UNI

楕円曲線・Galois表現(局所も大域も)・サボテン(まるいやつ)・ラムネが好き。

先日のセフェム系の抗生剤は、かゆみこそ出なかったものの、2日間にわたってお腹がゆるゆるになってしまったので、使用を中断しました・・・。痛みはなかったのだが・・・この副作用?アレルギー?はなかなか悪質だった。小さい頃にダメだった薬は今でもダメなのだな。





今日、サボテン・多肉植物専門店「鶴仙園」の店長のブログで直近の入荷情報を調べていたところ、8/5の入荷情報で、良さそうな顔をした花サボテンが入荷されているのを発見。
「しまった、一昨日か!」「しかし花サボテンはニッチな世界だからまだ売れずに残っているかも!!」ということで、暑いなか急遽、池袋西武屋上まで行ってきた。が、売り場に飛び込んでキョロキョロ探してみるも、見当たらない。
見逃しているだけかも・・・?と思って、レジのそばにあるチランジア売り場で作業をしていた店長に「これありますか?」と聞きながらスマホのページを見せようとしたが、スマホを見る前に「今売れちゃった!」と一言。店長は僕がそのサボテンを探しに来たことを分かっていたのだ。そして、レジにはたった今そのサボテンを買ったおっちゃんが。同じサボテンを狙っていて、まさかの数分の差で売れてしまっていたのだ!完全に同じ思考回路と同じタイミングで同じサボテンを狙いに鶴仙園に慌てて来たということだったので、なんだか可笑しくなってしまった。
そのおっちゃんは花サボテンなどを長年育てている愛好家さんで、鶴仙園にもサボテンの写真のアルバムを寄贈するなど、常連さんのようだ。アルバムは僕も拝見したことがあり、お会いしてみたいと思っていたところだった。逆に、そのおっちゃんも僕のことを店員さんから(花サボテン好きと)聞いていたらしく、僕のことを知ってくれていた。
その後、おっちゃんとは少しだが話をして意気投合し、お互い頑張りましょうと固い握手をしたのちに別れた。サボテンは一品モノで巡り合わせなので、今回僕がそのサボテンを買えなかったというのは何も問題はない。これも縁というか、行くべきところに行ったのだ、ということだ。それ以上に、花サボ好きの同志というか先輩とお会いできたことがとても嬉しかった。
結局僕は別のサボテンをいくつか買い、ウキウキで大学へと向ったのだった。

僕の趣味は何と言ってもサボテンだ。
最近はありがたいことに知り合いの間にも僕のサボテン熱がじわじわと伝わってきたようで(呆れられている空気も感じるが・・・)、ここら辺でサボテンについて書いてみようと思う。

まず、サボテンについて皆が想像するのは砂漠に生える柱状のサボテンだと思うけど、それはサボテンのほんの一例にすぎない。サボテンはアメリカ大陸の北から南まで広く分布し、自生する環境もまったく異なる(標高など)。細かく分けると何千という種類があるとも言われ、その生態や姿は千差万別だ。ということで、サボテン愛好家の中でも、こだわるポイントというのは人それぞれだ。
豪壮なトゲや渋い姿に魅了される人も多いサボテンだが、特に僕は花の綺麗なサボテンが好きで、そういうのを重点的に集めている。まずは今年咲いた花の写真を僕のインスタから引っ張ってみる。これらはエキノプシスやロビビアと呼ばれる花が美しい種類の交配種だ。(写真の下に名前)





Maria Piazza





オイラン




アヤカ




コロナ




大朱桃丸




広瀬の朝




エレガンスピンク




黄花ソエレンプシス




緋絞丸




ロビビア交配種





サンディ


どうでしょうか!!?!?
そもそもサボテンに花が咲くというのがあまり知られていないのだが、個人的にはむしろサボテンほど美しい花を咲かせる植物もそうそうないと思っている。もっと評価されて欲しい。





〜育て方について〜

「砂漠に生えている植物だから水いらないんでしょ?」と言われてしまうが、そんなことはない。確かに乾燥には強い生き物だけど水がないとじわじわ弱っていくだけである。

育てる環境(日当たり・風通し・土の配合・ハウスの有無)次第で育て方は変わってくるので育て方をマニュアル化することは出来ない。結局は、試行錯誤を重ねて、植物の様子をじっくり観察して、自分の育てる環境にあったやり方を見出していくしかないのだ。

ただ、育て方の大まかな目安を書いておくと、次のような感じだ。

【基本】
サボテンはインテリアではありません!!日光と通風が必要なので、部屋で育てようとしてもうまくいかない。屋外管理が基本!また、霧吹きで表面だけに水をやるのもほとんど無意味!そして、環境をコロコロ変えないというのも大事。(数年前のダ○○○○スのCMはこの基本を全て無視しており、サボテンへの誤った理解を広めていたという意味でBPO案件ものと言わざるを得ません!!)

