2008年01月22日
認識と言う名の近親婚
〇「構造論」がちょっとだけ理解できた気になった。(くるくるばたばた)
>……しかし私は、どうしてハヤテにおいてはそういう「内包した管」がたった一つだと思っているのだろう。これは考えるべき問題かも、例えばワタルの周りだとか……
ーーと言うパレットさんの認識についての個人的見解と言うか、思い付き。
多分、それは正常な認識だと思います。
ほとんどのキャラクターが、まず、ハヤテと出会う形で物語に参入して、それ以降も、普通の漫画ならヒナギクの友人Aが描写される場面がない。つまり、ハヤテの認識の中にある登場人物でしか物語が構成されていないと言う『引きこもり(一人称的)』現象が起きていると思います(描写されていないが、知っている筈だと言うキャラクター含む(例・西沢一樹、薫先生)。
端的に言えば、咲夜のクラスメートは誰も描写されていません
通常の漫画なら、ヒナギクの知り合いとして、先に描写があってもよいキャラが、ハヤテが会うまで何も(ほとんど)描写されない(例・加賀北斗・霞愛歌※注、愛歌さんは三人称的な描写でハヤテの世界に登場している数少ない重要キャラクター)。
つまり、ハヤテの知り合いのAさんの友達B(友達Bをハヤテは認識していない)から始まる物語がほぼ欠如している(もしくは、完全にハヤテの認識の外から語られる視点の欠如。ただし、ハヤテの認識より『ハヤテのごとく!の物語』は当然、広い。そして、描写されていない、ハヤテの認識の中には『ハヤテ兄』が内包されている。更に言うなら、初期のハヤテの認識の中には西沢さんが存在するが、その西沢さんですら、ハヤテが潮見高校を訪れ、会うまで描写されない。高校のネタの時に、三人称的に挿入可能なのに!)。
勿論、既にハヤテが認識した登場人物同士によるハヤテが知らない物語は紡がれていますが、基本的に、ハヤテと会ってからの関係性の描写はあっても、ハヤテと出会う以前の関係性の描写は最小限に抑えられている印象があります(この辺は普通と言えば普通なのだけど、ハヤテの場合は、やや極端だと思う。普通は、もう少し枝葉の部分で語られたりするもんだが……、代わりに単行本のオマケとか中扉で語られるってのは親切なのか?)。
つまり、どのエピソードもハヤテの認識から生まれた(かつ、現出してから)近親婚的な印象が強く、それが、『ハヤテのごとく!』と言う物語を包み込んでいると言うのが僕の見解です。
ーーと言う認識だったのですが、愛歌さんや文タンの登場でピーンチなのです(笑)。
ハヤテの認識の外からのキャラクターの追加が繰り返されれば、認識の縛りは徐々に緩まってゆくでしょう。
それは、エピソード積層型の物語へのシフトになると思います。究極的には『スクラン』がエピソード積層型だと思いますが……。
それが適当かは、また別の話として(笑)。
ちなみに、文は、並列化されている各キャラのエピソードの外縁部に点として現れ、≠ってな感じに横切ったイメージです。
で、他のキャラクターの現出は、
H
↓
┣┓
┏┫┃
┃┃┃
↓↓↓ ・
MHN ふ
こんな感じ。H、N、Mは、ハヤテ、ナギ、マリアの略。ふ、は文。
常にハヤテが起点になっているイメージ。ちゃんと表示されてるか不安だが、ま、参考までに。
>……しかし私は、どうしてハヤテにおいてはそういう「内包した管」がたった一つだと思っているのだろう。これは考えるべき問題かも、例えばワタルの周りだとか……
ーーと言うパレットさんの認識についての個人的見解と言うか、思い付き。
多分、それは正常な認識だと思います。
ほとんどのキャラクターが、まず、ハヤテと出会う形で物語に参入して、それ以降も、普通の漫画ならヒナギクの友人Aが描写される場面がない。つまり、ハヤテの認識の中にある登場人物でしか物語が構成されていないと言う『引きこもり(一人称的)』現象が起きていると思います(描写されていないが、知っている筈だと言うキャラクター含む(例・西沢一樹、薫先生)。
端的に言えば、咲夜のクラスメートは誰も描写されていません
通常の漫画なら、ヒナギクの知り合いとして、先に描写があってもよいキャラが、ハヤテが会うまで何も(ほとんど)描写されない(例・加賀北斗・霞愛歌※注、愛歌さんは三人称的な描写でハヤテの世界に登場している数少ない重要キャラクター)。
つまり、ハヤテの知り合いのAさんの友達B(友達Bをハヤテは認識していない)から始まる物語がほぼ欠如している(もしくは、完全にハヤテの認識の外から語られる視点の欠如。ただし、ハヤテの認識より『ハヤテのごとく!の物語』は当然、広い。そして、描写されていない、ハヤテの認識の中には『ハヤテ兄』が内包されている。更に言うなら、初期のハヤテの認識の中には西沢さんが存在するが、その西沢さんですら、ハヤテが潮見高校を訪れ、会うまで描写されない。高校のネタの時に、三人称的に挿入可能なのに!)。
勿論、既にハヤテが認識した登場人物同士によるハヤテが知らない物語は紡がれていますが、基本的に、ハヤテと会ってからの関係性の描写はあっても、ハヤテと出会う以前の関係性の描写は最小限に抑えられている印象があります(この辺は普通と言えば普通なのだけど、ハヤテの場合は、やや極端だと思う。普通は、もう少し枝葉の部分で語られたりするもんだが……、代わりに単行本のオマケとか中扉で語られるってのは親切なのか?)。
つまり、どのエピソードもハヤテの認識から生まれた(かつ、現出してから)近親婚的な印象が強く、それが、『ハヤテのごとく!』と言う物語を包み込んでいると言うのが僕の見解です。
ーーと言う認識だったのですが、愛歌さんや文タンの登場でピーンチなのです(笑)。
ハヤテの認識の外からのキャラクターの追加が繰り返されれば、認識の縛りは徐々に緩まってゆくでしょう。
それは、エピソード積層型の物語へのシフトになると思います。究極的には『スクラン』がエピソード積層型だと思いますが……。
それが適当かは、また別の話として(笑)。
ちなみに、文は、並列化されている各キャラのエピソードの外縁部に点として現れ、≠ってな感じに横切ったイメージです。
で、他のキャラクターの現出は、
H
↓
┣┓
┏┫┃
┃┃┃
↓↓↓ ・
MHN ふ
こんな感じ。H、N、Mは、ハヤテ、ナギ、マリアの略。ふ、は文。
常にハヤテが起点になっているイメージ。ちゃんと表示されてるか不安だが、ま、参考までに。
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1. 「構造論」がちょっとだけ理解できた気になった。 [ くるくるばたばた ] 2008年01月22日 02:37
ひとりごと。どの辺が理解できた気になったのかはっきりとは言わない、何故ならそれをするのはどの辺を理解していないと思っていたのか漏ギ..

