2007年05月03日

■「マイ・スイート・ロード」盗作訴訟とは何か?!

「ビートルズ」といえば、音楽的・社会的に驚異的な成功という「陽」の反面、デビュー以降、綿々と繰り広げられてきた「訴訟史的」な「陰」の一面がある。とりわけ、ビートルズ現役時代からソロ活動を通して、ジョン・レノンやポール・マッカートニーに比べると、「控えめ」なビートルとみられがちなジョージ・ハリスン。そんな彼こそが、実は生涯を通じて数多くの「訴訟沙汰」に巻き込まれ、これに多くの時間とカネを費やすこととなり、メンバーの誰よりも腐心していたのだった。今回はそんなジョージの悩みの中でも最大級の事件となった、「マイ・スイート・ロード」の「盗作訴訟」問題について語ってみたい。



さて、ポピュラー音楽の分野における世界規模の「セールス」と「権利」の発生は、実はビートルズ自身によって始まったともいえるので、イギリスの地方から世界の頂点にまでのしあがっていくまでの、当初の不安定な「権利」問題は、一応に弱冠二十代だったビートルズのメンバーはもちろん、マネージャー・ブライアン・エプスタインにその責任を押し付けることはできない。ブライアンは既に大型レコード店の経営者ではあったが、こうした未知の業界で、三十代という若さで、しかも実績やコネクションが全くないなかで、バンドのデビュー以前の二束三文の待遇を改善し、レコード・デビューにのみ照準を絞って活動していた。そんな最初の時点から、二年を経ずして世界的な「現象」を起こした、というよりも巻き込まれていくカタチで状況が変化したのである。結果論において、その手腕を批判されることが数多くみられるが、シンプルに考えてみると、ビートルズのような「短期間」での「劇的変化」を初めて(そして恐らくは最後!)経験する当事者としては、後世伝わる「恩を忘れず」「誠意的な」クリーンな姿勢こそ賞賛されるべきである。しかし、冒頭に述べた不安定な「権利」問題は、未整備だったビートルズの活動期間からその後、今日に至っても綿々と繰り返される「訴訟史」の根源にあることは否定できない。さらに、ブライアンの死と、ビートルズ自身によるアップル設立当初のゴタゴタ期間がそのままビートルズ終末期となり、ますます混乱を来たし、最終的には解散。継続的な権利訴訟問題担当として残された暫定アップルが、今日に至る。最近でもイギリスの「版権50年問題」「米国アップルとの名義・楽曲配信関連」「EMI印税未払関連」など、解散以降も休まることをしらない訴訟問題がメディアを騒がせ続けている。アップル代表のニール・アスピナールは、ご存知、ピート・ベスト(リンゴ以前のドラマー)の親友としてビートルズ関係者となり、その後マル・エバンスと並んでビートルズ現役時代に最も側近(ローディ)としてビートルズの世話に携わってきた人で、その彼が解散以降、一手に権利訴訟問題を担当してきたのだが、現在大型訴訟が一段落したところで退任するというところ、メンバーからの信任の厚さがうかがえる。と、ことニールの例を挙げたのは、いうまでもなくネタ振りなので、ぜひ押さえておいて欲しい!!

