菜 根 譚

2005年12月10日 10:42

攻人之悪、毋太厳、要思其堪受、教人以善、毋過高、当使其可従

「人の悪を攻むるは、太(はなは)だ厳なることなかれ、その受くるに堪えんことを思うを要す、人に教うるに善をもってするは、高きに過ぐることなかれ、まさにそれをして従うべからしむべし」

人の過ちを批判するときには、厳しすぎてはならない。相手がそれを受け入れられるかを考えるべきである。人を指導するときにも、目標が高すぎてはならない。従うことのできる目標を与えるべきである。

人能誠心和気、愉色婉言、使父母兄弟間、
形骸両釈、意気交流、勝於調息観心万倍矣

「人よく誠心和気、愉色婉言(ゆしょくえんげん)、父母兄弟の間(あいだ)をして、
形骸(けいがい)ふたつながら釈(と)け、意気こもごも流れしめば、
調息観心(ちょうそくかんしん)に勝(まさ)ること万倍なり」

一家中が誠実に、平和に、表情も言葉も穏やかに、心をひとつにとけ合わせて暮らしていくならば、その功徳は、むずかしい座禅の修行よりもはるかにまさっている。

処世譲一歩為高、待人一分是福

「世に処するには一歩を譲るを高しとなす、人を待つには一分をにするはこれ福なり」
一歩下がることが、さらに前進するための土台となる。人のためを考えることが自分に利益をもたらす基礎となる。

2005年10月03日 21:50

擺脱得俗情、便入名流、減除得物累、便超聖境

「俗情を擺脱(はいだつ)し得れば、すなわち名流に入る、物累を減除し得れば、すなわち聖境を超ゆ」

くだらぬ欲望を捨て去る事ができれば、人格の向上ができる。
つまらぬ雑事にとらわれなければ、すぐれた人物となることができる。

fa28e645.jpg面前的田地、要放得、使人無不平之歎、
身後的恵沢、要流得久、使人有不匱之思


「面前の田地は、放ち得て(ひろ)きを要し、人をして不平の歎(たん)なからしむ、
身後の恵沢は、流し得て久しきを要し、人をして不匱(ふき)の思いあらしむ」

この世に生きているうちは、できるだけ寛容の心で人に接し、不満の心を抱かせないようにしたい。世を去ったのちにも、できるだけ多くの恩恵を残して、人々に満足の心を持ってもらいたいものだ。


2005年09月19日 20:59

712ed70d.jpg

耳中常聞逆耳之言、心中常有払心之事、纔是進徳修行的砥石、若言言悦耳、事事快心、便把此生埋在鴆毒中矣

「耳中常に耳に逆らうの言を聞き、心中常に心に払(もと)るの事あれば、
わずかにこれ徳に進み行ないを修むるの砥石(しせき)なり、
もし言々耳を悦(よろこ)ばし、事々心に快ければ、すなわち、
この生を把(と)りて鴆毒(ちんどく)のうちに埋在(まいざい)せん」

耳に入るのは甘いお世辞ばかり、何事も思いのままという環境ならば、
知らぬまに猛毒に侵されて一生を台無しにするだろう。



2005年09月09日 12:56

a1646259.jpg人ノ過誤ハ宜シク許スベシ。シカレドモ己ニ在リテハ則チ許スベカラズ。己ノ困辱ハ正ニ忍ブベシ。シカレドモ人ニ在リテハ則チ忍ブベカラズ。

他人の過ちは見逃して許すべきである。しかし自分の過ちは許してはならない。自分の苦しく辛いことは忍耐すべきであるが、他人が困っている時には無関心であってはならない。



2005年07月02日 18:03

10103300.JPG己ヲ反ミツ者ハ、事ニ触レテ皆薬石ト成リ人ヲ咎メムル者ハ、念ヲ動カセバ即チ是レ戎矛ナリ。一ハ以テ諸悪ノ源ヲ深クス。相去ルコト霄壤タリ。

反省する者は何事につけその反省が良薬になるが、人の過失をとがめる者は、実は自分を傷つける矛となって戻って来る。前者は多くの善行を開く路だが後者は諸悪の根源を深くする。両者の相違は天地雲泥の差である。


2005年06月14日 11:25

耳中常ニ耳ニ逆ラウノ言ヲ聞キ、心中常ニ心ニ払(もと)ルノ事アレバ、ワズカニコレ徳ニ進ミ行ナイヲ修ムルノ砥石(しせき)ナリ、モシ言々耳ヲ悦(よろこ)バシ、事々心ニ快ケレバ、スナワチ、コノ生ヲ把(と)リテ鴆毒(ちんどく)ノウチニ埋在(まいざい)セン

耳に入るのは耳の痛い言葉ばかり、
することなすこと思うようにいかないという状態の中でこそ、人間は磨かれる。耳に入るのは甘いお世辞ばかり、何事も思いのままという環境ならば、知らぬまに猛毒に侵されて一生を台無しにするだろう。


2005年06月11日 21:37

水ハ波タタザレバ則チ自ラ定マリ鏡ハクモラザレバ則チ自ラ明ラカナリ、 故ニ心ハ清クスベキコトナク、ソノコレヲニゴラスモノヲ去レバ清自ラ現ル。楽ハ必ズシモ尋ネズ、ソノ苦シムモノヲ去レバ、楽自ラ存ス

水は波が立たなければ本来静かなものであり、鏡はゴミがつかなければ自然に明るさを保つ性質がある。だから人の心も清くすることを考えるよりはむしろにごらすものを取り去れば本来の清らかさが出てくるものだ。また楽しみは必ずしも離れたところにあるものではなく、苦しめるものを取り去れば、自然に楽しみが湧いてくる。

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