青い空に白い雲

このブログ、新しい記事ばかりでなく、カテゴリ別に適当に拾って読んで下されば幸いです。日記じゃないので....

2006年12月

本日のちょっといい品....食玩の双発戦闘機ハインケルHe219A-7

こんな年の瀬にアップするほどの記事じゃないので、ヒマつぶしのBlogサーファーの方のみ、サラリと読んで次へ飛んで下さい

食玩って知ってますよね。あのどーでもいい飴玉一粒やガム一枚に、けっこう精巧なホビーがついているヤツです。おまけとお菓子が逆転したような....

私は、以前も9月の記事と3月の記事に書いたように、自室をゴテゴテ飾りつけるインテリア小物フェチです。

こんなパッケージに完成品が...だから、これらの「食玩」についつい手を出してしまいます。

そして、また少年期にかなりハマった1/35スケールのプラモの名残か、軍用車両や戦闘機やらが好きでしてね、それも当時の少年らの常で「ドイツ軍」ものに目がないのです。

ドイツ軍機 !!従って、この画像にあるように、ドイツ空軍ばかり。(中身が分からないシリーズでも不思議とドイツ空軍機が当たるというラッキーにも恵まれて....)

 

ハインケルHe219A-7ウーフー03右手の大きなのが今回ご購入のハインケルHe219A-7ウーフー03。第1夜間戦闘航空団第1飛行隊第1中隊バージョンですね。
双発の夜間戦闘機なんて、かなりマニアックです。ついつい、「おおっ」と手が伸びちまうんです。これがメッサーシュミットやフォッケウルフなどの戦闘機なら話は別でしたが.....。プラモにもなかなか出てない機種ですョ。

左手のはヘンシェルHs129B-2、小型対地攻撃機です。三機とも1/144スケールなので、大きさの比較が出来ますね。これは第1地上襲撃航空団第11飛行隊バージョン。ルドルフ・ハインツ・ルッファー大尉の乗機です。これなんて、その運動性の悪さから、ドイツ空軍の失敗機と言われたほどの軍用機。かなりマニアック。

中央は、フィーゼラーFi156D「シュトルヒ」という連絡/観測機です。アフリカ戦線塗装バージョン。ドイツ・アフリカ軍団のロンメルの視察機として有名ですが、このキットの食玩シリーズは実は「戦車シリーズ」で、戦車マニアにとって、中身が「シュトルヒ」だと、「ちくしょー、ハズレだぜ」とムカつかれたらしいです。

 

関心のない方には、まったくどーでもいい記事でした。

たまには、「宇宙エネルギー」や「波動理論」や「愛」とか離れて、ヲタッキーなBlogもいいかな...と

大変、失礼しました・・・・プラモ〜♪

本日のちょっといい話 「臨死体験者」らが語る神....

臨死体験(ニア・デス)ある臨死体験者が、生死の間で「直感」した真実......

 

 

「神はヒゲのある白い髪の老人というイメージの存在ではなかった。神は自分とは別のなんらかの形ある存在ではなかった。神は自分と共にあり、同時に自分の一部だった。自分は神と共にあり、神の一部だった」

 

「私はふと周りを見回しました。すると信じられないくらい美しい、明るい光が自分の真上に見えました。私はその白い光の方へどうしても行きたくなりました。あんなに強く惹かれたことはありません。そこに本当の愛があるという気がしました。それは愛に満ち、優しい。私は『あれが神だ』と思ったことを憶えています」

 

「私はその光と一体となったとき、その光の知識が私の知識になった。私は一瞬の内に私の生涯そのものに、また、私の生涯で意味のあったもの全てになった。私の生涯の表面的な部分、つまり私がやり遂げたことや手に入れたものや習得した学識などは、その瞬間にその光のエネルギーにのみつくされてしまった。ところが、周囲の人たちに無私の愛や気遣いを示したときの行動は、深く刻まれ讃えられた。そのとき、人間の歩むべき方向が私にははっきり理解できた。」

 

「何でもない。私は神です。というのは、すべてのエネルギーは同じ源につながっているからです。私たちはその源の一部なのです。私たちはみんな神の一部であり、神の源の個別化した姿の反映なのです。神は我々で、我々は神なのです」

上記の証言数箇ですら、複数の書物からの引用です。この感覚、どこかで聞いたことありませんか? 今まで私が色々な方面からアクセスしたBlog記事の中にも散見できるものです。様々な状況からも、同じような「真実」が語られている事実。これが大切なんですね。(参照→「神を語る宇宙飛行士たち」「最先端科学がびっくりした愛の世界」「本日のちょっといい話ゥューブラー・ロス博士」)

 

