社領界碑

 「従是西尼崎領」「従是東尼崎他領入組」とあります。
 岡太神社にもあります。

 境界碑岡太岡太神社領界碑

 市内では3ヶ所残されているとされ、もう1ヶ所は段上町の西広寺の山門脇にあるということです。なので、自転車を走らせたのですが…

 西広寺西広寺

 あれ、ない??
 ここまで走ってきたのに見当たらないと残念です。どっかにないかなとあちこち探しましたら、

 西広寺境界碑2西広寺領界碑

 境内に横たわっていました。行ったときは草が繁っていてわかりませんでしたよ。足で草をかき分けつつパシャ。「従是東北尼崎領」と刻まれていますが、よくわかりませんね(汗)。
 これは震災でのことなのか、それとも工事か何かで一時的にここに置かれているのかそれはわかりません。でもあって良かった。文化財に篤い甲東地区のことですから、このままということはないと思われます。おそらくは、また建てられるであろうと。

 尼崎藩による西宮支配は、前述しましたように当初陣屋を設け、村にはそれぞれ庄屋を置き、その村をいくつかの組に分けてその中でさらに「大庄屋」を任じて支配していました。西宮市域には「西宮組」「瓦林組」があったわけですが、西宮や今津が天領となり陣屋も廃止された後には、瓦林組の大庄屋が支配の中心となってきました。西宮組に属していた段上、広田、津門、高木村の一部も、瓦林組に属することになった模様です。
 瓦林組の大庄屋を永く勤めたのは岡本家です。現在も岡本家は存在していて、そのお宅はいかにも豪農であったころの佇まいを残しています。

 岡本邸2岡本邸

 立派な邸宅ですね。維持するのも大変だろうなあ。
 この岡本家には江戸時代の膨大な古文書が残り、一級史料として活用されています。有難い話です。

 話は前後しますが、青山幸成が尼崎藩主だった頃の話。幸成は、前述したように息子たちを分家させますが、なぜそれが可能だったか。分家すれば石高が減り、藩としての力が落ちるというのに。
 それは、新田開発によって実質石高を上げたからです。当時、新田開発は全国的に行われ、石高増大が急ピッチで進んだ時期でした。百間樋の項でもふれた上ヶ原台地の新田開発などもこの時期です。
 そして青山幸成は、さらに、武庫川の氾濫原で今まで開発が進まなかった川のすぐ西部の土地の開発を進めます。豊臣期から武庫川に強固な堤防が築かれ、このあたりの水害による危険率が下がり、新田開発の可能性が生じたからです。
 しかしながら、水源の問題があります。百間樋の水は既に水利権も確立しており、新田にまわす余裕がありません。そこで青山幸成は、新たな用水路を築きます。それが「新堀川」です。
 段上村と上大市村の境、現在の報徳高校の南側あたりに、武庫川の伏流水が湧き出て池になっていました。「鯨池」です。
 
 鯨池1鯨池浄水場

 現在、浄水場になっています。このあたりに比較的豊富に湧き水が出ていました。鯨池はそれを溜めた池です。そこから、武庫川沿いに新たに用水路を掘り、南下させたのです。

 新堀川1新堀川画像1

 新堀川は現在も滔々と水を湛え流れています。これは国道171号線のすぐ南あたりですが、画像に見える水路のすぐ左(東側)は武庫川の堤防です。このように川に沿って用水路が築かれました。

 この新堀川が、新田開発を可能にしたのです。こうして、現在の武庫川の堤防ぎりぎりまで新田開発がなされていきます。

 新堀川19新堀川画像2

 現在では田畑が減り、新堀川はあまり水量を減じることもなく流れます。

 新堀川8新堀川画像3

 甲子園口周辺まで来ると、新堀川は整備され市民に憩いを感じさせる水路になっています。新堀川はこのまま南下し、戸崎からは旧枝川(現在の甲子園筋)の西側に沿って流れ、春風小学校のあたりで新川に合流、海へと向かいます。

 
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 以下、江戸時代の旧村落の様子を、村落墓地を中心にして各々訪問し痕跡と名残を探ります。
 
 
 
 西宮市域の江戸時代における村落を数えますと、全部で35町村になります。その村にまた枝郷があり、昔は集落はいったいいくつあったのか。その江戸時代の人々の暮らした村々を、現在に残る痕跡を探しつつひとつひとつ訪ねます。村落墓地を中心に、鎮守の杜、檀那寺、町並を歩きます。
 以下リンクからご覧下さい。

