スジエビの不思議

私の知っているスジエビの秘密を紹介します

V-9-2. ゾエア期の長さ

 ゾエアの単独飼育容器を飼育室の棚にずらりと並べて観察を開始しました。飼育方法をいろいろ検討して最適の条件を設定したつもりでしたが,それでも延べ296匹のゾエアを飼育して稚エビまで育ったのはたったの10匹(3.4%)でした。これらの個体の各ゾエア期の長さ(次の脱皮までの日数)は表V-2のとおりです。
 10匹中4匹は5つのゾエア期の後に稚エビとなり,変態に要した日数は平均17.0日でした。残りの6匹は6つのゾエア期を経て,平均20.4日で稚エビになりました。

表V-2

V-9. ゾエア幼生

 一般に甲殻類の卵から孵化して出てくる最初の幼生はノープリウスと呼ばれています。単眼(ノープリウス眼)で,3対の付属肢(第1,第2触角と大顎)のみをもつ単純な体制の浮遊性幼生です(「関連事項III-2」,2月16日の記事を参照)。
 しかし,スジエビではノープリウス期を卵殻の中で過ごし,もう少し複雑な体制をもつゾエア幼生として孵化します。浮遊性のゾエア幼生(「関連事項III-7」,3月3日の記事を参照)は何回か脱皮して底着性の稚エビに変化(変態)します。何回脱皮して稚エビになるのかの調査結果を以下にお話しします。


V-9-1. ゾエア幼生の飼育

 孵化したゾエア幼生を集団飼育することにしましたが,問題は何を食べさせるかということです。
 文献を調べ,アルテミアの幼生を与えるのがよいという報告をみつけました。アルテミアはブラインシュリンプとも呼ばれ,鰓脚綱・ホウネンエビモドキ科に属する甲殻類で,その卵は熱帯魚の稚魚などの餌として市販されています。卵を塩水に入れると一晩でノープリウス幼生が孵化します。
 これをゾエア幼生に与えてみました。確かにゾエア幼生はこの生き餌を捕らえて食べましたが,飼育水の汚れが早く,また,ゾエア幼生どうしの共食いもあり,稚エビまで飼育できませんでした。
 あれこれ試しましたが,結局,ゾエア幼生を単独飼育して,みじん切りしたちくわを与えるのが一番よいという結論に達しました。
 約300 mlの水を入れた小さなガラス容器に水草を入れてしばらく放置しておくと,やがてガラス壁面いっぱいにアオミドロやケイソウなどが繁茂してきます。一部を削り取って顕微鏡で観察すると,ワムシ,ツリガネムシ,ミドリムシなどの淡水プランクトンもたくさんみつかります。このように壁の汚れた容器がゾエア幼生の生息には好環境なのです。
 このような容器を準備する一方で,孵化間近の抱卵雌を別の水槽に入れておき,晩8時頃から懐中電灯を抱えて孵化の時を待ちます。孵化が終わったらすぐに母エビを別の水槽に移し,孵化したゾエア幼生を1匹ずつ小さなネットですくい上げて"壁の汚れた"容器に移します。容器の水換えを毎日行い,同時にゾエア幼生の脱皮殻の有無をチェックしました。

