タクミ

2016年10月02日

タカクノウさんとのはなし

(日)柔術とタカさん
http://ameblo.jp/tonoringo/entry-12205841438.html

もっとスパーしたい

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2016年03月26日

セミナー第二弾‼ アジアチャンピオン襲来‼ ホブソン・タンノセミナー

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 今、最も茶帯で強いであろうホブソン・タンノ選手がパラエストラ大阪に襲来‼
 
 二年連続アジア選手権茶帯の階級別と無差別を制覇した実績を見るだけでも、実力があるのはわかるでしょう。もちろんその活躍はアジアの域を超え、世界選手権・パン選手権・ヨーロッパ選手権と各地で結果を残す選手です。そんな現役トップのセミナーを大阪で受けられるのは次いつになるかわかりません。

 そんな彼を招聘することになったのは、ある方の「パラエストラ大阪はこれからセミナーをたくさん開いていこう!」という明らかに思い付きであろう発言から、ノリと勢いでオファーを出すことになりました。

 そこから数時間後には連絡先を手に入れるも、電話をするのに3日...(電話をする勇気がなかったのではなくいろいろと忙しかったのです笑)電話をかけて3分で決まりました。レナート先生も即答で快諾していただきとんとん拍子で決まったセミナーで、ぜひたくさんの人に参加してほしいです。

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 パラエストラ大阪とホブソン・タンノ選手の間を吹田柔術の後藤さんに取り持っていただきました。ありがとうございます。



◆セミナー要項

日程 5月22日(日)
料金 4000円(当日支払い)
定員 35名 
〆切 5月15日(日)


◆当日スケジュール
会場  13時30分
開始  14時〜16時
スパー 16時〜17時


スパー参加はセミナー参加者のみです。


問い合わせ dojo@paraestra-osaka.net
(氏名・所属ジム・携帯電話番号を必ずご記入ください)


※当日、無断欠席をされた場合、今後パラエストラ大阪で開催されるセミナーへの申し込みを一切お断りさせていただきます。   





パラエストラ大阪

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2015年12月07日

MUSOU GEAR PRESENTS キングオブパラエストラ大阪2015

MSO

今年も開催!
おなじみ年一回の道場内トーナメント
「MUSOU GEAR PRESENTS
キングオブパラエストラ大阪2015」
帯色・体重・年齢、全てが無差別の柔術大会!

12月26日(土)19時 試合開始

※出来るだけ18時45分までに組み合わせ抽選を
済ませ、アップをしておいて下さい。

協賛のMUSOU GEAR様より入賞者には景品が授与されます。

パラエストラ大阪会員ならどなたでも参加が可能です!

皆さんのご参加お待ちしております。

また、大会終了後は寺田町某所にて忘年会も開催予定です。
どちらも道場内掲示板にて告知、参加希望の有無の記入をお願いします。
みんなで楽しみましょう!


タクミ

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2015年11月01日

パンクラス273にタクミ、獅庵出場!パンツスポンサー募集

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12月13日(日)ディファ有明にて行われるパンクラス273に、当ジムよりタクミ、獅庵が出場致します。
本年度最後のナンバー大会で、私としても長年の夢だった師弟での大会出場が叶います。
とはいえ、私は今年初めに王座陥落、獅庵もランキングを外れて二人とも厳しい現状です。
これを打破するもしないも他ならぬ私たち自身の気持ち次第だと思います。
アスリートとしてプロファイターとして皆さんに恥ずかしくない試合をお見せ致します。
その為にもあとひと月半、しっかりと追い込んで仕上げていきたいと思います。


現在、タクミ、獅庵ともにパンツスポンサーを募集中です。
タクミへはdojo@paraestraosaka.netまで。

獅庵へはhiroki.yamashita.mma@gmail.comまでお願いします。

獅庵のブログ
http://ameblo.jp/shian0106/entry-12087355379.html

皆様の応援、よろしくお願いします!


タクミ

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2015年04月13日

ヒデ三好テイクダウンセミナー

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日曜日はヒデ三好さんのテイクダウンセミナーが行われました。
遥々パラエストラ広島からも代表の冨樫健一郎選手や加古川からは堂垣さんもお越し下さいました。
毎回、何度受けても三好さんのセミナーは正に「目から鱗」という感想になります。
こうすれば人間の姿勢、バランスは崩せる、という事がすごく理解出来ます。
今回は特に最近私が気になっていたシチュエーションでの技術を多く教えて頂けたので、大変有り難かったです。
三好さんのセミナーはもっともっと多くの方に受けて欲しいんですけどね。
やはり「レスリング」「テイクダウン」だとみんな興味持たないんですかね?
みんな二足歩行の生き物じゃないの?って思っちゃいます。
柔術セミナーだったら30人とかも集まったりしますのにね。
でも私は「本当に価値のあるものは人に理解されにくい」と思ってますから、三好さんのテクニックセミナーが30人集まらないのも納得します。
いいんですよ、セミナーは出た人だけ強くなりますからね・・・


タクミ

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2015年03月14日

グアム滞在記最終章

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最終日。
昨晩Melchorの家で食事後、大会のあったニッコーホテルまで送ってもらい宿泊。
部屋からの景色も良くコンビニなど施設も充実。
ただ、朝食ビュッフェ$23は私には高かった。
朝8時に起きた私はスマホとタブレットをいじりながら、9時半にRomenに電話。
「おはよう、タクミ!今日は何がしたい?」
「練習がしたい」
「ピュアブレッドグアムで11時半から練習あるけど?」
「オーケー、それ行くわ」
と承諾。
10時半頃に迎えに来てもらう。
車のガソリンを入れてもらう間に、グアムに新しく出来たJack in the boxで軽食。
本土ではメジャーですよね。
Romenにはせめてもの感謝の気持ちで奢り。
私はハンバーガー、Romenはテリヤキチキンライス。
Romenがデザイナーを務めるブランド「FOKAI」ショップに行き、ラッシュやキャップなどを物色。
Romenに色々プレゼントしてもらう。
その後諸々あって結局練習には行かず、ショップ近くのビーチで初めてスタンディングパドルボードをすることに。
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サーフィンはハワイで友人と一度だけした事がありますが、これは初体験。
格闘技以外のスポーツに関しては超不器用な私ですが、意外とすんなりと出来ました。
風を背にした時は勝手に前に進んでかなり気持ちいいです。
これはいつかまた是非やりたいですね。

16時45分フライトの為、14時半に空港まで送ってもらう。
日本人観光客の異常な多さに辟易としながら列に並ぶが、前の家族の会話がなんでも知り合いに子供が生まれるとかで、子供の名前をどんなのがいいか言い合っていたのだが、出てくる名前が全てDQNネーム・・・
アンジェリーナ、セイラ・・・
ワテらののっぺりした顔でそんな名前は似合いまへん。
名前を個性的にしたら個性の突出した子になる訳ではありません。
イチローなんて鈴木一朗ですからね。
とにかく聞いてると耳が沸き・・いや腐りそうでした。
と思ってたらなんと出発がまさかの遅延。
結局18時半頃まで待たされてやっと飛行機出発。
道場の練習には間に合わず深夜残念な気持ちで帰宅しましたとさ・・・
おしまい。


タクミ




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2015年03月13日

グアム滞在記3

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大会当日。
10時開始という事で9時に会場到着。
前日Melchorに「明日レフェリーお前1人だからよろしく」と言われてて覚悟というか気合い入れてたのに30分前にもう1人現れて、「こいつと2人だからあんじょうやれや」みたいな事言われて拍子抜け。
どんどんと選手や関係者が集まり、中には政府関係者やPXC主催者のジョン・カルボ氏、プロファイターのカイル・アグオンら知り合いも多数。
しかしというかやはり遅れてのスタート。
もう一人のレフェリーに「どっちから先?」と聞いたら、「お前が先やれ」との事なので私から第一試合を裁く。
緊張するのとこっちの大体の基準というか選手や観客の反応を見たかったので、後が良かったのだが・・・まぁ仕方ないのでスタートする。
白帯、青帯の人たちが中心の大会ながら、専属のコールアナもいて良い声で盛り上げる。
・・・バンバン裁いて2時間後にやっと交替。
いつまでやらされるんだと思いました。
そのうち休憩タイムになって食事が出ると聞いていたがなかなか出ず、かなりお腹が空いたなぁと思ってたら、ちっちゃ〜いピザが渡されました。
「昼食ピザか、アメリカやな・・・もうちょいヘルシーなのを・・・」
と思いながらエネルギー切れを考慮つつ二切れだけ食べる。
そっからまた交替しながらレフェリー業務につきましたが、明らかに私の方が試合数多く裁いてましたね。
2/3〜3/4?くらいはやったような気がします。
そしてやはり後半はエネルギー切れで大分疲れました。
幸いにして選手の皆さんに大きな怪我も無く、特にクレームも無かったのが良かったです。
あと、戦い方が最近の柔術にしては皆さんダブルガード、50/50などがほぼ無かったのが特徴的でした。
テイクダウン、タックルをすごく狙うんですよね。
やはりレスリングの下地のある人が多いからか、タックルが超早かったです。
あと日本よりもみんな楽しそうに試合してました。
何とも言えない楽しそうな表情で闘っていたのがすごく印象的でした。
結局、会場での全て撤収作業などが終了したのが20時過ぎ。
諸々の用具をMelchorの家まで運んで、彼の家で食事。
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うーん、やっぱりアメリカン(笑)
美味しかったですけどね。
しかし最初Romenから「なんだかんだで5時間くらいで終わるから、夕方から海で遊ぼうよ」と言われてたのに、結局10時間後に終了でした(´Д` )
Romenいつの間にかいなくなってたし。
Melchorからはかなり感謝されつつ、ホテルに着いたらグッタリで倒れるように寝ましたとさ。
三日目終了。


