あまりいい写真じゃないのですが、ちょっと見ていただきたいと。

 白山姫寛政

 何だかわかりますでしょうか。これは、鳥居を下から見上げた写真です。場所は、小曽根の白山姫神社。明神鳥居で、一番上に笠木、それに接して下に島木が渡っています。その島木に、奉納された年月日が刻まれているのです。
 普通は、こういうものは柱に刻まれているのですが、ここでは何と鳥居上方に。見にくいのですが「寛政三辛亥年」と。こういうところに書かれているのは大変珍しいと思います。神社にさほど詳しくはないのでよくわかりませんが、少なくとも僕ははじめて見ました。

 歴史散策をしていますと、よく神社に訪れる機会を持ちます。西宮においても、ことあるごとに僕はあちこちの神社に参詣して、歴史っぽいものはないかといろいろ見て回っていたのです。神社は、お寺さんと違って完全に開放されていて、何と言っても入りやすい。
 そうした中で、僕はこの白山姫神社の鳥居に出会いました。頭上に江戸時代の年月日。しかも、寛政(1789〜1801)の元号。古い。歴史を感じます。
 神社には、このように昔からの石造物が多くあります。鳥居。石灯籠(常夜燈)。狛犬。手水鉢。そういったものの多くには、寄進された年月日が記されています。見渡せば、いくつもの元号が。明治大正昭和平成のものがやはり最も多いわけですが、江戸時代のものもたくさんありました。僕は、それらを写真に撮ってコレクションしはじめました。
 気付けば、市内南部の神社はほとんど回りました。以下は、西宮の神社における、石造物の元号コレクションです。

 しかし、古いものはみな風化して、文字が消えていってしまいます。江戸時代は慶長八年(1603)から始まるのですが、さすがにそんな古いものは見つけることが出来ませんでした。

  <慶長(1596〜1615)> えびす慶長
 ただ、これは石造物ではないのですが、えびす神社に豊臣秀頼寄進の銅鐘があります。これはこの項でもふれました。「慶長」とはっきり刻まれています。この画像はアップですが、慶長拾五年三月八日の銘であり江戸時代のものであることがわかります。
 西宮市郷土資料館の「山岳信仰展」において、六甲山神社の石宝殿に慶長十八年と刻まれていると知り、行ってみたんですけれどもさすがに御神殿、近づいてじっくり見る、なんてことは許してくれませんでした。

 慶長の次は元和(1615〜1624)なのですが、それには出会うことが残念ながら出来ませんでした。400年前ですもんねぇ。しかし、熊野神社には「寛永燈籠」が存在します。

  <寛永(1624〜1644)> 熊野寛永
 市内で最も古い灯籠は、この瓦木の熊野神社にある「寛永十七年」の銘があるこちらのものであるようです。さすがに、郷土史家として高名な宮崎延光氏が宮司をされていただけあって、きちんと「西宮最古」であると書かれた説明板が立ち、文字に墨が入っていて読めます。もしもこうして見やすくしてくださっていなければ、これは僕では読めなかったでしょう。

 以下、正保(1644〜1648)、慶安(1648〜1652)、承応(1652〜1655)、明暦(1655〜1658)、万治 (1658〜1661)と元号は続くのですが、それらは現在確認できていません。いずれも期間が短かったということもありますが、古すぎましてね。
 別に勉強したわけではなく、これらを探していての経験ですが、古い石灯籠はまず竿(柱)が円筒形になっています。時代が新しくなるにつれて四角くまたデザイン的に末広がりになったり。例外は多いでしょうけれども(公智神社の安政灯籠とか)、だいたい柱が円筒だと、古いんです。
 もうね、竿の円筒形常夜燈はあちこちにあるんです。ただ、たいていは読めない。瓦木の厳島神社の灯籠などいかにも古そうで、もうちょっとで読めそうな気もするんですけれどもねえ…。
 拓本でもとればわかるんでしょうけれども、学術調査ならいざしらずタダの参拝者の僕なんぞがそんなことをやっていたら怒られてしまいます。うーむ(汗)。情報求む!

