山歩き&カブ’s Diary

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短編 「オシドリに想うこと。」

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短編 「オシドリに想うこと。」

 オシドリを始めて見たのはいつだったか?果してどこで見たのか、その答えを探って記憶をたどる。大分にいる頃か?記憶は別府の志高湖に飛ぶ。

あれは小学生だったか、冬に釣りに行った。そこで見た記憶がある。志高湖は別府と湯布院の間にある山合の湖だ。志高ユートピアという遊園地があったが、賑わっていた感じはない。実際、今は閉園し廃墟と化しているそうだ。湯布院は今でこそすごい観光地だが、当時はひなびた湯治場。そして結構、雪が積もるところなのだ。だから、志高湖でのオシドリの記憶は、どんよりとした雪雲の下、人気のない遊園地のはずれにあった湖で泳いでいたのを見たという記憶だ。振り返ると、遠くに湯布院の湯けむりが見えた。親父と全然釣れないなと話したと思う。だが、この時オシドリに感動した記憶はない。どうやら大分が初ではないようだ。

 では、岩手の記憶か。そうなると小学1年の頃となる。こうなると記憶は断片的だ。私には母親がいない。正しくはいるとは思うが、記憶もないし、親族一同誰も話さない、一番事情を知っている親父はもう天国だ。岩手にいる頃というのは本家に預けられていた頃だ。本家の祖父は、なかなか厳しい人だった。あとから聞いた話も総合すると、祖父は、大船渡市出身で、これまた分家筋。滝田という家は名字が少ない家系ということもあってルーツがよくわかっている。もともとは源氏に仕えた那須与一の6男が滝田という領地を治めることとなって、そこから滝田姓を名乗ったらしい。鎌倉幕府から足利幕府に時代が移って、京都北門の守護職だったが、応仁の乱の時に岩手の豪族を頼って落ち延びたらしい。そんなこともあってか祖父に限らず男衆は血気盛んだ。その血を継いだ祖父は、三陸津波で家と船を失い、その後内陸へ転居。そこで第1次世界大戦に従軍、そのまま陸軍兵として職業軍人でいたが、支那事変従軍時に負傷し本国送還、そのまま退役を迎えた。軍隊生活なのか、それとも滝田家のDNAなのか、なかなか怖い人だった。戦後は県の公務員を勤め上げた。

預けられていた時分には、祖父は退職し、時間の合間には猟に行っていた。そのため、私もしばしば猟に連れていかれた。記憶では少し南の山合の池だったと思う。

「いいか、静かにしろ、話すでねぇ。撃ったら拾いさ行け」

そういって、祖父との会話はなくなった。

鳥を打つときは散弾銃だ。ライフルも持っていたが、ライフルで鳥を打つと体がバラバラになるからダメなんだそうだ。散弾銃だと体はバラバラにはならないが、あちこちに散弾が入ってるので、さばく時大変だと祖母が言っていた。そういえばたまにだが、汁椀の中から散弾の弾が出てくることがあった。今にして思えばあれは鉛玉なんだが、体に悪かったのではと思う。

「バーン」という銃声が響くと同時に私は走る。散弾で鳥が即死することは少ない、撃たれた後もたいていばたばたと、のたうちまわるし、どうかすると動いて見えなくなったりする。

こんな場所では獲物はたいていカモだ。池に逃げてしまう前に見つけなければ。

(いた、じたばたしている)

(早くじっとさせなきゃ)

じっとさせるというのは、つまりはとどめを指すことだ。これが私の役割なのだ。今にして思えば、いろんなことを考える。

子ども時分には、獲物を逃す=祖父に怒られるということしか考えつかなかった。しかし、仕留めたカモは、このあと持ち帰り、家族の夕ご飯となる。カモの命は我々の命とすり替わる。もし、逃がしたら、家族の今日の夕げは飯とみそ汁だけだ。そして、撃たれたカモも苦しみながら、やがて絶命するだろう。逃がしたら我々もカモも命をただ減らした一日となる。誰の命も延びやしないのだ。祖父はそんなことも教えたかったのか。家族を持つ身となった今は特にそう思う。

 しかし、子どものときはそんなこと思わない。目前の作業に夢中だ。私はカモの首に刃を滑らす。あっという間にカモは動かなくなる。

祖父の前に持って行き「取ってきた、もう死んでる」といって私はカモを渡す。

祖父は一言「洗ってこ」と言う。

血が付いた手を洗ってこいという意味だ。洗うと言っても田んぼのわきに残っている雪が解けた水で洗うだけだ。とても冷たいはずだが、手に付いた血が流れていくのが妙にうれしかった。家族の命をつなげてくれたカモは、今にして思えばオナガガモのメスだったと思う。

 この記憶の断片にオシドリがいた。猟を始める前、祖父が言った。

「あすこさきれいなカモいっぺ、あいつぁオシドりっつうんだ。あいつは美味くない。ただキレイだべ、撃ったら驚いていなぐなるから今のうちに見とけ」

 他者の命がどうつながるのか、なかなか体験できない。理屈でわかるのと、実際に命をその手で奪って食にするのでは断然違うと思う。今は感謝する。

オシドリの記憶をたどったら美しい話ではなく、厳しいけど自然と暮らしたことを思い出した。

古鷹山 トレイルメンテナンス

今日も相変わらず古鷹山のメンテナンスだ。
前回登った時に、草で狭くなった箇所を広げる。歩けるといえば歩けるのだが、谷側に踏み外した跡がしばしばみられるようになった。ここを広げる。
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作業後。多少は広がっただろうか?
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どうやら、ほかにもメンテナンスをする人がいるらしい。前回、草刈りをした場所は、さらに草刈り面積が広がっている。
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瀬戸内の島でも紅葉が始まった。
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昼食は山頂でラーメンを作る。暖かいものがうれしい季節となった。
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10/30に設置した自動カウンターもチェックした。
11日間で約110人の登山者。

車の思い出

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H13年式のプレマシーの走行距離が167,000㎞を超えた。次回の車検は2月だ。あと、4か月。さぁ、そろそろ、次の車という話が出てくる。今日の休みを利用して、ちょっとディーラーをまわってみた。さすがに最近の車はいいね。ただ、このプレマシーはまだまだ走りそうだ。さて、どうしたものか・・・
夕日を見ながら考える。
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いつのまにか、宮島の北の端を超えたところに陽が沈むようになった。岸根に沈む夕日だ。
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プレマシーは車的にはパッとしなかったかもしれない。今や同型車とすれ違うことも少ない。
ただ、この車にはいろいろな思い出も詰まっている。岩手と広島を何往復しただろうか?
車中泊も何回しただろう?まだまだ走れると言っているようだ。
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