September 2005

September 28, 2005

聞け、これがインターナショナルの歌だ!

16歳になる女仕立屋は、
チェルノヴィッツの治安判事の前に呼び出され、
革命を扇動したといわれるパンフレットを
配布したのはなぜなのか質された。
それが投獄の理由だった。
すると、彼女は立ち上がって、
インターナショナルの歌を歌い始めた。
治安判事が首を横に振ると、
彼女は叫んだ。
「起て!これがインターナショナルの歌だ!」
――Bertolt Brecht


Wacht auf, Verdammte dieser Erde,
die stets man noch zum Hungern zwingt!
Das Recht wie Glut im Kraterherde
nun mit Macht zum Durchbruch dringt.
Reinen Tisch macht mit dem Bedranger!
Heer der Sklaven, wache auf!
Ein nichts zu sein, tragt es nicht langer
Alles zu werden, stromt zuhauf!

Volker, hort die Signale!
Auf, zum letzten Gefecht!
Die Internationale
Erkampft das Menschenrecht




pace_r at 11:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 情報/ネタ | 情報/ネタ

September 23, 2005

管理教育と愛について

長崎の中学・高校に通う学生たちが自殺するという報道が相次いでいる。この一ヶ月の間に、5人もの犠牲者がでた。

教育改革が叫ばれ、「心の教育」を文部科学省が推進し始めてから、「学校」という制度をめぐる問題が深刻化してきているように思えてならない。戦後の教育制度を支えてきた家庭と学校と地域社会という三角形が崩壊するなかで、まるでそれを石膏で固めて保存しようとするかのように、人と人との関係を縛り上げる体制が出来上がりつつある。「心の教育」とは、地域社会と学校と家庭の、子どもたちを取巻く全てを動員しながら、縛り続けるイデオロギーなのではないか?

長崎は管理教育や競争教育を子どもに駆り立てる空気を持ち続けてきた地域だったという。長崎で教員をしている友人が、会うと必ず愚痴をこぼすのを聞く。子どもたちは過密授業で競争を駆り立てられ、道徳教育の推進は全国でも有数の県になっている。「不登校」すら許さない空気が、子どもたちの行き場のない違和感や苦しみを、抑え続けてきた。ばかばかしいほどの規律と訓育の強制が、子どもたちを追い詰めていると想像するのは、それほど困難ではないだろう。

死んだ5人の心を読み解くことは決してできない。遺書すらなく、死へと自らの身体を遺棄した子どもたちの、その葛藤や挫折を、簡単な言葉で語ることはできないだろう。だけど、今、残された私たちが出来ることは、死んだ5人の置かれた学校という場所を考え続けることなのではないかと思う。

僕の高校時代、近所の高校で、教師が学生の喫煙行為を見つけ、3階の窓から逆さ吊りにするという事件が起きた。その教師は「体罰は愛だ」と、お決まりの言葉を繰り返したという。暴力を愛と呼ぶロマンティシズムは、決して過去のものではない。

教育の場を地域社会や家庭から奪い取ることで成立した近代の学校制度は、「愛」を過剰なほどに語り続けてきた。家父長が「愛の鞭」を振るうのと同じように、教師は学生に「愛の鞭」を振るう。「先生が叱るのは私のことを思っているからにちがいない」。そこでは暴力を行使する主体の意思(教師の理想)に、暴力を被る主体(学生)が同一化する。教育が再生産するのは、強者へのルサンチマンに囚われた主体なのである。

そしてその「愛」はいつも、「愛の共同体」としての国家社会へとスライドされる。「心の教育」が「親の愛情」を「愛国心」と等置しようとすることも、そうした観点から考えてみなければいけない。

長崎の5人は、「愛」の空疎さに人よりもほんの少し自覚的だったのに過ぎないのかもしれない。死へと遺棄されたいくつもの身体のうえに織り成された学校という権力の、その網目をもう一度解いてみること。その布地に分け入って、「愛」と呼ばれた管理のイデオロギーを引き剥がすこと。そのことが今、問われている。


