旅日記〜アイルランドの風からのメッセージ

アイルランド音楽演奏家 守安功が、演奏旅行の風景や旅先での出会い、 そして日々感じたことを書いています。

救世主

今夜は、都内の某所での、大阪の落語家さんの会
 
今までに、東京と大阪で、何度も聴いている噺家さん
 
まくらの中で、上方と江戸の落語の違いや、また、東京と大阪の
落語の世界の風習やしきたりや常識の違いについての、
ためになる、
とても興味深い話が、たくさん登場した
 
このところ、「関西」について考えさせられることが、
いろいろと続いていただけに、今日のお話は、
とっても、勉強になった
 
 
先々週は、仙台での定期的なレッスン/ワークショップだったけど、
この会を中心になって、引っ張ってくださっているのは、
関西出身の美人演奏家
 
仙台にやって来て、関西とのあまりの文化の違いや、
人との関わり方の方法論の違いに、いろいろと戸惑いつつ、
そんな中、彼女も、日々、いろんなことを学んでいる
 
彼女の話を聞かせていただきながら、同じ関西人として、
いろーーーんなことを、改めて、
考えさせられ、また、何より、
ありがたいことに、
日々の出来事の中で、彼女の話のおかげで、
新たにわかったことや、気がついたことも、いくつもあった
 
 
先週の土曜日に、初の試みとなる、落語家さんとのコラボを
やらせていただいたけど、その噺家さんもまた、
江戸の落語をされているものの、出身は関西の人
(偶然、今書いた、仙台に住む、
関西出身の美人演奏家と同じ街の生まれ)
 
落語家さんとの初コラボでは、お客さまの前での、
彼とのフリートークの中でも、上方と江戸前の違いについて、
ぼく自身の、20代の時の、江戸前の日本の笛太鼓の世界での
体験も絡めて、いろんな話が飛び出した
 
 
関西と言っても、そしてまた、江戸前と言っても、
そこには、それぞれに、いろんな様相があり、
関西の文化の中にも、また、江戸前とくくられる
価値観の中にも、それぞれに、たくさんの、相容れない、
さまざまな切り口や世界観がうごめいている
 
 
今日の大阪出身の落語家さんによる上方落語と、
彼自作の新作落語を聴きながら、数時間の間に、
自分の中の「関西」が、どんどん、大きく変化してゆく
 
 
関西の文化も、江戸前の文化も、今や、その両方が、
ぼくにとって、かけがえのない大切な自分の一部
 
特に、東京に出てきてから出会い、20代に、
たくさんの時間とエネルギーを費やした、
江戸前の笛太鼓の世界は、自分の中で、
さまざまな事や、何より、音楽について考える上での、
1つの大切な柱となっていることを、近頃、
思い知らされることが続いている
 
と同時に、関西と東京、上方と江戸前について、
どちらがどうということよりも、それぞれの中の、
自分にとっての最上の部分を、これからの人生、
自由に楽しみつつ、行き来し、さらには、それプラス、
ご縁のある、いくつかの国の、
特徴的な文化や言葉や
音楽の方法論も、
自由に行き来できる、そんな人生がいいなぁ、
などという、今日の落語会の雰囲気とは、随分違ったことが、
今日は、ずっと、頭の中をめぐっていた
 
 
夕べ、モンティ・パイソンによる、イエス・キリストの
パロディーの、とても良くできた素晴らしい映画を見た
 
各国で上映禁止が相次いだ問題作
 
その中で、イエス・キリストと同じ日に産まれた、
ブライアンという男が、救世主だと勘違いされてしまい、
必死で否定する中、誰かに盲従するのではなく、
自分で考えることを、目の前の信者たちに説く場面がある
 
 
とっても個人的なことだけど、その映画の中のそのセリフと、
そして、今日の大阪生まれの落語家さんの
独演会のおかげで、
ずっと、考え続けていた、
「上方」と「江戸前」について、自分の中の、
煮え切らない想いや迷いが、すっかり、吹っ切れてしまった
 

