泉谷閑示氏という精神科医が、その著書やネット配信の記事等で、うつ・適応障害について、実に的確なお話しを書いていますので、少し紹介したいと思います。

ハイ、お薬どうぞ

 

かねがね、精神疾患で医者へ行っても、結局、ろくに話も聞かないで、抗うつ剤・安定剤・眠剤の3点セットを処方されお仕舞。効かないとうったえれば増量、それでも効かないと泣きつけば薬を変える。そんな対応しかされずに、まるで単なる薬物処方師であるという実態を数多く聞きます。そんな中、このような的確な洞察と深い理解度の医師がいるという事実には、なんともうれしい安堵感を覚えます。

この泉谷氏の主張の根本には、心と身体の連携に、頭というコントローラーが強権発動的にいろいろな指令を下して無理矢理な統制を行うことで、心がデモンストレーションを起こし、身体と連携、身体症状として発現するのが病気である、という図式があります。

imagesCA4SVDYB仮面うつ、なんてうつが背景にある身体症状などはその定型。そもそも日本社会で千客万来状態の心療内科は、これらの人びとを診る医療機関なわけだから、結局は、不定愁訴や適応障害で、社会生活への適応に支障をきたしてしまった人たちは、この頭と心・身体の図式に当てはまると思います。

「努力」という二文字を礼賛するあまり、頭による統制力を強化してきた人ほど、精神疾患になりやすい、という現象もこれで説明がつきます。(今でも「うつ」とかを精神力の弱い人が罹る病気だとか信じている人も多いようですが、その真逆ですから)

また、心が奥深い洞察と神秘的なパワーに満ち溢れた高度な存在imagesCA3GKBL9であるにもかかわらず、頭は、それが理解できないで、「いやだ」という心の反応に対して、かなり攻撃的な姿勢をとるわけです。つまり、「甘い!」と一喝するような単純反応。このもまた、所詮、人間の脳などが感知できる領域を超えた心の動きを「悪」と決めつけたような動きです。

実は、心は、私たちの存在の「本質」からの声をキャッチした即応的な機能があり、そこには、私たちの自然(健康)な在り方のシグナルの役割があります。「いやだ」と感じたときには、「怠惰」という単純な意味合いでなく、もっと本質的なメッセージが含まれているわけです。

それを、ただ「悪」と見なして、コントロール機能を強化して黙らせようとするのが「頭」の思考回路なんですね。徹底された性悪論者みたいなものです。

今、ご存じの通り、社会の環境はどこも末期的なほどに疲弊しています。組織など特に、玉砕大好きの旧日本軍みたいな精神論が支配的です。

でも頭は、「社会への適応」こそが正しいことであると、盲信している機能なので、環境がどんなに劣悪であっても、そこへの適応をやみくもに要求してしまうんですね。

歴史的には、だからこそ、ヒトラーの独裁政権下でも、ユダヤ虐殺などの非道な行為であるにもかかわらず、多くの人々が忠実に実行してしまったわけです。

真面目な人たちには、「適応」こそがその使命なので、向かうところがなんであれ、人間存在としての是非など問わず、「適応」することのみに美徳を見出す危険すらあります。

適応者は実は「過剰適応」の状態であり、むしろ「麻痺者」であるかも知れないと、氏は言います。確かに、死んだような目をして会社で働く人たちには、そんな気配もあります。やたらと怒鳴っている人々とただ倒れて行く人々。すでに精神疾患発症での労災請求は、心疾患や脳卒中とかの労災請求件数を上回り、パワハラ要因の労災がクローズアップされ、深刻な社会現象になっているのを見ても、やる側・やられる側ともに、すでに「病んでいる」ことは間違いない。

ともかく、今は、心・身体のことをいくら問い詰めて、鍛えてみても、ダメージを受けている部分に再びメスを入れるようなものになるだけ。むしろ、指令を出している「頭」について、もう少し考えるべきだという論旨が泉谷氏にはあります。

