フェイクスイーツ、とかスイーツデコ、というのはこの数年ですっかり広まったように思います。
いろんな本が出ています。
私が習い始めた頃はまだ本は数冊しか出ていませんでした。
自分が身に着けたいから作るという人が多い中。私自身はアクセサリーをつけない人間なので(金属アレルギーのため)身に着けるというよりは。作る楽しさを感じたいところから始まっています。
洋菓子そのものに興味を覚えたのは、小学3年の時でした。
当時、母がガスオーブンを購入、近所のパン教室に通っていて、焼きたてのおいしいパンを作ってくれました。
その時、オーブンの取り扱い説明書に載っているおいしそうなアップルパイを見て、自分も作ってみたいといいましたが母は作らせてくれませんでした。
ガスオーブンでお菓子を焼くには余熱が必要で、当時の性能ではかなり時間がかかり、ガス代がバカにならなかったそうです。それはあとから教えてもらったことで、その頃は頭ごなしに無理と言われただけでしたが。
仕方なく洋菓子の本を読みたいと思いましたが家には一冊しかありませんでした。それを暗記するまで読んだけれども、物足りず。買ってもらえなかったので、図書館に連れて行ってもらい、一番最初に借りたのが「フランス菓子の基礎」という本でした。(名前はあやふやです)表紙は黄色みのかかったピンクのペールトーン。アイシングクッキーのアーガイル模様だったような。
この本で作れないけれども、お菓子の生地の名前や素材の名前を憶えて、味を想像していました。
当時の日本の洋菓子のレベルは今とはほどとおく。私の記憶ではしつこめのバタークリーム、強い甘み、
少しして生クリームのケーキが出てきましたが、果物はドレンチェリーや、アンジェリクなど砂糖漬けか、缶詰のミカンやパイナップルなどでした。
もっとおいしいものもあったのでしょうが、庶民には手が届かなかったと思います。
もっぱら憧れは、欧米の物語に出てくる見たこともない食べ物でした。
赤毛のアンのレイヤードケーキ。ソフィー物語の「果物の砂糖漬け」→おそらくですがこちらではないかと。
北欧の物語、木苺の王様の木苺、当時の日本では手に入りづらいものばかりを夢想しておりました。
マンガを読んではいけない、歌謡曲を歌ってはダメと厳しく育てられたので、物語の世界に入りこみ、大好きなお姫様やおいしそうなお菓子の想像をするのが楽しかったのかもしれません。
もちろん非常に食い意地が張った子供であったのも事実ですが(苦笑)
実際にケーキを作れるようになったのは高校生の頃です。綿の国星のお菓子の本が発行され、大島弓子が大好きだった私は、お菓子を作るようになっていました。(実際大島さんの漫画にはお菓子がたくさん出てきます)
高校時代は仲の良い数人の友達といつもクッキーやマドレーヌなどを焼いては交換していましたが。
ある日、ガス代があまりにもひどいというので、禁止されました。
そこから長い間、お菓子を作るのをやめていたのです。お菓子を作るというのは小さいころからの憧れであったにもかかわらず。
そして実に30年ぶりに私はお菓子を作ることになりました。粘土で。これならカロリーも気にせずに済むし。
と思ったのですが。そこには罠?がありました。
(画像はハーフセラという粘土で作ったスコーンです)
他の作品はこちらでどうぞ。
いろんな本が出ています。
私が習い始めた頃はまだ本は数冊しか出ていませんでした。
自分が身に着けたいから作るという人が多い中。私自身はアクセサリーをつけない人間なので(金属アレルギーのため)身に着けるというよりは。作る楽しさを感じたいところから始まっています。
洋菓子そのものに興味を覚えたのは、小学3年の時でした。
当時、母がガスオーブンを購入、近所のパン教室に通っていて、焼きたてのおいしいパンを作ってくれました。
その時、オーブンの取り扱い説明書に載っているおいしそうなアップルパイを見て、自分も作ってみたいといいましたが母は作らせてくれませんでした。
ガスオーブンでお菓子を焼くには余熱が必要で、当時の性能ではかなり時間がかかり、ガス代がバカにならなかったそうです。それはあとから教えてもらったことで、その頃は頭ごなしに無理と言われただけでしたが。
仕方なく洋菓子の本を読みたいと思いましたが家には一冊しかありませんでした。それを暗記するまで読んだけれども、物足りず。買ってもらえなかったので、図書館に連れて行ってもらい、一番最初に借りたのが「フランス菓子の基礎」という本でした。(名前はあやふやです)表紙は黄色みのかかったピンクのペールトーン。アイシングクッキーのアーガイル模様だったような。
この本で作れないけれども、お菓子の生地の名前や素材の名前を憶えて、味を想像していました。
当時の日本の洋菓子のレベルは今とはほどとおく。私の記憶ではしつこめのバタークリーム、強い甘み、
少しして生クリームのケーキが出てきましたが、果物はドレンチェリーや、アンジェリクなど砂糖漬けか、缶詰のミカンやパイナップルなどでした。
もっとおいしいものもあったのでしょうが、庶民には手が届かなかったと思います。
もっぱら憧れは、欧米の物語に出てくる見たこともない食べ物でした。
赤毛のアンのレイヤードケーキ。ソフィー物語の「果物の砂糖漬け」→おそらくですがこちらではないかと。
北欧の物語、木苺の王様の木苺、当時の日本では手に入りづらいものばかりを夢想しておりました。
マンガを読んではいけない、歌謡曲を歌ってはダメと厳しく育てられたので、物語の世界に入りこみ、大好きなお姫様やおいしそうなお菓子の想像をするのが楽しかったのかもしれません。
もちろん非常に食い意地が張った子供であったのも事実ですが(苦笑)
実際にケーキを作れるようになったのは高校生の頃です。綿の国星のお菓子の本が発行され、大島弓子が大好きだった私は、お菓子を作るようになっていました。(実際大島さんの漫画にはお菓子がたくさん出てきます)
高校時代は仲の良い数人の友達といつもクッキーやマドレーヌなどを焼いては交換していましたが。
ある日、ガス代があまりにもひどいというので、禁止されました。
そこから長い間、お菓子を作るのをやめていたのです。お菓子を作るというのは小さいころからの憧れであったにもかかわらず。
そして実に30年ぶりに私はお菓子を作ることになりました。粘土で。これならカロリーも気にせずに済むし。
と思ったのですが。そこには罠?がありました。
(画像はハーフセラという粘土で作ったスコーンです)
他の作品はこちらでどうぞ。
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