人生って、どこで、どんな風に、こうして、
転機がやってくるか、その日の朝には、
予想さえつかない
 
時の流れって、ほんとにおもしろい


最大の自由

前回、「旅日記」を更新してから、9日間の日々が過ぎていった
 
その間に、3回の公演があって (そのうちの1度は、落語家さんとの、
初のコラボ)、それから、友人の俳優さんの出演するお芝居を見に行き、
そして、3日間、落語会に通い、さらに、おとといの火曜日には、
友人の主催する落語会のお手伝いをさせていただいた
 
 
昨日、一緒に、都内某所の寄席に行った、最近、出会った、
ヨーロッパ留学から帰ったばかりの美人演奏家から、
今朝、こんな文章を受け取った
 
 
<今回、初めて寄席を経験して、守安さんが熱心に
落語に行かれる理由が良くわかった気がします。
私も下手な演奏会に行くより、ずっと面白く、
テーマパークに行くよりずっと楽しかったです。
これからも機会があれば私も寄席、落語に
もっともっと触れたい気持ちいっぱいで帰ってきました。>
 

その後、昨日の出演者について、たくさんの感想や、
いろんな気持ちが書かれていて、最後には、
こんなことが書かれていた


<今回の寄席で、自分の理想の現実化に向けて、
ますます、
たくさんチャレンジしたいこと、
勉強したいことを気づかせて頂きました!!

素晴らしい出会いをありがとうございます!!!>
 
 
毎日毎日、いろんな気持ちに包まれて、でも、その気持ちは、
その日の夜には、もう、その日の朝とは、違うものに、
どんどん、その形を変えてゆく
 
ずっと、「旅日記」を書く時間の余裕のない日々が続いていたけど、
でも、やっぱりこれから、ほんの少しずつでも、その日の、
その時だけの気持ちを書きとめておきたいと思う

生きているって、とどのつまり、1分1秒の積み重ねだし、
日々の1分1秒に、何を感じ、考えていたか、というのが、
結局、その人の人生なんだと思う
 

風が吹いたり、雨が降ったり、自分の回りでは、
いろんなことが起こるけど、でも、どんな気持ちで
生きてゆくか
という、最大の自由が、いつも、
人生には許されている
 

今日は、これから、新宿にて、
上方からの落語家さんの会を楽しむ
 
そして、明日からは、3日間の、房総半島ツアー
 
今週の後半もまた、たくさんの、予期せぬ出来事と、
いくつもの新しい出会いと再会が待っている
 
ドキドキ・・・・


寄席

今日は朝から、都内のある寄席に出かけた
 
ほんとは、お昼前から9PMまで、ずっと通して
落語と色物を楽しむつもりだったけど、途中で、
その気持ちを持続できなくなってしまって、
予定よりも早めに、寄席を後にした
 
 
寄席を出てから、今日の番組表を、
何度も眺めながら、どうして、自分が、
最後までいようと思えなくなったかについて、
いろいろと想いを巡らせた
 
「今日は、もう途中で帰ろう」と思ってしまう、
直接のきっかけとなった、1人1人の方たちの時に、
どうして、眠くなったり、他のことをずっと考えてしまったり、
「あーぁ」と、がっかりしてしまったり、途中で飽きてしまったり、
時には、もういい加減にしてよと思ってしまったり、マジメに
修行してよと思ったり、もっと目の前のお客様の気持ちを考えてよ、
と言いたくなったりしたのかを、自分自身がステージに
立っていることに置き換えて、真剣に考えてみた
 
そして、今日、楽しめなかった落語については、
同じ噺を、別の噺家さんで聴いて、笑い転げたり、
心から感動したり、涙が出てしまった時のことを考え、
その違いが何なのか、ということを、徹底的に考えた
 
いろんな噺家さんを目の前で生で、たくさん集中的に聴く中で、
こうして、どんどん、自分自身が鍛えられてゆく
 
そして、同じ曲から、どこまでその曲の魅力を引き出して
ステキに演奏できるか、それから、その曲の前後に、どれだけ、
目の前のお客様の気持ちを引きつける言葉を発することができるか、
ということは、その人の全存在を賭けた、とてもとても
責任ある行為であることを、改めて、考えさせられている
 
