ソクーロフは、独自の美学に貫かれた作品を発表し、ロシアが世界に誇る映画監督である。世界十二ヶ国で絶賛をうけながらも、日本での公開は不可能といわれたソクーロフ監督の傑作『太陽』が、ついにその封印を解かれる。
歴史学を学んだ学生時代に構想したというこの作品を、監督自らが撮影を手がけた緊張感をたたえた静謐な映像の中で、昭和天皇を権力の頂点に君臨する人物ではなく、恐れや弱さを持ったひとりの人間として描き出した。
昭和天皇という難役に挑戦したのは、仏リベラシオン紙でも絶賛をうけたイッセー尾形。また、戦争の中で引き裂かれる天皇を愛情深く見守る皇后を桃井かおり、悲しみをたたえた侍従を佐野史郎が演じている。
<あらすじ>地下の防空壕で、朝の食事をする昭和天皇、ラジオからは「沖縄で多くの学生が最期まで戦う用意を表明し…」と英語の放送が流れている。
天皇はラジオを消させ侍従長に、日本は私以外の人間が、みんな死んでしまうのではないか?と問いかける「お言葉ですが、陛下は天照大御神の天孫であり人間であるとは存じませぬ」と答える侍従長。天皇は「私の体は君と同じだ」と答える。
答えに窮した侍従長に「怒るな、いわば冗談だ」と笑って、天皇は軍服に着替える。これから御前会議に出なければならないのだ。
年老いた侍従の一人は、現人神に触れるのが畏れ多くて手が震えてどうしてもボタンがつけられない。
カメラは侍従を見下ろす天皇の視点になり、侍従のはげ頭に脂汗がにじみ出てくるのをじっと見つめるのだった…。 そして、着替えた天皇は、自分の口の匂いを嗅いで「臭い」と言う。そして「誰も私を愛していない皇后と皇太子以外は」とつぶやく。
御前会議で、陸軍大臣は兵士たちは飢えに苦しむも戦意は高揚したまま、本土決戦に持ち込む用意がありますと涙にむせびつつ天皇に申し上げる。
天皇は、明治天皇の歌を詠み明治天皇は平和を望んでいた、と自分も良い条件で国民に平和をもたらしたいと降伏する用意があることを示唆する。
迷路のような退避壕のなかで袋小路にあたりながら、自分の研究室に向かう天皇。研究室は、退避壕から出た地上にある「なんという奇跡。なんという神々しい美しさ!」ヘイケガニの標本を手に、喜びにあふれながら、このカニについての知識のすべてを饒舌に語り始める。
助手がそれを口述筆記する。しかし、想念は次第にこの戦争の原因へと移っていく…。
午睡。天皇は東京大空襲の悪夢を見る。夢の中でアメリカ軍のB29爆撃機は巨大な魚で、焼夷弾ではなく、大量の小魚を産み落とし東京を焦土にするのだ。火が東京の町をなめ尽くす、瓦礫と化した建物が見える。苦悶のうめき声をあげながら。目を覚ます天皇!。
天皇は、皇太子宛て手紙を書くことを思い立つ。「愛する息子よこの恐ろしい敗戦の原因についてちょっと話したい。
国民が自信過剰になり軍がアメリカを見くびりすぎた・・・ 戦意の高揚だけで軍備が不十分であることを無視していた…」写真のアルバムを取り出す。
自分と皇后の写真、皇后に抱かれた小さな皇太子に口付けする。戦前に活躍していたハリウッドの、スターたちの写真が貼り込まれた、別のアルバムを開く天皇、そのなかにチャーリー・チャップリンの、写真が何枚か目をとめる。
続いて美しい女優たち…。そしてヒトラーの2枚の写真を取り出し、思いにふける。そこに、うちひしがれたような様子の侍従が入ってくる。天皇は「アメリカ人が来たんだな、じゃ、着替えねばならぬ」と言って、黒いフロックコートに、黒い帽子に着替える。占領軍最高司令官である、ダクラス・マッカーサーとの、会見が行われるのだ。
悲惨な焼け野原、荒んだ人々の間を走り抜け、天皇を乗せた米軍の車は、アメリカ大使公邸へ到着するのだ。
天皇は、マッカーサーに、連合軍のどのような決定も、受け入れる準備があると告げる。会見は短時間で終わった。マッカーサーは、昭和天皇が誰かに似ているような気がするが思い出せない。
マッカーサーからハーシーズの、チョコレートを送られる天皇。従軍カメラマンの写真撮影に応じ「チャップリンそっくりだ」と、大喜びするカメラマンの好奇の視線にさらされながら撮影される天皇。
そして、マッカーサーとの二度目の会談は、ディナーをとりながら行われた。マッカーサーは言う
「あなたの決断しだいです。日本の未来も、あなたの将来も、何も押し付けたり、強制したりしません」
天皇は皇居に戻ってからも苦悩する。窓の外に巨大な月が輝いている。そして、ついにつぶやく。
「私は、神格を自ら返上する」そう言った後、天皇は重い荷物を、肩から降ろした後のように、椅子にへたり込むのだ。疎開した皇后との再会「私は成し遂げたんだ。これで私たちは自由だ」
天皇は皇后に言う「私は、神であることの運命を拒絶した」皇后は驚きもせず「あ、そう。そうだと思ってました」と晴れ晴れとした表情で微笑む。皇太子たちも別室で待っていると聞いて、長い間離れていた我が子に、早く会いたくて会いたくていてもたってもいられない天皇。
そこに侍従長が現れる。天皇はふと、気になっていたことを尋ねる「私の国民への語りかけを記録してくれたあの録音技師はどうなったかね?」・・・「自決しました」と侍従長は答える。「止めたんだろうね?」「いいえ」皇后は、天皇の腕をとると皇太子たちの待つ広間へと駆け去った…。
パンフレット「太陽」シナリオ採録:児島宏子より
