今回は太平洋戦争初期段階に於ける、日本軍の最重要目的、インドネシア攻略について触れたいと思う。実は日本軍のインドネシア攻略は、フィリピン攻略中の1942年(昭和17年)1月末に開始され、そしてフィリピン攻略が終了する前の3月に完了した。

 前述したように、当時インドネシアはオランダの植民地であった。しかしオランダ本国は1940年(昭和15年)、ナチス・ドイツとの戦いに敗れ、占領下にあった。オランダ女王とオランダ政府はイギリスに亡命した。よってインドネシア総督(インドネシアを統治する最高責任者)とインドネシアに駐留していたオランダ軍は、この“亡命政府”に忠誠を誓っていた。

 今村(ひとし)中将率いる第16軍の各部隊は1月末から2月にかけて、ボルネオ島、スマトラ島、アンボン島、ティモール島などの島々を次々と攻略していった。この一連の戦いで特筆すべきは、日本陸軍空挺部隊(パラシュート部隊)のパレンバン攻略であった。

 パレンバンはスマトラ島にある油田地帯であった。「もし日本軍が陸路、パレンバンを占領しようとすれば、その前にオランダ軍が油田施設を爆破してしまうかもしれない」。そう考えた、日本陸軍は精鋭の空挺部隊にパレンバンの油田及びその付近にあった敵空軍基地の攻略を命じた。

 ちなみにどの国の軍隊でも大抵、空挺部隊は精鋭部隊であることが多い。イギリス軍ではノルマンディー上陸作戦などで活躍した、第1空挺師団(通称“レッドデビルズ”)が有名である。アメリカ軍では第101空挺師団(スティーブン・スピルバーグとトム・ハンクスが共同制作した「バンド・オブ・ブラザース」はこの部隊の兵士達の実話を基にした戦争ドラマである)が有名である。またドイツ軍の第1降下猟兵師団は第二次世界大戦後半のイタリア半島での戦いで、険しいイタリアの山岳地帯や修道院などを使用して、優勢な連合軍をさんざん苦しめ、連合軍から「緑の悪魔」と呼ばれた。

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 さてパレンバンへの降下作戦は、1942年(昭和17年)2月14日に実施されることとなった。この時期、シンガポールの陥落が目前に迫っていたのだが、シンガポール陥落の知らせを聞いたオランダ軍が、パレンバンの油田を破壊する可能性があるのではないかと考えた日本軍がその前に降下作戦を実施する必要があると判断したのが、このタイミングで作戦が実施された理由であった。

 2月14日午前10時頃、久米大佐率いる陸軍降下部隊、第一挺身(ていしん)(だん)がパレンバンへの降下作戦を開始した。しかし降下した日本軍兵士、武器、弾薬は広範囲にバラバラに着地してしまった。その為、降下部隊の兵達は少人数で手持ちの小火器だけでオランダ軍と戦うこととなった。しかし彼らは勇猛果敢に戦い、結局、この日の夜までにパレンバンの油田と空軍基地の占領に成功した。

 なお、これに先立つ1942年(昭和17年)1月11日には、日本海軍降下部隊による、オランダ領セレベス島の都市、メナドへの降下作戦が行われている。後にこの降下作戦を基にした「桃太郎 海の神兵」という、アニメ映画が製作された。桃太郎隊長率いる降下部隊(隊員は犬、猿、キジ、熊)が鬼ヶ島にパラシュートで降下し、鬼達を退治するというストーリーである。しかし映画が完成し劇場公開されたのは、1945年(昭和20年)4月であった。この頃、すでに日本の主要都市は空襲で焼野原となっていた。しかもこの映画のターゲット層である、子供達もそのほとんどが地方に疎開していた。しかし当時大阪大学医学部の学生であった手塚治虫は大阪の劇場でこの映画を観ている。手塚はこの作品に大変感動し、戦後、彼が「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」といったアニメを製作するきっかけとなったと言われている。

 日本軍はインドネシアの島々を次々と攻略し、残るはオランダのインドネシア支配の拠点があるジャワ島を残すのみとなった。しかしジャワ島にはオランダ、アメリカ、イギリス、オーストラリアの4か国連合艦隊が待ち構えていた。日本軍がジャワ島を攻略するためにはまず、この艦隊を叩く必要があった。

第30回 インドネシア攻略
パレンバンに降下した日本陸軍空挺部隊