青い空に白い雲

このブログ、新しい記事ばかりでなく、カテゴリ別に適当に拾って読んで下されば幸いです。日記じゃないので....

2005年11月

昭和13年のある日の銀座

14dd76ce.jpg昭和13年8月上旬 銀座街頭にて この写真は、昭和13年(1938)8月上旬に銀座街頭で撮られた写真です。左手、横を向いているのが祖父です。右側の人は不明です。洒落た服装ですねぇ。祖父はなかなかおしゃれな人だったようで、大抵の写真がモダンボウイです。 山梨のド田舎から体一つで上京、共に里を捨てて来た祖母と所帯を構え苦学の末に弁護士に。 気の強い人で、東京の空襲の時、町内の消火作業の指揮をとっていた際、偉そうに突っ立っていた憲兵を「貴様、手伝わんかっ!」と怒鳴りつけたらしいのです。火炎地獄の中で消化活動をしていた町会の人々も、これには「冷やり」としたらしい。ところがこの憲兵、民間服の相手から一喝されたものだから、さては近在の政府の高官かと思い、慌てて作業を手伝ったとのこと。修羅場での笑いの寸劇だったようです。 昭和13年と言いますと、昭和2年に開業した銀座線の虎ノ門ー表参道、表参道ー渋谷が開通した年です。 銀座にホットドックの屋台が登場したのもこの年です。 また山野愛子美容室が銀座に店を開いたり。 同じ弁護士業界でも、日本初の女弁護士が登場したのがこの年。 高峰秀子の「銀座カンカン娘」が流行ったのはまだ十年以上先の話、この頃は「人生劇場」「支那の夜」「愛国行進曲」「麦と兵隊」「雨のブルース」なんて歌が巷に流れていました。邦画では「愛染かつら」「路傍の石」、洋画では「モダンタイムス」。「風と共に去りぬ」はまだマーガレット・ミッチェルのベストセラー小説で、映画化されてません。 海の向こうで、アクション・コミックスのスーパーマンが誕生したのもこの年です。 ベニー・グッドマンがカーネギーホールでコンサート開いたりスウィングジャズの全盛期。 あのオーソン・ウェルズがCBS放送で「火星人襲来」を迫真の演出で放送し、それを信じた人々が大パニックを巻き起こしたという有名な事件もこの年です。 象徴的ですが、米国でナイロンストッキングが発表された年でもあれば、日本ではゼロ戦の試作機が完成した年でもある.......... ともかく、まぁ、古い一枚の写真です。祖父が随分とオシャレであったのは驚きでした。この頃、日本では夏季の洋装がア・ラ・モードだったらしいので、まさしくそれです。祖父は、この後、横の人と銀座のビアホール「ライオン」にでも足を運んだのでしょうか?             (http://www.geocities.jp/pape1789/index.htmlより転載)

早くも.....シンクロニシティ・パート

4cca57e5.jpg気にしてると、すぐに前回ブログの「シンクロ」現象が起きますねぇー! 今日は、娘が品川に引っ越した友達と待ち合わせて、臨海高速鉄道でお台場に遊びに行くため、JR大崎駅への行き方を教えて送り出しました。 それからパソコンに向かい、母親に頼まれている年賀状の印刷のため、「筆王」を開いたのです。 すると、サンプル住所画面トップに出できた年賀状画面。なぁんと、サンプルに使われている宛先が「品川区大崎○○○」で、差出人のサンプル住所が「練馬区石神井町○○○」(我が家の所在地に隣接)..... ちょっとかすったかな? ともかく、全国展開している「筆王」ソフトなんだから、これが、千代田区神田錦町でも杉並区和泉でも墨田区両国でもいいはずです。 いや、23区じゃなくても、多摩市連光寺でも小金井市東町でも西東京市西原町でもいいはずです。 サンプル住所ですから。 それが、本日、たまたま縁のあった品川区大崎であり、差出人住所までが隣町の地名である確率は、かなり低い。 まさしく、Synchronicity。....

シンクロニシティ(synchronicity)って、知ってます ?

