青い空に白い雲

このブログ、新しい記事ばかりでなく、カテゴリ別に適当に拾って読んで下されば幸いです。日記じゃないので....

2010年08月

本日のちょっといい話 201  「人生の転機」より

人生の転機

 

 

キャロル・アドエンヌ「人生の転機」より、好きな言葉を本日は。


 

個性化とは、人生に変化を起こすための最大の精神的原動力のひとつなのです。
この個性化を押しとどめようとするものは、あなたを常に目立たない安全な場所に置いておこうとする次のような断定的な言葉です。
「私の問題点は自分から動こうとしないことです」
「私は迷っているんです」
「人生の目的が何かわかりません」
「自分を型にはめこもうとするのに、もうあきあきしているのですが、他に何をしたら良いのかわかりません」
これらの言葉はすべて失敗に対する恐怖を言い換えたものです。
このように未知の世界を恐れていることを無意識に伝えてしまうのは、自分にはこれから起きる未知の事態に対する能力がないと考えているからです。
しかし、個人の成長をおしとどめることは出来ません。


イメージ画新しい状況に置かれたとき、重視しなくてはいけないものは、判断することではなく、識別することです。人は理由があって現在の環境に置かれています。だから、他の人の生き方を変える責任はあなたにはありません。他人の問題に手を出して、それに巻き込まれてしまうのは良くありません。


自分が望んでいる変化を創り出そうとする際、最大の障害となるものは何でしょう?
それは、 失敗を避け、 時間を無駄にせず、 恐怖や不安を抱かず、 他人に悪く見られないようにするため、変化を起こす前に確実な結果が出るようにしておきたいと思うことです。
ほとんどの人が計画に沿って行動しなくてはいけないと思い込み、計画を論理的でコントロール可能なものにする必要があると考えています。このように自分の予想外の出来事をあらかじめ排除しておきたいという欲望は、エゴから生まれてくるものです。


リスクはあります。でも生きていることそれがリスクなのです。より崇高な人生を求めるには、リスクもそれだけ高くなるでしょう。あなたは危険な道を歩いています。でも、忘れてはいけないのは、人生で唯一の誤りとは、恐怖でその場に座り込んでしまうことです。変えたいことがあるのに、失敗したらどうしようと不安になってしまうこと.....それが唯一の誤りなのです。

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本日のちょっといい話 200 自分の人生での一番大切なものを知ろう

これは、成功者の心理形成と神経言語プログラミングの第一人者ポール・マッケンナの著書の中にある「この世で一番大切なこと」という章の抜粋です。

イメージ私はこれまで、人生の終盤に差し掛かった人を大勢カウンセリングしてきた。彼らに、若いときにもっとしておけばよかったことや、しなければよかったと思うことを挙げてもらうと、もう一台ベンツがほしかった」といった類の答えをする人は一人としていなかった。答えはたとえば、「もっと笑って、もっと人を愛せばよかった」「心配ばかりするんじゃなかった」などというものだ。

.....物質的に豊かに生きる機会は巷にあふれている。しかし、成功のシンボルを手にするだけでは幸せにはなれない。目標だけでなく、同時に自分の価値観と人生の目的に集中すれば、人生の全体像はおのずと見えてくるはずだ。



......そして、ジム・レーヤー博士の著書から、自分の人生の核をなす価値観、つまり自分にとって一番大切なことがわかってくる、という四つの質問をします。

一. 人生の最終章へ飛んでください。生涯で学んだ最も大切な教訓を3つ挙げるとしたら何でしょうか。どうしてその三つはそれほど重要なのでしょうか。

二. 心から尊敬する人のことを考えてください。その人について、あなたが最も素晴らしいと思う資質を3つ挙げてください。

三. 一番素晴らしいときのあなたは、どんな人ですか。

四. 生前の自分を最もよく表す一文を墓石に彫るとしたら、どんな内容にしますか。


以上の質問への答えの中から大切な順に5つ選んで見よう。それなしではとうてい生きて行けないと思うものを選ぶようにしてほしい。その5つが、皆さんの人生に意義を与えるもののエッセンス、人生で一番大切なものだ。

  毎日ひたすら、これらの価値観に照らして生きて行けば、
           人生は想像もつかぬほど充実感に満ちたものになる!

