February 10, 2008

シュガー&スパイス〜風味絶佳〜 …★★★★★☆☆

私的原作作家的正当的評価 …★★★★★☆☆


この映画に対して真っ先に思い浮かんだのも、
「なんか、間違ってる」。

つか、
「いや、これが正しい!」

世の中、何か間違ってる。
この映画が、正しいのだ。


ちょっと、これは原作読まなきゃいけない。
(読んだら、また別記事上げる、かも)


柳楽君と沢尻嬢です。
柳楽祖母は、夏木マリです。
グランマ。

夏木マリの影響を多大に受けた柳楽君が、
バイト先のガソリンスタンドで、
17歳(18か?)で初恋を経験する。
その相手が沢尻嬢。


恋も人生も、シュガー&スパイス。
だからこそ、滋養豊富、風味絶佳。
そして少年は、ひとつ大人の階段を上った。
彼の人生は、始まったばかりだ。

<完>(原作:山田詠美)


 ****


正直、物語そのものなんて、どうでも良いんですよ。
分かり切った話なので。

山田詠美ですからネ。

この人に、
誰が乙一ばりのどんでん返しを求めるというのでしょうか。

この人の作品は、
そこで、「何」が描かれるか、
が大事であって、
その「何」は勿論、
弱さ醜さ、欲望や計算、
全て含めた「機微」なのです。

芥川賞の審査員やってた人なんで、
小生なぞが今更言い立てる必要はない(はずな)のですが。

黒人との恋愛を、
赤裸々なセックス描写や、
80年代的な小道具遣い、
猛々しいまでの野性としての「女性生」をちりばめて描く、
キワモノ作家などではないのです。
「35歳を過ぎると…」
などと言ってしまえる「愛のうた」歌姫などと
一緒にされてはたまりません。

この人は、全く真っ当な「小説家」であります。
それはちょうど、
一条ゆかりが、気がつけば「王道」と呼ばれていたのに似ている。

つまり、「本物」なのだ、ということです。


 ****


この映画の良かったところは、
夏木マリではなくて、
若い二人の愚か過ぎるすれ違いっぷりが、
山田詠美ばりに、冷酷に、明瞭に、
描かれていたことです。

(亀山氏製作にも関わらず)
ここがきちんと、強固に描かれていたのは、
拍手喝采。
そう、そこさえ描けてれば、
伏線が上手く活きてるとか、
美しい画面とか、
そんな美点はホントに「味つけ」。

「博士の愛した〜」の外しっぷりとは雲泥の差。
原作付きの意味が、あるよ。
うんうん。


 ****


もー、なんだ、
途中で痒くなるくらい、
愚かだよ柳楽君。

「お前、そこでまだ、それしか気づけないのかー!!
 そこぢゃないだろーーー!!ちゃんと目開けて見ろーーー!!」
と、頭張り倒したくなる(<失礼)。

が、山田詠美が少年(しかも初恋)を描けば、
こうなるんですよ。絶対。

だから、小生がツッコミ入れたくてうずうずするのは、
映画が上手くいってる証。

どこかのレビューで、
「主演二人の演技が噛み合ないというか、ぎくしゃくしてて、
 キャストが違えば自然で良かったのに」
という意見を拝読しました。

くぅーーー惜しいっ!
いやぁ〜〜〜、惜しいなぁっ!あなたっ!

その「ぎくしゃく」が話のキモなんだよっ!
この映画、そこを見なきゃ「風味絶佳」じゃないんだよっ!


 ****


そんな柳楽君。
超・成功キャスト。

本人一生懸命なんだけど、
どーも良い奴過ぎて、キレイ過ぎて、
しかも本人「必死」「体当たり」なもんだから、
いちいち「ハチクロ」的こっぱずかしさが漂ってて、
しかし「素直」に「真摯」であり続けようとする。

こういう男性を「いたいけ」と呼び、
「いたいけな男が好き」と山田詠美は言っていた。

以降、山田作品を映像化するなら、
男性主人公は全部、柳楽君にやってほしい。



そして…
江國香織「東京タワー」も、
柳楽君でやって欲しかった。


 ****


柳楽君と沢尻嬢が出会うバイト先は、ガソリンスタンド。
「ほんまにコレ、東京都内なんかっ?!」
と、関西人の小生は疑うほど、
広大な土地(しかも使われてない)。

長く伸びる一本道。
車通りはほとんどなし。
(なのに、結構客は来る。)

ぽつんと一つ、場違いに、そこある、
赤基調に白と黄色がアクセントな、
レゴのようなガソリンスタンド。

そこに、真っ赤なオープンカーで、「必需品」=若い恋人、と一緒に
乗り付けては、「流れ者」などと人を呼ぶ、
アメリカ被れで英語混じり、自分を「グランマ」と呼ばせる、
祖母、夏木マリ。
そして何故か「必需品」は、
片言の日本語を話す、イケメン東洋人。