 
先週、仙台にいる時に、心から尊敬する、
ある落語家の師匠から、とても丁寧なメールをいただいた
 
その謙虚な内容と、あふれるやさしさ、自分と同業者とお客様を
冷静に見つめる視線、そして、その文章に、そこはかとなくただよう
おかしみと、とても正直な、その師匠の姿に、心から感動した

あさっては、その師匠も出演される、
別の寄席に行ってみようと思う
 
その日、1日、自分がどんな気持ちに包まれて、
そして、どんな想いで、今日のことを回想することになるか、
今から、ドキドキしている
 
 
こうして、落語と落語家さんからは、日々、
さまざまなことを教えられ、考えさせられ、
何より、とてもとても鍛えていただいている
 
ただただ、ありがたい


風圧

今日のレッスンでは、18世紀前半の、
あるドイツの天才作曲家の曲を取り上げた

生徒さんと一緒に、そのデュエットを演奏していて、
その曲の持つあまりにも圧倒的な世界に、
風圧のようなものさえ感じて、
時々、フラフラと、
倒れそうなくらいの感覚に襲われた
 
昨日まで、4日間、仙台での定期的なレッスンを
させていただいていたけど、今日の曲に、
ここまで、
とても新鮮な気持ちで感動できるのも、
仙台でのレッスンのおかげて、音楽に対しての、
こちらの視線と感性が鍛えられたおかげだ、ということと、
そして、
もう1つ、このところ、ずっと、とても集中的に
落語を生で
聴き続けていることが、どれだけ、
自分の音楽と考えを
変化させているかに、
改めて、驚いてしまった
 

ふと、20才の時に、今日の曲をレッスンで
取り上げたら、
当時の先生が、「留学時代に、この曲を演奏しすぎてしまって、
飽きてしまった」と言って、
その日のレッスンに、全然、
乗り気ではなかったことを、
とても久しぶりに思い出した

音楽家って、目の前の1つ1つの曲に対して、
そこにしかありえない現象を、最大限に活かす奏法を
徹底的に模索するよりは、往々にして、
いつものパターン通りに、目の前の曲に対処してしまう

その方が楽だし、第一、時間の能率を考えると、
そのように音楽をこなしてゆかなければならない
状況の人たちも数多いし、また、自分の方法論を、
あらゆる時代の、あらゆる場所の、異なるタイプの曲にも
あてはめてしまう人もたくさんいる
 
 
今日、生徒さんと、18世紀前半のドイツの天才の手による
二重奏を演奏していて、つくづく、1つ1つの曲そのものが、
かけがえのない、互換性のない『旅』なのだ、ということを痛感した
 
行く場所や街によって、見たいもの、食べたいもの、
やりたいことは異なるし、持ってゆくものも、服装も、
何より、自分自身の気持ちも、全然、異なってくる

音楽も旅も人生も、いつも飽きることなく、
新鮮な感動と驚きに満たされていたいと思う
 

落語を集中的に聴く/見るようになってから、
落語家さんの書く文章も、たくさん読んでみた
 
同じ噺を、何度も何度も何度も何度も、
生涯、語り続ける落語家さんたちにとって、
同じ噺を、感動と新鮮さを持って語り続ける、
というのが、どういうことであるのかについて、
今年に入ってから、たくさんのことを教えられた

目の前の曲や、時には、音楽にさえ飽きてしまっている、
今までに出会った、演奏家の方たちのことを、
いろいろと思い出しつつ、
今は、とにかく、
落語と落語家さんたちから、まだまだ、
たくさんのことを学ぶ時だ、ということを、改めて考えた


老人ホーム

4日間の仙台でのレッスン/ワークショップから、
夕べ、東京に戻ってきて、今日は、
うちの2軒隣りの老人ホームでのコンサート
 
そして、その直後、やはり、家から歩いて数分の、
地域のホールにて、
そこの目と鼻の先で生まれ育った
落語家さんによる落語を聴いた
 
これは、「振り込め詐欺」についての、地域の方たちへの、
警察からのお話がメインで、その後のサービスというか、
お客さまにいらしていただくことも兼ねての落語会
 
偶然、その地元の落語家さんの師匠は、こちらが、
家族ぐるみでお世話になっている、大好きな噺家さん
 
落語会の後は、自宅にて、うちの近くに住む方の
レッスンをさせていただいた
 
 
こうして、歩いて1分の距離の場所で演奏させていただき、
その後、家に荷物を置いて、すぐ近くに落語を聴きに行き、
それから、自宅にてレッスンさせていただいているうち、ふと、
ヨーロッパのいろんな街、たとえばヴェネツィアのことを思い出した
 