【春と秋】
とりあえず、東京でハウスなしという状況を想定して書いてみる。成長期と言われる「3月中頃から梅雨まで?」と「9月から11月末まで?」の「日中はそれなりにあったかくて夜は気温が下がる季節」にはかなり大胆にお水をあげても良いと思う。
乾いたな、乾きそうだな、というタイミングで水をザバーっと(鉢底から水が抜けるくらいたくさん!)あげてしまって良い。そして、日当たりが良く風通しの良い場所に置くのだ。

【夏】
難しいのは夏の管理だ。「サボテンって夏に元気なんじゃないの?」と思う人が多いので意外かもしれないが、日本の夏は湿度も高くて夜も蒸し暑いのでサボテンの自生地とは全然違う。なので、やはり日本の夏はサボテンにとっても我慢の時期なのだ(高温を好むサボテンもいるけども)。夏越しをするために、なるべくサボテンの体力を落とさないようにする必要がある。種類によっては直射日光を避けるために少し遮光したり、涼しくなった夕方に軽く水をサーっとあげたりすると良いと思う。

夏場にやってはいけないこと:水をたっぷりやった状態で炎天下に晒してしまうと、蒸れてしまってサボテンが根元から腐ってしまう。また、気まぐれに涼しい室内に入れてしまうのも、サボテンが環境に適応できずに弱ってしまう。

【冬】
冬の管理も気は遣うが、夏ほどではない。寒さに強くない種類もあるけど、基本的に耐寒性はそこそこあって、東京の冬くらいならそれほど心配はいらないと思う。寒い風に当たりすぎるのはちょっと心配で、ハウスがあればいいなと思うことも多いが、普段から寒さに慣らしておけばそれなりに耐えてくれる。冬は根の動きも止まってしまうので、水をやってもほとんど吸ってくれない。したがって、水やりは基本的に止めるけど、たまに、比較的あったかくて晴れた日の昼前くらいに軽くサーっと水を掛けてあげるといいと思う。夜には乾いているくらいが理想。

さっき歯医者に行ってきて一応抗生剤と痛み止めをもらった。
処方されたとき、アレルギーが心配だったので「何系の抗生剤ですか?」と聞いたのだが、よく分からないと言われたので、まあ後で調べればいいかと思って貰っておいた。
僕は、セフェム系の抗生剤にアレルギーが疑われ、ニューキノロン系の抗生剤には確実にアレルギーがある。小さいころ、セフェム系のケフラールを飲んだらかゆみが出たということなので、親から呪文のように「セフェム系ケフラール」「セフェム系ケフラール」と刷り込まれていた。でも、小さいころだったので、今飲めば違うかもしれない・・・。一方、ニューキノロン系の抗生剤は、数年前に摂ったときに余りの苦しさと気持ち悪さのせいで横になったまま動けなくなるという地獄の経験をしたので、これは絶対に摂ってはいけないと決めている。

で、今回もらったフロモックスをググってみると、セフェム系でした!!!

え・・・セフェム系か・・・。アレルギーを気にしてわざわざ何系かと聞いたのに「分からない」って無責任だろ・・・と改めて思ったが、「今は大丈夫かもしれない」「ニューキノロン系よりマシ」ということで、先ほどイチかバチか飲んでみました。これでセフェム系が本当にダメかどうかがわかる。心なしか足がぴりぴりしてきた気がするが、今のところ大丈夫。また報告します。

・今日、1限に試験監督の用務があったので頑張って早起きして大学の試験本部に行ったら、教務課の人がスッと寄ってきて
「担当教員の先生がおっしゃっていたのですが、受験人数があまり多くないので吉川さんがいなくても大丈夫だそうです」
と突然の戦力外通告をしてきた。





・こないだチュニジアでO井君たちと街でブラブラしている時に、僕が
「アフリカというとあまり水が潤沢という印象がないんですけど、お店とかには普通に水が安値で売ってますよね。これってどういうことなんでしょうかね…」
と言うとO井君が
「いや、そういうこと考え始めると怖いんで僕は考えないようしていますね…」
と意味深な感じで言ってきた。
ホテルに戻ってからこの言葉の真意が気になった。結局、色々考えた末に

☆実は下水などをきちんと処理しないままパッキングした「粗悪ミネラルウォーター」が横行している
☆O井君はそれを知っていたが、そのことを考えると怖くて水が飲めなくなるから敢えて考えないようにしていた

という結論に至り、僕はひとり戦慄した。
この恐ろしい推理を誰にも言えずモヤモヤしたまま1日2日が経った時、O井君がふいに
「あれから僕チュニジアの水事情を調べたんですけど、どうやら泉みたいなのがチュニジアに無数にあって、それで水には全然困っていないようですよ」
と報告してくれた。
想像とは180度真逆の報告に僕は戸惑って、実は僕はこう想像していたんだけどとO井君に伝えると、ギャハハと笑いながら
「何も考えてませんでしたねえ・・・どうでもよかったんで適当に答えただけですねたぶん」
みたいなことを言われた。
ここ数日のモヤモヤがバカバカしくなったとともに、チュニジアに対して失礼な誤解をしていた自分を恥じ、O井君にどうでもいい話をしてしまった自分が情けなくなった。何にもプラスにならないエピソードであった。





・先日北海道にて、I藤さんからチクリと
「前回、吉川君が倉敷に来た時、吉川君にお菓子をほとんど食べられた気がするんだけど」
と言われてしまったので、明日から始まる倉敷の「夏の学校」用にお菓子を爆買いしておいた。これで誰も文句はないはずだ。僕の荷物の体積比50パーセント〜60パーセントはお菓子になる予定だ。





・この間、S水君が喜びそうなとっておきのTシャツをゲットした。

日本では買い物の際に値切ることなんてほとんどない。
でも、チュニジアでの買い物では値切るのがほぼ必須だ(たぶんスーパーマーケットでは値切ることはないけど)。その際には色々な駆け引きをすることになる。
失敗も成功も含めて色々あったので、どんな感じだったか書いてみる。


