スジエビの不思議

私の知っているスジエビの紹介を終えました。第2部「生き物雑記帳,時々脱線」を始めました。

 ある植物のことを調べようと思って関連の本をめくっていたら,押し葉にした四つ葉のクローバーが出てきました。いつか野原でみつけ,栞(しおり)代わりに挟んでおいたものです。これをきっかけにして,クローバーについて書いてみようと思いました。普通に見られるクローバーには,シロツメクサ(ホワイトクローバー)とムラサキツメクサ(アカツメクサ=レッドクローバー)の2種がありますが,今日はまずシロツメクサについてお話します。
 シロツメクサは,被子植物門・双子葉植物綱・マメ目・マメ科・シャジクソウ属に分類され,学名を Trifolium repensといいます。属名「Trifolium」の「Tri-」は「3つの」,「-folium」は「葉」を意味します。すなわち,シロツメクサの葉は3つの小葉からなる複葉です。種小名「repens」は,ラテン語で「匍匐(ほふく)する」(腹這いになって手足で進む)という意味です。この植物の茎が地面を這(は)うようにして長く伸びる(専門用語で,匍匐茎という)特徴をもつことから生まれた種小名です。また,和名「シロツメクサ(漢字では白詰草)」は,1846年(弘化3年)にオランダから献上されたギヤマン(ガラス製品)の梱包(こんぽう)に緩衝材として詰められていた草だったことと,白い花を咲かせることに由来しています。
 シロツメクサはヨーロッパ原産の多年草です。江戸時代の渡来後も,牧草(家畜の餌)や芝生用に輸入され,それが野生化しました。現在では,道路脇,公園,田の畦,荒れ地などでごく普通に見られます。長く伸びた茎の各節から地面に根を下ろして,勢力を拡大して行きます。葉は互生し,3つの小葉は6~10cmの葉柄で茎につながっています。葉の表面には,しばしば白みがかった半月状の模様が現れます。白い花は葉柄より少し長い花茎の先につき,花期は春から秋です。根に根粒菌を共生させ,その働きによって空中窒素を固定することができるので,栄養分の少ない荒れ地でも繁茂します。繁殖力の強い,やっかいな雑草であるとともに,荒れ地を緑に変え,他の生物たちの命を育む貴重な緑化植物でもあります。
シロツメクサ

 図:田んぼの畦に繁茂するシロツメクサ。

 セント・パトリックはアイルランドにキリスト教を広めた聖人です。彼はキリスト教の「三位一体(さんみいったい):(神とキリストと精霊は一体のもの)」という教えを説くに当たって,三つ葉のクローバーを例えにしていました。そして,聖書の最も高い徳性とされている信仰(信頼,誠実という説もあり),希望,愛情を説く時にも三つ葉のクローバーが例えにされました。アイルランドでは,彼の命日(3月17日)が国の祭日になっています。セント・パトリック・デーは世界各地で催され,日本でも横浜や熊本など各地で祝われています。この祭日では,聖人に因んで三つ葉のクローバーや緑色がモチーフに使われています。
 ところが,クローバーにはごく希に四つ葉のものが見つかることがあります。そこで,信仰,希望,愛情に加えて,四番目の葉は,幸運・幸福の象徴とされるようになりました。そして,ヨーロッパには四つ葉のクローバーに関する伝説が生まれました。
 昔,ある戦場で騎士が傷ついて気を失いました。夜明けの冷たい空気でふと目覚めると,いつの間にか傷跡には包帯がされていて,傷はすっかり収まっていました。そればかりではありません。目の前には女神かとも見紛(みまご)うばかりの美しい乙女が,やさしい眼差しで見守っていました。騎士は娘に対してただ無言で感謝の微笑みを返していましたが,そのうち,何か贈り物で自分の気持ちを表したいと思うようになりました。しかし,何せ荒れ果てた戦場のこと,何もあろうはずがありません。そこでやむなく,自分が寝ていた緑の草の中で,ちょうど心臓の真下に当たっていた小さな草の一本(ひともと)を摘み取り,涙ながらにそれを娘に差し出しました。その一本の草こそ,偶然にも四つ葉のクローバーだったのです。
 この物語に由来するかどうか定かではありませんが,西洋では贈り物の包装紙などにしばしば四つ葉のクローバーが描かれています。 (出典:「植物と神話」,近藤米吉・編著,雪華社)
四つ葉クローバー

