【書籍】ハリー・ポッターとアズカバンの囚人(2001)ハリー・ポッターと炎のゴブレット(2002)発売。
【映画】ハリー・ポッターと賢者の石(2001)ハリー・ポッターと秘密の部屋(2002)公開。
【ゲーム】シスター・プリンセス(2001)発売。
魔法先生ネギま!(2003)連載開始(笑)。
いや、当時、悪意が無くとも多少の嫌な笑いが浮かんだのは、決して僕だけじゃなかったよな?
少なくとも僕の周辺半径三km位は、そんな感じでした(苦笑)。
それはともかくとして(笑)。
当時、思ったのは、「どちら」が先かと言う単純な疑問でした。
そう、「魔法先生」が先か、「ヒロイン三十人」が先か?と言う疑問。
材料は分かる。けど、調理の手順はどうなんだ?と多少、頭を悩ました記憶があります。
結論は確か、どっかで「魔法世界」が先と明言されていた筈ですが、なにぶん、流し読みだったので自信がありません(苦笑)。
一応、「ヒロイン三十人」が先の場合でも現在の形に行き着く事は可能ですが(その場合、ヒロイン三十人→共学より女子校→女子校には男子は居ない→なら先生だ→先生(成人)と生徒の恋愛はヤバい→子供先生ならいーじゃんの流れになる)、それでも「魔法世界」自体は個別に成立していた物を足した印象は拭えないでしょう。
とは言え、物語の成立する瞬間は得てしてそんなもので、何故だか分からないが結びついてしまったり、どう考えても二律背反な条件が突如、止揚に到達したりと割りとミラクル(笑)。(参考・赤松健作品総合研究所)
前置きはこれくらいにして本題にいきます。
●ネギま!のレシピ(妄想編)
・【ハヤテとネギま!】設定を慈しむ作品・設定消化に必死な作品 [▽架空の杜△]
・消費されることを望む『魔法先生ネギま!』と消費されることを拒む『ハヤテのごとく!』−それぞれの「ナギ」が持つ意味[tanabeebanatの日記]
・消費し尽くされていくネギま![ごーるど銀賞]
・なぜコードギアスなのか。情報圧縮論のモデルケースとしてのコードギアス[未来私考](情報圧縮論のみ『情報』の定義が若干違います)
上記のリンクは参考までに。
●積層型と並列型
何故か情報関係のリンクばかりを羅列していますが、勿論、理由があります。
ネギま!と言う作品の成り立ちが、ネギの成長物語とハーレムラブコメの融合でありながら、根幹部分においての分離しているのではないかと感じる場面があるからです。
簡単に言うと、成長物語での情報形態は積層型であり、ハーレムラブコメの場合は並列型であるという二層形態であるが故に、物語として他方が前面に出た時に、もう一方の情報形態が物語の流れを阻害する場面が現れると考えられるからです。
要するに、ネギの成長物語に突入すると、ハーレムラブコメのヒロイン達が多すぎて重いと言うこと。
ま、何を今更ですが(笑)。
・魔法先生ネギま!における大人の全滅[360度の方針転換]
若干ニュアンスが違いますが、成長物語としての「大人」が機能していない状況が読み込めるのが面白い。
作中では、ハーレムラブコメとしての並列ヒロイン達が、なんだかんだ言ってネギを庇護し、決断を促す立場に立って、本来は「大人」が担うべきことを代行している(と言うか、並列型の場合は大人自体が排除される傾向がある)。
エヴァ様が見かけお子様なのが拍車をかけていると言うか、刹那に対しては良い事言ってるんだけどね(笑)。
●積層型(並列型)の物語とは
ぶっちゃけ普通の物語。
ブリーチとかNARUTOとか、簡単に言うと情報強者と弱者が年功序列的(役職的)に機能している物語。もっと簡単に言えば、情報を得ることにより、より上位の情報を入手する物語。
対して並列型の物語は、スクールランブルとかスラムダンクとか、若干の階層は有るにしても、基本的に横の力関係によって物語が構築されている物語。つまり、情報の変化を楽しむ物語と勝手に定義してみる(マテ)。