まあ要するに、ドラクエ3のアッサラームにあるお店そのものである。

 おお! わたしの ともだち!
 おまちしておりました。
 うっているものを みますか? 「→はい いいえ」
 おお! おめがたかい!
 128ゴールドですが
 おかいになりますよね? 「はい →いいえ」
 ・・・・

というやつだ。(確かにチュニジアでも「my friend!!」とか言ってきたので完全に同じだった)



露店などでは基本的に値札がないので、店主の言い値が価格となる。・・・がこれが完全にぼったくり価格なのだ。物価の目安は日本の1/3〜1/2というところなのだが、場所やモノによっては日本の相場の数倍の値段を吹っかけてくることもあった。


吹っかけてきた値段に対して、こちらが「もっと値引きして」と言うと、10%か20%くらい値引きした額を提示してくる。だが、これでもまだめちゃくちゃ高い。ここでこちらが渋れば「じゃあいくらが良いの」と聞いてくるので、こちらの希望価格を言う。
この希望価格を言うというのが難しい。なぜなら、希望価格を言えば、こちらの購入価格の最低金額を提示することになってしまい、それ以下の金額で買えなくなってしまうからだ。そして、あまりに低い額を提示すればそもそも購入も現実的ではなくなってしまうのだ。
たぶん、「相手が売りたい値段より多少低い金額」を言うことが絶妙なラインなんだと思うが、それを探るのが一番難しい。

ただまあ、どんな希望価格を伝えたとしても、店主は露骨にため息をついて「ええ・・・そんな安い値段で売れるわけないだろ・・・」という演技をしてくる。でも、ここで「じゃあ〇〇ディナールで良いです(1ディナール=36円くらい)」などと譲歩してはいけない!店主は「これはいい商品だから」「すでに十分良い値段だから」「おまけもつけるよ」などと言ってとにかく言い値で売ろうとしてくる。


ともかく、値下げを渋られてしまった状況でも、とりあえず更にねばろう。そうするとじわじわと値段が安くなる。そのあとに採るアプローチとしては、
1:諦めて出ていく素振りをする。
2:高そうなものをオマケとしてつけてもらえるよう交渉する。
がある。アプローチ1は、ほんとに出ていく羽目になる場合があるのだけ注意。せっかくの交渉が元の木阿弥になってしまうので。本当に欲しいものがある場合、2はけっこう使える。僕は、革のリュックを買うときにかなり値切った後に革サンダルと革財布と革コインケースを付けてもらった。

更なるテクニックとしては
3:これだけしかお金を持ってない、と主張する。
4:「自分は学生なのでお金がない。student discountをしてくれ。」とねだる。
というのもある。4はウソなので倫理的にはやってはいけないけど、相手もハッタリをかましてきているのでお互い様とも言える。3については、正直言って効果絶大である。町の眼鏡屋さんで200ディナール越えのサングラスを買おうとしたときのこと。160まで値切ったところで「まあここが落としどころかな…」ということでお会計をしようとしたが、まさかのクレジットカード使用不可ということが判明。手持ちが100ディナールくらいしかなかったのでまごまごしていると、100ディナールぐらいで売ってくれることになった。本当は80ディナールくらいだったのかもしれないが、この方法はイケるぞと思った瞬間だった。




その他、S水君が見せてくれた高等テクニックもある。フランス語(チュニジアの公用語)で「フランス語を一生懸命勉強したからおまけして!」とお願いするという方法もあるようだ。逆に外人が日本語をしゃべってくれるのを想像すれば、これはめちゃくちゃ有効だろう。でも、語学力のない僕はただゴネまくることしかできなかった。ただはねるしかできないコイキングのようであった。

S水君はこのように頭脳プレーを見せることもあるが、基本的には剛腕である。
たとえば、首都チュニスにあるメディナで、革サンダルを一緒に買おうとしたときのことである。アメリカでの生活が長い彼は「アメリカではbuy one, get one freeというのがある!」「自分と吉川さんの二人分のサンダルを買うから1人分の値段にしてくれ」と、世界の警察ことアメリカの論理で強引にねじ伏せようとしていた。しかし、「ここはアメリカじゃなくてチュニジアだ」と一瞬で論破されていた。「アメリカのルール=世界のルール」というジャイアン的発想が、ここでは通用しないというのは冷静に考えれば当然である。とくにチュニジアのようなイスラム圏においては顕著かもしれない・・・。
(ただ、このときは僕とS水君のチームプレーもむちゃくちゃで、僕が途中で妥協してしまったために中途半端な値段で買う羽目になってしまった気がする。2対1だから、もっと強気に行けたはずだな。これに関してはS水君に申し訳なかった。)

また、別の日にS水君と、Sidi bou Saidの美しい白い壁と青い窓をかたどったマグネットを買おうとしていたときのことである。その日は8時だか9時だか遅い時間帯で店主が疲れていたのか、ガンとして値引きに応じてくれない。もしくは、もともと高いものではなかったので、店主としても値切り攻防を面倒だと思っていたのかもしれない。マグネットは10ディナールと15ディナールのものがあり、2個買えば20ディナールにはしてあげるけど、それ以上の値引きは無理という話だった。S水君が強気の価格交渉を続けていたものの、埒が明かない。しびれを切らしたS水君がヤケクソに「こんなもん5ディナールだろ!!!!!」と吠えたのが実に面白かった。結局その日は何も買わずに店を後にした。
ちなみにその翌日?に同じ店に行き、S水君は前出のフランス語を用いたスマートな値切りテクにより少しお安くゲットしていた。前日の値切り交渉がウソのようであった。そして、僕の分のマグネットも買ってくれた。これはチュニジアの楽しい思い出の品ということで、僕の家の冷蔵庫に大事に貼られていている。

