2012年02月21日

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21fe1869.jpg新年早々、わたしのファブフォー師匠Mさんから、マスト・バイと推薦された書籍「ミス・オーデル クリス・オーデル回顧録」を遅ればせながら、読了。不思議なことにMさんに薦められたその日の帰りに近所の古本屋で同書を発見。そんなにメジャーな本でもあるまいし……。
クリス・オーデルなる人物は、ディープなビートルズファンなら一度は名前を聞いたことがあるアップル・ファミリー。とりわけ、ジョージのシングル「ギブ・ミー・ラブ」のB面に収録されている「ミス・オーデル」という曲のモデルとして知られている。
同書は、その彼女が60年代後半から70年代中盤にかけてのロック最盛期に見て体験してきた音楽業界裏話とアーティストのプライベート秘話を書き記した回顧録。いわゆる暴露本の類に入るのだろうが、それだけに留まっていないのは、すべての逸話がロック史における貴重な証言であること。もうひとつはクリス・オーデルという女性のロック業界成りあがり記(自称ロック史初の女性ツアマネ)として、自分を中心に、自分の目線で書かれているところであろう。ときに調子に乗りすぎて、はめを外しすぎるところも多々あるが、それを含めて、彼女の並み半端ではないバイタリティと上昇志向は痛快であり、読後は傑作立志伝として評価できる。
68年に偶然、LAでビートルズの広報デレク・テイラーと知り合い、半ば強引に渡英、創設間もないアップルにほぼ押しかけ同然で勤務。しばらくして、ビートルズのメンバーやファミリーと懇意になり、アップルのスタッフでも側近しか入ることが許されなかったレコーディングスタジオに潜り込み「ヘイ・ジュード」のセッションに参加、69年1月には、ビートルズのラストライブとなったルーフトップ・セッションを半ば強引にヨーコなどとともに屋上で見学する。単なる一ロックファンだった女の子が、わずか1年足らずの間に、憧れのスターと一緒に仕事をする、しかもビートルズ、信じられない夢物語だ。
その後は、ジョージのアシスタントとして、フライヤーズ・パークに住み込みで仕え、あこがれだったパティと懇意の関係に。映画「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」でも描かれていなかった、ジョージの神秘的なプライベートの顔、フライヤーズ・パークの謎が具体的なエピソードとともにリアルに描かれている。もちろん、当時といえば、パティをめぐるジョージとクラプトンの複雑な恋愛関係、ジョージとリンゴ妻モーリンの不倫現場にも遭遇するエピソードは、どの書籍よりも赤裸々。ついには70年代中盤にリンゴとの交際してしまう展開は、ここで初めて知った事実であるとともに、クリスの女性としての魅力を物語っているようだ。
ビートルズ関連の逸話はほかにも多い。60年代後半にリンゴがモーリンの誕生プレゼントのために、わざわざシナトラに歌を歌ってもらいレコーディング、たった1枚だけレコードをプレスする話や、ジョージの74年のツアー最終公演をポールとリンダが変装して会場にいた話とか、ページをめくるたびにいままで初耳の新事実が記されている。知っていた話でも別角度から身近な視点で書かれていて、どれも新鮮な驚き。
アップル解散後の70年代はクラプトンやストーンズやディランのスタッフとして働くが、なかでも72年のストーンズ、75年のディランの、今となっては伝説のツアー同行した際の一つ一つのエピソードは、興味深いものばかり。ストーンズの乱痴気騒ぎ、ミックとの情事、ディランのツアーに同行していたジョニ・ミッチェルに自分の彼を寝取られてしまう話など、どれも常軌を逸しており、これぞ「セックス・ドラッグ・ロックンロール」と言うほかない。
それにしても、筆者はよくぞ、この本を書いてくれたと思う。危ない話も多く、すべてを墓場まで持っていくこともできただろう。その勇気に拍手を贈りたい。が、書かれた側が誰も悪い気はしていなさそうなところは、すべてが昔話であり、すでに鬼籍に入られた人も多いとしつつも、クリスの人徳も大きいといえそうだ。何せ、元彼のレオン・ラッセルが推薦文を書いているのだから。でも性格最悪と書かれているクラプトンは、この本をどう読むのか。そういえば、パティ本でのクラプトンも酷いものだった……。
いずれにせよ、ビートルズ関連本に新たに1冊、傑作が加わった。



