混乱する惑星BLOG

映画の感想 『落下の王国』

 ターセムの新作。構想26年。撮影4年。CGには頼らず24カ国、13箇所の世界遺産でのロケ。撮影費用は全て監督の個人資金。衣装は石岡瑛子。そしてPresented by デビッド・フィンチャー&スパイク・ジョーンズ。
 いや、何か冠の並びが凄いな・・・。

 前作『ザ・セル』は映像は凄いんだけど、物語が今ひとつで、やたら長いPVを観ているような印象しかなかったんだけど、まぁでもやっぱ映像は本当に格好よくて、何よりも石岡瑛子の手がけた衣装が涎が出るほど凄くて。
 石岡瑛子ってそれまで名前しか知らなかったんだけど、この映画をきっかけに凄く興味をもって写真集を探してみたら、もうページを開くたびにドキドキしちゃうの。この人の手がける衣装って奇抜だし退廃的でグロテスクなところがあるんだけど、それでも(それ故に?)人を惹きつける魔力のような美しさを持っていると思う。

 閑話休題。『落下の王国』です。

落下の王国1

 まず、映像に鳥肌が立つ。刻まれているのは、地球という惑星の持つ幻想的な美しさと、人類が築き上げた壮大な文明の足跡。それらが監督の美意識というフィルターを通して絵画的な趣で映し出される。
 そしてベートーヴェンの交響曲第七番が印象的な音楽や、石岡瑛子による衣装が、映画にオペラ的ともいえる優雅で豪華な印象を付与する。

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 でももし、この映画をストーリーの表面だけをなぞったような見方をしていたなら、圧倒的な映像美だけを印象にとどめるに過ぎなかったかもしれない。この映画のキモは、ストーリーによって語られた何かではなく、映像と音によって語られた何かだと思う。それは上記の映像美の話ではない。この映画は映像と音によって「物語の原始の有様」を描こうとする。

 「一人の青年が少女に即興で作り上げた物語を話して聞かせる」という大枠をもったこの映画では、話し手である青年が、聞き手である少女との係わり合いなの中で物語の内容を変化させていく。物語世界を構成する人物やイメージは少女の頭の中で展開されているが故に、少女の周りにいる人物、少女の経験を反映したものなっている。
 この映画は、映画はおろか小説すらない時代、物語は話し手の口から生まれ、聞き手の頭の中で育ち、両者の関係性の中で多様に変化していったはずだという考えを、映画という表現方法でしかなし得ないやり方で描いてみせた。

 ファンタジー映画としてのスペクタクルは弱い。ヒューマンドラマとしての感動にも欠ける。でも、ただ映像と音による美しく知的な表現がある。

お勧めレコード GLASVEGAS

 「音楽は国境を越える」なんて陳腐な言葉もありますが、あながち嘘でもなく、歌詞が理解できずともそこに鳴らされた音だけで何かしらの感情を受け取ることができたりもします。 

 そんなわけでGLASVEGAS

グラスベガス

 どうやら日本盤の発売はまだ先のようで、歌詞の日本語訳が欲しい気持ちは山々なのですが、どうにもこうにも購入を我慢し切れなかったわけで。だって夏前に雑誌で紹介されているのを見て以来、本当にアルバムの完成を待ち焦がれていたわけです。

 まず、胸を締め付けるような甘いメロディ。それでも所謂「美メロ」的なものとは全然違う。傷だらけで散々泣きはらした後にみせた凛とした表情のような強さを秘めている。
 鳴り続けるギター・フィードバックは真夏の夜の雨のようにどこか切なくて、それでいて優しく、全てを洗い流してくれそうな雰囲気がある。
 全ての音が柔らかな残響として響く様は、霧の中にぼんやりと浮かび上がる光のようで、寂しげで、それでいて心の疼きを包み込むよう。

 喪失と贖罪として鳴らされた音。なんとなくそんな感じがするのです。
 散々打ちのめされて、嫌になるほど誰かを傷つけて、大切なものを次々に失って、うんざりするほど涙を流して、何もかもが取り返しがつかなくなった後に、ただひたすらに祈りを捧げるような、そんな感じ。

 おセンチ過ぎますかね。それでも単なる薄っぺらな叙情性の垂れ流しに陥らず、どこかやたらとソウルフルで、神々しさすら感じてしまうわけです。

音源はこちらからどうぞ。

映画の感想 『デトロイト・メタル・シティ』

 デトロイト・メタル・シティ(以下DMC)のコミック第1巻の発売当初からその設定と面白さに夢中になり、でもまさか下ネタ満載かつデスメタルなんて一般受けしなさそうな題材の漫画が映画化されようとは夢にも思わなかったわけで、「まーどうせ面白くないよ」と斜に構えながらも、何だかんだで劇場に足を運んでしまうのは原作のファンの悲しき性でしょうか。