いま、北大の研究集会に来ています。今回はチュニジア出張とは違い、ありがたいことに発表の機会をいただいている。ということは、正真正銘の出張だ!
初日の発表であり、狭義では日本人トップバッター(広義だと日本人2番手)というプレッシャーの中、拙いながらもなんとか講演をしてきた。ひええ初日でいきなりか…と思っていたが、いざ終わってみると一気に気が楽になったので、こうしてブログを書くなどしてみている。




講演では何を話したかと言うと、相も変わらず楕円曲線の保型性についてだ。

ちょっとさかのぼるが、僕の博論の結果は、
「3,5,7で不分岐な総実代数体Fが更に有理数体のアーベル拡大であるとする。このとき、F上で定義された楕円曲線はHilbert保型形式に付随する」
というものだった。(これ自体は、強力な定理をうまく組み合わせると出る…うーん)

ただ、今回の話では、アーベルを外す取り組みについて話すのがメインだ。
アーベルの仮定抜きで問題となるのは、3,5,7等分点が同時に可約となるような楕円曲線に対して、保型性を示すことだ。定義体Fが有理数体上アーベルな拡大の場合は「剰余可約なGalois表現に対するSkinner-Wilesの定理」を使うことでこの困難は切り抜けられる。しかし、アーベル抜きではSkinner-Wilesが使えない!

そこでどうするか。そもそも3,5,7等分点が同時に可約という状況はそう簡単には起きないはずである。うまく定義体Fを選ぶことでこのような状況が起こらないようにしよう…という消極的な方針を採ることにした。
(消極的とは言っても「〇〇という性質を持つ楕円曲線の非存在」を示すという問題になるので、これ自体は一般に困難ではある。)

ともかく、楕円曲線の法p表現(p=3,5,or 7)の既約性が言えてしまえば良いわけだ。これにはどうすればいいのかな?と考えている時に、Serre先生のProprietes des Galoisienne...という論文(いわゆるSerre's open image theoremの論文)の後ろの方にある計算が参考になった。Frobeniusのトレースのmod pをいろいろ計算するというものだ。

そういうわけで、
 法p表現(3,5,and 7)が可約とする
 ⇒Frobeniusのトレースのmod 105=3*5*7に強い制約がつく
 ⇒Frobeniusを上手く選べば、その制約はHasse boundと両立しないので矛盾
という方針が立った。
(主結果としては、Frobeniusがうまく選べるための条件をFに課すことになる。)


…ということを話したのだが、やはりなんだかパズルっぽくなってしまって、どうも数学をやっている感じがしないという後味は残ってしまった。。。
でも僕としては、これはこれで、現在の保型性持ち上げ定理が適用できる限界をハッキリさせることが出来た(?)んじゃないか、と自己正当化をしている。これは言い過ぎか・・・。
ともかく、拙い英語と拙い数学ではあったが、最後まで温かく聴いてくださった参加者の方々には心から感謝している。S水君からも「good talk」と言ってもらえて、これはお世辞でも嬉しく、救われる気持ちになる。また、オーガナイザーの先生方の面目を潰していないか心配だが、お声を掛けていただけて本当にうれしく思っている。
ところどころボヤ騒ぎ程度はあった気もするが、大炎上することなく終わってくれて本当に良かった。後の北海道滞在では、色んな人と交流して、痛風再発に気をつけながら美味しいものを食べるという任務が残っている。












そういえば、Sonyのミラーレス一眼用レンズTamron 28-75mm F/2.8 Di III RXD。品薄でお取り寄せ状態だったが、いよいよ届くようだ!!!

https://www.tamron.jp/product/lenses/a036.html

色々なレビューを見るに、このレンズはすごいぞ。講演を頑張ったご褒美だ!!!北海道から帰ったら試してみよう!!

今まで僕はSonyのレンズは単焦点ぐらいしか持っていなかった。
55mm F/1.8, 90mm F/2.8 macro, 35mm F/2.8, Samyang 14mm F/2.8の4本だ。
今回のタムロンのレンズが初のSony用ズームレンズとなる。
ズームレンズに関しては、Nikon D5100に付けているSigma 28-70mm, F/2.8にお世話になっていて、実際、先日のチュニジア出張の際にも活躍してくれた。こういう標準ズームレンズがSonyのFEマウントに欲しいなあと思っていたのだった。そこでTamronのレンズの存在を知り、2か月待ちを覚悟で注文したのだが、案外納期が早まってくれてわずか半月で届く運びとなった。Joshin webさんありがとう!