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シンクロニシティって知ってます ? 水泳の種目でも、どこかの市の名前でもありません... 共時性とも訳されます。深層心理学者ユングなんかが提唱している「意味のある偶然の一致」ってやつです。

 知ってるか、と言うより、ほぼ人類の全員が体験していて、難しい学説は抜きに、すでに「知ってる」現象ですね。 確率的にはかなり起こり得ない偶然の一致、なのに、誰もが数多く体験してるって、やはり不可思議ですよねぇ。ユングが集合無意識とかの仮説により壮大な理論を構築してみたのも無理もない話です。

なんか、ここに、宇宙のカラクリ、事象の真理が含まれていると考えたくもなります。

 私は、数年前からこのシンクロニシティ現象について、「お〜、これはかなりシンクロしてんなぁ」って感じた時に、手持ちの手帳なんかにメモって記録していたんです。

 昨日、ちょっとした、くだらないほど軽いシンクロニシティが発生したので、これを機に、それらの不可思議を公開しようと思いついたのです。 大袈裟な学説なんか読んでると、なんか、深遠な世界のようですが、出来事そのものは、バッカ臭いほど「どーでもいいこと」が多いので、コケます.... 昨日のシンクロはこうです。

 部下と昼食をとりにある定食屋に。私は「ハンバーグと白身魚の定食」を頼みました。(どーでもいい記述です)部下は、「チキン南蛮定食」を頼みました。(こっちは大切) 「へぇ、そんなメニューあったんだぁ」と私。感心したわりには、大した興味も示さず、ただ今まで気付かなかったメニューの品目にちょっとそんな一言を口にしたまでのことです。 そして、その夜9時過ぎ、リビングにゴロ〜ンとしながら、どーでもいいTVを見てました。 フジテレビの連続ドラマ「危険なアネキ」とかいうヤツです。「史上最悪の密着24時間!!」という巻でした。そんな細かいデータはどうでもいいんですが、伊東美咲演じる主人公の大好きな料理を、ゆえあって彼女の余命が幾ばくもないと思い込んだ弟が、涙ながらに作ってやるシーンがあり、それがなんと「チキン南蛮」なんですっ!! .......って、これがカール・グスタフ・ユングによって、事象の生起を決定する法則原理として提唱された概念であるSynchronicityなのかっ

まぁ、これに近いものでしょう。本人的には充分不思議な出来事です。カツ丼とかハンバーグライスとかなら、一般的日本人の食習慣からいって、こういう一致はかなり高い確率でしょう。しかし、私が今日知ったばかりの「チキン南蛮」なるものが、同日中に再び私の生活に登場する確率は、かなり低い。 まぁ、こんな些細なシンクロを特筆大書してみても、「勝手にやってろ」でしょう。

しかし、まだまだあるんですよ、どー考えても、不可思議なSynchronicityが

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ショック療法 スーパーサイズ・ミー

d22852d5.jpg昔、あるアメリカのギャング映画で、刑事が聞き込みで場末のハンバーガーショップに入っていくシーンがあった 見るからにガラの悪そうな店主が刑事をにらみつける。「旦那、なんにします?」 刑事はとりあえずバーガーを注文する。 そして、犯人について聴取し始め、何か知ってるらしい店主が適当にお茶を濁す会話の最中に、ずっと鉄板の上で肉塊をジュッジュッと簡単に裏表焼いて、パンにはさむまでの店主の作業が映されていた。 これ以上聴いても、こいつは口を割らぬと判断した刑事は、仕方なしにバーガーを一口だけかじると、「こんな不味いの食ったことねぇ」と残して店を去る... その設定は30年代アメリカの薄汚いハンバーガーショップなんだろうけど、検事の台詞とは裏腹に、私は、なんともそのシンプルな製造過程を見せられたハンバーガーが、旨そうで旨そうで仕方なかった だから、マック(地方によってはマクド)でも、大好きなビッグマックとフィレオフィッシュの他に、ノーマルのハンバーガーもひとつ注文してしまい、腹がパンパンになるのが常 ところが、毒は毒をもって制す、じゃないが、今度は、この映画「スーパーサイズ・ミー」のおかげで、なんともマックが遠のいた。 2004年アメリカ映画だが、監督モーガン・スパーロックが自ら実験台となって三食マックのみ食べ続けて一ヶ月の後、その健康面の変化を如実に訴えるへんな映画。 NHKスペシャル以外の企画物はすべて半信半疑で見る私には、どこまでこの映画の企画が真実なのか分からないが、確かに、見ることによるショック療法的な効果は抜群だった。 しかし、所詮は、そんなこと言ってたら、ステーキだって食えなくなるし、牛丼だって論外、好物のサイコロステーキもパーだし、ハンバーグもすき焼きも鉄板焼きもバーベキューも人生から消えてなくなる 自己管理ってことで、食品会社の経営戦略とか宣伝効果とか、そればかりが犯罪視されるべきでもないし〜。 だが、もし、中毒症状が出ていて、一日一回、どうしてもハンバーガーショップに行かないと我慢できないと「困っている」人がいたら、この映画を見るといい。 この前、ドライブスルーでマイクに向かって注文してたら、やたらとノイズが多く、何度も注文内容を聞きなおされた。すごくムカついてる内に「だから、マックシェイクだって!!」と大声出してるとサディスティックな快感を覚えてきた。助手席で家内が「そんな言い方やめなさいよっ」とたしなめている。しかしこっちは、すでにサド的になってテンションが頂点になっていた。その時、「SですかMですか?」と聞かれた.... そんな小話はいいとして、やはりまだマックへは時たま行っている。 ドライブスルーで縁石に接輪してる女性ドライバー。 こんな、あるある探検隊ノリもいいとして.... 今、ここに、ビッグマックがあったら、やっぱ、食らいつくなぁ〜