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2012年02月14日

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7f251534.jpg週末のビッグマッチ、イングランド・ナショナル・ダービーのユナイテッドvリバプールは久々に見ごたえのある、手に汗握る好ゲームであった。
前回同項で書いたシティ戦での大敗以降、年末年始のユナイテッドはCL予選敗退、大みそかに最下位ローバーズに屈辱的敗戦、そしてFAカップ敗退と、低調なパフォーマンスの繰り返し。しかも主力のケガ人続出ながら1月の補強はなし。ファーガソンはこれからの正念場をどう戦う気なのか、と思っていたら、なんと昨シーズンで引退したはずのスコールズの現役復帰。やはりファーガソンは只者ではない。
そのスコールズは昨シーズンよりもいい動きを見せ、チームを引っ張る。週末リバプール戦を制したのは間違いなく中盤にスコールズの存在があったから。緩急をつけた正確なパス。ゴール前への素早い飛び込み。やはりスコールズは只者ではない。
この試合、90分を通して、メンバー全員がいい動きを見せ、全員で勝ちに向かっていく気合が感じられた。展開も自在かつスピーディー。前節3点差を追いついたチェルシー戦後半をそのまま持続させたようであったが、大きな要因は、ピッチ外のトラブル。人種差別問題でペナルティを課されたリバプールの7番スアレスが被害者であるユナイテッドDFエブラとの試合前の握手を拒否したことで、ユナイテッドの選手、オールドトラフォードのサポーターの心に火が付いた。テレビの画面からのスタジアムの異様な雰囲気が見て取れた。
結果、2−1の快勝(危ないシーンもあったが)。にしても、今回のこの騒動を見るにつけ、スアレスに否があったにせよ、イングランド・プレミア・フットボールは単なる純粋で健全なスポーツではない、ピッチ外の思惑等々、いろんな要素が入り混じった競技であることを改めて考えさせられた。
現在、ユナイテッドはシティに次いでポイント2差の2位。今後は完全に2強の首位争いとなりそう。4月末の直接対決まで、このまま着いていけるか。



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2012年02月09日

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8087ad0d.jpgポール・マッカートニーの新しいアルバム『キス・オン・ザ・ボトム』を発売日に聞く。内容はアメリカン・スタンダードやジャズ・ボーカル曲のカバーアルバム。今年70歳を迎えるポールの年相応の音楽となっている。さすが、トミー・リピューマ・プロデュース、エンジニア、アル・シュミット。キャピタル・スタジオレコーディング。音質も素晴らしく、ピアノなど音の一つひとつが際立つ好盤だ。
聞きどころはポールのボーカル。20歳で「ベサメ・ムーチョ」や「テイスト・オブ・ハニー」「ティル・ゼア・ワズ・ユー」を歌い、23歳で「イエスタデイ」と「アイム・ダウン」を同日にレコーディングしたポールのボーカリストとしての力量、キャパシティの広さがいま再び実感される。うまい。ボーカルの臨場感が生々しい。
思い返せば、今から22年前の初来日時、その周辺に行われた取材で、今後はクラシックに向かうことを宣言していた。やたらと、もう若くない自分をアピールし、ひげが似合う作曲家になりたいという旨の発言をしていた。
今では50歳でロックをやることは珍しいことではないが、当時40代後半の現役ロックスター、業界最年長だったポールにとって、その先は未知の世界であり、自分がロックをやることについて弱気になっていたのは確か。ゆえに、作曲家としての挑戦という大義名分をかざしつつ、なかばロック引退の逃げ道として、クラシックを選ぼうとしていたのではないだろうか。当時、わたしも、老成するポールのクラシック進出を納得していた。
実際に、ポールは90年代に『リバプール・オラトリオ』や『スタンディング・ストーン』というアルバムをリリースする。が、ファンとしてみたら、やはりそれらは退屈であって、(「A Leaf」は名曲だが)、一度確認用にアルバムを聴いたところで、再びそれを再生させることはなかった。やはりファンは当然のことロックでポップなポールを望んでいた。
80年代後半のインタビューでははっきりと、「もう二度とツアーはやらない」と言いきり、かなり弱気になっていたポールだが、89年〜90年のワールドツアーで自信を取り戻し、ロックンローラーでありポップスターである自分を自覚し直し、以降50になっても60になっても、70に手が届く今も、ロックとポップに取り組み、何度も大きなツアーを行っている。あれだけ、老いを気にしていたにもかかわらず。逆にいまとなっては、元気さが不気味なほど、はつらつと音楽活動をこなしている。
そして今年、いよいよ70の大台に乗るポール、一般的には立派なおじいさんだ。そんなタイミングでリリースされたこのアルバムを聴くと、ようやく年相応の音楽をやっているのではないか、という気にさせる。無理のない感じの、いい具合に枯れたボーカルが心に響く。
カバーの中にオリジナルを数曲。このパターンはロックンロールカバーの『ラン・デビル・ラン』と同じだが、その区別がつかないのがポールの特徴。書く曲すべてがスタンダードというポールの才能を表している。