コネティカット大のグレイソン教授の研究によると、臨死体験(ニア・デス)の四つの要素は以下のようになります。

認識的要素 時間の歪み、加速度的な思考、人生再現、すべてが       理解可能になる状態。

情緒的要素 平和・喜び・宇宙的一体感、明るい光と遭遇したときの愛に満ち溢れる感覚。

超常的要素 ESP能力、未来予知、体外離脱。

超越的要素 明らかにこの世ではない世界の体験。

 

光...神...そして、自らも臨死体験者の「光の彼方」の著者フィリス・アトウォーターは、事後効果として、精神性や人への思いやりが増すこと、人生を大事に思う気持ちが強まり、死の恐怖や物質主義、競争心が薄れるといったことを挙げています。

そして、自分が自分より、はるかに大きな存在の一部であることを直感した体験者らは、死が終わりでない真実を知り、また、かかえている諸問題への「こだわり」がなくなり、自殺願望が根絶されたといいます。つまり、生きる意味を自ずと察知した、というわけです。

ともかく杏林大医学部によれば、臨死とは「レベル掘廚両態、つまり刺激を与えても蘇生しない状態ですから、「試しに味わってみよう」なんて、無謀な真似はやめましょう。還ってこれなくなる可能性大です.....。    輪廻してまた一からやり直すのも面倒ですよ^_^

 

まぁ、臨死体験は、立花隆氏や河合隼雄氏の真剣な探求や、杏林大の医学部でも研究が行なわれているようですが、相変わらず側頭葉のシリヴィウス溝への刺激によって解き明かせるなどという医学者もいます。ただ、ヨーク大のジェームズ・アルコック博士がNHKの番組で述べたように、「これら苦しまぎれの解釈は滑稽ですらあります。ペンフィールドやエックルスのような脳生理学を極めた学者らの最終的な結論に軍配があがるのは当然の帰結です」....確かに。

臨死体験脳神経学者ペンフィールドもノーベル賞に輝く脳生理学者エックルスも、脳の徹底的研究によって、すべてを解き明かせると躍起になっていたスペシャリスト。しかし、結果として、脳は、それ以外の何かとの繋がりを果たす機能に過ぎないと結論づけました。

 

そんな世界的権威の脳生理学者らの結論を踏まえて、私たちは、上記の臨死体験者らの言葉を、「なんなんだろうなぁ...」と少しは考えてみましょう。こういう、雑音のない受け入れ態勢がないと、私たちはいろいろな真実を、「非科学」と見逃してしまうものですから.....。

心臓病の専門医セイボムいわく「科学は残念ながら一定の枠組みの中での真実に過ぎません。物事を『解釈する』ことと『うまく解釈』することは違います。新しい現象を、従来のものにあてはめたり、既存の知識の特殊な例外だと言ったりします。しかし、今までに解明された見解とは、まったく別のなにものかも知れないという、生き生きとした開かれた心の扉こそが、歴史上、人間というものを深める最大の誘因力であるのです」

 

1981年ギャロップ調査によればアメリカ成人の約800万人が臨死体験者。

★クリスマス★

クスマス雑知識です〜

フランス語では「ノエル」まず、クリスマスとは、キリスト(christ)を礼拝(mas)するという意味で、クリスマス(christmas)。ちなみにX'masは、ギリシャ語のXristosからきました...。

昨日も、会社で、「なんでイヴが24日なんだろうね!  ちょうど給料日前の金欠状態に....」「聖母マリア様があと一日頑張れば、イエスの誕生日は26日になり、イヴは25日の給料日だったのになぁ」なんて、かなり不謹慎な会話してました...。

ところが、クリスマスって、イエス様の生誕の祝いじゃないんですよね、厳密には。イエス様の誕生日の記述は、聖書にもキリスト生誕なく、ルカ福音書の研究によれば、生年がBC4年とか.....。BC?  ....紀元前? .... ビフォー・クリスト?  .....キリスト生誕以前4年って、ことは、つまり4年違ってるってことか?? ご本人のキリスト様が、キリスト生誕以前(BC)の生まれじゃ.....

 

まぁ、ともかく、この12月25日というのは、もともと太陽神崇拝のローマの祝日で、それにかぶせて設定したものらしい.....