タクミ





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2015年03月12日

グアム滞在記2

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二日目。
Romenの勧めで昼食はフィリピン料理屋に行く。
やたらとご飯がてんこ盛りで「こんなに絶対食えねーよ!」と思っていたら、料理がクソ美味くてご飯がススム君!
ペロリと平らげちゃいました。
フィリピン料理、侮れませんね。
13時からの会場設営やミーティングに時間があったので、これまたRomenの勧めで比較的観光客の少ない絶景ポイントまでドライブ。
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車の中から景色が見えた瞬間「うわーっ!スゲーッ!!」と叫びました。
写真では伝わりませんが、本当に綺麗な所でしたね。
ビーチではグアムに昔から伝わる武器、スリングショット(投石器)をして遊びました。
不器用な私は全然うまく飛ばせませんでしたが、Romenはえらい遠いとこ(180mくらい?)まで、海に向かって小石を投げてました。
シンプルですが面白かったです。
私は仕事の時間をかなり気にしていたのですが、13時からの約束で12時50分までビーチにいたので、「ここ来るのに30分以上かかってるのに、絶対遅刻するやん・・・」と思っていたら、Romenは「Melchorに連絡するから大丈夫」と。
なんでもグアムの人は大会などのスタート開始時間も「みんなが集まってから」らしいので大丈夫らしいです。
のんびりしてますね。
Melchorも電話で「じゃあ14時からでいいや」みたいな感じでした。
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そんなこんなでざっくり14時に集まって会場設営&ミーティング。
会場はニッコーホテルグアム。
マットはプロ仕様の一面マット。
海外では一般的なロール式のマットでした。
スポンサーも沢山ついていて、かなり注目度も高そうでした。
実際、会場までの車中のラジオで大会の事が流れてました。
(ちなみにホテルやレストランのテレビでは翌週のPXCの宣伝もバンバンやってました)
そんな注目度高そうな大会前日にMelchorから告げられたのは、「タクミ、明日レフェリーはお前1人だからよろしく」と。
「お、オッケー」
と言いながら結構焦る。
チェアマン、得点係のスタッフの人たちとも話すが、基本的にあまりルールをわかってないので、自分のクソみたいな英語で説明したりする。
マット上ではMelchorの子供(ミカ、6才)と誰かの子供が遊びまくり。
いつも思うが外国人の子供は死ぬほど可愛い、お人形さんみたい。
例によって設営やら準備やらも超ダラダラやってるので、日本人なら段取りよく2時間で終わりそうな作業を、倍以上の時間を掛けてやっと終わる。
帰りは日本食ビュッフェNINJAへ。
・・・あまり美味しくなかった・・・
二日目終了。
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タクミ





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2015年03月11日

グアム滞在記1

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タクミです。
先週金曜日から月曜までグアムに行っていました。
柔術アブダビワールドプロ予選グアム大会が開かれるという事で、レフェリーとして招聘されたのです。
「なんで俺?」と思いましたが、そこは裏の力が色々働いて・・・いたわけでもなく、某選手としても実績があってレフェリー上手な方がお断りになって、代役として私にお声が掛かったようです。
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空港に着いてタクシーでホテルに着いたら予約がされておらず、どうやら自分の勘違いで大会を開催するホテルに来たようでした。
主催者の一人であるMelchor・Manibusanさんに迎えに来てもらい、彼のジム・SPIKE22へ。
車の中でアブダビ柔術ルールの事を話すが「ヒールはアリなのか?、どっちだ?」とか聞かれて、「いや、無いはずだけど」と答えるも、「インターネットで調べておいてくれ」と言われる。
(結局試合時間とポイントコールが違うだけであとは同じでした)
ジムではPXCで活躍中のカイル・アグオンが元気にボクシング練習中でした。
その後、パンクラスにも参戦予定のJJアンブローズも来て練習していました。
私も練習に参加したかったですが、スタッフとのルールの確認などの仕事があった為少し見てるだけでした。
ディナーはMelchorの家族も共に日本食居酒屋へ。
程なくして10年来の友人Romenも来店し再会。
昔ボディメーカーのグアムでの撮影時にマッハさんに紹介してもらって以来の友人です。
彼はエンセン井上さんと仲が良くて、しょっちゅう日本に来ており、それからもちょいちょい日本かグアムで会ってます。
ちょうど今も日本に来ていますね。
エンセンさんと福島にボランティアに行っているはずです。
彼らの被災地への想いはすごいです。
他ならぬ日本人である我々はもっともっと考えねばと思わされます。
食事後はタモンのオーバービューホテルで宿泊でした。
初日終了。


タクミ



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2015年02月01日

パンクラス速報

タクミ

判定1−2
(29-28,28-29,27-30)

ナム・ファン


応援ありがとうございました。

廣瀬

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2014年10月15日

七帝柔道記〜阪大対抗戦〜

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タクミです。
日曜日は急遽試合してきました。
久しぶりの道衣の試合はなんと七帝柔道ルール。
ブラジリアン柔術チーム対阪大柔道チームとの対抗戦に柔術チームのメンバーとして参戦でした。
阪大と言えば、何と言っても今年の七帝戦の優勝がまだ記憶に新しいです。
しかも試合は彼らのルールで・・・
しかし我々柔術チームも負けじと豪華なメンバー。
大将の杉江アマゾンを筆頭に、細川顕、中村大輔、岡本裕士、シュレック関根、岩崎正寛・・・他にもとんでもない面子が勢揃いです。
このチームのメンバーに入れてもらえるだけでも光栄ですよね。
しかも写真の関根さんとは同い年で二人共チーム最年長という事で意気投合したりで、メンバーと話してるだけでも楽しかったり(^^)
試合は20対20の団体戦、抜き勝負です。
投げや抑え込みの技有り・一本と寝技での一本が有りで、柔術でいうポイントやアドバンテージは無しです。
寝技になっても相手に少しでも持ち上げげられたら立ち技に戻ります。
私は引き込みからバックを奪ったものの、延々と絞めを防がれて引き分け・・・
後で冷静に考えればそこから得意の抑え込みにも行けたはずなのに、完全にムキになって冷静さを欠いていましたね。
やはりルールの違い、慣れていないルールで試合をするというのは本当に勝手が変わります。
しかし良かったのは、柔道出身者として師匠・中井祐樹も青春を燃やしたこのルールでの戦いに触れることが出来たというのが本当に嬉しかったです。
もし機会があればまた参加させて頂きたいですね。
柔術チーム、阪大柔道チーム、両チームメンバーの皆さん、ありがとうございました!


タクミ

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2014年09月27日

9月28日(日)BODY MAKER東大阪店にてタクミが一日店長に!

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来たる9月28日(日)にBODY MAKER東大阪店にて、私タクミが一日店長を務めます!
コブラ会の三島さんも一緒です。
皆さんのお越しをお待ちしております!


タクミ


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2014年09月14日

バックチョークセミナーin OSAKA

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9月14日(日)、10時30分よりパラエストラ大阪にて、私、代表タクミによるバックチョークセミナーが行われました。
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当初、告知が急だった為、企画してくれたうちの増田と共に「人、集まるかなぁ?」と思っていたものの、蓋を開けてみれば20名(ジェイコブ、ドタキャン)の参加がありました。
日曜の午前中から、如何に人の首を絞めるかという事に特化した2時間・・・ありがとうございます(^^;)
前回の東京セミナーを踏まえて私自身で更に改善点を加えつつ、初心者の方も沢山いらっしゃったので、基本的な部分からより実戦的な細部に至るまでレクチャーさせて頂きました。
あまり自画自賛するのもアレですが、我ながら良いセミナーが出来たと自負しております。
もし地方ジムでセミナーの御依頼などありましたら、パラエストラ大阪まで御連絡の程よろしくお願いします。

本日参加下さいました皆様、ありがとうございました!
また今後ともよろしくお願いします!


タクミ


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2014年08月31日

大阪でも待望のバックチョークセミナー開催!

