今夜は、都内の某所での、大阪の落語家さんの会
今までに、東京と大阪で、何度も聴いている噺家さん
まくらの中で、上方と江戸の落語の違いや、また、東京と大阪の
落語の世界の風習やしきたりや常識の違いについての、
ためになる、とても興味深い話が、たくさん登場した
ためになる、とても興味深い話が、たくさん登場した
このところ、「関西」について考えさせられることが、
いろいろと続いていただけに、今日のお話は、
とっても、勉強になった
先々週は、仙台での定期的なレッスン/ワークショップだったけど、
この会を中心になって、引っ張ってくださっているのは、
関西出身の美人演奏家
仙台にやって来て、関西とのあまりの文化の違いや、
人との関わり方の方法論の違いに、いろいろと戸惑いつつ、
そんな中、彼女も、日々、いろんなことを学んでいる
彼女の話を聞かせていただきながら、同じ関西人として、
いろーーーんなことを、改めて、考えさせられ、また、何より、
ありがたいことに、日々の出来事の中で、彼女の話のおかげで、
いろーーーんなことを、改めて、考えさせられ、また、何より、
ありがたいことに、日々の出来事の中で、彼女の話のおかげで、
新たにわかったことや、気がついたことも、いくつもあった
先週の土曜日に、初の試みとなる、落語家さんとのコラボを
やらせていただいたけど、その噺家さんもまた、
江戸の落語をされているものの、出身は関西の人
(偶然、今書いた、仙台に住む、
関西出身の美人演奏家と同じ街の生まれ)
落語家さんとの初コラボでは、お客さまの前での、
彼とのフリートークの中でも、上方と江戸前の違いについて、
ぼく自身の、20代の時の、江戸前の日本の笛太鼓の世界での
体験も絡めて、いろんな話が飛び出した
関西と言っても、そしてまた、江戸前と言っても、
そこには、それぞれに、いろんな様相があり、
関西の文化の中にも、また、江戸前とくくられる
価値観の中にも、それぞれに、たくさんの、相容れない、
さまざまな切り口や世界観がうごめいている
今日の大阪出身の落語家さんによる上方落語と、
彼自作の新作落語を聴きながら、数時間の間に、
自分の中の「関西」が、どんどん、大きく変化してゆく
関西の文化も、江戸前の文化も、今や、その両方が、
ぼくにとって、かけがえのない大切な自分の一部
特に、東京に出てきてから出会い、20代に、
たくさんの時間とエネルギーを費やした、
江戸前の笛太鼓の世界は、自分の中で、
さまざまな事や、何より、音楽について考える上での、
1つの大切な柱となっていることを、近頃、
思い知らされることが続いている
と同時に、関西と東京、上方と江戸前について、
どちらがどうということよりも、それぞれの中の、
自分にとっての最上の部分を、これからの人生、
自由に楽しみつつ、行き来し、さらには、それプラス、
ご縁のある、いくつかの国の、特徴的な文化や言葉や
音楽の方法論も、自由に行き来できる、そんな人生がいいなぁ、
ご縁のある、いくつかの国の、特徴的な文化や言葉や
音楽の方法論も、自由に行き来できる、そんな人生がいいなぁ、
などという、今日の落語会の雰囲気とは、随分違ったことが、
今日は、ずっと、頭の中をめぐっていた
今日は、ずっと、頭の中をめぐっていた
夕べ、モンティ・パイソンによる、イエス・キリストの
パロディーの、とても良くできた素晴らしい映画を見た
各国で上映禁止が相次いだ問題作
その中で、イエス・キリストと同じ日に産まれた、
ブライアンという男が、救世主だと勘違いされてしまい、
必死で否定する中、誰かに盲従するのではなく、
自分で考えることを、目の前の信者たちに説く場面がある
とっても個人的なことだけど、その映画の中のそのセリフと、
そして、今日の大阪生まれの落語家さんの独演会のおかげで、
ずっと、考え続けていた、「上方」と「江戸前」について、自分の中の、
煮え切らない想いや迷いが、すっかり、吹っ切れてしまった
そして、今日の大阪生まれの落語家さんの独演会のおかげで、
ずっと、考え続けていた、「上方」と「江戸前」について、自分の中の、
煮え切らない想いや迷いが、すっかり、吹っ切れてしまった
人生って、どこで、どんな風に、こうして、
転機がやってくるか、その日の朝には、
予想さえつかない
時の流れって、ほんとにおもしろい