Ⅰ.1537

1.能島城攻略。能島村上家滅亡。18

2.能島城が元就の管理範囲外のため、国司軍団を新設。19

 

Ⅱ.1538

1.嫡男・隆元が元服。20

2.ひたすら内政に努め、兵数7,559になった。同じ安芸の吉川家と東の三村家は、毛利家同様、尼子家に従属しているため、兵を進めるとすれば河野家の支配する四国の伊予しかないだろう。21

3.伊予・鷺ノ森城に向けて出陣。22

4.毛利元就が出陣した途端、大内家が動いた。陶興房ら計5,500が安芸に侵攻してきたため、急いで帰城。23

5.尼子家より佐東銀山城防衛にかかる出兵依頼。もちろん承諾。

 

Ⅲ.1539

1.承諾したものの出陣はしばらく見合わせ。双方が潰し合うのを少し待つことに。

2.佐東銀山城落城。

3.安芸国内の国人衆の懐柔も終了したため、大内家の佐東銀山城に向けて出陣。24

4.周防から大内家の援軍である陶軍3,000が来襲。他の部隊に包囲を継続させ、毛利元就隊が迎撃。25

会戦に勝利したものの、毛利軍の損害も激しい。何とか佐東銀山城攻略。26

5.尼子家が備前の浦上家と開戦。大内家は九州において大友家と抗争中。27

6.尼子家の岡山城包囲を援護すべく出陣。

 

Ⅳ.1540

1.兵力が不足した尼子軍が岡山城から撤退。包囲を継続した毛利家はそのまま岡山城攻略に成功。28

2.伊予の宇都宮家を滅ぼした河野家の城を偵察したところ、本城である湯築城の兵力がたったの627名であることが判明。現在帰城中の兵500を合わせても約1,000しかいないようだ。チャンスだ!29

3.全城主に出陣命令。合計9,000の毛利軍が湯築城を目指した。

4.城を討って出た河野軍を一蹴し、湯築城包囲。30

5.湯築城攻略。そのまま鷺ノ森城を包囲、攻略。