ここ最近、ずっと雨とか曇りとかが続いていて、いい加減うんざりしている。
「僕のサボテンを殺す気か!!!!!」と、僕もキレ気味だ。



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6月の半ばから二週間、チュニジアへ行ってきた。数論のサマースクール・研究集会があったためだ。
初アフリカ大陸で、未知の国ということなので不安もあったが、チュニジアはそれはもう素晴らしいところだった。オーガナイザーのA先生のご尽力のおかげで、とても有意義で楽しい滞在となった。色んな人とも話すことができた。チュニジアというとあまり馴染みがない人が多いだろうが、Googleで「チュニジア」と入力して画像検索してみると白と青の綺麗な街並みが多く見つかると思う。本当に画像のとおりの場所(Sidi bou Said)に行ってきた。物価も安く、食べ物もおいしいという最高の場所でした。



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ただ、帰国の2日前あたりからトラブル発生。右足の親指の付け根あたりに鈍痛を感じ始め、講演を聴いているときは足を浮かせるなどして何とか誤魔化してみた。
確かに土曜日のexcursionではちょっと無理をしたし、それ以外の日も毎日無理してたから、足に疲労が来たんだろうと思っていた…。



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しかし、その翌日。研究集会最終日になると状況は悪化する!O井君とマイケルジャクソンのものまねをして遊んでいると、あろうことか痛い部分をモロに捻ってその場で崩れ落ち悶絶。あまりのバカさに情けなくなった。しかしその日の夕方には、懲りずにS水君と野犬(番犬?)ロードを通過して街まで遊びに行った挙句、一緒に元気に崖下りをするといった蛮行に及んだ。まあどうせ帰国前日だから多少無理しても大丈夫だろうと考えたのである。
(「せっかくだで」が吉川家の家訓である。せっかくチュニジアにいるんだから…というわけだ)


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その夜、あまりの激痛に目を覚ます。右足の親指の付け根が太いつららに貫かれたような痛みで、動かしても動かさなくても堪え難いほどの痛みだった…。トイレに行くにも足を引きずるしかなく、その後ただひたすら痛みに耐えるほかない。


ああこれは絶対折れてるな!と確信。ひびが入っていたところに崖下りをするなど無茶したもんだから、それで疲労骨折?にでもなったんだろうと、想像した。(あまり疲労骨折のことは知らないけど、とりあえず酷使するとなるものかなと思っていた)
とにかくこの激痛は堪え難く、(そんなはずは絶対ないのだが)いっそ足を切断してしまえたら…と錯覚するほど。

翌日は帰国日。大量のお土産を含む荷物を背負って、無事帰国出来るのか…と考えると気が遠くなりました。


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痛みが和らいだ隙を狙って仮眠をとるなどして何とか朝が来た。しかしやはり激痛で目が覚めた。もう地獄だった。
ここで、B次君がロキソニンを持っているという情報を思い出した。恥を忍んで彼にLINEでロキソニンをせがむと、ほどなくして「ロキソニンは空腹では飲まない方が良いので」と言ってクッキーと一緒にロキソニンを持ってきてくれた。更に「ハンカチを濡らして冷凍庫に入れると簡易シップが出来ます」というTipsまで教えてくれた。非常に気遣いのできる頼もしい男だと感動した。

ロキソニンは30分ほどで効いてきたと思う。B次君のロキソニンのおかげで、とりあえず足をひきずりながらも歩けるぐらいの機動力を確保することが出来た。
その後の詳細は省略するが、O井君は「吉川さんヤバすぎじゃないですか」とゲラゲラ笑っていたが、空港では僕の荷物を持ってくれるという粋な計らいも見せてくれた。ともかく空港でもじっとして過ごし、飛行機の中ではロキソニンの効果が切れて再び地獄行きを経験するなどしたが、無事日本に帰ってこれた。いろいろな人に助けられながらのチュニジア出張であった。



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日本ではとにかく医者に行くことが急務となった。月曜の朝、足を引きずりながら、通常の歩行速度の1/3程度のスピードで近所の整形外科へ向かう。先生に症状を伝えると、
「ビールは飲む?」
「水分ちゃんと摂ってた?」
と、骨折とはなんら関係のないことばかりを聞かれた。


「何を言ってるんだ」とは思っていると、「痛風です」という診断を受けた。

痛風は多くの人が知っているとは思うが、僕にとっては「おじさんがなるもの」と思い込んでいたのでショックであった。ともかく、UNIやらビールやら、プリン体の多い美味しいものを食べすぎると、尿酸値が上がり、それが尿酸結晶となり身体の末端部分に溜まる。それによって関節痛などを引き起こすということのようだ。

恐らく、体質的に普段から尿酸値が高かったのに加え、チュニジアの暑さによる水分不足と、チュニジアで安価で美味しいもの(肉や海産物)を食べすぎたことにより、一気に尿酸濃度が高まったんだと思われる。本当に恐ろしいことだ…。

O井君やB次君は体調を崩したとき晩御飯を食べずに休むなどしていたのだが、僕は「体調が悪い時こそ飯を食って栄養を摂らなくてはいかん!」ということで、毎日毎日爆食いしまくっていた。それが完全に裏目に出た形だ。



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先々週の木曜日のMLTの講義後、M枝さんがニコニコしながら
「吉川君、あれになったんだって?痛風!!!」「(足を引きずりながら歩いている)動画も送られてきましたよ!」
と嬉しそうに話しかけてくださった。
僕が「いやそうなんですよ、ほんとに痛くて疲労骨折かと…」と言うや否や、
「アスリートじゃないんだからそんな疲労骨折なんてするわけないじゃんぶはは!」と一瞬で見抜かれた。
マラソンランナーなどのアスリートが自分を極限まで追い込んで起こる疲労骨折を、ただの暴飲暴食が引き起こした痛風と混同していたのが露呈してしまった。
「た、たしかに」とまごまごしていると、M枝さんは「白子とか入った痛風鍋行きますか!!!!」
と誘ってくださったので、「身体を作ってから(=尿酸値を調整してから)」と答えた。
ちなみに後日、実験として白子のポン酢がけなどを食べてみたが、なんともないのでたぶん痛風鍋も行けるはず。