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先日のVTJ大阪大会で鮮やかなバックチョークで一本勝ちを収めました、タクミ選手の『バックチョークセミナー』を開催いたします。

前回の東京セミナーでも初心者から中・上級者、柔術家、プロMMAファイターを含めたくさんの方々にご参加頂き、お陰様で多くの方に大好評の声を頂きました。
また大阪でもたくさんの方にバックチョークの秘訣を持ち帰って頂けたらと思います。
(写真は東京セミナーでの物です)
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詳細は下記にて


日時 9月14日(日)

10時30分〜12時30分 
(10時オープン)

セミナー内容(進行により変更の場合あり)

・前半 「極め方の基本」

腕の使い方のポイント

クラッチの変化

あごを引かれた時の対処

腕を掴まれた時の対処、など


・後半 「バックポジション」

シングル、ダブル、四の字フックの各メリット・デメリット

シングルフックでのバックキープのポイント

シングルバックでの極め方・基本

シングルバックでの極め方・バリエーション、など


料金  3000円

場所 パラエストラ大阪


参加の場合は増田までご連絡願います。


09084685828

m09084685828@k.vodafone.ne.jp






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2014年07月13日

柔術ニュース

ブラジリアン柔術も少しずつメジャーになってきましたね。
Google本社で柔術クラス

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2014年07月06日

廣瀬監督、紫帯に!!

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土曜日、先月の全日本選手権で見事全試合オール一本勝ちのパーフェクト優勝を果たし、文句なしの帯昇格をした廣瀬玄典の帯叩きを行いました。
私から見ても技術の知識量は申し分ない廣瀬でしたが、いざ試合においての安定感が無く、過去、勝ちきれない事も多かったです。
しかし、自ら選手クラスを立ち上げ、人を集め、指導しながらも率先的に練習に取り組んだその日々は、確実に実力となって彼に現れました。
その努力を見てきた私にとっても彼の紫帯昇格は喜ばしい限りです。
世の中では必ずしも努力が結実することは保証されません。
それはスポーツ、柔術でも同じ事・・・
ましてや全日本という舞台では努力しているのが当たり前な選手たちが集まる場所。
その舞台で実力を証明出来た彼は技術もさることながら、メンタル面での成長も大幅にしたことでしょう。
紫帯ともなればまた更に試合のレベルが上がります。
私はこれからも彼の更なるチャレンジに期待しています。

改めておめでとう!
廣瀬!


タクミ

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2014年06月10日

ユニフォームスポンサー協賛のお願い

いつもお世話になっております、タクミです。


来たる6月28日土曜日にVTJ 5thという大会に出場することになりました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140607-00000000-gbr-fight

現在、試合入場時の衣装(パンツやTシャツ)に企業ロゴや製品のロゴを

プリントさせて頂くユニフォームスポンサーの募集を行っております。


今回は1枠(縦8センチ、横21センチ)で5万円

とさせて頂いております。


プリントを業者に依頼し、出来上がり時期の都合もありますので、

誠に急ではございますが、ご興味のある方は今週末までにご連絡を頂けると幸いです。


ブログやホームページ等いろんな媒体で紹介させていただきます。

何卒宜しくお願いします。



パラエストラ大阪
代表 中山巧


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2014年04月14日

三好さんのセミナー大盛況!!

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日曜日の10〜12時、東京西新宿の暴れん坊ことヒデ三好さんの「でーひーグラップリングセミナー」がパラエストラ大阪にて開催されました。
三好さんとは私のデビュー直後からのお付き合いですからもう13年以上ですか、人付き合いが苦手すぎる私ですが、三好さんとは本当に仲良くさせて頂いております。
そしてその技術のレベルの高さには未だに驚かされますし、今回もその技術に、指導力に改めて驚嘆致しました。
柔術セミナーでもMMAセミナーでも無く、グラップリングセミナーで人がこれだけ集まったのも凄いです。
しかも前日にコブラ会でも開催されてますからね。
なんと東大阪の南さんは二日連続の参加です、熱心ですね、素晴らしい。
内容はまさに“ヒデミヨレスリングイズム”、力に頼らない、理に適った、相手を制する技術の数々で、皆さんの「おぉ!」という驚嘆の声が多く聞かれました。
私は技の受け役を務めましたが、相変わらず受けていての“制されてる感”が凄かったです。
最後にやった新しいタックルなんかはまさにそうでしたね。
三好さんの技を受けた方はわかるでしょうね。
やはりみんな同じ反応、何とも言えない同じような声をあげて倒されていました。
参加された皆さんの満足度はかなり高かったのではないでしょうか?
「これで3000円は安いな!」
というプロ選手からの声も聞かれました。
私も完全に同意です。
今回参加された皆さんは得しましたね!
これも三好さんのご厚意あっての事です。
三好さん、本当にありがとうございました!
カメラマンのアキヒサさんもお疲れ様でした!

また皆さんに満足して頂けるセミナー、イベントを企画しておきますね!


タクミ


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2014年03月09日

田村、シゲさんの帯昇格!!

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先日発表した田村の黒帯昇格。
本日の練習終了後に帯昇格式をしました。
まずは皆さんお待ちかねの帯叩き!
プロMMAファイターの田村ヒビキを合法的にシバけるという事でパラエストラ大阪はもちろん、東大阪のメンバーも多数集まり、盛大に叩きました。
ちなみにかなり強めに叩いた人の名前を、田村はキッチリ覚えていました。
後日どうなるかは責任取れません・・・

私にとっても初めての黒帯授与、長年共に切磋琢磨して過ごした田村にこの手で黒帯を巻いてやれた事は師匠冥利に尽きます。
感無量です。
そしてこれからは彼自身が一アカデミーの代表として、1人でも多くの人に柔術の楽しさや素晴らしさ、パラエストライズムを伝えていって欲しいと願っています。

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そして更にもう1人サプライズで帯昇格を発表させて頂きました。

シゲさんです。

シゲさんもパラエストラ大阪創立以来の初期メンバーとして、約10年を共に過ごしてきてくれた大切な仲間です。
お仕事の都合もあって、なかなか試合に出る事はままならないのですが、普段の練習での実力や練習態度、年間通しての練習頻度の多さは道場でもトップクラスですね。
何度も帯昇格を告げようと思っていたものの、色々あってタイミングを逃し続けてしまっていました。
比べる事では無いですが、田村の黒帯昇格と甲乙つけがたいほどの嬉しさが、シゲさんの紫帯昇格にもあります。
彼にとっては30代前半から始めたブラジリアン柔術。
師匠の私自身が10年前は紫帯でした。
シゲさんは、「ここで始めた時のタクミさんの帯色が紫で、紫帯というのはとんでもなく強いのだなと思った。今自分があの時のタクミさんの帯色と同じになれたのが嬉しい。
中山巧の紫帯を締める事が嬉しい。」と言ってくれました。
・・・これまた師匠冥利に尽きますね・・・
感無量(二回目)です。

正直、何度か泣きそうになるのを堪えながら、帯を巻いたり、スピーチをさせて頂いたりしました。
たぶんばれてないはずです(笑)

自分が強くなる、人を強くする、試合に勝つ、勝たせる、最新テクニックを覚える、教える・・・もちろんどれも柔術ですし、これを生業としている私にとっては必要な事です。
しかしそれ以上に、こうした日々の積み重ねの中で仲間が手にした一つの結果、形に対して、心からの賞賛を贈り、共に喜び合えるという事がとても嬉しく思います。
これからも今日のような喜びや感動を沢山味わう為にも、また改めて日々を頑張って行こうと思えました。

いやー、柔術楽しいな!!


タクミ





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2014年03月03日

A black belt at age 78

とても興味深い記事を見つけました。
まだまだ自分たちなんてヒヨっ子ですね・・・
http://cafe.quietwarriors.com/?eid=871386
http://www.dailypilot.com/news/tn-dpt-0114-blackbelt-20120113,0,1768188.story

このようにブラジリアン柔術では多少おっさんから始めても強くなれて、
帯も取得できます。
もちろんこの記事のGene Paceさんは一度もクラスを休まないという、
素晴らしい努力を継続されてきたからこのように記事になり、紹介されたのですが、
ここまで努力できなくても全然大丈夫です(笑)
パラエストラ大阪では由良さん、梶本さんがそれぞれ50代前半と後半のはずです。
40代ともなれば私も含めゴロゴロいますね。
土曜日の参加メンバーなんかは40代中心でしょう。
これからは日本全体が高齢化社会になるのは間違いないですしね。
パラエストラ大阪はおっさん(おばさんも若手も)を応援します!(笑)


タクミ

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2013年09月17日

折るまで勝てない? 〜プロとアマを分かつもの〜 Paraestra Weekly より転載

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折るまで勝てない? 〜プロとアマを分かつもの〜

August 03, 2013 12:16



 先日とある大会で、タップをしたり声をあげたのですぐ技を解いたところ、レフェリーが気づいてわざとなのか、気づかなかったからなのか試合が続行され敗れたという「事件」があった。我々はこのような事例をどう考えれば良いのか、考察してみたいたい。

 まず私の考えを単刀直入に言えば、レフェリーが止めるまで試合は終わっていない。よって、レフェリーの判断を待たずに自分の了見で技を解いしまうと、試合に勝てないという事態も起こり得る。

 折ってケガをさせたくないという気持ち自体は、何ら責められるものではない。寧ろ奨励されてもおかしくない位だ。しかし試合の結末は、あくまで主審を含めた第三者が断を下すものである。それが競技スポーツの「掟」だ。

 私が「その本来持つ魅力を失わずに、より多くの人々に格闘技を普及させるための条件を最も揃えている」という理由で、ベーシック種目に据えているブラジリアン柔術は「決まると思ったらゆっくり関節技を掛けること」「決められたら早めに降参すること」という練習コンセプトを、ほとんど人類史上初と言っていいほど明確に謳って世界中に広がった。これは私の道場でも浸透している概念だ。