クリスマスの街中クリスマス・カラーの第一の色は「赤」。それは、血の色なんですねー。

イエス様が私達人類のために十字架に磔にされ、手足から流した血の色です。

クリスマス・カラー、第二の色は「緑」。これは、ツリーの常緑樹の葉の色。

クリスマス・ツリー

 

しかしモミの木のツリーは、近世ドイツで始まった習慣とも言われてますが、逆にキリスト教成立以前から、民間信仰の「聖なる木」とされていたのが起源とも。

一年中、葉の色を変えない逞しい樹木ということから、「人類の永遠の望み」の意味に。


 


柊の冠リースを玄関などに飾りますよね。あれは、イエス様が十字架に架けられたときに、頭に被せられていた柊の冠。そのトゲが頭に刺さって痛い・・・あの綺麗なリースも、そんな刑罰の小道具のひとつが由縁。ん....複雑な気分。ちなみに欧州では魔除けの意味もあるそうです。

鈴の飾りなんて、よくツリーにぶら下げますよね。あれは、迷える子羊であるわれら人間が、神のもとへ戻れるようにとの鈴の音からきたもの。導きのしるし。

クリスマスの飾り ロウソクロウソクは、もともとはツリーに飾られていましたが、あれは「星への感謝」のしるし。

 

 

Saint Nicholasサンタクロースは、4世紀に実在した聖ニコラウスのオランダ語読み。裕福な大司教だったニコラウスが、貧者に施しをした事実と民間の伝承が様々に合体して形成された存在。プレゼントの習慣は本来、聖ニコラウスの日の12月6日でした。あの宗教改革のルターが、それをクリスマスに統合したんです。サンタがこっそりと贈り物を運んで来る...と。

 

 

コカ・コーラが生んだサンタ服ただし、以前サンタさんは、妖精だったり、子供だったり、服装もまちまちに描かれていました。それが、今のようなコスチュームに定着し、世界中に広まったのは、コカ・コーラ社の宣伝力なんですって!  同社のイメージカラーの赤を全面に出してのマーケット戦略。この事実、かなり、シラケます....

 

 

 

ともかく、クリスマスは「愛を与える日」として成立しているんです。だから、家族や恋人と過ごす日? いやいや、愛とは、特定の人にのみ捧げられるものじゃないですよね。利害もない他者、見も知らぬ他人へも捧げる慈他者への無償の愛愛のことです。

労わりや親切や手助け、そんな日々の心がけ。それに悦びを見出したり、その行為を尊ぶ気持ちさえあれば、すでに立派な「キリストの愛」の申し子です。洗礼を受けたり、日曜礼拝に通ったり、そんなことは関係ないのです。心の中に、他人を助けたり、他人に親切にしたり、弱い者を労わったりする優しさや、それを「美徳」だと感じる感性さえあれば、すでに、あなたはクリスマスを祝うべき尊い存在です。

イエス・キリスト

Merry Christmas !メリー・クリスマス!

 

 

本日のちょっといい話 映画の中の言葉

映画の中で、心に刻まれた良い言葉。二、三紹介します。他にも一杯あるでしょう。たまたま記録したものだけを....。


映画「ミッション」(86年・英)より。
神父が人狩りメンドゥーサ(ロバート・デ・ニーロ)に渡した書物に書いてあった言葉です。

人狩りメンドゥーサ(デ・ニーロ)「山をも動かす強い信仰があっても、愛を持たねば無である。貧しき者に持つものすべてを与え、この身が焼かれても、愛を持たねば無意味である。愛は優しく、苦しみに耐え、愛はねたみを知らず、自らを誇らず、慢心することがない。....この世に存在する偉大なるもの、それは、愛である」


映画「8月のメモワール」(94年・米)で、ベトナム戦争で心に傷を残す父親(ケビン・コスナー)が、息子に語る言葉です。

「8月のメモワール」のケビン・コスナー「父さんはこう思う。本当の安全と幸せは、愛がもたらすんだ。本当の勇気の源はそこにある。そこから、国の力が生まれ、神様が奇跡をもたらす。愛ってものがなければ、すべては無だ。戦うに値するものなどない」


連続ドラマ「シャーロック・ホームズの冒険」(84〜94年・英)で、ホームズ(ジェレミー・ブレット)が、殺人現場に臨んでの言葉。

シャーロック・ホームズ(ジェレミー・ブレット)「これは何なのだ。この暴力の循環の目的は何なのだ。それがなければ宇宙に意味はない。そこに現在、人類の最大の問題がある」


ともかく、それぞれに、さりげなく、かなり深いものが含まれていますね。だから、映画って、好きなんです。こんな深遠で奥深い言葉に、なにげに出会えるんですから....