追記:
以前、4kgのダンベルを80cmくらいの高さから足に落としたことがある。真っ赤に腫れたので絶対折れたと思ったが、病院に行ったら折れていなかったことがあった。骨は丈夫なんだと思う。

すみません、この話にこだわったって仕方ないんだけど、東大の祝辞についてもう少しだけ思ったことを書こうと思う。もうハッキリ言う!やっぱりあの祝辞はヒドいんじゃないですか!



・なんで祝辞が上野先生だったんだろう。東大は女子学生を増やしたいという思惑があり、更に今年は去年入試不正問題が話題になった後だった。だから、「東大は男女平等問題に真剣に取り組んでいますよ」というメッセージを出したかったんだと思う。そういう流れの中、今年の上野先生の祝辞は東大にとってはいいタイミングだったはず。ただ、こういう問題に取り組むのはもちろん良いことなんだけど、祝辞がこういう政治的なメッセージとして使われてしまったとしたら、ちょっと寂しい。




・「東大内にも性差別があります」などと言って、出てくる例がサークルとコンパってさすがにあんまりじゃないですか?これには正直がっかり。他に例はなかったのかな。もっと学術的な面で差別があるならまだしも…。女子学生・教員の数が少ないということを例として挙げているようにも見えるけど、東大が意図的に女性を排除しているわけではないですよね。





・祝辞の最初に統計がどうのこうのと言っているけど、統計って個別のケースは無視して全体の傾向などを見るもので、弱者というのは個別のケースにこそ現れてくるものだと思う。上野先生は自分に都合のいい方を選んだり混ぜ合わせたりしているように見える。たとえば「統計的に男性優位に見えるから男性の弱者は無視」ということが行われているように思う。
統計というものをあたかも客観的で絶対的な指標のように引用して説得力を高めようとする、ということはよくある。でも、何の統計を取るか、どの統計を引用するか、ということには恣意性が入るので、統計を利用する人の思惑がどうしても入り込んでしまうものだと思う。まるで真理のように統計を持ち出すのはずるい。




・【がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。】
【これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。】
という部分があった。
「報われる」のは「努力の成果ではなく」と言ってしまうのはあんまりじゃないかな…。環境は成功の直接的な要因じゃなくてあくまで間接的な要因で、やっぱり本人の頑張りあってこそだと僕は思う。「本人が努力しても(差別など)不当な理由で評価されない」ということは問題だけど、ここで言っていることは「成功は努力のおかげではなく環境のおかげです」ということなわけで、ムチャクチャもいいとこだと思う。字面だけ追うとムチャクチャなので、真意が別のところにあるのかもしれない…。国語力の不足のせいで真意はわからない。
で、「がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています」というのはその通りかもしれないけど、これはある意味で努力を否定しているように見えるし、「環境」を言い訳にすることを助長しかねない言葉だと思う。
つまり、極端なことを言えば、うまくいかないことがあったとき、「差別されているからうまくいかないんだ!」「環境が悪いからだ!」などと考えることを肯定してしまわないか。これはどう考えても不健全だと思う。





・上野先生は
【あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。】
と言っているけど、これは単に聞こえが良いだけのきれいごとだと思う。
まだ何も成していない新入生が「よーし弱者のために頑張るぞ!」というのは奇妙で、自分の能力や価値を高めるために頑張ることが先じゃないか。
そうやって頑張った先に人助けとかがあるわけだと思うのだが…。
自分のために頑張ることの何が悪いんだ、と思う。
「人助け云々というより単に差別することに能力を使うなと言ってるんだ」と思う人もいるかもしれないが、そもそも自分が勝ちぬくために頑張ったところで、別に他人を貶めるわけじゃないので、「がんばりを自分が勝ち抜くためだけに使うな」というのは妙に聞こえる。
上野先生は「自分のために頑張る=他人を蹴落とす・貶める」と思っているのかな?他人と協力してお互い利益を得る、という頑張りのことは思いつかない人かもしれない。





・上野先生の話は、世間から見た東大生像に悪い影響を与えかねないと思う。誇張して言えば、あの話を聞いた人の中で
「東大生は環境的に恵まれていて色んな人からのサポートやお膳立てのおかげで入学できたんだな。」
「わざわざ上野先生がメッセージを送るくらいだから、東大生は自分が勝ち上がることばかり考える連中で、人のことを貶めようとしかねない。」
「東大の男はサークルでも女子学生を排除するなど性差別をする。犯罪をやったやつもいるし。」
などと思う人も出てくるんじゃないか。考えすぎならいいけど、上野先生の祝辞を色んな人が見聞きして、
「東大には、頑張って入学して真摯に学問を頑張ろうとしている学生がいっぱいいる」
という好印象を受けるとは思えない。東大の学生が世間から「狡猾で独善的な差別主義者の集団」みたいなレッテルを貼られないことを願う。






