2007年11月04日
題名のない子守唄
アドリア海から吹く風が頬に冷たい、北イタリア・トリエステ。目立たぬ地味な服に身を包み、長距離バスからひとりの女が降り立った。
彼女の名はイレーナ(クセニア・ラパポルト)。思いつめた表情で街を歩くイレーナは、やがて高級レジデンスに辿り着く。初老の管理人マッテオ(アレッサンドロ・ヘイベル)にメイドの仕事はないかと尋ねると、外国人は雇えないとそっけなく断られてしまう。
しかし、疲弊しているが美しさを漂わせるイレーナの顔を垣間見たマッテオは、彼女を呼び戻し、共有部分の掃除の仕事を世話した。
仕事場となったレジデンスの向かい側のアパートの一室で、イレーナはほの暗い窓辺に佇み、ある家族が暮らす階を見つめる。貴金属商を営むアダケル夫婦(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、クラウディア・ジェリーニ)と、4歳になる娘のテア(クララ・ドッセーナ)の家だ。イレーナには、その家に入り込まなければならない理由があった。
ある日、アダケル家のメイド・ジーナ(ピエラ・デッリ・エスポスティ)が、レジデンスの螺旋階段で躓いて転げ落ち、全身不随の重症を負う。ジーナの代わりにイレーナはアダケル家のメイドとなった。一家に近づこうとするイレーナの目的は何なのか? 彼女は何を隠しているのか? そして遂に、事件は起こった……。(作品資料より)
<感想>あの「ニュー・シネマ・パラダイス」や「海の上のピアニスト」など、涙と感動と共に描いてきたイタリアの名匠ジュゼッペ・トルナトーレの、実に6年ぶりとなる待望の新作。
これまでとはあまりにも作風が違うのでとても驚きました。トルナトーレが故郷シチリアを離れ、選んだ舞台は、その地に生まれた詩人サバに“棘のある美しさ”と詠われた、東欧と接する北イタリアの港町トリエステ。
貧しい祖国を逃れて他国で働く密入国者。そうした難民の人々は、苛酷な人生を送らざるをえない。
その中でも、もっとも悲惨な人生を辿るのは女たちだ。女であるという性を持っているだけで、女たちは人間としての尊厳を剥奪され、蹂躙される。性の奴隷として調教され、売るための子供を作る“機械”にさえなってしまうことがある。
この作品で取り上げるのは、そうした運命に翻弄される女の一人である。夢の女ではない。現実の女なのである。
イレーナは、ウクライナから新天地を求めて、密入国業者の手で、イタリアのトリエステに向かう。・・・が、彼女の甘い夢はたちまち打ち砕かれてしまう。
美しい_それだけで、彼女は選別され、性の道具としてどれだけ有効かを審査される舞台に立たされる。
冒頭のシーンから衝撃的です。仮面を付けて、次々に衣装を脱ぐように言われ、ついに裸になる。
仮面と全裸、それは、顔の美醜にとらわれず、冷酷に性の道具を見極める手段として、実にリアルに女の運命を突きつけてくる。
自分の意思で選んだはずの人生の最初の試練が、終わりのない凌辱の人生の初まりであったとは。
イレーナは孤独で、彼女の人生はズタズタに切り裂かれて、もはや修復できないほどぼろぼろになっている。
そして、私たちは、そんなイレーナがさらに地獄に落ちるのを目撃しなければならない。生きながらの地獄とはどのようなものか。
目を背けたくなる画面を私たちがどうやら見続けられるのは、イレーナの強い視線に導かれるから。どんな逆境の中でも誇りを失わぬ瞳。
イレーナを演じるクセニア・ラパポルトは、ロシア出身の実力派女優。哀しみの中に強さを秘めたヒロインに体当たりで演じている。
イレーナの取った行動は、彼女の境遇から考えれば理解できます。
ストーカーのようにある家族に近づき、そこには密かな目的があったのです。それは、かつて自分が手放さざるを得なかった子供の成長を見守る事。そして、その子が自分と同じ運命を辿らないように手を差し伸べることでした。
彼女はそうすることで、自らの存在意識を確かめようとしたのではないでしょうか。
少女テアとイレーナのやり取りは興味深いものでした。テアを縛り上げて、倒して自分で立ち上がるまで何度も、何度も、テアが自力で立ち上がるまで、そしてテアが怒ってイレーナの顔を殴りつけます。
一歩間違えるとイジメとも受け取れますが、2人のやり取りの中に、主人公の感情の揺れが見事に描かれて、イレーナの母性本能みたいな感情を感じ取れました。
苛酷な運命を辿ってきたイレーナの、唯一の幸福な思い出の象徴として使われているのがイチゴ。
映画の冒頭で、スーパーで何パックもイチゴを買うシーンが印象的です。若き日、市場で働いている青年との恋、「喉が渇いたろう」と差し出され口にしたイチゴの甘さ、今は一人で暗い窓辺で味わう彼女が切ない。(その青年は“黒カビ”に殺されゴミ捨て場に捨てられていた)