遠藤周作のコメント

c957e024.jpgなんとなく面白い遠藤周作氏のコメントがある。 それは、氏の母方の先祖が竹井氏という岡山の小さな山城の豪族だったとのことで、氏が己が先祖の生きた土地を見に訪れたときに発せられたものだった。 そこは美星町という美しい地名の里なのだが、ご先祖の所領はあまりに寂しく、その居城「小笹丸城」はあまりに空しい城跡だった。 氏はこの地にたたずみ、「それにしても、このような山の中で、こんなちっちゃな山城に篭って、わずかばかりの土地を、オレの先祖は必死に守ろうとしたんだなあ」とつぶやいたらしい。そして戦国の御世、周辺の強大な勢力が抗争を続ける中で、あっちにつきこっちにつき、ビクビクしながら我が一族の存続を祈っていたご先祖に、「さぞ毎日がつまらなかったろうなぁ」と同情したというのだ。 私はあまり日本の作家の著書は読まないのだが、遠藤周作氏の作品だけはかなり読み漁った。 ものすごく、親しめる作家。日本の代表的文学者というより、まるで、話好きな愉快な小父さんの感。 難しい表現・知識・感性なんかで格調の高さを前面に出すこともなく、特殊な思考回路や感覚、観念をご披露することもなく、ともかく、ご自分の率直な思いを謙虚に語っているだけ。その感性は、私たちの心の中に潜んでいるそのもの。だから、安心してしまったりする。作品そのものの状況設定は陰陽あるが、語り手がなんしろ暖かい。 上のご先祖への感慨も、なんか、文学者ならば、「いつの世も人の生きる様は辛苦に満ちたもの。ささやかな命の灯火を絶やさぬことに四苦八苦して生涯を終える。そんな空しいものが人生なのだな...」なんてものを予想してしまう。 ところが、「さぞ毎日がつまらなかったろうなぁ」だ。 多分、私たちもそんなシチュエーションでコメントするなら、本音からすれば、こんな感慨。ただ、あまりに深くないので、色々と無理な肉付けをしてしまう。 だから面白くなくなるんだなぁ、世の中の様々は。 教養人なら何か語らねばならぬ場面で、「ん〜、はっきり申し上げれば、どうでもいいし、『関係ねぇや』ですね」  なんて、言えるカッコよさ、ほしいですねぇ。 さて、明日は、そんなカッコよさゼロの本社での会議。寝よ寝よ。 「毎日がつまらないなぁ」だ