とにかく、ビートルズにとっての権利や訴訟問題については、無縁でいられない事象だということに留意しておきたい。恐らくこれが一般人であれば、例えば「借金」「交通事故」「労災」「遺産相続」などが日常・多重的にしかも継続して被告・原告の立場で裁判沙汰が繰り広げられている状況!!に等しい。ガッツがあればなんとか乗り切って行けるのだろうが…。ここで、ようやく(笑)ジョージを被告として起こされた「マイ・スイート・ロード」の「盗作訴訟」問題に触れることにしよう!!さあ、これに関しては、単純にそのようなビートルズにまつわる裁判沙汰のひとつと混同してよいものだろうか?!もちろん「否」である!!
ジョージ・ハリスンのソロ・キャリアにおいて、最も重要作であるといえる「マイ・スイート・ロード」。「盗作訴訟」問題に晒されたこの曲は、訴因に挙げられた「原曲」と酷似してことに疑う余地はないかもしれない。しかし、古今東西において、同様の問題は挙げればきりがなく、こうした問題のほとんどすべてにおいて、通常では短期「和解」で結論するところ、「マイ・スイート・ロード」の場合、時間的・金銭的にみても「異常」であったいえる。元ビートルズのメンバーで、コンポーザーとして絶大な地位を築いたレノン=マッカートニーこと、ジョンやポールでなく、解散後、いち早くこの曲を送り出して、ソロのキャリアをスタートさせたジョージが、皮肉にもその当事者に立たされたことは、ジョージのその後の活動に長く、深く、影を落とすことになったことは想像に難くない。ようやく'90年11月に結審した「マイ・スイート・ロード」の「盗作訴訟」は、ジョージの敗訴が確定。

■「無意識による剽窃行為」
■「本曲の「作者」は今後もジョージとして認めるが、(原曲とみなされる)『ヒーズ・ソー・ファイン』の「権利者」へ、ロイヤリティ(印税報酬)を支払わなければならない」
■「ジョージは別途、裁定金、及び慰謝料27万ドルを「権利者」へ速やかに支払わなければらない」

という、同類の訴訟には前例のない「よくわからない内容」「長い時間」「過酷な結果」となった。

さて、この「盗作訴訟問題」では、とかく「曲の類似性」や「伝承曲の定義」など、「訴因の是非」に関してばかりに目が行きがちで、今日でも裁判の「判決」に基づいて、「盗作」「引用」の題材として語られることが多い。いずれも、いわゆる「盗作」「パクリ」裁判としての表面上について語られるのだが、ここでは「視点を変えて!」、訴訟の発生と経過で、この件に関わる「人」に注意して推移を追ってみる。そうすると、「盗作訴訟問題」の全く違った一面が顔を覗かせるのだ!! というわけで、さっそく時間軸を追ってみてみよう。以下。


【1967年8月】
ビートルズのマネージャー・ブライアン・エプスタイン死亡。

【1968年4月】
ビートルズによる「アップル」始動。ブライアンの会社「ネムズ」「ネムズ・エンタープライズ」から、順次ビートルズ関連の人材・業務を移管させ、さらにビートルズによる巨額資金で様々な事業の経営をはじめる。当初より乱脈経営となり、すぐにメンバーが破産を危惧する発言を行う。

【1969年5月】
ジョンが個人マネージャーに推したニューヨークの会計士・アラン・クレインにと、ポール以外のメンバーのマネージメント契約が成立。ポールは妻リンダの義父を代理人に立て、合議にて運営とした結果、3:1で実質的にアランがアップル及びビートルズのマネージメントを掌握する。ジョン・ジョージ・リンゴとアランの蜜月時代が始まる。アランは特にジョージと親睦を深め、シングルにジョージの作品を多用するなど、影響力を誇示。一方、アップル内にてアラン主導による粛清人事と経営再編が断行される。

【1970年4月】
ポール、ビートルズ脱退を表明。

【1970年5月】
ジョージ、「マイ・スィート・ロード」録音開始。(発売は11月)
当初、ジョージはこの曲を伝承曲(権利者がいない楽曲)の「オー・ハッピー・デー」に類似した色々な派生曲とバッティングしないかアランに相談していたが、アランは問題ないと判断したとのこと。

【1970年12月】
ポールが個人的にアランとの関係を絶つために、その雇用主である他のメンバーとアップルを告訴(ビートルズの法的な解散要求とアップルの管財人設置を申し立てる)。これにより、ポールと他のメンバーとの疎遠が決定的となる。

【1971年3月】
米著作権業者ブライト・チューンズが、彼が権利を所有するシフォンズの「シーズ・ソー・ファイン」をジョージが盗作したとして、アップルとジョージを告訴。いわゆる「マイ・スィート・ロード」訴訟のはじまり。