でも、それでは、社会への適応というもの自体の否定、社会の否定、天に唾するだけの帰結が待ってはいないか? となりますよね、当然。

imagesCAXFT5VDしかし、人間には、自然な適応力というものがあるのです。泉谷氏はこれを「他力」と表現しています。「自然にわきおこる意欲」ですね。それが本来の「適応」の在り方なのだと。今までは、頭による理想論的な適応に支配されてきたわけで、それに対するデモンストレーションで心が身体症状をともなって抵抗したわけです。

だから、体が鉛のようになって「動けない」(鉛様麻痺)ということを、「動かない」に切り替えていくんですね。心にコントロール権を移譲するわけです。

ここで、まだ、薬物治療をしながら、「治すんだ、早く社会復帰せねば!」なんて方向違いの意欲を出すと、結局は、薬物効果による一時的な症状寛解によって、再び社会に戻り、過剰適応の末に、再度のダウン(再発)への道を繰り返すだけだと。

だから氏は、うつなどの疾患は、「元に戻るのではなく、生まれ直す」形でないと、再発との闘いになるばかりだと指摘します。(うつ再発率は初回は50%、二回目以降は75%)

生まれ直す、というのは、長く頭による司令系統に従ってきた心・身体の植民地状態から脱して、心による統治システムへと根本的にimagesCAG8KQKS変えて行くことにあります。そもそも、「頭」の機能でもっとも困った特徴は、この器官の生物学的な発達過程に根本原因があるわけですが、常に「過去をチェックし、未来を不安がる」という思考を高速的に展開していることにあります。かなり高速計算するので、知らない内に、すべて「クヨクヨ」や「ドキドキ」という心理状態しか作れない困ったシステム。

まずはその実態を見抜くことです。

過去のトラウマをオンパレードして今後の計画を立案するシステムなので、生きていくにつれて選択肢は減りますし、恐怖心ばかりが支配的になる。神経症なんてものも深く影響しているある意味で病気の生産元みたいな存在です。

頭が量産してしまった歪んだ価値観・麻痺した感覚には、金銭・名誉こそが最高の目標である価値意識や、グループ化していないと身を守れないという防衛心、非人道であっても組織に忠誠を尽くす麻痺した感覚、成果主義だけに振り回されプライドを失った仕事観、そんな様々な規定の「生きるマニュアル」があります。

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今、世間を騒がせている政治家の失態やフジテレビ問題なんてものも、根幹はここにあるんですね。長らく歪んだ価値観を盲信して生きてきた人たちの存在は、とんでもない事態を巻き起こしますが、ちょっと社会的地位などというもので「認められた」という勘違いが強いと平気になる。だから度も超えて、こうした事件に発展するわけです。

頭による植民地体制から解放されることが、つまり「生まれ直し」です。心による支配は、まずは健康回復(症状が解消される、という意味)となり、上記のような価値観・マニュアルへの訣別となります。そして、そこに発生するのは、自然な「意欲」(他力)です。

ここで、泉谷氏は仏教学者・鈴木大拙氏の言葉を引用します。
imagesCACJ9SUF「自力というのは、自分が意識して、自分が努力する。他力は、この自分がする努力はもうこれ以上に出来ぬというところに働いてくる。他力は自力を尽くしたところに生まれてくる。窮すれば通ずるというのもこれである。底の底まで進んで破れないところまで進んで、やがて自力を捨ててしまう、そして捨ててしまったところに、自然に展開してきたところの天地、その天地というものは、やがてまた我々の客観界ではないのか知らんと思う。あるいは絶対客観とでもいうべきであろうか」

自ずと、バランスのとれた自然な意欲のもとに、恐れも不安もない開けた天地を歩くがごとき状態に進めるわけです。そのためには、精神的に一杯一杯のところまで落ちる(自力を出し尽くした)状態までいかないといけない。それが「うつ」などの精神疾患という状況なのでしょう。

だから、こういう経験こそが、他力に委ねる生き易さを知るためには必要な限界値であり、せっかくそこまで進んできて、薬物療法だけで引き返して元の世界に戻ってしまっては、もったいないわけですね。

何が正しいのか、その基準を取り戻し、様々なセラピーなどでひとつひとつ解消しなくてはいけないような無数の歪んだ価値観・マニュアルを、一気にオールリセットするための強制力だと、そういう意識こそが大切ということですね。
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