「ミッション」のメンドゥーサへの神父のメッセージは、戒律厳守や自虐的な修行や究極の禁欲主義などの「行い」などより、「愛」というものを与えるということにこそ、信仰の真実があり、また、それがすべてなのだ、という素晴らしい言葉です。

「8月のメモワール」の父の息子への言葉。これは、国家の命題にパトリオシズムで出征した彼が、戦場の凄惨な現実を通して、平和な暮らしを確保するものは武力ではない、国力を強くするものは武力ではない、また真に戦うに値するものは、国家・国益ではない、真の勇気の源は愛であり、戦場での勇敢さとは違う、という思いを語っています。愛がすべてであり、それ以外のものは無だ、と。


また、「シャーロック・ホームズの冒険」では、極めて深い示唆が含まれています。つまり、この世(宇宙)に神が存在し、神が全能であり、神が愛をもって人々を導いているということが真実であるならば、眼前の殺人の現場は一体なんなのだ? という疑問なんですね。彼は、この世に「意味」があるという真実を信じています。その意味は「愛」であり、この世のリアリティは美しいものであると希求しています。ところが、そんな神の意思を否定するかのような悲惨な出来事が現実を蝕んでいる事実。それが、「人類最大の問題」だと思考する彼。神を人格神として定義すれば、誰もが「迷い」を感じる現実ですよね。
事件解決の沈着な観察力よりも、ふと、ホームズの宇宙観が珍しく感情を高ぶらせたワンシーンでしたね。


                                 では、サヨナラ、サヨナラ....

本日のちょっといい話 タデウス・ゴラス「なまけ者のさとり方」より

愛を広げれば....

愛に基づいて行動し、自分が気持よく、幸せに感じることをすればよいのです。 

 

 

絶対的によい行動も絶対的に悪い行動も、この世にはありません。


愛をもって行動しているかどうかだけが問題なのです。

あなたの意識が広がってゆくにつれて、人生は自ずと素晴らしいものになります。 
努力するなんていうことは、必要ないのです。
 

意識を広げてオープンになればなるほど、不愉快な出来事はあなたの意識の中に入ってこなくなるのです。  

 

 あなたが愛を広げれば広げるほど、あなたの内の存在も、まわりの存在も、大きな愛になってゆきます。

 どんなレベルにおいても、私達はお互いに影響を与えあっているバイブレーション(波動)そのものなのです。 

 幸せなメロディーを奏でれば、幸せな踊り手が集まるのです。

 

世界がどんなに見えるかは、百パーセントあなたのバイブレーション(波動)のレベルで決まっています。  あなたのバイブレーション(波動)が変わると、全世界がそれまでとは違って見えてきます。  ちょうど、あなたが幸せだと、みんながあなたに微笑みかけてくれるように感じるのと同じです。

 

 「今のあなたのままで、できる限り愛しなさい」

この文章は恐怖に駆られたり、気が狂いそうになったりした時に、ぜひ思い出して下さい。 紙に書いて自分の部屋の壁に貼っておいてもいいでしよう。 

自分の見ているものも、自分の感情も、どうしようもなくいやで、そんなことを愛するなんて、とんでもないことだと思うかもしれません。 こんなことを愛するなんて、とてもできないと感じるかもしれません。 

でも、愛すると決心しなさい。 

うそだと自分で思っても、「私はそれを愛している」 と大声で叫んでみなさい。  そして、 「それを嫌っている自分を愛している」 と言ってみなさい。

私が感じていようといまいと、

私は宇宙のすべての愛と一つである。

愛という点について、

自分の態度や行動を変えてゆけば、それですベてよいのです。

理由などいらない。 ただ、愛しなさい。

すべての意識のレベルは、今、この瞬間に、あなたに用意されています。

以上が、ゴラスの「なまけ者のさとり方」の抜粋です....
「誰からも愛される人間になりたい!」なんて、みんな思ってますよね。それが、そもそもの苦労の始まり。報われない苦労ほどツライものはないですよね。この世で私たちに求められていることは、愛されることではないのです。愛することなんです。目的違いの行為は報われっこないのですね。そんな行為には、「流れ」は味方してくれません。

そして、愛することが、どうしても出来ないと悩んでしまう人。「出来ない」自分を情けなく感じ、嫌いになってしまう人。それはそれで許容OKです。無理は無理、気にしないで、出来る範囲で「愛そうとする」だけです。なぜなら、自分を愛することも大切だからです。そこでまた、「愛するに値する自分」なんて無理難題を課しては駄目です。なぜなら無理だから、無駄です。ありのままを受け入れて、まぁ、愛するとこまで行かなくとも、可愛がりましょう。魂は永遠でも、今のあなたは、肉体と共に消え去る存在です。せめて、この時代のこのシチュエーションを楽しく生かしてやりましょう!

 

人からの愛を求める大変な労苦。自分にいろいろな難問を課して行く修行僧のような辛苦。そんなものはディレートしましょう。そんなことばかり美徳と仰いでいるから、いつまでも「一切皆苦」なんです。「一切皆空」なんです。

さっさと、思考基盤をひっくり返して、私たちがこの世で求められている道へのヘアピンカーブを曲がって、アクセル全開で突き進みましょう。その道は、直線だし、景色は素敵だし、また何より目的地に続いているんです。

映画「バルトの楽園」  貫くということ

やっと、レンタル開始であわてて、○TAYAに。

ずらっと「レンタル中」の空箱が並んでいるかと思いきや、邦画新着コーナーに一本だけ。しかもレンタルされてない。ん〜、公開前TVで盛んにCM流してたのに、このマイナー扱いはなんだ? 