宿から歩いてすぐの場所で、世界的な名画を楽しみ、
歴史的にもとても重要な教会や劇場を巡り、
買い物のたびに宿に荷物を置きに行き、コンサートも、
お気に入りのレストランも、みんな、宿から数分の距離で
済ませていると、本当に心豊かな気持ちに包まれる
 
そして同様のことは、宿の場所にさえこだわれば、
パリのような大都会でも、充分に可能となる
 
 
今日の落語家さんは、まくらで、このあたりの、
徒歩数分以内の、数十年前まであって、
今はなくなってしまったお店のことなどを話し、
地元のお客様、特に、おばあちゃんたちの心を、
完全につかんでいた
 
 
レッスンの後、ベランダから、目の前の、
411年前に作られた街道を見ながら、
自分が住んでいる場所から徒歩圏内のことを、
もっともっと知りたいと思った
 
この土地の、数百年前のことも、いろいろと
知りたいし、また、徒歩圏内で、楽しく、
食事ができる場所を、今以上に、
増やしてゆきたいって思った
 
と同時に、ツアーのたびに、泊まってる、または、
泊めていただいている、日本のいろんな場所の
定宿の回りのこと、特に、そこから徒歩圏内のことを、
もっともっと大切にしたい、という気持ちに包まれた


London

4日間の仙台でのレッスン/ワークショップの最終日
 
生徒さんの希望により、18世紀の頭の
ロンドンの音楽と取り組んでみた

(フランスとカナダで学び、フランス語も、とても
よくできる彼女は、今月、生まれて初めて、ロンドンを旅する) 
 

楽譜には書ききれない、独特なリズムの拮抗感や、
互いのパートが、シンコペーションのように絡み合う、
ポリリズムとさえ言える展開
 
それらのことって、楽譜を、そのまま、小節線にしたがって、
体を振りつつ、パターン通りに演奏している間は、
どうしても、ずっと気がつくことができない
 
でも、英国の、伝統音楽やロックやクラシック音楽の中には、
そのような拮抗感に満ちた
独自のリズムの感性が満ち満ちているし、
余談だけど、
日本の伝統音楽にも、そのような発想はたくさんある
 
何より、英語のもともと持っているリズムや、また、
英語が、長い時間をかけて、探究してきた、
心地よいリズムのパターンを、知れば知るほど、
目の前の音楽は、新たな様相を呈して、
その本来の魅力を、どんどん、明かしてくれる
 
 
生徒さんの、プロのチェンバロ奏者と、いろんな
実験を重ねながら、ずっっっと、こういう音楽が
してみたかったんだと、そんな想いに包まれていた
 
 
いろんな国からの人たちが集い、
独自の文化が
花開いた当時のロンドン
 
そしてその根底にあった、たとえば、ロンドンにやってきた
ヘンデルにも、大きな影響を与えた、当地の民族音楽
 
 
英国の音楽って、そのいろんな様相を知れば知るほど、
ますます、その魅力のとりこになってしまう
 
そして、そんな後に、アイルランドの音楽と接すると、
どれだけアイルランドの音楽が、みんなが思っているよりも、
ずっっっと、英国の各地の音楽との共通項を持ち、実際、
たくさんの曲を英国から借用しつつ、そんな中、一体どこに、
本当の意味での、互換性のない Irishness があるのか、
ということについては、
大多数の方たちが思っていることや、
本に書いてあることとは、
かなり違ったことが、日々、
どんどん、見えてくる
 