 図:四つ葉のクローバー(スキャナー押し葉標本)。

 四つ葉のクローバーの出現頻度は1~10万本に1本といわれています。どのような理由で四つ葉になるのでしょうか。それは,「三つ葉の基になる小さな芽(原基)が事故に遭ったからぁ~」。この原基が人や車に踏まれたり,草刈り機などに当たって傷つくと,本来3つに分かれて三つ葉になるはずの原基が,4つに分かれて四つ葉になってしまいます。したがって,四つ葉のクローバーは事故に遭いやすい場所(道端など)を探すと見つかりやすいということになります(テレビ人気番組「チコちゃんに叱られる!」(2019年6月22日放映)からの受け売りです)。
 四つ葉の原因には,上に述べた外的要因もありますが,遺伝的要因もあります。北海道新聞(2008年6月8日)によると,岩手県花巻市の小原繁男さんは,自然交配でクローバーの葉の数を増やすことに取り組んでおり,このほど21葉のクローバーを育てることに成功したとのことです。自分の持つギネス記録(18葉)の更新です。
21葉クローバー

 図:21葉のクローバー,ギネス記録更新だ。

 四つ葉のクローバーの出現頻度がかなり低いことから考えて,葉の枚数に関わる遺伝子は劣性の遺伝子だと思われますが,それ以上のことは分かりません。
 ついでながら,遺伝の「優性・劣性」という表現を「顕性(けんせい)・潜性(せんせい)」に改めようという提言が,最近,日本学術会議から出されました。私もこの提案に賛成です。詳しくは,下の北海道新聞記事(2019年7月10日)をご覧下さい。
遺伝用語改案

 図:日本学術会議,遺伝用語の呼び替え提言。


 前回のブログでヤマボウシを紹介しました。その記事を書いている時から,次回はハンカチノキを紹介しようと決めていました。この木はヤマボウシと同じミズキ目・ミズキ科に分類される珍しい木です。
 この木の花を私が初めて見たのは2015年5月24日のことで,場所は北大植物園です。この日は,札幌ドームでプロ野球(日ハム vs ソフトバンク)を観戦,応援する予定でした。前の年(2014年)に日ハムへ入団し,この年1軍登録となり,初登板で初勝利という期待の新人・有原航平投手を見たかったのです。午後からの試合まで時間があるので,午前中は北大植物園を見物することにしました。園内をゆっくり見物し,南ローンへ回りました。満開のシャクナゲ大木も見事でしたが,それよりも私の目を惹いたのは,すぐ隣にある木でした。こちらもちょうど満開で,無数の白いハンカチを枝に吊したような不思議な木でした。すぐに植物園のパンフレットを開き,その種名が「ハンカチノキ」であることを知って,「なるほど」と納得しました。以下に,後で調べたこの木に関する知識も織り交ぜながら紹介を進めたいと思います。
満開のハンカチノキ

 図:満開のハンカチノキ。

 和名「ハンカチノキ」は,その名の通り,花がハンカチのように見えることに由来しています。その印象は誰でもいっしょのようで,英名も「Handkerchief tree(ハンカチの木)」といいます。白い鳩がたくさん留まっているようにも見え,「Dove tree(ハトの木)」とも呼ばれます。また,「Ghost tree(幽霊の木)」という呼び名もあり,いずれも納得の命名です。
 ハンカチのように見える部分は,実は総苞片です。総苞片については,前回のブログ記事で紹介した通りです。ヤマボウシの総苞片は4枚ですが,ハンカチノキの総苞片は2枚で,しかも大きく垂れ下がっています。本当の花は中央のぼんぼり状の部分で,小さな花がたくさん集まったものであることは,ヤマボウシの場合と同じです。
ハンカチノキの花(拡大)
ハンカチノキの小枝