ともかく借りられたのでいいか....

前に紹介した「戦場のアリア」と同じ第一次大戦が背景。日本は実は第一次大戦では戦勝国なんですね。知らない人が多い歴史。

欧州大陸で史上初の近代戦としてかなり凄惨な戦いが展開している中、日本は日英同盟を結んでいた関係で、極東のドイツの拠点・チンタオ(青島)へ派兵、ここを陥落させたんです。

「バルト」とはヒゲのこと....この映画は、チンタオで日本軍の捕虜となり、日本国内の収容所に連行されたドイツ兵らと、収容所の日本軍守備兵、地域住民との物語なんですね。大正6年(1917年)から同9年(1920年)まで徳島県鳴門市板東にあった俘虜収容所での話です。

まぁ、この年末もまたベートーヴェンの第九が演奏されるんでしょうが、これは日本だけの習慣。この映画の舞台となった板東俘虜収容所のドイツ兵らが演奏したのが日本初の第九とのことです。

俘虜収容所長時代の松江ともかく、この収容所の所長・松江豊寿大佐という人物です、すごいのは。

彼は陸軍幼年学校、陸軍士官学校を出た軍人エリートなんですが、維新のときに最後まで官軍に抵抗した会津藩士の息子でした。会津などを賊藩といって、当時の軍部では賊藩出身者を冷遇する差別があったようで、「よくて少将どまり」などと言われてました。

事実、彼も、この板東俘虜収容所の所長となるまで、歩兵第62連隊中佐だったが、旧帝国陸軍編征便覧によれば、彼は「無役の連隊付き」。つまりすでに窓際族だったんですね。

ドイツ捕虜に軍刀を振り上げる部下を叱責する指揮官そんな松江大佐、父親が維新で味わった苦い体験を聞いて育ったせいか、弱者への情けに厚い人物でした。「武士の情け」に重きを置いた男。

日韓併合のときも、彼は半島での韓国人への暴虐をよしとしなかったのか、「内地への転属」を願い出ているんですね。

ともに笑うドイツ捕虜と日本兵日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず」の精神が旺盛でした。事実、チンタオ攻略戦でも、ドイツ側による「日本軍分析」で、降参すべき状況でも戦死を選ぶ姿を奇異の目で観察されています。

余談ですが、第二次大戦で海軍兵学校出の将校だった直木賞作家・豊田穣も、撃墜されて米軍捕虜となったことで終生の心の
呵責を覚えていました。また収容所で出会った同盟国ドイツの将校らが、お気楽に捕虜生活をエンジョイしている姿に愕然としたらしいです。

そんな日本の軍人精神からすれば、チンタオで捕虜となったドイツ兵らは「腰抜け」なんですね。だから、収容所によっては虐待していました。

まぁ、これから国際社会の仲間入りを果たそうとしていた日本は、捕虜の扱いを規定したハーグ条約の遵守をもって紳士的に臨もうともしてましたから、実際とは裏腹な命令だけは出してました。

松江大佐は、徹底的にドイツ捕虜を庇護しました。彼らも国のために闘った軍人としての名誉がある、と。

幹部と衝突してまでも捕虜を庇う松江かつて大隊長時代に上官をいさめて、軍法会議にかけられた前歴のある彼には、あまり軍部も好感は持っていないし、ましてや「会津」の出とあれば、よほど慎重に立ち回らねば命取りの松江。

地域住民との交流ところが、彼は、徹底的に主義を貫きます。テニスコートやサッカー場を併設してやり、捕虜の生きがいのために、地域の住民らも交えて乳製品やパンやハムの製造を公開し、演奏会の開催、定期刊行物の出版を奨励したのです。捕虜のひとり、パウル・クライは言いました。「世界のどこに板東のような収容所があるでしょうか。そして世界のどこに松江大佐のような収容所長がいるでしょうか」と。

ドイツ兵らによる第九演奏1918年、ドイツが降伏したとき、板東の住民らは、日本全国で行なわれた戦勝祝賀の提灯行列をしなかったといいます。それは、収容所のドイツ兵らが可哀相だから....という理由。

いよいよ、ドイツ兵らが本国送還となったとき、ここ板東に収容されていたドイツ兵らは、「我々は優遇されている。従って送還は別の収容所からでいい」と申請するのですね。しかし、逆に陸軍省は「最も協力的だった板東の俘虜から帰国させたい」と感謝の意思表示。なんともいい話ですね。

