太平洋戦争史ブログ

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「あの記憶の記録」(劇団チョコレートケーキ)を視て【番外編第23回】

先日(2018年5月6日・日曜)の深夜に、NHK BSプレミアムで「劇団チョコレートケーキ」という劇団の「あの記憶の記録」「熱狂」という2つの芝居(全部で4時間半くらいあったと思う)が放映されていた。

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翌日仕事ということもあり、その晩(深夜)はとりあえず録画して、数日後に「あの記憶の記録」を見た。

冒頭のNHKアナウンサーによる「あらすじ解説」で、物語は1970年のテルアビブ(イスラエル)を舞台にした、第二次世界大戦後にポーランドから移住してきたユダヤ人兄弟の話という紹介であった。

実はその時点で、“軍事史オタク”の私には大体あらすじが読めていた。

第二次世界大戦時、ヨーロッパのユダヤ人はナチス・ドイツによって大量虐殺されたこと、その中でもポーランドのユダヤ人虐殺はすさまじく、ほとんどが生き残らなかったこと、この兄弟は第二次世界大戦時に既に成人していたにもかかわらず、生き残ったこと。

以上を総合して、この兄弟は強制収容所(恐らくアウシュビッツ・ビルケナウ)でゾンダー・コマンドとして、収容所で虐殺された同胞の死体処理に従事していたため、幸運にも生き残り、その後イスラエルに移住したものの、過去の記憶に苦しんでいる、大体こんなストーリーだろうと予想した(付け加えると、彼らの家族は全員死んだのだろうと予想した)。

※「ゾンダー・コマンド」の詳細に関してはウィキペディア等をご参照願いたい。
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事実、この芝居のストーリーはほとんど私が予想した通りであった。

だがそれでもこの芝居、時代背景を大体知っていた私が見ても、ものすごく衝撃的であった。

この兄弟の弟(主人公)の回想場面で、ガス室の死体を語るシーンでは「死体は山のように積みあがっていた。恐らく死体の上をまだ生きていた人間がよじ登ってガス室からの脱出を試み、そこで力尽きたのだろう」「目玉が飛び出した死体、全身が真っ赤になった死体、青くなった死体など様々だった」などと、まるで本当にその場にいたかのように語っている。

さらにガス室で奇跡的に生き残った赤ん坊(死んだ母親からなおも母乳を吸おうとしていた)を、見つけたドイツ人看守がためらいもなく、その赤ん坊の頭を銃で撃ちぬいたと語っている。

また彼ら兄弟は、自らの意思で同胞の死体から金歯を抜き取り、それでわずかな食糧と交換して、飢えをしのいだという話も語られている。

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またガス室で殺された(ドイツ人は「処分」と呼んでいる)ユダヤ人を焼却炉に入れる作業をしていた、ゾンダー・コマンドの一人は、その死体の中に自分の家族を見つけた、という話もあった。

さらに収容所がソ連軍に解放された時、弟は憎悪のあまり逃げ遅れたドイツ人看守を他のユダヤ人たちと一緒に殴り殺したことを告白する。しかもこの看守は最も優しい看守で、ユダヤ人をほとんど殺さず、しかも彼ら兄弟が生き残れるよう、最大の便宜をはかってくれた人物であった。

ちなみに主人公の兄は、ポーランドでの過去の記憶を思い出すことを一切拒否し、「何もなかったんだ、何も・・・」と言う言葉をひたすら繰り返していた(別に気が狂ってしまった訳ではない)。

恐らく兄は、ポーランドでの記憶を思い出すのが辛すぎるので、そう言っているのだろう。

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しかしそれは同時に強制収容所で“灰”になってしまった、彼らの両親、兄弟、親戚たちの記憶と存在すら否定することを意味する(それはそれでまた悲しいことではあるが・・・)。

この芝居で主人公は、ナチスやドイツ人への恨みは一言も言っていない。

彼は間もなくイスラエル軍に入隊する息子(イスラエルは男女とも徴兵制である)に、「戦争になったら、国の為に命をささげようなどと考えず、どんな手を使ってでも生き残れ」と言う。

また「誰でも戦争の加害者にも被害者にもなり得る。現に我々ユダヤ人は、今、パレスチナ人を迫害しているではないか」とも言っている。

2時間以上という非常に長い芝居だったが、私は完全に引き込まれてしまった。

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またユダヤ人虐殺(英語では“ホロコースト”、ヘブライ語では“ショア”と呼ぶ)についての大まかな背景知識がある私が見ても、とても衝撃的な内容であった。

従って、時代背景をあまりご存じない方がこの芝居を見たときの“衝撃”は相当すさまじいと思われる。

さらにこの芝居を演じた役者さんたちも、精神的にかなりきつかった(相当追い詰められた)のではないかと思われるし、それくらいまで精神状態を持っていかないと、あれだけすさまじい演技はできないのではないかと思う。
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しかもこの芝居、原作はなく、脚本はこの劇団の脚本家が書いたのだということを知って、個人的にはかなり驚いた。