 
ロンドンの音楽と、がっぷり四つに組む中、かえって、
アイルランドの音楽と、日本に生まれ育った自分のことが、
どこまでも、クリアになってゆく・・・・


蚤の市

4日間の仙台でのレッスン/ワークショップの4日目
 
昨日から、仙台から移動して、森の中の、
ある尊敬する職人さん宅でレッスンさせていただいている
 
 
今日は、その職人さんが、朝から、
山形市まで、蚤の市に、連れてってくださった
 
この蚤の市に連れていっていただくのは、今回が2回目
 
 
江戸時代の、和綴じ本や焼き物やコインを、
あきずに眺めつつ、同じ時代の、ヨーロッパの
音楽や絵や建物のことを、ずっと考えていた
 
日本のいろんなところでの公演があるたびに、
今まで以上に、その回りのいろんな神社やお寺や、
名所や、自然の中を、見て回っている
 
 
人生には、いろんな時期があって、その時々に、
いろんなものが、心に迫ってくる
 
 
今日は、蚤の市で、南北朝から江戸時代にかけての、
お伽草子の絵巻のカラー写真がたくさん納められた本と、
慶應3年生まれの、同郷の偉人の書いた文章を集めた本と、
高校時代に読んで、とても印象に残っていた本の3冊を手に入れた
 
それら3冊は、これからの人生の中、2014年の7月の頭に、
山形まで連れてきていただき、そこの蚤の市で買った、
思い出の本として、
人生をいろどってゆく
 
 
今回の人生で、こうして、日本に産まれ育ち、
でも、この国での日々は、異国を旅しているような、
どこかそんな気がしてならない
 
そして、そんな日々の中、異国での日々も、だんだん板につき、
今では、落語に、たくさんの時間を費やしたりしつつ、でも、
いつも心は、自分の返ってゆく場所のことを思い描いている


もっともっと先の世界

4日間の仙台でのレッスン/ワークショップの3日目
 
今日は、仙台から移動して、森の中の、
ある尊敬する職人さん宅でのレッスン
 
いろんな方たちが、集まってくださっているけど、
どの方も、自分を変えることをこわがらない人たち
 
だから、レッスンでも、今まで、避けていた曲や、
よく理解できない曲とも果敢に取り組みつつ、
同時に、今、いちばん興味がある曲について、
今までのやり方や、今までに教わったことだけに
とどまらず、目の前の曲の魅力と、真正面から、
虚心に向き合おうとしてくださっている
 
この方たちとの出会いから教えられたことは、本当に限りなく、
この方たちへのレッスンのおかげで、ヨーロッパの音楽について、
たっくさんのことが、新しく見えてきた
 
惰性に流されずに、いつも、目の前の音楽と、
新鮮な気持ちで向き合い、そこにあるメッセージに
耳をすませている限り、目の前の音楽は、
いくらでも、そこにある秘密について語りかけてくれる
 
 
ここでのレッスンのたびに、ご縁あって出会い、
こうして時を共にし、時の積み重ねを共有している
方たちのおかげで、お互いの人生が、どこまでも
活性化していっていることを、理屈ではなく、
体で実感させていただいている
  
そんな気持ちを味あわせていただけることが、
どんなに幸せなことであるかをかみしめつつ、
でも、これから先、まだまだ、もっともっと先の世界を、
この方たちと一緒に
見てみたいと、心からそう思う


アンサンブル

昨日にひき続き、4日間の仙台でのレッスン/
ワークショップの2日目
 
今日は、レッスンプラス、こちらの演奏家の方たちとの、
8月の福島でのコンサートのリハーサルをやらせていただいた
 
音楽家も、そしてまた、スポーツや武道の方たちにとっても、
今までに習ってきたことや、自分の体になじんだことを離れて、
新しいことを
取り入れることって、とても難しい
 
でも、今日のリハーサルでは、共演者の方たちは、
目の前の曲の魅力を引き出すことや、また、
それぞれの曲を生んだ、特定の時代や場所の
魂とでも言ったものを音として
実現するために、
今までに自分が獲得したものでも、
必要のないものは手放し、
また、必要なものは、新たに
取り入れようとしてくださった
 
それって、実は、音楽家のリハーサルでは、
なかなか、起こらないことだって言ってもいい
 
おかげで、今日もまた、いくつもの、
いろんな新しい試みをたくさん実験できた
 
そして、そんな中、目の前の曲は、どんどん、
新しい姿で、こちらに話しかけてきて、何より、
自分自身の演奏は、常に、変更を余儀なくされ、
新しい世界に向けて、自分にしがみついていることが
できなくなってしまう
 
