2008年12月24日
2008年12月15日
ぼくらのブギーバッグ
1・2・3を待たずして16小節の旅のはじまり
今この時のぼくらと言ったら
大体こんな笑顔だった
心のベストテン第1位は
こんな再会だった
もう泣けるっす マジ泣けるっす
タイムイズマネー具合いにマジ泣けるっす
よくないこれ?
はい最高です。
なくせないもの心にYeah !!!
ここでしか聴けない音楽
ここでしか鳴らない音楽
弾いて弾いて
歌って歌って
巡り巡る日々
折り返し地点
paperbackraver at 16:35|Permalink│
2008年11月28日
everything must go
ここ日本でも高い人気を誇るイギリスのロックバンド・マニックストリートプリーチャーズ。
圧倒的な透明感と切迫感を誇るジェームスの歌とメッセージ性の強いドラマティックな楽曲が僕も大好きである。
彼らには走り続けたこの約10年間、あるドラマが付きまとっていた。
活動初期からのメンバーであり、その言動や風貌からカリスマ的な人気を誇っていたギターのリッチー・ジェームス。
デビューから2枚のアルバムを発表し本国イギリスでもバンドの評価はうなぎ上りになっていた最中の1995年、突然彼は宿泊先のホテルから姿を消したのだ。
懸命の捜索も実らず、彼の消息はずっと不明のまま。
リッチーの家族の要望で、活動を休止していたバンドも立ち上がった。
(復帰作「エヴリシング・マスト・ゴー」は本当に名作で、当時オアシスと一緒にマニックスをMDに入れて『イギリスのロックはマジですごい』と興奮しながら学校に行っていたのを覚えている。)
昨年はサマーソニックにも出演し、名実共に90年代を代表するロックバンドとなった彼ら。
だが心のどこかに住みついた哀しみは消えぬまま。きっとメンバーは歌をうたい続けていたのだろう。
そしてついに先日2008年11月24日、イギリスの裁判所がリッチー・ジェームスの死亡宣告を発した。
イギリスでは失踪後7年が過ぎると家族からの申請で死亡が認められるらしい。
だが、彼の両親はリッチー生存を信じていた。
そしてマニックスのメンバーたちは彼が戻ってきたときのためにと、信託基金を作り4分した印税を払い続けてきたのだという。
バンドとは運命共同体である。
共に過ごす時間がメロディになり、共に笑いあい肩叩きあう瞬間がリズムになり、ひとつの作品が生まれる。
マニックストリートプリーチャーズは素晴らしいバンドだ。
「絆」という言葉を現在進行形で伝え続ける世界一のチームだ。
あまりに悲しい結末ではあるけれども、きっと彼らはまた歩き出すのだろう。
どんなに辛くても一歩踏み出すことで何かは変わっていくと、僕たちに教えてくれるから。
あの時みたいに。僕がはじめて彼らの名曲「everything must go」を聴いた時のように。
《なにはともあれ いかなくちゃならないんだ》
圧倒的な透明感と切迫感を誇るジェームスの歌とメッセージ性の強いドラマティックな楽曲が僕も大好きである。
彼らには走り続けたこの約10年間、あるドラマが付きまとっていた。
活動初期からのメンバーであり、その言動や風貌からカリスマ的な人気を誇っていたギターのリッチー・ジェームス。
デビューから2枚のアルバムを発表し本国イギリスでもバンドの評価はうなぎ上りになっていた最中の1995年、突然彼は宿泊先のホテルから姿を消したのだ。
懸命の捜索も実らず、彼の消息はずっと不明のまま。
リッチーの家族の要望で、活動を休止していたバンドも立ち上がった。
(復帰作「エヴリシング・マスト・ゴー」は本当に名作で、当時オアシスと一緒にマニックスをMDに入れて『イギリスのロックはマジですごい』と興奮しながら学校に行っていたのを覚えている。)
昨年はサマーソニックにも出演し、名実共に90年代を代表するロックバンドとなった彼ら。
だが心のどこかに住みついた哀しみは消えぬまま。きっとメンバーは歌をうたい続けていたのだろう。
