太平洋戦争史ブログ

太平洋戦争の歴史を綴ったブログです

番外編 第3回 アメリカの移民政策が太平洋戦争を招いた?~トランプ移民政策と排日移民法

拙著「いまこそ読みとく太平洋戦争史」の広告が2月5日(日)毎日新聞の読書欄に掲載されました。


最近、アメリカ合衆国大統領、ドナルド・トランプの移民政策に関するニュースが連日、報道されている。
彼が打ち出している移民政策は主に下記2点である。

1.メキシコからの不法移民の入国を阻止するため、メキシコとの国境に壁を建設する。
関連記事:
砂漠の地道な支援活動=移民の移動経路に物資―米西部の対メキシコ国境
       トランプ氏、メキシコへ軍派遣を示唆? 麻薬組織制圧で

2.イスラム教徒の多い、シリア、イラク、イラン、リビア、ソマリア、スーダン、イエメンの7か国の移民の入国を90日間禁止。
関連記事:
<米入国禁止差し止め>当局、搭乗認める 仮処分全米で効力
       7カ国の客、搭乗再開=米大統領令差し止めで―全日空・日航
4bmt93bf845f0am57v_800C450
イランを含むイスラム教国7カ国の難民や移民のアメリカ入国を大規模に制限する大統領令に署名したトランプ大統領

実はアメリカが特定の国や地域からの移民を禁止したり、制限したのは今回が初めてではない。1924年(大正13年)には日本からの移民を禁止したいわゆる「
排日移民法」がアメリカ議会で可決、成立している。

日本人のアメリカへの移民は、明治時代初頭から始まった。当初は主な移民先はハワイであったが、その後、アメリカ本土(主に西海岸)への移民も増えていった。

ch1_03
yjimageZP21HATHfamily1924
アメリカに移民した日本人

顔出し、声出し、撮影不要!!誰でも簡単にYou Tubeで毎月
10万円稼げる方法、教えます!!

5f552bbe4978a4a0b2450a9b3381bb43

20世紀(1900年代)になると、アメリカで主導権を握っていた北ヨーロッパ系(イギリス、ドイツ、及び北欧)の白人たちは、増え続ける南欧、東欧、そしてアジア(日本、中国など)からの移民に脅威を感じるようになった。この頃、「自分たちの仕事や政治、経済面での主導権を奪われるのではないか?」という一種の強迫観念が北ヨーロッパ系の白人の間に広まっていたのである。
また「北ヨーロッパ系の白人こそが、人類文明を築いた”優れた人種”である」という考えが、当時のアメリカで広まっていたことも背景にあった。事実、1920年代には白人至上主義団体のクー・クラックス・クラン(いわゆる”KKK”)による、黒人、イスラム教徒、ユダヤ人などへの迫害(暴行、リンチ、殺人など)がほぼ”公然”と行われていたのである。

_in_1928250px-Klan-in-gainesville
ワシントンを行進するKKK

6085515514_71b8d6cc1e
KKKによって殺された黒人たち

このような時代背景のもと、1924年(大正13年)に「排日移民法」が成立したのである。この法律制定後、アメリカへの日本人移民は全面的に禁止された。

この排日移民法によって、日本は大きな移民先を失った。明治以降、日本は多産系であり、いわゆるピラミッド型の人口構成であった。その増えすぎた人口の最大の移民先がアメリカだったのである。これ以降、日本は別の移民先を見出さなければならなくなった。そして軍部(陸軍)主導により、日本は満州への進出を進めていったと言われている(ただし、当時から日本の人口、経済問題の解決策として海外に領土を広げるという考え方に異論をとなえた日本人もいた。石橋湛山(いしばし たんざん)はそのような異論を主張した有名な論客である。彼については、別の回で論じたいと思う)。

日系アメリカ人を描いた映画「ヒマラヤ杉に降る雪 」(出演:工藤夕貴ほか)。


そして1931年(昭和6年)に「満州事変」が起こり、日本は満州の事実上の”植民地化”を進めていった。

※満州事変については「第1回 世界恐慌と満州事変」を参照願います。
その後の日中戦争、フランス領インドシナ(ヴェトナム)への日本軍進駐等により、日米関係は急速に悪化し、太平洋戦争開戦にいたったのである。