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2012年01月26日

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head_48a012e8bd1f5昨日、武道館で行われたジュリーのライブに大感動。ザ・タイガースのナンバーのエバーグリーンの輝き、永遠のアイドル、ジュリーのショーマンシップ。そして久々にミュージシャンとしてステージに上がったサリーとピーのリズム隊のグルーヴィーな演奏力に心底感服した。
ジュリーがザ・タイガースの元メンバー(加橋かつみ抜き)とともにザ・タイガースの曲を歌うライブということで、発表当初からずっと気になっていたのだが、チケット入手に出遅れてしまい、行くことを決意したときにはすでにソールドアウト。仕方なく街のチケット屋で定価よりも高い額で入手した。席は武道館2階最上列、ステージよりも日の丸のほうが近く感じられる、怖いくらいの高所からジュリーと元ザ・タイガースのメンバーを見下ろした。しかしこれが、行ってよかったと心から思える素晴らしいライブであった。
前半はビートルズ「ミスター・ムーンライト」やストーンズ「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」など、ザ・タイガースがデビュー前からカバーしていた曲をメインに構成(ラストは「サティスファクション」!)。タローがデイヴ・クラーク・ファイヴの「ビコーズ」を歌ったときは、デジャヴ感が。実はこの曲、11月に同じ武道館で見たボウディーズもカバーしており、またステージの作り方も360度客席という同じスタイルであったためなのだが、ジュリーも今大人気の若手バンド、ボウディーズに負けないくらいぎっしり超満員だった。
わたしの目当てはジュリーが歌うザ・タイガースはもちろんだけど、もうひとつ、サリーの弾くベースを生で見たかった。その音を生で聞いてみたかった。ザ・タイガース、井上堯之バンド時代の岸部修三のベースは音づくり、フレーズともに唯一無二で素晴らしく、しかもホフナーを弾く姿がさまになっているベーシストは本家ポールのほかでは、彼をおいてほかにいないと思っていた(次点矢沢永吉)。といっても、わたしはザ・タイガース全盛時をリアルタイムでは知らない。完全に後追いなのだが、レコードやCDを聞くたびにこの人のベースは違うと思っていた。
そんなわたしのライブのハイライト曲は「美しき愛の掟」。サリーのベースが聞きどころのひとつになっている名曲で、案の定ライブでもサリーの気合が入った熱演だった。オリジナル通りに弾こうとするサリーの姿が本当に魅力的で、音もフレーズも最高にグルーヴィー。日本屈指のロックベーシストであることを確信した。
あと、このツアーで40年ぶりにミュージシャン業を再開させたピーのドラミングも最高にタイトでカッコよかった。「君だけに愛を」のタメの効いたドラムは、レコードそのままで、この人、現役の時はホントにドラムが上手かったんだろうな、タイガースって演奏面でもしっかりしていたんだろうな、と思わせた。この二人のリズム隊を聞けたのが最大の収穫だったかも。
みんなが知っている大ヒット曲から後期シングルや隠れた名曲まで、2時間半にわたり、惜しみなく演奏されるタイガースヒットパレードは、ジュリーの普段のソロライブとは違う格別の感動があった。「君だけに愛を」のフリもいつも以上に決まっていて、場内大興奮。どうするのかな、と思っていた「花の首飾り」はジュリーが歌唱。「5人でないとタイガースではない。近い将来揃える」と言っていたジュリーに期待。いつかオリジナルタイガースでやってくれるかな。
既述したように、わたしはザ・タイガースの全盛期を知らない。知ったのは、80年くらいに日劇の最終公演として行われたウエスタンカーニバルのザ・タイガース公演をテレビで見たから。当時大ヒーローだったジュリーが昔いたバンドくらいの認識しかなかったのに、すっかり魅了され、すぐにカセット(!)を買って聞いていた。だから今回、自分の中で32年ぶりのタイガース・リバイバル。ちょっと無理して行ったけど、ホント見てよかった。