岡山大の資料によると日本にとどまることを希望した兵士らの数は333人。 驚くほどに多い。

軍隊という厳格な組織にあって、しかも会津出身という不利な立場にある松江大佐が、ヒューマニズムとか「武士の情」とか、いわゆる、厳しさの対極にあるポリシーを貫くには、かなりの信念が必要だったと思います。

以前に紹介した杉原千畝もそうですが、今までに築いたものや、より賢明な選択肢とか、現実的な収入とか、そんなすべてを迷った末に捨ててかかっているんですね。

みんなが同じ選択をするし、社会的には誰も批判しない当たり前の行為。もしも、多少の良心の呵責があっても、「任務だから仕方ない。私も辛いんだ」なんて浪花節で済んじゃうんです。

でも、貫く思い切り、決心。「あいつバカだよなぁ」って誰もが言うような選択をする勇気。

頭は損得・計算ばかりをしているのに、どうして人間はそんな行動に出るんでしょうか?
市長時代

 

板東収容所閉鎖後、松江大佐は、郷里の会津若松の市長となります。これぞ本懐だったでしょう。

83歳で1956年他界。


 

 

故郷ドイツの山河美しい日本

 

 




では....

本日のちょっといい話 経済学者の語るスピリチュアル

自然災害・経済恐慌・疾病の蔓延という現象は、人間の波動の歪みがもたらしている......

ラビ・バトラ博士これは、経済学博士ラビ・バトラの話です。

その、「人間の波動の歪み」って、なんなのか? 
地上のすべての波動は、協調・融和・互助・共生という「愛」によって秩序を保っており、これらに反した人間たちの自己意識が、波動を乱し、歪みをもたらしている、ってことです。

 

そりゃ、そうでしょう。現代のほとんどの国の人たちは、競争と損得打算で日々を生き、その価値観を「神」のごとく信奉していますしね。  また、協調・融和なんて、相手が対等であり、ある意味で脅威であるときしか求めない感覚。弱者には、高圧的に接して、支配しようとする本能丸出しで臨む。

これじゃ、ラビ・バトラ博士のいう波動ってものも乱れるわけです。

波動...人間の魂がこの世にデビューする時に課題としていたのは、「愛」ですから、これを否定するような価値観に従っていれば、常に「なんか違う....」と心の深層で警告音が鳴り続ける。

だから、なんとはなしに、不機嫌な人が多い。

また、この世を「闘争の場」として見るようになってしまった人たちに、マス・メディアも、それを肯定するような情報ばかりを偏って流します。大衆迎合の視聴率主義のメディアの堕落ぶりは、悲しむべきものでありますが、それだけじゃすまない。

博士は言います。

そうした情報の氾濫に、人々の不安・恐怖・悲観は助長され、ネガティブな波動がまた流出すれば、とても危険な循環を生むと。

そして、一人でも多くの人が、ユーモアに満ちたポジティヴな日々を送って欲しい、と。

すべての波動を創生するのはこの地上では人間のみで、この個々の発する波動が、どれだけ大きな影響を世の諸相に及ぼすか、それをしっかりと認識し、意識を改めて欲しいと。

駄洒落、ギャグ、ボケ、これってかなり貴重な波動ってことか...

「笑う門には福来る」とは、深遠な言い伝えなんですね。しかも、あらゆる教えに、「愛」の実践と、「我が世を楽しむ」という二つのテーマがあるんです。あまり禁欲的にムスッとしていてもダメなんです。

波動の秩序とは...すべての人を、助けてやり、癒してやり、慰めてやり、まぁ、つまり「愛」して、そして、それぞれの日々を楽しんで生きてりゃ、それで人間は充分に「神の子」としての存在を果たせるんです。貴方の生きてる意味が成就されるんです。

案外楽しいものですよね、それって。与える、ということは、なんの苦もない。得ようとするから苦しい。そして、楽しむことの大切さ。いや、楽しまねばならない義務!!  我慢・忍耐・禁欲なんて美徳じゃない。

なんて素晴らしいこの世の実相。
ただ、そんなことが信じられない悲劇的人生を送っている人が大多数です。教え込まれた価値観や周囲の影響や間違った世界観、そんな事情からでしょう。
経済理論経済学的に見れば、富めることが目的だし、成功だし、そうでなければ失敗だし、資本・金銭の獲得競争が全ての基本理論。その目的達成、実現のためには、労働・学習・戦略というストイックな苦労が求められる....。これじゃ、あまりにつまらない世界。つまらない挙句に、すべてを失う確率も高い。

そんな経済理論にまみれているはずの博士が、説いているこの世界観。だからこそのインパクトありますよね。そう言えば、あの輪廻転生から魂の目的を熱く語っている「生きがい」シリーズの飯田史彦氏も、国立大学の経営学教授ですね。

極めれば、皆、同じことを説く。それが真実だからです。

それでも、まだ、闘いモードの人がほとんど。


ただ、このBlogを読んだという偶然(チャンス)を得た人は、今この時がターニング・ポイントですよ。しっかり、心に深く刻んで、明日からの日々を生きましょう。ガラリと世界が違って見えます、マジで。

本日のちょっといい話 「まわりなんか、ほっとけ!」の仏の智恵

「悪意ある人々のあいだで悪意なく生きることは
幸いである......