このように戦前のアメリカの反日移民政策が、太平洋戦争の”原因”であったと見ることもできる。
もちろん太平洋戦争(第二次世界大戦)はアメリカをはじめとする、連合国の勝利に終わり、戦後アメリカは”超大国”の道を歩んでいった。しかしその一方、この太平洋戦争で決して少なくないアメリカ人の命が失われたことも事実である。

現在、多くのアメリカ人が移民によって自分たちの仕事が奪われるのではないかという恐れを抱いていることや、ヨーロッパやカナダなどで起こったイスラム系住民(移民)による”無差別テロ”に脅威を感じるのは、当然の感情とも言えるだろう。
しかし”一時の感情”で、特定の国や民族の移民に制限を加えることは、更なる国家間、民族間の対立を呼び、そしてテロや戦争といったより大きな悲劇を招く危険があることも、この「排日移民法」の事例から読み解くことができるのではないだろうか?

アメリカ合衆国は宗教、価値観などが異なる様々な民族で成り立っている国家である。多種多様な民族を受け入れてきた歴史の中で、アメリカはいろいろな苦難に直面してきた。南北戦争や、1960年代の公民権運動などは、その最たる例であろう。しかし、そのような困難や人種、宗教の違いを克服し、そして”多様性”とあらゆる人種、宗教、価値観を受け入れる”寛容性”によってアメリカは現在の”超大国”の地位と繁栄を築き上げてきたのだと思う。

南北戦争で、アメリカ上初めて編成された黒人部隊(北軍)の実話をもとにした映画「グローリー」(
第62回アカデミー賞および第42回ゴールデングローブ賞受賞、監督エドワード・ズウィック、出演:マシュー・ブロデリック、デンゼル・ワシントン、モーガン・フリーマン他)


歴史上、アメリカは”保守的”になる時代がしばしば存在する。1920年代の白人至上主義(これに禁酒法も加えることもできるかと思う)、そして1950年代の”赤狩り(マッカーシニズム)”などはそのよい例であろう。しかしそのような”保守反動”、または”揺り戻し”といった時代を乗り越えて、アメリカは”自由と民主主義”を旨とする、多様性と寛容性に富んだ国として更なる発展を遂げてきた。
今回もアメリカは、現在の”保守反動”の時代を乗り越え、より成熟した自由と民主主義を重んじる更なる”偉大な国家”へと脱皮していくことを期待したい。

ちなみにブラジルも明治時代以降の日本の主要な移民先であった。
戦後の日系ブラジル移民を描いた映画「汚れた心」(ブラジル映画、出演:伊原剛史、常盤貴子、奥田瑛二)。


アーク出版HP https://www.ark-pub.com/

番外編 第2回 「日本の二番目に長い日」

拙著「いまこそ読みとく太平洋戦争史」のラストは、戦艦「ミズーリ」艦上での日本無条件降伏文書調印式となっている。これは日本が連合国に降伏の意思を国内外に伝えたのは1945年(昭和20年)8月15日(いわゆる”終戦の日”)であるが、正式に降伏したのは同年9月2日に行われたこの降伏文書調印式であると考えるからである。
日本降伏文章調印式1

太平洋戦争を扱った本やテレビ番組、映画などのほとんどは、この降伏文書調印式を単なる”儀式”として、関係者(連合国および日本)間で淡々と(かつ粛々と)行われたように扱っているように思われるし、事実、私たち日本人の大半もそう考えているのではないかと思う。

しかしこの9月2日の降伏文書調印式当日を詳しく見ていくと、実は”緊迫した”1日であったということがうかがえる。

では改めてこの降伏文書調印式当日の動きを見ていきたいと思う。
1945年(昭和20年)9月2日朝、日本代表団が横浜港に到着した。実はこの代表団(日本政府代表:重光外務大臣、日本軍代表:梅津陸軍参謀総長以下11名)であるが、誰が代表団のメンバーなのかについては、この調印式当日まで、公表されなかった。また日本政府、軍部内においても、限られたごく少数の人々しか知らなかった。これは降伏文書調印式に反対する、国内勢力の”妨害”(代表団メンバーの暗殺など)を避けるための措置であった。