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2012年01月08日

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7ac7fb8e.jpg2012年はビートルズのレコードデビューから50年という記念の年にあたる。1962年10月にイギリスで「ラブ・ミー・ドゥ」をリリースしてからちょうど50年目。半世紀という言葉にとても重たい歴史を感じる。今年は何かアニバーサリーリリースやイベントはあるのだろうか? 貴重音源や映像の解禁に期待したいところだが。
しかし、個人的な今年のビートルズのアニバーサリーとしては、ポールの『タッグ・オブ・ウォー』30周年であることを挙げたい。リリースは82年4月5日。30年前の今頃、わたしは過去最高でビートルズ熱が高かったのではないかと振り返る。前年12月のジョンの死のショックを引きずりつつ、一方ではより詳しくビートルズを知りたいという気持ちが高まり、友人、ラジオ、本、フィルムコンサートを通じて、かなり貪欲的に情報や知識を収集していた。レコードは相変わらず月1枚しか買えなかったが。そしてその情熱は、当時中学生でありながら、とあるビートルズファンクラブのボランティアに参加するほど。生活はビートルズ一色だった。
だから、『マッカートニー2』以来の、ポールのソロがリリースされ、そこにジョンへの追悼曲が収録されると聞いたとき、かなり興奮して、リリースを心待ちにしていたのだった。81年はジョージとリンゴがソロを出していて、ジョージの「オール・ゾーズ・イヤーズ・アゴー」にも感動したが、やはり、ポールのアルバムを聴きたい気持ちが高まっていた。ポールはインタビューアルバムをリリースした。といってもその頃、ビートルズのアルバムを買うことが先決で、まだメンバーのソロアルバムはほとんど聴けていなかったのだが。
そんななかで、最初に先行シングルの「エボニー・アンド・アイボリー」を聞いたのは、82年2月くらいのNHKの「海外ウィークリー」だったか「ベストヒットUSA」か。聞いた瞬間に名曲と判断し、まだ買ったばかりのビデオで録画した映像を何度も繰り返して見たのだった。このときはホント心から感動した。
しかも、そこで流れたPVはスティービーとのデュエットバージョンではなくて、ポールのソロ・バージョンであった。後に、スティービーとの共演バージョンを聞いたのだが、そのときはとても違和感を覚えた記憶がある。今では共演バージョンがスタンダードになっているが、私は今でも「エボニー・アンド・アイボリー」はポールひとりのバージョンのほうが好きだ。しかしこのバージョンは今までCD化されたことがない。当時リリースされた「エボニー・アンド・アイボリー」12インチシングルのB面にしか収録されていない。
考えたら「エボニー・アンド・アイボリー」の7インチのB面「レインクラウズ」、『タッグ・オブ・ウォー』からのセカンドシングル「テイク・イット・アウェイ」のB面「アイル・ギヴ・ユー・リング」も未CD化。なぜなのだろうか? 今年のデラックス・エディションは、『タッグ・オブ・ウォー』にしていただき、これらのシングルをすべて収録していただきたいと願う。
『タッグ・オブ・ウォー』の思い出はまだまだたくさんあるので、近々もう一度記したい。







(12:59)