渇望する人々の中で渇望なく生きることは
幸いである......

勝利と敗北を捨てて平和に生きることは
幸いである......

涅槃に優るものなし。この上ない至福、涅槃。
涅槃は最高の至福、甘露の法雨」


NEHAN !なんとも素敵な言葉ですねー。仏教の世界観・人生観、いいですねぇ!  早い話が、周りのヤツらなんて、ほっといて、自分の信じる道をゆくことこそ、真の幸いなんだということです。

まぁ、ともかく、わたしたちは、「世間並みに」とか「協調融和の精神」とか「遅れをとるな」とか、とかく周囲の歩調に合わせることを幼少期より教え込まれてきましたよね。

これが、手枷足枷なんです。

真の道を見定めることは、それほどに全人類的には広まってはいません。大多数はまだ、競争・闘争の末の勝ち負けで人生の意味を計っている人ばかりです。(それは日々分かりますよね)

つまり、キング牧師の言葉「われわれは成功を給料の額や車の大きさで判断しがちだが、本当は人類に対してどんな奉仕ができたか、どんな関わりを持てたかで判断すべきなのである」です。

しかし、なかなか、分かっていても、日々、逆の刺激があまりに多い。

負けそうになります。流されそうになります。

だから、ある程度の信念がないと、価値観を同化させてしまうわけです。

ただ、真実は所詮、ひとつしかない。信念の強さよりも、まずはそのことを心に刻みましょう。それでいいんです。

悪意も、渇望も、勝ち負け意識も、人間には標準装備のソフトです。永遠にアンインストールできないファイルです。

そんなものと闘っても、無理無理! 

スルーですね。そして、先へ進む。だから、悪意・渇望・闘争の渦巻く中で、批判もなく、軽蔑もなく、怒りもなく、平和でいられるんです。

しなやかに行きましょう。それこそ甘露の法雨、です。

「甘露の法雨」は「口に甘く心に潤いと安らぎを与えるお釈迦様の教え」の意で、「生長の家」を意図するものじゃないです....

本日のちょっといい話 ジェラルド・G・ジャンポルスキー

......私たちの思考、発言、行動はブーメランのようになっていて、批判、激怒、攻撃的精神という形で判断を下すと、それらは、恐ろしい勢いで、私たちのもとへ返ってきます。


しかしこのことは、批判するのをやめ、愛のみを送り出すと、それもまた私たちのもとに戻ってくるということを意味します。


......「私は今日、起こる出来事のすべてを批判的には見ないことにしよう。すべての出来事は怖れではなく、愛を実感できるひとつの機会なのだから」


これらは、精神医学者ジェラルド・G・ジャポルスキーがその著書「愛と怖れ」の中で語っているものです。粗い想念の波動を発信すると、同様の波動が返ってくる、ということは科学者がフィードバック現象などといって語っていることであるし、すべての出来事には愛を学ぶという意味があるというのは心理学者らが繰り返し語っていることですね。


ともかく、様々な人が同じメッセージを私たちに向けています。

専門分野が違う人たちが、それぞれの研究の究極の結論で、同じようなことを語っている不思議。今では、わが国の宇宙物理学者や生物学者や経済学者なども、同じメッセージを伝えようとしています。

こんな「異口同音」、他に例はないですよ。
      .....今夜はここまで。もう寝ます〜

本日のちょっといい話─POP心理学

プロセス指向心理学というものがあります。POP(Process Oriented Psychology)心理学とも言われています。

まぁ、ともかく、聞いて下さい。

アーノルド・ミンデル博士この心理学の提唱者はアーノルド・ミンデル。あの超天才集団といわれるマサチューセッツ工科大の大学院で物理学修士となっている人物なんですね。バリバリの科学者ってわけです。

それがナンで、心理学?  ミンデル氏の詳細なプロフィールを読んだことはないので分かりませんが、ともかく、彼はスイスでユング研究所に学び、心理学博士となるのです。

多くの科学者がこういう方向転換(究極的にはひとつの絶対真理への同じ路線)している例は事欠かないので、私としてはあまり驚かないです。

ともかく、このPOP心理学、どんな基本的な思考を前提としているかと言うと、以下の通りとなるんですね。

この人生には、人智・人為を超えた大きな力が働いており、すべての出来事に偶然はなく、人間の真の目的へのサポートとしての意味がある。プロセスとは、そんな「その人の人生の流れ」の意味であり、その流れは私たちに必要なものすべてを運んできてくれている。その「運んできたもの」の意味をしっかりつかみ、「自覚的」に生きて、身を委ねると、とても大切なメッセージに気付き、生きることの意味を知ることができる。