そしてついに先日2008年11月24日、イギリスの裁判所がリッチー・ジェームスの死亡宣告を発した。
イギリスでは失踪後7年が過ぎると家族からの申請で死亡が認められるらしい。
だが、彼の両親はリッチー生存を信じていた。
そしてマニックスのメンバーたちは彼が戻ってきたときのためにと、信託基金を作り4分した印税を払い続けてきたのだという。
バンドとは運命共同体である。
共に過ごす時間がメロディになり、共に笑いあい肩叩きあう瞬間がリズムになり、ひとつの作品が生まれる。
マニックストリートプリーチャーズは素晴らしいバンドだ。
「絆」という言葉を現在進行形で伝え続ける世界一のチームだ。
あまりに悲しい結末ではあるけれども、きっと彼らはまた歩き出すのだろう。
どんなに辛くても一歩踏み出すことで何かは変わっていくと、僕たちに教えてくれるから。
あの時みたいに。僕がはじめて彼らの名曲「everything must go」を聴いた時のように。
《なにはともあれ いかなくちゃならないんだ》
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2008年11月21日
終末のコンフィデンス
今年もしっかりと彼等はアルバムを発表し、母もしっかりと来年のツアーのチケットを当て、恒例のミスチルイヤーが訪れようとしている。
だが今年は少し違う。
何かが違う。
僕にとって柏ミュージックマンの大先輩でもあり、サッカーの大先輩でもあるナオトさんがMr.childrenのサポートメンバーとしてステージに立つのだ。
はじめてナオトさんを知ったのは高校時代にまで遡る。
当時まだドレッドヘアーでイケイケだったナオトさんを柏そごうの花屋さん前(今はもうない)で見た。
路上ライブ全盛の柏ダブルデッキでもその異様なまでのハイテンション(失礼)はかなりの異彩を放っていた。
ぼんやりとライブを眺めていた制服姿の僕にナオトさんは話しかけた。
「どこ高校?さてはバンドマンだろ!」
今でも良く覚えている。
その日の帰り道家の近くのTSUTAYAに寄ったらナオトさんのCDが売っていてびっくりした。
\210だったから僕にも買えた。(もっと失礼)
身近にもこうやってバリバリ活動をしている人がいるんだとその時初めて知って若干のカルチャーショックを受けた覚えがある。
僕は高校を卒業してからも柏でずっとライブ活動を繰り返した。
いつかまた会えるのかな。
そんな想いを微かに宿したまま しばらくナオトさんとすれ違うことはなかった。
そしてある年のはじめ、急にナオトさんはナオト・インティライミとして僕の前に現れ地元柏にて念願の共演を果たすことが出来たのである。
しかも当時住んでいた家がむちゃくちゃ近くてかなり盛り上がった。
人生二度出会ったらもうその人とは運命線上で繋がってる。
勝手に僕はそう思っている。
だからもっと勝手に僕は今回のミスチルツアーに運命を感じている。
ナオトさんは本当にいつも太陽のように明るい人だ。
不思議と回りの人間は笑顔になり 何だか下らないことばかり考えていたなあと思わされる。
桜井和寿氏のインタビューにもそういった感じのことが発言されていて頷いた。
『お互い信じてやって行こう』
ここ最近ナオトさんとメールでこんな言葉を交した。
いつになってもどんな時でも情熱は人を突き動かし 人生をスクランブルさせる。
僕は「最高のギフト」をくれる本当にカッコいい先輩の姿を見に、来年の春さいたま公演に参加します。
いつか自分もその舞台に立てる日を心から想い描いて。
だが今年は少し違う。
何かが違う。
僕にとって柏ミュージックマンの大先輩でもあり、サッカーの大先輩でもあるナオトさんがMr.childrenのサポートメンバーとしてステージに立つのだ。
はじめてナオトさんを知ったのは高校時代にまで遡る。
当時まだドレッドヘアーでイケイケだったナオトさんを柏そごうの花屋さん前(今はもうない)で見た。