これだけユダヤ人虐殺に詳しい描写がなされているからには、きっと原作があるに違いないと思っていたからである。

ちなみにこの「劇団チョコレートケーキ」、名前に似合わず、この手の“硬派”な芝居を得意としているそうである。

またこの「あの記憶の記録」は、第25回読売演劇大賞の優秀演出家賞を受賞している。

捕捉で言うとこの芝居、劇場公開時はチケットが売り切れたそうである。
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私は戦争に就いては「戦争の善悪や“平和が一番”といったことを議論したり主張する前に、“まず戦争、とりわけ人類の戦争の歴史についてできるだけ多くの事実を知るべきである”」と考えている。

私的には「あの記憶の記録」にはあまり新事実は見出せなかったが、それでも主人公をはじめとする役者たちの演技(熱演)を見て「きっとあの虐殺の生存者たちは、彼のように戦後も苦悩していたんだろう」という事実を改めて“真に迫る”形で教えてくれた、名作だと思う。
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私は劇場などほとんど行ったことがないのだが、この「あの記憶の記録」を見て「たまには芝居を見に行くのも、悪くないかなあ」と思った。

最後になりますがもう一つの作品「熱狂」は、ヒトラーが権力を掌握するまでを描いた作品である。こちらの方は、私的にはあまり心に響かなかった。
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二二六事件を経済から読み解く【番外編第22回】


今回は二・二六事件を経済から読み解いてみたいと思う(とはいっても経済は専門外なので、あまり大した分析はできないのだが・・・)。

第3回 二・二六事件(1)

二・二六事件の内容については、第3回 二・二六事件をお読みいただければと思うが、今一度事件の概要に触れておきたいと思う。

1927年(昭和2年)に発生した「昭和恐慌」、そしてその2年後の1929年(昭和4年)に発生した「世界恐慌」によって、日本は未曽有の大不況に見舞われてしまう。

この影響で都市部には多くの失業者があふれ、疲弊した農村では娘達が身売りされた。

この状況を憂えた陸軍の青年将校たちは、「諸悪の根源は、首相をはじめとする重臣たちであり、彼らを排除して、天皇中心の政治改革、すなわち”昭和維新”を断行するべきである」と考え、1936年(昭和11年)2月26日に彼らは決起した、というのが事件のあらましてである。

決起した青年将校たちの部隊には、多くの農村出身の兵がいた。

彼ら青年将校たちは、兵士たちが国元の家族の窮乏を伝える手紙(姉や妹が”身売りされた”)を読み、涙する様子を見て、深く同情していた。

将校の一人、安藤輝三大尉は、自分の給料の大半を兵たちに与えていたと言われている。

「青年将校たちは、兵士たちの家族の窮乏を見るに見かね、”日本を変えなければならない”という憂国の熱意から、立ち上がったのである」というのが、二・二六事件が起こった背景であると言われている。

ここからが今回の記事のメインテーマに関わる話なのだが、「二・二六事件が起こった時期、日本経済は本当に”どん底”だったのだろうか?」という疑問を私は、長年持っていた。

というのは、第3回 二・二六事件で述べているように、世界恐慌を受けて大蔵大臣に就任した高橋是清が実施した経済政策により、その後日本経済は回復したと言われているからである。

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ただ二・二六事件が起こった1936年(昭和11年)の時点で、日本経済がどの程度まで回復していたのか、具体的なデータが手元になかったので、何とも判断しかねてもいた。

というのはもし1936年(昭和11年)の時点での日本経済が回復基調であったとしても、世界恐慌前、または昭和恐慌前の水準に達していなかったのであれば、依然多くの日本人が生活に困窮してたということになり、決起した青年将校の動機も説明がつくと考えられるからである(念のため言っておくが、私の二・二六事件に対する見方は”中立”であり、決して青年将校たちを支持も称賛している訳ではない)。

ところが最近になって、私の疑問に関する資料をネットでたまたま見つけることができた。

日本エネルギー経済研究所の平井晴己研究主幹が執筆された「温故知新:1935 年の日本、日米戦争は論外であった」という論文がそれである。

平井氏によると、1935年(昭和10年)は「戦前の日本が経済的、文化的(消費文化)に最高点に達した年と言われている」のだそうである。

同論文に引用されていた資料(下図)によると、1935年(昭和10年)の時点で、日本経済は世界恐慌前の水準にまで回復していた。

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ということは、農村の経済状況もかなり改善されていたと考えるのが妥当であろう。

また中村隆英東京大学教授(故人)が執筆された「昭和史」によると、高橋是清の経済政策の一環として、農村への公共事業(農道、用水路建設など)にも多額の予算が振り分けられていたそうである。