 よく言われるように「原作のファン」を公言する観客ほど映画にとって厄介なものはなく、自分の思い描くイメージと少しでも合わなければ「イメージと違う」と文句を言い、原作と全く同じだと「原作をなぞっただけ。映画化する必要がない」と文句を言う。自分がその手の観客であるということは十分に認識しつつ、ここはひとつ「いやー、無いねぇ」と仲間内で笑いとばし、あとは早く上映期間が過ぎてくれることをひっそりと待ち続けるのがある種の礼儀ではあるのだろうけど、「もしかして大ヒット!?」の予感に「まさか続編!?」とか「DMCの魅力が誤解されちゃう!」といういらぬ心配もあり、ここに一筆。本当は山ほど書きたいことはあるけどキリが無いから少しだけ。(以下ネタばれあり)

 映画版DMC。この原作のネームだけを借りた無難かつ安易な映画化に、怒りを通り越して悲しくなってきた。制作サイドはそんなに金儲けがしたいのか?

 映画は主人公の根岸君が上京のため故郷の田舎町を母親と歩くシーンから始まる。違う。このオープニングじゃ物語の中心が「冴えない根岸君」になってしまう。物語の中心になるべきは「根岸君」ではなく「クラウザーさん」。映画版はここを履き違えたせいで、DMCの核を失っている。
 映画版では、「根岸君が本当はやりたくもないデスメタルの音楽をやっているけど、ファンの希望に答えデスメタルにも価値を見出す」みたいな描かれ方をしているけど、原作で最も重要なポイントは「根岸君はデスメタルなんてやりたくないなんて言っているけど、実は根っからのメタル野郎」ってところ。
 そもそもデスメタルなんて誰かに夢や希望や救いを与えるための音楽ではなく自分の中の内なる凶暴性を吐き出すための音楽じゃないのか?原作はそこをちゃんと押さえているから、メタルをどんなに茶化しても「アリ」だけど、映画版ではそういう核となる部分を分かっていないから、ただ上辺だけをなぞった物悲しい笑いが描かれる。書き下ろされた楽曲にしてもメタルっぽいふりをした貧弱なJポップ的なものとしてしか響かない。

 DMCなのに夢と希望を唄った安っぽい物語。しかも下ネタ皆無。そんなに大衆受けを狙ってどーするんだろう。「映画はより不特定多数の観客に受け入れられなくちゃいけない」と言う人もいるけど、じゃあDMCを映画化なんてしなければいい。
 DMCのコミックを小学生からサラリーマンまで色んな人が購入していく様子は不思議ではあったけど痛快ですらあった。今映画化されたDMCを観ようと並ぶ列を見て、面白かったと感想を聞くのはとても悲しい。

お勧めレコード Sonny J

 クラブには行ったこともないし、特別上手に(もしくは格好よく)踊れるわけでもないけど、とにかく踊れる曲ってのが大好きで、そういう音楽を買ったりライブに行ったりすると無様なステップを夢中で踏み続けるわけです。

 そんなわけでSonny J

Sonny J

 紹介するタイミングとしてはちょっと遅いかな。7月後半あたりからタワレコではお勧めレコードとして店頭に並んでいたし、My Spaceなんかでも話題だったみたい。

 とにかく最高。ジャクソン5や、最近ならジュニアシニア、ゴー!チームみたいなハッピーなバイブス、国籍や人種をボーダレスに超えてゆくバライティ豊かな開放感、曲の開始から5秒を待たずに躍らせる強靭なグルーブ。
 基本サンプリング・ミュージックだからどの曲も「なんか聴いた事あるだよなぁ」的な既視感はあるんだけど、それはまぁキャッチーな魅力に溢れているということで。

 とりあえずM-7のCAN'T STOP MOVINGだけで夜明けまで踊れそうな勢いなので是非!

音源はこちらからどーぞ。

再開

  • September 13, 2008
  • NEWS
別にBLOGの更新をサボっていたわけではなく、最近引っ越した関係でネットに接続できず、そんなこんなで約1ヶ月ほどBLOGほったらかしでした。

さっきようやくネットも開通したので、これからまたちょこちょこ更新していくのでよろしくです。
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