2006年05月29日

2006/05/29 2:51 インドとそのほか多くの国と

> カーストという身分制度のあるインドから見た日本の格差社会

 昔、インド人の男性と職場で一緒に働いた。
 身分に起因する問題点があるのだと認識はしていたがそのことを話すことはしなかった。
 彼は明らかに富裕層の子弟であったから。しかし、友人ではあった。

 問題があるときにそのことを話題に出来ない、というのは最悪のことだと思う。
 あちこちの地域で常に維持され続けている不平等への人々の是認はあのときの自分のような一人一々に依って静かに産み出され維持されているのだ。


 為替王さんの blogより

Yokohama Bayside Marina










 Yokohama Bayside Marina
  
Posted by panics at 03:09Comments(2)TrackBack(0)哀しいこと

2006年05月26日

2006/05/26 19:44 GERONIMO と出会った!!

 本日、16:00 頃、ヨコハマシーサイドマリーナで撮影。

 偶然にも GERONIMO が入港していた。
 彼女は San Francisco から 4,800海浬( nautical mile )を越えて Yokohama Bayside Marina に先月末に入港していた由。
 今日はマストの中のシート( ロープのこと )やシーブ( 滑車類 )の手入れをしていたようだ。
 一人、トップに揚がっており甲板のクルーと声を掛け合いながら作業していた。

 どうってことなく見えるが 40 メートルはある高さで作業している。
GERONIMO top 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 GERONIMO.CORK とあるスターンからの風景。
GERONIMO Deck
 
 
 
 
 
 多分、スキパーだったと思うが手前に見える板張りの桟橋から作業を見つめていた。
 やあ、どこから来たの?てなことを云いつつ傍に行く。
 最近は全く大きなレースの情報をフォローしていなかったので知らなかったんだ、と云いながらレースの様子を訊く。

 カメラを指して、撮って良いか?と訊く。
 いえす。あぶそるうとりぃ、だと。
 遠慮なしに撮りまくる。

 小一時間、話したり、撮影したり、遊びに来ていた女の子( 陸から見物していたらしい )とお喋りしたり、などで過ぎて行く。頃合いを見て、
 さんきゅー・ぼーいず!!と云って別れた。
 いっぱしの強者ばかりの連中に“ぼーいず”はなかったよなぁ と思うがマァ、ぱにっくす・いんぐりっしゅはこんなもんだろう。

 帰宅して web で当たりをつけてみると、スキパーはフランス人とある。
 ??? 普通のアイリッシュみたいな英語に聞こえたのだが ???
 確かにアメリカ英語ではないが。

 以下、公式 HP ? とクルーの一人、西村氏の blog と。

 Superyachting Challenge

 西村一広の《風の旅人セーリング日記》   
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2006/05/25 22:13 個人情報と個人のプライバシーは無関係

 プライバシーとは安全のことだろうか。

 田舎に暮らすことはプライバシーを持たないことでもある。
 遥かな昔、人は皆田舎に暮らした。
 それはプライバシーはおろか所有の概念もない生活である。

 潜在的に人間未満の遺伝子を持つとされる男性の一員として書けば、物や妻や子供を性的・財産的に共有したりすることは今でも特殊なことではない。日本でも珍しくないことである。
 多くのコミューンに於いて決して珍しいことでもなく誰にも無関係なことでもない筈である。

 誰の家にも施錠などはされておらず、他人の持ち物は自由に使って良いという生活は今も最も多数派の形態である。
 女の生殖器に施錠するという文化はそれ程珍しくなく遠く中東北西部やヨーロッパに端を発したものと承知している。

 田舎の生活にも最近は施錠が少しずつ入り込んでいるが、これは田舎の安全な生活に害をなしているように思う。
 日本では混浴の温泉で誰もが裸になることに問題がないように、或いはあらゆる意味で近隣の女達の身体を知っていることが生活に何の支障もなくむしろ好都合なのは人類の本質的な出自に由来しているようだ。
 女に訪ねてもそのことを認めないかも知れないが彼女等の主人は旦那様ではないことを知っているのは本人である。

 プライバシーの要素の一つが“衝動”ならば( 間違いなく女性の多くにとってはそうだ )合理的な実生活と無関係ではないことになる。

 母親が複数の男性と関係していることを知っている子供というのはかなり多いだろう。
 例え、亭主に隠したとしても( 無意味なことだ )幼い子供の洞察というものからは逃れられないのだ。