V-8. 産卵と孵化

 春の繁殖期(5月中旬~6月下旬)に,広い湖や沼や川の深場で生活していた雄も雌も岸辺の浅瀬や細流へと集まってきます。これらの場所にはヨシ,ガマ,マコモなどの抽水植物が繁茂し,ヒシ,ヒルムシロ,ヒツジグサなどの浮葉植物,クロモやエビモなどの沈水植物も生えています。
 このような場所はエビが身を隠して脱皮を行うのに都合がよく,また,水がよどんでいるので,産卵脱皮直後に雌から出される性フェロモンが流失しにくく,雄が交尾可能な雌を探し出すのに都合がよいのです。
 基本的にスジエビは夜行性で,視覚よりも嗅覚の方が情報収集に重要な役割を果たしています。入り組んだ水生植物の陰に隠れている雌であっても雄はその匂いで探し当てます。
 雌は産卵脱皮の直後に雄と交尾します。産卵は交尾後1~2日目(脱皮段階B)の夜間に行われます。産卵孔から出された卵は精包の上を通る間に受精し,雌の第1腹脚の内肢にある輸卵剛毛によって運ばれて孵卵室へ収納されます。
 産卵脱皮をした雌は交尾の有無にかかわらず産卵しますが,雄と未交尾の場合には,未受精卵は産み付けられてまもなく腹脚から脱落してしまいます。
 雌が未受精卵と認識して腹脚から取り外してしまうのか?あるいは,受精したときだけ卵から特別な物質が出されて担卵毛への粘着が強固になるのか?分かりません。
 1回に何個くらいの卵を産むのでしょうか。産卵数にはかなりの個体差があります。甲長15 mm以下の小さな雌では100~150卵,甲長17 mm以上の大型雌では180~250卵程度の数です。
 小形の雌は前年に孵化,成長し,初めての産卵を行った個体と思われます。一方,大形の雌は前年にも産卵を行い,冬の休眠期間を経て2回目の産卵を行った個体と思われます。大形雌は小形雌よりも早く繁殖に入り,抱卵します。栄養に富む広い湖に住むエビでは,ごく希ですが秋期に抱卵している大形雌が捕獲されることがあります。もしかしたら,年2回繁殖する個体もいるのかもしれません。
 卵のサイズはテナガエビ科のエビのなかでは比較的大型です(卵径1.0~1.2 mm)。卵のサイズ,産卵数,幼生期の長さは,そのエビの種族が海水から淡水へと生息域を広げてきた歴史と密接に関連していますが,その話は後で紹介します(V-9-5)。
 約40日間の抱卵期間を経てゾエア幼生はいっせいに孵化します。幼生を孵化させるとき,母エビは腹部を水底から上に向かって持ち上げ,腹脚を激しく揺り動かします。この刺激でゾエア幼生は卵殻を破って次々に泳ぎ出します(図V-25)。
 孵化は日没後のかなり限定された時間帯(午後8時~11時)に行われます。野外での孵化は浅瀬の水生植物が繁茂している場所で行われますので,ゾエア幼生は川の下流へ運び去られることなく,天敵からも身を隠して幼生期を過ごすことができます。
 この頃,晩に水辺をサーチライトで照らすと,無数のゾエア幼生(甲長1.0~1.3 mm)が水面に集まってきます。幼生には正の走光性(光に向かって進む性質)があるのです。幼生は8月中旬頃には甲長5~7 mmの未成熟個体にまで成長します。
図V-25

 図V-25 母エビのゾエア幼生放出姿勢。

V-7. 第1触角は性フェロモン受容器か

 スジエビの交尾行動や胸板腺のことを調べながら,私は考えていました。「カイコガでは雄が性的二型を示すほど立派な触角を持っており,これが雌から出される性フェロモンの受容に役立っている。ならば,スジエビの雄でも第1触角が発達していてもよいのではないか」と。
 そこで,化学受容器になっている第1触角外鞭の内分枝(III-1-4-1,2月6日の記事を参照)を観察してみましたが,特に雄で発達しているようでもありません。
 しかし,「発達している」,「発達していない」のどちらと結論するにしても,科学的根拠がなければいけません。半信半疑ながら,内分枝の長さとその上に生えている感覚毛の数を実際に計測し,雌雄間で比較してみました。
 その前に,内分枝の構造を簡単に紹介します。
 内分枝は短い節が連結した形になっており,各節の腹面には感覚毛が横1列に並んでいます。感覚毛列は1節当たり2列あります(図V-21)。
 成熟雄(甲長12~13 mm)では横1列の感覚毛数は6~7本(図A),同じサイズの雌では4~5本です(図B)。
 個々の感覚毛の形は短剣状で,長さは約400μです(図C)。感覚毛は神経支配を受けており,その基部の表皮下には感覚細胞の塊がみられます(図V-22A, B)。
図V-21
 図V-21(左図) 第1触角の外鞭内分枝の腹面に生えている感覚毛列。A:成熟雄,B:Aと同サイズの雌,C:感覚毛の拡大模式図。
図V-22