さて、自分の人生で最も大切なものが自覚できたでしょうか?

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本日のちょっといい話 199 幼児教育とACとスピリチュアル

条件付きの愛、これはよく親が子供を躾けるときに使う方法ですね。
子供は生まれると、まずは、ともかく、親という存在に絶対服従です。そりゃそうです。生きて行けないですからね。

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その絶対性を親は「教育」に利用するのです。親の愛がなければ生きて行けないという基本的な子供の欲求に対して、○○したら可愛がってあげる... ○○したら愛してあげる...とかね。それはつまり、飴と鞭の原則で、悪いことをしたら徹底的に叱る。そして、良いことをしたら褒めて可愛がるという接し方です。

生の欲求と同程度の強い「親からの愛」を求める幼児心理は、当然のこと、この「条件付き」の愛に翻弄されてしまいますね。恐怖ですから、愛の停滞は。

こうして、基本的信頼・自立性・主体性という人格形成に大きな障害を与えて育てることが、「教育」「躾け」であると思い込まれていたのですね。でもまぁ、基本的に子への無条件の愛をもっている多くの親たちは、それでも、事毎に愛を注いでいるから、それほど問題にもならない。ただ、あまりに、そういう「教育」「躾け」に熱心で、本来もっている無条件の子への愛を押し殺してまでも、徹底教育をストイックに続けた親は、自分が信じた結果とは大違いな状況に接するハメになり、戸惑い、嘆いたことでしょう。

イメージあれこれと、マニュアル化された教育論や子育て論なんてものが必要ならば、それがなかった長い人類の歴史は、とんでもない闇の時代になっていたはずです。偉人や賢人なんて歴史は輩出しなかったはずです。

精神医療や心理学の分野はともかく暗中模索の状況だから、その過程で、商業ベースにのった「〇〇論」とかを実生活で活用することは、かなりリスクがあると言わざるを得ません。

また、最近の若者が、「生きている意味がわかない」とか「存在価値があるのか?」とか、まるで、昔の東京帝大の哲学科の学生みたいな悩みをうったえるこど多いのも気になります。

カントやらキルケゴールやらの出番ではなく、実存主義を学んだところでどうにもならない悩みなのですね。つまりそれは、自分の存在に対する否定的な強い感情から派生していることで、疑問や思索という優雅なレベルではないのです。

こういう場合も、大抵は、幼児期の親の愛、というところに不全が潜んでいるケースが多いのですね。

つまり、虐待体験を筆頭に、あまりに厳格な親であったり、懲罰的な躾けをする親だったり、そういう環境で幼児期を生きた体験をもっている場合が多いのです。

先述したように、幼児は、親からの愛を、植物にとっての太陽の光みたいに「生」の次元で必要としています。その愛が、教育とか躾けとかの名のもとに注がれない環境にあると、幼児心理はどう働くかといえば、自己否定なのですね。つまり、「自分は生まれてはいけない存在だから愛されない」「意味のない存在だから愛されない」と。

イメージその精神的外傷は、成長して、いろいろな理性的な判断能力が身についてからも、心の奥底に潜在してしまうわけです。つまり、アダルト・チルドレン(AC)という症状ですね。

成長して、親を客観的に評価して、「人格破綻者だな、わが親は...」とか「ちょっとひど過ぎる。親の身勝手」とか批判できるようになってからも、このアダルト・チルドレンは、幼児期の思い込みをいだいたまま、じゅくじゅくと傷口を開いたままでいるんですね。

抑圧した潜在意識。これは、意識の上に顕在化しないから、まったく無意識に、まるで「性格の一部」みたいな感じでその人の心理に入り込んでいるのです。インストールされた変換ソフト、しかも自動起動するので、ごく自然にその影響下で生きてしまうんです。