※ 本文では一般的に「生徒」と名指しされる子どもたちを、あえて「学生」と呼んだ。それは、かれらが自律的存在として認知される必要性があるという観点による。古い話になるが、戦後京都の学校現場では、「生徒」の自主性を尊重する名目で、高校や中学で「学生自治会」が存在していた時期がある。現在のような教員主導の「生徒会」からは考えられない時代に思える。

※ あほらしさついでに、立命館が建設している小学校のあほらしさも指摘しておきたい。来年度開学予定の立命館小学校は、百マス計算の創始者を向かえ、子どもたちの給食にはホテルから調理されたものが用意されるという。全国紙にも、立命のプロパガンダかと疑うくらいの記事で取り上げられている。経営拡大を重ねてきている立命館だが、同志社が関西の先鞭をきって小学校設置に乗り出すと聞いて、焦ったようだ。だから学校の理念も方針も、実はかなり適当。小学校問題の本質は、「教育の自律性」という「学問の自由」の構成要件を、他校との「サービスの差異化」に求めたところにあるだろう。長期的視野のない学園理事会のやりそうなことである。

金持ちの子弟しか入れない、金持ちのための小学校。これが立命館小学校の現実である。あほらしい。

by zappatista



pace_r at 23:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 情報/ネタ | 情報/ネタ

September 16, 2005

総選挙結果を見て

日曜日に行なわれた総選挙で、自民党が、公明党とあわせて議席の3分の2を取った。そして当選した8割の議員が「改憲」派だという新聞報道もある。

すごい時代に生きているものだ。「憲法を変えて戦争に行こう、と主張する議員が増えた」とか、そんな大括りで物を言いたくないけれど、これまで作られてきた法律の数々や、これから作られようとする法案の数々が、あの人たちによってなされることを想像するだけで、ため息がこぼれる。

障害者自立支援法。「社会保障制度がその利用者の「自立」を「阻害」してきた」なんて言い分を、私たちは受け入れてしまうのだろうか。「この穀つぶしが」という言葉を障がい者に向けて発する心性に、私たちの政府が後押ししようとしているように思えてならない。

イラク自衛隊派兵。小泉首相がイラク派兵を決めたことを首相官邸で語った2年前のあの日のテレビ映像を思い出す。戦後初めて日本の軍隊の名で外国に派兵することを決めた時、彼は「国民に問いたい」とは言わなかった。憲法九条との齟齬が明らかにあって、支持を集められないと思ったからだろう。最高法規の憲法も立法府である国会も無視して、内閣(行政府)の決定のみで、自衛隊員たちはイラクに連れられていった。彼らの生命の危険は、そうして生み出されたのである。(民主党は今回、「12月撤退」を主張した。このことの持つ重みに、有権者がもう少し自覚的であるべきだったと思う。)

「共謀罪」。ウワサや冗談ですら警察の取り締まり対象にしてしまう「共謀罪」。この間、各地自治体で条例化されつつある「生活安全条例」の類と、この「共謀罪」は連関する。これら法案や条例は、「普通の市民」という主体を生産しながら、そこから外れるものたちを、いつも「犯罪者」として遺棄しつづける。マイノリティが監視の下に置かれ、現場では警察が法を超越した権力を行使する。そんな社会が、刻々と生み出されようとしている。(この点では、人権擁護法案に反対する2ちゃんねらーやヲタたちに、僕は強い共感を覚える。)

沖縄基地移設問題。マスコミが選挙報道に熱心だった今月頭、防衛施設庁は来年度予算の請求を提出した。それは今年と同額、来年度も変わらず辺野古に基地を建設する意思を示している。決断が早くて信念を押し通すといわれる小泉首相が、沖縄では、アメリカの機嫌を伺い続けている。「日帝自立」論を主張するレアな左翼もいるけれど、僕は断固として、「アメリカ従属」論者だ。日本がアメリカに従属していないのなら、日米地位協定くらいすぐに改定しろと言いたい。