ということは農村に公共事業のお金が、ある程度落ちていたということになる。

これらの事実を総合的に判断すると、二・二六事件が発生した1936年(昭和11年)当時、日本経済、そして農村の暮らしはかなり回復していたと考えるのが妥当であろう。

となると「生活に困窮する多くの日本人を救うという憂国の熱意から、決起した」という青年将校たちの動機の根拠がはなはだ弱いものと言わざるを得ない。

更に「なぜあの時点で、青年将校たちは決起したのか?」という疑問もわいてくる。

考えられる理由としては、多くの青年将校たちが所属していた第1歩兵師団が近々満州に移動することになっていたことや、彼らが属していた皇道派と統帥派との争いなどがあり得るのでは?とも考えてみたが、どうも個人的には腑に落ちない。

「なぜ青年将校たちは、1936年(昭和11年)に決起したのか?」

この疑問の答えを見つけるまでには、まだ時間がかかりそうである。












映画『汚れた心』日系ブラジル人の悲しすぎる”終戦秘話”【番外編第21回】

今年は戦後73年目を迎えることになるが、日本の裏側のブラジルでは、日本の敗戦の事実が伝わらず、終戦から11年間も日本人同士が争い続けることとなった。 ブラジルでも永らくタブーとされたこの史実をテーマにした映画について触れたいと思う。

映画「汚れた心」
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2012年に公開されたブラジル映画である。

フェルナンド・モライス(ブラジル人)という方が書いた本が原作で、監督はヴィセンテ・アモリン(ブラジル人)という人物である。

ほとんどの方が、この映画のことをご存じないかと思う。

だが伊原剛志、常盤貴子、奥田瑛二、余貴美子と有名な日本の俳優が多数出演している(ちなみに音楽は「踊る大捜査線」松本晃彦が担当している)。

ではあらすじを簡単に述べたいと思う。

第二次世界大戦終結後のブラジル。当時のブラジルと日本は国交が断たれており、ブラジル政府によって日本に関する情報は遮断されていた。そのため、ブラジルに住む日系移民のほとんどは、日本軍の勝利を信じ切っていた。

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写真館を営むタカハシ(伊原剛志)もその一人で、隣人のササキ(菅田俊)とは家族ぐるみの付き合いをしていた。ある日、元・大日本帝国陸軍大佐ワタナベ(奥田瑛二)が当局に禁じられた集会を開き、官憲との間でトラブルになったことを契機に、ポルトガル語のラジオ放送で日本の敗戦を知ったササキやアオキらの一派「負け組」と、ワタナベ、タカハシら日本の勝利を疑わない「勝ち組の一派が対立することになる。
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ワタナベは日本の敗戦を受け入れた同胞たちを“汚れた心を持つ国賊”として断罪し、粛清に乗り出す。タカハシもまたワタナベの命令に逆らえずに、アオキを殺害する。しかし、妻のミユキがその現場を目撃してしまう・・・
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以上が映画のあらすじである。

史実として、「勝ち組」の日系人たちは「臣道連盟」という秘密結社を作り、その特攻隊員が1946年1月から47年2月にかけて、日本の敗戦を認める人々を次々と殺戮していった。
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この臣道連盟が当時配布した情報として、次のようなものがある(戦後のことである)。

「米国の8倍の破壊力を持つ日本の原子爆弾で、犬吠崎沖に集結した米英艦隊400隻が全滅」
「日本の高周波爆弾により、沖縄の敵15万人が15分で撃滅」
「日本軍の放った球状の火を出す兵器により、米国民3,650万人が死亡」
「ソ連、中国が無条件降伏。マッカーサーは、捕虜となり、英米太平洋艦隊は武装解除」
「日本軍艦の30隻、ハワイへ入港。米大統領は日本が指名」

勝ち組みは負け組みのことを「国賊」とみなし、襲撃し、何人も殺害したが、負け組もまた「報復」として勝ち組の人たちを殺害した。

負け組みを襲っていた勝ち組みの中には、「負け組みを殺害することで、ようやくお国の役に立てた」と信じていた者も多かったと言われている。

その後、際限なく続く両者の抗争に、アメリカ国務省、日本政府、戦後日本を管理していたGHQ、スウェーデン政府までが協力しあって、勝ち組みの説得を始める。

「ブラジルに友人や家族がいる人は手紙を出すように」と、日本国内でも呼びかけが行われた。また、日本の新聞や映像もブラジルに送られてくるようになった。

そして1956年2月に、ようやく勝ち組が事実上の活動終了宣言を出し、抗争は終わった。終戦から11年後のことである。

しかしブラジルでは1970年代初期まで、勝ち組と負け組の対立による後遺症が存在した。

ブラジルで日本人の時が止まっていた11年間...日本は順調に戦後復興高度経済成長を遂げていった。

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1973年に「勝ち組」の家族3組がブラジルから日本に帰国した。このうちの1人が日本の街並みを見てこう言ったそうである。「ほら見ろ、日本はこんなに豊かになっている、やっぱり日本は勝ったんだ」

あまりにも悲しすぎて、切なすぎる日系ブラジル人の「終戦秘話」、個人的には一人でも多くの方に見ていただきたい作品である。



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