 前説
  西宮の旧村落と墓地のこと
  墓地いろいろ
  江戸期の葬式と墓石について

  西宮市域における村落墓地の成立まで

 本編
  西宮の旧村落1 小松村 岡太神社・等覚寺・小松墓地
  西宮の旧村落2 上田新田村 皇大神社・上田墓地
  西宮の旧村落3 生瀬村 浄橋寺・生瀬皇大神社・生瀬墓地(跡)
  西宮の旧村落4 柏堂新田 柏堂神社 柏堂墓地
  西宮の旧村落5 鷲林寺新田 鷲林寺・若宮神社・鷲林寺墓地
  西宮の旧村落6 段上村(1) 貝之介墓地
  西宮の旧村落7 段上村(2) 西広寺・若宮八幡神社
  西宮の旧村落8 上大市村 松林寺
  西宮の旧村落9 下大市村 永福寺・大市八幡神社
  西宮の旧村落10 樋口新田村 
  西宮の旧村落11 上新田村(助兵衛新田) 厳島神社・上新田墓地
  西宮の旧村落12 荒木新田村
  西宮の旧村落13 上瓦林村 極楽寺・日野神社・松並墓地
  西宮の旧村落14 中新田村(五郎右衛門新田)
  西宮の旧村落15 御代村(瓦林村) 熊野神社・御代開墓地
  西宮の旧村落16 下新田村(久右衛門新田)
  西宮の旧村落17 下瓦林村(1) 甲子園八幡神社
  西宮の旧村落18 下瓦林村(2) 
  西宮の旧村落19 下瓦林村(3) 下瓦林墓地
  西宮の旧村落20 船坂村 山王神社・善照寺・船坂墓地
  西宮の旧村落21 中野村 中野皇大神社・受西寺・中野墓地
  西宮の旧村落22 上山口村 城垣内稲荷神社・明徳寺・上墓地・下墓地
  西宮の旧村落23 下山口村 公智神社・光明寺・下山口墓地
  西宮の旧村落24 金仙寺村 丸山稲荷神社・金仙寺墓地
  西宮の旧村落25 名来村 名来神社・正明寺・西生寺・名来墓地
  西宮の旧村落26 高木村 高木熊野神社・高木八幡神社・大日寺・法心寺・高木墓地
  西宮の旧村落27 芝村 神明八幡神社・西福寺
  西宮の旧村落28 上ヶ原新田村 上ヶ原八幡神社・上ヶ原墓地
  西宮の旧村落29 門戸村 門戸天神社・東光寺・門戸墓地
  西宮の旧村落30 神呪村(1) 神呪厳島神社
  西宮の旧村落31 神呪村(2) 神呪寺・神呪墓地
  西宮の旧村落32 屋敷墓所・歴住墓所・神主墓所
  西宮の旧村落33 田近村(1)
  西宮の旧村落34 田近村(2) 小浜皇大神社・西昆陽須佐男神社・春日神社・円宗寺・西昆陽霊園
  西宮の旧村落35 木之元村 木元寺・木之元八幡神社・木之元墓地
  西宮の旧村落36 名塩村(1) 東の墓・山条の墓・上の墓
  西宮の旧村落37 名塩村(2) 名塩八幡神社・教行寺・源照寺・教蓮寺・ラントウ
  西宮の旧村落38 東久保村 東久保墓地・大澤神社
  西宮の旧村落39 広田村 豊乗寺・愛宕山墓地
  西宮の旧村落40 六軒新田 風神社・六軒墓地
  西宮の旧村落41 越水村 泉福寺・越水墓地・塞神社
  西宮の旧村落42 中村 観音寺・須佐之男神社
  西宮の旧村落43 広田神社(1) 広田神社
  西宮の旧村落44 広田神社(2) 南宮神社・名次神社・若宮神社他
  西宮の旧村落45 広田神社(3) 境内摂末社・愛宕神社・武甕槌神社他
  西宮の旧村落46 越木岩新田村 越木岩神社・甲山墓園
  西宮の旧村落47 守具村(1) 阿弥陀寺・森具墓地
  西宮の旧村落48 守具村(2) 須佐之男神社
  西宮の旧村落49 産所村 百太夫神社
  西宮の旧村落50 西宮町(1) えびす神社
  西宮の旧村落51 西宮町(2) 名次神社他
  西宮の旧村落52 西宮町(3) 松原神社・住吉神社他
  西宮の旧村落53 西宮町(4)
  西宮の旧村落54 西宮町(5) 円満寺・西安寺・法安寺・西蓮寺
  西宮の旧村落55 西宮町(6) 円福寺・正念寺・信行寺・順心寺・積翠寺 
  西宮の旧村落56 西宮町(7) 海清寺・茂松寺・如意寺
  西宮の旧村落57 西宮町(8) 西墓跡他
  西宮の旧村落58 西宮町(9) 小墓地蔵尊
  西宮の旧村落59 西宮町(10) 満池谷墓地
  西宮の旧村落60 西宮町(11) 満池谷墓地
  西宮の旧村落61 津門村(1) 昌林寺・浄願寺
  西宮の旧村落62 津門村(2) 津門神社・桜翁稲荷神社
  西宮の旧村落63 大箇村 大箇日吉神社
  西宮の旧村落64 上今津村 上野神社・常源寺
  西宮の旧村落65 浜今津村(1) 福応神社
  西宮の旧村落66 浜今津村(2) 福応神社・浜恵比須神社
  西宮の旧村落67 浜今津村(3) 海光寺
  西宮の旧村落68 小曽根村 白山姫神社・西方寺
  西宮の旧村落69 松村 常福寺
  西宮の旧村落70 八松村 浄願寺
  西宮の旧村落71 北鳴尾村 鳴尾八幡神社・観音寺
  西宮の旧村落72 笠屋新田
  西宮の旧村落73 東鳴尾村(三軒屋村) 東鳴尾皇太神社
  西宮の旧村落74 西鳴尾村(中津村) 素盞嗚神社・中津墓地
  西宮の旧村落75 砂浜新田 白髭稲荷神社
  西宮の旧村落76 平左衛門新田 元浜八幡神社・丸嶋霊園墓地
  西宮の旧村落77 浜鳴尾村(1) 善教寺・妙見宮
  西宮の旧村落78 浜鳴尾村(2) 乗誓寺・西光寺・上鳴尾墓地
  西宮の旧村落79 補遺(1)
  西宮の旧村落80 補遺(2) 岡田神社