と、言いたいことを書いてすっきりしたところで…、まあ、よくないものだったら淘汰されるわけで、一週間もすればみんな忘れているんじゃないかな、と思う。

上野千鶴子先生による今年の東大の祝辞が話題になっているようだ。

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

賛否両論ということだが、世間では「賛」のほうが大多数というように見える。

良いこともいろいろ仰ってはいる。先生が言及した側面だけ見れば正しいと思う。
たとえば、この祝辞が
「東大に入れたということは(男女関係なく)恵まれた環境にあったからということを噛み締めないといけない。でもこれからは、努力が報われないことや様々な不平等にも直面することになる。」
…という広い視点のメッセージならば、否定する理由は何もない。
しかし、挙げられている色んな例を見ると、強調されているメッセージは
「男子学生は自分の頑張り以上に、環境的にとても恵まれてきていることを理解せよ」
「女子学生は社会的不平等に直面してきたしこれからも直面することになる」
ということのように感じる。
正直なところ、こういう話を聞いても僕は手放しで賛成する気になれない。
というのも、議論がとても偏っているのに、あたかもそれ「だけ」が客観的な事実・正義のように語られるからだ。(字面だけ追いすぎでしょうか?)



もちろん、大前提として、性別による差別や機会の不平等はなくさなくてはいけない。だから、東京医科大学の入試の不正問題や、東大の男子学生の私大女子学生に対する事件などは問答無用で責められるべきだ。

だけど、上野先生をはじめ、この手の話では必ず
「今の(日本)社会は男性優位で女性は虐げられている」
という視点にこだわりすぎていて、それ以外の側面を全く見ようとしていないように思える。








上野先生は、大学(特に東大)の女子学生の少なさに触れ
【まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。】
【「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。】
と言った。


これは要するに「男子学生の方がチャレンジする機会を与えてもらいやすく男性優位だ」ということのようだ。
でも裏を返せば、男子学生の中には、望んでないのに男だからという理由で「いい大学に行け」とか「医者を継げ」とかいうプレッシャーを掛けられている人もいる、とも言える思う。
男子学生の中にも、もしかしたら短大に行きたいのに「短大と言えば女性が多いから行きづらい」と思っている人もいるかもしれない。また、経済的な理由で、浪人することが許されない男子学生もいる。
確かに、地方では「女子は大学にいかなくてもいい」「大学に行くなら近場で」という考えが未だにあるようで、そのせいで東大に女子学生が来づらいというのは納得できる。そこで東大では、女子学生向けの住まい支援といって月々3万円の家賃支援を行っていて、この制度で一定数の女子学生を呼び込むことに成功したかもしれない。ただ、この制度で一番ワリをくっているのは経済的に厳しい家庭の男子学生だと思う。








【そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。】


この手の女子学生の話は自虐ネタとしてよくある陳腐な話だ。ちょっと嫌味になってしまうが、合コンでの陳腐なやり取りなんて祝辞で言及するほど大事なのかな。そもそも、この女子学生は、東大と言うだけで引くような人間が集まる合コンに行くなよな、と思う。敢えてそんな場に行くということは、そういう反応を逆に楽しんでいるんじゃないか。
ちなみに、東大の男子学生はモテモテみたいな言いっぷりだけど、これホントですか?僕は合コンに行ったことないけど、僕を含め、周りの友人たちも、世間の女の子からきゃーきゃー言われるようなタイプの人間はいなかったぞ。むしろ世間の東大に対する評価は割と冷ややかで、東大だからチヤホヤなんてことはなく、東大ですと言いづらいことの方が多いと思う。だからこそ、東大生は「大学どこ?」と聞かれたときに「一応東大です」のように「一応」をつける、などという話があったくらいだ。これは「東大には行ってるけど自分はそんなに優秀じゃないです」という謙遜と保険もあるとは思うが…。
ともかく、合コンに限らず「東京の大学」などと濁したりするのは男子学生だって同じで、僕だって「渋谷らへんの大学」と答えたことがある。








【なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。】


「男性の価値と成績のよさは一致しているのに」とは、さらっと言っているけど冷静に考えると正直ムチャクチャだと思う…。ここから、「成績の良くない男性には価値がない」という結論が導かれてしまった。
それに、ねじれと言うが、賢い男性からすれば賢い女性のほうが魅力的に見えるはず。僕は大して賢くないけど、中高のときは頭が良くて尊敬できる人が好きだったな。
「ねじれ」があるように感じるのは、ねじれている人と関わるからではないかな。





【女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。】

こうは言うけれど、逆に男子だからこそ期待されることもある。たとえば、最近、飛行機の客室乗務員さんに男性の方が徐々に増えてきたけど、「重たい荷物を棚にしまうとき力のある男性だと助かる」「乗客のトラブルの抑止力になる」ようだ。これは、男性は「頼りになる」ことが期待されている、とも言うことが出来る。でも、身体はそんなにたくましくなくても気配りが利いて柔和な対応が出来る男性だっている。
そういえばどこかの病院は女医さんが院長で、謳い文句に「女性ならではのきめ細やかな診察を…」などと書かれていたけど、それは裏を返せば「男性はガサツ」と言っているようなものだ。僕の通っている歯医者さんは女医さんだが、なかなか荒っぽい治療をしてくる。ものすごくまめで丁寧な仕事をする男性はたくさんいる。きめ細やかかどうかは個人の性格によるもので、統計的にはどうか分からないが、個人レベルで見れば男女全く関係がない。
こう言いながら矛盾するようだが、個人の意見としては、社会的・文化的な背景のもと「男性はこうあってほしい」「女性はこうあってほしい」という理想の男性像や女性像がある程度あってもいいと思う。もちろん重荷にならない程度で。






