2007年劇場公開作品、鑑賞

2007年12月30日

AVP2 エイリアンズVS.プレデター2

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奴らは、すぐそこまでやってくる_人類の生き残りをかけた、三つ巴の戦いが始る!

最凶、最悪の新種エイリアン誕生!前作の衝撃的なラストシーンは終わりではなく、始まりだった・・・・。

宇宙船の中でプレデターから飛び出たチェストバスター=ニュー・エイリアンは、船内で“プレデリアン”へと成長し、プレデターを次々と殺戮していく。

コントロール不能となった宇宙船はコロラドの森へ墜落し、“プレデリアン”をはじめ、宇宙船に潜んでいた無数のエイリアンたちが獲物を求め飛び出していった。

 

一方、宇宙船の異変に気づいた、エイリアンを駆逐することを生業とするニュー・プレデター<ザ・クリーナー>が地球へと乗りこんでくる。

そして遂に始まった、人類の眼前で次々と繰り広げられる壮絶かつ凄惨な戦い。

史上最も恐ろしい2大モンスターの激突の行方は?そして人類を巻き込んだ戦いの果てに待ちうける、驚愕の結末とは?人類が最も恐れていた悪夢が現実となる…。果たして地球に明日はあるのか?

車の上にエイリアン南極に存在したピラミッドでの死闘の末、宇宙船の中でプレデターの体内からチェストバスターが誕生するという衝撃のラストシーンで前作は終わった…。

しかし、それはこれから地球で起こる惨劇の序章でしかなかった!前作のラストシーンでプレデターに寄生し生まれた、最強のハイブリッド=プレデリアンが、、本作では人類を、そして地球を恐怖のどん底に陥れる。監督は、これまで数多くの作品でVFXを手がけ、本作が長編初監督になる若手映像作家コリン・ストラウス&グレッグ・ストラウス。(作品資料より)

プレデリアンとクリーナー<感想>この世紀の戦いを見過ごすわけにはいかない。「どちらが勝っても人類に未来がないって?・・・」どうするのよ(笑)想像がつかないこの戦い、期待度120%!

エイリアンとプレデリアンの猛攻撃を止められるのは、唯一、一体のプレデターだけなのだから!

過去の映画に登場したハンターのプレデターとは違い、今回のプレデターは、エイリアン、もしくはプレデリアンの存在を地上から抹消するという一つの目的を持った“ザ・クリーナー”なのだ。

プレデターの顔そして、このプレデターは歴戦を経たベテランで、筋力より知力を駆使するタイプ。

 

兵器は、肩に装着した2基のショルダー・プラズマ・キャノン、敵を捕獲するネット・ランチャーといった従来のプレデター同様の武器を駆使しつつ、すべての生物を溶かして消滅させるブルーの特殊溶解液を始め、宇宙船を破壊できるほどの内破爆弾の他、エイリアンの尾から作られた鞭など、“ザ・クリーナー”の異名にふさわしいエイリアン掃討用の新アイテムを披露。

 

下水道の暗闇に身を潜めるエイリアンを探知しては罠を仕掛け、一匹また一匹と抹殺していくハンティング術の巧みさに思わず拍手!。

プレデリアンたて一方、プレデターの体内に生みつけられたエイリアン、“プレデリアン”は、宿主の体の特徴を帯びており、約80%がエイリアンで、20%がプレデター、エイリアンの外骨格、酸性の血、サソリのような尾、隠した顎と目立つ口を持つ。

プレデター的な面としては、プレデターに似た下顎と牙、それにプレデターのドレッド風ヘアースタイル化したものだ。

しかし、加えてプレデターのDNAのせいで、エイリアンの生殖方式が変わって、これまでの卵〜フェイス・ハガー〜チェストバスター〜成体という成長サイクルを棄てて、プレデリアンはさらに活発で効率の良い繁殖システムを手にしている。

プレデリアンが人間を襲うたて身の毛もよだつグロテスクな風貌に加え、これまでのエイリアンを遥かに凌駕する戦闘能力と繁殖力を誇る究極のハイブリッド・クリーチャーなのだ。

 

未知なる進化を遂げた“プレデリアンVS.ニュー・プレデター”の死闘の行方など、誰が想像できるだろうか!__。

包囲される町はガニソンという、コロラド州中央の山脈に位置する実在の場所。

 

もの凄い勢いと光線で森に宇宙船が墜落する。これを見ていた親子は、直ぐにエイリアンの餌食になる。

町の保安官モラレス(ジョン・オーティス)が、応援を軍に頼むのですが、住民を町の中央にある広場に集め、そこへ救援のヘリが来るという。そこには、すでに繁殖したエイリアンがうじゃうじゃ!_

_。

これは、アメリカの軍政府が怪物と町もろとも一緒にミサイルで、爆撃してしまうという恐ろしい結末となるんですから。

保安官のジョン途中で若者のリッキーとジェシーがプールでいちゃついているシーンなどあるが、こんなシーンはいらないと思う。でも、助かったのは、予告で見た帰還兵のケリー(レイコ・エイルスワース)と娘のモリー(アリエル・ゲイド)。

 

それに刑務所帰りのダラスと弟のリッキー、元彼女のジェシーも助かったと思う。

それに帰還兵のケリーが、娘のモリーを守りたいために戦闘モードになる姿は、エイリアン・シリーズの中心人物で、シガニー・ウィーバーが演じた勇敢なエレン・リプリーに似ている。

 

妊産婦を襲うこの人達は、保安官が広場に行くように言っているのに、病院にある緊急ヘリで脱出をするため、病院へ装甲車で向かうのですが、すでに病院も無数に繁殖したエイリアンの巣窟と化していたのです。

 

下水道でのプレデター“ザ・クリーナー”がエイリアンを次々と倒す場面が凄く、原子力発電所へ逃げ込んだプレデリアンを熱感知ヴィジョンで探知することができず、逆に怪我を負わされるザ・クリーナー。

下水構でなんでか、怪物は町の暗い下水道とか、雨に濡れた通り、電気製品の工場が建つコンクリート・ジャングル、そして産婦人科病棟など、住民たちが餌食になるような所ばかりに出没。

画面は暗いし、怪物クリーチャー同士も真っ黒く闘うと見分けがつかないほど!・・・しかし、やっぱり“ザ・クリーナー”に応援コール!!

 

屋上での戦いちょっと気になる、最後の政府関係の男が、スーツケースに入れていたプレデターの片腕、プラズマ・キャノンを確か、「ユタニさん」という女性に言っていた「標的は人間じゃない」__だったら、ミサイル発射しなくても撃退できたのでは?謎だ!。

エイリアン種族にしてみれば、プレデターの特性を備えた、プレデリアンのような存在こそ待ち望んでいたに違いない・・・。

これもまた、プレデターの種を脅かし、戦いに有利になるための変態および進化と見ることができるのだろう。

 



papikosachimama at 22:04|Permalink

2007年12月25日

魍魎の匣4

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それは決して開けてはいけない匣__箱を祀る奇妙な霊能者。箱詰めにされた少女達の四肢。そして巨大な箱型の建物――箱を巡る虚妄が美少女転落事件とバラバラ殺人を結ぶ。

物語の舞台は1952年の晩夏。東京で行方不明になった少女たちの四肢が、箱詰めで見つかる猟奇的バラバラ殺人事件が発生する。この事件に文士の関口がひょんなことで関わることとなり、一方で元人気映画女優・柚木陽子(黒木瞳)の14歳の娘、加菜子が失踪、探偵の榎木津(阿部寛)が捜索を開始する。

「穢封じの御筥様」を祀る奇妙な宗教団体、箱にとり憑かれた男の物語を発表した作家・久保竣公、戦中に名を馳せた医学者、三馬坂が謎の研究をすすめる医学研究所など。

一方、作家・関口(椎名桔平)と記者・敦子(田中麗奈)は、不幸を匣(はこ)に封じ込める謎の教団の陰謀を掴むべく調査していた。更に巨大なはこ型の建物の謎を追う刑事・木場(宮迫博之)も登場。全ての事件は、複雑に絡まり、一つに繋がっていた。それぞれの謎を解くため、彼らは古書店・京極堂の店主、中尊寺(堤真一)のもとに集まった。

果たして憑物(つきもの)は落とせるのか!?日本推理作家協会賞に輝いた超絶ミステリ、妖怪シリーズ第2弾。(作品資料より)

中禅寺と陽子<感想>魍魎とは?・・・境界で人を惑わす妖怪。

“魑魅魍魎”と“魍魎”とはどう違うのか?・・・問われた京極堂は、「魑魅魍魎と続けて言う場合は狐、狸の類だが、「絵図百鬼夜行」には具体的な姿が描かれている。

「魍魎_形三歳の小児の如し、色は赤黒し、目赤く、耳長く、髪うるわし。

このんで亡者の肝を食らうと云う」すなわち「屍を食らう毛むくじゃらの小鬼の妖怪」である。

京極堂の家時代は、死体の転がる戦場で榎木津(阿部寛)が久保竣公(宮藤官九郎)を助けるシーンからはじまり、やがて1952年の「東京」という特定の時代と場所に移る。

ところが、下町の東京として設定されているシーンに、上海を昭和20年代の日本に見立てての映像の数々は、日本人からすると少し奇異に映る。

それは、言わばこの作品の中でしか存在しえない日本の風景であり、ノスタルジックな中にも何処か不可思議な幽玄的でもある。

頼子衣服は終戦後の東京で見られた人々の格好を真似ており、看板や貼り紙は日本語だが、ものごしや顔は明らかに「中国人」であり、路地の雰囲気も、また川べりに建つ家々も、「中国」のものなのだ。