さて日本代表団は横浜港で連合軍の軍艦に乗り、約1時間の航海の後、東京湾に停泊している「ミズーリ」に到着した。
ここで私には2つの疑問点がある。1つ目は「なぜ降伏調印式が、洋上の戦艦で行われたのか?」、2つ目は「なぜミズーリは、横浜港から1時間の航海を必要とする沖合に停泊していたのか?」である。
1つ目の疑問について私は長い間、「東京は空襲で”焼野原”となってしまっていたため、降伏調印式を行える建物がなかったからだ」と思い込んでいた。しかし、実際には東京には焼け残っていた建物は複数あった。例えば、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に使用された第一生命ビル(皇居前に立っているビルで、戦時中は東部軍司令部として使われていた)、アメリカ大使館(戦後はマッカーサーの宿舎として使用された)、そして市ヶ谷台(陸軍省・陸軍参謀本部が置かれた建物、戦後は東京裁判が行われた)などである。
ghq
第一生命ビル
img131
市ヶ谷台

顔出し、声出し、撮影不要!!誰でも簡単にYou Tubeで毎月
10万円稼げる方法、教えます!!

158c7bff

この2つの疑問点の答えを考える前に、降伏文書調印式の流れを続けて見ていきたい。拙著にも書いているが、「ミズーリ」甲板上でマッカーサー司会による「日本降伏文書調印式」が執り行われた。
日本降伏文章調印式4

全代表者の降伏文書への署名が終わり、マッカーサーの「閉会の言葉」をもって、調印式は終了した。その直後、ミズーリの上空を数百機のアメリカ軍爆撃機、B-29が通過していった。公にはこれは「連合軍の勝利を祝う飛行」と言われている。しかしこのB-29の大編隊の飛行には、もう一つの”隠された目的”があった。
histflight3

これらB-29全機には、”爆弾”が満載されていたのである。なぜ降伏調印式にB-29は爆弾を搭載していたのか?実はこの時点においても、アメリカ軍はじめ連合国軍は、日本の無条件降伏(あるいはその意思)を疑っていたのである。
連合国軍は太平洋の島々や、東南アジア、インド、ビルマなどの戦線で、降伏を拒み、文字通り「最後の一兵まで」死ぬまで戦う日本兵と死闘を繰り広げてきた。「その日本軍が天皇の命令で、簡単に降伏に応じるだろうか?」そう疑ったのである。
ミズーリ上空を飛んだB-29の大編隊は「もし、日本が降伏調印を拒んだり、または降伏をいさぎよしとしない日本軍(の一部など)が連合軍に攻撃をしかけてきたら、ただちに日本本土を攻撃(爆撃)せよ」という命令を受けていたのである。

そうなると前述した、2つの疑問の答えもおのずと見えてくるものと思われる。「
なぜ降伏調印式が、洋上の戦艦で行われたのか?」、「なぜミズーリは、横浜港から1時間の航海を必要とする沖合に停泊していたのか?」。連合軍が日本軍の攻撃、妨害を恐れていたからである。

こうして見ると、9月2日の降伏文書調印式は、日本、連合国双方が相当緊迫した中で行われたのだということが分かる。そういう視点から降伏調印式の映像を見直してみると、マッカーサーが日本代表団に降伏文書への署名を求めた時(下記You Tubeの2分30秒以降あたり)、なんとなくマッカーサーの表情が”こわばっている”(緊張している)ようにも見える。


マッカーサーの名誉のために言うと、彼は決して臆病な指揮官ではなく、大変勇気のある(時には無鉄砲とも思えるくらい)軍人である。連合軍が日本進駐を開始した8月26日のわずか4日後の8月30日に、彼は愛機バターン号で厚木飛行場に降り立っている。おそらくこの時点で、日本に上陸した連合国軍は1万人もいなかったのではないだろうか。一方、降伏したとはいえ、日本本土には武装した日本軍兵士が数十万人いたのである。そんな状況の日本に連合国軍最高司令官として、拳銃すら携帯せずに堂々と日本に降り立ったマッカーサーの”胆力”は相当なものであったと思う。
そのマッカーサーが、ミズーリでの降伏文書調印式でもし、緊張していたとすれば、やはりこの9月2日は太平洋戦争史、そして日本の歴史にとって”重要な日”であったといえるのではないだろうか?