憲法改定。現行憲法では改憲には、衆参両院の3分の2の賛成の上に、国民投票で過半数が必要なのだそうだ。だけど日本には「国民投票」をするための法律がない。そこで今自民党が通したがっているのが、「国民投票法案」である。これまでこの法律が無かったこと自体、立法不作為だったと思う。けれど、自民党が作成している「国民投票法案」がどういうものなのか、知っている人はどれくらいいるのだろう?自民党案では、国会が国民投票を発議した後、デモや集会すらできなくなってしまう。投票日まで、有権者はテレビから垂れ流される自民党に都合のいい情報だけを受け取り、粛々と投票所に向かうことを強制されるのである。自民党案は、現行の公選法をもとに作られている。つまり現行の公選法自体が、選挙に関るデモや情報の発信という、人びとの自発的な意思表示や情報のアクセシビリティを押さえつけるものとしてあるのだ。そのことに、もっと目を向けなければならない。僕は、公選法改定と、自民党と異なる国民投票法の制定を、主張したい。

話が多岐に及びすぎた。それくらい、本当はこの選挙のなかで考えなければいけないことが多かったのだと思う。「小さな政府か大きな政府か」、「改革派か抵抗勢力か」、そんなことが私たちのくらしのなかでの願いや希望を語りうる言葉であったとは到底思えない。私たちに必要な未来に形を与えていく、そんな作業の、端くれにもなりえていないのではないかと思う。だけど、実際には小泉首相の発した言葉が、現在を変えてくれる魔法の言葉のように「取り違え」られた。そうして当選したくだらない議員たちが、我が物顔でテレビに出ているのを見ると、僕はまた、ため息をこぼしてしまう。

有事関連7法が国会を通過したのは、つい去年のことだった。いま、「政局」論議のかしましさのなかで、「国家意思」という、国家の制度的枠組みからは決して抽出できない超越的なマジックワードだけが、一人歩きを始めている。靖国問題や教科書問題における反「反日」ナショナリズムを見ればいい(何が「嫌韓流」だ、ばかばかしい)。ジェンダーフリーバッシングや外国人参政権批判を見ればいい(それらは、呆れかえるほど稚拙だけど)。「戦争反対」や「植民地支配への国家責任を」と叫ぶものは、「国家意思」に異を唱える「非国民」だとされ、「非国民」に「国家意思」が侵食されると恐怖を煽っている。あるいはまた、ナショナリズムや市場経済に批判的な言葉を手向けるものたちは頭の固いヤツだと言わんばかり。挙句は「机上の理想論や夢はいらない、現実主義的になれ」と一蹴されてしまう。だけど、ナショナリズムや市場経済こそが、いまを生きる一人ひとりの生活スタイルや意見を、たった一つの「型」に押し込んできたのではないだろうか?「現実主義」の言う「現実」とは、「支配的なルールに従え」という生き方の強制の上に成り立つ「現実」ではなかったのか?そんな生きぐるしい社会は、もういらない。

テレビでは選挙速報の合間に、ニューヨークでのテロ追悼式典の映像が流されていた。公式の式典にもかかわらず、マイクを握った遺族たちは、ブッシュへの批判を何度も繰り返していた。「テロ対策とブッシュが言い出してから、生活がますますしにくくなった。生きぐるしさを感じる」と。今からでも遅くはない。そうした生きぐるしさを出発点にしながら、いくつもの「理想」や「夢」にカタチを与えていく行動を始めようではないか。


追記:
総選挙では、最高裁判事の国民審査があった。
「従軍慰安婦」に対する国家賠償訴訟を棄却させた者、内閣法制局で盗聴法を策定した者、東京都が在日朝鮮人の雇用を取り下げた件の訴訟を棄却させた者・・・。知らないままに、信を与えたつもりのないままに、またぞろ、裁判官にとどまり続けるのだそうだ。
ふざけるな!

written by zappatista


pace_r at 02:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 情報/ネタ | 情報/ネタ

September 14, 2005

[protect UTORO]ウトロが強制執行の危機に!