むろん、これは、「戦前」「戦中」の雰囲気に似た場所が中国や韓国に残っていることを利用したのだと思われる。

残念なことに原作は未読なので、映画の冒頭の戦場シーンにまず驚かされた。

榎木津が、洞窟の中で匣を見つけ腹がへっているのか屍を食らうおぞましい久保竣公を見た。

やがて物語りは占領統治下の日本へと移り、戦時中に日本陸軍が行った「宗教的洗脳実験」と「死なない兵士」の研究を暴いていくわけだが、これはもちろんフィクッションである。

田中れいな今回は、久保竣公(宮藤官九郎)の心理的なレベルに「世俗化」されてしまっている。彼は、幼いときに(実験で使われて廃棄されるために)箱(「匣」)につめられた少女の死体を見て、心の傷を負ってしまったということになっている。

宮藤官九郎が演じる一人の青年の生い立ちと幼い時代の「トラウマ」、そして悲惨な戦争体験といったものへの「ヒューマニスト」的なこだわりが、
これでは、「陰陽師」の京極堂(堤真一)の出番はない。実際に今回の彼は、つまらない「探偵」になりさがったようだ。やはり、阿部寛さんの存在感が画面上では大きい。

京極堂の妹で、彼のアシスタント役の中禅寺敦子(田中麗奈)も、事件を追う側の紅一点になり活躍していると思う。それに、新しく加わった椎名桔平さん(関口巽役)も溶け込んでいました。

黒木の見波あと、木場刑事(宮迫博之)が何度も繰り返し見る劇中劇の「女さむらい柳生秘帖」のポスターがまた凝っている。

黒木瞳が「映画スター」として演じるモノクロ映画が上映されるシーンでは、気持ち良さそうにチャンバラや最後には楊貴妃まで演じられていて・・・使うのは一瞬なのに贅沢ですよね(笑)

頼子は聡明で気高く美しい加菜子に憧れを抱いていて、ある日、女優陽子の娘、加菜子から最終電車に乗って湖へ行こうと誘われる。

 しかし、当日に起こる加菜子の線路内への転落!、轢死したと思われるが何とか生きているみたいだ。

5人で匣へそしてこの加菜子の件をきっかけに物語は突然動き出す。 後で分かるのだが、頼子も手足を切断されて匣の中に入れられ見るも無残な姿で発見される。

戦前から遺伝子操作のような実験をしていたという設定のマッドサイエンティスト、美馬坂教授に柄本明さんというのも意外なようでいて、凄みのある研究者としてリアリティがありましたし、何よりあの研究所がスゴイことになってますよね。

想像を絶すると言うか、研究所での可奈子は蝶のイメージだそうですが、蜘蛛の糸に絡んでいる蝶のようにも取れいるのだが、凧糸を張り巡らせて神経組織や血管と考えたそうです。

魍魎のやかた見せ場の「箱館」。断崖にそびえ建つ巨大な匣。想像していた以上の大迫力で驚きましたね。

その実験室である巨大な発電所跡のような建物は、いかにも国籍不明で悪くない。・・・が、話が集中的にこの場所に移る後半は、ほとんど「007 ドクター・ノー」のような展開になってしまう。

江戸川乱歩のエログロの名品を思わせる切断された手足。

轢死した宮藤官九郎さんの死を打ち負かそうとするフランケンシュタインじみた欲望。荒廃した工場で人体を生み出そうという欲望、神を演じ、神になろうとする欲望。

木場刑事そう〜科学と記された匣の隣にはいつだって、宗教と記された匣がある。

それはもっとも古きかたちの科学だからだ。その匣の中にあるのは偽りの教団。古来からの信心を捻じ曲げ、人間の不幸を食らい、無垢なる者を迷信で洗脳し、金品を巻き上げる。

特にこの中盤の京極堂と穢封じの御筥様、寺田(大森博史)の対決シーンは白眉とも呼べる素晴らしさです。

ここでは難しそうな長台詞を飄々と語り続けながら堂々と見得を切る堤真一の上手さにも唸らされる。

京極夏彦のベストセラー「京極堂(百鬼夜行)」シリーズ第2作目の映画化。05年に映画化された『姑獲鳥の夏』に続き、京極堂(中尊寺)、榎木津、関口が登場し、奇怪な事件を追っていく。

匣の屋敷小説は連続シリーズだが、本作は『姑獲夏の夏』とは違う、監督は、『伝染歌』『自由戀愛』の原田眞人。

謎は謎ではなかった。

猟奇的な現象も物の怪の仕業ではない。誰もが不可解だと思っていた事件は、実はある特定の人物の、歪んだ感情のうねりが渦となり、事件の「ような」形で具体化されたものだったのだ。

 

ラストに生きているトルソー(胸像)という形で加菜子を登場させたのは、脚本も手掛けた監督の大胆さと勇気を見せられました。



papikosachimama at 00:07|Permalink

2007年12月22日

ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記3

ナショナルのタイトルリンカーン暗殺事件から道にかれるフリーメーソンの謎の暗号を解き明かせ!__

歴史を揺るがす謎にあの男が再び挑む!

無尽蔵の歴史的知識と、天才的な暗号解読能力と推理力、そして歴史的遺産に限りなき情熱を注ぎ込む、ベン・ゲイツ(ニコラス・ケイジ)。

「人民の人民による人民のための政治」の演説で有名な、第16代大統領エイブラハム・リンカーン。そのリンカーン大統領を暗殺したジョン・ウィルクス・ブースの日記の失われたページが発見された。

今回、彼が追うのは歴史上最も謎に満ちたリンカーン暗殺事件。その暗殺者、ジョン・ウィルクス・ブースの日記から失われた、陰謀が秘められた18ページの一部が発見された。しかし、そこにはゲイツの祖先の名が、暗殺者が加味する秘密結社「ゴールデン・サークル騎士団」の一員として載っていたのである。

何者かによって汚されたゲイツ家の名誉を守るため、ベンは相棒の天才ハッカー、ライリー、才色兼備の古文書専門家アビゲイル、暗号解析のスペシャリストで父親のパトリックらと共に真相究明に乗り出す。
大統領の部屋で迷宮のような暗号解読への第一歩を踏み出したゲイツは、リンカーン暗殺者の日記に仕掛けられた《暗号》を発見。ひとつの手がかりを元に、次の手がかりへ自由の女神、バッキンガム宮殿、ホワイトハウスといった歴史的建造物に秘められた暗号を次々と解読する中で、ゲイツは歴代大統領が追い求め続けてきた「世界を変える究極の力」の存在を知る。

現役大統領のみが手にすることができる《大統領秘密文書》には何が記されているのか? ベンと仲間たちの行く手を、歴代大統領のみが知る究極のタブーが阻む。彼らに残された手段はただひとつ──アメリカ合衆国大統領を誘拐することだった。(作品資料より)

洞窟<感想>前作の「宝探し」の面白さから、ベン・ゲイツの曾祖父がリンカーン大統領暗殺に荷担したという嫌疑を晴らすことがテーマになっている。

つまり、宝物の探険・発見から、名誉の回復ような「精神」の問題に焦点が移ったのだ。

ハラハラドキドキする展開。

さらりと披露される歴史のうんちく。そして、冒険心をくすぐるストーリーと、娯楽の王様たる映画の醍醐味をすべて兼ね備えたような作品。

ごくわずかな情報を元に、そこに秘められた謎を解き明かしながら真相に近づく彼らの旅は、今回はアメリカを離れ、ヨーロッパにまで飛び訪れる歴史的建造物も、パリの自由の女神、ロンドンのバッキンガム宮殿、ワシントンD.C.のホワイトハウス、マウントバーノン、議会図書館、ブラック・ヒルズのラシュモア山と豪華絢爛まるでスクリーン上で観光旅行しているみたいです。

地下道しかも彼らは、単に訪れるのでなくまるでスパイ映画さながらに警備を欺いて忍び込み、今まで誰も見たことがないような隠された秘密を、次々に解き明かしていくのですから、見ている方は置いてけぼりをくらって口をポカーン!!

 

またまた頭脳明晰で、その過程で提示される謎ときの面白さ、ベンの祖先が残した日記の切れ端から浮かび上がるラブレーの文字。

ヘレン・ミレンそれは、“自由の女神”の立案者の名前で、パリの女神像を調べてみると“双子”というキーワードが浮上。

その“双子”とは、バッキンガム宮殿内の女王の私室と、ホワイトハウス内の大統領執務室の両方に置かれていた同形の机こそが“双子”なのだと。

 

バッキンガム宮殿に潜入したベンとライリー、アビゲイルの3人は、ライリーが警備を解除し、女王の書斎へと忍び込み机の引き出しに仕掛けられたカラクリを解き明かす。

 

隠された仕切りから古い木片を発見!そこには見慣れない文字が、ベン・ゲイツの母エミリー・アップルトン(ヘレン・ミレン)しか解けない古代人の絵文字なんて言われてもチンプンカンプン。

この映画では、専門家の特権的な形而上学でうやむやにされてしまう。最終的には、誰もわからない領域を設定した場合、こちら側としては、信じるか信じないかしか、選択の余地がないんですね。

ジャスティン・バーサライリーが仕掛けたセキュリティの異常が発見され、3人は宮殿から逃げるのですが、外にはウィルキンソン一味が待っていたんです。

 

木片をめぐり銃弾飛び交うカーチェイスの場面、ニコラス・ケイジの相棒ライリーが「俺が運転する」と左座席に乗り込むシーンがある。

 