 都会にはプライバシーがある。
 自分の利害に関わりのない限り他人には注意を払う理由( 余裕も )がないからである。
 他人が無関係である、ということは安全が無意味である、という意識である。他人がどうなろうと関係がない。
 都会で安全を求めるにはただひとつ、カネ( または税金 )が理由になる場合に限られる。
 自分の子供が安全である為にはカネを払うことを是認するか、そうでなければ全くプライバシーを放棄した生活を許容するかしかない。
 女房が父親や隣人の腰に裸で跨っているのを何とも思わず認められる社会である。オトナもコドモもである。

 男性の多くにとっては何の問題もない筈だ。女は欲望の対象に過ぎないからだ。
 女にとっても問題がない。男は生物学的必要に過ぎず、謂わば必要悪であるからだ。
 今までと実質的には変わらない世界であり、何の責任も負担を強いられることもない。
 自尊心は嗤いの中心であることを識れば昇った血も冷めるというものであり、経済的な力のある者には決して勝てないという現実に直結した世界を知ることに過ぎない。

 個人的に家長としての男性をおだてるのはオンナのテクニックであり真の家長としての立場からは当然のルーチンである。
 だが実際にひとつの街区に住む特定の母親が近所の多くの男性と関係があればその生活は例え不愉快なことがあっても安全性は確率的に大きいのである。

 このことは少し前の、所謂、任侠映画を見てもわかる。
 彼等は少々特殊な世界に生きているといえるのだが、にも拘わらず排斥的な社会で生き延びてきている。

 やや、何を記そうかを見失いながら…。   

2006年05月25日

2006/05/25 3:24 横浜駅付近からみなとみらい周辺へ

 午後、用事を済ませたその足で横浜駅東口辺りから関内にかけて散歩。
 風景を忘れないように、と。

 スカイビル( OICITY )などを撮影したり、旧高島町駅辺りの歩道橋を様々に撮ったり。
 横浜“オーチャードグラス”そのほか歩道に寝ころんで見慣れない植物も。

 何となく久し振りに旧い日本丸を見に行こうか、と考えたりもしたがさて、近くまで来ると思い出のままにして措こうか、という気持ちになったり。
 89 年頃のみなとみらいは希望に溢れていたものだが、今では横浜の恥部に成り下がったように見える。
 大きな観覧車は折からの雷雨の為、停まっている。
 “コスモクロック、4:45”という( ? )タイトルを思い浮かべて、時刻だけを表示している観覧車を撮る。

 程なく雨はあがってきて、日本丸に背を向けて再び歩く。
 東側に見える巡視船を撮ろうか、という訳である。

 結構歩いて大桟橋の並びにある第三管区の基地へ。
 2000t 位に見えた“ずし”は職員に尋ねてみると 3000t 程だという。
 旗艦ではないのか ? と訊くとオヤブンは別のヘリコプター母艦だ、との由。
 気が付くとアメリカ人らしき話し方の白人が撮影している筆者を横から canon で撮影している。
 ?? 少しばかりアンポンタンな英語で写真のことや彼のことを話したりした。

 赤煉瓦倉庫が夕闇に沈んでいるのを撮ったり、地方から来た観光客と話したりデジカメを受け取って集合写真を撮ってやったりした。
 カフェの電球が見える位置で撮っていると傍に来て見ていて、彼らも気に入ったらしく真似して撮影していたのだ。大学生かな。
 若いというのは好いなぁ、と思う。

 そうこうしているうち気が付くと大きな、件のヘリコプター母艦が近くに来てバースに着くようだ。
 ヘリの格納庫の大きなシャッターがふたつあるのが見える。

 彼女は“しきしま”だった。

 結局、関内駅までおよそ 8 時間余りかけて歩いたのである。
  
Posted by panics at 04:18Comments(2)TrackBack(0)海で・・・

2006年05月23日

2006/05/23 21:19 道人:35mm film など

 色々なカメラで撮った写真を見比べられるサイトを見つけた。
 北海道に住んでいるサイトのオーナーが機会あるごとに様々なシチュエーションで撮った写真などを数多く掲載している。
 下記にはギャラリーと書いたが厳密には大きな写真というのは置いてはいない。
 また、とりたてて特記すべき意図を持って写し取ったものというのでもない。しかし“北海道の景色”なのである。
 その表現を見て、ああ、と思うのは筆者が北海道出身だからだろうか。

 ふつうの人にとって写真など今はもう過去の記憶に属していることだろう。
 ビデオカメラが多くの家に普及してしまい、家族の記録は切り取られた一瞬の記録ではなくなっていることも多いのかも知れない。
 家の中に写真の時代の人とビデオカメラの年代があるかも知れない。家族があってこその話ではあるが。