 まとめ
 西宮市域における江戸期旧村落の信仰と墓地
 西宮の旧村落 まとめ

 村落墓地所在地
  
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  <参考文献>
 こちらのページに記載した以外のものです。
  「先祖の話」柳田国男 「詣り墓」最上孝敬 「先祖供養と墓」五来重 「中世の葬送・墓制」水藤真  「生と死の民俗史」「日本人の葬儀」新谷尚紀 「日本葬制史」勝田至 「葬儀の歴史」 芳賀登 「日本の葬式」 井之口章次 「墓と葬送の社会史」森謙二 「『お墓』の誕生」岩田重則 「ねがい-生と死の仏教民族-」井阪康二 「日本の中世12村の戦争と平和」坂田聡・榎原雅治・稲葉継陽 「村落祭祀と国家統制」米地実 「国家神道と日本人」島薗進  「神仏分離」圭室文雄 「神々の明治維新 」安丸良夫 「日本近代思想体系5 宗教と国家」安丸良夫・宮地正人校注 「宗教社会史の構想」有元正雄 「神も仏も大好きな日本人」島田裕巳 「地蔵信仰」桜井徳太郎編  「地蔵信仰」速水侑 「弁才天信仰と俗信」笹間良彦 「庚申信仰」小花波平六編  「庚申信仰」 飯田道夫 「稲荷信仰」直江広治編 「八幡神と神仏習合」逵日出典  「高野山信仰と権門貴紳」俵谷和子 「異神」山本ひろ子
 「西宮の地蔵」西宮郷土資料館 「西宮市山口町上山口・下山口の民俗」「 西宮市山口町船坂の民俗」神戸女子大学文学部史学科 「上山口区誌2」上山口自治会 「やまぐちの里」 山口町徳風会 「平尻道の地図帳」橋本芳次 「なじおの年中行事」「名塩雑事記」名塩探史会 「生瀬の現代史(一)」樽井正雄 「下大市の民俗」「西宮の年中行事」「中津の漁業」 西宮市教育委員会 「夢とロマンを創るまち越木岩 自治会35年のあゆみと越木岩」越木岩自治会 「神戸女学院八十年史」 神戸女学院編
 「西宮金石銘鑑」「西宮人士略伝」「西宮珍碑録」「西宮墓碑集」「筒屋一統霊名書」筒本清五郎 「日本神信仰史の研究」田岡香逸 「伏柴遺芳」吉井貞俊編 「廣田神社史を中心として 西宮郷土誌」奥村孝雄 「西宮市武庫郡神社誌」西宮市武庫郡神職会
 「西宮市土地宝典」「武庫郡瓦木村土地宝典」「武庫郡甲東村土地宝典」「武庫郡鳴尾村土地宝典」 大日本帝国市町村地図刊行会 大日本帝国陸地測量部地図(1/200000) [生瀬村(1884)] [西宮町(1884)] [今津(1884)] [生瀬(1909)] [甲山(1909)] [西ノ宮(1909)]
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