そこで、「英国では車は左側通行、アメリカとは逆だよ」と、右座席に乗ったニコラスが新車のメルセデス・ベンツ280C車を疾走させる。

ロンドンのような大都市で交通を止められる時間は限界があるわけで、走っている車のスピードは、殆んど映像で修正していないそうです。

特にこのシーンのハイライトは、フラー社のビール、ロンドン・プライドを運ぶトラックが160個ものビール樽を落としてしまうシーンだ。

樽が次々とトラックから落ち、店のウィンドウや電話ボックスを破壊するのは見ていても興奮する。

ハーヴェイ・カイテル女王の机からは黄金都市“シボラ”の位置を指し示す文字が刻まれた木片が見つかり、一方、ホワイトハウス大統領の執務室の机からは“大統領秘密文書”を意味する印(鷲がオリーブの枝でなく巻物をつかんでいる)が見つかる。

大統領の秘密の記録__ここでFBI捜査官であると同時に、フリーメイソンであるセダスキー(ハーヴェイ・カイテル)に相談する。

アメリカの都市伝説も数多くでてくるが、中でも興味深かったのが大統領秘密文書

アメリカ合衆国大統領が代々引き継ぎ、現職の大統領だけが読むことが許される、とウワサされる超極秘文書で、その中身は、宇宙人絡みの秘密基地エリア51やケネディ大統領暗殺の真実などが記されているというのだ。

ワシントンこれはちょいと気になるテーマ?それに大統領が言っていた47ページには何が書かれていたのか?・・・しかし、アメリカ現職大統領が、あんなに簡単に誘拐されるわけがないだろうに?・・・突っ込まない訳にはいかない(笑)

種明かしの大部分は、ベン・ゲイツの天才的な閃きによって処理されて猛スピードで謎を解き、ベンが秘密文書の在処を聞き出すために大統領を誘拐した後、次から次へとジェットコスターに乗った気分で進み、財宝が眠るラシュモア山でクライマックスを迎える。

ジョン・ヴォイトブラック・ヒルズにそびえるラシュモア山国立記念公園には、山肌に彫られた4人「ワシントン、ジェファーソン、リンカーン、ルーズベルト」の大統領の頭像で有名だが、ラコタ族を初めとする様々なアメリカ原住民から何千年にも渡って神格化されてきた場所でもある。原住民たちにとって、ラシュモア山の彫像は、民主主義の勝利の象徴ではなく、ブラック・ヒルズで金鉱が見つかったことでアメリカ政府に併合されてしまった痛みの象徴なのだ。

撮影は、ブラック・ヒルズにあるカスター州立公園のシルヴァン湖で行われた。

ディズニー第2スタジオに作られた洞窟のセット。洞窟に入るための大きな円形の石、もう一つの洞窟のセットには、真ん中に軸のあるプラットフォームがあるバランスの間。

地獄のシーソーのようなバランスを保たなければみんな谷底へと落とされる。

 

ダイアン・クルーガーベンとライリー、アビゲイルとウィルキンソンの4人が平均を保ちながら縄梯子に飛びつくシーンもハラハラ、ドキドキ。そこを登ると水がほとばしる巨大で美しく、マヤ文明初期のオルメカ文化の3つの大滝、水の祭典だ。

 

このシーンでは、ニコラス・ケイジを始めとするメインの出演者全員が、骨の髄までずぶ濡れになって撮影したそうです。

しかしながら、ドラマの展開仕方や、映画技術への思い入れがそれほどの出来でなく、何かもの足りなさを感じました。すべてが空虚に見えてくるんですね。

残念ながら今回は、そんな感じの映画だった。
天才歴史学者にして凄腕トレジャー・ハンターのベン・ゲイツにニコラス・ケイジ。

これまで1度も続編に出演してこなかった彼が、本作で初めて続編に挑んだ。

ヘレンとほかには、ベンの父親役で暗号解析のスペシャリストにジョン・ボイト、FBI捜査官役のハーヴェイ・カイテルをはじめ、天才ハッカーのライリーには、ジャスティン・バーサ。

ベンの恋人でもあり、才色兼備の古文書専門家のアビゲイル博士には、ダイアン・クルーガーなど、前作出演者はみんな続投。

加えて本作では「クィーン」で、アカデミー主演女優賞を受賞したばかりのヘレン・ミレンが、ベンの母親であり言語学教授に、今回初出演のヘレン・ミレンは、ジョン・ボイトが演じるベンの父親パトリック・ゲイツと相性がわるく、離婚したという設定。

edoharisuトレジャー・ハンティングに入れ込む夫に迷惑をかけられたらしいが、再会したとたん口喧嘩になる。根は、それほど憎みあっているわけではない。

それにジェリー・ブラッカイマー製作の「ザ・ロック」(96)などでいぶし銀の魅力を放つエド・ハリスが、謎のトレイジャー・ハンターとして活躍している。

ダイアン・クルーガーとは「敬愛なるベートヴェン」で共演しており、監督業にも進出、自らが主演を兼ねたヴィゴ・モーテンセン、レネー・ゼルウィガー共演のウェスタン「Appaloosa」(08)が公開予定。

 

大統領それに忘れてならないアメリカ合衆国大統領役のブルース・グリーンウッド、「カーポティ」、「世界最速のインディアン」(05)、「デジャブ」(06)などに出演。豪華スターが勢ぞろいした。

 

製作はジェリー・ブラッカイマー。『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズをはじめ、「手がけた作品はすべてヒット!?」と思えるほどヒットを連発する、言わずと知れたヒットメイカーだ。「第3弾は?」との問いかけには、「まずは、これが当たってから」という答えだが、手応えはアリアリと見えた(笑)。



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2007年12月20日

カンナさん大成功です!3

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愛されたい?幸せになりたい?思っているだけじゃだめだから、私の愛は全身美容整形よ!

幸せになりたいと願う女性なら、誰もが固唾をのんで見守らずにはいあられない__命をかけた、カンナの選択!

身長169cm、体重95kgの巨体を持つカンナさん。唯一の取り得である美声を活かし、歌手になることを夢見て音楽業界を目指すが、現実にたどり着いたのはスター歌手の舞台裏で声をあてるゴーストシンガー(影の歌手)の職。スポットライトの当たらない舞台裏に立ち、それでも彼女は満足している。そんなカンナはイケメン音楽プロデューサーのサンジュンに恋をしてしまったのです。

しかしある日、カンナはサンジュンの本音を聞いてしまったのです。「カンナには才能はあっても、美貌はない。憐れんで、放っておけばいい」。決定的な現実を突きつけられた彼女は、絶望の淵を彷徨った果てに、決死の一歩を踏み出す。

それは、誰もが予想しえない大胆な一歩、“全身整形”という、まさに命がけの方法だったのだが・・・・それから1年後、絶世の美女へと生まれ変わったカンナは“ナチュラルビューティーのジェニー”として歌手デビューする。

果たしてカンナは捨て去った過去と引き換えに、スターダムとサンジュンの愛を手にすることができるのか?(作品資料より)

鈴木由美子の漫画<感想>いま韓国映画界では、日本の原作ものが大人気だが、この映画は、「白鳥麗子でございます!」で有名な、鈴木由美子の少女漫画『カンナさん大成功です!』を映画化したもの。

原作は、日本ではもちろん、韓国でも約30万部を売り上げた大ヒットコミック。

韓国では、鈴木由美子原作の漫画のタイトルが、『美女はつらいの』と翻訳されたためそれを映画のタイトルにも採用したが、日本では原作のタイトル通り『カンナさん大成功です!』として公開。

知ってのとおり、韓国は世界有数の美容整形大国なのだ。親が子供の入学祝いに美容外科に連れて行くという国だもの。まさかね〜堂々と整形手術をテーマにした映画を作るとはもうホントびっくりです。

デブのカンナそしてこの映画、鈴木由美子の原作は未見ですが、内容が違うらしい。

どこが違うの?・・・というと、ヒロインの名前以外、全部違うというのだから。

映画のカンナはのっけから特殊メークでのおデブちゃんバージョンで登場する。

しかし、ほとんど書き下ろされたこのストーリー、脚本がじつに素晴らしく面白い。

おデブちゃん時のこっぴどい周りからの意地悪や、美人になった途端に今まで振り向いてもくれなかった男たちが、急に親切になるなど、ギャグが多数織り込まれていて、爆笑の連続ですよん。

韓国版タイトル特殊メイクで95kgの巨体のカンナをチャーミングに演じ、48kgのスレンダー整形美女ジェニーで観客の目を釘付けにするのは、新星キム・アジュン。

彼女には、不細工な女の子の気持ちを知るため、4時間かけた特殊メイクのまま街に出かけたという、感心すべきエピソードもあるのです。見るとナチュラルな雰囲気の美人で、たしかにとってもかわいい。

ちょっと見は、木村佳乃に似ているし、そもそも今回のオーディションには「整形してないこと」という絶対条件があったため、トップスターたちが揃って落選したおかげで彼女はラッキーガール!。

それに、演技力ばかりでなく、抜群の歌唱力も披露している。

本作のコンサートシーンは、多数のエキストラと豪華なセット、そして主人公のキム・アジュンが実際に歌う劇中歌が良いこともあって、大きな感動を与えてくれる名場面だ。

そのキム・アジュン、本来は吹き替えが予定だったのに、キムの歌があまりに上手だったので、そのまま採用したという。

同じ赤のドレスで監督は「オー!ブラザーズ」のキム・ヨンファ。

好きな人が喜んでくれるのが嬉しくて、スターの影武者でもがんばっているカンナさん。

施設に入っているお父さんのためにお母さんのフリをして、ダンスを踊ったり、バイトのテレクラで奥さんと上手くいっていない美容整形外科医を慰めてやったりしてたのに、好きだった人の心無い一言で自殺未遂をしてしまう。