  <寛文(1661〜1673)> えびす寛文
 これは、えびす神社の灯籠です。寛文四年でしょうか。えびす神社の境内、松林の中にあります。松林にはめちゃめちゃたくさん灯籠が建っていますが、外枠南側のものは概して明治など新しい。で、外枠北側のは江戸時代後期のものが並びます。で、中のほうにあるやつが結構古い。しかし風化が進んで、僕が読めたもので最も古いのがこの寛文年間のやつでした。しかしこれは、状態がいい。
 寛文の銘は、摂社の稲荷社にある手水鉢でも確認できます。
 本当は、上ヶ原八幡神社の鳥居が、市内最古で県内でも2位という古さを誇るもので、寛文なんです。ですけれども、肉眼ではなんとか確認できましたが写真に映らないほど風化していまして、ここに載せるのは断念しました。是非見に行ってください。

  <延宝(1673〜1681)> 福応延宝
 どアップで何かよくわかりませんが(汗)、これは福応神社の手水鉢です。「延寶」の文字が浮かび上がっています。これが市内ではいちばんはっきりと見えるかな。上から覗くアングルになっているのは、手水鉢が二重になっているからです。内側が延宝、外は天保と贅沢に出来ています。
 延宝は、えびす神社の灯籠でも確認できました。えびすさんのやつは、字体がちょっと違っていて読みにくいのですが、よく保存されています。

  <天和(1681〜1684)> 上ヶ原天和1
 上ヶ原八幡神社の手水鉢です。見えにくいのですが、「天和二年」と刻まれています。よく残っています。
 他には、森具の須佐之男神社の灯籠も天和です。これもよく残っていますが写真だと見えないかな。また甲子園八幡神社の、本殿に最も近く建つ灯籠も天和だと思います。思います…と言いますか「天」ははっきり見えるのですが、天明でも天保でもないのでおそらく天和だろう、程度です。
 手水鉢というのは、案外刻まれた文字が風化せずに残っているものが多い。これは、いつも水に濡れているために風に削られない、という側面があるのかないのかよくわかんないですけど。

  <貞享(1684〜1688)> 日野貞享3 
 ちょっと逆光になっちゃったんですけど、「貞享五年」と刻まれています。これは、日野神社の鳥居です。風化してはいますがちゃんと確認できます。僕が「貞享」を確認できたのは、市内でこの鳥居だけです。
 「甲東の文化財を訪ねて」によりますと、門戸の天神社の鳥居は貞享三年の建立で市内で2番目に古く(上ヶ原八幡の次)、県内でも6番目であったらしいのです。が、震災で倒壊しました。天神社にはばらばらになった鳥居の残骸が残っていましたが、年号は確認できませんでした。
 大変に残念なことでしたが、そうなると、もしかしたらこの日野神社の鳥居は現在、市内2番目ということになるのでしょうか。

  <元禄(1688〜1704)> えびす元禄1
 これは、えびす神社の松林にある竿が六角柱の灯籠です。えびすさんには、この松林の中に元禄が何本かあります。
 他には、水害の項で紹介した熊野神社の「元禄十一年十一月十一日」などがあります。
 元禄といえば、生類憐みの令の徳川綱吉将軍時代。赤穂浪士討入もあり、また芭蕉の奥の細道、西鶴日本永代蔵、近松の曽根崎心中など文化隆盛の時代ですね。

  <宝永(1704〜1711)>  岡太宝永1  
 岡太神社の鳥居です。比較的状態もよく「寶永」の文字が見えます。
 これ以外には上ヶ原八幡の上段の摂社の前にある灯籠が宝永でしたが、苦労しないと読めません(繁みの裏側なので余計見にくい)。また、えびす神社の松林にもあります。

  <正徳(1711〜1716)> 日吉正徳
 津門大箇町にある日吉神社鳥居です。墨を入れてくださっているのではっきりと読めます。ありがたいですね。正徳四年。
 正徳年間のものは、この鳥居以外には確認できていません。

  <享保(1716〜1736)> 広田享保
 これは、広田神社の灯籠です。「享保十一年」と刻まれています。
 広田神社において、江戸時代の元号が入ったものは、この享保のものがひとつ(一対ではなくひとつ)、そして寛政のものがおなじくひとつあるのが確認できただけです。参道のいかにも古そうな常夜燈も、よく見れば明治でした。
 もちろん、古そうな石造物は他にもありますので、ただ確認できなかっただけなのかもしれません。現に「西宮町誌(大正15年)」には金石表があり、そこには延宝三年の灯籠が広田神社にある、と書かれています。それは見つけられませんでしたけれども。
 それにしても少ない。不思議なことだと思うのです。広田神社は、市内で最も古い歴史を持つのは間違いないのですから、もっとわんさかあってもいいのに。
 これは、祭神が天照大神であり、式年遷宮を執り行う伊勢神宮のように「古いものを神が望んでいない」という側面もあるのかもしれませんし、もちろん戦災や震災でかなりのものが失われた、ということもあるかもしれませんし一概には言えないことではあると思いますが、道標のページでもふれたように、やはり広田神社は「村の鎮守」という存在ではなかったということがやはり挙げられるのではないかと思います。
 さて、享保の石造物は、ここ以外にも越木岩神社その他あちらこちらで見かけることが出来ます。20年も続きましたから。