 上図:ハンカチノキの花(拡大)。中央部の黒いゴマ粒状のものは雄しべ。下図:ハンカチノキの小枝。白いハトが留まっているように見える。

 ハンカチノキは,中国の湖北西部,四川省,貴州省,雲南省の標高2000m級の山岳地帯に分布する珍しい木です。日本へは1952年に米国から苗木で輸入され,1990年頃から中国経由で苗木や種が大量に輸入されるようになり,日本各地に広まりました。北大植物園へは,2001年に寄贈され,2008年頃から花をつけるようになったとのことです。
 ハンカチノキの開花を見てから3年目の去年(2018年7月24日),再び北大植物園を訪問しました。この年の札幌ドライブ旅行の目的は,プロ野球観戦以外に,劇団四季の観劇,札幌City Jazz 2018,北海道博物館(松浦武四郎特別展),北海道近代美術館(葛飾北斎富嶽三十六景全作品展),札幌大通りビアガーデンなど,天こ盛りでした。その忙しいスケジュールの合間を縫っての植物園訪問でした。前回より2ヶ月遅いので,ハンカチノキの結実を見ることができるかも知れません。予想は的中でした。約4cmほどの丸い果実が枝にコロコロぶら下がっていました。秋になると紫褐色に熟した堅果になるらしいのですが,そちらはまだ見ていません。
ハンカチノキの実

 図:ハンカチノキの果実。

 ハンカチノキは,被子植物門・双子葉植物綱・バラ亜綱・ミズキ目・ミズキ科・ハンカチノキ属に分類され,学名をDavidia involucrata Baillon, 1871といいます。
 「ハンカチノキ」を検索してウィキペディア日本語版に出てきた学名の下に,この種を記載したBaillonの名前がありました。そこをクリックしたら,Louis Antoine Francois Baillon (1778-1855)と出てきました。この人物は,ハンカチノキが記載された1871年にはすでに亡くなっています。フランスの博物学者で,主に鳥類の研究をしていたようなので,ハンカチノキを記載したBaillonとは明らかに別人のようです。
 さらに調査を進めた結果,ハンカチノキを記載したのは,同名の別人Henri Ernest Baillon(アンリ・エルンスト・バイヨン,1827-1895)と分かりました。彼はフランスの植物学者で,フランス植物学会の設立(1854年)に参画し,植物学事典も出版しています。1871年にハンカチノキを新種記載した際,彼はこの木の発見者であるArmand Davidに因んで,属名を「Davidia」と命名しました。以下に,ハンカチノキ発見の秘史を紹介したいと思います。

