先日(2019年7月末)、映画『アルキメデスの大戦』を見に行った。

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今回はこの映画のあらすじと感想、そして史実との相違点について書いていきたいと思う。

【あらすじ】(ネタばれを含みます)

1933年(昭和8年)、日本海軍は旧式となった戦艦金剛の後継艦としての新造艦の選定を進めていた。

大角岑生(おおすみ みねお)海軍大臣を司会とする選定会議では、2つの候補艦の検討が進められていた。

『これからは航空機・航空母艦の時代だ』と考える、永野修身(ながの おさみ)中将(横須賀鎮守府司令官)と山本五十六少将(第一航空戦隊司令官)は、藤岡喜男造船少将が作成した航空母艦(空母)案を提出する。
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山本五十六(左)と永野修身(右)

一方、『戦艦こそが海戦の主役である』という大艦巨砲主義をかたくなに信じる
嶋田繁太郎(しまだ しげたろう)少将(海軍軍営部第一部長)は、平山忠道造船中将が作成した『戦艦大和』案を提出する。

大和の巨大な模型とそのフォルムにすっかり魅了された大角大臣は、大和が空母の半分ほどの建造費であることから、大和採用へと傾いていく。

結局10日後に再度選定会議を開き、そこで最終判断を下すこととなった。

大和の建造費の安さに疑問を持った、永野、山本、藤岡たちは、大和建造見積費が『でっちあげ』であることを証明することによって、大和の採用を阻止しようと考える。

そこで東京帝国大学(後の東京大学)出身の数学の天才、櫂直(かい ただし)を海軍軍人として迎え、彼に10日以内で大和の本当の建造費を算出するよう命じる。
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嶋田たちのさまざまな妨害によって、大和建造に関するデータや資料集めに苦しむ櫂であったが、なんとか必要最低限のデータをかき集め、その天才的な頭脳で大和の本当の建造費を選定会議で正確にはじき出してみせることに成功する。

空母よりはるかに高額な建造費を見せつけられた大角大臣は、結局大和に替わり空母の建造を決定する、かに見えた。

会議後、櫂は大和を設計した平山中将から、『大和建造の隠された本当の理由』を聞かされる。

それを聞いた櫂は、大和建造反対を取り下げる。

結局8年後の1941年(昭和16年)に、大和は完成する。

そしてその4年後の1945年(昭和20年)4月、大和はアメリカ軍の航空機部隊の猛攻撃を受けて、九州坊ケ崎沖に沈没する。

【感想】

率直に言って、面白かったというのが私の感想である。

まず冒頭に大和がアメリカ軍の攻撃を受け、沈没するシーンから映画は始まる。
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ストーリーの時代設定が新造艦選定という戦前なので、戦闘シーンはないものと思って映画を見に行った観客にとっては、これは非常にいい『つかみ』だと思った(残念ながら私は事前にネットの感想で、そのことを知ってしまった)。

その後のストーリーもテンポよく進んでいったため、約130分という上映時間もほとんど気にならなかった。

ストーリー自体も比較的シンプルなので、戦前や戦中の歴史にあまり詳しくない方でも、十分楽しめる内容だと思った。

【史実との相違点】

ここからは、映画『アルキメデスの大戦』と史実との相違点について述べていきたいと思う。

念のため言わせていただくと、『アルキメデスの大戦は映画・漫画ともに、”史実に基づいたフィクション”である』ことは、十分承知している。

しかし司馬遼太郎の小説は多分にフィクションを含んでいるものの、小説に書かれていることは全て史実だと信じる読者も多いと聞く。

ということはこの『アルキメデスの大戦』の内容を、全て史実と思っている観客も多いのではないかと思われる。

大きなお世話と言わればそれまでであるが、ささやかな『注意喚起』として、この映画と史実との相違点を書いていきたいと思う。

登場人物について

まず主人公の櫂直は、架空の人物である。

また平山忠道造船中将と藤岡喜男造船少将は、それぞれモデルとなる人物(平賀譲中将と藤岡喜久雄少将)はいるものの、ともに架空の人物である。
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平山忠道造船中将