2012年01月06日

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6be1fcbb.jpg昨年末に見た映画「恋の罪」が頭から離れない。すでに2週間以上が経つというのに、今もふとした拍子に尾沢美津子役冨樫真のものすごい形相が脳裏に浮かぶ。いろいろな意味で強烈なインパクトを放つ「恋の罪」は個人的に昨年のナンバーワン。
わたしが「恋の罪」に強く興味を惹かれたのは、園子温監督ファンだからというわけではなく、エログロ趣味からでもない。「冷たい熱帯魚」はまだ見ていない。ただ長年にわたり勝手に追いかけている事件、東電OL殺人事件をモチーフにしているからにすぎない。
あの事件は奇怪な未解決事件として広く知られているので、その謎に迫ったルポルタージュや題材にした小説、冤罪追求の角度から取材したテレビドキュメント番組は過去に作られてきた。しかしビジュアルをメインにして作られたものはなく、ましてや被害者写真の公開も控えられているので、自分の頭の中で事件をビジュアル化してイメージするしかなかった。「恋の罪」はあの事件をどのようにモチーフにしているのか、事件を頭の中に具体的な映像としてイメージしたく、映画館に足を運んだ。
映画の主役、尾沢美津子の仕事は大学講師。実際の事件との設定は違うものの、厳格な家庭に育ったファザコン、知的で上品な昼の顔の裏にある愛欲にまみれた淫靡な夜の顔という二重人格のキャラクターは実際の被害者をそのまま投影したものになっていて、全体的には大幅な脚色は加えられているものの、ここだけは事件に忠実に作りこんだのではないか、と推測する。だからこそ、実際の円山町ロケでの客引きのシーンはリアリティがをもち、ラスト近くの冨樫真の鬼気迫る演技はまるで被害者が憑依したのではないかと思うほど。個人的にはそれが最大の見どころであった。
この映画の根底に流れる偽善と堕落。その象徴として尾沢美津子があるのだが、その対比というか分身として貞淑な作家妻いづみ(神楽坂恵)を置き、冒頭からこの女性を中心に物語を進めることで、すべての女性は無数の尾沢美津子のひとりにすぎないということを描き、また女刑事(水野美紀)に事件を紐解かせることで、今も多数の予備軍が存在することを描く。三者三様ではあるが、女性の誰もが同じ業と本性をもつというテーマのあぶりだし方が見事だ。
また、主役の二人を大学文学部の助教授と小説家の妻と設定することで、文学要素を映画と核とする。カフカや「言葉を知らなければよかった。あなたの涙に留まることもなかった」といった詩が、単なるサスペンスではない文学的要素をもたらす。メモしたい名セリフ多数。
2時間半のほとんどがハイライトといってもいいほどの実に濃厚な内容。特に執拗な性描写については、途中から感覚がマヒしていき、ただの行為としか見られなくなっていく。ある意味、「愛のコリーダ」のよう。時に演劇的で、過剰演出と思うシーンもあるが、ちゃんとリアリティをもっているのは、渋谷円山町ロケ、女優陣の体を張った演技、そして何より、実際にあった事件、東電OL殺人事件にインスパイアされた映画という断りがあったからではないか。
見終わったあと、かなりの衝撃で疲労感と脱力感を覚えた。今もふとした拍子に尾沢美津子役冨樫真の顔が浮かぶ。しかしまたもう一度この映画を映画館で見たいと思う。細部までじっくり考えながら見てみたい。完全に「恋の罪」の中毒にかかってしまった。




(22:36)