 この頃,欧州にプラントハンターという職業がありました。有用植物(薬,香料,食料,繊維などに利用)や珍しい観賞植物を求めて世界中を探索し,本国へ送るという仕事です。ハンカチノキという珍木を巡っても,フランスとイギリスで獲得競争がありました。
 Armand David(アルマン・ダヴィッド,1826-1900)は,フランスの宣教師・博物学者で,1862年に司祭として中国に派遣されました。彼はカトリック教の布教のかたわら,動植物や鉱物の標本を集めて本国へ送っていました。動植物のみならず鉱物のハンターでもあったのです。彼は,西洋人として初めてジャイアントパンダの存在を確認し,その毛皮をパリ自然史博物館へ送ったことでも有名です。1869年,彼は四川省でハンカチノキを発見し,標本をフランスへ送りました。これを用いて,H, E. Baillonが新種の記載をしたのです。
 また,パリ自然史博物館のAdrien Franchetから命を受けたPaul Guillaume Farges(ポール・ギヨーム・ファルジュ,1844-1912)も中国に渡ってハンカチノキを探しました。彼もまた,宣教師と植物収集家という二足のわらじを履いていたのです。彼は1896年にハンカチノキの種を採取し,本国のFranchetとMaurice de Vilmorinに提供しました。Vilmorinはこの種から苗木を育て,枝を切って増やし,それがフランス各地に広められました。ハンカチノキは1906年に初めて開花し,その後各地で開花が相次ぎました。
 一方,イギリスはフランスに一歩遅れをとってしまいました。Veitch(ヴィーチ)商会(プラントハンターを世界各地に派遣して植物収集の商売をしていた)の経営者James Herbert Veitch(ジェームズ・ハーバート・ヴィーチ,1868-1907)とその伯父Harry Veitch(チェルシー栽培園の経営者,後にヴィーチ商会を引き継いだ)がE. H. Wilsonに連絡をとり,ハンカチノキを採取する目的で彼を中国へ派遣したのは1899年のことでした。
 Ernest Henry Wilson(アーネスト・ヘンリー・ウィルソン,1876-1930)は,バーミンガム植物園やキュー王立植物園に勤務して植物学の深い知識を持っていました。彼はVeitch商会の要請を受けて中国に赴きました。その時,彼はフランスのFargesが3年前にハンカチノキの種子の採取に成功していたことをまだ知りませんでした。Wilsonは,アイルランドの園芸家Augustine Henryが雲南省でハンカチノキを見たとの情報を得て,その場所へ行きましたが,Henryの見た木は既に伐採されてしまっていました。Wilsonはその後各地を探索し,雲南省から遠く離れた湖北省・宣昌市で1900年にやっとハンカチノキの種子を採取することができました。Wilsonから種子を送られたHarry Veitchはそれをもとに13,000余の苗木を育て,それらはイギリスやアメリカの各地に運ばれました。イギリスへ帰国したWilsonは,1903年にも再度中国四川省へ派遣され,この時にもハンカチノキの種子を採取しています。
 これらの人々の努力によってヨーロッパへ移入され,アメリカへも広められたハンカチノキですが,その後,いくつかの変異種があることが報告され,いまでもそのルーツを巡って研究が進められています。

 参考文献:Julian Sutton (2019), 'Davidia involucrata' from the website Trees and Shrubs Online, 2019-07-17.


 前回,山の恵みのサルナシ(コクワ)を紹介しました。そのブログ記事を書きながら,子供の頃,ヤマボウシの実を食べたことを思い出しました。ヤマボウシは私の郷里の青森県八戸市近辺には自生していません(と記憶しています)。しかし,庭木としては植えられていました。
 この木を家に持つ遊び仲間がいて,秋になったら,「そろそろ熟した実が落ち始めたから,食べに来いよ」と誘われました。その木はかなりの喬木(高木)で,赤い実が鈴生りでした。二人で梯子を掛けて木に登り,腹一杯食べました。果肉は黄色で,酸味はあまりなく,おとなしい甘さで,シャリシャリした口触りでした。食べきれない分はもらって帰り,母にジャムを作ってもらいました。今は懐かしい思い出です。
 北海道にもこの木は自生していません。しかし,植物園,街路樹,個人宅の庭木として,あちこちで見かけます。思いの外寒さに強い木で,自生していないのが不思議なくらいです。私の散歩道の途中の家にも小さなヤマボウシの木があり,毎年その純白な花,赤い実,紅葉を楽しませてもらっています。今日は,その木の写真を添えながら,ヤマボウシの紹介をしてみたいと思います。

 ヤマボウシは,被子植物門・双子葉植物綱・ミズキ目・ミズキ科・ミズキ属(Cornus)・ヤマボウシ亜属(Benthamidia)に分類され,学名をBenthamidia japonicaといいます。学名はCornus kousaと表記されることもあります。
 本州以南の日本,朝鮮半島,中国に分布し,山地で普通に見られます。高さが10mにも達する落葉高木で,公園樹,庭園樹,街路樹として利用されています。白い花が満開になると,遠目には,まるで雪が降り積もったように見えます。
満開のヤマボウシ