路上ライブ全盛の柏ダブルデッキでもその異様なまでのハイテンション(失礼)はかなりの異彩を放っていた。
ぼんやりとライブを眺めていた制服姿の僕にナオトさんは話しかけた。
「どこ高校?さてはバンドマンだろ!」
今でも良く覚えている。
その日の帰り道家の近くのTSUTAYAに寄ったらナオトさんのCDが売っていてびっくりした。
\210だったから僕にも買えた。(もっと失礼)
身近にもこうやってバリバリ活動をしている人がいるんだとその時初めて知って若干のカルチャーショックを受けた覚えがある。
僕は高校を卒業してからも柏でずっとライブ活動を繰り返した。
いつかまた会えるのかな。
そんな想いを微かに宿したまま しばらくナオトさんとすれ違うことはなかった。
そしてある年のはじめ、急にナオトさんはナオト・インティライミとして僕の前に現れ地元柏にて念願の共演を果たすことが出来たのである。
しかも当時住んでいた家がむちゃくちゃ近くてかなり盛り上がった。
人生二度出会ったらもうその人とは運命線上で繋がってる。
勝手に僕はそう思っている。
だからもっと勝手に僕は今回のミスチルツアーに運命を感じている。
ナオトさんは本当にいつも太陽のように明るい人だ。
不思議と回りの人間は笑顔になり 何だか下らないことばかり考えていたなあと思わされる。
桜井和寿氏のインタビューにもそういった感じのことが発言されていて頷いた。
『お互い信じてやって行こう』
ここ最近ナオトさんとメールでこんな言葉を交した。
いつになってもどんな時でも情熱は人を突き動かし 人生をスクランブルさせる。
僕は「最高のギフト」をくれる本当にカッコいい先輩の姿を見に、来年の春さいたま公演に参加します。
いつか自分もその舞台に立てる日を心から想い描いて。
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2008年11月08日
再会
兵庫から幼馴染みのサヤカとサヤカママが遊びに来た。3日間の東京滞在。
渋谷だったりヒルズだったりミッドタウンだったり自由が丘だったりジブリの森美術館だったり いわゆる東京の有名スポットをくまなく回った。
もう本当たくさん歩いたのでみんなクタクタになったけど 最後東京駅でお土産いっぱい両手に抱えた二人の笑顔を見送ったら何だか嬉しい気持ちでいっぱいになった。
サヤカとは先日の大阪ライブの時、実に13年ぶりの再会を果たした。
神戸の立派なデパートでバリバリ働いてるだけあって見違えるほどキレイなオンナになってたけどよく見たらぼーっとしてるあの感じは記憶のサヤカとほとんど変わらんし、なによりこれだけ歳月が経過しているのに何の違和感もなく笑ってまた話せたことにお互い心から感動した。
幼少の頃から繰り返し続けてきた僕の引っ越し。
土地土地で出来た友人たちとも、さよならをして一度連絡をとらなくなってしまうともうそれっきり。
何度か年賀状でやりとりをしていてもある時ピタリと止まってしまったり。
今 思えば僕はチャンスをことごとく無くして来たのだろう。
大人になるにつれて浮かぶのは少しの後悔だけ。
古い思い出には蓋をしてやってきたような気がする。
今さら振り返るなんて。
そこに突然サヤカが現れた。
元々母親同士が同じ大学の先輩後輩でたまたま住んでいたマンションが一緒になり始まった親交。
小学校時代は特別仲良く遊んだ記憶もなければ 引っ越した後連絡をこまめにとっていたかと言えばそういうわけでもなく。
数年前はじめてRAVEがツアーで神戸に行った時ママが見に来てくれて久しぶりに「サヤカも大きなったでー」とサヤカの話を聴いてぼんやりとだけど思い出したくらい。
何でなんか理由は分からんけどこうして昔と今が繋がったのはサヤカだけやった。
はじめての旧友との再会やった。
思い出は本当に不思議なものだ。
どこからともなくやってきてまた考えてもなかったような新しい思い出をつくる。