でもめげてなんかいない、そのテレクラのお客さんの美容整形外科医に頼んで、命がけの全身整形。

街を歩くカンナ美容整形後のカンナさん、街へ出てショーウィンドーの洋服がお似合いで心もウキウキ、車に乗れば美人になったことで、交通事故起こしても許してもらえたり。

 

世の中の男が、カンナさんにみんなひと目惚れしてくれるので調子に乗ったり、親友と喧嘩したり、お父さんを捨てかけたり...結局なんでも赦されてしまって、外見が全てなのか?・・・・・と思ってしまいます。
カンナとサンジュン最後に、それが間違ってるって分かったあとは、綺麗になって恋も歌も上手くいくけれど、それと引き換えに大切なものを失ってしまう大きな代償。お父さんも、本当はボケているようで自分の娘の区別は分かっていたのね。

 

それと、1年間美容整形するのに手放したワンコのサランちゃんも忘れてはいなかった。それでもやっぱり好きな人のことは忘れられない。その人のためにまた歌い始めるカンナ。

笑って泣いて、なんか見終わったあとは心が綺麗になった気がしました。
カンナと犬劇中で、友人が整形前のカンナに語る。「男にとって、女は3種類しかない。

綺麗な女はブランド品。普通の女は既製品。あなたは返品よ」。

こんなふうに言われたら誰だってヘコムよ(悲しい)この世の中、女性のみんながスレンダー美人ばっかりだったら可笑しいと思う。

おデブちゃんもいれば、痩せぽっちさんもいる。見た目は美人でも、どんなに整形して美貌を手に入れても、心が美しくなければ人間として成功ではないと思う。
キム・アジュン美容整形をすることが悪いと言うことではなく、誰だって美しくなりたいですもの。

でもね、お金で美容整形して自分を変身させても、心まで美しくはならないもの。

コメディタッチで描かれているにもかかわらず、最後は感動させてくれます。

ラストの主題歌のアベ・マリア、梨花が歌ってると聞いてガッカリです。結構いい曲だったので、キム・アジュンの声で聴きたかったです。


*ヒロイン役のキム・アジュンは1982年10月16日生まれの24歳。モデルから女優に転向し、今回が初主演。また彼女が歌った映画の挿入歌「Maria」も大ヒットしたそうです。

最近livedoorのTBが反映しません。下のURAにて宜しくお願いいたします。

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2007年12月19日

タロットカード殺人事件4

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ロンドンの夜に悲鳴が響く__。切り裂きジャックの再来と言われる連続殺人鬼が出現。

狙われるのはブルネットの美女ばかり。いつも殺人現場にはタロットカードが一枚。

犯人の残したメッセージ、これはいったい何を意味するのか?・・・

夏休みを利用してロンドンの友人宅に滞在中のアメリカ人学生サンドラは、遊びに行ったマジック・ショーで、“チャイニーズ・ボックス”の中で、幽霊となった敏腕新聞記者ストロンベルから世紀のスクープを耳打ちされたブロンドの女子大生サンドラ。

ロンドンを恐怖で揺るがす「タロットカード連続殺人」の犯人の名前を聞かされた彼女は、奇しくも同じニューヨーク、ブルックリン出身のお喋りな三流マジシャン、スプレンディーニこと本名シドニー・ウォーターマンとともに、父娘さながらの凸凹コンビを組み、素人探偵に成りすましてロンドンの街を颯爽と駆け巡る。

ターゲットとなるのは、ハンサムな英国貴族ピーターだ。しかし、とても連続殺人鬼とは思えない洗練されたピーターの魅力に、たちまちサンドラは虜になってしまう。果たして、この連続殺人のゆくえは?__。(作品資料より)

アレンとスカチャン<感想>ニューヨークから住居をロンドンに移して、第一作の「マッチポイント」(05)で、ヒロインのスカーレット・ヨハンソンをすっかりお気に入りになってしまったアレン。アレン爺さんは、若くて演技のできる美女には昔から目がないのだから首ったけになるのもうなづける。

今回の作品は、ウディ・アレンが脚本を書き、監督したオリジナルのミステリーである。アレンのイギリス製作二本目の映画であるが、本格的ミステリー映画として犯人探しも結末の意外性もあり、アレン爺さんは、かなりのミステリー小アレンが手品説の愛好者であることも有名。

ウディ・アレン爺さん、「僕のニューヨークライフ」以来、3年ぶりに自作映画に出演。愛すべき三流マジシャン、シドニーをオトボケで演じ、少年時代に趣味として練習を重ねたという奇術の腕前?・・・を披露するのは、アレンの大ファンである私は目を細め、つい手を叩きたくなる。

確かに本作が、ときおり二番煎じと思えるようなシーンを見せるが、ウディ・アレンは、どうやら、自作の再認識化に力をそそいでいるようだ。

スカチャンこれは、ただの二番煎じとは違うぞっと、本当は、人にまかせればいいことなのに、・・・。

スカーレットとの名コンビぶりは、かつてのダイアン・キートンとの関係を想起させるほどで、早口で一気に台詞をまくしたてるアレン爺さんに、負けず劣らずのスカーレットの“機関銃トーク”はスリリングな丁々発止を生み出して、活気あるテンポをみなぎらせていいですね。

 

ジャクマンとスカチャン監督にベタ惚れされたスカーレット、本作ではジャーナリスト志望の野心満々な現代娘でありながら、おっちょこちょいで愛すべきサンドラ役でコケティッシュなコメディエンヌぶりを垣間見せている。

そんな異色カップルに追跡されるハンサムな青年貴族ピーターに、「X−メン」シリーズのウルヴァリン役でハリウッドスターの仲間入りをしたヒュー・ジャックマン。

 

ジャックマンの裸たて連続殺人鬼とは思えない英国紳士のエレガントな物腰と、女性なら誰もが魅了されるスマートな容貌を駆使して、「本当に彼が犯人なの?」と思わせるミステリアスなオーラを放ち、最後までその正体を明らかにしない懐深い演技力はさすがですね。

ウルヴァリンの逞しい身体も見られますよ(笑)

スカーレットとは、「プレステージ」で共演しているし、来年バズ・ラーマン版西部劇「Australia」(08)では、ニコール・キッドマンと共演する。

その他に共演は、サンドラにスクープを吹き込む新聞記者ストロンベルに「ドーバー海峡殺人事件」「美しい人」の個性派俳優イアン・マクシェーン。

新聞社のマルコムに「プレンティ」「ゴスフォード・パーク」のチャールズ・ダンス、ストロンベルにスクープを告白する秘書のジェーンに「ヴェラ・ドレイク」のフェネラ・ウールガー。ピーターの父親ライモン卿には「007/ユア・アイズ・オンリー」のジュリアン・グローヴァー、サンドラの友人ヴィヴィアンに「ダンシング・ハバナ」「エンジェル」のロモーラ・ガライなど英国映画・演劇界を代表する名優が贅沢に脇を固めている。

亡霊とスカチャン映画の原題「スクープ」がそのまま、世間を揺るがす大スクープ(特ダネ)を入手したジョーは、3日前に急死して、今は三途の川の渡し舟の上にいる腕利きのジャーナリスト。死人の自覚がないまま、事件屋魂はまだ生きていて、誰かに教えたいと船から飛び降りる。

そこをプロローグに始る「タロットカード殺人事件」は、すぐに舞台がロンドンへと移る。

しがないマジシャン、スプレンディーニ(アレン)のショーの舞台に上げられたスカーレットが、箱の中に突然現れた新聞記者ジョーの幽霊から、事件の犯人は貴族のライモン卿だと打ち明けられる。半信半疑ながらサンドラはこの話をシドニーに告白するのですね。

スカチャンの水着こうして、犯人は分かっているが、犯人である証拠を見つけなければ彼を逮捕させることはできない。

二人は父娘に成りすまし、にわか探偵としてライモン卿に接近、あれこれと騒動を起こすわけです。最初から犯人を明らかにしておいて、証拠を集めて追い詰めて行く手法を、ミステリー業界用語では「倒叙」と呼ぶそうです。あの「刑事コロンボ」のスタイルだそうです。本作ではこれをうまく使っている。誰も信じない幽霊の話で、相手は貴族である。平民と貴族、車の右側通行と左側通行など、アレンは映画の中でアメリカとイギリスとの様々なギャップを面白可笑しく盛り込んでいるんですね。

タロットのサントラ素人の父娘探偵がそう簡単に超セレブのピーターに接近できるはずもなく、二人はピーターの通うプールを見つけて、彼の前でサンドラが溺れたふりをすれば、もう彼はサンドラにゾッコン、作戦は成功です。

そこで、サンドラは女優のたまごジェイドと名乗り、シドニーを父親と紹介して、うまうまとピーターの父親がカントリーハウスで開くパーティーに招待されて、証拠探しに突入するわけです。

打ち合わせもなく行動すると、たちまちボロを出すちぐはぐさが笑いを誘います。シドニーは石油開発業だと自称しながら奇術師の本業が出て、パーティーでトランプ・マジックを貴族たちに披露し、娘にみっともないとたしなめられる始末。

そのカントリーハウスでの出来事を通して見えてくるアメリカ庶民のイギリス上流階級への憧れとコンプレックスは「マッチポイント」でも十分に描かれていたが、これがサンドラを危機に追い込んでしまうんですね。

