青い空に白い雲

このブログ、新しい記事ばかりでなく、カテゴリ別に適当に拾って読んで下されば幸いです。日記じゃないので....

シンクロニシティ

昨年の6月より更新なく、放置状態なので、久々に記事を書きます。


私のBlogの中でも度々、「シンクロニシティ」を体験した時に記事を書いていますが、今回もシンクロ体験を書きますね。やはり、不可思議ですし、何かの作用があるとは思います。私の場合は、映画やテレビ番組を通じてのシンクロが多く、「意味のある偶然の一致」としても、あまり意味が分かりません(笑)


過去記事は
http://blog.livedoor.jp/pape2005/tag/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3で読めます。記事の中でも、シンクロ関連記事のURLをリンクさせていますので、色々とあったことが分かります。

さて、今回もシンクロニシティは、やはり映画関連です。

yjimageDN95LAGXモーツァルトの恋 Wen die Gotter lieben

2月26日(日)、何かの拍子にデンマークの画家ハンマースホイについて調べていて、画像検索し
ていると、「モーツァルトの恋」という古い映画(1942年オーストリア)の画像が目に留まりました。そこに、とても美しい女優さんが写っていたので、その女優の名前を検索しようと、ハンマースホイなんて忘れて、画面を開き直しました。


Irene von Meyendorffイレーネ・フォン・メイエンドルフ  Irene von Meyendorff

その女優さんは、イレーネ・フォン・メイエンドルフというドイツの映画女優で、もとはエストニアのドイツ系貴族でしたが、ロシア革命でドイツに亡命してきた一族のようで、イレーネ自身が男爵夫人という肩書があります。本物の気品と貴族的な美貌というわけです。
Olivia de Havilland今年100歳になるOlivia de Havilland

まぁ、そんな話は置いといて、このイレーネ・フォン・メイエンドルフが、オリビア・デ・ハビランドのように今年100歳を迎えるような長寿でご存命なんて可能性もあるから、調べて見たら、奇しくもデ・ハビランドと同年の1916年の生まれでしたが、85歳で2001年に逝去されておりました。そこから、案外と長寿な女優さんが映画界には多いことが面白くなり、また検索の矛先が、「長寿女優」になりました。

それでも、日曜日が終わってしまい、転々とネットをうろつき回って開いたページをすべて閉じて、その日を終えました。

そして、翌日朝、いつも出勤前のトイレに本を持ち込むのですが、その日はずっと本棚の隅で忘れられていた「20世紀版スター・カレンダー 365日素敵な話」という、島野功緒著の講談社+α文庫を選びました。昨日から調べていた映画ネタのこともあり、ふとそうしたんでしょう。この本は、練馬区に住んでいた頃、近所に著者の島野さんの家があり、あることのお礼にとご主人が書いた本ということで奥様から頂いたものでした。


Lillian Gishリリアン・ギッシュ Lillian Gish


著者は当然に日本映画のスターにも精通しているわけで、365日の内容は、日本の映画界・演劇界の話が多く、〇〇の初公演の日とか、有名映画シリーズの一作目の封切りの日だとかの内容も含めてのものです。あまりトイレに長々とも居座れないので、当日の2月27日のページを開きました。すると、アメリカ映画女優の草分けリリアン・ギッシュが、1993年に99歳の長寿を全うし亡くなった日、とあるんですね。前のページ(2/26)が日本の時代劇の巨匠・衣笠貞之助の命日、次のページ(2/28)は、日本の映画監督・大庭秀雄の生誕日が紹介されている中で、ハリウッド女優のリリアン・ギッシュが99歳で亡くなった日が私の開いたページであることには驚きでした。

昨日からの長寿・洋画女優というネット検索項目に、本というペーパーの物質世界の偶然までがリンクしてしまったわけです。

まだあります。その翌日、帰宅後に私はふと、「夏の日の恋」というパーシー・フェイスの美しい曲のことを思い出したんですね。幼少期に家にあったシングル盤のレコード・ジャケットには、うっとりするような金髪で青い目の女性が笑っていて、今でも鮮烈なイメージが蘇ります。そこで、あのジャケットの女性は誰なのか? という調査に取り組んだのです。(ヒマなヤツです)

Theme from A Summer Place避暑地の出来事 A Summer Place

結局は、1959年アメリカ映画の「避暑地の出来事」のテーマ曲を、パーシー・フェイスがカバーした「夏の日の恋(Theme from A Summer Place)」が、この曲で、シングル盤とかのジャケット写真は検索では出て来なかったのですが、出演女優のサンドラ・ディーが私の記憶にあるブロンド女性に似ていることから、そのジャケット写真のモデルは、サンドラ・ディーではないかとの結論になりました。
ただ、この映画に出てくるヒロインは二人おり、親子2世代で恋愛関係が同時進行しているんですね。息子と娘。息子の母親と娘の父親という具合。娘役はサンドラ・ディーです。そして、母親役は、ドロシー・マクガイアという女優です。

Dorothy McGuireドロシー・マクガイア Dorothy McGuire

どこかで、調べたなと私は思いました。画像検索したドロシー・マクガイアの写真も見覚えがある。
で、私が洋画女優を調べる時に使用する生年月日順の一覧表があるんですが、それでドロシーを調べて見ました。すると、一番始めに、「モーツァルトの恋」の出演女優として見惚れて、あれこれ調べるキッカケとなったイレーネ・フォン・メイエンドルフの真下にドロシー・マクガイアが載っているんです。イレーネが1916/06/06〜2001/09/28であるのに対して、ドロシーは1916/06/14〜2001/09/13だから、当然です。しかも没年月日もほぼ同じなわけで、この二人はほぼ同じ歳月を生きた映画女優同士というわけです。個人的に関わりがあったかは知りませんが。
日曜にあれこれ調べている中で、イレーネ・フォン・メイエンドルフの真下に名前が連なっているドロシー・マクガイアについても検索していたんでしょうね。
どうして、「夏の日の恋」が急に思い出されて、幼少期に魅了されたシングルレコードのジャケット表紙のモデルを調べようとしたのかは不明です。そして、それがテーマ曲になった映画「避暑地の出来事」から、ドロシー・マクガイアに進み、またイレーネ・フォン・メイエンドルフに戻って来たのかが、シンクロっぽくて奇妙でした。