 図:白い花を満開に咲かせたヤマボウシ(6月12日撮影)。

 「白い花」と紹介してきましたが,4枚の白い花弁(花びら)のように見えるのは,実は総苞片(そうぼうへん)です。苞(ほう:苞葉ともいう)は,蕾全体を包んで保護する役割をもち,葉が変形したものです。ヤマボウシの本当の花は,中央の丸いぼんぼりの部分で,約20個の小さな花が集まった集合花(頭状花)です。集合花全体を支える苞のことを総苞(そうぼう)といい,その1枚1枚を総苞片といいます。ヤマボウシの場合にはそれが4枚あって大きく,花びらのように見えるのです。
 一方,頭状花を形成する個花のそれぞれにも4枚の小さな花びら,4本の雄しべ,そして1本の雌しべが備わっていますが,よく注意して見ないと,ほとんど分かりません。
ヤマボウシの花(拡大)

 図:ヤマボウシの花の拡大写真(6月19日撮影)。

 和名「ヤマボウシ(山法師)」の由来は,比叡山延暦寺の僧兵「山法師」に由来しています。白い五條袈裟で顔と頭をすっぽり包み,目と鼻だけを出したその姿が,ヤマボウシの花に似ているからです。白い袈裟が総苞片を,その中央に開いた目・鼻の部分が頭状花を連想させます。
山法師(僧兵)

 図:山法師(僧兵)(引用:https://costume.iz2.or.jp/costume/513.html)。

 5月下旬,伸び始めた十字状の総苞片はまだ小さく,黄緑色をしています。それが2~3週間すると大きく広がって,輝くばかりの純白に変化します。そして,7月に入ると,総苞片の色は次第にピンク色に変化してゆきます。その後1週間ほどの間に総苞片は先端から枯れて落下しはじめます。総苞片がすべて散って,緑色に戻った木をよく見ると,もう小さな固い果実が形成されていまてす。そして,8月に果実は次第に大きくなり,9月に入ると熟して桃赤色に変わります。熟した実が小鳥たちに食べられ,落下してしまった後,葉は次第に紅葉し,美しい唐紅(からくれない)色に変化します。もちろん,紅葉の度合いはその年の天候に左右されますが,2018年は特に美しく紅葉しました。
黄緑色のヤマボウシ
ピンク色のヤマボウシ
固く小さな果実
桃赤色の果実
ヤマボウシの紅葉

 図:上から順に,淡い黄緑色でまだ小さい総苞片(5月29日撮影),ピンク色に変化しはじめた総苞片(7月3日撮影),固く小さな実(7月12日撮影),桃赤色に熟した実(9月7日撮影),紅葉した葉(10月27日撮影)。

 このように,ヤマボウシは花も果実も紅葉も楽しめる庭木なのですが,我が家の庭に植えるのは躊躇(ちゅうちょ)しています。
 家を新築したときに,ヤマボウシと同じ仲間のミズキを庭に植えたことがあります。この木を植えると家が火災に遭わないという縁起話を聞いてのことでした。白い小さな花をこんもりと咲かせ(散房花序),黒紫色の実にはヒヨドリなどが飛来し,楽しませてもらいました。しかし,次第に大きくなり,世話が大変になりました。秋に思い切って枝を剪定したら,翌春の芽吹きの時に枝の切り口から水が流れ出し,木全体が雨に濡れたようになりました。根から水を吸い上げる力が強く,これがミズキの名の由来なのかと納得しました。結局,持て余して,木を根元から切り倒してしまいました。
 ヤマボウシも高木なので,狭い我が家の庭に植えたら,ミズキと同じ轍(てつ)を踏むことになりそうです。上に紹介したヤマボウシを植えている家の人に声をかけ,熟した実をつまみ食いすることも許してもらっているので,それでよいことにしようかと思っています。

 昔書いた生物の図を探そうと思って古いスケッチブックをめくっていたら,サルナシ(北海道ではコクワと呼びます)のスケッチが出てきました。そこに書き込まれている日付(1972年10月10日)を見て思い出しました。この年の春,私は妻と結婚しました。その秋,「体育の日」に妻といっしょに札幌近郊の春香山へ登山をしました。ちょうど紅葉の真っ盛りで,木々は赤や黄色に彩られ,美しい風景でした。その時,コクワの実を見つけて採取しました。ちょうど熟して甘酸っぱい味に,初めて食べたという妻は大喜びでした。記念にと,コクワの小枝をザックに入れて持ち帰り,その晩書いたのが,このスケッチです。
サルナシの実 01