 柔術が普及すると共に、今では上記のスローガンを格闘技を楽しんで行う際の最低限のエチケットとみなす向きさえ確立された、と言っていい。

 「あそこのジムは壊し系」のような言い方や、「ケガをするから〇〇(技)は止めて欲しい」という練習交渉(?)も珍しいことではなくなった。格闘技を壊し合いそのものと捉える向きには不思議な言い回しだと感じるだろうが、これは別に悪いことではない。

 ただ試合で前述のようなケースが後を絶たない現状を鑑みると、関節技で結果的に破壊してしまうこと自体があたかも悪いことと思われる風潮に与することは、やはりある種の選手を結果的に弱く(勝てなく)してしまうことは否めない。

 パンチやキックによるKOは「見応えがある」と称えられやすいのに、関節が折れる図は何故だか目を背けたくなる。実際に受けるダメージの危険度、特に脳などへの重大な事故に直結する危険度は、KOのほうが高いにも関わらずである。その感情は私にさえある、と正直に告白しよう。でもそれと勝負の世界とは別の話だ。

 仮に私が少年選手のセコンドに付いたら、「相手の腕をへし折って来い」とはまず言わないだろう。それはそうだ。しかしプロ選手、殊に関節技が得意な選手には「体が強く、痛みを感じない選手かもしれないぞ。ぶっ壊す位でなければこっちがやられるんだ。手加減は絶対するな」というニュアンスのことは言うだろう。

 矛盾している、と人は言うかも知れない。でも、プロは勝たねば次がないかも知れぬ。試合結果は最優先事項なのだ。

 それでは、アマチュアである大多数の方々の場合はどうなるか。アマチュアだからそこまで切羽詰まった話じゃない、と私なんかは言うんじゃないかと人は思うであろう。

 しかし、私の答えは「プロのケースと全く同じ」だ。意外だろうか? しかし考えてみて欲しい。勝利を希求する気持ちにプロもアマもない。勝つか、負けるかが単に決まるだけのことだ。だから、私の道場には、「プロ練」が存在しないのだ(拙コラム「パラエストラ流 道場論」参照)。

 ただ「勝つことに懸ける姿勢が、アマとプロを結果的に分けている要因だ」とだけは確実に言えるだろう。プロより「強い」アマなどゴマンといるから、逆に強さはあまり問題ではないと私は考える。

 では以上のことを踏まえて、練習のガイドラインを提示してみたい。道場での練習では「レフェリー」がいないケースがあるため、「ゆっくり関節、早めにタップ」を貫く。

 これが出来ない者は、稽古相手を確保しづらくなるだろう。でも、彼らにも当然だが道はある。稽古相手をあらかじめお願いして用意する「アポイント制」だ。実戦に近い「極め合い」がやりたい方は意外といるものだ。これがプロ練に近いと言えば、近い。

 話が飛ぶようだが、ある練習をしたいが付き合ってくれる相手がいない、と嘆くケースがあるが、これも同様、「アポイント制」を使うと良い。

 詰まるところ言い方は変な感じだが、道場での練習は「パーティー」に近い。人数が多い方が基本的に盛り上がるし、人が一人いるかいないかで全く違う集合体になる。苦手な人間しかいない、なんてことも多々あるだろう。

 私は思う。予測不能なことに対処できるように努めるのが真の「練習」なのだ、と。弱点克服など様々なトライを施し、日々の稽古を楽しんで欲しい。



■解説 / 若林太郎(2013.8.3. 筆)


 2011年4月にスタートした「パラエストラ東京news」用に、2011年10月10日に中井祐樹が書き下ろしたもの。出典元の「Nakai Column」リンクからでも読めますが、コラム系はこちらに集約すべく再掲載しました。今週のアップはこれにて終了です。



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2013年05月30日

特別な一日。中井祐樹、11年前の「あの日」を語る

特別な一日。中井祐樹、11年前の「あの日」を語る




まだ24歳の若者がVTJ95で手にしたものは、束の間の栄光と、あまりにも大きすぎる代償だった。

なぜ、彼は無差別級のリングで勝利し、強さを証明しなくてはならなかったのか?

中井祐樹が今、11年間の胸中を明かす。


「真剣勝負を装う“擬似格闘技”と

それを容認する世間への怒りーー。

VTJ95で革命を起こしたかった」



「あの日は…、本当に楽しかったんですよ」

 微笑みながら中井祐樹はこう続けた。

「“世間”と戦っているような感じだったかな。凄く高揚してたし、あの日は試合の合間もずっと“楽しい、楽しい”って言ってたんじゃないかな」

 彼にとっては念願の無差別級トーナメント出場だった。

「世に出たかったというのもなくはないです。ただ“技術が体格差を越えることを証明した”と言われるのは、僕にとってはそんなことはどうでもよかった」

 彼を無差別のリングに駆り立てたもの、それは「怒り」だった。

「怒ってました。無茶苦茶怒ってたんです。真剣勝負で戦ってる自分たちが“弱ええよ、ちっちゃいじゃん”で片付けられて、今だからはっきり言えますけど、真剣勝負じゃない“格闘技系プロレス”がマスコミに大きく取り上げられることに凄く憤ってました。だったらそいつらとやって、皆に自分たちの強さを見せて引っ繰り返そうって。子供っぽい感覚だし、僕の若気の至りとしか言いようがないんですけど、あの時はああいう場で証明するしかなかった。でも…」

 中井はこう付け加えた。

「怒りは物凄いパワーを生みますよね。だけど、ある種、空しいですよね」

         ◇

 今でこそ格闘技とプロレスには明確な「一線」が引かれているが、95年当時、そこに引かれるべき線は、恣意的に曖昧なものにされていた。

 加えて、「真剣勝負」を前面に押し出したシューティング(現在の修斗)は「地味、退屈」なものとして大きく取り上げられることはなく、プロレスラーや格闘技系プロレスラーと比較される時は「体の小ささ」を理由に「弱い」と切り捨てられた。

 当時、強さを測定する際の物差しは、ボクシングやレスリングのような「階級制の格闘スポーツ」の視点は全く存在せず、プロレスを基準にした「大きい者=強い、小さい者=弱い」というビジュアル面のみだったのだ。

 その極めて日本的価値観を大きく揺さぶったのが、93年に誕生したUFCであり、ホイス、ヒクソンのグレイシー一族だった。だから、彼らの存在は日本のプロレス・格闘技界にとって「黒船」だったのだ。

 逆に、試行錯誤を繰り返し、技術を身に付け、真剣勝負の中で「強さ」を追い求めてきた中井たちシューティングの選手にとってはチャンスの到来だった。

「僕には“シューティングはグレイシーに負けてない。総合格闘技のパイオニアはこっちだ”という気持ちがありましたよ」

 VTJ95のトーナメント表を見て、中井は自身の決勝進出を確信し、課題はヒクソンをどう攻略するかだと考えていた。

「グレイシーの寝技は確かに凄い。でも、僕らは“打・投・極”、全部出来る。だから勝つはずなんだ、という根拠のない自信がありましたよ」

 95年4月20日――。

 快晴の空の下、日本武道館を望みながら、中井にはこんな思いがよぎった。

「ここに来る人の中で、僕がゴルドーに勝てると信じて疑わないのは、佐山(聡)先生と僕だけかもしれない」

 観客の期待は圧倒的に「決勝戦でのヒクソンvsゴルドー」。VTJ95は中井にとって完全なアウェーでの戦いだったが、彼には絶対の自信があった。

「負ける要素は全くなかったですから。特に、VTJ94で川口さんと草柳さんの戦いを見て、1年間、エンセン井上とVTやグレイシーの研究が出来たことが大きかった。だから、僕は先駆者と言われるけど、僕の前には川口さんと草柳さんの存在があって、それがなくては勝てなかったです」

         ◇

 中井や佐山聡にとっての誤算はゴルドーのサミングだった。

 ぶしつけなことは承知の上で、中井に聞いた。なぜ、ゴルドーはサミングをしたのだろうか、と。

「そうですね…」

 しばしの沈黙の後、中井は答えた。

「多分、二つあったと思います。一つは、彼はプロレスラーでもあるし、八百長もするし“ファンにウケること”をするんだと思います。あの日は“そのちっちゃいヤツをぶっ殺せよ!”みたいな雰囲気で、彼は観客のノリに乗ったんでしょう。本人は悪い人じゃないと聞きますし、お調子者で、おふざけに近いものだと思いますよ」

 まあ、それが全てなのかな、という中井に「もう一つ」を聞く。

「これは僕の希望的なことかもしれないけど“やられる、こうしないと勝てない”と思ったんじゃないかって。でも最初の、1分も経たないうちのサミングでしたからね。試合の途中では“寝技になったら危ない”と思ったかもしれないですけど」

 筆者は、後者ではないかと考えている。「異種格闘技」的な試合では悪質な反則を犯す選手が実に多い。彼らの共通点は「技術のなさ」。寝技を知らないゴルドーしかり、ローの対処が全く出来ずにK−1に上がったボクサーしかりだ。