見たこともないような豪勢な生活を見せられて舞い上がる彼女は、ハンサムで優しくお育ちもよいピーターにたちまち夢中になってベットを共にした挙句、こんな素敵な男がシリアルキラーであるわけがない、と確信するのです。

ボートに乗って二人が幽霊の述べた暗証番号で貴族邸の地下室に忍び込み証拠を探したり、探偵ごっこを続けるが、サンドラはピーターに本気で惚れこんでしまっている。

アレン監督の映画の登場人物は、殺人を犯してもたいした反省もなく、懺悔や告白はしないので、罪の意識を感じたことで危機が迫ると言うのは、やはり後悔や懺悔なんかしないほうがいいんじゃないという、アレン流の警告ということなのだろうか?彼の映画は昔からさほどモラルにうるさくないしね。

その結果、この映画ではプロローグだけでなく、エピローグもまたあって、ここはアレン流のおとぼけで締めくくられています。イギリスの道をアメリカ流に右と左の車線を間違えて車を走らせたことで、シドニーは木に激突して三途の川を渡る船の上にいるわけなんです。

三人で念願かなって手品師役を演じたアレンが、ここぞとばかり手品を披露する姿は、あの世行きの船に乗っているとは思えないほどいつもの彼がそのまま。

アメリカ気質とイギリスの伝統との対比を描き、アレンにはこれがアメリカ映画だとハッピーエンドで終わるのだがと言わせて於いて、それを逆手に取りイギリスらしい皮肉なオチで結んでいる。

今回、サンドラが、ピーターと初対面のとき、連れのシドニーを「父です」と紹介し、彼が心おだやかでない表情をするシーンがある。この映画では、アレンは、確かにその「消え方」を心得ていたと思う。

やはりアレンが出演しているほうが楽しいに決まっている。70歳になるアレンだが、驚くほど年齢を感じさせない映画作りのパワーにはただびっくりです。



papikosachimama at 22:49|Permalink

2007年12月16日

アイ・アム・レジェンド4

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私の名はロバート・ネビル。ニューヨークで生き残っている。
もし誰かこれを聞いているなら、もし誰か他にいるなら……誰でもいい、応えてほしい。66億人の絶滅と、たった1人の生存者

2012年、人間の姿が消え、死んだように静まり返るニューヨークの街。この街がかろうじて生きていることを伝えるのは、通りを走り抜けていく1台の真っ赤なマスタングだけ。運転しているのは、ロバート・ネビル。3年前、人類に降りかかった地球規模の災厄をくぐり抜け、この街で、そしておそらくは全世界で、ただ1人生き残った男。
今や唯一の話し相手となった愛犬サムとともに、無人の店舗で食料品や日用品を調達し、セントラルパークに畑を作って、彼は独りで生きている。

店員代わりに並べたマネキン、空軍基地の飛行機の翼から摩天楼に向かって打ち放つゴルフのショット……何をするのも独り、どこへ行っても独り。それはいつ終わるともしれない究極の孤独だ。
崩壊したニューヨーク自分以外の生存者を探しもとめて、3年間、毎日無線で流し続けているメッセージには、いまだ誰からも返事はない。果たしてこの世に生存者はいないのか? その一方で、日が沈み、太陽の光が消え去ると、いっせいに蠢きだす不気味な影。

それは、人類滅亡後に出現した闇に潜む生物“ダーク・シカーズ”だ。その凶暴な群れに襲われれば、ネビルの最後の望みも絶たれてしまう。しかし、人類再生の鍵を握っているいるのもまた、彼らかもしれないのだ。果てしない孤独と、迫りくる恐怖。夜毎ダーク・シーカーズの脅威と戦いながら、途切れそうになる希望をたぐり続ける日々。やがてネビルは、ある驚くべき事実に気づく。(作品資料より)

ネビルとサムたて<感想>人類滅亡映画には人間の欲望が凝縮されている。映画の中の話とはいえ、人類は何度か滅んできたし、あるいは滅ぶ寸前まで挙げたら数え切れないほど。

人間のなかには破滅願望的な心理が少なからずあり、悲惨な状況に置かれた自分を想像しながら自虐的な快感を得る場合だってある。

もしくは悲惨な状況に耐える主人公に感情移入し、その過程を疑似体験する。これは普通のドラマでも誰もが感じられることだろう。

そして滅亡といえば、物理的に地上の何かが壊れることが多い。たとえば、建築物が次々と壊れ大地が揺れる描写は、破滅願望とは異なる破壊願望を満たしてくれる。形ある物が壊れる瞬間は心がときめく。

また破壊や滅亡のうち直接的物理的に壊す描写がなくても、街の中人っ子ひとりいない空間を見るだけで、ある種の日常空間の破壊というカタルシスを感じることがある。
ここではそんな興奮をいちどに堪能させてくれる。

人類にとって世界戦争とともに恐ろしいのが、眼に見えないウイルスや細菌系。最近では「インベーション」とか「バイオハザード掘廚魎嫋泙靴燭个りなので、またかと思っていたが、人類滅亡映画とて必ずしも人類が滅びるとは限らない。
滅亡の過程こそが醍醐味であり、生存率と面白さが比例することはない。

ウィルの娘と人類滅亡には、地球最後のヒーローが不可欠である。彼らは人類滅亡の世界を戦いながら、いかにして日々生き抜いていたのだろうか?・・・彼らこそ真の救世主かもしれない。

今回のヒーローは、あらゆるジャンルで次々にヒット作を連発し、今年の1月に「幸せのちから」ではアカデミー賞主演男優賞にもノミネートされたウィル・スミス。「幸せのちから」では息子が一緒だったが、今回は娘が一緒に出演している。


監督はコンスタンティンのフランシス・ローレンス。当初はリドリー・スコット監督、アーノルド・シュワルツェネッガー主演という企画だったという。

ネビルが傷つくSF作家リチャード・マシスンのあの名作が最高の映像クオリティで観られることになろうとは、・・・。
それだけでも期待大。そもそもこの原作小説は“もし自分が地球最後の一人だったら”という大胆不敵な設定に古典的ホラーである吸血鬼の要素をプラスし、圧倒的絶望感を見せ付ける、ゾンビの原点としても知られる大傑作。

これまでもホラー色の強かった64年版、SFアクションとしての71年版と2度映画化されているが、今回はデジタルVFX時代ならでは、とばかりに誰もいない崩壊したNYの風景などのヴィジュアル面がパワーアップ。
それだけで主人公の孤独感、そして作品がもつ圧倒的絶望感がヒシヒシ。

ゾンビの罠に予告編の孤立無援の主人公に襲いかかってくる怪物たち、“ダーク・シーカーズ”が登場。

かなり原作に忠実に「俺が伝説」というタイトルにふさわしいラストシーンが用意されている。

今回は、世界的大都市であるニューヨークのマンハッタン全域から完全に人影を消し去り、映画史上かつてないほどのスケール感あふれるゴーストタウンの図像を見せてくれる。

ほぼ全編にわたり、ネビルの移動に応じて動くカメラは他の人間の姿を捉えることはない。
聞くところによると本作は、こうしたビジュアルイメージを得るにあたり、同地区にて200日の長期にわたる区画封鎖撮影をおこなったという。

ネビルのたて本作で描かれる大災厄の襲われた後の世界は、理想郷ならぬ“暗黒郷”を描いたSFファンにはお馴染みの寒々とした不毛の地ではない。
むしろそれは単に機能することをやめてしまった世界、コンクリートやレンガが劣化し、自然が都会に戻ってきた世界のイメージだ。

長い間放っておかれたために、雑草がまた生え始め、自然が都会から居場所を取り戻すという、野生動物もたくさんおり、通りを鹿が走り、あちこちに鳥がいる。ライオンの親子が鹿を襲うところは凄かった。

やっぱり唖然としたのは、ニューヨークで一番の繁華街のひとつ、真昼間の五番街を歩くネビル。
アスファルトからは草が生えてて、錆びた車が何台も放棄されている。ニューヨークは感染の発生源だったため、外の世界から隔離するために、ほとんどの橋とトンネルは壊されている。3年間、たった一人でいるということは、ネビルの精神に様々な形で影響を及ぼしていた。

彼は第一線で活躍していた伝染病学者であり、このウイルスの蔓延を止めることを期待されていた。
マンハッタンは彼の管轄だったのに、彼はそこを救えなかった。

白衣でネビルそしてウィルスは蔓延。彼は妻と娘を失い、根本的な意味では人類も失ったわけで、・・・彼はそれを取り戻したい。

冷蔵庫にはあの「タイム」誌の表紙がテープで貼ってあり、「救世主」の見出しの横には彼が書きなぐった“クエスチョン・マーク”がある。
彼は毎日、治療法の発見に少しでも近づこうと努力し、できれば、変異してしまったクリーチャーをも元の人間に戻したいと願っている。

窓からだが、彼らも日ごとに彼との距離を縮め、殺す機会を狙っている。治療法を見つけるのが先か、彼らに見つかるのが先か?・・・。ネビルは彼らに囲まれて生きているが、彼らが狩りをおこなう夜間は要塞と化した家に閉じこもる。“ダーク・シーカーズ”にとって、ネビルは人類最後のひとり、つまり“レジェンド”だからだ。


しかし、そんな苛酷な状況にあっても、ネビルは何とか人間性を保ち、未来への希望を持ち続ける。

この映画が象徴しているのは、生き続けようとする主人公の本能的な闘い。ネビルの日常は、貴重な美術品が数多く飾られた書斎、文学書と科学専門誌があふれる本棚、今は亡き愛する家族の写真が飾られた壁。
バスタブで寝る治療法発見のために実験をおこなう、地下室にある設備は最新式の研究室。キッチンにはあらゆる種類の缶詰やインスタント食品が戸棚に整然と並べられた貯蔵庫が、・・・。