今回のところはそんな話でした。
ジャンジャーン♪


友の死



またまた相変わらずの多忙と怠慢で四半期ぶりの更新となりました。

ただこのところでショックな出
来事があったのでBlogを開きました。

Sという友人が5月23日に病没したので
す。
友人といっても色々ですが、このSは、本当に親しくしていたヤツなんです。小中高と同じでしたが、交友が始まったのは中学時代、思春期の頃でした。帰りのバスが同じ方向ということもあり、小学時代はあまり縁がなかったのですが、急速に親しくなりました。あの頃は思春期の始まりで、男子校だった私たちも、近くの女子高で同じバスに乗り合わす子のことで盛り上がっておりました。

私には兄の関係で家族ぐるみの付き合いをしていたH家という医者の一家がおり、近くに開業していたので、今でも母の主治医をしていような家です。そこの娘A子が私と同じ歳で、その女子高にたまたま在学していました。その娘は、なぜか小学校の頃、私のことが好きだったらしく、
何度も父親と私の家に私に会いに来たんで
す。まだ異性なんてものに興味のない私は、逃げ回っていました。

ところがこちらが「思春期」を迎えて、今度は異性のことばかり考えているような状況になったわけです。私の「追っかけ」だったそのA子がたまたま、私たちM男子校にとってターゲットだったS女子高の生徒だったということもあり、今度は遅まきながら猛然とこちらからアタックをかけた次第です。


               詰襟マジソンバッグブラバス



そこで友人のSの登場となります。彼がバスの中で見掛けて惚れ込んでいたそのS女子高のNという子が、なんとA子と同じクラスだったんですね。渡りに舟とばかりに、Sの思いをNに伝えると言う橋渡し役をするというプロジェクトをダシにして、私はA子にちょっかいを出しまくりました。結果はうまく運んで、SはNと付き合いを始めたんです。ところが、本命のこちらの裏プロジェクトはグダグダで、小学時代のあの猛アプローチの意気込みはどこへやら、A子はてんで私に関心を抱くこともなく、一度のデートもすることなくポシャリました。

そんなどこにでもあるような出来事ですが、当時のソフトメローな思い出のあれこれと共に、今でも胸がキュンキュンするような思いが高ぶります。


ムサコー東急バス


それからも、恋多き男で、高校大学と色々な女性への思いの相談に乗っておりました。最終的には彼はフラれて手ひどく落ち込むことが多かったものの、今にして思うと、アタックして思いを成就させた確率はかなり高かったと思います。フラれるには、先ずは付き合わねばならないわけで、彼はモジモジと悩んでは私に相談し、長電話したり、夜中に会ったりして語り合ったりしたものですが、結果、見事に相手をゲットして、そして一定期間をしっかりと交際していました。

彼は私に意見を求めるんですが、こちらは逆に、経験不足であり、知ったかぶりをして色々と話していたような記憶があります。

勉強はそんなわけであまり出来る口ではありませんでした。

一度、大学の授業で、哲学の単位を落としそうになり、それを落とすと留年決定という状況下で相談を受けました。私は違う大学だったのですが、彼の大学は理工系で、哲学(多分一般教養課程で柄にもなくそんな科目を履修したんでしょうね)の教授だけが、再試のチャンスを与えてくれたんでしょう。それに受かれば進級できるということだったと思います。論文提出で論題が確か「自殺について」みたいなものだったと記憶しています。「留年なんて自殺したい気分だが、自殺についての考察なんて書けないぜ」というわけで、私に代筆を依頼してくる始末でした。

カゼールジッポ



そこで、私はそういうものが当時から得意だったので、ナポレオンの青年期の希死念慮についてあれこれと書いてやりました。どんなものを書いたかはあまり記憶にありません。ただ、その論文が通って、哲学の単位がとれて、無事に進級できたSでした。大変に感謝されましたが、当然ですよね。あいつは何もやってないんですから(笑)

まぁ、それからも色々とありました。社会人になって、結婚したり、家をローンで買ったり、車を買ったり、子供が生まれたりと、すべてのライフステージを共に歩んできました。

歳をとるに従って、会う機会は激減しましたが、Sは人懐っこい性格で、フイと連絡して来ました。「どうしてるかと思ってよー」と。

ただ、ガッチリタイプのSなのですが、大学時代に発病した肝臓病によって、度々、入退院を繰り返しておりました。「また入院かよ。今度の退院はいつ頃なんだよ?」とこちらも慣れっこになっていました。1ヶ月ほど前にもひょいとSから入院のお知らせ電話があり、そんな軽口をたたいていました。

奥さんに言わせると、亡くなった5月23日の前日の日曜には、大変に元気で、退院の日程調整に入っていたそうです。ところが、23日当日の夕方にかけてあれよあれよと急変して亡くなってしまったとのこと。

また、病院から遺体が出されて斎場となる代々幡に安置されるまで一日だけ、葬儀屋さんがSの遺体を自社ホールに預かることになりました。私の実家もSの実家も世田谷なのですが、その一晩安置された場所が、中野区の縁もゆかりもない場所でした。そこでご家族は、Sが一人ぼっちで寂しかろうと一晩悶々としていたそうです。ところが、なんと、その場所、私が施設長をしてその晩も泊まっていた施設から5分とかからないところだったんです。それを知って、奥さんは泣いて喜んでいました。そんな場所だから、自然とそこに行ったんじゃないかと。