■原曲の作者は既に死亡し、当時ブライト・チューンズが権利を買収していたが、それ以前のロイヤリティ支払不履行があり、作者の親族が、権利を買収したブライト・チューンズに支払を求める告訴が行われていた。

■同じく偶然このタイミングでポールの告訴が勝訴している(高等法院での結審は1975年1月)

【1973年3月】
アランとジョン・ジョージ・リンゴとの契約が切れ、誰も更新せず。ジョン・ジョージ・リンゴは次第に、アランが多額の搾取をしていると疑い、関係を遠ざけるようになっていた。

【1973年11月】
ジョン・ジョージ・リンゴとアップルがアランを「虚偽陳述搾取」や「マネージメントの失敗」で損害賠償請求を訴える。
(1974年10月ビートルズ側の勝訴が確定)

【1976年9月】
「マイ・スィート・ロード」訴訟で「無意識による剽窃行為」があったとし、ジョージに有罪判決。(控訴)

■アランがブライト・チューンズから原曲の権利を買収し、「当時のジョージの言動を知る立場」として告発。シフォンズがカバーしていた「マイ・スィート・ロード」なども含めた多重裁判に発展する。

■1981年2月に59万ドルの一時裁定金支払命令に応じる。

【1990年11月】
「マイ・スィート・ロード」訴訟が結審。前述の通り、この時の原曲権利保有者となっていたアランに対して、今後のロイヤリティ保障と慰謝料27万ドル支払の命令。


■こうして、アランはジョン・ジョージ・リンゴとアップルに訴えられ(裏切られ!!)、裁判に負けて支払うハメとなった「カネ」を、ジョージを標的に見事に取り戻し、さらにいえば、司法上でも鮮やかに「報復」を果たしたということになる!!


楽曲権利についてはそれ以前から世界各国ごとに整備が進められており、これまでも既に厳しい監督と訴訟判断が下されていた。実際に、ビートルズもこの体制に守られてきたわけで、英アップルはビートルズ解散後もこの監督の部分の業務をこれまで継続してきた。大好きなバディ・ホリーの楽曲権利を買い取ったり、旧ノーザン・ソングス管理の自曲(レノン=マッカートニー楽曲)の管理権がノーザン・ソングス株の譲渡により、(自身がその手法を教授したとされる)マイコーの手に渡った苦い経緯などから、ポールがこと、これまでも楽曲管理の分野に重大な関心をはらってきたのも周知の事実である。『アンソロジー』についても、アップル主導による、海賊盤対策としての一面があることも然りである。


「マイ・スィート・ロード」訴訟の場合は、楽曲管理の分野では一大関心事項である「盗作」に関するナーバスな問題なのだが、実際、こういう事例の場合、通例では(パクった側が)謝罪した上で正式に(パクられた側の権利者の)何か楽曲をカバーする(そして正式に印税報酬を支払う!)といったことで示談が成立していた。お馴染みジョンの「カム・トゥゲザー」が訴えられ、ジョンは『ロックン・ロール』で「ユー・キャント・キャッチ・ミー」を取り上げてることで和解している。当初、「マイ・スィート・ロード」の場合も、この慣習的なパターンで、示談が見込まれていたと思われる。それが、アランの「報復的な」介入で長期化・大型化した。司法や音楽業界の慣例に聡いアランにとっては、この「マイ・スイート・ロード」の頃にかなり親密であった、にもかかわらず、その後「裏切りを受けた」(と思われる!)ジョージを標的に、訴訟を終始有利に進めることができただろうことが容易に推測される。こうして、内容としてはいわゆる「パクリ」を「わざと」なのか「知らずに」なのかを法的に問われるというもので、仮にジョージが「知らない」と言い張り続けたとしても「無意識による剽窃行為」として判決が下る、そんな結果から経緯を導き出すような、「きな臭い」異例の事態となったのだった。