渋谷の喫茶店に入って親子四人集まりふいにサンタクロースの話になった。
僕と違ってサヤカは一人っ子やから両親からの愛され方もちょっと違う。
特にお父さんなんて溺愛してて、すごくシャイでガッチリしてて長身の強面な人なんやけど、まだ彼女が小さいころ一生懸命変装して髭も自分で作ってサンタクロースパパに変身。玄関から侵入してサヤカにプレゼントを渡しベランダに出ていった後、大慌てで着替えていたそう。
サヤカはそのお陰でしばらくサンタクロースを信じていたようだ。
僕も6年生くらいまでずっと信じてたサンタクロース。
両親の様々な苦労話やおもしろ話を聴くと 今やったら信じられないようなこともあったりちょっと照れ臭い気分になったりして何か良い感じ。
お互いその内家庭を持った時にまた今日のこと話すんやろか。また話せたら素敵やなあ。
あの時大事にしておけば良かった。
今ならその意味がすごく良く分かるのに。
そんなことって大きくなるに連れてあれこれ増えてきた。
今こうして 思い出す予定のなかったいろいろも思い出すことが出来て、長らく自分の中でモヤモヤの原因やった引っ越しの寂しさとか再会の大切さとか今一度振り返ることが出来て、心の中がすごく温かくてやさしい。
月並みやけど、サヤカほんまにありがとう。
今度ユニバーサルスタジオジャパン 連れてって下さい。
paperbackraver at 13:06|Permalink│
2008年11月02日
いつだって
弱音を吐かないことだけが決して強さではなく
弱い自分を誰かに伝えられることが 時には強さになるのかな
なじ やめないで。
その力強い涙を決して無駄にはしないで!
誰よりもやさしくて迷える君が みんな大好きです
弱い自分を誰かに伝えられることが 時には強さになるのかな
なじ やめないで。
その力強い涙を決して無駄にはしないで!
誰よりもやさしくて迷える君が みんな大好きです
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2008年10月21日
下北沢師弟対決名勝負
だだんだんだだん。
今年最後の大一番。
時は西暦2004年。
「お前 うたイイじゃん!」
出会いはそんな一言から。
僕はなぜかひょんなことからあの人に歌を教わっていたんだ。
川上次郎という謎の男に。
とにかく細かいディテールは抜きにしてVIBESの周辺だけをくり抜こうとする彼の教則スタイルに始めは戸惑った。
ティーンズの僕にはまだ分からなかったから…歌はうまく歌えなくちゃ。練習しなくちゃ。だから ただがむしゃらに歌ってた。
次郎さんいつも笑ってたっけ。
いくつか時は経ちお互い離れ離れになってからずっと連絡はとっていなかったのだが、ひょんなことから渋谷ラママでボ・ガンボスのトリビュートライブに行く機会があり偶然そこで歌う次郎さんに再会した。
ブッ飛んだ。
キラッキラの笑顔でステージにたなびくピースな空間。
はじめてそこでちゃんと聴いた次郎さんの歌。
やっぱり細かいディテールなどそこには必要なかった。
ただ感じること。音楽を体いっぱいに楽しむこと。
シンプルでいて、最高に素晴らしいこと。
奇しくも2006年僕は次郎さんがかつてkusukusuのフロントマンとして伝説をつくったあの1枚『光の国の子供達』をリリースしたUK PROJECTからアルバムを出すことになる。
偶然とは偶然としか言いようがない時もあるんだ。
何だこの人…からイケイケの兄貴!に変わり、ついには大先輩。だ(笑)
正真正銘はじめての師弟対決です。
歴史あるCLUB QUEにおいてもきっと初の試みでしょう。
大切なことを言い忘れていましたが、僕は川上次郎という人が大好きです。
だからこの日が来るのを今から心待ちにしています。
でも もっともっとワクワクしたい。
だって僕がどんなに楽しく笑ったって次郎さんはその遥か上の愉快さで大爆笑するんだから!