2011年12月29日

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76c3aa54.jpg上下段組700ページ超の重厚長大な単行本、増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読み終えた。物理的なことはもちろん、内容的にも重く心に応える一冊。読後ここまで大きな達成感と充足感を与えてくれた本も少ない。
わたしは以前、大のプロレスファンであった。テレビ観戦はもちろん、かなりのペースで会場にも足を運び、10代の頃は音楽と同等で関心と時間を費やしていた。全盛期は昭和55年から57年にかけて。そのきっかけとなったのは、昭和49年、初めてテレビ観戦したA猪木対S小林戦であった。子供ながらに、この試合に漂うただならぬ緊張感と両者の存在感に魅了され以後、そのままプロレスの魅力に取りつかれていく。
わたしの場合、「ショーだから」というエクスキューズを持つことはなく、かなり真剣にプロレスを見ていた。特にビッグマッチは試合前から気持ちがわくわくし、膝をがくがく怯えさせながら見ていた。サプライズに興奮するものの、猪木は必ず毎週金曜生放送中の8時45分にフォール勝ちをする。しかし、わたしは余計な疑念を排除し、いや疑念を持たぬよう、プロレスを楽しんでいた。当時の猪木はそれくらいカリスマであったということでもあるが。
そんなわわたしのプロレス観にリアルファイトとか、ガチという言葉を最初に意識させたのは、前田日明だった。危険な匂いがぷんぷんしていた彼はかなり魅力的であり、そのファイトにかなり注目していたが、実際に長州の顔面を強襲した事件に接したときはかなりショックを受けた。かなりいろいろなことを考えさせられた事件であった。以降、「プロレスはスポーツとショーの間に咲く花」という猪木の言葉を踏まえつつ、プロレスはガチなのかショーなのか、を頭で巡らせつつ90年代のUWFや異種格闘技戦を見ていた。この時期もかなり会場に足を運んでいる。しかし、2001年に刊行されたミスター高橋著「流血の魔術最強の演技―すべてのプロレスはショーである」で、プロレスに関するすべての興味を失った。暗黙の了解を「やらせ」として暴露する書に寝込んでしまうほどのショックを受けたのだ。あの、わたしの子供心を動かせた昭和49年のA猪木対S小林戦もすべてショーだったのだ。その後、2007年に刊行された柳澤健著「1976年のアントニオ猪木」で、生涯猪木は1976年に行った3試合だけがリアルファイトであったことが記された。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」のハイライト、昭和29年に行われた昭和の巌流島決戦木村政彦対力道山戦も最初から勝敗が決まったショーとしてマッチメイクされた。当初、木村が申し出た挑戦を力道山が承諾、互いにリアルファイトを望んでいたが、仲介人の交渉等々で徐々に、交互に勝敗を転がしながら日本中を興行していくということで手打ちがついた。プロレスで行こうということになっていた。しかし、試合途中で急に激高し、リアルファイトに転じた力道山は、台本通りに進めようとしていた木村に本気のチョップを叩きこみ始めた。急な展開にわけのわからぬまま防戦一方となり、最後木村は血を吐きマットに沈んだ。震撼する観客。そして視聴者。
それにしても、あの試合、なぜ力道山は途中でリアルファイトに転じたのだろうか? 定説では木村の蹴りが力道山の急所に入ったからということになっているが、youtubeで映像を見る限り、大きなダメージにはなっていなそうだし、当の木村も後にそれを否定している。しかし、急に力道山の顔色が変わり、力ずくで木村を張り倒していく。試合が始まってから、ずっとプロレスとしてかみ合っていないストレス、大事な試合にもかかわらず、体を作ってきていない木村への怒り、「プロレスはショーだ」とバカにされていた鬱憤が一気に噴き出たような感じさえする。凄惨な終わり方をして、力道山の強さをアピールしたこの試合以降、プロレスは真剣勝負のイメージを確立させていく。日本のプロレス史におけるきわめて重要な試合であった。
このたった一試合で、昭和が生み出した柔道の鬼、ブラジルでグレイシーを倒した木村のブランドは一気に失墜し、逆に力道山は国民的英雄に上り詰めていく。木村は最終的に柔道界からもプロレス界からも無視され抹殺されてしまうのだから、その代償はあまりに大きかった。書によると木村はその後、自分に屈辱を与えた力道山を憎み、本気で殺そうとしていたのだという。
同書のハイライトは、木村政彦対力道山だが、木村の濃い半生はもちろん、師匠牛島辰熊や弟子岩釣兼生等々、木村を語るに欠かせない、柔道の歴史を飾る重要人物が細かく丁寧に紹介されている。しかもどの柔道家もそれぞれ魅力的で、かつその怪物ぶりがすさまじい。半端ではない情報量。そして、この書は木村政彦の人生だけではなく、柔道という武道そのものの数奇な歴史までに言及している。それが裏テーマでもある。著者の執念ともいうべき調査力に脱帽することしきり。武徳会vs講道館をめぐる政治的争い、戦争に翻弄され、GHQにスポーツ化を余儀なくされ、オリンピック正式競技になるため、国際化に向けて本来の格闘要素を排除させられていく柔道の歴史がとても興味深い。
今後、わたしはプロレスを興味を持つことは二度とないのではないかと思うが、この書を読み、生まれて初めて柔道を生で見てみたいと思った。



(22:13)