彼の生活は規則正しい。一晩中寝ずに侵入者を防ぎ(バスタブにサムと一緒にうずくまる)、早朝に短時間睡眠をとり、日中は研究室での実験、空っぽの街で日用品や食糧の補給をして過す。
そして日がたつにつれ、絶望的になってくる生存者捜索のためにメッセージの放送を欠かさない。

無線でネビル本作の架空のウイルス“KV”は、疾病管理センター(CDC)でのリサーチから引き出された最悪の状況のシナリオ、「世界の人口の98%を殺した伝染病の大流行、というのがそもそものアイディア」なんだというローレンスは説明する。

「遺伝子異常があるために生き延びた人が1%で、彼らはなぜかウイルスに免疫がある。残りの1%は感染が慢性化して生き延びたのだが、それは代謝機能を抑制不能にし、副腎を破壊してしまった。
そのため、彼らの心拍数はとてつもなく高く、常に高熱の状態で、むさぼるように食べないと死んでしまう。狂犬病にかかった人の症状にちょっと似ている。

別タイトル敵の吸血鬼ゾンビも人間の形をかろうじて留めたクリーチャーとして描かれ、手足で軽がるとビルや窓を登り飛び移る獰猛な怪物だ。

毛のない牙のある狂犬もいるが、昼間はビルの暗闇の中に潜んでいる。そこに鹿が逃げ込んで、犬のサムが追いかけネビルもビルの中に入り込む。

このシーンは、やっぱり怖い、いつ出てくるかと思っていると暗がりで上半身裸で片間っていた。ネビルが研究のためにゾンビを捕獲するのだが、服を着たリーダーがいて仕返しのような罠を仕掛けてくる。
その罠にネビルが嵌まって片脚中刷り状態になり気を失う。

途中で何度か奥さんと娘の回想シーンが描かれる。気を失ったネビル、陽が沈む時間を知らせる腕時計の音で眼が覚めるのだが、足を怪我して薄暗くなりクリーチャーが出没して襲い掛かる。

愛犬サムが狂犬に噛まれ、ネビルも足に怪我をしているし、急いで車へ乗らないと、クリーチャーが凄い数で襲ってくる。このシーンは「バイオハザード掘廚隼ている。

愛犬サムを亡くして、孤独感にさいなまれやけになって夜の街へ車で走らせる。
死ぬ気なの?・・・やっぱり襲われる。危ない所をメリーランドから来たアナと息子のイーサンに助けられる。

アナのアリシー家に帰って、大事に取って置いたベーコンをアナに料理されてしまう。食べ物の怨みは怖いよ!(笑)

寒い所はまだ感染していないという。アナにこれからバーモントに生存者がいるところへ一緒に行こうと誘われるが、敵の吸血鬼ゾンビが襲ってきたのだ。

クライマックスの「俺が伝説」のシーンである。捕獲した女ゾンビに免疫を注射して、人間に戻らせる血清ワクチンを完成。そのワクチンをアナに持たせて、シュレーターの中へ彼女とイーサンを匿い自分は手榴弾のピンを抜いてゾンビの群れに突撃する。

メッセージを聴きつけてきた生存者、アナには「シティ・オブ・ゴット」(02)で映画デビューを飾ったアリーシー・ブラガが、気丈な母親の役を演じている。

SFやホラーのジャンルには「破滅もの」という大きなテーマがある。

人類が何らかの理由で破滅しつつある経緯、または破滅したあとの世界を描き、その状況に暮らす人間の苦闘を追及するもので、破滅後の世界をリアルに描くだけでなく、そこに残された主人公の内心を哀歓込めて克明に語っている。

とんでもない逆境にたたき込まれた人間が必死に生き抜こうとする姿を、ヒューマニティあふれる物語としているのが実にうまい。

まったく救いのない世界のなかで、人間がいかに理性と希望を失わずに生きていけばいいのか、そもそも生きていけるのか。人間ドラマとして深みのある作品として満足の出来である。

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papikosachimama at 23:15|Permalink

2007年12月13日

ONCE ダブリンの街角で4

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ONCE、たった一度の大切な出会い。ある日、ある時、ダブリンの街角で・・・。

男と女は、恋か友情か、心を通じる相手を見つけた。男は穴の空いたギターを抱え、街角に立つストリート・ミュージシャン。

ギターを片手にダブリンの街頭に立つ男の歌を褒める女。

 

女はチェコの移民で、男に掃除機の修理を頼んだことから仲良くなり、今度は女がピアノの演奏を男に聞かせる。女は、花売りと家政婦をしながら生活をしていて、暇を見つけると楽器店でピアノを弾くのを楽しみにしていた。そんな二人を音楽が結びつける。

言葉にできないもどかしさを音楽にのせ、一緒に演奏する喜びを見つけた二人のメロディーは、心地よいハーモニーを奏で始める。(作品資料より)

街角で歌う<感想>実名で登場する、グレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァとの実話が、映画に織り込まれているが、2人ともこの映画のなかの二人の生活のような暮らしをしていたわけではないらしい。

ダブリンのストリートで自作の歌を奏でる男の前に、ひとりの女が現れ、彼女のピアノにほれ込んだ男は、彼女のために曲を書き、2人のセッションは美しいハーモニーを奏でる。

花を売る女街角の小さな出会いが大きな希望を育てる。男は突然消えてしまった恋人への想いを断ち切れず、女は故郷に置いてきた夫との関係を見直そうとしている。

そんな二人の仲に生れるほのかな感情。

 

初めて手を触れる時のもどかしさ、彼女の頬にキスをする時の一瞬の迷い。そんな友情と恋愛の狭間で生れる気持ちは、一緒に音を積み上げ、美しいハーモニーを奏でるのです。

 

丘の上で音楽がどんなセリフよりも雄弁に感情を表現することで、この映画で見事07年サンダンス映画祭のワールド・シネマ観客賞を受賞。

 

リアルな感情を見事に音楽で表現したのは、国内チャートで一位を獲得するアイルランドの実力派バンド、“ザ・フレイムス”のフロントマン、グレン・ハンサードと、プラハで出逢い、彼のソロ・アルバムでも共作したチェコのマルケタ・イルグロヴァ。

 

楽器屋でピアノを弾くシンプルなラブストリーを、ヴィジュアル・アルバムを作る感覚で挑んだのは監督でもあり、“ザ・フレイムス“の元ベーシストのジョン・カーニー。

 

すごくいいシーンは、彼女が、ハンサードの父親が掃除機の修理店だと知ると、壊れた自分の掃除機を直してくれと、翌日掃除機を持ってやってきて、それを歩道の上をひっぱりながら2人で歩いて行くシーンとか、メジャーデビューを目指す男は女に伴奏を頼み、録音スタジオを借りに行くことになるのです。

 

ピアノを弾く女録音をするバンドを組むために、ハンサードとイルグロヴァが洋服をあつらえるため、古着屋へいき鏡の前でファッションショーをしてふざけあう楽しげな二人など、ファニーで新鮮。

これは、ハンサードよりもイルグロヴァの天才的な演技が光ってましたね。彼女がさりげなく弾くピアノもすばらしいです。

無理をしてやっと貸スタジオで録音をするシーンが、この映画のクライマックスシーン。

 

最初、スタジオ付のプロデューサーは、慣れていないハンサードたちを見下します。スタジオやライブハウスの技術屋がアーティストを馬鹿にしたり、いばったりするのは、よくあることらしい。

バンド仲間ところが、ハンサードとイルグロヴァ、街から集めて来たミュージシャンらによる急ごしらえのバンドが、演奏を始めると、そのプロデューサーはその曲に引き込まれ、本気でミクシングをし、徹夜で作業につきあい、最後には、自分の車にみんなを乗せ、「カーテスト」(CDを車のなかで聴く)までやってくれるのにはびっくり(笑)。

それに、ハンサードが、仕事一途の父親に録音したばかりの曲を聴かせるシーン、・・・・彼が、ロンドンに行くハンサードに選別をあたえるシーンなど、息子を応援している父親の温かい思いやりの心が伝わってくるのがいい。

二人が出会う父親のバイクで、海辺へのドライブデートや、ダブリンの街角を散歩する2人のさりげない2ショットが、もしかしてと心を揺さぶるのだが、男は女を一緒にロンドンへ行こうと誘います。

だが、女には幼い娘も母もいる。女は喜ぶのですが、「きっと間違いが起こるは」と言いながら本気にはしていないことも分かっている。

自分の夢に向かって歩き始めた男が、ピアノを女にプレゼントすることで、彼女の幸せを願うシーンがとてもよく描かれていると思う。でも、男はロンドンの元恋人へ電話してヨリを戻したみたいですね。

 



papikosachimama at 21:56|Permalink

2007年12月12日

ディセンバー・ボーイズ3

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忘れられない、12月の夏休み。あの時ぼくらは、家族を知り、嫉妬を知り、恋を知り、そして、最初で最期の4人で過す夏休み、あの夏僕らは少しだけ大人になった__。

「ハリー・ポッター」シリーズのダニエル・ラドクリフ主演の青春ドラマ。真夏のオーストラリアの海辺を舞台に、孤児院で育った少年たちの友情と秘めた寂しさを感動的に描く。