私はその葬儀屋さんのホールで彼と対面しました。

少し白髪は混じってはいましたが、学生時代からの直毛はそのまま冷たくなった額に垂れておりました。やや頬が闘病生活のやつれかこけていて、彼のふっくらした面影を損ねてはいましたが、確かにSが棺の中に安置されていました。

もう魂は私たちの知るSという肉体を捨てて、私たちが1959年に生まれた時にやってきた元の世界へと飛翔してしまっているのですね。この世での御縁で共に数十年を過ごしたわけですが、迷い多く今でもフワフワとして頼りなく生きている私などとは違って、またあの元の完全にして無垢な存在に彼は戻っていったんです。自分の人生を彼はどう評価したんでしょうか。少なくとも、まだこんなことをしている私を眼下にして、「まぁ、頑張れよ。俺はちょっと早いが一足先に失礼する。やっと終わったよ、アハハ」と、まるで舞台の幕裏で出演を終えた役者がタバコに火をつけながら言ってるような、そんな気配を感じています。





最近は・・・

また、非スピリチュアルな記事で申し訳ないです。このところ全くリアル世界にドップリと漬かり込んで生きているもので・・・

いつもいつも幸運を呼び寄せて天下をとったような気分になっていると、ある日途端にこの隆盛も衰えて、階段を転げるように転落するのではないかと不安に苛まれます。

それはほとんど自動思考的に反応で、ほとほと自分でも厭になります。「もうそんなネガティブシンキングはやめよう。早々に同じような展開はしないよ。今度はうまく進むよ」と状況分析をして自分を慰めるのです。

しかし、なんとも、いつも同じ展開をしてしまう。想定していたリスクではなく、想定外の出来事によって、結果は同じ「階段を転げる」結末になってしまうんです。そもそも、停滞期に悪戦苦痛していた時も、想定外のラッキーが次々と訪れて、幸運児さながらに大成功するんです。それで、人様から高評価を得て来ました。

但し、次はその真逆の現象によって、プラスマイナスゼロになってしまうのが私の傾向です。運命に弄ばれてしまうだけ。というか、神が私に「こんなビジネスゲームに夢中になっているのは空しいことで、いい加減に目覚めろ」とメッセージをくれているのかも知れない。

今もそうです。800近くのフランチャイズ店で80位程度の店舗を私は最高で3位。このところでもベスト5に入る成績にまで押し上げました。今月の成績だとトップ賞かも知れません。しかし、その業績を支えていたあるラインが、急に崩れました。来月から解約という流れです。またこちらの不始末の事故で、後遺症の気になるケースもあり、気分は沈んでいます。また勉強しないで臨んだある国家資格、結果は気にもしなかったのですが、点数が送付されてきたら、1点差で落ちていて、要らぬ悔しさも味わわされています・・・

人間は複数の問題を抱えると、悲運を嘆き、しばらくは押し流されてしまうものです。

今の私は、複数の問題ですっかりと萎えいでしまっています。

どうして、こう定期的に問題が生じるんだろうか? 安定と言う期間がないんだろうか? 他の人は、あまりナーバスにならないで、普通に乗り越えているんだろうか? 

引き寄せの法則がはたらいているのかも知れないが、気分が高揚している時にストンと落とされることが多いから、なんとも想念の問題ではないような気もする。

もう一度、笑おう。それしかない。蒼白な顔で眉間に皺寄せていても、事態は好転しない。人生はいつか終わる。苦悩していた時間と笑っていた時間のバランスを考えると、私なんて「不幸」な人生になってしまう。振り返れば大過なく生きてこられた事実がある。流れに任せて最善を尽くし、そして人生を遊んでみよう。

決めた、決めた。そうしよう。裏付け知識は豊富にあるんだし、実践するだけのことだ。

近況です

あまりにも更新なしの放置が続いているので、とりあえず近況を書きます。

相変わらず介護業界でバタバタしているわけですが、このところで、介護事業部門のトップが解職となりました。まぁ、社長との軋轢がそのような結果に繋がったわけですが、こともあろうに、私が、介護部門統括として昇格してしまったわけです。

こうなると、自分の事業所のみならず他店の稼働率にも責任を負うわけで、気も休まりません。

生活パターンはあまり変わりはありませんが、夜勤明けや休日、夜間などで統括としての仕事をやらないとならなくなり、前任者が、完全にフリーだったのに比べて、こちらはシフトには入っているし、夜勤も送迎も調理もと通常のスタッフと変わらない仕事をしつつ、自店の施設長任務をこなし、且つ又、統括としての業務も背負うわけですから、大変な状況ではあります・・・

スタートの1月度の数字がいきなり低迷してしまい、社長の呈示するクリーンな労働環境からくる残業代の膨張で営業利益はガタガタです(;´Д`)

これじゃ、いきなり怒られるハメになるので、対策を練り直していますが、どうにも陳腐なものしか出てきません。
ヤバイです・・・

そんなこんなで、まだまだこの忙しさは続きそうです。次はいつ更新できることやら、です。゜゜(´□`。)°゜。

・・・・顔文字ってのもなんか新鮮ですな。。。

本日のちょっといい話 295 人にやさしく出来ない計算式


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どうして人にやさしく出来ないのでしょうか?
確かに、まどろっこしかったり、弁解がましかったり、能力不足だったり、怠慢な人って周囲にはいます。
それらの人たちにやさしく接することは、それらの欠点を認めてしまい、それらの欠点にOKを出してしまうことだと思えてしまいます。

ただ、それは駆け引き・計算じみたこちらの憶測ですよね。

単に、すべての人にやさしく接し、あたたかく受け入れてあげれば、それで良いんですよね。

なぜ、こんなシンプルなことが出来ないのでしょうか? 怖くて不安で、あるいは腹立たしくて出来ないのは、なぜなんでしょうか?