<感想>昭和20年といえば、日本人誰もが「終戦の年」と思うかもしれません。
しかし、その陰で昭和天皇がどのようなことをしていたのか、「人間宣言」・・・何世紀も続いてきた天皇の「現人神」が解かれた1945年8月15日までに行き着く「一人の日本人ヒロヒト」の姿を描いた、記念すべき年なのかもしれません。
人間としての天皇は、何度も「私の体と、君たちの体とどこも違いがない」と侍従達に強調します。しかし戦争責任者として、マッカーサーとの会談に臨みますが、夕食会に招かれ、司令官に「親友ヒトラー、なぜドイツと同盟を?」と聞かれ・・天皇は「知りません、覚えていません。
日本が欧米と戦って、勝つ確立は100のうち50でした。ドイツが戦争に勝つ確立は100のうち100でした。」そうすると司令官は「過ぎ去ったことです。
未解決の問題はただ一つ。貴方の運命です。
写真撮影はいかがでしたか?」「撮影した写真は雑誌に載る。貴方が人間だと分かれば、人々は寛大になるでしょう」
それに対して天皇は「あなた方が広島に原爆を落として以来、私たちはケダモノに襲われると脅えました。それで子供たちは疎開させました。恐れたからです。残虐行為を」するとマッカーサー司令官は「私は命じていない。真珠湾を襲ったのもケダモノでは?」と真珠湾攻撃の不当性をマッカーサーに指摘され、「私の命令ではない、そのような命令を下してはいません」と言うあたりの天皇の苦悩がよく出ていたと思います。
そして写真撮影の天皇、バラの花の前で、侍従長が3メートル離れて撮ってくださいというが、そんな事おかまいナシで、バシャバシャとカメラを向けて、天皇を撮る。
その後のカメラマンの言葉は「チャップリンに似ている。チャーリー帽子を撮ってこちらを見て、バイバイ、チャーリー」と記者たちが言う。でも天皇はチャップリンの事を知っている。
寛大な心を持っていなければ、これも戦争という悲劇に翻弄され、傷ついた一人の人間としてのヒロヒトなのだろう。
日本が爆撃されて一面火の海になる夢を見てうなされる天皇。
皇后が疎開先から帰り、天皇に会う。そして皇后の桃井かおりの胸に顔をうずめて、ほっと安堵する天皇。
嬉々として子供たちに会いに行く天皇の姿を最後に映画は終わる。ここにいるのは、戦争の犠牲者である一人の人間の苦悩と孤独、そして、彼の愛する家族をめぐる物語である。エンドロールが流れるバックには、雲間から、焼け野原の日本がみえた。

日本人が描くことの困難な昭和天皇の人間宣言の前後をロシア人監督が映画にし、昭和天皇に扮するイッセー尾形をはじめそれぞれの登場人物たちが、まるでかつての日本映画のホームドラマのような演技をして、静けさとそれ故の深い悲しみと微かな希望が画面を覆うこの映画、どこか不自然である。
タイトルの「太陽」とは何を意味するのだろう? さまざまなことが脳裏を駆け巡る。
天皇そのもの、沈みゆく太陽、その一方で終戦後の新たな日本の夜明けなのか?・・・・ しかも、この映画のほとんどが、仄暗い地下室の中。これはいつの映像なのだろう?。
世界中で戦闘が止まない人間世界の未来!、絶望ではないだろうか?。このロシア人監督は、この映画の昭和天皇を権力の頂点に君臨する人物ではなく、恐れや弱さを持った一人の人間として描き出しているように思う。
しかし今改めて懐かしい昭和天皇の映像などを目にすると、優しさの中にも、全てを目撃して受け入れてきた歴史の証人としての厳しさを、その眼差しに垣間見るような気がしてならない。
「天皇陛下万歳!」の下に心ならずも国民を死地へ追いやった覚悟や自責の念を持った「現人神」、昭和天皇を演じるイッセー尾形がとにかくすごい!、それだけでも一見の価値がありました。
昭和天皇の口癖「あっ、そう」モノマネとして見ても十分見事なものですが、それを遥かに超え、独自の解釈によって独創的かつ説得力あるヒロヒト像を創りあげ演じきっています。
やはり日本を描いた外国映画にありがちな、日本人の感覚からすると、違和感を感じるところなど多々ありますが、また史実に照らして疑問に思うところも多く、あまり詮索してもきりがありません。
それもこれも、イッセー尾形はこれ以上ないキャスティング!、一人芝居で芸をなしたイッセー尾形と孤独に悩む昭和天皇が全くもって素晴らしく、尾形天皇のリアリティの前に消し飛んでしまうくらい良かった(笑)。
映像も音楽も本当に美しい。お月様のゆがんだ顔!、・・・それに不思議な時間の流れ方もいい。そして皇后の桃井かおりの胸に顔をうずめてほっとする天皇、・・・・ 。
それにしても、この映画の日本公開は快挙だと思う。日本国内でこんなふうに、昭和天皇を描く映画が作られる日が来ることはあるのだろうか?。
けれど逆に、日本でもないアメリカでもない、ロシアだからこそこの映画はできたのだと思う。
たろ様へ〜いつも当ブログヘのご訪問感謝しております。
現象様へ〜コメントご丁寧に有難うございます。
小夏さんへ・・・TB・コメント有難うございます。そちらへも伺わせていただきました。
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この作品は、非常に難しい題材ながら、イッセー尾形さんの表現者としての見事さと監督 アレクサンドル・ソクーロフ氏の作り手としての真摯な姿勢を強く感じる、見応えのある一本でありました。
また遊びに来させて頂きます。
ではまた。