12月、真夏のオーストラリア。孤児院で育った4人の少年、マップス(ダニエル・ラドクリフ)、ミスティー(L・コーミー)、スパーク(C・バイアーズ)、スピット(J・フレイザー)は、夏休みの休暇を海辺の村で過す事なる。それは12月生れの4人に贈られた院長からのプレゼント。

孤児院から離れて過す初めての夏休みは、なにもかも眩しく見えた。彼らがそこで出会ったのは、養子を迎えようと考えている一組の若い夫婦。孤児院では、自分たちより幼い子が養父母のもとに引き取られていくのを、いやというほど見てきた4人。自分たちの番はもう永遠にやってこないのではないかという不安。

4人そして、今度こそは選ばれたいという切実な思い。養子になれるのはひとりだけ。なんとか自分を気に入ってもらおうとする小競り合いが始るなか、いちばん年上のマップスだけは、他の3人とは別行動をとる。

地元の少女ルーシー(T・パーマー)と知り合い、不器用に高鳴る胸に戸惑いながら、マップスは初めての恋を知る。しかし、養子になることには関心がないように振舞っていたマップスも、心の中には諦め切れない夢がくすぶっていた。家族を持つと言う夢__少年たちにとってどうしても叶えたいその夢が、4人の友情さえも危うくする。

やがて来る夏の終りに、彼らは何を見つけるのか?・・・かけがえのない夏が、少年をひとつ大人にする__。(作品資料より)

ダニエル<感想>この映画は、10年以上の歳月をかけて地道に練り上げてきた作品。主人公マップスには、当初別の少年が考えられていたと言う。

「ハリー・ポッター」第4作と5作目の間に別の映画に出演したいと考えていたラドクリフ君の心を捉え、夢中にさせた作品。

そして、1000人以上の少年たちの中から選ばれた年少の3人組。彼らは実の兄のようにラドクリフを慕い、愛すべきダンボールでそりすべり少年たちが、初めて踏み出す大人への一歩。誰にでも、忘れることのできない特別な夏がある・・・・。

監督はロッド・ハーディー、ひと夏の感動ストーリーが出来上がった。

最初、ラドクリフが演じるマップスが主人公かと思っていたが、最期まで見ていると一番小さい眼鏡をかけたミスティーが、ナレーションで回顧することから物語が始る。

1960年代、場所はオーストラリアの奥地にあるカトリック教会付属の孤児院。子供に恵まれない夫婦が、時々里子を捜して訪れては、お気に入りの子供を選んで帰っていく。

孤児院で彼らはどうしても育てやすい小さな少年を選びたがるので、大きい子供は敬遠されがちだ。

南オーストラリアの12月の初めは、夏真っ盛りである、だからクリスマスも雪の降らない暑い夏!。

もしかしたら、自分は18歳になるまで、孤児院暮らし。その後は社会に出て働くことになる。そんな、不安に震える子供たちを目の当たりにして、“里親制度”という合理性と残酷さに心が痛んだり、そうかと言って自分には何も出来ないもどかしさを感じてしまいます。

教会でしかし、この映画の、オーストラリアの田舎町で育った孤児の4人は、こっそりとタバコを吸ったり、Hな本を見たりする、まだ何も知らない純な男の子たちだ。・・・孤児同士が厚い友情で結ばれていく素敵なお話。

 

4人の子供たちを招待してくれたのは、退役海軍将校のバンディ(J・トンプソン)と、キャプテンと呼ばれる妻。

しばらくすると近所に住むサーカス勤務の若夫婦が養子を海辺の夫婦希望していることを知ります。

少年たちは夫婦に気にいられようとあの手この手で媚を売り、競争しあい、喧嘩こそしないが友情にひびが入り始めるのです。

彼らが純粋なだけに、この涙ぐましい努力は、微笑ましくもあり、深刻な問題ではないようにも思える。

やっぱり子供だ、暖かい家族が欲しいに決まっている、罪のないケンカや裏切りが、家族を求めることが・・・彼らの生きる糧となっルーシーとたてていたんだということを感じさせてくれます。

最年長のマップスだけはもうじき18歳で、自分には資格がないと最初から諦めています。でもマップスの関心は、地元の美少女ルーシー(T・パーマー)にあり、秘かに想い続けるのです。

美少女ルーシーって、マップスより年上なのか?。18歳になるラドクリフ君、みんなより背も高いしすね毛もあって完全に大人だよ。海べの洞窟で初体験!、・・・・おや、首筋にキスマークなんて付けたりして、もうハリー・ポッター少年のイメージは全然ありませんね(笑)。

 

さて、養子に選ばれたのは誰?・・・眼鏡の男の子、ナレーションのミスティが海で溺れるのです。泳げないマップスが助けに飛び込むのですが、二人して海の底へ沈んで何と奇跡“マリア”様が現れて二人を助けてくれるのです。

 

そして、彼らはその海辺で、招待してくれたバンディの奥さバイクに乗ってんの病気を知り、人の命に限りがあることを学び、自分たちの将来の生き方、社会人として生きることの厳しさ思い知るのです。

この映画は、「スタンド・バイ・ミー」(1959年の夏、少年4人組が冒険旅行の過程で大人の洗礼を受ける)を思い出します。

ロケ地は南オーストラリアの、アデレードとカンガルー島で撮影したという、美しいロケーションが印象的で目を奪われますよ!

5メートルもする怪魚(名前がヘンリー)が浜辺に打ち上げられたり、何故か黒い一頭の馬が浜辺で水浴びをして魚を獲るしね。

ダニエルが海岸でシスターが、3人出てきてバクテンして帰っていくのには、びっくり。これは、ミスティだけにしか見える幻想なのかも。

 

気付かぬうちに友達以上の絆で結ばれていた少年たち、40数年経って冒頭のミスティーが、死んだマップスの遺灰をみんなで揃って、海に撒くシーンにはちょっと感激!(涙)。

眩しい太陽と青い空、オーストラリア・カンガルー島の壮大な景色は本当に美しかったです。



papikosachimama at 17:08|Permalink

2007年12月08日

マリア4

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今まで語られることのなかった、イエス・キリスト誕生までの、母マリアと夫ヨセフの物語。

その希望の光は、ひとつの愛から生まれた。あの日、ヨセフがマリアを信じなければ、あの時、ふたりが大王による虐殺から逃れえなければ、キリストは誕生しなかった。

中東エルサレム。ヘロデ大王の税金取り立てに苦しむ村ナザレに住むマリアは、ヨセフとの婚約中に身籠ってしまう。天使ガブリエルから「それは神の子だ」と告げられたマリアは、両親にも告げることができずにいた。その頃、“救い主”誕生の預言に怯えるヘロデ大王の命により街の人口調査が始まり、“救い主”になる可能性のある者は抹殺する命令が下る。マリアはヨセフの故郷ベツレヘムへ、二人で旅をすることを決心するのだった。(作品資料より)

<感想>聖母マリアは、キリスト教徒には神格化されて考えられがちだが、あくまでも実在した人間としてリアルに描かれています。その実在感をだすために食物から住居、衣服などを考証して再現している。

マリアその徹底した仕事ぶりは、「スリー・キングス」(99)、「バニラ・スカイ」(01)などでプロダクション・デザイナーを務めたキャサリン・ハードウィック監督ならでは。ちなみにプロダクション・デザイナーとは、日本で言うと美術監督。建物のセットから、小道具、衣装にいたるまで気を配る役目のある仕事。キャサリン・ハードウィックの初監督作は、「サーティーンあの頃欲しかった愛のこと」(03)。ハードウィック監督の「マリア」は、女性ならではの繊細さばかりでなく、男性顔負けの骨太で重厚な作風を打ち出している。

マリア2マリアに選ばれたのは、ケイシャ・キャッスル=ヒューズ、「クジラの島の少女」(02)で一万人の中から主人公のパイケアに選ばれ、04年のアカデミー賞で史上最年少13歳で主演女優賞候補となって話題になった。ケイシャは、マオリ族とヨーロッパ人の混血。エキゾチックな美貌はマリアがいたナザレ地方に溶け込んで違和感がない。ケイシャは、「マリア」の撮影直後に3歳年上のボーイフレンドとの間に子供を宿していることを発表。07年の4月に長女を出産しており、キリストを産むマリアのリアル感は、ケイシャの体内に育まれていたのですね。

イエスの誕生新約聖書の「マタイの福音書」と「ルカの福音書」には、イエスが誕生するまでの経緯が記されている。パレスチナの北部のガリラヤ地方の寒村、ナザレに住むマリアはヨセフと婚約していました。

当時は、娘が12,3歳になると、父親が夫となるべき男性と婚約させたのです。日本でも、昔は同じく親が相手を見つけて結婚したものです。1年ほど経って娘が夫の家に移った段階で、結婚の手続きが完了するわけで、法的には「婚約」すなわち「結婚」であるから、婚約期間中に「夫」が死ねば未亡人になるわけです。

別版のマリアですので、他の男性と性的関係を結べば「姦淫」の罪を犯したことになり、罰せられ、婚約解消は「離婚」とみなされます。そうしたユダヤ人社会で、マリアは厳しい状況に立たされることになるのです。

まず突然の知らせが天使ガブリエルによって告げられ、「マリアは男の子を産む。

その子は神の子であって、永遠に続く王国の王となるでしょう。」夫ヨセフと一緒になる前に、神の霊の働によって子を宿す。「処女懐胎」の告知である。

何も知らずにこの映画みてとまどうが、当事者であるマリアはもっと大きなとまどいを覚えたことであろう。「神にとって不可能なことは一つもない」という天使の言葉に、彼女はやっとの思いで信じたのでしょう。