 その場合、反則行為の責任は本人は当然のこと、そのルールで戦う技量のない者をリングに上げた主催者にもあると思う。

「なるほど。時々アマチュアで驚くほど悪質な反則をする人がいるんです。喧嘩をしてきた人で、技術がない。それと同じメンタリティーなのかなぁ」

 そして、中井はサラリと付け加えた。

「あの日のゴルドーは僕の両目を潰せば勝てたんだと思いますよ」

 今、ゴルドーに対して特別な感情はない、と中井は言う。ただ、数年前に某雑誌から「ゴルドーと対談してほしい」との申し込みがあった時は断った。

「喋ることはないですから」

 中井とゴルドーを会わせて何がしたかったのだろう。企画者の神経を疑う。

         ◇

 今でも、VTJ95について聞かれることは多いという。

「そういう時は、そんな昔の大会をよく見てるねー、マニアだねーって言いますよ」

 中井の他人事のような口調は「タイガーマスク」の話をされた時の佐山聡氏そっくりだ、と言うと彼は笑った。

「でも、もう自分のことじゃないみたい。あまりにも昔すぎて」

 それが本音なのだろうと思う。VTJ95の話をする時の彼は、心の奥底にしまってある記憶を一つ一つ指でなぞるように、ポツリ、ポツリと言葉を選んだ。

「今はプロレスに対しても、格闘技系プロレスに対しても恨みはないし、文句を言うつもりもないです。ただ静かに、全体の流れに感謝してるだけ。当時は総合格闘技が市民権を得るなんて考えられなかったですけど、今は、真実の戦いが大晦日にまで流れるようになった。そういう流れの発端の一人になれたのなら、それは良かったなと思います。当時は、真剣勝負はエンターテイメントにならないと言われたり、今思えばよくあれが真剣勝負だと思って見てたな、というものがありましたけど、今は色んなフェイクが剥ぎ取られて、ある種、まともになったように思いますし」

 ただし、全てを手放しで喜んでいるわけではない。総合隆盛の中、中井には気に掛かることがある。

「総合格闘技は体の鍛えた人にしか出来ないもので、子供は真似しないように、って今の総合は言ってますか? 僕は元々プロレスファンだったから、プロレスの入門書にあった“この技は体を鍛えたレスラーだから出来ることで子供は真似しないように”という文句がすり込まれてましたよ。

総合がプロレスにとって代わったのなら、言うべきですよね」

 ここ数年で格闘技を取り巻く状況は劇的に変わった。地上波での人気を背景に、ジムが急増し、スポーツジムなどで気軽に格闘技を楽しむ環境も整った。

 だが、その一方で「異種格闘技」的な試合が相変わらず幅を利かせている。

「大晦日に視聴率を取るためにやってますけど、経験のない人に試合させて、事故は起きてないですけど怖いと思いますよ」

 最後に、中井に訊ねた。

 あなたの人生の中で「VTJ95」とは、一体何だったのか、と。

 視線を宙に泳がせ、しばしの沈黙の後で、彼がゆっくりと口を開いた。

「初めて、いろんなことを考えた機会だったですね。成功でもあり、挫折でもある。夢が潰れた瞬間でもあるんで、簡単に言うとターニングポイントですね。あそこから色々なものが変わって、本当にターンした感じですから」

 まだ24歳の若者が、長く憧れていたプロの道をたった2年で断念しなくてはならない無念さは、筆舌に尽くしがたいものがあったことだろう。

 今、中井は「使命」という言葉を使う。

「人はそれぞれ役割があると思います。タレントみたいなことで格闘技を広める人もいるでしょうし、僕は道場で、格闘技をどんなレベルでも楽しめるものとして広めていくのが使命ですね。僕はもう総合をやる立場にはないから、自分の役割を担うだけですから」

 中井が表情を引き締めた。

「こっからですよね。むしろこっからが大事なんじゃないですか。総合をどう熟成させて、発展させていくか」

 最後に、私が彼にVTJ95の話を聞くのは今回限りになると思う。辛い記憶を掘り起こしてしまって申し訳ない。御協力に感謝しています。ありがとうございました。


[出典]「ゴング格闘技」2006年7月号

    茂田浩司 記名原稿



■解説 / 中井祐樹(2013.5.25.談)


 これ(=SOUL)は修斗読本が初出なんですが、それを読んだ時にああすごくいろんな人に噺を聞いたんだなと思った記憶があります。リニューアルされたゴングに再録することで出た時の原稿ですね。その時に追加インタビュー(=特別な一日。)を、パラ東の向かいにある和み亭(現在に和民)でやったんですよね。

 茂田さんとの出会いは、僕が修斗のフロントだった時代(1996年)です。茂田さんは当時「東京ウォーカー」の編集部にいらして、修斗のイベント関係のプレスリリースを流す担当者が、茂田さんだったんですよ。まさかその頃は、格闘技の世界にライターとしてこられるとは思っていませんでした。今ときどきお会いすると話すんですけど、「アレがきっかけになったんですよ」と言って下さったりして。そういう意味では共にやってきたような感じが、勝手ながらしていています。いまやいろんな分野で活躍されてますけど、多ジャンルに興味が向くという意味でも視野の広い方だと思います。

 とても秀逸なもの書いていただいたと思います。自分は闘っただけなんで。ただあの時の事は今となっては苦い想い出でもなんでもなくて、本当にその後の流れに繋がる出来事だったと思うので。語ってもらえる方がいると言うことが、とてもありがたいことだと思います。



■解説 / 若林太郎(2013.5.29.筆)


 茂田さんのご厚意で、玉稿をParaestra Weeklyに再録させていただくことができました。ありがとうございます。

 ここで解説というより、思い出話をひとつ。95年当時、すでに修斗のプランナーを始めていた私でしたが、バリジャパ95はブッキング交渉の諸々から担当を外れ、一関係者として客席から観戦していました。会場内の雰囲気を知るために、試合毎に武道館を移動したりして試合を見ていました。だから中井-ゴルドー戦の時の汚いヤジも、観客席で間近で聞いています。

 93年にK-1で働いたこともあって、ゴルドーとも面識がありその性格も知っていたので、その組み合わせを最初の聞いた時には、佐山さんに翻意を促すためすぐさま高田馬場の事務所から東大宮のスーパータイガーセンタージムへ向かいました。するとジムには中井さんがいて、「いやだな。若林さん、僕が負けると思っているんですか?」とニコっと笑われて、それで何も言えなくなってしまいました。大一番を控えた選手を前に、「危険だ、危険だ」と主張することもできず。

 正直、反則は絶対ありうると思ってした。ゴルドーにとって何でもありとは、「負けないためなら反則あり」だと考えて間違いないからです。中井さんが大きな怪我をしていまうことで、マッチメイクやプランニングを担当していた普段のプロ公式戦に影響が出ることを恐れていました。しかしその「大きな怪我」が、目の負傷であるとは想像だにしませんでしたが。

 大会時にはスタッフから外れた私ですが、大会後に出番が待っていました。詳しい日付は記録してないのですが、おそらく武道館大会から1ヶ月後ぐらいのことだったと思います。(この時私はまだ中井さんの目の事は知らされていませんでした。)私が呼び出されたのはとあるビデオスタジオ。そこではバリジャパ95の本編集が行われていました。多忙だった佐山さん代わって、私は編集の立ち会いを命じられたのでした。

 驚いたのが編集室に入ってまず聞かされたディレクターの演出プラン。「中井-ゴルドー戦は膠着が長いから前半をばっさり切って、ヒクソン-山本を中心に構成しようと思ってます。」絶句すると同時に、立ち会いに来て良かったと思いました。そこからいかに中井-ゴルドー戦がいかに凄い試合で、格闘技史上に残るものであったかを主張し、さらには急遽佐山さんにも連絡してガッチリ言ってもらって、試合はすべてノーカット収録とすることに成功しました。

 そのディレクターさんに対してどうこうではありません。むしろ同じビデオ監督としては、本編集当日に知らない人からやいのやいの言われて作ってきた演出プランを全面的に変えられて気の毒だったとも思います。1995年っていうのはまだそんな時代だったのです。まだまだガチンコ派は、世間と闘わなければならない時代でした。


 下写真は全試合終了後、控え室で私が撮影した試合当日の中井さん。保存状態の悪さでボロボロになっていますが、右下の撮影時刻が「23:04」となっているのがわかるかと思います。
中井VTJ95


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SOUL -Vale-Tudo Japan Open 95 中井祐樹・戦いの記録(2)

SOUL -Vale-Tudo Japan Open 95 中井祐樹・戦いの記録(2)




ヒクソンに辿り着く


 救急車の中で、中井は酸素吸入を受けながら医師の診断を受けた。

「やれますか?」

 朝日の問いに、医師は答えた。

「目にひどい衝撃を受けなければ大丈夫」

 後々、この言葉に従ったことを、朝日は悔やむことになる。だが、この時は「やれる」という診断を信じ、目の衝撃を正確に判断するためにタオルを打撃に長けた坂本一弘にゆだねた。