 
こんな具合に、目の前の曲と関わりつつ、
いろんなことを正直に話しながら、
音楽に献身してゆく時間は、
どこまでも、本当に楽しい
 
小手先のこぎれいなまとまりに急ぐことなく、
たとえ、少々の破たんがあったとしても、
それを恐れずに、
いろんなことを試みている時間は、
生きていることを実感させてくれる
 
 
これからは、こういうアンサンブルだけを、
やってゆきたいと思う


エキサイティングな時間

今日から4日間、仙台でのレッスン/ワークショップ
 
初日の今日は、半年ぶりとなる方たちへのレッスン
 
 
半年間、その方たちにも、こちらにも、
いろんなことがあった
 
そして今、音楽を通して、お互いが、
今までとは違った新しい関係に、
どんどん突入できることが、とても嬉しい
 
 
今日、生徒さんが選んだ曲の中に、
18世紀の頭の
ロンドンの音楽があった
 
今までにも、何度も演奏したことのある曲だったけど、
こうして仙台で定期的にレッスンさせていただいていることが、
直接のきっかけとなって、16世紀から18世紀の、
ヨーロッパのいろんな場所の音楽のことが、
今までよりも、ずっと、よく見えるようになってきた
 
今までに誰かから教わったことや、回りの人たちが
当たり前にやっていることだけに
囚われずに、まずは、
目の前の楽譜と、どこまでも虚心に向き合い、そこにある、
リズムや、
ハーモニー、そして、その曲が実現した、
今までにない新しい響きや発想と、
一方、その曲の中の、
伝統的、因習的な部分を感じ取り、その曲だけの持つ
個性や世界を理解した上で、
その曲を生んだ場所や、
作曲家の話していた言葉のアクセントやリズムや発音から、
その曲に内在する、楽譜には書ききれない響きを探ってゆく
 
それは、決して、ややこしい作業でも、しちめんどくさいプロセスでもなく、
目の前の音符が、楽譜という制約の中から解き放たれ、
羽ばたき始める瞬間を目撃し、それどころか、自らも一緒に
空を飛び回る、そんな、どこまでも自由で創造性に満ちた、
エキサイティングな時間である
 
そして、そんな営みの中から、目の前の方たちが、
音楽への情熱を取り戻し、それが、日々の、
喜びと驚きに満ちた生活に還元されてゆくのを
目の当りにするのは、何にも代えがたく、
本当に、ドキドキする
 
 
仙台でのレッスンで、教えられ、鍛えられているのは、
誰よりも、まず、自分自身なんだと、改めて、つくづく思う


熟成

今日も、1日、朝から夜まで、ずっとレッスン
 
先日の「台本のない劇場」
http://blog.livedoor.jp/paddy1215/archives/2174466.html
に、こんなことを書かせていただいた
 
「レッスンは、単なる、教えることでも、また仕事でもなくて、
とても大切な、人との出会いの場であり、また、
社交辞令やお世辞を超えて、目の前の人と、
どこまでも真摯に関わる時間であり、生徒さんが持ってきてくれた
曲や歌や質問について、一緒になって考えるステキな機会でもあり、
何より、縁あって関わっている目の前の生徒さんが、音楽を通して、
劇的に、どんどん人生が変化してゆくことを、共に体験する、
台本のない劇場でもある」
 
 
1人1人の方たちにとって、人生において、その方たちが望んでいることが
音楽を通して、どんどん実現してゆくことのお手伝いができればと、
そんなことを、心から真剣に考え、願い、思っている
 
と言っても、レッスンはただの精神論だけではなく、あくまで、
それぞれの方たちが、どのようにして、誰かの物まねでも、言いなりでもなく、
あくまで自発的に、目の前の音楽と確信を自信を持って取り組み、
かつ、目の前の音楽と、かけがえのない互換性のない自分が、
どのように有機的に関わってゆくか、ということを、説得力を持って、
目の前の生徒さんたちに伝え、理解していただき、なにより、
楽しみつつ実践していただく、
とても高度な頭脳ゲームでもある
 