2011年12月19日

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9f04b1e9.jpgポールのドキュメント映画「THE LOVE WE MAKE」を見る。「マッカートニー2」を名盤と判断する大のポールファンのわたしゆえ、基本的にポールの過去、今、未来も含めたすべての行動について肯定的に受けているのだが、唯一苦手で、どうしても気持ちを入れ込むことができなかったのが、2000年代前半であった。リンダ死去の悲しみも癒えぬ時期、周囲の反対を押し切ってのヘザーとの再婚、中途半端な作りのアルバム『ドライヴィング・レイン』(その中に収録されている「ヘザー」……)、そして 「コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ」はファンといえども戸惑いを覚えるものだった。
なので、この時期のポールがドキュメントされているこの映画についても、最初は関心がなかった。短髪のポールも好きではないし……と思っていたのだが、冷静に考え直し、ポールの映画が公開されているのに劇場で見ないのは、長年のファンとして失格なのではないか、後に後悔するのではないか、ということだけで足を運んだ。
この映画「THE LOVE WE MAKE」は、2001年9月11日にアメリカで同時多発テロが起こったとき、たまたまニューヨークに居合わせたことで受けた大きな衝撃、事件を引き起こしたとされるアルカイダにアメリカの自由を冒涜された憤り、そして自分の父親が消防士だったことから、事故現場で救助活動をした消防士に敬意を表して、ポールが自発的に行ったチャリティーライブの裏側を追ったもの。
映画中、ポールの政治的発言が挟まれているが、扇動的なものではなく、あくまでも個人的な感想の範囲内。道徳的正義が単純に図式化されているように思えるが、それがポールであり、そもそも英米人のチャリティの観念はそこにあるので、そこはあまり気にしない。チャリティになると「レット・イット・ビー」を歌ってしまう習性も、どうでもいい。が、やはりこのイベント用に作った「フリーダム」の歌詞は……。そして、その「フリーダム」をクラプトンなどの参加アーティストに得意げに自慢するポールの無邪気さに思わず、笑ってしまった。画面には、多くの有名人が出てくるが、その中心となってライブを仕切るポールは、常に上機嫌で社交的でおしゃべり。途中からは欽ちゃんバンドの欽ちゃんにしか見えなくなる。
いろいろ思うところはあるけど、ファンとしては2時間近く、大画面でポールの姿を見れたことだけで満足。特にニューヨークの街をドライブしたり、散歩したり、ファンと触れ合ったり、あまりに失礼なファンにムッとするシーンに、素のポールが垣間見れる。また、モノクロ映像というのも手伝って、なんとなく64年の「ビートルズUSビジット」のポールがダブって、面白い。いつ何時でもファンへのサービス精神が旺盛で、「これがショービジネスだよ」と言い切ってしまうポールは、64年のビートル・ポールとなんら変わりはない。
今年、公開された、ジョン、ジョージのドキュメント映画と比べると、ビートルズ・ファンとしては見どころも新しい発見も少ないけど、ポール・ファンとしてはかなり楽しめた映画だった。10年ぶりに『ドライヴィング・レイン』を聞いてみようかな。




(23:48)