日本が無条件降伏を決定するまでの24時間(8月14日正午から翌15日正午)をドキュメンタリータッチで描いた映画「日本のいちばん長い日」(原作:半藤一利、監督:岡本喜八、出演:三船敏郎、山村聡、笠智衆、他)は、私の最も好きな戦争・歴史映画の一つであり、傑作だと思う(1967年に制作された作品を指す。2015年のリメイク版(出演:役所広司、本木雅弘山崎努、堤真一、松坂桃李、他)は”駄作”だと思う)。拙著でも触れているいるが、この24時間に日本降伏までの御前会議をはじめとする日本政府、軍首脳たちの緊張したやり取り、そして降伏を阻止しようとして近衛師団を使って皇居を占拠した青年将校たちの、息も詰まる緊迫した様々なドラマを経て、8月15日正午の”玉音放送”を迎えたのである。その意味でこの24時間は、まさに「日本のいちばん長い日」であったと思う。


今回取り上げた、1945年(昭和20年)9月2日の日本降伏文書調印式は、8月15日の次に日本にとってもっとも長い日、すなわち「日本の二番目に長い日」と呼べるのでないだろうか?いつか
、このタイトルで本を執筆できればと個人的には考えている。



アーク出版HP https://www.ark-pub.com/

番外編 第1回 「この世界の片隅に」と呉軍港空襲

この「番外編」では太平洋戦争に関わる、いろいろなテーマや拙著「いまこそ読みとく太平洋戦争史」で書ききれなかったエピソードなどについて書いていきたいと思う(戦前、戦後やヨーロッパ戦線に関するテーマに及ぶこともあるかもしれないが、ご容赦頂ければ幸いである)。
第1回では映画「
この世界の片隅に」と呉軍港空襲について触れてみたいと思う。

「この世界の片隅に」は、戦時中の広島県呉市を舞台に、ある一家に嫁いだ少女が戦禍の激しくなる中で懸命に生きていこうとする姿を描いたアニメ映画である。
201611100000000view



この作品は呉を中心とする地域で、太平洋戦争末期に起こった空襲を中心とした史実を、非常に詳細かつ精緻に描いている(原作者のこうの史代さんは、相当、丹念に調べられたのだと思う)。
今回は、この作品中でも描かれている1945年(昭和20年)の「呉軍港空襲」について触れてみたいと思う。呉は戦前から日本一の軍港であり、連合艦隊の根拠地であった。
拙著「いまこそ読みとく太平洋戦争史」でも述べているが、1944年(昭和19年)10月の「レイテ沖海戦」で、連合艦隊は大損害を出し敗退し、日本本土に帰投した。だがこのレイテ沖海戦後においても、連合艦隊には戦艦6隻、空母5隻はじめとする、戦力は残っていた。しかしこれらの全艦艇を再び結集(再編成)して、アメリカ海軍にもう一戦仕掛けることは”不可能”であった。なぜなら日本には、全艦艇を動かせるだけの石油がもうなかったからである。ちなみ空母は石油不足に加え、搭載可能な艦載機がなかったため、”二重の意味”で無用の長物と化していた。
そこで日本海軍(海軍軍令部)は、これらの艦艇を呉をはじめとする日本国内の要所に配置し、来るべき本土決戦で日本本土に上陸してくる連合軍を迎え撃つための、”浮き砲台”とすることを決定した。特に呉にはその連合艦隊残存艦艇の大半が配置された。


この”浮き砲台”となった呉の艦艇に対して、アメリカ第3艦隊(第38機動部隊)が攻撃を行った。これが「呉軍港空襲」である。空襲は1945年(昭和20年)の3月に1回、7月末に2回、実施された。
3月の空襲での損害は軽微で、撃沈された軍艦は1隻もなかった。
しかしその翌月の4月に連合軍が沖縄への上陸を開始した。これを受け、日本海軍軍令部は戦艦「大和」を旗艦とする第2艦隊(軽巡洋艦1隻、駆逐艦8隻)に「天一号作戦」を発令し、沖縄特攻を命じた。この作戦のため、日本海軍は文字通り日本国内に残っている「なけなしの」石油を”かき集め”た。この第2艦隊は九州、坊の岬沖でアメリカ艦隊(艦載機)の攻撃を受け、大和以下、その大半が撃沈された。