 場内からヒクソンvs山本戦の大歓声が聞こえてきたが、救急車の中では何が起こっているのか分からない。ビタミンCとブドウ糖を補給しながら、中井は次のピットマン戦を考えていた。115キロの巨漢でレスリング経験があるピットマンは、ゴルドーより厄介な相手だった。グラウンドに持ち込んで消耗させても2時間はかかるかもしれない。だが、中井が勝機を見出だせるのは長期戦しかなかった。

 野次や怒号は覚悟の上だった。

        *

「中井選手、右目の負傷手当てのために登場が遅れています」

 場内アナウンスが流されてまもなく、右目に白いガーゼを当てた中井が花道から出てきた。中井は、リング下でガーゼを取るとシコを踏み、準決勝のリングに上がった。

 予想通り、苦しい戦いになった。ガードポジション越しに放たれるピットマンのパンチはハードヒットこそしなかったが、腫れた目は触られただけで激痛が走った。腕を取るも、持ち上げられてパワーボムでマットに叩き付けられた時には一瞬、呼吸困難になるような衝撃を味わった。この試合のリングは、クッションがほとんどない固いマットだったのだ。

 セコンドの坂本は、サブレフェリーの石川がしきりに自分を見ていることに気づいていた。だが、中井の意識がしっかりしている以上、タオルを投げるつもりはなかった。ヒクソンまで持っていってやりたい。坂本は祈るような気持ちで中井の腫れ上がった顔を見つめていた。

 第2ラウンド、中井がフェイントからの左ハイをヒット。ピットマンがニヤリと笑う。効くはずはないのだ。この後、グラウンドになるとピットマンは上からヒジで中井の首を圧迫した。

 ビットマンは中井の足関節を警戒し、1ラウンドのようにガードを越えて殴ろうとはしなかった。

 そこで、中井は腕に目標を絞った。

「早くやれよ!」

 グラウンド戦に焦れた観客の野次に呼応するかのように、中井がピットマンの左腕を掴み、腕十字に移行した。

「アッ」

 中井を体ごと持ち上げながらも思わずピットマンが声を出した。次の瞬間、小方がストップ。『捨て十字のつもり』だった中井は拍子抜けした。ピットマンとセコンドが小方の裁定に不服を唱えると会場からは激しいブーイングが起こる。勝ち名乗りを受けながら、中井が呟いた。

「レフェリーが止めたんだよ…」

 ひとしきり判定に抗議したピットマンだが、リングを降りる際に小方と目が合うと小さく会釈した。その仕草で小方は全てを理解した。腕十字は極まっていたのだ。

        *

 決勝のリングには大方の予想を覆した中井と大本命のヒクソンが上がった。

「マイナー時代、最後の勝負だあ!」

 中井はそう叫んで、決勝のリングに出ていった。すでに体はボロボロだったが、大きなことを成し遂げようとしている気持ちの高ぶりを中井は感じていた。「寝技の時代」の到来を告げるかのように、中井はヒクソンに寝技勝負を仕掛け、ヒクソンのマウントやチョークを外してみせた。朝日はすごい、と呟きながら試合に見入った。その一方で、中井にはベストの状態でヒクソンとやらせたかったな、とも思った。

 フィニッシュは、ヒクソンの背後からの踵蹴りが中井の金的近くに当たり、それを右手で嫌った瞬間、ヒクソンの左腕が中井の首に滑り込んだ。中井はしばらく耐えたが、完全に極まっていることが分かると、小さく右手でヒクソンの腕を叩いた。

 午後10時20分、すべての試合が終わった。表彰式の後、リングには坂本や九平、ルミナら修斗の選手や関係者の手で胴上げされる中井の姿があった。

「これで変わる。これから何かが出来る」

 涙を流しながら、朝日はそう考えていた。VTJ94の惨敗で自信を失っていた修斗に中井が一筋の希望の光をもたらしたのだ。



光と傷跡、そして再生


 99年4月8日、後楽園ホールで開催された大道塾「WARS5」のリングに、中井が上がった。国内での試合は実に2年ぶり。パレストラ函館の藤本勤との柔術マッチだった。同門対決だったが、中井はきっぱりと言い切った。

「同門だろうと何だろうと、僕は試合は試合として当然ガチンコ(真剣勝負)でやりますよ。ジムでもそう指導しているので」

 言葉通り、中井は容赦しなかった。リバーサル、マウントで次々とポイントを奪うと21−0で圧勝。それでも中井は言った。

「皆さんに一本を見せたかったんですけど、取れなくてすいません」

        *

 ゴルドーのサミングで失った中井の右目の視力が、元に戻ることはなかった。

 無差別で勝って強さを証明し、修斗のリングに戻るはずが、修斗で試合をする機会さえ奪われてしまったのだ。

 その上「バーリ・トゥード反対論」が巻き起こることを恐れ、真実を語ることは許されなかった。中井自身、完治する希望を捨てていなかったこともあるが、事実が公にされた96年11月まで、中井は自身の目については一切沈黙を守った。

 転機は、奇しくも翌96年7月のVTJ96で訪れた。メインで朝日を破ったホイラー・グレイシーを見て、ブラジリアン柔術の圧倒的な技術量を痛感したのだ。

「いよいよ僕の出番だ、と思った」

 中井は「柔術に柔術で勝つ」というテーマを掲げ、柔術選手として新たなスタートを切った。97年12月には、自分の道場「パレストラ東京」(現パラエストラ東京)を開設し、後進の指導にもあたっている。

        *

 中井の怪我は、本人はもとより周囲にも衝撃を与えた。特にあの日、近くで中井を見ていた者には大きな傷となって、今も残っている。

 小方は「優秀なシューターを潰した」という思いを抱き続けている。今もレフェリーとしてリングに立っているが、

「レフェリーとして僕は95年で終わっているんです。後進が育ったら辞めます」

 現在(99年)、小方は96年に設立した修斗コミッションで活動している。「真剣勝負」の原則を貫くには試合の安全と選手の健康管理が必要になる。そのためには公正、中立なコミッションが不可欠だと考えたからだ。同じ信念を持つ鈴木利治(現ISC事務局長)とともに、今もルールやマッチメイクの検討や健康管理についての啓蒙を行なっている。

 修斗グローブにも様々な改良を加えた。VTJ95当時はサミングを防ぐため隠していた親指を、今はサミングが見えるようにと親指を出した。だが、今のグローブも完成品ではない、と小方は言う。安全性の追及に終わりはないと考えているからだ。

 観客の失笑を買った「ドントムーブ」はすっかり形を変えた。エンセンや中井の助言から鈴木が考案した「レフェリー1人で頭をリング中央へ向ける」形になった。

 VTJ95を始めとする様々な教訓を生かし、修斗は今も変わり続けている。

        *

 坂本はプロデューサーとして活動しながら、ふと「中井がいてくれたら」という考えがよぎることがある。

「中井vsルミナ、中井vs宇野薫なんて考えただけでワクワクしませんか? 今、中井がいたら修斗はもっと魅力あるものになっていますよ」

 VTJ95の後、ウェルター級で頭角を現したのがルミナだった。ある時、中井が「ルミナとは一度やりたい」と言っていることを知った坂本は、コミッションに中井の復帰を要請した。当然申し出は却下されたが、中井の思いをかなえたいという気持ちが坂本を無茶な行動に走らせた。

「中井vsルミナなら、ルミナは絶対に苦戦する。中井が壁になってくれたら…」

        *

 朝日は、今も薄暗い病院の廊下の光景をはっきりと覚えている。

 試合の翌日、センタージムに来た中井の「目が見えない」という言葉に驚いた朝日は、近所の眼科で「大きな病院での診断が必要」と言われ、大宮の日赤病院に中井を連れて行ったのだ。そこで中井が視力を失ったことを知り、慌てて関係者に連絡しながら「なぜ?」という思いが頭を駆け巡り、呆然と薄暗い廊下に立ちつくした。

 中井はそのまま2週間入院した。

 VTJ95を特集した25日のテレビ東京「バトルウィークリー」には外出許可を取ってスタジオに行った。ディレクターから「顔の腫れは格闘家の勲章だから」とサングラスを外すように勧められたが、中井はやんわりと断ってサングラス姿で出演した。当然、目については一言も口にしなかった。

「強いですよ、中井は。弱音は一言も吐かなかった。僕はバーリ・トゥードでホイラーに勝つから、中井には柔術でホイラーに勝ってほしい」

        *

 96年から本格的に柔術に取り組んだ中井は、現在(99年)、茶帯まで歩を進め、「柔術の黒帯」が手の届く位置にいる。

「自称・黒帯じゃ駄目なんです(笑)。柔術も、ここの流派に属していないと黒帯が取れないとかあるらしいですけど、世界選手権かブラジレイロ(ブラジル国内選手権)を取れば文句はないでしょう。

 茶帯も、その前の年に紫帯で勝った大会に『今年は茶でいいか』と聞いてOKを取りました。向こうも茶帯で勝てば次は黒帯で出すしかないじゃないですか。

 僕は、目の前の敵を倒して、実力を認めさせてここまで来たから、柔術でもそうやって上がっていきますよ」

 VTJ95で修斗に光を与えた男は、今、日本柔術界のパイオニアとしてその扉を自らの力で開こうとしている。

 あの日、中井が目の前の大きな敵に怯むことなく立ち向かい、勝利する姿を見て、修斗を始めた選手たちが今、第一線で活躍している。中井の姿を修斗のリングで見ることはできないが、中井が見せた勇気は、今も、全てのシューターの胸に宿っているのだ。           (敬称略)