小学校時代やった悪事数々

343819c0.JPGこんな事件もあったなぁ〜 我が第二班が、体育館の放課後の掃除当番だったとき。 まぁ、当然、第二班が粛々と掃除なんぞやるわけがない。ほうきはライフル、モップは重機関銃、雑巾は手榴弾で、体育館はコンバットごっこの戦場と化していた。 その内にそれにも飽きる。 じゃ、なにをして遊ぶか。「そろそろ掃除やろうぜ〜」なんて言うヤツは一人もいない第二班。 そこで、ターザンごっことなる。 これは、ターザンが「あ〜ああぁぁ」と叫びながら木のつるからつるへと飛び移っていくシーンを真似したもので、体育館、というより当時は「講堂」と呼ばれていた館内には舞台があり、そこに高い天井から巨大なカーテンが垂れていた。よく舞台の幕引きなどに使う豪華で大きな垂れ幕。 それが、普段は丸めてある。それに飛び移るとグルンと空中を回ってちょっとしたターザン気分だった。 皆で順々に、垂れ幕に飛びついてグルングルンやって遊び始めたわけだ。 すると、Cが「ああ!!」と叫んであわてて飛び降りる。バリバリッと異様な音が頭上に響いて、危険を察知したわけだ。しかし彼の次の番のT(あの東宝撮影所事件でドジったT)がすでに助走を始めていた。 「やべー、やめろっ」とC。 次の瞬間、飛びついたTの体とともに、巨大な垂れ幕が天井から落下。ピアノ線が切れる鈍い音に続いてドサリと。 これはシャレにならない。 あまりにもシャレにならない事件だ。 「逃げろ」と誰が言うでもなく、血相を変えた我々第二班は、脱兎のように体育館から飛び出してバス停へとひた走る。 だが、よーく考えて見ても、掃除の終わりの報告も先生にしないで帰り、その後に垂れ幕が落下していては、犯人はバレバレじゃないか。しかも逃亡したとなれば罪はより重い。 「どうせ俺たちがやったことはバレる。だから今日の内に自首した方がいい」 と、冷静な意見を私が口にする。悪いことをしでかした反省の念じゃない。少しでも罪を軽減させんがための知恵である。このあたりが、悪党魂だ。 そして学校へ引き返した。あの桜の木を切っちまったが正直に告白して逆に褒められたジョージ・ワシントンみたいな情状酌量を願って。 まぁ、全員ビンタを食らって大目玉。ワシントンどこじゃない怒鳴られまくり。 親も巻き込む大騒ぎだったが、またまた細かい経緯は覚えてない。ねんがらねんじゅう、ビンタを食らっていたんだから、どれがいつの光景なのか一々覚えてられないわけだ。 しかし、これは覚えている。それは、この全校的大事件の直後、まだ謹慎期間中、執行猶予中とでも言う頃、またまた第二班が体育館掃除当番の時の事件だ。 学習能力ゼロ状態で、われ等はまた暴れていた。 私は、棒倒しか何かに使う棍棒を、おりゃ〜〜と投げた。すると丸めて置いてあった体操マットの上でワンバウンドしたこの棍棒、勢いづいて体育館の裏口の扉をブチ抜いちまったのだ。 どひゃーー、私はさすがに目を見張った。 あの大騒動があった直後に、今度は扉を棍棒でブチ抜いたという事実..... やはり物事は教訓だ。ワシントン物語なんざあり得ないと身をもって知らされた体験は、「待て、これはこのまま知らぬ存ぜぬしかあるめぇ」という悪魔のささやきに容易に耳を貸す。 だが、私はこの事件もちゃんと告白した。ただし、高校生になった頃だったかなぁ。クラス会で集まったときに、担任を体育館に連れてって、穴を開けた場所を示したのだ。 すると、なんと、そこにはまだ丸い穴が....。 ちょうど、用具の陰で見つかり難い場所ではあったが、まだ、発見されずにそのままだったとは(@_@) 「これもオマエなのかっ」と担任。 私は思った。やっぱ、黙ってて正解だったぜ〜と。 善悪基準の変わらぬ私なのでした。。。。

小学校時代やった悪事数々

c33305be.JPGこんなこともした。 1963年アメリカ映画でマックイーンやブロンソンなど出てる「大脱走」という映画が流行っていた。 当時の小学生は、タミヤの1/35スケールのプラモデルにはまっているヤツが多く、特にドイツ軍の戦車や軍用車両を作っては楽しんでいた。あるいは、モデルガン(当時はまだ黒いガン)が大流行で、まずお年玉ためてMGCやCMCで買うガンと言えば、ルガーやワルサーなどのドイツ軍の軍用銃。つまり、ドイツ軍ブームだった。 そこに封切られた「大脱走」。ドイツ軍の捕虜収容所から脱走する連合軍兵士らの話だから、われ等が興奮するのも無理はない。 500円くらいだったかなぁ、サントラ版のシングルレコードを買って聴いては、ワクワクしていた。大脱走 そこで、われ等、悪童グループの第二班、この興奮を皆で分かち合いたくなった。 「放送室を占拠し、大脱走のテーマを昼休みに流そう」と。 当時の昼休みの放送部の流す曲といったら、サンサーンスの「白鳥」とチャイコフスキーの「くるみ割り人形」からの一曲。ともかく、今でもそれらの曲を聴くと腹が減ってくるくらい、定番の繰り返しで、放送部も毎日、同じ曲目紹介。そのくせ間違える。それはともかく、サンサーンスとチャイコフスキーだけは一生忘れないほど脳味噌に刷り込まれた。 そんなおバカな昼の放送。そこに、「大脱走」のテーマを流したら、さぞかしセンセーショナルだろうというわけで、作戦決行である。 なんの策もない。シングルレコード盤一枚もって、放送室へ入る。昼の放送を担当してるのは、五年生だ。こっちは六年。 「おい、そこどけ!」で済む。 そして、ターンテーブルに件のレコードを置く。 マイクをONにすると、「これから、『大脱走』のテーマをお送りしますっ」とまるで、テロリストが放送局でも占拠したみたいな気分で一声。 そして、映画「大脱走」のテーマが全校のすべての教室のスピーカを通して響き渡る。 お〜、やったぜー ただ、フルコーラス放送は無理であった。まるで、イントロ当てクイズなみの速さで、この放送は打ち切られた。 無理もない。放送室の隣りは教員室なのだ。 異変に気づいた先生が、扉一枚開けて踏み込んできて、ハイお仕舞いだ。 また、これも、なんと怒られたかは覚えていない。 そんな結末は百も覚悟の上でのこと。想定内の結果など覚えていないのも無理はない。 今、もう一度、あの頃に戻っても、同じことをしただろうなぁ(^^♪