でも本当に理解できたわけでも納得したわけでもないが、信じて任せようと決意したのですね。

ナザレへロバに乗ってそれは万物の創造者として、人間の理解を超えたことを、測り知れない力をもって実現する神を信じたからである。

しかしまた、それは困難に向かう決意の表明でもあったのです。

婚約中の妊娠が分かればどうなるのか?・・・ヨセフに不倫を疑われ、詰問されても答えようがない。婚約は解消、つまり離婚。村人からは白い眼で見られ、最悪の場合は石打の刑か?・・・マリアの心は不安に押しつぶされそうだったに違いない。それでも、勇気を奮い起こして、神の前に自分を差し出したのです。

生まれたばかりヨセフもまた苦しみます。マリアの異常に気が付き、子を宿していると知った時の衝撃と動揺は想像に難くない。

目の前が真っ暗になり、怒りが込み上げてくる。マリアは「精霊によって身ごもった」などと言っているが、その真相はわからない。

ヨセフは一人で悶々と悩んだその夜、今度は夢に天使が現れ、「ヨセフよ、恐れないであなたの妻マリアを迎えなさい。その胎に宿っている者は精霊によるもの、マリアは男の子を産む。名をイエスとつけなさい。彼は人を罪から救う者となる」とヨセフに真相が告げられた。

ナザレの町しかし、創造を絶する神の計画の中におかれていることを意識させられ、光栄であるというより不安、喜びより恐れを覚えたことだろう。

誰も踏み入れたことのない道の入り口に立つ彼は、「恐れるな」という言葉に促され、結婚を早めてマリアを自分の家に迎えたのです。

やがて臨月を迎えたマリアに問題が起こります。それはローマ皇帝アウグストゥスが徴税のための住民登録を命じ、それがパレスチナで実施されることになったのです。ヨセフもマリアを連れて、先祖ダビデの町であるベツレヘムに行くことになるのです。

三人の賢人ガラリヤからユダヤへの旅は200キロ近い。しかし、この時マリアは身重の身、さすがに難儀するというか、ロバの背に乗って揺れながら、山をいくつも超え途中で野宿をして夜をすごし、ある時は川を下り危うく川に流されヨセフに抱きかかえられて助かります。

これも神の試練なのでしょうか?__なんと苛酷な辛い旅。

ようやくたどり着いたベツレヘム、そこには産婦の旅人に適した宿泊場所はなかった。苦しむマリアを見てヨセフは、羊のいる岩の穴を見つけそこでマリアは、ヨセフの介助によって無事イエスが生まれるのです。この瞬間は、みなさんきっと感動すると思いますね。

エジプトへイエスが生まれようとする時、3つの星が一列に並び、強烈な明るさを発する一つの“星”となったのです。

これを目撃した羊飼いたちや、星を目指してベツレヘムまで辿り着き、家畜小屋で誕生した子供に敬意を表した東方の三博士も、黄金、乳香、没薬の贈りものをしたのです。

この物語は、全世界の人々にとって大きな意味があると思います。

たとえ、それが自分の信じる宗教ではないにせよ、これは普遍的な物語なのだから。

ラファエロの大公の聖母

貧しいマリアとヨセフが神に選ばれ、神の子を授かるお話。ごく普通の人なのに、貧しい人物で決して裕福などではない。

教育も受けていないし、お金も持っていない。それでも大勢の人の心をつかむことができた。

東方の三博士が、貧しい小屋に偉大な王が誕生するという質素な光景に心を打たれる場面。

その慎ましさが世界中の人々に共感を得、勇気や希望を与えたのだと思います。

 

 有名な絵画で、ラファエロの大公の聖母



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2007年12月06日

サルバドールの朝3

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1970年代のスペイン。死刑宣告を受けた青年の壮絶な闘い。25歳の若者に下された不当な死の判決!_愛する者たちに見守られながら、その瞬間は近づいていく。ラスト30分、感動の涙が止まらない”真実”の物語。主人公サルバドール・プッチ・アンティック(ブリュール)は誰からも好かれる明るい青年。

カタルーニャ人の彼は長く続くフランコ独裁政権に対して、仲間とともに自由を求める声を挙げる。同じ大学に通うクカ(ワトリング)は知的で美しく理想的な恋人だ。

サルバドールの生活が変ったのは、反政府の活動資金のため銀行強盗をして、犯罪者として警察に追われる身となってから。地下に潜り、仲間と強盗を重ねたある日、バルセロナのカフェで警察と銃撃戦になり、サルバドールの銃弾が若い警官の命を奪う。

サルバドールの弁護に当たったアラウ(トリスタン・ウヨア)は、サルバドールに死に当たる罪を見いだせず、また、亡くなった警官の体からは、サルバドールが撃ったのとは別の弾が見つかったという情報を得るが、警察はこの事実を抹殺し、サルバドールは死刑を宣告される。

それも、もっとも残酷な処刑方法と言われている「ガローテ」と呼ばれる鉄環(てっかん)絞首刑だった。

なんとかしてサルバドールを救いたいと願うサルバドールの姉妹と弁護士アラウが、世論を動かし極刑回避のため働くが、おり悪くフランコ首相暗殺の事件が起こる。反政府組織への報復のため、みせしめとしてサルバドールの死刑がすすめられていく。

面会に来た家族絶望に沈む父親、最後まで希望を捨てず恩赦の電報を首相に送る姉妹たち、同僚を失った恨みでサルバドールを見つめる警察官たち、久しぶりの「ガローテ」刑に、いやなことははやく終わらせたいと鉄環を組み立てていく処刑人、さまざまな思いが錯綜し、人々の目がサルバドールに向けられていく。そして、197432日の朝がやってきた。

ゆがんだ社会の中で、サルバドールは、真実を求めるための十分な裁判を受けることもなく、力を持っている人々の悪意を一身に受け、まるで人々の恨みのはけ口のように死刑にされていきます。(作品資料より)

サルバドール<感想>1970年代の独裁政権末期の、スペインで起きた事件をもとに映画化された作品です。この当時のスペイン独裁政権は、フランコ将軍の政府。僅か30年前なのにヒトラー的政権が暗黒の支配をしていたことには驚かされます。

平和な時代なら青春を謳歌し、生きることを愛したごく普通の若者の”青春の反逆”に下された無残な判決!。

主人公サルバドールを演じているのは、ドイツの若手俳優ダニエル・ブリュール「グッバイ、レーニン!」。彼は、流暢なスペイン語のセリフをこなし、陽気な青年が一変して殺人犯として、人生の終わりを迎える難しい役に挑戦しています。また、恋人クカには「トーク・トゥ・ハー」で眠れる女性を演じたレオノール・ワトリング。

事件に巻き込まれるサルバドールに必死に手を差し伸べる弁護士アラウには「オープン・ユア・アイズ」のトリスタン・ウヨア。ウエルガ監督の、より深い感動に持ち込んでいる手法は高く評価されても良いと思います。

一番の問題は、サルバドールが逮捕されるまでの彼の政治活動やMILの活動と理念、サルバドールが逮捕されてから彼の仲間たちが行なう抗議活動、弁護士たちの救済プロセス、弁護士がどういうネットワークで努力したのか等が全くわからない。
刑務所でサルバドールたちMILの活動家たちのふるまいは、子供だましなものとして描かれるているが、たとえばこの映画にも出てくる銀行強盗だが、その手際の悪さは、ユーモアというより、そうした活動が子供っぽいものだったというようにしか見えないからだ。

しかし、この映画は、たとえば、サルバドールの処刑に反対して彼の仲間が領事館に無差別の銃撃をくわだてるシーンを見ても、彼らの活動を子供だましのようなものとしてしか描いていない。

警察がサルバドールを逮捕したことが、不当であるという面もはっきりしないし、殺意がなくても、警官を殺したことは事実なのだとすれば、警察は格好の弾圧条件を得たことになる。

サルバドール2この時代では、サルバドールに勝ち目はない。

そうでなくても、警官が殺された仲間の復讐をするのは、あたりまえなのだから。

それ以上の愚行は、暴力団まがいの警察や不当な裁判も含め、恐怖と暴力で人を押さえつけることだ

極めて政治的に真実はねじ曲げられ、25歳の若者、サルバドールは見せしめとして処罰される運命となる。

この映画のクライマックスは、首を固定して太いネジの圧力で首の骨を折って殺す「ガローテ」という処刑のシーンが詳細に映され、その残酷さと処刑人の非情さとが強調されるが、これは、この映画をある種の「ホラー映画」のような作品に近づけていると思う。

制服でそれに少しだけ感動したのは、最初サルバドールを嫌悪していた看守が、次第に友情をいだき、処刑のシーンでは、ついに「フランコは人殺しだ」と叫ぶシーンだろう。

彼の処刑の時間が刻々と迫り、弁護士たちは最後まで救援の努力をするのですが、・・・処刑が迫ったとき、サルバドールが3人の姉たちとかわす最後の別れで、4人が身体を寄せあうシーンがあるのですが、死刑囚に対してこのような別れは日本では許されない。

スペインでは、フランコの独裁下なのに可能だったのだろうか?・・・ このへんは、日本の死刑制度について考えさせられます。

死刑制度の是非と問う映画らしいが、これが今からほんの三十数年前(1974年に処刑)の実話である事に驚愕する。

映画の中で、死刑が執行されるシーンは何度か観てますが、これほど残酷極まりない処刑のシーンは初めてです。

また、ボブ・ディランやレナード・コーエンなど、反逆する若者のイメージを鮮烈に支える音楽が、随所に使われているのも聴き逃せない。

 



papikosachimama at 16:24|Permalink