勿論、初期は並列型で後期は積層型になる物語も多数存在するだろうし(と言うか、打ち切りと言うプレッシャーがある為、必然的に、そのスタイルに陥り易い)、並列型でも微妙に階層が出来てしまうのは、全てを平等に描写することが不可能である以上、致し方ない訳で。
実際、かなり線引きは難しく、ギャルゲーでも構造的には並列でも、個別ヒロインのシナリオは積層型の場合が多く、と言うか、個人の事情は基本的に積層構造の場合が多いので必然的に物語自体が積層型になってしまうと言う罠が……(笑)。
●神楽坂明日菜の離脱
ネギま!のヒロインと言えば、神楽坂明日菜です。
並列型の物語なら明日菜は優位を保って試合を進めるのだろうけど(苦笑)。
ただ残念な事に、彼女は『ネギの物語』の重要な登場人物でもある為に、並列型の物語からは離脱し始めています(とは言え、『ネギの物語』でもヒロイン臭いのですが、並列型のヒロインとしては一歩下がった印象を受けます)。
そして同様に、『ネギの物語』に(本質的に)ついてこられる並列型のヒロイン達は、現状、限られています。
木乃香、刹那、エヴァ、真名、そして、雪広あやか(明日菜の対として)位でしょうか?(逆に言えば、彼女達がネギと結ばれる可能性は低い)
勿論、+数人のヒロインが割り込む場所はありますが、ネギの物語が煮詰まれば煮詰まる程、新規参入は難しくなる筈です。
つまり、のどかの様に好意を積極的に積むには遅く、夕映や千雨以上に信頼を得るポジションは『ネギの物語』の登場人物達に奪われる可能性が高いと考えられます。
結果として、『ネギの物語』を回す場合に、多数のヒロイン達を平等に描写することは、かなりの展開(スピード)の負担になり、かと言ってポイントを絞ればヒロイン三十人が浮いてしまいます。
更にバトル要素が絡んできた日には……、いつ終わるんだ?
そう、何時終わるのかが問題なのです。(ただし、『ネギの物語』は、ネギが十歳の子供でありながら、少女達を惹き付ける魅力の理由付けでもあるので、一部のハーレム萌え系の物語を望む読者の批難は当たらないと思います。勿論、理由もなく主人公がモテモテな物語も多数存在しますが、少なくとも『ネギま!』は違うと言う話)
●楽園の終焉
ネギま!を『ネギの成長物語』と定義した場合のエンディングとハーレムラブコメとしてのエンディングは、明らかに必要条件が違います。
『ネギの物語』のヒロイン(お姫様)は、おそらくは明日菜であり、これは覆せないと予想されます。
一見、アドバンテージがある様に見える明日菜ですが、実は並列型の明日菜ルートとしては積めないとも読めます(そもそも、明日菜の正体自体が、相当キツい設定が用意されていると予想される)。
その場合、十歳の魔法先生と言う寸止めシステムに支配される可能性が非常に高い。
・ネギ・スプリングフィールドと言う永久機関。
結局、十歳の魔法先生と言う永久機関が作動し続ける限り、赤松ワールドで有り続け、ある種のぬるい物語が続く可能性が高い(面白さとは別である)。
おそらくは、作中約一年(明日菜達の卒業)で終了するのが確定だろうと予想出来る(僕の私見)物語である以上、あくまでも、仮契約なのも必然であろう。
多分、ネギは選べないと思う(恋愛以外なら選べるかもしれないけど)。
決着のつけれないハーレムラブコメを終了させる為の『ネギの物語』と卒業と言う区切り。
それを考えれば、『ネギの物語』でのお姫様であろう明日菜すら、ネギのヒロインとして選ばれる可能性は決して高いものではないと考えられます。