 図V-22(右図) 第1触角の外鞭内分枝の横断面(A)と縦断面(B)。矢印は感覚細胞の塊。ヘマトキシリン・エオシン染色。

 まずは,いろいろなサイズの雄と雌で内分枝の長さを測定しました。
 当然のことながら,体の大きい個体は長い内分枝をもっていますので,サイズの異なる個体間で内分枝の発達度合いを比較するために,内分枝の長さを甲長に対する割合(相対長=内分枝(mm)÷甲長(mm)×100)として表しました(図V-23)。
図V-23
 図V-23(左図) 第1触角外鞭内分枝の長さ(甲長に対する相対長)にみられる雌雄差。黒丸:雄,白丸:雌。各点(平均値)の上の縦線は標準偏差。
図V-24
 図V-24(右図) 第1触角外鞭内分枝に生えている感覚毛の数の雌雄差。他の説明については図V-23を参照。

 内分枝の相対長は甲長7 mm未満の個体では雌雄間の差を示しませんでしたが,甲長7~9 mmの個体では雄の相対長が雌の相対長を上回る傾向を示しました。この時期は雄が性成熟に達するときでもあります。
 その後,雄の相対長は急激に増加し,最大サイズの個体(甲長13~14 mm)では内分枝の長さが甲長の55%にも達しました。
 一方,雌では,そのサイズ,性成熟度にかかわらず,内分枝の長さは甲長の30~35%と,ほぼ一定していました。
 次ぎに,内分枝の腹面に生えている感覚毛の数を調べてみました(図V-24)。
 雌雄どちらにおいても,成長に伴って感覚毛の数が増加しましたが,その増加率は雄の方が著しく,甲長13~14 mmの雄における感覚毛の平均数(432本)は同じサイズの雌における平均数(170本)の2.5倍にも達しました。
 このように,内分枝が雄でのみ性成熟にともなって急激に発達するということは,この化学受容器がカイコガの場合と同様に雌から出される性フェロモンの受容器官として役立っているということを強く示唆しています。
 端脚目のGammarus dueberi(ヨコエビの1種)では,大触角にある化学受容器官に雄だけがもつ特殊な構造があり,それが性フェロモンの受容に役立っているという報告例もあります(Dahl, et al., 1970)。
 それでは,成熟雄スジエビの第1触角外鞭から内分枝を切り取ったら,その雄は産卵脱皮直後の雌に対してどんな反応を示すのでしょうか。残念ながら,その当時の私はこの実験を行っていません(気付かなかった!)。比較的簡単な実験ですから,ぜひ,読者のみなさんが調べてみてください。
 また,感覚毛の基部にある感覚細胞に電極を刺して電気信号(受容器電位)を調べれば,性フェロモンを感知しているのか,餌を感知しているのかを区別できるかもしれません。もちろん,特別な装置を持っている研究室でないと実施できない実験ですが・・・。
 という訳で,性フェロモン受容に関する研究も,またまた入口までで終わってしまいました。