周囲の人にもっとスムーズに動いて欲しいし、素直な性格になって欲しいし、能力アップして欲しいし、勤勉になって欲しい、つまりそれは関係者たちをコントロールして、自分にとって物事を有利に展開させたいという思いからのもので、愛でもなんでもない。組織では「人材育成」という美辞麗句がありますが、それがあてはまっていないことくらいは自身がよく分かっているわけですしね。

およそ「愛」のない思惑に、成功するものはありません。

自分に「有利」にという思いからの行為が、真逆の結果になるわけで、あまり賢い選択とは思えませんね。

それでもコントロールしたがるのは、頭脳がエゴに基づく計算をしているからでしょう。エゴにとっては、世の中はコントロールすべきことばかりですからね。またすべては基本的に敵対者で、競争相手でしかない。愛なんて入る寸分の隙もない暗黒の世界です。

分かっていながらも暗黒世界を選んでいるケースも多いんでしょうね。それは、あまりに愚かしいですが、人間は頭脳というサタンと一緒に長年生きて来た存在だから、なかなか縁切りも出来ない。やれやれ、です。

気になるニュース2つ

まったく更新が出来ぬまま一夏が終わろうとしており、相変わらずの過重労働の日々を適当に送っております。
気になったニュースといっても、私的な感覚がピンピンと反応したニュースであり、大事件でもなんでもない、三面記事そのものの2つです。

ひとつは、最近のニュースではないのですが、たまたま昨日知った海外ニュースで、すでに3年前の2012年配信のものですが、サハラ砂漠に第二次世界大戦中に不時着した英空軍機P40が発見されたというものです。

保存状態が良いとのことで、70年の歳月を感じさせない状態ということで、搭乗員の身元は判明していて、墜落の経緯もある程度は分かっているのですが、搭乗員はそのまま砂漠の中を歩いて移動したらしく、恐らくはまだ広大なサハラ砂漠の中にその遺骸が取り残されているらしいです。

記事は下記内容です。

2012年5月13日エジプトのサハラ砂漠Egyptian Saharaで、70年前に不時着した 英国戦闘機RAF fighterカーチス P-40(愛称はキティーホーク:米国陸軍製:Curtiss P-40 Kittyhawk)が非常にまれな良い保存状態で見つかった。座席、コックピットの状態も良く、機内には銃弾も残っていた。今回は偶然、石油関係の労働者に発見された。
操縦士は24歳の英空軍一等軍曹 Dennis Coppingと判明していて
、胴体に対空砲による銃痕があることから、1942年6月(日本は同年3月真珠湾攻撃)エジプトの英軍基地へ向かう途中攻撃を受け、飛行不能で不時着し、その後本人は死亡したと推定された。一部の部品は盗難にあったりしているが、早いうちに英国の空軍博物館に移送し修復される予定。胴体の横に、パラシュートの布や取り外した通信機、バッテリーがあることから、しばらく布でテントを張り生きていた痕跡がある。この付近は華氏120度(摂氏48.9度)にまで気温が上昇する地域で、一番近い街まで200マイル(320キロ)あり、リビアやスーダンに近く危険な地域。

写真は海外サイトより。
p40P40 2
   サハラ砂漠で発見されたP40戦闘機         コーピング軍曹

さりげないニュースですが、なんかあの70年前の戦争の時代から、その間の歳月を飛び越えて直接、アクセスがかかっているような感じの出来事です。


また、もう一つは、下記のニュースで、今度のは130年の歳月を経てのものです。



【2015年1月17日 AFP】米国の人里離れた国立公園で先ごろ、130年以上前に製造されたライフル銃が木に立てかけられた状態で発見された。西部開拓時代に作られたこの銃がなぜこの場所に放置されていたのか、専門家たちは首をひねっている。

「西部を征服した銃」と呼ばれ、現地の歴史で重要な地位を占めるライフル、ウィンチェスターM1873(Winchester Model 1873)が見つかったのは、ネバダ(Nevada)州のグレートベイスン国立公園(Great Basin National Park)。たまたま考古学調査チームと共にこの周辺で働いていた同公園の職員、エバ・ジェンセン(Eva Jensen)さんが、杜松(ねず)の木(ジュニパー)に立てかけられていたこのライフルを発見した。

 岩肌が露出する公園内に長年にわたって放置され、外気にさらされてきたライフルは木製のストックにひびが入って「灰色に変色」し、シリンダーはさびて茶色くなり「杜松の木の色に溶け込んでいた」という。

 シリアルナンバーから1882年に製造・出荷されたとみられるが、このライフルについてそれ以上のことは分かっていない。同国立公園は声明で、「専門家らが現在、ライフルがここに置かれた経緯を明らかにするため、過去の新聞や家系図などを詳しく調査している」と説明している。

 ウィンチェスターM1873は1873年から製造が中止された1916年までの間におよそ72万610丁が製造された。発見時には装弾されていなかったが、実際に使用されていた時には.44-40弾が使われていたとみられている。(c)AFP

やはり画像は他の海外サイトのもの。

ウインチェスターウインチェスター2

   こんな状態で発見        このウインチェスター


でも、どうしてこんなところに立て掛けられたままだったのか・・・を憶測するために調査に入っていると言いますが、分かりっこないですよね。誰かの手記にでも「うっかり森の中でライフルを置き忘れて見つからなくて残念」みたいな記述でも発見されれば別ですが・・・

ただ、誰かが故意かうっかりか、はたまた余程に慌てていたのか、急な事件に巻き込まれでもしたのか、ともかくここに上記の写真の通り、ライフルを立て掛けて、そのまま何処かへ行ってしまった事実はあるわけで、そのままずっと130年間も放置されて、今に至ったわけですから、色々な想像力も働いて、なんとも面白い話ですね。


近況など・・・

あまりにも更新なしだと寂しいので、ここで近況などを。

特に変化があったってわけではありません。相変わらず、俗物として仕事ワールドに埋没して毎日を過ごしています。前回から、春が来て、梅雨に入り、季節は変わりましたが、私はそのままです。