次に嶋田と永野について述べたい。

映画では嶋田は頑迷な大艦巨砲主義者で、しかも出世欲の強い自己中心的な人物として描かれている。

確かに映画で描かれているように、嶋田は山本と仲が悪かったのは事実である。

しかし嶋田が大艦巨砲主義者であったことを示す史実はない。

それどころか嶋田は海軍大臣時代、大和の二番艦『武蔵』の建造に反対している。

また出世欲が強く、自己中心的な性格であったことを示す史実やエピソードも特に見つからなかった。

それどころか太平洋戦争中嶋田は、東条英機首相の『言いなり』『腰ぎんちゃく』などと陰口をたたかれていたと言われている。
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嶋田繁太郎

永野についても同じことが言える。

嶋田と同様、永野は特に空母信奉者ということではなかったようである。

また永田は温厚な性格の持ち主として、当時広く知られていた。

従って映画のように永田が会議の席上、嶋田と激しく論争するということはまずあり得ないと思われる。

ちなみに太平洋戦争開戦時の海軍大臣は嶋田、そして軍令部総長は永野であった。
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永野修身

また大角は1941年(昭和16年)2月、中国戦線視察中に飛行機事故で死亡している。

伏見宮博恭王の不在

そして何より史実との決定的な違いは、伏見宮博恭王(ふしみのみや ひろやすおう)がまったく登場していないことである。

伏見宮は皇族出身の海軍軍人である。
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伏見宮博恭王

日露戦争では日本海海戦で、連合艦隊旗艦三笠に乗り組み、負傷するなど、皇族出身の軍人としては珍しく実戦経験を持つ人物であった。

そのような経歴を持った伏見宮は1932年(昭和7年)に、海軍軍令部総長に就任した。

皇族出身の高級軍人というと、単なる『お飾り』という印象を持たれる方も多いと思う。

事実私も以前はそう思っていた。

しかしこの伏見宮はまったく異なっていた。

伏見宮は、日本海軍の艦艇数や装備を増強すべきであるという、いわゆる『艦隊派』に属していた。

その第一歩として、彼はまず軍令部の権限を強化した。

それまで海軍軍令部は、海軍省より下の組織と見なされていた。
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そこで伏見宮は1933年(昭和8年)に、軍令部の権限を大幅に強化することを明記した、海軍の規定の改定を行った。

この規定の改定によって、艦艇の数や装備といった兵力は軍令部主導で決定することとなったのである。

※海軍省と海軍軍令部については、下記記事をご参照願います。
第11回 日本軍の指揮・命令系統

さらに伏見宮は昭和天皇や政府に働きかけ、戦艦・空母といった主力艦艇の保有数の制限を定めたワシントン海軍軍縮条約と、巡洋艦などの補助艦艇の保有数の制限を定めたロンドン海軍軍縮条約を、次々と破棄、離脱させてしまう。

その後日本海軍は、大幅な軍備増強に乗り出していったのである。

また1934年(昭和8年)には、軍縮を唱えるいわゆる『条約派』に属する高級軍人が、海軍を追われていった。

山本五十六の盟友である、堀悌吉(ほり ていきち)もこの時、海軍を追われている。
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堀悌吉

この人事を行ったのは大角海軍大臣であるが、その背後には伏見宮がいたとも言われている。

伏見宮に関する説明が長くなってしまったが、映画『アルキメデスの大戦』の舞台となった1933年(昭和8年)の時点での、新造艦の選定や決定権は明らかに海軍大臣ではなく、軍令部総長にあった。

従って新造艦選定会議には当然、伏見宮が出席していたはずである。

それどころか大角海軍大臣ではなく、伏見宮こそが会議を主導していたはずである。

正直、なぜ映画でも漫画でも伏見宮が登場していないのかについては、謎である。

一つあり得るとすれば、戦前の日本で皇族が軍備の拡大を積極的に進めていたという史実を、作品に入れることに、この漫画の原作者と映画の製作者たちが躊躇、いわば忖度(そんたく)して、伏見宮を登場させなかったのかもしれない。

ただ個人的にはこの伏見宮(ちなみに彼は太平洋戦争開戦直前まで、軍令部総長を務めていた)という、海軍内に強大な権力と影響力を持った人物を登場させた方が、物語も一層盛り上がるのではないかと思うのだが・・・
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