宇治市伊勢田町にあるウトロ地区で、裁判所が強制執行を行なう準備を進めていることがわかりました。先月15日にはソウルと上海を結ぶ大イベントを開催し、問題の「解決」に向けて動き出したかに見えたのですが、ここにきて一転、大変な事態になろうとしています。

ウトロの問題は、その発端に日本による朝鮮半島への植民地支配問題があるとはいえ、戦後60年間も問題を放置してきた行政の不作為こそが最も重大な原因であるといえるでしょう。宇治市は居住する権利を認めず、水道も電気もガスもない状態を長年強いさせてきました。高齢を迎える多くの住民たちにとって、「追い出し」は、その生活する権利の一切が奪われることですらあります。

ウトロで起こっていることは、私たち日本社会の戦後責任なのだということを、もう一度確認せねばならないとおもいます。

以下、ウトロHPより引用です。
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ウトロに裁判所執行官来る
2005.08.30(火)   執行官、町内に公示書を張出し
2005.09.25(日)午後 ウトロにて緊急集会
2005.09.27(火)9:00 執行予定日
■ 2005.08.30/<速報>ウトロに裁判所執行官来る!(事務局:吉田)
8月15日の「イベント」も終わりホッとしていたのも緊張感のなさといわれればそのとおりなのですが、本日8月30日、ウトロ史上初めて裁判所の執行官ら20人がウトロの空き家物件1軒の取り壊しの「強制執行」準備に来ました。現所有者が8月22日に京都地裁に対し申し立てを行い、今日30日に下見および公示書の張り出しに来た模様です。
朝10時から11時まで住民との押し問答が続きましたが準備ですので穏やかにお引取り願いました。現所有者井上正美の真意はわかりませんが、軟鋼織り交ぜてウトロ住民に揺さぶりをかけているようです。
執行日は9月27日の予定ですので、対策が必要です。
■ 2005.08.31/[news] 所有者が明け渡しを求め執行手続
  /京都新聞
所有者が明け渡しを求め執行手続 宇治市ウトロ地区の土地建物1軒
在日コリアンが住む京都府宇治市伊勢田町のウトロ地区で、所有者が土地建物1軒の明け渡しを求め、京都地裁が民事執行法上の公示を行った。
執行官がこの日、建物に掲示した公示書では、現在の土地所有者が木造平屋建て1軒とその土地の明け渡しを求めた。法的にはこの日から1カ月以内に強制執行される。
ウトロ住民によると、明け渡しを求められた家屋の住民は長年住んでおらず、空き家状態になっている。強制執行されても他の住民の生活には直接の影響は及ぼさないと見られる。
ウトロ地区の土地をめぐっては、町内会が先月下旬に買い取りのための同意書を住民から集めた。所有者と折衝が行われ、買い取り支援の募金活動も国内外で始まっている。こうした最中に所有者が明け渡しを求めたことについて、町内会や支援者からは「唐突だ。このままで円満な交渉ができるのか」と不信の声が上がっている。
■ 2005.09.01/[news] 京都裁判所、ウトロ強制撤去に突入
  /韓国 中央日報
京都裁判所、ウトロ強制撤去に突入
日本国内の最後の強制徴用村ウトロで史上初の強制撤去が始まりそうだ。
ウトロ国際対策会議は「現土地所有権者が先月22日、京都地方裁判所に強制撤去執行を申し立て、30日、京都地方裁判所執行官約20人がウトロ強制撤去準備のためウトロ入りした」と報告した。
いったん強制撤去を申請した家屋は、現在、人が住んでいない空家で、すぐにも住民たちに直接影響はないものと見られるが、執行官と住民の間に2時間ほどの言い争いがあり、不安が高まっている。
執行官らは該当家屋に建物撤去、土地明け渡しなど強制撤去予定の通知を送った。強制撤去予定日は9月27日。ウトロ国際対策会議は「強制撤去に対抗して戦ってきたウトロ在日朝鮮人の生存権保護のた
め韓国政府の対策を至急に要求するなど対策を講ずる予定」と明らかにした。
■ 2005.09.02/事務局より
緊急事態に備え、PCアドレス、緊急時連絡のため携帯アドレスの登録者を募っています。支障のない方は次のアドレスにご登録ください。
事務局吉田 Email hqj06026[アットマーク]nifty.ne.jp
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written by zappatista

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