 
今日の、それぞれに目的の異なる生徒さんたちのうち、
ある方には、モード (教会旋法) のことや、ハーモニーについて、
徹底的に説明させていただいたり、ある方には、ハープの指使いについて、
とことんこだわって、いろいろと一緒に試みてみたり、また、ある方には、
一切楽譜を使わないで、いろんな曲を、
楽譜とは違う方法論で覚えていったり、
それぞれに、
全然、異なる世界を目指して、こちらも、その都度、
たくさんの刺激をいただき、どんどん、頭が活性化してゆく
 
 
最後の最後には、本からの知識や、外からやってくる、
自分の直接知らない人たちの録音や、映像や、情報ではなく、
やっぱり、目の前の、たくさんの延べ時間を共に費やしている、
ご縁ある方たちとの関わりの中から、自分の音楽も考えも、
そしてまた人生も鍛えられ、試され、熟成してゆく
 
超絶技巧や、完璧なものや、 こぎれいなものや、また、
世間的によく知られていたり、
評価されているもののほかにも、
素晴らしいものや、自分の人生を
変えてくれるものは、山ほどある
 
アイルランドのお百姓さんの演奏家たちから学んだそのことを、
今は、日本での生活の中、
実際に、目の前の生徒さんたちとの
関わりを通して、
もう一度、別の形で体験している自分がいる


1回1回のレッスンのたびに、確実に、
自分自身が、とても変わってゆく

そのことを、日々、自覚しながら生きてゆけることは、
とても楽しく、ただただ、本当にありがたい


ほうば巻

そして、7月がやってきた
 
今年の下半期が始まった
 
ほんとのほんとには、7月2日の正午が、
2014年の折り返し点となるけど、でも、
やっぱり、気分的には、今日が、
今年の後半戦の幕開けである
 
 
西日本ツアーから帰って、レッスンが続いていたある日、
レッスンの最中に、長野からの宅急便が届いた
 
お世話になっているご夫妻からのプレゼントで、
中身は、ご主人様の実家の、老舗の和菓子屋さんの
「ほうば巻」だった
 
木曽地方で、月遅れの6月の端午の節句に、
各家庭で昔から作られてきた、お祝いのお菓子
 
米の粉を練った餅にあんを包み、朴(ほお)の葉で包み、
蒸すことで、香り豊かに仕上げる
 
朴の葉が採れる5月末〜7月下旬頃の季節限定のお菓子とのこと
 
特に、ここの「ほうば巻」は、枝になっている葉っぱをちぎらずに、
枝についたままの状態でお餅を包んだもので、つまり、食べる時に、
枝から葉っぱをちぎって、その中から、お餅を取り出すこととなる
 
その野趣に富んだ雰囲気がまた、とってもそそられる・・・・
 
 
「ほうば巻」添えられていた、この老舗のお菓子屋さんの
パンフレットには、こんな句が書かれていた
 
 
ふる里を つつんでおくる ほうばまき
 
 
このお菓子を送ってくださったご夫妻の奥さまは、
句集を何冊も出されている俳人

先ほどの句を読んでいたら、ふと、
お菓子のお礼を俳句で
送ってみようと思いついた
 
 
梅雨さなか 届きし想い 木曽路より 
 
月遅れ 端午の節句を また祝い
 
木曽谷を そのまま味わう ほうば巻き
 
 
そして、お礼のタイトルを、「三句 thanks」としゃれてみた
 
 
5月に、ご夫妻のご自宅で演奏させていただいた時、
いろんなステキな展開があり、その時の気持ちを、
本当には、全然、何もわかっていない俳句に託して、
お伝えさせていただいた
 
そしたら、「さすかプロっ !!」と、思わず叫びたくなるような、
見事な添削をしてくださり、その道の達人というのは、
本当にスゴイものだと、心から感動した
 
 
今回、美人奥さまの目には、三句にのせた、
thanks/感謝の気持ちが、どんなふうにうつるのか、
とてもドキドキしている・・・・
 
 
それにしても、改めて、ご夫妻に
お会いできる時が、
本当に楽しみだ
 
そう思える人が、同じ時代にいること、
そして、そんな人たちの住んでいる、
自分の家から遠く離れた場所を、
なつかしく思える気持ちって、
とてもステキなことだと思う・・・・


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