 たまに写真を見る機会というのがあっても何か構えてしまっている、人に見せる為の写真、というのが多くなっていないだろうか。そうとばかりも云えないか。

 35mm Film で撮った写真にはこうも哀しみが溢れているのか、と思う。
 ざらざらして必死な感じ。
 一方のブロニー版のフィルムの作品では威風堂々として見える。フィルムの解像力の余裕というものだろう。
 豊かな充実感と表現力を感じる。

 ディジタルの時代である。
 しかし、ビデオカメラの進歩は所謂デジカメとは比較にならない程遅れている。
 ビデオカメラの画質というのは様々な制約から逃れられるところまで行っていない。
 業務用などの世界で漸くフィルムカメラではないことのメリットが得られる技術が、実現の目処を得る辺りまで来た、という処である。
 それは数億円もかけた結果得られたものでありプロトタイプ以上のものではない。

 不思議な感じのする映像品質の断絶というのが、ディジタル技術の隘路のおかげで産まれているような気がする。
 データ化しきれない現実世界の記録というものを表現してしまっているのが最近のフィルム映像の世界なのかも知れない。


 GimmickZone2ndEdition Home

 そのギャラリーはここ( フィルムフォト )
  

2006年05月19日

2006/05/19 2:17 包丁買った

 20 年程も暮らしたこの土地と少しずつお別れする為に久し振りで寄った近所の金物屋さんで。
 社長に“包丁の少し良いのが欲しい”と相談する。
 専門店という訳でもないからそれ程多くの在庫を持っている訳ではないが。

 北海道の田舎町に帰ってしまうと多分手に入りにくい大きな包丁。
 野菜や鶏などを始末するのには所謂家庭用のものでは頼りないのである。
 中華料理用の大きなものは無かったので色々話した挙げ句に割と重く造られた麺打ち用のものを選んだ。
 刃が真っ直ぐなのが不都合であれば後から加工しても良い、と考えた。

 何年か寄らないでいた内に、昔はあんなにキャアキャアと元気の良かったお嬢さんも立派な娘さんになっていた。
 “田舎に帰っちゃうんでこれからは余り来られなくなります”などと話したり…。

 自宅に戻ってから“一寸問題だなぁ”と思う。
 こんなでかい包丁、包丁差しに収まらないじゃん。どうしよ?一寸奮発   

2006年05月17日

2006/05/17 18:19 ちからというもの

 只今、ニュースを見ながら読んでいて死刑のニュースが流れました。

 強者、弱者の定義とは直結しないかも、ですが社会的な力の一表現法としての死刑も人格との特定の問題と関係があるもののように思いました。
 個人が犯罪に立ち向かい私刑を実行するならこれはどこの国でも概ね犯罪を構成する、ということになるでしょう。

 力( 或いは権力 )によって個人の存在を破壊する論理、というものはどこからが許されることになっているのかと改めて考えてしまいます。
 力の行使は社会またはある集団によってではなく、本来は個人によって実行され責任を持つものではないかと考えるのです。

 社会が個人に対して暴力を行使することを認める風潮が最近は有力なのかな、と思うのですが実際にはそのことで“社会”というもののもつ一般化された正当性を失う結果になるのではないのか、という危惧があるのです。

 私刑と量刑の間にあって不正と正義( とされる )の世界を分けている論理はどのようなものか、に思いをいたしております。   

2006/05/17 4:09 発見:自然のフォトアルバム

美しい写真がたくさんある HP 発見!

 自然のフォトアルバム   

2006年05月14日

2006/05/14 19:22 属性

 自分以外の人間には人格があってそれぞれの形の集団に属していたり様々な属性を持っていてそれぞれに生きているのが意義深く見えたりするのかな。
 でも、本人は全く一人きりでいる様に思うのかな。
 親とも、子供ともそして全くの他人ともなんの関わりもない自分であるという意識。
 一人一人が程度こそ違え 0 %を超え、100 %未満の割合で誰もが一人きりなのだと思う。

 母の日にそう思う。   

2006年05月10日

2006/05/10 19:56 本日の NHK 「”キレる子”防ぐ最新脳科学」

 「どう育てる“きれやすい子”」というスーパーが番組の間中映っていた。

 ?きれやすい子を育てようってのかい?
 これ、日本語じゃないよなあ…バッカじゃないの。

 日本語、難しいよね。   
Posted by panics at 20:05Comments(4)TrackBack(0)NHK

2006年05月09日

2006/05/09 2:14 家を直せって?

