青い空に白い雲

このブログ、新しい記事ばかりでなく、カテゴリ別に適当に拾って読んで下されば幸いです。日記じゃないので....

2010年03月

本日のちょっといい話 179 エゴの機能停止

イメージ2「エゴは『分離』を目標として選択したがり、『分離』という偽りのリアリティを強化しようとします。

『互いの相違に目を向けなさい』とエゴはけしかけます。『疎外感』を拡大しようと『世界も、世界にあるものも、生命の根源も信頼できないぞ』とエゴは言います。

あらゆる人間関係は『潜在的危険をはらんでいる』というわけです。

『警戒せよ』『敵意をもて』『疑え』『信じるな』『防衛せよ』『挑戦的であれ』『攻撃せよ』と注意を促すのが、自分の役目だとエゴは信じています。とりわけ、エゴが望んでいるのは、いつでも私たちがエゴを守り、『エゴは正しい』と立証することです。

私たちはまったく意識しないで、このエゴの求めている目標をついつい実行していることがよくあります」

                  ジャンポルスキー、シリンシォーネ「やすらぎ療法」より


そうなんですね、これは本当にやっかいな問題なのですが、私たちは、人生を生きるにあたっての苦悩の元凶でもある「エゴ」というものに、すっかり憑依された状態なのです。

人間の基本機能として準正装備されている「思考回路」でしょう。でも、それが、あらゆる苦しみを引き寄せる回路でもあるわけです。

イメージ3本来は、自分中心で物事を判断し、自分を傷つけないように守る防衛システムで、良いも悪いも、自分だけは救うための個別シェルターのような存在なのに、なんと、あらゆる苦しみを引き寄せてしまうという本末転倒な機能。

しかも、この「エゴ」は、まるで心の中に巣食った独立的な存在で、あらゆる手を使って、自分の有効性や価値や正しさを認識させようと懸命に働いているのです。意思をもったスーパーコンピュータさながらですね。

2001年宇宙の旅人間をだまし、そそのかしつつ自己防衛した映画「2001年宇宙の旅」に出てくる人工知能コンピュータ「HAL」のようなものです。

準正システムとして生まれながらに内臓されているから、私たちは疑いもなくこの回路の指示に従っていて、なかなか疑問というものを抱かない。それどころか、この「HAL」を、自分自身であり、分離不可能なものと思い込んでしまっているのです。

人工頭脳HAL9000だから、「HAL」の異常な意思に気づいて、その「思考部」を破壊したボーマン船長よりも、私たちは不利なのです。異常も何も、自分自身の思考であると勘違いしているのですから。

それにもしも、私たちがスーパーコンピュータ「エゴ」の異常思考に疑問をもったとしても、エゴは巧妙に抵抗します。「そんなバカな思い込みは捨てろ」「世の中は危険ばかり、そんなことは毎日のニュースでも分かり切ったことじゃないか」とか畳み掛けてきます。

これが、また、ものすごい抵抗力なんです。そして、次々と根拠を提示します。過去の苦い思い出やショッキングな出来事を。

頭脳それらの苦々しい過去データばかりをチョイスして、集積しているコレクターである「エゴ」にはかないません。美しい想い出や癒された出来事なんてものは、次々と消去してしまっているのですから。

ともかく、私たちは、この存在に対しては、自分とは別の「存在」であることを認識して、常に、その声に疑問を向け、検証する習慣をもつことです。本当の自分は、いつも前面に出てきて声を大にして意見を主張していた「エゴ」の後ろに、もうひとつ、ちゃんと生まれながらに内在していた「真我」なのですから。

これらのことに気づいた以上は、エゴとの直結を断ち切れます。

そして、「真我」というまったく違うシステムへのアクセスが可能になります。

そこに、人生の本当の意味が、まるで霧の向こうに広がった桃源郷のように私たちの目を劇的に見開きます。inner voice

本日のちょっといい話 178 ウディ・アレンから一言

86年、アメリカ映画「ハンナとその姉妹」(ウディ・アレン監督・脚本)ハンナとその姉妹の中で、自殺未遂体験を恋人に語るTVマンのミッキー(ウディ自身が演じる)のシーンがあります。

彼は病気恐怖症で、絶望のあまり、テレビ局を休職し、あらゆる宗教書を読んで死の恐怖を克服しようとするが駄目で、ライフル銃で頭を撃ち抜いて死のうと決意した....

