2008年05月16日
愛おしき隣人
人間はちっぽけで情けなくて、でもこんなにも愛おしい!__。
北欧のとある町。そこに住む人たちは普通なのにちょっとヘン。
ロックスターとの結婚を夢見る少女、世界で一番ツイていないと嘆く夫婦、誰からも愛された事のない男、「誰も私を理解してくれない」と泣き叫び歌いだす女、困窮した家計を静かに嘆く精神科医など。
みんな一生懸命生きているけど、やっぱりツイていない。そんな人たちが一日の終わりに集うバーで、バーテンダーがつぶやく…。
「ラストオーダー。また、明日があるよ」。
ユーモラスな音楽にのせて、とぼけた笑いと、圧倒的オリジナリティで普遍的な人間愛を描く。カンヌ国際映画祭等で数々の賞を受賞した『散歩する惑星』から7年ぶりに発表した、スウェーデンの巨匠ロイ・アンダーソン監督独自の世界観満載の1作。
膨大な時間とフィルム(なんと撮影時間10万時間以上、使ったフィルム6万メートル以上)を費やして完成させたという。CGを使わずに作られたその映像は、観る者に夢か現実か陶酔させるような不思議な浮遊感と、豊かな想像力をかき立たせてくれる。(作品資料より)
この映画は、初めにソファでうたた寝をしていた男が、窓の外を通る列車の音で目が覚める。
壁にはドンキ・ホーテを描いた絵が架けてある。窓からそよ風が吹き「悪い夢をみた。爆撃機が襲来する夢だ」とその男は言う。
こう言ったすっとんきょうな話が断片的に展開していく。舞台は北欧のとある街らしい。
場面が変わって、二人のやや太り気味の男女の対話。男の方は刺青をしたパンクモードの中年太りしたオジサン!、女の方は大阪の派手服を着て、メイクもパンダ顔の中年太りのおばちゃんだ。「もうたくさん、誰も私なんか愛してくれない」という女の嘆き節だ。
愛犬と一緒に女を慰めようとする男は、あきらめて消える。おばちゃんの嘆き節がやがて歌にかわるのだ。ミュージカル仕立てかと思ったら、そういうわけではない(笑)。
何人かの人物が、繰り返し現れて、短い物語をかたちづくる。
けれども全体として物語と人物の動きも最小限にとどまっているから。したがってカメラも殆んど静止したままである。
全体ではかなりの数になる登場人物たちの関係も、おそらくある街の近隣に生きる人々であるということ以外に、ことさら説明もない。
何度か登場するバーが、その中心にあるようで、バーは皆が交流するというよりも、それぞれ孤独を確かめるような場所なのである。
ラスト・オーダーの時には、「また明日があるから」とバーのマスターが、まるで、その孤独な人々に呼びかけているようだ。
カップルたちもそれぞれに孤独なのである。父親と息子、出会った若者たち、ベットの夫婦も、すれちがいばかり。笑える場面も多少はあるが、笑いの対象になっているのは、すれちがいなのである。
夢の中で、貴重な食器が勢ぞろいしたテーブル・クロスを一気に引き抜いてみせるという男、芸当は失敗して、食器の山が倒れた男の上になだれ落ちる。
大笑いするところなのだろうが、まったくもって可笑しい場面で、笑わない観客もあるでしょう。
そのオチが、高価な食器の持ち主が裁判に訴え、裁判官が死刑の宣告をするのですが、何故だか裁判官たちがビールを飲んでいるのだ。
そして電気椅子に座らせられる男を、隣の部屋のガラス窓から貴族らしい人達が覗いている。
人物たちがカメラに向かって、自分の見た夢を語ったり、告白したりするのだが、断片的な会話からも、物語のあらすじは浮かび上がってくる。
コマーシャルフィルムの世界でも輝かしい受賞暦をもつアンダーソンは、ひとつひとつのモザイクが、大きいドラマを形成することがないように、短いショットを丁寧に磨き上げているのが、この映画なのである。
部屋の中で楽隊の男が太鼓を練習する場面とか、ジュータン屋の主人がお客に嘆く、「今日はついてない、女房と喧嘩をした」、客は良くある事だと言う。
喧嘩の原因が、「それで女房のことを“クソばばあ”と呼んでしまったんです。女房は私に、“高慢ちき”って言ったんです」すると、客の奥さんが“クソばばあ”の方が悪いと言い返す。
確かに、クソばばあはひどいいい方だ(笑)
もうひとつ面白い話が、理髪店で、前髪の分け目を右か左かとか、会議があるからどうのこうのとぐたぐたうるさい客の頭を、の床屋の主人がバリカンで縦に刈ってしまう。
怒った客が警察を呼んでくると、床屋は素直にあやまり、「ちゃんとしてやるから」と言い、次のシーンでは、男はきれいなスキンへッドで会議にやってくる。
しかし、この会議の最中に、会議を仕切っていた社長が、突然心臓発作を起こして死んでしまう。葬式で歌を歌う太ったおばちゃん。
そして、バーに来ていた若い女、「昨夜夢を見たの、結婚した夢よ。有名なギタリスト兼ボーカルのミッケと、幸せだったわ」と幸せそうだ。
夢だから、部屋が列車になって動いて、駅みたいなところで停車して、窓べに知らない人達が、「おめでとう!」素敵な新郎新婦バンザイ!、みんな知らない人達なのに親切だ。
このように、単調な繰り返しである。
初めて見る監督の作品だし、タイトルが「愛おしき隣人」とあったので、どうなのかなぁと思って見たのですが、あまりのセンスのよさに嬉しくなった。
スウェーデン人のアンダーソン監督は、プロの役者は一人だけしか雇わず、(心臓発作を起こしてあっけなく逝ってしまう人)、あとは素人ばかりを起用しているそうです。
何故なのか、白いメーキャップをしているキャストや単色のセットの絵画的な描写が美しくて心に残りましたね。
なるほど、確かに外見が魅力的な人は、ひとり、二人を除いてほとんど出ていません。
この映画では、現実のシーンと夢のシーンを交互に映すという魅力的な手法を使っています。
ストーリーらしきストーリーを追わずに、ちょっとづつ切り取りながら、生きることは辛いことだけれど、同時に愛おしく可笑しいものでもあることを、決してコメディにも悲劇ドラマにもせずに、淡々と見せてくれる作品なのです。
ラストシーンの戦闘機は、何を意味するものか?・・・映画全体が、最初にソファーで寝ている男の「夢」だと解釈したら、彼は、ソファーからがばっと起きるが、そのとき彼は、この映画の最後のシーンに出てくる十数機の飛行機の襲来の夢を見たのであるから。
きっと監督の意図することは、罪のない人々を、簡単に爆弾を使って問題を解決しようとしている、世界の国々の偉いさんたちへのメッセージなのかもしれませんね。