V-6-4. 産卵脱皮後の水に対する雄の反応

 スジエビの雄は本当に産卵脱皮直後の雌から出される匂い(性フェロモン)に基づいて交尾相手をみつけているのでしょうか。繁殖期に,色々な条件下の雌に対する雄の交尾行動を実験的に調べてみました。1回の実験に成熟雄5匹を用いて10回実験を繰り返し,合計50匹の雄の反応を観察しました(図V-20)。
 5匹の雄が入っている小さな容器に脱皮間期(脱皮段階C)の雌を入れてみると,雄はまったく交尾行動を示しませんでした(実験A)。
 脱皮前期(脱皮段階D)の雌を入れた場合にも雄はまったく無反応でした(実験B)。
 次ぎに,通常脱皮直後(脱皮段階A)の雌を入れてみると,雄の約30%が雌の探索行動をとり,20%強が雌へ馬乗りになりました。しかし,十字形交尾姿勢をとった雄は1匹もいませんでした(実験C)。
 もちろん,産卵脱皮直後の雌が入っている容器へ雄を入れた場合には90%以上の雄が十字形交尾を行いました(実験D)。
 産卵脱皮直前の雌を小さな容器(約0.8リットル)に入れておき,脱皮後15分目に雌を取り出し,そこ(産卵脱皮水)へ5匹の雄と脱皮間期(脱皮段階C)の雌を入れてみました。約80%の雄が雌の探索行動をとりましたが,雌への馬乗り行動を示した雄はありませんでした(実験E)。
 産卵脱皮水へ雄と脱皮前期(脱皮段階D)の雌を入れた場合も同じ結果でした(実験F)。つまり,雄たちはどこか近くに産卵脱皮した雌がいるということを認識しており(性フェロモンを感知しており),かつ,目の前にいる雌が交尾可能な雌ではないということも認識しているようです。
 最後に,産卵脱皮水へ通常脱皮直後の雌と雄を入れてみました。すると,雌の探索行動に引き続いて60%以上の雄が雌へ馬乗りになりました。しかし,十字形交尾姿勢を示した雄は10%に満たない割合でした(実験G)。雌が柔らかい殻をもっているということは雄の交尾行動を刺激しますが,交尾を完了させるのには何かが足りないようです。
 普通,脱皮したばかりの個体は他の個体との接触を嫌がり,フラッピングによる退避行動をとります。しかし,産卵脱皮直後の雌は雄に対してあまり退避行動をとりません。産卵脱皮した雌と雄の間に私の知らない求愛儀式があるのか,雌の成熟卵巣から出る性ホルモンが雌に雄を許容する行動をとらせるのか,分かりません。
 透明なガラス瓶の中に産卵脱皮直後の雌を入れて,雄のいる水槽へ沈めても,もちろん,雄たちはその雌にまったく興味を示しません。交尾可能な雌の発見が視覚刺激によるものでないことは確かです。
 さらにいくつかの実験を試みました。失敗に終わりましたが,それも紹介しましょう。産卵脱皮直後の雌の胸板に瞬間接着剤を塗って胸板腺からの分泌を抑えたら雄の交尾反応も抑えられるかと思いましたが,失敗でした。7ヶ所に分かれている胸板腺すべてにうまく蓋をできなかったのか,脱皮と同時に放出された分泌物が雌の体のあちこちに付着していたのか,分かりません。
 次ぎに,胸板腺のすりつぶし液を雄の入っている水槽に滴下してその反応を観察してみました。確かに雄は探索反応を示しましたが,雄だけではなく,いっしょに入れておいた雌も同じ反応をしました。また,筋肉のすりつぶし液(対照実験)に対しても雄も雌も探索行動を示しました。餌に対する探索行動と交尾可能雌を探索する行動をまったく区別できないのです。
 結局,分泌物を純化したうえで雄と雌の反応を比較しないと結論が出ないと分かりました。もし純化した性フェロモンであれば,雄のみが探索行動を示すと思われるのですが・・・。
図V-20
 図V-20 いろいろな条件下の雌に対する雄の交尾行動


 これまでの観察,実験を総合してみると,産卵脱皮直後に雌から性フェロモンが放出されており,それは胸板腺から分泌されている可能性が高いと結論づけられます。そこで,ここまでの研究結果を論文として発表しました。
 それからほぼ1年後,ドイツのマックス・プランク研究所の研究者から手紙をもらいました。そう。カイコガから性フェロモンを単離し,化学構造を決定したButenandtとKarlsonがいた,あの研究所です(「関連事項IV-4」,4月2日の記事,「関連事項V-2」,前回の記事,を参照)。
 「スジエビの性フェロモン候補(胸板腺分泌物)の純化を共同研究で行わないか」という誘いの手紙でした。私が材料(分泌物の蓄積されている胸板腺)を送れば,向こうの研究室で純化の作業を進める。そして,純化された試料を送り返してもらって,私が生物検定を行ってフェロモン活性を調べるという案でした。
 しかし,その手紙を読んだとき,すでに私はスジエビ研究の継続を断念し,就職の話を承諾していました。賽(さい)はもう投げられていたのです。すぐに事情説明と共同研究辞退の手紙を書きました。
 そして,いま現在でもなお胸板腺の分泌物を純化する研究は行われておらず,それが性フェロモンであるかどうかの最終結論も棚上げにされたままなのです。また,イソスジエビ,スジエビモドキなどの近縁種に胸板腺と類似の外分泌腺が存在しているかどうかも不明のままです。

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