[出典]初出:修斗読本(1999年/日本スポーツ出版社)

    再録:「ゴング格闘技」2006年7月号

    茂田浩司 記名原稿






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SOUL -Vale-Tudo Japan Open 95 中井祐樹・戦いの記録(1)

タクミです。
先日、中井先生に柔術セミナーを行って頂きましたが、パラエストラ大阪会員の方々の中には
まだ「中井祐樹」という人間がどういう方か知らない方もいるかもしれないと思い、
Paraestra Weekly に再録された記事をこのブログにも転載させて頂きました。
是非ご覧になって下さい。




SOUL ―1995・4・20 Vale-Tudo Japan Open 95 中井祐樹・戦いの記録


「分水嶺」


修斗なくして、現在の総合全盛時代はなかった。


89年5月18日のプロ公式戦第1戦から17年、修斗はルール、グローブ等、スポーツとしての「総合格闘技」を創造し、ルミナ、マッハ、宇野、KID、五味ら多くの人材を輩出した。


だが、もし、一人の男の魂の戦いがなかったら―――。

すべての格闘技ファンに知ってほしい。

修斗存亡の危機を救った「VTJ95」、

中井祐樹の戦い。


創刊20周年特別企画・完全再録

「SOUL

―1995・4・20 バーリ・トゥード・ジャパンオープン95

中井祐樹・戦いの記録」


 もし、あの夜、中井がゴルドーに屈していたら、今日の修斗は存在しただろうか?

 日本に「総合格闘技」というムーブメントは起こっただろうか?

「目の前の敵は誰であろうと倒す」

 その一念だけで無差別級トーナメントのリングに上がった1人のシューターの放った鮮烈な光がなかったら…。

        *

 1999年2月。熱砂の国・UAEの首都、アブダビ。サブミッションレスリングトーナメント、アブダビコンバット・無差別級、準決勝の舞台に桜井“マッハ”速人が立った。対戦相手のリコ・ロドリゲスは体重130kgの巨漢。それでも桜井は圧力をしのぎながら互角に戦った。両者に決定的なポイントがないまま、時間が過ぎていく。

 だが、劇的なフィニッシュが残り10秒で訪れた。一瞬の隙を突いて、桜井が下から足を絡ませ、ヒールホールドでねじり上げたのだ。体重差は実に60kg。場内は一瞬にして「ハヤトコール」に包まれた。

 しかし、当の桜井は事もなげに言った。

「中井さんも無差別で戦ったでしょ」

 130 kgの敵を前にした時、桜井の頭によぎったのは「中井祐樹」の姿だった。

「中井さんもこんなデカいヤツとやったんだ、っていう気持ちがあったから、相手がどんなにデカくても負けたくなかったし、追い込まれても絶対諦めないと思ってた。だから、いたよ、中井さん。いつも気持ちの中にいた」

 そう言って桜井は自分の胸を叩いた。

        *

 それは95年4月20日、日本武道館で行なわれた「バーリ・トゥード・ジャパンオープン95」(以下、VTJ95)でのことだ。修斗の命運を背負い、身長171cm、体重71 kgと出場選手中、最も小さい当時の修斗ウェルター級王者、中井祐樹が、無差別級トーナメントのリングに上がったのだ。

 そこで、中井はヘビー級選手を相手に計49分間戦い抜き、修斗の強さを身を以て示した。すべてのシューターの胸に今も宿る、中井祐樹、魂の戦い。

 それは、文字通りの「死闘」だった。



勝利の確信と誤算


 試合前、レフェリーの小方康至は出場選手の一人一人に大会ルールを印刷した紙を配って回った。前日のルールミーティングである団体から「決定事項を書類にしてくれ」と申し入れを受けてのことだった。

 ジェラルド・ゴルドーの控え室に入った小方は、それまでと同じように書類を渡し、説明を加えようとした。だがゴルドーはそれを制し、小方にこう告げた。

「私はお前を信じている」

 前日のルールミーティングでは選手同士が激しく牽制し合った。ヒジ打ちを認めろと要求するゴルドーに、それならグラウンドでのヒジ打ちも認めるのか、とヒクソンがやり返す場面もあった。

 だが、試合当日のゴルドーは穏やかで、紳士的な態度だった。

「だけど、僕が甘かった」

 後に、小方はそう振り返ることになる。ゴングと同時に、ゴルドーは豹変した。「喧嘩屋」の本性をムキ出しにしたのだ。

         *

 トーナメント1回戦、中井vsゴルドーが発表されると、関係者は一様にその危険性を指摘した。ゴルドーはアルティメット大会準優勝の実績がある上に、中井との体格差は身長で27cm、体重で29kg。中井の寝技を評価する者もこの「体格差」の前には沈黙せざるを得なかった。

 中井は70年8月18日、北海道で生まれた。北大で引き込みありの七帝柔道に出会い、寝技にのめり込んだ。大学を3年で中退すると92年8月にスーパータイガージム横浜(現・シューティングジム横浜)に入門。94年9月にVTJルールで柔術黒帯のアートゥー・カチャーと対戦し、引き分けには終わったが、カチャーにヒザ十字を極める快挙を演じた。同年11月には草柳和宏を下しウエルター級王座を獲得した。

 しかし、グラウンドに持ち込めば、休むな、と野次が飛ぶ時代だった。中井の技術は理解されず、自分の技術、寝技の重要性を示すには自分がメジャーになるしかなかった。プロレスラーを倒すか、アルティメット(UFC)を制覇する。95年初頭に、中井は自身の「メジャー化計画」を立てた。

 94年の夏からはスーパータイガーセンタージム(現・PUREBRED大宮ジム)でエンセン井上から柔術の技術を学んでいた。準備は整っていた。

「疾走、疾走だった」

 中井は当時をそう振り返る。

 当時、修斗は危機を迎えていた。唯一のプロモーション、日本プロシューティング株式会社の経営的な危機こそ、94年始めのスポンサーの獲得で乗り切ったものの、今度は修斗の本質にかかわる危機に見舞われていたのだ。

 アルティメット大会が起こした「何でもあり、グレイシー」ブームに乗る形で、日本プロシューティング株式会社が母体となったVTJ実行委員会は94年7月にVTJ94を開催した。

 日本初の何でもあり大会ということで東京ベイNKホールはほぼ満員になった。だがそのリングで修斗代表の当時のライト・ヘビー級王者川口健次と、草柳和宏が惨敗。まだ「何でもあり」の技術を修斗自身が掴んでいなかったのだ。大会はヒクソン・グレイシーというヒーローを生み出したが、修斗内部には激しい動揺が走った。自分たちのやってきたことは何だったのか…。

 だからこそ、修斗はVTJ95で結果を出さなくてはならなかった。創始者・佐山聡は、その期待を中井に託した。

「中井の精神的な強さは言わば藤原敏男(元ムエタイ王者)です。ゴルドーには絶対に勝てると信じていました。ただ、ゴルドーの反則があそこまで厳しいとは…。それだけが誤算でした」

        *

 開始のゴング。中井がゴルドーに胴タックルをすると、ゴルドーは中井の頭を抱き抱えるようにしてロープ際まで後退し、引き倒そうとする中井の動きを左脇にロープをはさんでこらえた。そして、中井の右目へサミング(目潰し)を始めた。

 観客からは容赦ない野次が浴びせられた。

「殺せ!」

「ゴルドー、何やってもいいんだぞ!」

 ゴルドーが中井の顔面を殴り出すと、客席がドッと沸いた。

 観客は目の前で展開するムキ出しの暴力に「劣情」を催していた。当時は、人間を金網の中に入れ、馬乗りになっても殴り続けるアルティメット大会の衝撃映像が強く影響している時代だったのだ。VTJが「修斗vs世界」というテーマを打ちだし、その性格を変えたのは翌年以降のことになる。

 最初に、ゴルドーの妙な手つきに気がついたのはリング下のサブレフェリー・石川義将(第2代修斗ミドル級王者)だった。石川は2人が組み合うそばに駆け寄り、ゴルドーの指が動くのを見た。

「サミングだ!」

 石川が叫び、小方がゴルドーに「注意1」を与えた。だが、ゴルドーはそれでも表情一つ変えず、また胸と両手で中井の頭を抱え込む。何かをしているのは分かっても、小方にも、セコンドの朝日昇にもゴルドーが中井に何をしているのかは見えなかった。