Battleship_Yamato_under_air_attack_April_1945
アメリカ海軍航空部隊の攻撃を受ける大和(1945年4月7日)

そして1945年(昭和20年)7月24日と28日に再び、呉軍港は空襲を受けた。アメリカ第3艦隊、第38機動部隊から発進した艦載機約950機による空襲である。
この空襲では四国、松山を拠点としていた精鋭の「第三四三海軍航空隊」(新鋭戦闘機”紫電改”を中心に編成された本土防衛の航空部隊)が出撃して、防戦にあたったが、いかんせん多勢に無勢、アメリカ軍の猛攻を食い止めることはできなかった。

Japanese_battleship_Haruna_attacked
空襲を受ける戦艦「榛名(はるな)」

1821029b
空襲を受ける航空戦艦「伊勢」

この空襲で戦艦3隻、空母1隻、巡洋艦4隻、駆逐艦6隻が撃沈、その他の艦艇も損害を受けた。しかし撃沈といっても、軍港は水深が浅いため、船体の上部構造を海面上に残す「着底」となった。

顔出し、声出し、撮影不要!!誰でも簡単に
You Tubeで毎月10万円稼げる方法、教えます!!

158c7bff

9cc25cac-s
大破着底した巡洋艦「利根」

4c374ef6-s
転覆着底した空母「天城」

394b32ea-s
大破着底した巡洋艦「青葉」
※この写真とそほぼ全く同じ場面が、「この世界の片隅で」の終盤のシーンで登場している。

なお、「この世界の片隅に」でも描かれているが、この7月末の呉軍港空襲に先立つ7月1日に、呉の市街地はアメリカ軍爆撃機B-29の空襲を受けている。

戦後、これらの空襲をからくも生き残った艦艇の多くは「復員輸送船」として、太平洋の島々、東南アジア、中国、朝鮮などの日本軍の軍人や民間人の日本への帰還に活躍した。

e995ec52-s
呉軍港空襲で飛行甲板を大破した空母「葛城(かつらぎ)」
しかし航行には支障なく、戦後は「復員輸送船」として活躍した。

hikiagesen
朝鮮からの復員船(艦名不明)

ちなみに戦後、日本政府が戦後復興のかなめである、石油の輸入再開をGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に願い出たところ、「旧日本海軍のタンクに残っている石油を使え」と指示された。しかし長年、地下タンクで放置されていた石油は、ドロドロ、ベタベタになってしまい機械力でくみ上げることはできず、人手によって回収する他に方法はなかった。だがそのような困難な「汚れ仕事」に手を出そうとする石油会社はなかった。
しかしそんな汚れ仕事に自ら進んで名乗りを上げた会社があった。それが石油業界の異端児、出光興産であった。
このシーンは映画「
海賊と呼ばれた男」(原作:百田尚樹、岡田準一、綾瀬はるか、堤真一、他出演)の前半で描かれている。




誰でも簡単にYou Tubeで月10万円稼げる方法、教えます!!

アーク出版HP https://www.ark-pub.com/

このブログが本にまとまりました。 よろしければ是非ご購入下さい。
ギャラリー
  • 番外編 第3回 アメリカの移民政策が太平洋戦争を招いた?~トランプ移民政策と排日移民法
  • 番外編 第3回 アメリカの移民政策が太平洋戦争を招いた?~トランプ移民政策と排日移民法
  • 番外編 第3回 アメリカの移民政策が太平洋戦争を招いた?~トランプ移民政策と排日移民法
  • 番外編 第3回 アメリカの移民政策が太平洋戦争を招いた?~トランプ移民政策と排日移民法
  • 番外編 第3回 アメリカの移民政策が太平洋戦争を招いた?~トランプ移民政策と排日移民法
  • 番外編 第3回 アメリカの移民政策が太平洋戦争を招いた?~トランプ移民政策と排日移民法
  • 番外編 第3回 アメリカの移民政策が太平洋戦争を招いた?~トランプ移民政策と排日移民法
  • 番外編 第3回 アメリカの移民政策が太平洋戦争を招いた?~トランプ移民政策と排日移民法
  • 番外編 第3回 アメリカの移民政策が太平洋戦争を招いた?~トランプ移民政策と排日移民法
カテゴリー
戦史 ブログランキングへ
  • ライブドアブログ