気づきの日々ではあります。私の内部での感情の推移を見ていると、ともかくうんざりするほどにエゴです。エゴの声がともかく強い。せめて声だけにして、行動はギリギリで抑制していますが、それだけで手一杯です。

人に対する優しさ・・・これは、心の中で自然発生する人としての美質ですが、それを行動化するには、様々なエゴの抵抗をかわさなければなりません。エゴは、身の保身のことしか計算しませんし、それ以外の目的には見向きもしない存在ですから、与えるだけの行為なんて想定外なんです。だから、肉体の司令塔として、与えるだけの真の愛を行動化しようとすることに対して、戸惑いにも似た反応をします。「信じられない!」って感じで、全力で抵抗してくるわけです。

そんなエゴとの相克に一進一退しているだけの日々、それがスピリチュアル的には現状のところの私ですね。

知識だけで、実践がまだまだ・・・。修行中。まさしくまだまだ修行中です。

本日のちょっといい話 294 思考基盤の転換(ダイヤー博士の言葉より)

まったく久々の更新となりました。年末年始と色々な出来事があり、とても更新する余力がありませんでした・・・
担当する施設が変わり、てんてこ舞いしており、それは今でも継続中です。帰宅することが激減し、施設の中に生息しているような状況になっています。執務室がMy Roomになり、隣接の和室が寝室になり、スタッフや利用者が家族のような・・・住み込み状態なわけで、なんかプライベートというものがどこかへ消えつつあります(涙)

そんなことは、ともかく、では、ちょっといい話 294 に入ります・・・

ウェイン・W・ダイヤー博士著の「『言い訳』をやめるといいことがたくさん起こる!」からの抜粋です。

人生から制限をとり払っていくと、知的な方法から、スピリチュアルな方法へと人生の比重が移って行く。それはなぜだろうか?

自滅的な習慣と、それに伴う言い訳は、エゴの領分、つまり私たちの中の神から切り離された部分だからだ。

ほとんどの人は、自分のアイデンティティはこの世のものだけだと思い込んでいるので、自分が何者かについて「エゴの偽りの解釈」にコントロールされ、操られてしまっている。

老子は私たちに「物質界における浅薄な野心とのつながりを断ち切らないかぎり、長年の習慣に隷属し続けることになる」と警告している。

長年の習慣を排除するとき、「宇宙に協力してもらえるか」と六つめの質問を自分に問いかけたとき、あなたは次第に「自分は物質界だけに生きている」という信念を少しずつ手放していく。

すると、たとえ最初は赤ん坊のようなおぼつかない歩みであっても、やがて驚くべき「新しい存在」に生まれ変わる扉が開かれるのだ。

あなたが元来もっていた「純粋な力」を取り戻すときがきた。それは今、あなたの内面にある明晰さと光のことだ。それは、これまでもずっと、そこにあったものである。

これが「さとり」と呼ばれる、自分の内面にある光にアクセスする瞬間だ。あなたはそこで神の導きを見つけるだろう。今こそ世俗的な野心を捨て、神に導かれた方向を見るときだ。

「万物の源」は純粋なエネルギーであり、物質としての形はもっていない。

本書で繰り返し述べてきたように、あなたはこの源から生まれ、いつかはそこへ帰っていく。その無限のパワーにアクセスするために、肉体的に死ぬ必要はない。源により近いものになればいいのである。

あなたが源(または神、タオ、宇宙の心、精霊)に近づいていないとき、あなたはエゴに支配されている。それは「言い訳が必要だ」と考えているときだ。

そして老子は、「神と切り離されている間は、神の導きにアクセスするための秘法は明かされないだろう」といっている。

エゴを排除しなければ、「存在の源」の意志を知ることはできない。

創造が行われるとき、エゴがひたすら「貪ろうとする」のに対し、源のエネルギーはただ「与える」だけだ。

だから宇宙のエネルギーと同調するとは、焦点を「これによって自分はどんな得をするだろうか」から、「自分はどんな役に立てるだろうか」に移すことなのだ。

本日のちょっといい話 293 パターンを変えて見る

脳の働きの中で、「意識」が占める割合はわずか5%であり、残り95%は潜在意識であるそうです。

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またこの「意識」というものは、一秒間にわずか数十個の刺激しか処理できないのに対して、潜在意識は一秒間にに数百万個を処理しているというのです。

つまり、私たちは、この無意識の世界の「潜在意識」による自動操縦をされているようなものなんですね。

そして何をどう『意識』したところでこの「潜在意識」というものはコントロールできないが、信念や考え方ひとつで影響下に置くことが可能であります。つまり「意識的に選択」するということを、無理だと諦めれば、過去の習慣的な選択をし続けることになり、人生は無意識の支配下に置かれてしまう。ただ、選択することを意識することで、新しいパターンが生まれ、今まで「自分を支配していたいつものパターン」から脱却することになる。

いつもの繰り返しに対して、「自分はこうだから仕方ない」と思い込めば、そのままの人生が展開してしまう。ただ、繰り返しをすることを意識的にやめて、「選択」することで、パターンは崩れていくのですね。自動操縦を手動に切り替える勇気だけが必要というわけです。

ただ、難しいには難しいのです。

感情は不安をかきたて、頭の思考は基本がネガティブだから、早々には能天気にはなれないのです。だから、なんとなく、希望と期待と前向きな精神なんてものをキープすることは困難なんですよね。

で、いつものパターンに戻ってしまう。

ただ、そのいつものパターンが自分にとって好ましくないのであれば、ともかく、行動パターンだけでも変えてしまうことです。そして、思考がグルグルと展開し始めたら、なんであれ、深みにはまらないように思考の暴走を止めてしまいましょう。考えたって、あまり楽しくない思考なんですから、止めるのも簡単です。先の先を読もうなんてことも、今まであまり役立ったこともないのですから、もうシミュレーション・ゲームはやめることです。