何故なら、誰も選ばずに物語を終わらせると言う、ハーレムラブコメとしては魔法の様な構造をネギま!は持っている訳ですから(所謂、振りだしに戻るや、終わらない日常に埋没せずに物語が収束するハーレムラブコメと言うのは、かなり特異であると思う。ただし、選択によって可能であるだけで、埋没してしまう可能性もある)。
それでも、そこを突破しそうなヒロインは明日菜なのだけど(笑)。
●余談
うだうだと長文を書いてますが、動機と言うか何と言うか、連載終了間際のスクランとかを読んでいて、アレって、もろに並列型で、天満の物語が終了しても、播磨や、他のキャラの物語が描かれいるじゃないですか。
しかも、主要なキャラの関係を清算しつつ。
スクランの場合、時期とか時間ではなく、関係性の変化が終了の契機であって、ネギま!よりもハヤテに近いと考えていたんですよ。
ところが、最近、過去編になってからのハヤテは、ネギま!寄りにシフトしている印象があって、でも、ネギま!の方がカオス度がかなり低くて、なんでかなぁ?と思っていた訳です。
だから、ネギま!は、融合している様で、実は融合しきってないんじゃないか(描き手としては融合させたいのかもしれませんけど)と想像したわけです。
完全に一体化すると物語が回らないし(苦笑)。
本当は、ネギの物語とその他のエピソードを半々くらいの割合で描写できればよいのだろうけど、現状、それも難しいんだろうなと妄想してます。
だから、ネギま!を一見ハーレムラブコメに見えて実は『ネギの成長物語』だと言う人達とは微妙に違う印象を僕は持ってるわけで。
もっと、本来は機能的な筈に思えるんですよね(この×刹くらい独立した物語が各ヒロインにあれば問題ないのだろうけど、それも難しいしな。僕はコタ×夏とか好きだし、ネギの物語の外周部でキャラが生きれば良いのだろうけど、ネギへの一極集中がやっぱりネックだよね)。
後、ウチは見ての通りのハヤテ系です(苦笑)。ネギま!に関しては門外漢もよいとこなので、多少の勘違いは許して欲しいです(切望)。
●関連記事
・「縦糸」は何?[網創漠蓄]
・ [考察] ネギま!の本筋とは何か?[JUNのBLOG the 3rd trial]
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いや、当時、悪意が無くとも多少の嫌な笑いが浮かんだのは、決して僕だけじゃなかったよな?
少なくとも僕の周辺半径三km位は、そんな感じでした(苦笑)。
それはともかくとして(笑)。
当時、思ったのは、「どちら」が先かと言う単純な疑問でした。
そう、「魔法先生」が先か、「ヒロイン三十人」が先か?と言う疑問。
材料は分かる。けど、調理の手順はどうなんだ?と多少、頭を悩ました記憶があります。
結論は確か、どっかで「魔法世界」が先と明言されていた筈ですが、なにぶん、流し読みだったので自信がありません(苦笑)。
一応、「ヒロイン三十人」が先の場合でも現在の形に行き着く事は可能ですが(その場合、ヒロイン三十人→共学より女子校→女子校には男子は居ない→なら先生だ→先生(成人)と生徒の恋愛はヤバい→子供先生ならいーじゃんの流れになる)、それでも「魔法世界」自体は個別に成立していた物を足した印象は拭えないでしょう。
とは言え、物語の成立する瞬間は得てしてそんなもので、何故だか分からないが結びついてしまったり、どう考えても二律背反な条件が突如、止揚に到達したりと割りとミラクル(笑)。(参考・赤松健作品総合研究所)
前置きはこれくらいにして本題にいきます。
●ネギま!のレシピ(妄想編)
・【ハヤテとネギま!】設定を慈しむ作品・設定消化に必死な作品 [▽架空の杜△]
・消費されることを望む『魔法先生ネギま!』と消費されることを拒む『ハヤテのごとく!』−それぞれの「ナギ」が持つ意味[tanabeebanatの日記]
・消費し尽くされていくネギま![ごーるど銀賞]