負けてたまるかー(^O^)
西暦2008年12月15日!!時は来た!!!
下北沢師弟対決名勝負、川上次郎 VS RAVE(オレ)!!!!!
今年最後の大一番。
時は西暦2004年。
「お前 うたイイじゃん!」
出会いはそんな一言から。
僕はなぜかひょんなことからあの人に歌を教わっていたんだ。
川上次郎という謎の男に。
とにかく細かいディテールは抜きにしてVIBESの周辺だけをくり抜こうとする彼の教則スタイルに始めは戸惑った。
ティーンズの僕にはまだ分からなかったから…歌はうまく歌えなくちゃ。練習しなくちゃ。だから ただがむしゃらに歌ってた。
次郎さんいつも笑ってたっけ。
いくつか時は経ちお互い離れ離れになってからずっと連絡はとっていなかったのだが、ひょんなことから渋谷ラママでボ・ガンボスのトリビュートライブに行く機会があり偶然そこで歌う次郎さんに再会した。
ブッ飛んだ。
キラッキラの笑顔でステージにたなびくピースな空間。
はじめてそこでちゃんと聴いた次郎さんの歌。
やっぱり細かいディテールなどそこには必要なかった。
ただ感じること。音楽を体いっぱいに楽しむこと。
シンプルでいて、最高に素晴らしいこと。
奇しくも2006年僕は次郎さんがかつてkusukusuのフロントマンとして伝説をつくったあの1枚『光の国の子供達』をリリースしたUK PROJECTからアルバムを出すことになる。
偶然とは偶然としか言いようがない時もあるんだ。
何だこの人…からイケイケの兄貴!に変わり、ついには大先輩。だ(笑)
正真正銘はじめての師弟対決です。
歴史あるCLUB QUEにおいてもきっと初の試みでしょう。
大切なことを言い忘れていましたが、僕は川上次郎という人が大好きです。
だからこの日が来るのを今から心待ちにしています。
でも もっともっとワクワクしたい。
だって僕がどんなに楽しく笑ったって次郎さんはその遥か上の愉快さで大爆笑するんだから!
負けてたまるかー(^O^)
西暦2008年12月15日!!時は来た!!!
下北沢師弟対決名勝負、川上次郎 VS RAVE(オレ)!!!!!
paperbackraver at 17:33|Permalink│
2008年10月19日
時雨ふるさと川場村・2
玄関先の温度計は9℃をさしていた。まだ朝の7時前だってのに空の太陽は強烈な陽射しを山の斜面に注ぎこんでいる。
村の道路脇に流れる用水路からたまにボコボコと沸き立つような音が聴こえるが、これは温泉なのだろうか。今にも蓋が外れそうなくらいの勢いで湯気。
紫がかった葉が朝日に照らされてより一層ミステリアスに輝く。
ブルーベリーの木は意外にも背が低いのをご存知だろうか。
僕の胸あたりまでしかないキュートな装いで小さな実をたくさん付けている。
一粒ちぎって食べてみた。甘くてでもちょっぷり酸っぱくて すごく表情のあるブルーベリーの味。
ジャンパー一枚じゃ全然通用しないこの寒さにぴったりな味。
もちろんオール手作り野菜な朝食を頂き、お昼からは実際に畑に出て収穫の作業。
ごろ ごろ ごろ
。

とにかく出るわ出るわの大収穫祭。
見たこともないようなグンマサイズの茄子やきゅうり。
親と子に祖父までいるジャガイモ。
つるっつるのトマト事務所。
唇が痛くなるほど辛味のあったピーマン一族。
本当に色とりどりな畑の中に立ち尽くすだけで 何だか幸せな気分になってくる。
そのどれもが甘くて溢れそうなほどやさしくて、心から太陽の味と言い切れる。
おかあさんにスーパーの袋をもらって好きな野菜を好きなだけ詰めた。