それと、幾度となく登場する高級レジデンスの螺旋階段。時に切り離そうとしても切り離すことの出来ないイレーナの過去と現在を象徴するかのように、時に彼女を迷宮へと導くドアウェイのように。
老家政婦ジーナの転落場面では、邪悪な舞台装置と化し、くねくねと蛇のように執拗なそのフォルムが、映画全体をミステリアスなムードで包む役目を果たしている。
赤いハイヒール!、イレーナが娼婦時代“黒カビ”からプレゼントされた赤いハイヒールは、忌々しい過去の遺物である反面、彼女の女性としての象徴なのかもしれない。
それを捨てずに持っていたがゆえ、イレーナは再び“黒カビ”の仕掛けた罠に陥る羽目になってしまう。
イレーナが借りた部屋には、前の住人がそのままにしていったらしい出窓で枯れていた鉢植えの花。
鉢植えの花を植え替えるイレーナ、暴漢(サンタクロースの服を着た)に襲われ家を空け、鉢植えの花を枯らしてしまったのに、また同じ花を植え替えるイレーナ。
何故そんなに彼女は鉢植えに執着しているのか?・・・鉢植えの花は彼女自身なの?・・・それともアダケル家の娘テアなのだろうか?・・・。
メイドの仕事に従事するときは固く縛ったひっつめの髪のイレーナ、ひとたび解くとウェーブが綺麗なロングヘアで、ぐっとフェミニンな印象になる。
誰かのヘアスタイルに似ていると思ったら、アダケル家の娘テアの髪とそっくりなのだ。
驚く事にこれは偶然だそう。監督も意図的にそうしたと思われることを嫌い、一度決まったテア役のドッセーナちゃんを他の子役に変更することを考えたとか。
しかしドッセーナちゃんの恐るべき演技力に、そんな考えも吹き飛んだという。本当に自然体で、テアに扮する子役クララ・ドッセーナの、豊かな演技力と愛らしさには、目を見張ります。
「子守唄歌を歌える?」とテアに訊かれ、イレーナが故郷の国の言葉で歌い始め、テアがそれを聴きながら眠りに落ちるシーン。二人の心が通い合った素晴らしい場面、この曲は、トルナトーレとモリコーネによる完全オリジナル曲。切なくも美しい旋律が奏でる子守唄が耳に残って離れない。
重いテーマにもかかわらず、なにげないシーンも重要な布石となって、ラストまで人間愛に満ちた奇跡のドラマであったことを感じさせられます。
予想のつかないこのドラマの中で、トルナトーレに寄り添うモリコーネの音楽は、今まで味わった事のない、強烈なサスペンスを盛り立てるサウンド。
様々なモリコーネ節のテイストを一気に味わいながら、ドラマは数奇な人生を辿った女性を追いつつ、意外な展開の結末に、そしてイレーナに凛とした美しさを与え感動を呼び起こさせます。
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この記事へのコメント
モリコーネも新しい素材を前にして、いつもと少し異なるスコアづくりをしていますね。好感が持てます。
この監督さんに、モリコーネの音楽では、どんな作品も素晴らしく、サスペンスでも、卑猥な描写でもなんでも許しちゃいます(笑)
ホント、珍しくサスペンスタッチで、内容も密入国者の女の苦労するお話。
どうしても、女というと妊娠、生まれた子供はどこへ、・・・逢いたい気持ちが手に取るように伝わり、最期に真相がわかっても、裏切らないストーリーに拍手したいです。
DVDリリースされたので、早速みました。
トルナトーレ監督、今までの雰囲気がちがってびっくりしました。
しかしサスペンスなストーリーにひきこまれましたー。
過激な描写が多かったけど、主演の女優さん、体当たり演技だったね!
ラスト涙がじんわりきて希望のある終わり方でうれしかったです。
エンニオ・モリコーネの音楽ももりあげてくれました。
今までと違ってサスペンス、ミステリーもの!!
最初は何だか戸惑いましたが、観ているうちにイレーナに惹き付けられて、ラストの絶対に来ていると思ってたテアとの再開にまた涙が止まりませんでした
エンニオ・モリコーネ音楽も物語にあってよかったです
イチゴには泣かされましたー。
内容のわりには綺麗な話に仕上がっていて、見せ方の上手を感じました。
何か、ジュゼッペ・トルナトーレ監督×エンニオ・モリコーネ音楽と言うと最高にいい映画かな?・・・期待してしまいました。
しかし、こんなサスペンス映画をラストで感動の涙に持っていく監督は、ずるいと思いましたね。
娼婦でも、自分の生んだ子供に逢いたい!、そして抱きしめたい気持ちは分かります。
でも、この映画の内容はあまりにも残酷で、イレーナに同情する気持ちにはなれませんでしたね。
おはよーございます。
最高点ですね!
わたしもこれは楽しめました!
最初から不思議な雰囲気、のめりこんで観ちゃった★
黒カビなんていってたけど、イタリア語でもそんな意味の名前だったのかなー、(笑)
映画としてのエンタメ性の詰まった作品でした♪