  <元文(1736〜1741)> 甲子園八幡元文1
 甲子園八幡神社に残る元文の元号なんですけれども。はっきりと刻まれています。
 これ、ちょっと注目していただきたいのは、左側に見える面に「砂濱社」と刻まれているのです。
 これは、おそらくは江戸時代、中津にあった砂浜神社のものだと推測できます。砂浜神社については「学問文化」の項でふれましたが、今は既になく、鳴尾八幡神社に合祀されています。ですが灯籠のひとつはここに移設されたということでしょうか。細かな事情はわからないのですけれども。
 甲子園八幡神社には、天和、享保、寛保、寛延、文化など多くの古石造物が残されています。元号めぐりには(そんなことを他にやっている人がいるかどうかは別として)、欠かせない神社だと思います。
 元文は他にも、熊野神社の手水鉢などがあります。

  <寛保(1741〜1744)> えびす寛保
 これは、えびす神社の大練塀と瑞垣の間の中庭に建っています。堂々としています。大きいなあ。江戸からの寄進であるようです。えびす信仰の広がりが伺えますね。
 寛保は、これと甲子園八幡神社でしか確認できていません。
 えべっさんには、僕が確認しただけで寛文、延宝、元禄、宝永、享保、寛保、寛政、文化、天保、弘化、嘉永、安政、文久、万延、慶応と揃っています。元号マニア(?)にとってはパラダイスです。


  <延享(1744〜1748)> 大市延享
 大市八幡神社の灯籠です。見難くて恐縮なんですが「延享」の文字が浮かびます。僕は最初「延宝」だと思って写真を撮ったのですが、帰ってよく画像を見てみると延享だ。やった(笑)。延享はここ以外ではまだ確認できていません。

  <寛延(1748〜1751)> 鳴尾八幡寛延
 鳴尾八幡神社にある灯籠です。状態がいいですね。
 鳴尾八幡はさすがに古社であり(文安年間つまり室町時代の創建)、境内も広く石造物もさまざまなものが残されています。
 寛延は、他に甲子園八幡で見ることが出来ます。

  <宝暦(1751〜1764)> 松原宝暦
 これは松原神社の石灯籠です。読みやすいように白を入れてくれています。はっきりと「寶暦」と浮かび上がっています。有難いですね。
 宝暦は他に高木熊野神社、神呪厳島神社などで確認できます。

  <明和(1764〜1772)> 高木明和1 
 高木八幡神社の石灯籠です。明和三年と刻まれています。
 高木八幡神社は、昭和50年に大改装をしまして石造物も一新、古い灯籠狛犬は片付けられフェンスの中に移転されています。なんともったいない、と思いますが処分されないだけいいかと。その鉄柵の隙間から覗いた画像です。
 せっかく大改築した高木八幡神社なんですが、震災ではかなりの被害があった様子です。このあたりは相当な揺れだったと聞きます。
 他には、福応神社の狛犬の台石も明和でした。ただ、これは狛犬の寄進年ではないかもしれません。福応神社は移転したこともあって、阿形と吽形の台座が違うなど、いろいろとややこしくなっています。

  <安永(1772〜1781)> 厳島安永二年
 神呪の厳島神社の鳥居です。安永とはっきり刻まれています。
 関係ない話ですが、高い場所にあることがわかりますよね。こことか門戸天神社は石段を上るのが大変です。
 安永は他に白山姫神社などにもあります。

  <天明(1781〜1789)> 日野天明2
 日野神社の参道入り口の常夜燈は、対になっていません。震災の影響なのかもしれませんけれど。向かって左、西側は安永です。そして東側の、ちょっとこのあたりでは珍しいデザイン(竿の部分が二股になっている、つまり琴柱灯籠。えびす南門前などにもある)の常夜燈が、天明八年のものです。
 天明年間のものは、ここでしか現在確認していません。

  <寛政(1789〜1801)> 東鳴尾寛政
 東鳴尾神社の寛政四年のものです。ここには天保のいいものもありました。
 こういうものが何故寄進されたのかということですが、もしかしたら新田開発などの理由もあるのかもしれません。市史によれば鳴尾東浜の新田は寛政、天保年間に開発されていますので。
 時代は18世紀末。「寛政の改革」が有名です。
 寛政年号の入った石造物は、かなりあちこちで見かけます。

  <享和(1801〜1804)> 鳴尾八幡享和
 19世紀に入りました。鳴尾八幡神社の手水鉢です。実にはっきりと「享和」の文字が見えます。
 享和年間は短かったせいか、確認できたのはこの手水鉢だけです。