・なぜコードギアスなのか。情報圧縮論のモデルケースとしてのコードギアス[未来私考](情報圧縮論のみ『情報』の定義が若干違います)
上記のリンクは参考までに。
●積層型と並列型
何故か情報関係のリンクばかりを羅列していますが、勿論、理由があります。
ネギま!と言う作品の成り立ちが、ネギの成長物語とハーレムラブコメの融合でありながら、根幹部分においての分離しているのではないかと感じる場面があるからです。
簡単に言うと、成長物語での情報形態は積層型であり、ハーレムラブコメの場合は並列型であるという二層形態であるが故に、物語として他方が前面に出た時に、もう一方の情報形態が物語の流れを阻害する場面が現れると考えられるからです。
要するに、ネギの成長物語に突入すると、ハーレムラブコメのヒロイン達が多すぎて重いと言うこと。
ま、何を今更ですが(笑)。
・魔法先生ネギま!における大人の全滅[360度の方針転換]
若干ニュアンスが違いますが、成長物語としての「大人」が機能していない状況が読み込めるのが面白い。
作中では、ハーレムラブコメとしての並列ヒロイン達が、なんだかんだ言ってネギを庇護し、決断を促す立場に立って、本来は「大人」が担うべきことを代行している(と言うか、並列型の場合は大人自体が排除される傾向がある)。
エヴァ様が見かけお子様なのが拍車をかけていると言うか、刹那に対しては良い事言ってるんだけどね(笑)。
●積層型(並列型)の物語とは
ぶっちゃけ普通の物語。
ブリーチとかNARUTOとか、簡単に言うと情報強者と弱者が年功序列的(役職的)に機能している物語。もっと簡単に言えば、情報を得ることにより、より上位の情報を入手する物語。
対して並列型の物語は、スクールランブルとかスラムダンクとか、若干の階層は有るにしても、基本的に横の力関係によって物語が構築されている物語。つまり、情報の変化を楽しむ物語と勝手に定義してみる(マテ)。
勿論、初期は並列型で後期は積層型になる物語も多数存在するだろうし(と言うか、打ち切りと言うプレッシャーがある為、必然的に、そのスタイルに陥り易い)、並列型でも微妙に階層が出来てしまうのは、全てを平等に描写することが不可能である以上、致し方ない訳で。
実際、かなり線引きは難しく、ギャルゲーでも構造的には並列でも、個別ヒロインのシナリオは積層型の場合が多く、と言うか、個人の事情は基本的に積層構造の場合が多いので必然的に物語自体が積層型になってしまうと言う罠が……(笑)。
●神楽坂明日菜の離脱
ネギま!のヒロインと言えば、神楽坂明日菜です。
並列型の物語なら明日菜は優位を保って試合を進めるのだろうけど(苦笑)。
ただ残念な事に、彼女は『ネギの物語』の重要な登場人物でもある為に、並列型の物語からは離脱し始めています(とは言え、『ネギの物語』でもヒロイン臭いのですが、並列型のヒロインとしては一歩下がった印象を受けます)。
そして同様に、『ネギの物語』に(本質的に)ついてこられる並列型のヒロイン達は、現状、限られています。
木乃香、刹那、エヴァ、真名、そして、雪広あやか(明日菜の対として)位でしょうか?(逆に言えば、彼女達がネギと結ばれる可能性は低い)
勿論、+数人のヒロインが割り込む場所はありますが、ネギの物語が煮詰まれば煮詰まる程、新規参入は難しくなる筈です。
つまり、のどかの様に好意を積極的に積むには遅く、夕映や千雨以上に信頼を得るポジションは『ネギの物語』の登場人物達に奪われる可能性が高いと考えられます。
結果として、『ネギの物語』を回す場合に、多数のヒロイン達を平等に描写することは、かなりの展開(スピード)の負担になり、かと言ってポイントを絞ればヒロイン三十人が浮いてしまいます。
更にバトル要素が絡んできた日には……、いつ終わるんだ?
