中学生の頃ユーゴスラビア沿岸をその美しさから「アドリア海の真珠」
と習ってからずっと憧れていたクロアチアに行って来ました。

ユーゴスラビアのチトー大統領亡き後、凄烈な民族紛争がテレビ放映されて
世界中に知れ渡り歴史的建造物や市街が爆撃にさらされ
市街戦で多くの命が亡くなったのはまだ記憶に新しいが10数年の月日を
経て街はリンとして蘇っていました。

ただ、バスから見る景色に
白い墓石が明るい花に彩られて美しく輝く光景に毎日出会い、
勿論それは民族戦争の犠牲者で痛ましさはぬぐえなかった。

一見活気付いて陽気な人々の心の中には市街戦でなくなった多くの人々が
息づいていることだろう。

その事を抜きにして観光する事は出来なかったので、
現地ガイドに思わず、「鉄の扉に空いているこの大きな穴は何ですか?」
と聞くと

「この建物の前に爆弾が落ちて石の壁や扉が被弾しました。
壁の所々に見られる白いところは修復された跡です。
扉は戦争を2度と起さないという事を後世に伝えるためにわざと修復しないで
残しておくのです。」と聞き、
歴史を無駄にさせないで未来を志向する,堅実な力強い生命力を感じました。

 門に弾丸の後が残り、壁は修復されています。
弾丸の後


紀元前のローマ皇帝の別荘として建造された壮大な宮殿が今も残る
スプリットには、戦火の跡が見当たりません。

「戦火の跡が見当たりませんが?」と聞くと

「私達、事前にユーゴスラビア兵に沢山のお金を配ったのです。
そしたら彼らはあっという間にロンドンやあちこちに遊びに行ってしまったわ、
それで爆弾を落されずに済んだの、でもこれは内緒よ」
と重大な裏話を聞いてしまいました。

 紀元前のローマ皇帝の宮殿を住居や店にして今も住むスプリット
ローマ皇帝の宮殿


パッケージツアーで巡る7泊8日間は13都市も回る忙しさ、
毎朝5時半に起床して6時半から7時には朝食と同時に大きなスーツケースを
部屋のドアーの前に置くが、
この荷作りも結構な重労働で夕食は夜10時頃になるのもしばしば、
夜討ち朝駆けのすさまじさ、

食事はお腹が空く間もなくブロイラーのように胃袋に摘めて
「これが、美食のクロアチアと言われている食事なの?」
と自分の目と舌を疑う程の彩りの悪さとまずさ、

レストランの飲み物は手書きの
日本語で書かかれた値段表に従って注文するが、
水は3ユーロ、
ビールは4~5ユーロ、
ジュースや紅茶も同料金で高い。

明らかに現地旅行社に値切られた分を飲料で取り戻しているに違いない。
現に旅行中1度だけあった半日自由時間に青空カフェで紅茶とビールを
頼んだら 合計2.7ユーロ、すごく驚いた。

 ドブロブニクのカフェ
ドブロブニクにカフェ

 ドブロブニクの城壁につながる小路
ドブロブニクの城壁につながる小路

旅程表どおりのスケジュールで移動するので町で買い物はほとんど出来ず、
ドライブイン併設のスーパーマーケットで土産を買うツアー客、
同行の日本人社会に気を遣い、
集合時間に縛られる日々、私は既成のパッケージツアーには
向いていないとつくづく思った。
と同時に私が今まで作ってきた自由に街を歩くツアーに自信を持つことができた。

一番好きな場所はアドリア海の沿岸の街ではなく、
世界自然遺産のプリットビッツェ自然公園だった。

 プリットビッツェ自然公園1

プリットビッツェ1


小雨模様の中、丸木で作られた歩道を歩くが不思議に滑らない、
足の裏に適度な刺激が加えられて歩くほど元気になる。

ダイナミックな大きな滝は78m、華厳の滝(97m)には高さで負けるが幅があり、
上流の湖が白糸の滝のように幾筋もなだれ落ちて、
ナイヤガラを小規模にしたような滝だ。

小さなせせらぎが高さのない滝になり段々と続く奥入瀬のような滝がいくつも
流れ森の中はマイナスイオンに満ちて体内に入り凄く気持ち良い。
すごく幸せで体が緑になって行くようなすがすがしさ。

緑の湖面をクルーズで対岸に渡る、公園内をエコバス(電気)で移動し、
どこまでも自然に配慮した公園で、管理も行き届いている。
枯れた木には印が付けられて近いうちに切り倒し木道に加工されるのだろう。

何百人でも収容できる広くて清潔な森のレストランで
食事をして(ここは美味しい)午後の散策に入る。

 プリットビッツェ自然公園2
プリットビッツェ2


プリトビッツェが目的だったという人がかなりいて皆さん大満足でした。