  <文化(1804〜1818)> 津門文化
 津門神社の灯籠です。はっきりしていますね。
 文化・文政年間というのは「化政時代」とも略称され、徳川家斉の大御所時代です。文化爛熟期ですね。約200年前なんですが、長かったので「文化」と刻まれた石造物は実に多く、状態がいいものも揃っています。中でもこの津門神社のものは墨が入っていることもあり美しい。

  <文政(1818〜1830)> 大市文政
 大市八幡神社の灯籠です。
 この灯籠、残念ながら笠と、灯をともす火袋の部分がありません。これはやはり、震災の影響でしょうか。ですが竿以下はしっかりしていて、文政八年とはっきり読めます。
※追記:修復されました。こちら参照してください。

 文化同様、文政年間のものも市内には数多く残されています。

  <天保(1830〜1844)> 上野天保1
 これは、今津上野神社の灯籠です。字体がきれいですね。
 天保年間のものも、市内に数多く残っています。15年ほど続きましたので。
 天保といえば水野忠邦の「天保の改革」があり、幕府が揺らぎだし、西宮勤番所にも居た大塩平八郎の乱があり、なんとなく、そろそろ「幕末」という感じがしてくる元号ですね。


  <弘化(1844〜1848)> 須佐之男弘化
 森具の須佐之男神社です。弘化二年と刻まれています。
 弘化年間のものは他にえびす神社に多く残ってます。南宮の狛犬とか。
 須佐之男神社には前述の天和の古い灯籠の他、享保の味わい深い灯籠もあります。

  <嘉永(1848〜1854)> 越木岩嘉永
 越木岩神社の狛犬です。嘉永六年と刻まれています。嘉永六年といえば、ペリーが浦賀沖に来航した年です。黒船だ。いよいよ風雲急を告げる時代に突入です。
 嘉永年間のものは市内神社には実に多い。ちゃんと数えてはいないのですがおそらく一、二を争う数だと思います。
 

  <安政(1854〜1860)> 北向安政
 松原天神の向かい、漢織・呉織の項でふれた喜多向稲荷神社の安政年号が入った灯籠です。
 本当は安政の文字がもっとはっきりと刻まれて見やすい灯籠は市内にはいくつもあるんですけれども、この繁みの中に忘れ去られたようにぽつりと存在するこの小さな灯籠がなんだか気になりましてねー。

  <万延(1860〜1861)> 福応万延
 今津の福応神社です。これを見つけたときには思わずニンマリとしてしまいました。「万延」は時代的にも新しく、大江健三郎の「万延元年のフットボール」などで実に知名度の高い元号なのですが、なんせ一年未満でした。なので無いかもしれないなと思っていたのです。
 他には、よく探せばえびす神社の南門近くなどにもありました。

  <文久(1861〜1864)> 福応文久
 これも同じく福応神社の「文久三年」の灯籠です。文久の元号は約三年間でしたが、市内では数多く見ることが出来ます。
 福応神社は、その古い歴史もあって石造物が多く残されています。元号も、確認できただけで延宝、享保、明和、文化、天保、嘉永、安政、万延、文久、慶応と。

  <元治(1864〜1865)> 鳴尾八幡元治
 鳴尾八幡神社で見つけました。やったね。元治年間も、実質は一年くらいでしたのでなかなか無いだろうと思っていましたので。世間的には池田屋事件や蛤御門の変などで盛り沢山の年なんですけれども。元治の元号は、現在ここでしか見つけていません。

  <慶応(1865〜1868)> 津門慶応
 これは、津門神社の灯籠です。ついに江戸時代最後の元号です。
 年号に関して難しいのは、江戸時代の終わりをいつに設定するか、ということですね。始まりは、家康が江戸に幕府を開いた慶長8年(1603)でほぼいいと思われますが、終焉はいろいろ考えられます。大政奉還(慶応3年10月)か、王政復古の大号令(慶応3年12月)か、あるいは江戸城明け渡し(慶応4年4月)か。もっと単純に明治と元号が変わった時点で明治時代、それより以前は江戸時代、と考えるやりかたもあります。
 いずれにせよこの津門神社の石灯籠は慶応元年であり、江戸時代のものであることには違いありません。

 コンプリート、とはなかなかいきませんけれども、一市内でこれだけ揃っているとは思いませんでした。ここではひとつの元号につき一画像しか紹介していませんが(キリがないので)、江戸時代の石造物は市内にわんさかある、というわけです。震災がなければ、もっと多くあったかもしれません。
 本当は、お寺と墓地に行けば全て揃うのかもしれませんけれどもね。ですがそこまでは出来ず、神社に絞って一応ここで中締めにします。以後、未記載の元号を見つけたなら追記しようと思っています。

 
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 ※なお、この地図上にある神社は、あくまで僕が参った神社であり、西宮市全ての神社を網羅しているわけではありません。