「神はいないと思い、生きていたくなかった。そしてライフル銃に弾を入れて額に銃口をあてたんだ。

死のうとしたわけだが、待てよ、もし神が本当にいたとしたら? と考えた。


確かなことは誰も知らない。存在しないという証拠もない。でも不確実は困る。

時計の音だけが妙に耳についた。

allen撃つか撃つまいか迷い悩んだ。あまりにも緊張したおかげで、指がすべってライフル銃が暴発した。しかし銃口は、汗びっしょりだった額からすべって、おかげで僕は頭を撃ち抜かずにすんだ。

しかし、近所の人たちは大騒ぎで、僕の家のドアを叩いて大騒動さ。

僕は取り乱していたから、外の空気を吸って正気に返ろうと出掛けることにした。

まるで夢の中の出来事のようだった。そしてかなり僕は歩いたのだろう、気付くともうこれ以上は歩けないほど足が疲れていた。そこで、僕は座りたくなって、ある映画館の中に入っていった。

理性をなんとか取り戻したかった。

そこの映画館では、子供の頃から何度も見ては楽しんでいた作品がやっていた。僕はそれに見入り、その世界に入り込んでいったんだ。

そして思ったよ。

allen2
 
なんで自殺なんか考えたんだろうか、って。愚かなことだ。映画のスクリーンの中の連中を見ろ。本当に滑稽で、何の悩みもない。

神なんていなくても、人は生きて死ぬだけだ。人生を楽しもう。何も深刻に考えることなんか要らない。だから、暗い人生を選択することはやめにして、ないものねだりの答えも求めないで、命の続く限り、楽しめばいいんだ。

その後のことは誰も知っちゃいない。

あやふやなことで悩まなくていい。今こそが大切なんだ。

そんなことを考えたら、ホッとして、僕は、ただ映画を楽しんだよ」イメージ

本日のちょっといい話 177 アクセル・オフ

きたやま おさむ著「みんなの精神科」から

たとえば高速道路で脱落していった車を見て、「あの車は走るのを拒否した」と言うでしょうか。それは逸れていっただけのことでしょう。
学校という道筋をみんなが80キロで走っているとして、気がつけば60キロで走ったり、10キロ走って休んだりする人もいるのは当然ですし、それは、単に、ついて行かなくなっただけのことなのです。

また、一般に高校へ進むのが当然のように思われていますが、働いてミュージシャンになろうとする人は、違う道を歩き始めただけのことです。

Haightway競争原理のない社会はあり得ないと、僕は思っています。だからこそ、みんな80キロで一生懸命走るのですが、たいていの人は目の前にあるものを信じて80キロで走っているだけで、競争原理を批判して制限速度を変えようとか、違う道を作ろうとか、道幅を拡げようと思える人はそんなに多くはないのです。

(こういう人たちは)高速道路的人生を外から眺め、批判し、変えていく力をもっています。だからこそ、彼らはこの社会からドロップアウトするだけでなく、何らかの形でドロップインしてもらわなければいけません。

イメージ彼らがインしても高速道路の構造自体は簡単には変わらないのですが、道幅が広くなったり、別の橋が架かったりすることもあるのです。何よりも、高速道路を走るだけが人生ではないし、高速に乗らなくても優れた人間がたくさんいることを、私たちに教えてくれるのが彼らであると、僕は期待しています。



この、きたやま おさむ(北山修)氏は、精神分析学者・医学博士、現在は九大大学院の教授ですが、かつて、70年代前後のフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーで、「戦争を知らない子供たち」「あの素晴しい愛をもう一度」の作詞家でもあります。



ともかく、この80キロの高速道路というものは、トップ集団を走ることだけを目的にする人もおりますが、段々と、小さな脱落をしつつも、せめて走行車線をみんなと一緒ていどのスピードで走ることで「安心」している人たちで、世の中が形成されています。