 長年住み慣れた横浜を離れて間もなく出発だ。
 なんだか妙なものである。何度も往き来することになるだろうと判っている、というのも。

 この処、似たような話が幾つか出てきている。
 古くなった家を見て欲しい、というのだ。
 ご多分に漏れず筆者の生家も荒れ果ててしまっており…最後に住んでいた自分が出て 20 年にもなるのだ…自宅の手入れが先決なのだが。
 それにしても多くの家が古びて手入れを必要としているのだな、と思う。

 シバレル土地のことであるから建物の基礎に微かなひび割れでも出来てしまえば秋の降雨がしみ通って凍りつき、いつの間にか大きなひび割れに成長してしまうのも仕方がない。
 先ずは建物の北側から傷んでくる。
 泥水の付いたゴム長で出入りする裏口の土間、玄関も。
 農家の住宅はどこも同じだ。

 農家だけではない。どこの家でも冬には乾いた玄関などはないのだった。
 “見に来て〜。出来たら直してね。”皆さんそう宣うのだ。

 いいとも。出来ることならね。   
Posted by panics at 03:08Comments(2)TrackBack(0)北海道で

2006年05月06日

2006/05/06 19:35 見ちゃったゾ

 最寄りの駅の裏手の路地で何やら怪しい業務を請け負っている業者がいるらしい。
 写真のメッシュパレットの中身は全部、廃棄したらしい HDD の中身である。

 進歩の速い製品のことだからいつかは不要になって廃棄されるのは仕方がない。しかし、このような業者に任せてしまうのは最悪だ。
 この写真を撮ったのは本日の夕方、つい先程のことである。
 ゴールデンウィークとやらで何の監視もない場所、誰でも手に入れようとすれば何の障害もない場所に放置されているのである。

HDDプラッタ 他には、PC のマザーボード、大量の携帯電話機などが同じように放置されているのだった。
 保安上の問題が大きいものと思う。   
Posted by panics at 19:53Comments(0)TrackBack(0)哀しいこと

2006年05月04日

2006/05/03 15:28 お米?

 温暖化により昔は難しかった稲作が出来るようになったかも?
 生家での昨年の様子を一寸思い出して…。

  
Posted by panics at 00:46Comments(0)TrackBack(0)北海道で

2006/05/03 22:54 FedoraCore5

通常の install 後、ディスプレイが sync しきれない。

不完全なデスクトップが表示されたら Fn + F7 key で何度かビデオチップの動作モードをトグルしてやると表示範囲は狭くなるが何とか sync して作業できるようになる。

/etc/X11/ 以下にある(?)xorg.conf にディスプレイの解像度を追加( "1400x1050" )する。
16/24 bpp の二カ所に追加する。

audio は今の処、試していない。
チップは CS42xx の様だ。   

2006/05/04 0:07 弾さん、書かれてますョ。

 お前らがmacを使わないべき10の理由。

 “使わないべき”という云い回し、大変気に入った。
 何というかシチュエーションにちゃんとハマッているように感じる。
 日本語は生きているのだなぁ。やっぱし。??

 Mac を使う人、Windows を使う大多数の人。
 Mac はフォントなど表示の完成度が高い、と昔云われていたと思うが、実際にはどうなのだろう?

 OS を使う上で美しい、という要件は重要だと思う。
 子供達が使うのなら尚更大切だと思う。コスト負担が許せば、だが。

  

2006年05月02日

2006/05/02 22:56 子供としての自分

 筆者の兄弟は三人である。生きているのは、という意味で。

 下に二人の妹がいるのだが、もう一人筆者には弟があった。
 赤ん坊だった彼が亡くなった日のことをうっすらと覚えている。
 それから両親の人生はかなり影響を受けただろうと思うことがある。そして、それは残された兄弟にも結果として重大なものだったように思う。
 妹たちは果たして明確に意識したかは判らない。しかし、両親の人生観に影響を与えたその事件が子供たちに与えた影響も確かにあった、と思うのも無理なことではないという気がするのだ。

 最近、筆者は以下のようなことを考えるようになった。
 私達兄弟の生存率は足し併せると結局 75% である。
 一人の人生を 100% としてみると生き残った三人はそれぞれが 133% に相当する、とも云えるかも知れない、と。
 親や周囲が、ということではなく自発的にそのような気持ちを持ち得る、ということである。
 より真摯に生きて往く責任が、残された兄弟にはあるのだ(少なくとも両親がそう期待するなら)という意識はおよそげんなりするような鬱陶しいものである。

 一番下の妹が大人になった頃に云っていた…父は( 当時はもう亡くなっていたのだが )自分を認めようとはしていなかった…と。

 そう思っていたのか、と半ば驚きながら聞いた覚えがある。
 考えてみれば筆者は長男であって、妹たちとは全くかけ離れた位置にいたのかも知れない、と思いもするのである。
 考えるだに出来の悪い兄貴である筆者などには両親の気持ちはもとより、妹達がどんな気持ちで生きてきたのかなど理解できる筈がないのかも知れない、と思いもする。

 所謂、親と子の間には場合によっては呪いが存在することもあるということなのだろう。   

2006年04月22日

2006/04/21 23:59 面白いかも?