ともかく自分に対して価値を感じない、自分が好きになれない、可哀相なことに、そんな自分に対して攻撃的・自虐的にすらなってしまったりするんですね。(自傷行為・リストカットなど)

だから、「生きている意味がわかない」とか「存在価値があるのか?」と感じる。それは哲学的な悩みではなく、すでに否定的な自己イメージから来ている結論なんです。「意味がない自分」「価値のない存在」と。

この自動起動のソフトをアンインストするには、まずは、アダルト・チルドレンを自覚することです。傷ついたままのインナー・チャイルドを意識下に置くことです。そして、癒してあげる。大人である自分が親代わりとなり、再成長させてあげるわけです。

ここでまた問題があります。大人である自分に、「生きている意味」や「存在価値の自覚」というものがあるか否かです。これは、哲学的な命題の解決がなされているか、という次元の話です。

多くの人が、ない。だから、幼児心理の「意味なし」とか「価値なし」の否定的イメージを、払拭するにも、今度は哲学的な意味で、他の肯定的イメージで代替えできないのですね。悩みが、ある意味で同化してしまうのです。

イメージだからこそ、生きていく意味や価値、そして生きている使命というものを、スピリチュアルに知っておかないと、ACを癒すことも難しい。

とりあえず「まぁ、なんとかなる」程度の開き直りは、大人としては持っているので、その精神で「中和」しておくしかないでしょう。

なんであれ、人間は、そんな環境の「犠牲者」であっても、そこからの解放の過程で大いなる学びや覚醒をなし遂げて成長するようになっているのだから、「犠牲者」ではなく、与えられた必要な人生のプログラムとして消化(心理学的には「昇華」)して行くだけです。

追記・2007/8/18の記事(機関銃手の「思い出」)で戦争中の貴重な体験と写真を提供して下さった伯父さんS氏が、本日の終戦記念日を前に、8/10早朝に亡くなられました。ご冥福をお祈りします。ありがとうございました。今回の人生、お疲れ様でした....

本日のちょっといい話 198 やすらぎへの道

「選ぶのは自分だ」ということを忘れずにいるのは、努力のいることです。いったん身につけた教育や価値観を捨て去るための、心のトレーニングには、修練と気構えがなくてはなりません。人生のすべては、私たちがどんな考え方を選択するのか、または自分の価値観を変える気があるのかどうかにかかっています。

Healing 私たちは、愛の地図を選ぶ自由があり、「人間のアイデンティティは、身体だけではなく霊的なものにあるのだ」と信じて、ついには実感する自由も確かにあるのです。エゴという限界のある信念システムを退け、「私たちは愛であり、愛こそが人間の本質である」という信念を選ぶことができます。

 私たちの真実のふるさとは神の心にあり、見かけはどうであれ、現実には、私たちは、このふるさとを離れたことなどなかったという信念を選べるのです。

 人生の旅の道案内に、どちらの地図を使うか、その選択は私たち一人ひとりにまかされています。

 誰も私たちの代わりに選ぶことはできないのです。私たちは愛を選ぶのでしょうか? それとも恐れを選ぶのでしょうか?


今日、一本の雑草を見た。
   そこには 完璧な花の
     威厳と美しさがあった


 こんな言い方をしてもいいだろうか?
   「人生は、自分がそれをどう受け止めるか
     その選び方に すべてがかかっているのだ」と。

                      Gerald G.Janpolsky "Out of Darkness into The Light"

livedoor プロフィール

pape2005

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大昔、暴れん坊の悪ガキ。少し昔、おごりたかぶる勝ち組ビジネスマン。そして今、「見ろよ、青い空〜白い雲〜」の歌の境地。
皆さんの日々に、活用できる情報の発信媒体が、このBlogの主旨です。日記じゃないので、過去記事もめくって下さい!
papeは、我が家の雑種犬の名前です。(フランス語で「法王」ですが...許し給え、アーメン)
FP2級技能士だったり、メンタルケア心理士だったり、フランス歴史オタクだったりですが、スピリチュアル系記事多いです。
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