小学校時代やった悪事数々

362b6904.JPG色々やったなぁ〜。 近くに東宝撮影所があった。そこに1969年東宝映画三船敏郎主演の「日本海大海戦」のセットが置いてあった。 掃除当番とかで班分けされていたのだが、たまたま悪ガキばかりの我が第二班は、下校時にさっそく、東宝撮影所内に忍び込む。日本海大海戦・タイトル そして、当時大評判だった「日本海大海戦」で使用した日露戦争当時の軍艦の模型の数々を前にする。 模型、といっても、中に人一人が入り操縦するくらいの大きさである。それを有名な「ゴジラプール」で動かして特撮したのだろう。 軍艦には、大砲や、水兵の縮小模型がついたままだ。子供ながらに海戦シーン「もう、撮影も終わったんだし、要らねぇはず」と判断。カッパらってランドセルに入れる。 そして、撮影所を脱出した。 すると、一人、Tというアホ(世田谷は瀬田の大地主の息子)が、「どうせなら、もう少し持って行こう」と言う。 怖気づくのが何よりカッコ悪い、なんてガキのノリの我々は、その申し出にと。 再び撮影所に潜入したら、あっけなく、守衛に見つかり、「おいおい、キミたち、許可はあるのかい?」と尋ねられた。そこで「あります!」と即答。忍び込む以上は、一つや二つのウソなんぞヘのカッパだ。 そして、また、撮影小道具をカッパらうと、我々は悠然と撮影所をあとにした。 ところが、翌日、全校生徒へと校長から校内放送。「東宝撮影所の所長よりコレコレシカジカ〜」と。 不審な小学生が入ってきて、その後、大砲や水兵が東郷平八郎元帥の旗艦「三笠」の甲板から消えうせていた事件は、容易に露見していたわけだ。われ等は私立の小学校だったので、制服ですぐにバレバレ。 すべて返却。とーぜんだ。こっぴどく叱られた。 ...はず。あまり覚えてない。覚えているのは、Tが「もう少し...」と欲張ったことに対する仲間割れだけだ。 今でも、クラス会なんかで集まると、「そもそもあのバカが悪ぃんだ」「だよなぁ、節度ってもんがない」なんて会話。当時も今も反省してない。

タイムカプセル、埋めるだけじゃいかんぞ、明治の学生諸君 !

842b74f8.jpg何年か前に、池袋の立教中学校の解体工事のおり、旧校舎の磁石の中から、1894年(明治27年)に埋設された合金製のタイムカプセル(写真)が発見されたと、新聞記事にあった。 磁石が自然にパカリと割れて、カプセルが出現したらしい。 当時の学生名簿や論文や成績表などなど見つかり、発見者らは目を見張ったらしい。 しかし、よくよく考えてみれば、タイムカプセルなるもの、このように偶然発見されるようでは不安ではないか? この世界的にも先進的なタイムカプセルという発想が、110年前の日本にあったという事実は素晴らしいが(1939年ニューヨーク万博が近代的タイムカプセルの発祥らしい)、磁石がもしもパカリと割れずに発見されずじまいだったら、明治の学生らの大志と努力はパーじゃないか。 事実、このカプセルも、大正時代の学内誌にその存在がチラリと記載されているだけで、後は、すっかり忘れられていたとのこと....。 後の世の者たちなど、所詮は、無関心なもの。いつまでもその存在が言い伝えられるなんて期待しちゃダメだ。
livedoor プロフィール

pape2005

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大昔、暴れん坊の悪ガキ。少し昔、おごりたかぶる勝ち組ビジネスマン。そして今、「見ろよ、青い空〜白い雲〜」の歌の境地。
皆さんの日々に、活用できる情報の発信媒体が、このBlogの主旨です。日記じゃないので、過去記事もめくって下さい!
papeは、我が家の雑種犬の名前です。(フランス語で「法王」ですが...許し給え、アーメン)
FP2級技能士だったり、メンタルケア心理士だったり、フランス歴史オタクだったりですが、スピリチュアル系記事多いです。
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