そんなジョージの「マイ・スイート・ロード」だが、彼のソロ・キャリアにおいては、彼の代表曲としての地位になんら揺らぎはなく、重要なコンサートでは常に演奏され、多くのファンに愛され続けてきた。ジョージは元ビートルズのなかでは唯一親交と評価を変えることがなかったフィル・スペクターだが、2001年、彼が共同で制作を手掛けた『オール・シングス・マスト・パス』のリマスタリングが行われる。そのなかで、白眉なのが、「マイ・スイート・ロード」のミレニアム・ミックス・バージョンである。そのライナーに、控えめなジョージのコメントが載せられている。このバージョンを聴くと、1971年から'90年の結審に至るまで、そしてその後も、ジョージは死の直前まで、この問題に腐心していたことが感じられる。


ちなみに、その後、ジョージ自身もこの判例でいうところの被害者的な立場(パクられる方)になる自曲を幾つか発見するのだが、いずれの場合も訴えは起こしていない。



マイスイートロードマイスイートミレニアム

pandamaniamikey at 14:17│Comments(14)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by MIKIYA   2007年05月03日 15:37
夢の人さん、ご無沙汰です。
いつもブログ楽しみにしております。
「マイ・スィート・ロード」の訴訟の裏にはこんな人物が介在していたとは・・・ぜんぜん知りませんでした。
今回のブログもとても興味深く読ませていただきました。次回を楽しみにしております。
2. Posted by みっつ   2007年05月03日 15:46
5 夢の人さん、こんにちはです。

訴訟に焦点を絞ったブログでしたね。。。
時系列で書いていただけるのは興味深いです。

しかし、内幕を知った人物がそこで得た情報を
違う観点から訴えるのは企業的コンプライアンスにもとるものかと
今でこそ思います。

流行の内部告発に近いものがある〜。。。
それでアランはしっかりと巨大な金をせしめているので
尚更だ〜。。。

アラン!あなたがGuilty!
3. Posted by ミカ・ラウド   2007年05月03日 20:15
5 大変分かりやすいまとめ方、脱帽です。もう一度事件を俯瞰することが出来ました。

アラン・クラインに関しては、本当にラトルズで描かれていた通りの、お金の嗅覚に鋭い男だったという印象です。
金儲けのカモとして使われたジョージが忍びないです。

意図的に剽窃したのではない限り、文化的に見ても様々な局面に影響されあいながら創られていくのが芸術だと思っています。音符やコードの配列が出尽くしたと言われている現代で、安易に「盗作」と言ってしまってよいものか、と端くれの端くれにいる歌唄いとしては考えています。

ジョージ関連の話題、ありがとうございました。
4. Posted by アフガン   2007年05月13日 23:11
こんばんわ〜
お久ぶりです!
ジョージは大好き
5. Posted by 夢の人   2007年05月14日 19:11
みなさんコメントをありがとうございます♪

当初単純な訴訟だったのが、アランの報復に燃える因縁裁判となった経緯がわかりますよね☆ビートル三人の反逆を受け、ジョージ側(インサイダー)だったアランが原告側に寝返った時点で、(暴力的な言い方をすれば)本件はもはや「盗作」は問題でなく、アランの私的な報復となりました。

有罪をのんだジョージが、何かのインタビューで、「ぼくの曲も沢山真似されているよ!」と即座に数曲挙げたエピソードは笑止ですが、彼はこの件で相当傷ついていた事が伺えます。

彼を愛する者として、(マリファナの時も同様!)何かとクレバーなジョンと違うジョージを想い、「ミレニアム」を聴くと、思わず声を掛けたくなります!