 石川がリング下から叫んだ。

「ゴルドー、サミング取るぞ!」

 しかし、客席からは膠着状態にしか見えない。リング上の緊張をよそに、観客の野次と怒号はますます激しく、汚くなっていった。

 開始30秒で中井は右目の視界を失っていた。目の中を爪でえぐるようなサミングに、激しい痛みを感じてうめいたが、それでもゴルドーの体は離さなかった。

 サミングの注意後も、ゴルドーは反則を止めない。すでに右目は腫れ上がっていたが、中井はゴルドーの焦りを感じ取っていた。あと1回の注意で反則負けだ。

 コイツは反則で自滅するな、と確信した。



ゴルドーを制す


 中井にとってこの大会で最大の危機が第2ラウンドに訪れた。右足へのヒールホールドが失敗して下になった中井へ、ゴルドーが上からパンチを打ち付けたのだ。

「ズドン、ズドン!」

 空手家・ゴルドーの正拳が中井の顔面に打ち下ろされる音が会場に反響する。たちまち中井の右目から鮮血が飛び散った。

 この時、小方は中井の目を見ていた。ストップのタイミングを計っていたのだ。

 石川は、ゴルドーのパンチを受けて中井の頭がバウンドするのを見て、もう少し殴られたら自分が止めよう、と思っていた。

「サブレフェリーだから中立なんですけど、殴られるのを見ているのは辛かった」

 横浜ジムで中井に修斗の手ほどきをしたのが石川だった。バーリ・トゥードならば修斗のエースは中井だと考え、VTJ94の際には佐山に中井の出場を進言したほど、石川は中井の精神的な強さを買っていた。それでも、中井の打たれ方は酷すぎた。

 中井が両足でゴルドーの体を抑えようとしても、リーチの長いゴルドー相手では防御の意味を持たなかった。逃げ場のない、絶望的な状況。

 その時、セコンドの朝日が叫んだ。

「中井、こっちに来い!」

 ロープの外ならパンチも打ちにくくなる、と朝日は考えたのだ。同時に、タオルの投入も頭にあった。試合前、中井からどんなことがあってもタオルは投げないでほしい、と言われていたが、本当に駄目だと思ったら投げる、と朝日は答えていた。

 朝日の叫び声に導かれるように、中井はリングの外に上半身を出した。ドントムーブ。なおも身を乗りだし殴り続けるゴルドーの体を小方と石川、もう一人のサブレフェリー・渡部優一(初代修斗ウェルター級王者)が抑え、3人がかりでリング中央に移動させた。だが、ゴルドーは組み合うことを嫌がり、猪木−アリのままラウンドは終了。

 紙一重で、中井は危機を脱した。

 第3ラウンドは第1ラウンドと同じ体勢になったが、中井が頭の位置を動かし続けてゴルドーのパンチとサミングを避けた。中井がバックを取る場面もあったが、ゴルドーがロープとコーナーを巧みに使ってテイクダウンを避けた。

 この時、膠着の多さに客席には白けたムードすら漂っていた。

 ロープを掴むことを許したことが、この大会の大きな失敗だった。ロープを掴んでの打撃を想定したヒクソンのアイデアだったが、ゴルドーと山本宜久(当時リングス)がこのルールを利用し、ロープをテイクダウンを逃れる手段にした。8分1ラウンド、インターバル2分で、決着がつくまでラウンドを繰り返す「時間無制限試合」だったため、観客はいつ終わるともしれない試合に苛立ちを募らせ、野次を浴びせた。この大会の荒れたムードは進行の手際の悪さとともに、ルールも一因になっていた。

 第4ラウンド開始直前、小方はゴルドーのグローブの右手・親指部分をテーピングで固定した。親指とグロープを固定しているヒモが切れていたためだった。このヒモを指を動かすために故意に切ったのか、自然に切れたのかは小方にも分からなかった。

        *

 第4ラウンド、中井は意を決して両足タックルを仕掛けた。当時、修斗の主流は胴タックルだった。VTJ94で川口と草柳が足にタックルを仕掛け、上からパンチで殴り倒された反動だった。だが、中井は局面を打開するため、あえて両足タックルを選択した。中井のタックルを受けてゴルドーはコーナーに詰まるが、またしてもロープを掴んでこらえると、そのままフロント・スリーパーを仕掛けた。

 だが、中井は腰を落とし、少しずつ足元に体をズラすと、ゴルドーの左足を脇にはさみ込み、素早くヒール・ホールドに移行した。

 ゴルドーはロープを掴んで抵抗したが、中井がねじり上げると、ゆっくりとその巨体がマットに倒れた。と、すぐさまゴルドーが左手でマットを叩く。ついに、中井が技と粘りでゴルドーを制したのだ。

 中井は、ヒール・ホールドが右足よりも左足の方が得意だった。第2ラウンドの失敗は右足。フィニッシュは左足だった。

 朝日と、「担架係」としてリング下にいた佐藤ルミナに支えられて中井はリングを降りた。バックステージで中井が叫ぶ。

「やった、専門誌の予想を覆したぞ!」

「当たり前だろ。あいつら、シロウトなんだからよ」

 朝日の答えに中井が微笑んだ。

「そんなこと言ってー。また嫌われますよ」

 2人は控え室には戻らず、武道館の裏手に横付けされた救急車に向かった。

 中井は額全体を腫らし、特に右目は赤黒く腫れ上がっていた。だが、まだ1回戦を突破したにすぎないのだ。あと2つ…。

 試合後、ゴルドーはサミングは故意ではないと主張し、こう言った。

「ナカイはスタミナと強いハートを持ったいいファイター。ヒジ打ちが嫌だなんていうチキン(臆病者)のヒクソンより、ナカイやヤマモトの方がガッツがある」

 ゴルドーは注意1により罰金10万円をファイトマネーから差し引かれた。ヘイズの負傷棄権によって巡ってきた敗者復活戦の権利は左ヒザの負傷により放棄。それでも観客は「ヒクソンvsゴルドー」を期待して騒ぎ出す。すると観客の前に姿を現わして自身の欠場を詫びた後、

「神戸の皆さん(大震災の被災者)にポケットマネーから500ドルを寄付する」

 そう表明し、観客の大きな拍手を浴びた。








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2013年05月21日

MMA IN ASIA

MMA IN ASIA」というサイトのインタビューを受けました。
どうぞご覧下さい。

http://mma-in-asia.com/region/japan/takumi-nakayama-the-king-of-pancrase-talks-pxc-debut-shooto-roots/

タクミ

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2013年05月20日

帰りました

タクミです、昨日帰って来ました。
皆様、応援ありがとうございました。
お陰様で怪我もなく勝利する事が出来ました。
試合内容に関してのリポートがMMA PLANETというサイトで詳細に書かれています。
是非ご一読を。
http://mmaplanet.jp/archives/1777327.html

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2013年05月11日

MMA PLANETにインタビューが掲載!

http://mmaplanet.jp/archives/1775510.html

http://mmaplanet.jp/archives/1775658.html

格闘技記者・高島学さんにPXC参戦についての取材を受けました。
是非御一読を。


タクミ

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2013年05月09日

タクミ、PXCに参戦!

http://mmaplanet.jp/archives/1774893.html

http://efight.jp/news-20130508_16376?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e3%2580%2590pxc%25e3%2580%25915%25e3%2583%25bb18%25e3%2583%2595%25e3%2582%25a7%25e3%2582%25b6%25e3%2583%25bc%25e7%25b4%259a%25e7%258e%258b%25e8%2580%2585%25e3%2582%25bf%25e3%2582%25af%25e3%2583%259f%25e3%2581%258c%25e3%2583%2595%25e3%2582%25a3%25e3%2583%25aa%25e3%2583%2594%25e3%2583%25b3%25e9%2581%25a0%25e5%25be%2581
急遽、5月18日にフィリピン・マニラで開催されるPXCに参戦する事になりました。
準備期間はほぼありませんが、必ずやチャンスを掴んで来たいと思います。
応援宜しくお願いします!

タクミ

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2013年05月02日

代表タクミが映画に出演します!

予告動画

格闘技業界初のMMAドキュメンタリー映画「HYBRID」
6月1日より1週間限定公開!
大阪ではワーナー・マイカル・シネマズ茨木にて上映です。
代表タクミも出演します。
pancrase movie2

pancrase movie1

ドキュメンタリーなんで出演って言っても何かを演じてる訳じゃないんですけどね。
そこにはありのままが映ってます。
ご都合よろしい方は是非ご覧になって下さい!
よろしくお願いします!

タクミ

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2013年04月23日

パラエストラ沖縄へ

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はい、しばらくぶりです、タクミです。
先週金曜日から沖縄に行っておりました。
メインの目的はパンクラスの沖縄大会の観戦でしたが、写真のようにパラエストラ沖縄に行って代表である松根君と会ったり、瞑想に耽ったり、自分探しをしたり・・・(笑)、ま、良い時間を過ごしました。
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パラエストラ沖縄では柔術指導や会員の皆さん達と練習して交流してきました。
その夜は松根君にオススメの料理屋さんに連れて行ってもらいました。
彼とは幾度となく会ってますが、試合会場などでが殆どでしたので、なんだかんだでしっかり会話したのは初めてと言っていいくらいでした。
色んな事を沢山話しましたが、本当に話していて気持ちの良い好青年です。
今年は大阪の柔術の大会に出るかも知れないと言っていたので、実現したらこれは楽しみですね。
パンクラスの大会でも生徒さんが活躍されていました。
沖縄の地でもパラエストラism・鶴屋浩エンターテイメントは受け継がれています。
ほぼ全国中にパラエストラ支部があって、
柔術を愛する仲間がいるというのは素晴らしい事ですね。
改めてそう思いました。
中井祐樹先生、パラエストラ万歳!\(^o^)/


タクミ


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