そして、軽佻浮薄と言われても良いので、何かに浮かれていれば、また運は巡ってくる。

そんなパターンを、新しく経験して行けば、きっと、今までの人生とは少し違ってくるはず。

気を散らす、考え込まない、そんな「意識」が基本になってくると思いますね。
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近況をちょっとだけ

またまた長期間、更新のないまま過ごしてしまいました(汗)

どうしても週末のんびりとPCに向うという生活サイクルが崩壊している昨今、やらねばならぬことをたまの休日に集中させていると、Blogが後回しになってしまいます。もっとも「休日」という表現は当てはまらず、「帰宅日」という方が正解なんです。丸一日、家にいるということは滅多にないのが現況です。夜を家で過ごせるのが、今の私のいわゆる「休日」みたいなもので・・・

バイクで片道30分程度ですが、ついつい面倒臭くなって、施設に泊まってしまうということも多く、それほど過密に仕事が溜まっているわけではないのですがね。

今も日々は学びの連続です。

どうしても施設長という役柄、業績の推移には神経が尖るし、スタッフの管理にもエネルギーを注がねばなりません。自らやらねばならぬ業務もあるし、それが気乗りしないことだって多いものです。

人間って、やはり、かなり厄介な生き物であるということがつくづく思い知らされます。

頭の中は常にドロドロしたもので充満していますし、そのドロドロした欲や不安や感情から頭脳はいつもフル回転して計算をしています。安らぎ、癒しなんてものとは縁遠い精神状態であります。

なぜもっと純粋に人を愛おしみ、人を救い、人のために生きられないのか? と悩み葛藤するわけで、ただただ頭の思考の赴くままに生きているのも苦悶するばかりですが、そのこと自体にさらに悩んでしまうという二重奏で、ほとほと参ります。

と、言ってる内に施設から電話が入り、またほどなく出向くことになりました。やれやれです・・・。

ドーリットル空襲で焼けた祖父の印刷工場

ドーリットル中佐の爆撃命令というものをご存じだろうか? images2


昭和16年12月の真珠湾攻撃以来、日本軍に対して敗退続きのアメリカは、太平洋沿岸や西海岸にて日本の潜水艦による砲撃という史上初の外国軍による脅威にさらされていました。本土攻撃など経験のないアメリカ国民はパニックとなり、日本軍の空襲・上陸という妄想にとらわれ、誤報による高射砲撃をして死傷者を出してしまったり、官も民も日本の脅威に怖気づいていました。

これでは世論の国アメリカとしては、厭戦気運の高まり、反戦イデオロギーの勢いをどうすることも出来なくなりまして、報道管制等も行っておりました。

そこで、一か八かの大作戦を企画したのです。「日本本土へ報復」。

昭和19年以降、サイパン、マリアナ諸島を落とされてB29による日本本土空襲が可能になってからならばいざ知らず、当時はまだ制海権も日本にあり、日本沿岸に近づくことさえ困難だったわけで、爆撃機による日本本土空爆なんて不可能も良いところの話だったわけです。

無題1 無題
ジミー・ドーリットル中佐

ところが、先ずは空母から爆撃機を飛び立たせるという無茶な作戦を立案、それをB25で可能にしてしまいます。続いて、空母をB25の飛行可能範囲まで日本に接近させるというこれまた無茶な作戦を決行して、運良く成功させてしまうんです。

しかし、空母はB25爆撃機が飛び立ったら、即座に逃げないとならない。つまり離陸した爆撃機には帰還するところがないわけで・・・爆撃に成功しても失敗しても、生還する確率のない、文字通りの決死隊なんですね。

爆弾投下後は中国大陸まで逃げ切って、暫時、不時着。その地点に中国軍がいれば保護されるだろうが、日本軍が展開していたらアウト!というわけです。

それでも、当時のアメリカの状況では、この起死回生の一大作戦をやってみるしかなかったようなんです。

で、哨戒艇に発見されて早々に作戦開始をしなければならなくなるなど、色々な不測の事態に見舞われつつも、B25 16機がそれぞれの目的地へ向けて空母ホーネットから離陸しました。images1


その中で東京へ向かった3機のB25は、丁度テスト飛行中の試作機だった「飛燕」に発見されていました。残念ながら演習弾しか搭載していなかったものの、抜群の飛行性能を活かして果敢に攻撃を仕掛けてきた三式戦闘機・飛燕に対して、あわてて回避行動をとったB25は、目標地点だった赤羽の連隊基地を断念して、万世橋付近に爆弾をバラバラと落として、南西方向へと飛び去りました。

・・・つまり、この日(昭和17年4月18日)の東京初空襲は、ともかく「日本本土に爆弾を落とした」という事実を作るためだけのもので、昭和19年11月以降106回にわたる東京への空襲とは比較にならないほど小規模なものでした。

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ここからが、今回の本題なのですが、私だってドーリットル中佐の決死隊の映画やYouTube動画などは見たし、最近では、今年の5月にオバマ大統領がドーリットル爆撃隊のメンバー(存命は4名)に最高位勲章を授与する決定をしたとの報道も聞いている。


ところがひょんなことから、このドーリットル空襲が、他人事ではないことが判明したのです。

私の母は旧姓を「太田」といいます。父親は印刷所経営者ですが昭和17年の8月に他界しています。つまり私の知らない祖父なんです。この祖父が他界した以前に「合名会社太田印刷所の工場は空襲で焼けた」とのことでした。東京は神田錦町に工場はあったそうです。当時まだ幼少だった母は、人づてに「なんかアメリカの爆撃機がパラパラって爆弾を落としていって、運悪くそれに当たって焼けてしまった」と聞いていました。

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祖父と経営する太田印刷所従業員たち(伯母の七五三祝いに祖母と撮った集合写真)