【東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。】

これは正直どうかと思う。サークルなんてどうだっていいじゃん…。そもそもそんな「他大学の女子のみOK」とかいうサークルは出会い系サークルみたいなものの可能性が高いけれど、そんなサークルに東大女子たちは入りたいのかな?
ちょっと話は逸れるが、女子大学というのは、男だからという理由で入学が認められないということで、サークル云々よりこっちこそ深刻だと思う。これは、男女の学ぶ機会の平等を奪っているのではないのか。この先生のところで学びたい!と思っても、男だからという理由で断られるということだ。
旧帝国大学の時代は男子しか行けなかったという歴史的な背景で女子のための学校ができたわけだが(違ってたらすみません)、今では(入試不正のあったいくつかの医大などは除いて)男女の入学の機会は制度上はほぼ平等だと思う。百歩譲って平等じゃなかったとしても、男子学生の入学を完全に排除する女子大学が感情論抜きで正当化されるほどの不平等ではないはずだ。
女子大学はなぜ今も女子大学であり続けているのかというと、「女子大学の伝統と誇り」などというワードが出てくる。女性主導で自治をするということに誇りがあることの気持ちはわかるが、男性を受け入れることが誇りを傷つけると言われたらそれは男性にとって気分のいい話ではないし、多様性を認めようという昨今において伝統にこだわりすぎるのもどうかな、と思う。

ちなみに、自分には全く接点がないので勝手なことを言うのは怖いが、お茶の水女子大学には附属の幼稚園から高校まであるという。幼稚園から中学までは共学のようだ。となると、男子学生は高校に進学するときにお茶の水の高校には進学できない。制度上「男だから行けない」ということだが、これは上野先生の言う
「あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、(中略)がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。」
ということではないのか。





上野先生の話を読んでみたが、どうもほとんど女子学生のために向けられたように思えてしまう。一方、男子学生向けメッセージは
【あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。】
という、クギを刺すような部分かな。去年の医学部入試不正問題のあとだったから、こういう話も良いけど、ちょっと偏り過ぎではないだろうか。最後の「東京大学で学ぶ価値」は学生全体に向けられたものだと思うが、正直なところ、東大で何回も聞いたことのあるようなよくある話だった。





僕の入学のときの祝辞は、上野先生の祝辞の中にお名前が挙がっていた福島智先生によるものだった。(上野先生の祝辞では盲ろうあ三重の…と言われていたが、福島先生はお話しになるので盲聾唖ではなく盲聾ではないか、と思った。)
ヘレンケラーと同じく盲聾という、目も見えず耳も聞こえない、想像を絶する困難を持っている方だ。この先生の祝辞は本当に素晴らしく、聴いていて背筋が伸び、東大で数学を頑張ろうという気持ちになった。リアルタイムで聴いた感慨というのもプラスされてはいるが、福島先生の祝辞も是非注目されてほしいと思っている。リンクを貼るので時間があるときに読んでみてはいかがでしょうか:

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message19_03.html

O井君の送別パーティーの翌日、O井君主催のNumber Theory Seminarが1時から始まる予定だった。O井君が最初の発表者だったのだが、1時になっても数理の406に現れない。
これはもしや?と思って待っているとO井君からLINEで
「トイレにこもってますねえ・・」
「死の寸前ですねえ・・」
という連絡がきた。案の定、激甚麻婆が胃という胃、腸という腸をただれさせ内側からO井君を攻撃していたのだ!激甚麻婆の激甚たるゆえんは、食べているその瞬間だけではなくその後にもあるのだ。苦しんでいる彼には申し訳ないのだがもはやお約束の展開過ぎて笑ってしまった。

O井君からは最後に「いや、これはシャレなってないですね」というメッセージが来たのだが、先日の僕の日記を見てこう言ってくれたのか。だとしたら苦しい状況なのになかなか気を遣える男だな、と感心した。



しばらくしてセミナーは無事に始まった。
セミナー中、僕はグミをもっちゃもっちゃと食べていた。グミを一つ床にポトっと落としてしまい、床もばっちいし食べるのもどうかと思ったので、後で捨てようと思って机に置いておいた。するとしばらくしてそのことを知らないO井君が目にも止まらぬ早業でパク!っとそのグミをつまんで食べてしまった。
え!?と思って思わず「That's what I dropped on the floor!」と言ったら「My stomach is already broken...(so it's OK)」と言われてその場がギャハハと和んだ。

ちなみにO井君はパチパチパニックを持ってきていて、Vincentの発表中に僕にパチパチパニックを分けてくれた。しかしこれはいかんかった。真面目にVincentがしゃべっている中、ぱち・・・ぱち・・・という音が部屋にかすかに響き渡り、口を開ければパチパチジュアアア!と轟いてしまうのがシュールで、笑いをこらえるのに必死だった。





僕はと言うと、その日の帰りの電車で謎の腹痛に襲われて、やむをえず西日暮里のトイレに駆け込む羽目になった。まさか時間差で腹痛が来るとは・・・。O井君を笑った罰が下ったのかもしれない。

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