2007年02月14日

学力テスト反対運動は避けて欲しい

読売新聞が伝えるところによると、北海道教職員組合本部が支部に対して、4月に行われる全国学力テストに非協力を指示しているのだそうです(こちらを参照)。
道教委のいじめ実態調査にも非協力だった、とか、組合の幹部は「学力の定義や調査内容に疑問がある」と言っているなどと書かれていますが、読売新聞の報道がどこまで真実なのかはわかりません。

私はジャーナリストでも何でもない一市民でしかないので、実際に取材をしているわけではありませんが、扶桑社の歴史教科書の採択反対運動に参加したりして聞いた範囲での印象で言うと、組合系の人とおぼしき人に、学力に関して競争原理を持ち込むことへの強い抵抗感があることを感じます。
数学などで習熟度別授業を行っている公立中学校の先生が、「子どもがバカのクラスに回されてしまうと泣いていた」、などと発言するのも聞いたことがあります。

私がボランティアで通っている小学校でも算数の授業の一部は習熟度別で行われていています。
習熟度別と言っても、できるコース、できないコースという分け方ではなく、ぐんぐんコースとじっくりコースというような呼び方をしていたと思います。
私は、自分でどんどん問題を解いてしまう子どもを見ていてもすることがないので、じっくりコースの方にお邪魔させて頂いていますが、子どもたちが暗い顔でいるかと言ったら、そんことは全くありません。
確かに、椅子に座っていられない子ども、すぐにふざけてしまう子ども、あまり計算には向いていないと思われる子ども、も、いますが、進度の遅い子どもでもできるようになりたい、計算を速くできるようにしたい、という前向きの意欲は必ず持っています。
きちんと丁寧に教えれば確実にできるようになります。
先生が、ちょっと遅れ気味なので、先に進むけどいいかな、と、聞くと、じっくりコースなのだからゆっくりやって欲しい、という声が返ってきます。
子どもたちは、確実に納得できるまで教えてくれることを望んでいるのであって、進度が遅いと言うことで子どもが悲観したり、劣等意識を抱くということはないのです。
進度が速い、遅い、計算練習を10題で終わらせるか、100題やらせるか、と、言ったことは、運動会の競走で1番になるか、ビリになるか程度の意味しかないのです。
運動会で障害をもつ子どもがビリになってしまうのは残酷に見えるかも知れませんが、たとえ遅くても健常者と同じように努力して最後まで走りきることに拍手です。
将来仕事についたときに、要領の良い子どもは月給100万円稼ぐかも知れませんが、月給10万円でも、自分でお金が稼げるのなら立派です。
月給が少ないから自分には発言資格がない、などと思うことはありません、収入のない人であっても、どんどん社会に向かって発言すべきです。

「子どもがバカのクラスに回されてしまうと泣いていた」、と言うこと自体が、この発言をする一見リベラルな先生の心の中に、同じ時間で100題計算する子は偉くて、10題しか計算できない子はダメな子、月給100万円を稼ぐ人には発言権があって、収入のない人は社会に対して発言すべきでない、という差別意識があるのではないか、と、私は思います。
子どもの目線に立って、子どもにとって何が最善か、と、考えるのなら、子どもの状況に即して、早くできてしまう子どもにはたくさん課題を与え、ゆっくり進む子どもには、どうやれば早くできるようになるのかを丁寧に教えること、習熟度別授業こそが最適な授業形態であって、これを差別だ選別だ、と主張することには、私は賛成できません。

私が見てきた高校生でも、実は、泣いている生徒は、授業について行けない生徒ではなく、授業がゆっくり過ぎて忍耐できない生徒なのです。
高校から、卒業させてやらないぞ、などと脅されて精神的苦痛を受けながらも、学校に行かずに独学で早大・慶大などの難関大を目指して頑張る生徒がいます。
同じ箱の中に、理解の早い生徒とゆっくりしている生徒を詰め込んで、ゆっくりした生徒に進度を合わせれば、理解の早い生徒の方は必ず退屈してしまいます。
退屈しているのに、内職はダメ、居眠りもダメ、わかりきっていること・完全に理解しきっていることを尚くどくどと説明するのを聞け、などと言われたら、これはカンボジアでポルポトがやった拷問以外の何ものでもありませんね。
理解のゆっくりしている生徒に味方をするようなことを言う先生が、実際には、進度の速い生徒を虐待同然に扱っている、ということを、有名な進学校に通う生徒から聞くことがあります。
そして、こういう被害に遭う生徒は、勉強に没頭する傾向の強いアスペルガーの子どもであることがほとんどなのです。
習熟度別授業に対する批判は、発達障害に対する差別だとしか言えませんね。

学力テストが行われなければ、その子どもには、自分の立つ位置がわかりません。
習熟度別授業のために子どもに自分のポジションを教え、その子どもが自分はどういう教育を受けることが最適なのか、ということを認識させるために、学力テストは必須です。
まして、入学試験などが、学力テスト以外の方法、面接、論文などで行われて、何が判断基準なのかわからない、敬語の使い方なのか、容姿・服装なのか、もしかすると、家の収入なのか、政治家や弁護士や医者や会社経営者の息子でなければいけないのかも知れない、ということになれば、この方が遙かに不公平であり、子どもに生きる希望、努力する意志を失わせることになります。
学力テストがもっとも公平な競争の手段なのです。

都教委は、中学・高校の卒業式で「君が代」を歌わない、あるいは、起立しない、あるいは生徒に歌わせられない先生を処分しました。
私は、国家的行事とは言えない卒業式のような行事に「君が代」は不似合いだと思いますが、式次第に「君が代」斉唱を入れたとして、歌わずに口を閉じている先生がいても、生徒は変な先生もいる、と、思う程度のことだろうと思います。
ここで、無理矢理に口をこじあけて歌わせることにどういう意味があるのでしょうか?
また、口をパクパクさせていればいいんだというような教育、国や郷土を愛する「態度」さえできれば良いという教育、そんな教育に意味があるとは思えません。
ああ、日本に生まれて本当に良かった、日本人として頑張ろう、と、子どもたちが実感できるような「愛国心」でなければ意味がないのです。
都教委がやったように、歌わないから、という理由で先生を処分することは、日本人の連帯を失わせるという意味でまさに反愛国的であって、処分されるべきは、都教委で処分などと言う発想を取る愛国心のカケラもない人たちの方です。
こういう処分に反対して、また、先生が授業をし易い環境を作って欲しいという要求を出すために、教職員組合が運動すること当然のことでしょう。
ですが、教育の意味に支障が出るような条件闘争であるのなら、私には支持できません。
学テ反対運動、妨害活動などということになれば、被害を受けるのは子どもたちです。
明日の日本を担う子どもたちに被害が及ぶような事態だけは避けて頂きたいと思います。

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paintbox77 at 12:09│Comments(0)TrackBack(0)教育 

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