印刷工場は閉鎖となり、母はこの祖父が亡くなる頃、自宅で株券を焼いている姿を記憶しているそうです。工場が焼けて、会社が潰れてしまったわけですね・・・

で、祖父が亡くなった昭和17年8月以前の東京への空襲っていうのは、このドーリットル空襲のみなんです。昭和19年まで空襲はありません。しかも上記の記述にあるように、テスト飛行中の「飛燕」に追われて回避行動に出たB25がパラパラと爆弾を捨てるように投下して逃げ去ったのは、万世橋の南西方向なんですが、祖父の経営していた太田印刷所は、神田錦町、つまり万世橋の南西1Kmにも満たない地点にあります。
14620082729_26b651be33_mこの従業員さんたちのその後は・・・

つまり、有名なドーリットル空襲によって、運悪く私の祖父の印刷工場は焼けてしまった、ということです。

もっともその後の度重なる東京大空襲で神田界隈は焼け野原になってしまいますから、遅かれ早かれの感もありますが、ともかく、このドーリットル決死隊は、もはや我が家には忌まわしいものになった。
戦闘シーンは見ごたえがあったが安っぽい恋愛映画だった2001年米映画「パールハーバー」では、主人公2人がドーリットル決死隊に参加しているが、今となっては、いまいましいヤツらです。


本日のちょっといい話 292 頭脳≠自分だということ

こうしてただ日々生きていても、瞬間瞬間に考えさせられることが多いものです。

思考というものは常にグルグルと回転しており、様々な思いを心にわき上がらせています。生まれてこのかた、この思考活動に対して、疑問をもつことが1度もなかった、という人も多いでしょう。思考=自分であり、もしも思考が崇高なものであれば、自分への評価は上がり、また思考が卑劣だったりすれば、自己嫌悪に落ちたり、そんなことの繰り返しでしょう。

ただ、この思考というものの他に、私たちの実態には、もうひとつの判断基準・価値基準が備わっており、それがどこから由来したものかは知れませんが、人間の根底にある共通の「何か」なんでしょうね。

そして、私たちは、「思考」のままに生きていても、どこかに生きづらさを感じてしまうんです。「これしかない」と信じて行った行動でも、「んー、なんか後味悪い」みたいな。


yjimageそう、思考というものは、確かに肉体的には、司令塔である頭脳が生み出しているものですから、肉体的には私たち自身そのものなんでしょう。しかし、私たちは、恐らく、肉体としての存在がすべてではない生き物で、魂のような、何か別の存在でもあるんでしょうね。その魂の方から発せられる声が、頭脳が判断する様々な決定事項に、アラームを発しているのだと感じます。

頭脳は、ともかく肉体を守るためにのみ存在している機能だから、当然、他者のことよりも自己の保全を優先します。他者を優先するときも、自己のプラスを計算してのことです。リスク管理能力は高いので、ともかく万事をネガティブにとらえて、最悪事を想定しています。様々な出来事で、自分にダメージを与えたもののみを集積して、それらを回避しようとします。つまり、トラウマを量産します。考えることの絶対基準はともかく自分が中心なので、つまりがジコチューそのもの。多少の社会性で協調精神があったとしても、それは自分を社会的に守ろうとしているに過ぎません。

そういう機能特性をもったものが頭脳なのに、私たちはそれをイコール自分であると見てしまうので、なんとも自己評価は低くなるのも当然です。

ただ、よく考えて見ましょう。

そんな頭脳による思考活動の中身について、「自分ってイヤだなぁ」と感じてしまう自分があるんですね。それが葛藤や苦悩を生んでいるのですが、ともかく盲目的に思考のまま生きているような単純な人は少ない。結果として思考に従って行動してしまう人は多いのですが、どこかで「NO」と言っている自分も内在しているんですね。

面白いことに、思考は自己保全を最優先しますが、人生で体験を積めば積むほど、この頭脳による保全が成功しない不思議を味わいます。計算高く振る舞ったつもりが、最終的に穴に落ちたのは自分だったり、自分に有利になるよう物事をゴリ押ししたら、とんでもない不利益を蒙ったり、そんな皮肉な結果をいやと言うほどに味わわされます。

段々と頭脳思考への信頼感は薄れてしまうものです。

そんな体験を経てからでも良いのです。頭脳ではない、昔から在ったもうひとつの自分のシンプルな価値観、それに気づきましょう。いつの世も、どんな人も、人生の流れはきまってこのことに気づく軌跡になるものです。成功法則なんてものも、実は、そんな意外なところに潜んでいるんですね。

もう少し早くに気づけばもっと楽しく人生を生きられたと思うことでしょうが、本当に気づくまでには色々な体験を踏まないと無理なものです。どうしても頭脳思考は強く、休むことなく自己中心型思考活動を続けています。これほどに定着したものを切り離すには、かなりの信念とパワーと注意力が必要ですから、無理もありません。

終生気づかずに死んでしまう人も多いのですから、今生で気づいただけでも素晴らしいことだと思います。

ともかく、今この時もグルグルと展開して思考活動している頭脳、それはあなたの本質ではないし、少しだけでも良いから離れて見ましょう。臆病で計算高いペテン師と人生を共に歩くなんて真っ平ですよね!