ふと見つけた可愛いい可愛いいジャガイモくんは 内緒でポケットに忍ばせた。
あまりにも短い滞在時間のような気がしてたまらなく寂しかったけど 僕は東京に戻らなくちゃならない。
買い出しに行くから駅まで送ってあげるねぇというおかあさんの車に乗って民宿を背にする。
今度はちゃんとシートベルトをしめたのに、なぜかおかあさん ゆっくり走った。
坂道をゆっくりゆっくり まるで川場の村を観光案内でもしてくれているかのように また帰っておいでと言ってくれているかのように 無言の車内は不思議と温かな空気に包まれていた。
ズルイよ、おかあさん。
駅で別れる間際、こんなこと言った。
『また出かけてね』
何てことないアレだけど、何だか強烈に頭のなかに残ってしばらく離れなかった。
ずっと思ってたこと。
音楽って農業に似ていると思う。
歌って野菜に似ていると思う。
今回川場に行って確信した。
美味しいやつをかじりたい。みんな甘いやつを食べたくてウズウズしてる。
太陽がある限り野菜は何かを恵みに変える力を持っている。
もしも音楽にとっての太陽があるとするならばきっとそれは想いやりだ。
いつでも晴れってわけにはいかない。
雨だったり風が強かったり 泣いたり笑ったり
気まぐれなお天と様だけど。
いつか誰かにとっての太陽でありたい。
いつか太陽のような人と出会いたい。
次なる目標はトウモロコシの丸かじりだ。
雪が溶けたころにまた出かけよう。
夕暮れの湘南新宿ラインは山を越えて東京へ。
ふいに遠くの民宿から笑い声が聴こえた気がして目を覚ました。
手元でビニールの中の野菜が転がった
paperbackraver at 16:48|Permalink│
2008年10月17日
時雨ふるさと川場村・1
群馬県の川場村に行ってきました。JRの高崎駅からさらに北上して渋川を越え沼田という市にほど近い川場村。
雄大な自然風景を背にリンゴやブルーベリー農園があちらこちらに点在し、標高は600メートルほど 村の中心からは赤城山や国道120号が一望出来ます。
最寄りの沼田駅まで民宿のおかあさんが迎えに来てくれました。
「よくきたねぇ!」
車一台分のスペースがやっとといった山道を猛スピードでコーナリングしていくおかあさんの運転にビビりながらも
語尾に何でも「ねぇ」「ねぇ」と付ける特有の方言にはとっても癒されます。
日が若干陰りはじめたころ民宿に到着。
日中は20℃前後ある気温も日が暮れるとすっかり10℃を切る冷え込み具合。
来月末にはすっかりあたりは雪景色に変わるそう。
肌を突く程に凛とした空気の粒が、突然空から水滴となって降り始めました。
こちらではこれを『しぐれ』と呼ぶそう。
山を越えてやってくるこの水滴が雪に変わると川場ではそれが冬の訪れ。
もうすぐそこまで新しい季節はやってきている。
熊が出るよと脅されながら、畑から芋を掘り出してきて夜な夜な蒟蒻づくりが始まりました。
はじめて目にする蒟蒻の芋。切口はピンク色。
エキスが目に入るともう速攻病院送りだと言われて、かなりビビりながらの作業。
いくつかに切った芋をミキサーにかけるとたちまち泡泡になって真ん中に空洞が出来ます。
不思議なことに時間が経つとその穴がふさがっていくのです。体積の問題なのかな 理由はよく分からないけど理由がないからこそ見ててすごく面白い。
穴がふさがったら煮たったお湯に流し込んでかき混ぜる作業へ。
炭酸を入れ、徐々に徐々にトロミからプニプニへと感触が変わって行きます。
ぐつぐつと煮えたつ鍋から僕らも良く知るあの蒟蒻の匂いがいよいよ。
容器を移し変えてしばらくしてから水にさらし、ようやくゴム手袋を外すとおかあさんの声 「さー出来たよ!」