中には、トップ集団からの脱落で、早くもリタイヤしてしまう人もいますが、そういう人もなんとか心の故障を修理し、考え方を修正して、また走行車線に復帰したりしますね。

でも、ふと、考えたりします。「この高速道路、行き先は、自分の望んでいる場所なの?」って。

haihtway2走り始めは、確かに、まだあまり考えもしていない頃だったから、ともかく、合流車線から高速へ入って行きました。そして、走りながら、色々と考えます。その間も、抜いたり抜かれたりしながら、運転のテクニックを磨いたりはしていましたが、「そもそも、この高速道路って、なんなんだよ?」って、ことを考えるようになります。

でも、道端には「少しでも速く走るテクニック」とか「スピードの出るオイルいかがですか?」とかの看板が次々と現れてきます。

そして、親も、話すことと言えば、いかに自分が速く完走したかとか、運転を教えてくれた教官も、自分の教えたテクニックでいかに速く走れるかを熱く語るだけ。先輩も友達も、高速道路での抜いた抜かれたの武勇伝や教訓を話すだけ。

少しくらい考えても、答えは出てこないし、提供される情報はすべて「いかに速く走るか」だけだし、ともかく、周りの人たち同様の価値観で、この道を走っていくしかないなぁ....

成功という道標これが人生です。つべこべ言いつつも、とりあえずで走り続ける。そこに、少し理屈が欲しい人は、物質的な必要や「サクセスストーリー」のロマンスを求めたりします。

でも、前の車のテールランプや、後続車が映るバックミラーから目をそらして、リアウインドウから少しでいいから横を見てください。

一時間ほど前に、あなたを猛スピードで抜いていったあのスポーツカーが、左の車線をのんびりと景色を楽しみながら走っていたり、スタートする時にはチューニング完璧のレーシングカーだった車が、高速道路の下、一般道をあちらこちらで休憩しながらトロトロ走っています。

そんな彼らに、何か、感じませんか? 少なくとも、フルアクセルで目を血走らせて追越車線に出ようとしている人たちよりも、ずっとずっと、彼らの話ってものを聞いてみたいと思いますよね。

少しアクセルオフそして、ちょっだけ、踏み込んでいたアクセルをオフにする....

そんな小さな行為、本来なら、「いかにエンジンを全開にするか」ばかりをモットーにしてきた自分としても「いいのかなぁ...」と戸惑うような小さな行為、それをやってしまった時。

リタイヤ、脱落、敗北を意味していたものが、実は、別の選択肢であったことを知る時、なのですね。

そして、また、そのことが正しかったと実感したら、高速道路の左の車線に戻って、走り去る車たちへ、メッセージを送ってやりましょう。

意味も分からずスタートをきったまま考えることもなく、命がけで走り続けている仲間たちなのですから。

本日のちょっといい話 176 忘れていた使命感 〜愛〜

飯田史彦著「愛の論理」より

まず、先天的なものとは、私たちが人間として生まれてくる前から持っている、「愛したい、愛すべきである、という本能的な使命感」のことをいいます。

2089116062_3968ef3a11_oそれは、人間という生命の誰もが本来持って生まれてくる基本的な欲求であり、宇宙(あるいは神のような存在や法則)が人間に対して平等に与えてくれる、「人生の試練を乗り越えるための貴重な道具」であると同時に、「人生の採点基準となる修行課題」でもあります。

誰もが、心の奥に、このような使命感を持って生まれてきますが、物質世界・人間社会での人生経験を積み重ねるにしたがって、しだいに忘れてしまったり、思い出すことを恐れたり、否定してしまったりすることが少なくありません。

したがって、私たちは、定期的に、何らかの方法で、この本能的な「愛の使命感」を思い出し、再確認しながら生きていく必要があるのです。baby war

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pape2005

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大昔、暴れん坊の悪ガキ。少し昔、おごりたかぶる勝ち組ビジネスマン。そして今、「見ろよ、青い空〜白い雲〜」の歌の境地。
皆さんの日々に、活用できる情報の発信媒体が、このBlogの主旨です。日記じゃないので、過去記事もめくって下さい!
papeは、我が家の雑種犬の名前です。(フランス語で「法王」ですが...許し給え、アーメン)
FP2級技能士だったり、メンタルケア心理士だったり、フランス歴史オタクだったりですが、スピリチュアル系記事多いです。
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