これには、但し書きがあり、運んでくるもの(出来事・出会い・体験・思考)に気付いたら、それらのものを「楽しみながら」受け入れるということです。

まぁ、楽しい出来事ばかりじゃないでしょうから、少なくとも「否定的」「悲観的」にならずに.....くらいに解釈しましょう。

ともかく、まぁ、ここにも、登場するのが、「宇宙というシステム」ですね。天文学としての宇宙じゃないですよ、当然。この世の森羅万象を司る絶対不変の秩序みたいなものです。人格化して理解しやすくしたものが、人類最大の発明とも言われる「神」でしょうね。

スーパー・コンシャスとか宇宙の魂とか「神」と言われるこのシステムは、誰もが絶対的に支配される秩序なんですが、気付かない、無視する、疑う、否定する、そんな選択が自由でもあるのですね。

つまり、気付いて、信じて、行為として実行するという過程が必要な流れなんです。

ミンデルが心理学者へ転向したのは、タオイズム(宇宙の道)に心酔したからですから、POP心理学の概念は大いに理解できます。

難しい話を抜きにして、簡潔明瞭にキーワードを示せば、「愛と慈悲」です。人間という器は、打算・利害計算・自己欺瞞・利己心という欲求の塊なんですね。(それはすべての人がすでにご存知ですよね) そんな状態の中で、それらの逆作用(古来よりサタン・悪魔とか言われるものがこれです)を乗り越えて、見返りを求めない愛と許すという慈悲という理念・行為を選び、そこに自らの目的、価値、幸福を見出すというプロセスが、なんであれ、求められているんです。

以上のことの目的達成のためのサポートが「出来事」なんです。だから、それらすべては、迷いを解決するヒントとして嬉しい事象、ムカつくとか、アンラッキー!  とか、シリアスなら「なんで私だけ...」「この不幸の連鎖は...」「生きてる価値なし!」なんてとらえ方は、あまりに悲しいし、無意味だし、ある意味で罪深いということです。

「自分が何かを得よう」とか「自分が幸せでありますように」とか「自分が他より恵まれますように」なんていう日々のエゴイズムは、かなりしつこい思考作用ですが、これに従っている生き方(それを選択するのも自由ですが...)は、それらの欲求すべてを失わせるという皮肉な結果が見え見えです。

闘い、苦しみ、そして、無です。

既成概念、つまり、人間が本来的に標準装備している弱肉強食の観念や幼少期より吹き込まれた勝ち負けの論理とか、メディアが刷り込む資本主義的価値の諸情報、そんな「迷いの根源」に惑わされているほど人生は長くない。(まぁ、来世までのスパンで考えれば、のんびり学ぶコースもありかな...)

POP心理学は、そんな迷いに、心理学としてのアプローチを行なっているものです。

......あるいじめによる自殺をしてしまった女子高生が、「一番大切なのは『優しい心』。それを持ち合わせていないあの人たちが一番可哀相」と言い遺して逝ってしまいました。

「一番大切なのが優しい心」という愛、「それを知らない人たちが可哀相」という慈悲。素晴らしい次元に彼女の魂は到達していたんですね。

こんな崇高な魂が、この世に何かを及ぼすために飛来したという事実を信じるまでです。加害者に該当する人たちは、この出来事により、多くのことを学んだことでしょう。そしてまた、長いプロセスを経て、遺族の方々も、何かを「得て」いくんでしょう。悲しみ、憎しみ、無念、後悔、衝撃、それらを超絶するそれぞれのステージに、それぞれの意味。

POP心理学の説く「この世の真理」には、負けはあり得ないのです。

あるわけがない。




 

livedoor プロフィール

pape2005

Profile
大昔、暴れん坊の悪ガキ。少し昔、おごりたかぶる勝ち組ビジネスマン。そして今、「見ろよ、青い空〜白い雲〜」の歌の境地。
皆さんの日々に、活用できる情報の発信媒体が、このBlogの主旨です。日記じゃないので、過去記事もめくって下さい!
papeは、我が家の雑種犬の名前です。(フランス語で「法王」ですが...許し給え、アーメン)
FP2級技能士だったり、メンタルケア心理士だったり、フランス歴史オタクだったりですが、スピリチュアル系記事多いです。
■■■■■■■■■■■■■■
★★★★★★★
最新コメントの管理は徹底していますので、過去記事にも、遠慮なく一言どうぞ〜!


Archives
  • ライブドアブログ