本日のちょっといい話 291 エゴを克服する法

このままで行くと、2ヶ月無更新になりそうなので、急いで下記の抜粋を掲載します。このところで私がずっと読んでいるダイアー博士のシリーズからのものです。これらのことは、私たちが常に無意識のうちに支配されてしまう「エゴ」という恐ろしい思考回路を、都度、手動でショートさせて正しい判断をしなければならないという手間のかかる日々・日常に於いて、少なからず助けになってくれる情報です。・・・


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私達は好むと好まざるにかかわらず、様々な常識を教え込まれ、無意識のうちにその影響を受けて考え、行動している。崇高る自分に到達するためには、こうした常識から自由になる方法を見つけなければならない。・・・

あなたは、限界を持った肉体と心から、意識を解放する方法を見つけなければならないのだ。

簡単に言えば、人との競争に勝って自分が優れていることを示さなければならないと考えているうちは、内なる願いを現実化できないということだ。

人生をエゴに操らさせたままでは、自分の人生を切り拓いていくことなど出来ない。

そこで、あなたがエゴに支配されているときに抱きがちな誤信を次に掲げてみよう。

「私には自分の人生をコントロールする力がない。そのような力は外的なものだ」

「私には自分の人生を切り拓いていく力などない。運命がサイコロを投げているのだ」

「前にもやってみたが、うまくいったためしがない」

「図抜けた能力の持ち主・徳の高い人、だけが自分の手で人生を創造できる」

次に、つまらぬ迷いを払拭する4つの習慣を揚げる。

「非の打ちどころのない人間、なんてならなくていい」

「自分のふところ具合を必要以上に気にしない」

「つまらないことにいちいち目くじらを立てない」

「すべてが思い通りに運ぶ不思議を体験する」

                    ウェイン・W・ダイアー「いいことが次々起こる心の魔法」より

本日のちょっといい話 290 救急医療の臨床医が語る「魂」の話

東京大学大学院医学部救急医学分野教授で医学部附属病院救急部・集中治療部部長である矢作直樹氏は、ご自身の幼少体験から臨床医として接した人の生と死の現実を通して、肉体としての生は「今生」として終わるが、魂としての生はその後も続いていくと著書「人は死なない」の中で語っています。

医学という科学が現象のメカニズムを解き明かせても、その現象がどうして起こるのかという問いには無力であり、古来、人々が万物の創造主として設定してきた「神」という存在を、矢作氏は「摂理」という表現に置き換えて、この科学が無力である深遠壮大な万物万象の世界の「創造主」を信じている。

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「私たちは摂理により生かされている世界の一部であることを忘れず、この世界と共存・調和し、その謎を解きながら、意識の進化を心掛けていけば良いのだと思います」

「言葉や考えではなく、実際の行為が大切だということです。たとえ信仰を持たなくても、落ち込んでいる人を元気づけ、困っている人に手を差し伸べるだけで十分なのです」

「我々普通の人間は、日々の心掛けとして、今自分のできることをやっていく、ささやかな利他行をしていく、という当たり前の生き方をすれば良い、そしてこれこそが人生最大の目的だと私は思っています」
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「人の一生は、表面的には寿命の長短や、それぞれが人生の中で負う荷物の大小しか見えないので、見かけ上不公平、理不尽に思えることは多々あります。なぜあの人は夭折してしまったのだろう、なぜ生まれながらに重い障害を負ってきてしまったのだろう、善良に生きているのになぜこんなつらい目に会うのだろう、などと考えてしまうことが誰にでもあるはずです。けれども、我々の人生の旅は死後も続く、摂理の意思は悠久の生の中で折り合いがつくように働いている、と考えれば現世での苦しみや悲しみが多少なりとも癒されるのではないでしょうか。いや、そのように考えないと、矛盾に満ちたようにもみえるこの人生を理解できるものではありません」

「人生における様々な失敗や挫折、病気や怪我など自分の身に起こる災厄とは、摂理が個々の人間に、それぞれが自身で責任を負って大切な何かを学ぶために与えた試練なのではないかと私は考えるのです」

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ある意味で、人の生死のリアリティを見せつけられる救急医療の現場では、生物としての人間の儚さ、脆さ、空しさ、哀しさを否応もなく感じてしまうのではないか、と思います。所詮は人間なんてそのような弱く危うい存在でしかないんだという諦めをしなければならないような日々の状況があるように思えます。

そのような世界の中に長く身を置いている臨床医である矢作氏の、これらスピリチュアルな死生観、人間観は、私にはとても深いし、またそれだけに強い説得力を感じます。
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トゥデイ !

よくある話ですが、子供が大きくなって、もう家族でドライブという歳でもなくなると、維持費に金のかかる乗用車は手放されます。私もそうでした。

そこで世の旦那さんたちは、今度は自分だけの足として、単車を買って乗ったりする。自動二輪の免許のない私などは原付バイクとなりました。

それが、ホンダのトゥデイというわけです。
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初めはアプリオでした。なんか私としてはあまりスタイリングが好みではなかったのですが、成り行きで購入し乗ってました。そしてある日、調子が悪くなって手放すことになり、引き取りを頼んだバイク屋さんで、今のトゥデイを買ったわけです。

納車のとき、私のアプリオ(後ろに写っている赤い車体)と購入したトゥデイ(手前の茶色)が並んでいるの図。

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それから、アプリオと違って収納の悪いトゥデイに、私らしくミリタリーグッズのバッグを装着。東ドイツ軍のレインカモ・バッグです。


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これで、今は新宿・西東京を結ぶ新青梅街道を夜な夜な爆走しています。爆走といっても、トゥデイですけど。
私は介護施設長をしています。隣りの系列店の施設長が若いヤツで、ドクロマークのジャンパーなど羽織っていて、よくケアマネに「あんなジャンパー着てねぇ」と皮肉られています。「若いからファッションなんですよねぇ」と言う私のジャンパーの胸には「U.S.Army」って。

当然、このミリタリー色のトゥデイにはimagesCAKEPQ95が貼ってあります。




livedoor プロフィール
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大昔、暴れん坊の悪ガキ。少し昔、おごりたかぶる勝ち組ビジネスマン。そして今、「見ろよ、青い空〜白い雲〜」の歌の境地。
皆さんの日々に、活用できる情報の発信媒体が、このBlogの主旨です。日記じゃないので、過去記事もめくって下さい!
papeは、我が家の雑種犬の名前です。(フランス語で「法王」ですが...許し給え、アーメン)
FP2級技能士だったり、メンタルケア心理士だったり、フランス歴史オタクだったりですが、スピリチュアル系記事多いです。
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最新コメントの管理は徹底していますので、過去記事にも、遠慮なく一言どうぞ〜!


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