「ジョージ!そこまでしなくても、ぼくらは誰も疑ったりしないし、オリジナル・バージョンも十分素敵だから…!!」
6. Posted by 夢の人   2007年05月14日 19:13
みなさんコメントをありがとうございます♪

当初単純な訴訟だったのが、アランの報復に燃える因縁裁判となった経緯がわかりますよね☆ビートル三人の反逆を受け、ジョージ側(インサイダー)だったアランが原告側に寝返った時点で、(暴力的な言い方をすれば)本件はもはや「盗作」は問題でなく、アランの私的な報復となりました。

有罪をのんだジョージが、何かのインタビューで、「ぼくの曲も沢山真似されているよ!」と即座に数曲挙げたエピソードは笑止ですが、彼はこの件で相当傷ついていた事が伺えます。

彼を愛する者として、(マリファナの時も同様!)何かとクレバーなジョンと違うジョージを想い、「ミレニアム」を聴くと、思わず声を掛けたくなります!

「ジョージ!そこまでしなくても、ぼくらは誰も疑ったりしないし、オリジナル・バージョンも十分素敵だから…!!」
7. Posted by まいぅー   2007年05月25日 12:54
こんにちは!!
初めてブログのコメントにカキコします。
父からもこのネタを聞いたことがありました。
でもこんなに色々な背景が繋がっていることを知りませんでした。
勉強になります。m(_ _)m
8. Posted by 夢の人   2007年06月07日 18:54
>まいぅーさん

ブログへのコメントありがとうございます!!

最近でも某カミングアウト氏製の楽曲の一部に某「銀河鉄道」画伯がフレーズが「無断引用」されているとの騒動がありましたよね〜!!ことロック史においては、この手の問題は枚挙に暇がない事象なのですが、なかでも「マイ・スイート」問題は代表格的事件だと世論されていますよね☆そんな大きな事件ではありますが、見方を変えてみると、おおよそロック史的には些細な私怨が核心に潜んでいるという、「盗作訴訟」という舞台を借りた、報復だったとは…!!
生前、ジョージはこのことで終に名誉回復がなされませんでしたが、せめてファンにはことの核心に触れていただきたいと思った次第です♪
9. Posted by 慎太郎   2007年06月25日 14:52
夢の人さん、こんにちは。
ついにこちらにもやってまいりました
凄いっすね実に読み応えアリ
一応ご挨拶まで
後ほどゆっくりじっくり読ませていただきます
10. Posted by 夢の人   2007年06月26日 23:17
>慎太郎さん

ブログへようこそ♪
たいへん恐縮です!!日記にも増して更新が進まないブログですが、こちらの方もよろしくお願いいたします!!
11. Posted by yukio   2009年01月23日 21:49
パクリに関して、話題となったので
有名な、この事案として詳しい内容だったので
リンクさせていただきました。
事後承諾で失礼します。
そして、ありがとうございます。
12. Posted by 顔なし   2010年09月13日 22:34
3 懐かしい話です。昔、ジョンが死の直前の長いインタビューの中でこの件について触れ、発言していたのを思い出しました。「ああ、知っていたに違いない。自分で蒔いた種さ。それ程頭の悪い男じゃない。実際には金だけの問題だったんだ。」と、いう具合いでしたね。ビリー・プレストンに提供した時点での真のオリジナルは、「いかした彼」を連想させるアレンジではなく、自分のソロアルバムで再録したときのアレンジが問題だったのでしょう。だから、私的にはマイナーアレンジは彼のオリジナルで、メジャーアレンジはパクリという印象です。北米ツアーのときには、しばしばビリーに提供したときみたいなオリジナルに近いアレンジで演奏していたと思います。そんな印象です。何れにせよ、コマーシャル風のシングル曲に過ぎず、彼の作品中での地位(出来具合)は余り大した事ないと思います。ヒヤ・ミー・ロードのディン・ドン版みたいなものでしょう。
13. Posted by ケイトスペード 知恵袋   2014年08月22日 19:38
http://www.gusmancenter.org/events/handbag/katespade-050-3.htmlケイトスペードサタデー
ケイトスペード 知恵袋 http://www.gusmancenter.org/events/handbag/katespade-050-24.html
14. Posted by dyman.lt   2014年08月29日 16:25
Publi茅 par Pai

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