メモ
 妊娠・出産・育児コミュニティ「ベビカム」
 http://www.babycome.ne.jp/index.html
  

2006年04月18日

2006/04/18 22:59 倫理的アプローチと恣意的適用について

 医療行為にはいつも論争が起こる可能性がついてまわる。それが新しい分野にまたがる際にはその可能性は必要以上に大きくなる傾向があるだろう。

 この処、二例ほどの顔面移植手術がフランスにおいて行われたことについて特定の分野での論争が起こっているらしい。

 曰く、生命活動に直接関わりのない部位についての移植は倫理的問題がある、というものだ。

 これが医療とは関わりのない人々の意見であれば、まあ部外者が何か云っているな、で済むのだが。
 医療行為の一部としての中絶、というものがある。これは医療行為と政治的解決とを混ぜ合わせたようなものにも見える。

 これらはまた、本質的に同じ問題を投げかける。
 筆者にはこれが生命は貴重なものであるか?と問われているように思えてならない。

 自分には予断できない、としか答えられない問題である。
 自分が判断しなくてはならない場面では別段の迷いなく決断できるのだが。

 おそらく“倫理”という言葉は人間が使うには適さない概念を含んでいるのだろう。どうしてもその使用に恣意的判断を含むように運命づけられたものであるように感じられる。  

2006年04月16日

2006/04/16 9:29 コンデンサ回路のシミュレーション

 電子回路の基礎的な解析を繰り返している。
 Web を漁っていて面白いページを見つけた。

 40 年程も前から電子回路をいじくってきたが、全ての電気回路に必要なものとしての電源回路というものがある。
 古くから応答性の良い高性能なアナログ回路を設計するときにはこの電源回路の重要性が云われ続けてきた。
 世がディジタル全盛期になりこの辺りの認識が薄れつつあるな、と感じていたが久し振りに正統な記事を見つけたような気がするのである。

 ディジタル回路とは云っても内実はドロドロのアナログ回路の塊であるコンピュータや多くの高速化されたディジタル機器を安定して運用する為には非常に高速な応答性を持つ電源回路が必要とされる。
 その中にあって時数を持つ素子の代表がコンデンサである。コンデンサは電荷を溜める部品である。溜めるからには相応の時間が掛かる。

 ディジタル応答にとってはこの時間というのは天敵とも云えるものであり正確な論理回路の応答にはジャマになる。
 数 mm の長さの電線を流れる信号の遅延時間が問題になる程に高速化した現代のディジタル機器の内部では集積度の向上もあり無限といえる程のアナログ信号が電圧の瞬間降下という形で発生するのだが、これを或る程度コンピュータ上でシミュレート出来る解析ソフトウェアが普及してきている。

 もうかなり以前からハードウェア、ソフトウェア共にコンピュータを駆使した援用設計が取り入れられているのだが、信号そのものもデザインする時代になってきているのである。
 今はもう 0 と 1 の並びがディジタル信号だ、などと無邪気に云える時代ではない。
 そんな中にあっても技術を使いこなすのはまだ人間なのだなあ、と思い出させてくれた、何とも愉しい気持ちにさせてくれた記事であった。

 コンデンサ・パニック(PSpice編)
 http://www.ne.jp/asahi/comp/tarusan/main92.htm

  

2006/04/16 5:36 J-WAVE?

 最近、よく J-WAVE を聴いている。
 只今のお題は『セイモア・ハーシュをテキストに安全保障を考えよう』
 である。

 NHK などの日本のメディアの報道内容にガックリきていた処でもありしっかりと特集を組んでの報道解説には少しばかりびっくりもし、期待もしている。
 活字メディアも余り期待薄な感じになっている中で是非頑張り続けて欲しいものだと思ふ。

 http://www.j-wave.co.jp/index.htm
 http://morley.air-nifty.com/movie/

 今や隠れもない実質的核保有国となった日本にとっても核保有の問題を明確に論議すべき時代に差し掛かっているものと思う。