(写真参照)
透き通った土の色した潤のある、はじめて目にする口にする本物の蒟蒻だ。
ぽん酢をかけて食す。
紛れもなく太陽の味がする。
甘くてやさしい光りの味だ。
「蒟蒻って甘いんですね」と僕が驚いて聴くとおかあさんはそれが当たり前と言った様なはにかみを浮かべて笑いかけた。
「よーく噛んで食べるさねぇ」
夜が更け やがて川場に朝が来る。
paperbackraver at 08:47|Permalink│
2008年10月10日
秋燦々
どこからともなくやってくるキンモクセイの香りに心奪われる季節。昨夜、RAVEのアニキ分として3年間君臨し続けてくれた恭平さんの送別会があった。
振り返ればあっという間の3年間。
会場の風知空知が一瞬プロレス会場になった。
プロレスのお陰で僕や海北さんが歌った長渕が秋風の彼方に流されていった。
グレイのスーツを身に纏ったサラリーマン恭平は何か新しいものに満ち溢れている。
ビールをたらふく腹に流し込みながら僕は。
僕は今年いっぱいでバンドの活動を一旦休止しようと考えていた。
僕の口からみなに伝えた。
9月からはじまった久しぶりの東名阪ツアー。
うつむく僕を尻目に、回を追う事前向きに上向きになっていくバンドの演奏にほんま助けられた。
急遽決まったファイナルのワンマンライブ。
『お前らだけを見にきたんや!』
きっとお昼の音街フェスを見てそのまま夜にも来てくれたんだと思うけど、その日はじめて逢ったおっちゃんの叫びに気持ちが震えた。
虹の布をザックスの壁にかけて、会場みんなで寄せ書きをした。
家に帰って翌日広げて見たらニヤけた。
ツアー先で13年ぶりに再会した幼馴染みからのメールが来た。
『バンド続けてて良かったなぁ ありがとう』
下を向いてる暇なんてどこにあっただろうか。
よっこらせと腰を下ろす余裕なんてどこにあっただろうか。
今よりもっと。
もっと もっと もっと。
おいおい 諦めてたまるか
まだまだ まだまだ ほらまだやろうぜ
ずっと途中。
ずっと通過点。
今もこれからも どんなに先へ進んでも きっと通過点。
恭平さんと固い握手。
場所は変わるけどきっと同じ線路の上。
またゆっくりと今朝、早朝あたりに発車。
恭平さんにはたくさんのことを教わったが、一番印象に残っている言葉ひとつ。
『仲間を大切に』
ガタンゴトン ガタンゴトン
どこからともなくやってくるキンモクセイの香りに心奪われる季節。
風知空知から海北さん(from さいたま)と二人 夜の井の頭通りをトボトボと。
互いの近況やたわいもない話、大切な音楽の話。などなど。
たまにこういう風になるから不思議な関係と思う。
キンモクセイの話をする。
近づきすぎると匂わない、でも道の反対側くらいに離れると「お」ってな具合に香ってくる。
去り際が潔い花が好きだ、と海北論。
桜しかりこのキンモクセイしかり。
季節を告げる日本の花花は本当に美しい。
生きてると同じ話を何度もするんだ。
心が幸せになる話はいつも似たような話ばかりだ。
何かを好きでいたい。
好きなものがあればあるほどいい。
分かち合える仲間がいれば なおいい。
同じような輪を描いてまわった分だけ 楽しめるのが人生かな。
きっとそっかな。
秋だー 秋だー
ねーねー秋だよ。
早い もう今年も後2ヶ月。
お互い頑張ろう。
やれるだけやる、なるようになる。
そう信じて、決して諦めることなく自分が決めた道を歩こう。
おれは絶対に諦めない。
宝物が増えすぎた。
paperbackraver at 19:13|Permalink│