そう、何時終わるのかが問題なのです。(ただし、『ネギの物語』は、ネギが十歳の子供でありながら、少女達を惹き付ける魅力の理由付けでもあるので、一部のハーレム萌え系の物語を望む読者の批難は当たらないと思います。勿論、理由もなく主人公がモテモテな物語も多数存在しますが、少なくとも『ネギま!』は違うと言う話)
●楽園の終焉
ネギま!を『ネギの成長物語』と定義した場合のエンディングとハーレムラブコメとしてのエンディングは、明らかに必要条件が違います。
『ネギの物語』のヒロイン(お姫様)は、おそらくは明日菜であり、これは覆せないと予想されます。
一見、アドバンテージがある様に見える明日菜ですが、実は並列型の明日菜ルートとしては積めないとも読めます(そもそも、明日菜の正体自体が、相当キツい設定が用意されていると予想される)。
その場合、十歳の魔法先生と言う寸止めシステムに支配される可能性が非常に高い。
・ネギ・スプリングフィールドと言う永久機関。
結局、十歳の魔法先生と言う永久機関が作動し続ける限り、赤松ワールドで有り続け、ある種のぬるい物語が続く可能性が高い(面白さとは別である)。
おそらくは、作中約一年(明日菜達の卒業)で終了するのが確定だろうと予想出来る(僕の私見)物語である以上、あくまでも、仮契約なのも必然であろう。
多分、ネギは選べないと思う(恋愛以外なら選べるかもしれないけど)。
決着のつけれないハーレムラブコメを終了させる為の『ネギの物語』と卒業と言う区切り。
それを考えれば、『ネギの物語』でのお姫様であろう明日菜すら、ネギのヒロインとして選ばれる可能性は決して高いものではないと考えられます。
何故なら、誰も選ばずに物語を終わらせると言う、ハーレムラブコメとしては魔法の様な構造をネギま!は持っている訳ですから(所謂、振りだしに戻るや、終わらない日常に埋没せずに物語が収束するハーレムラブコメと言うのは、かなり特異であると思う。ただし、選択によって可能であるだけで、埋没してしまう可能性もある)。
それでも、そこを突破しそうなヒロインは明日菜なのだけど(笑)。
●余談
うだうだと長文を書いてますが、動機と言うか何と言うか、連載終了間際のスクランとかを読んでいて、アレって、もろに並列型で、天満の物語が終了しても、播磨や、他のキャラの物語が描かれいるじゃないですか。
しかも、主要なキャラの関係を清算しつつ。
スクランの場合、時期とか時間ではなく、関係性の変化が終了の契機であって、ネギま!よりもハヤテに近いと考えていたんですよ。
ところが、最近、過去編になってからのハヤテは、ネギま!寄りにシフトしている印象があって、でも、ネギま!の方がカオス度がかなり低くて、なんでかなぁ?と思っていた訳です。
だから、ネギま!は、融合している様で、実は融合しきってないんじゃないか(描き手としては融合させたいのかもしれませんけど)と想像したわけです。
完全に一体化すると物語が回らないし(苦笑)。
本当は、ネギの物語とその他のエピソードを半々くらいの割合で描写できればよいのだろうけど、現状、それも難しいんだろうなと妄想してます。
だから、ネギま!を一見ハーレムラブコメに見えて実は『ネギの成長物語』だと言う人達とは微妙に違う印象を僕は持ってるわけで。
もっと、本来は機能的な筈に思えるんですよね(この×刹くらい独立した物語が各ヒロインにあれば問題ないのだろうけど、それも難しいしな。僕はコタ×夏とか好きだし、ネギの物語の外周部でキャラが生きれば良いのだろうけど、ネギへの一極集中がやっぱりネックだよね)。
後、ウチは見ての通りのハヤテ系です(苦笑)。ネギま!に関しては門外漢もよいとこなので、多少の勘違いは許して欲しいです(切望)。
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