 図:サルナシの実のスケッチ。

 妻は「コクワの実を食べるのは初めて」と言っていましたが,私は子供の頃からいつも食べていました。秋の山遊びでは,コクワの実はアケビの実や山ブドウの実とともに,お目当ての果実だったのです。もちろん,いつも携えている袋に収穫物を詰めて家へ持ち帰り,家族のみんなへもお裾分けしました。生食だけではなく,コクワや山ブドウはジャムにもなりました。中味を食べた後のアケビの皮は,中に挽肉を詰めた油炒めにもなりました。
 ある時,山でどっさり実のなったコクワの蔓を見つけ,ここぞとばかりに鱈腹(たらふく)食べました。そうしたら,唇や口の中が痛痒(いたがゆ)くなってしまい,後でウンチをした時には肛門まで痒くなってしまいました。大人になってから知ったことですが,この痒みの原因は,果実に含まれるシュウ酸やクエン酸の刺激,そして,タンパク分解酵素アクチニジン(この名前はサルナシの属名「Actinidia」に由来)の作用なのだそうです。
 今,私が気に入っている丘の散歩道の林にもコクワの蔓があります。毎年,時期になったらその実を採取してきて,昔を懐かしみながら食べています。ほんの10~20粒というお口汚し程度のものですが,欲張って自然を荒らしてはいけません。高い枝にある実は野鳥たちの取り分です。
サルナシの実 02
サルナシの実 03

 上図:サルナシの実がついた小枝。下図:採取して家へ持ち帰ったサルナシの果実。

 サルナシは,被子植物門・双子葉植物綱・ツバキ目・マタタビ科・マタタビ属に分類され,学名を Actinidia argutaといいます。和名の「サルナシ」は漢字で「猿梨」と書き,「サルが食べるナシ(果実)」という意味です。猿のことを「ましら」とも言い,猿口蔓(ましらくちづる)が転訛して,シラクチヅルとも呼ばれています。平安時代の辞書「和名抄」には「之良久知(しらくち)」と紹介されており,この頃からサルナシ,シラクチヅルと呼ばれていたようです。和名抄には「別名を古久波(こくわ)ともいう」との記述もあり,北海道での呼称「コクワ」の語源はここにあるのかも知れません。
 雌雄異株の蔓植物で,春~夏に,5枚の花弁をもつ小さな白い花を咲かせます。雌花の中央にある雌しべの柱頭は糸状に枝分かれしており,まるでサンゴ虫の触手のようです。雄花には,黒い花粉袋を先端にもつ多数の雄しべがあります。白い花が咲いていても,雄株には当然ながら果実は実りません。両性花(雌しべと雄しべの両方をもつ花)をつけることもあります。
サルナシの両性花

 図:サルナシの両性花。

 日本全土の他,朝鮮,中国大陸に分布しています。本州中部以南の温暖地では標高の高い山に生えていますが,北海道では平地の林にも自生しています。
 市販されている果実「キウィフルーツ」は,中国~台湾原産ののオニマタタビ(シナサルナシ)がニュージーランドで品種改良されたものです。キウィフルーツとサルナシは同じマタタビ属の近縁種で,確かに両種はそっくりの味をしています。


 2018年8月11日,この日も丘の道を散歩しました。一昨日は台風13号の影響で豪雨でした。その影響が少し残っていて,道端の草むらにはまだ湿気が漂っていました。「今日は新しくできた国民の祝日『山の日』だ。そういえば,もうしばらく登山をしていない。玄関の靴箱には我々夫婦の登山靴がまだ入ったままだ。もうこの歳だし,登山靴は履かないだろう。帰宅したら箱に入れて納戸へ収納しよう」。そんなことを考えながら歩いていました。そんな流れで,足元の靴に目を移したのが幸いでした。それまでは,道路脇のノラニンジン,アメリカオニアザミ,それを訪れているチョウ,ハチ,カメムシなどばかり見ていたのです。
 道の少し先に,黒く小さな虫を見つけました。腰を落としてよく見ると,それはエゾマイマイを捕食しているマイマイカブリの幼虫でした。いえ,正確に言えば,エゾマイマイカブリの幼虫です。マイマイカブリは西日本に分布し,北海道の種はエゾマイマイカブリです。さらに言えば,マイマイカブリ属はオサムシ科に含まれ,オサムシの幼虫とマイマイカブリの幼虫を識別するのは難しいのです。自信はありませんが,ここではエゾマイマイカブリの幼虫ということにさせてください。
エゾマイマイカブリの幼虫