おい。
ちょっと待て。
と。

何始める気だ?
と。

突然、何のオマージュなんだ?
と。

まさか筒井康隆でもあるまいし、と。



そうじゃないなら、
この「絵」は、
この「リズム」は、
この(大泉洋による)脱力系の笑いは、
そしてこの、吉岡君かと聞き紛う柳楽君の独白は、
全部、江國作品の映像化でこそ使われるべきものじゃないのか、と。


 ****


しょっぱなでそう感じた小生は、途中まで、
江國作品の映像化だと捉えて見ていた節があります。

ちなみに、夢から覚めた「途中」というのは、
山田・江國両作品で、絶対にあり得ない、
沢尻元カレの陳腐な口説きシーン、
だったんですが。

あ、そうだった、そうだった。
これはフジ系列だった。


しかし、
幾ら夏木マリが「想像される山田詠美」を演じていようとも、
これは江國作品が原作で十分通るものでした。


 ****


そこから、今更、改めて導き出される命題は、ただ一つ。

江國も山田も、同じものを描いている、
ということです。

それはもう何年も前に、当人同士が了承していることであって、
ホントに今更なんですが。


人間の心のひだ、あや、機微、というような、
よくよく目を凝らしていないと見えない、気づかない、
微かな心の揺れ、
目を閉じて耳を澄ませていないと聞こえない、
小さな囁き、
そういうものの連なりが、
行動を呼び、
それらを紡いで行くことで、
「結局、人間とは何か」
というところに行き着く。

リアリティは細部に宿り、
その積み上げは、やがて「普遍性」に還ってくる。

そして
「恋愛」という磁場でこそ、
その振幅が大きく、「書く価値あるもの」となる、
と、二人共捉えているからこそ、
「恋愛小説家」であるかのように語られる行動を好む。

山田は言う、「恋は化学反応」だと。
江國は言う、「恋ほど野蛮なものはない」と。


 ****


小生、夢から覚めるまでの間、ずっと、
脳内に
「間違っている」
「これこそが正しい」
と言葉が反響するのを聞いておりました。


私の従姉妹は、「東京タワー」を、

(ちょうど、同時期に流れていた)
岡田君の、ムードたっぷりの、ウィスキーのCMが、
2時間ずっと続くって感じです。

と評していました。

はは。血は争えないね。

そりゃ、岡田君で黒木瞳ですもの。
見なくても、そうだろうなと想像がつきます。
想像ついたから見てないんですが。


江國作品を、
ウェットに、ムードたっぷりに、
「美しさ」で見せてもダメなんです。

「きらきらひかる」のときは、紺君を筒井道隆がやってましたが、
それくらいで良いんです。

岡田君じゃ、全然ダメなんです。
黒木瞳の役に、寺島しのぶを持ってこないとダメなんです。


世の中、間違ってます。


 ****


そしてまた。


たとえば山田詠美作品を、
たとえばRIKACOとか、
たとえば「羊水発言」の人とか、
を主に据えて撮っては、ダメなんです。

まぁ、(女優じゃないが)山本容子くらい行ってくれれば、
それはそれで良いかもですが。


本作は、やはりあくまでも、
沢尻嬢でないと、ダメなんです。

もちろん「別に」発言以前な訳ですが。
あの「生意気」なイメージを差し引いて見ても、
柳楽君の初恋の人にしては、
随分したたかそうじゃないですか、沢尻エリカ。

そもそも、柳楽君と釣り合ってないじゃないですか。
髪巻いてるし。
でも、「初恋」相手としてルックスはぴったんこじゃないですか。

蒼井優や宮崎あおいや長澤某ではダメなんです。
かといって、井上真央でもダメなんです。
「花とアリス」じゃないんですから。
山田作品なんですから。


そして、また、もちろん。
この作品は、あくまでも、絶対に、
柳楽君でないと、ダメなんです。

柳楽君だからこそ、
最後に失恋を受け入れためには、
大暴走自転車から放り出されて、金網に激突しなきゃいけないんです。
(小生、マジで「痛そう…」と呟いたです)

そしてそれは、物語にとって、必要なカタルシス契機なのです。
ショック療法。
なぜならば、これは、
山田詠美作品の映画化、
或は、山田・江國両氏が描いてきた事柄の映画化、
であるからです。


だからこそ、
「やはり、これが正しい」
のです。


 ****


そして。
そして。

しかしこの作品は、本当に生粋の「商業作品」です。

この在り様すら、作品の魂にとって、正しい。

もう細々と野暮は言いません。
ただ、
「彼女達が”小説”という手法で描いている事柄が、
 日本映画として人々に届けられるならば、
 最もオーソドックスな在り様であるべき」
だからでしか、ありません。

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