 図:エゾマイマイを捕食中のエゾマイマイカブリの幼虫。

 私の長い人生で,マイマイカブリの食事風景を目撃したのは初めてです。何枚か写真を撮った後,しばらく幼虫を観察しました。道路には,小さなエゾマイマイが這った跡が白く残っていました。一昨日の雨で道路が濡れたので,草むらから出てきて,マイマイカブリの幼虫の餌食になってしまったようです。幼虫は獲物を食べるのに夢中で,マイマイの殻をグイグイ押しながら中へ潜ってゆきます。「和名はこの姿を見て名付けられのだなぁ~」と納得です。この虫の姿が「頭にマイマイを被っているように見えるからだ」というのが通説ですが,「マイマイにかぶりついて食べるからだ」という説もあります。食事は当分終わりそうもないので,静かにその場を離れました。
 エゾマイマイカブリの成虫は思いの外普通に見かけられます。我が家でも,庭の隅に積んである庭木の剪定枝の辺りから時々現れます。でも,逃げ足がとても速いので,写真撮影には成功していません(よって,成虫の写真は借り物です)。
エゾマイマイカブリの成虫

 図:エゾマイマイカブリの成虫(引用:http://gecko0912.web.fc2.com/HP3/zukan/photo/02a/ezomaimaikaburi.htm)。

 エゾマイマイカブリは,節足動物門・昆虫綱・コウチュウ目(鞘翅目)・オサムシ科・マイマイカブリ属に分類され,学名をDamaster blaptoides rugipennisといいます。基本亜種マイマイカブリ(Damaster blaptoides blaptoides)の北海道亜種です。マイマイカブリの頭胸部は細長く,すらりとしているので,近縁種のオサムシとはすぐ区別がつきます。因みに,漫画界の巨匠・手塚治虫氏は子供の頃に昆虫少年で,オサムシの美しさの虜になり,ペンネームを治虫(おさむ:漢字をそのまま読めばオサムシ)にしたという話は有名です。
 成虫の体長は30~45mmと大型です。エゾ亜種は特に美しく,頭部・胸部は金属光沢のある緑色をしています(黄緑,赤紫,紫の金属色の変異もあり)。また,腹部の前翅は,濃紺色で青みがかった金属光沢を帯びており,表面に小さなコブがたくさんあって,ザラザラしています。亜種名の「rugipennis」のうち,「-pennis」は「翅」の意味で(こちらの語源は確かです),「rugi-」の方は「ザラザラした」,あるいは「絨毯」の意味で,エゾ種の上翅のザラザラした特徴を表しているのではないかと推測しています。左右の前翅は羽化後にそのまま融合してしまい,開くことができません。さらに,後翅も糸状に退化しているため,マイマイカブリは空中を飛ぶことができません。
 長い脚で活発に走り回りますが,危険を感じると尾部からメタクリル酸を主成分とする分泌物を噴射します。この液体は刺激が強く,皮膚炎を引き起こすので危険です。
 カタツムリを見つけると,大顎でその体(軟体部)に咬みつき,消化液を注入し,溶けた体を食べます。この時,細い頭部と前胸部は殻の中に引っ込んだカタツムリを捕らえるのに役立ちます。成虫はカタツムリの他にミミズや昆虫の幼虫なども補食する肉食性ですが,木から落下した果実や樹液も餌にしています。
 冬は成虫または終齢幼虫で越冬し、朽ち木の内部や落ち葉、石の下などに隠れています。


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