2011年12月16日

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74e43e99.png先週金曜に代々木第一体育館で行われたYUKIのライブに大感激。これが私の今年のベストアクト。10月の横浜アリーナ公演を見ているので、ある程度構成は把握していて、オープニングの仕掛けは分かっていたはずなのに、うかつにも画面を見入ってしまい、またもや驚かされてしまった。そしていきなりの「JOY」で昇天。なんと贅沢なセットリスト。
ライブの構成自体は10月と変わらず、後半に1、2曲新曲が加わった程度。YUKIの声の調子があまりよくなさそうだったけど、それを補って余りある演出、構成に、ただただ感心するばかり。
ライブの感想は前回のライブ評とあまり変わらないので、今回は前回でも少し触れたYUKIと松田聖子の類似点について。前回のブログで、ライブ中に「私、可愛い?」と観客に問うMCはYUKIと聖子しか許されないと書いたが、それ以外にも、YUKIのコンサートは聖子とダブるシーンは多い。
演者がファンに対して行う感謝のMCはどのライブでも恒例で、いわばハイライトともいえる感動シーンではあるが、この二人の感謝MCはの内容(ヒューマン性)、しぐさも含めて、とてもよく似ている。まず自分が感極まり、そしてしっかりとファンを感動させる、ときに大仰とさえ思う、素なのか演技なのか分からない技はさすがプロ。
また今回の代々木ライブでは、新しいベストのリリースとドーム公演の告知をしつつ、新曲を披露したのだが、そのソロデビュー10周年を記念して作られたという曲もまた聖子的なアプローチだ。これまでのソロの代表曲のタイトルを歌詞中にフィーチャーしたというもので、ファンとしては感慨深い内容なのだが、実は松田聖子にも20周年を記念して作られた、同じように、歌詞中にタイトルが羅列されている「20th PARTY」という曲がある。今やライブの定番。「世界はただ、輝いて」というタイトルもまた聖子的だ。聖子は「輝いた季節へ旅立とう」。
さらには、ライブ途中に可愛い子供(女の子)が「HELLO!」を踊る動画が大画面に映し出され、観客を和ませるのだが、どことなくYUKIの実の子どもっぽい。真偽は分からないが、あの子が本当に実子であったとしたら、SAYAKAをダブらせずにはいられず、ここに両者に共通する母性を見ることができるかも……。でも、あの子はどことなくYUKI似だったし、あそこで、他人の子の踊りを見せる意味もないだろうから……。
基本的にロックであるYUKIは、歌謡の聖子とは音楽性が全く違うのだが、永遠に可愛いいポップアイコンであるというところはとても似ている。ちょうど10歳違いの二人、以前、「ポップジャム」で共演し「スウィートメモリーズ」をデュエットしたシーンを見たことがあるが、いつかまた再演はあるのか、見てみたいが、二度とないほうがいいような気もする。
奇しくも今月末、カウントダウンで松田聖子のライブに行く予定があり、1ヶ月の間に両者のライブを見るという貴重なひと月になった。



(10:03)

2011年12月10日

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f59487e2.jpg12月8日に武道館で行われたジョン・レノン・スーパーライブで見た桑田佳祐のステージに心底感動。今まで30年以上のビートルズと桑田佳祐への様々な思いが幾重にも絡みながら心に去来する自分にとって特別なライブであった。
サザンを最初に見たのは78年夏の「ザ・ベストテン」。今週のスポットライトで歌う「勝手にシンドバッド」の衝撃に心を奪われて以来、新曲、アルバムは欠かさず聞き、情報をチェックし、大ファンとして33年が経過した。思い出のBGMにはいつもサザンがあったといっていい。また、アーティスト、ソングライター桑田佳祐はもちろんのこと、リスナー桑田佳祐からも多大な影響を受けた。特に79年から始まった第一期、82年から始まった第二期「オールナイトニッポン」で教えてもらった様々な音楽は、今の自分の音楽知識の血となり肉となり、今に生かされている。なかでも、ラジオでよくかけたり歌っていたビートルズは特別で、コメント一つひとつから様々なことを学んだ。今の自分のビートルズへの愛情や知識はそこで基礎が作られたと言っても過言ではない。
その桑田佳祐が武道館でビートルズを歌う。そんな贅沢なライブはそうそうお目にかかれるものではない。しかもわたしは、33年間サザン、桑田ファンであるにもかかわらず、ライブを見たことがなく、奇しくも今回が人生初の生桑田体験であった。
8時過ぎ、桑田佳祐はビートルズ初期を思わせるスーツに身を包み、日本公演でジョンが使っていたエピフォンを抱えてステージに登場。満員の会場は大盛り上がりの中、いきなり「勝手にシンドバッド」をサワリだけ。ギャグとして演奏したあとに「シー・ラブズ・ユー」を完コピー。そして「ザ・ドリフターズです」(笑)。その後、「ユー・キャント・ドゥ・ザット」「アイム・ア・ルーザー」「アイ・フィール・ファイン」「スロウ・ダウン」など初期のナンバーを7曲、アレンジもフレーズもボーカルも尺も同じに完璧にコピー。MCでは、来日公演のビートルズのマネをしたり、自分とビートルズの思い出を話したり、立川談志とジョンを間違えてみたり……と、すべてが面白く会場を沸かせる話術は、さすが。
今回のライブ、ジョンのソロではなくすべてビートルズの曲だったことに桑田佳祐のこだわりを感じた。それは、ジョンが輝いていたのは、あくまでもビートルズのメンバーとしてのジョンであり、そのビートルズはジョンだけが功労者ではなく、ポールもいて、ビートルズナンバーはレノン=マッカートニーで作られたということを暗に言いたかったのではないかと察するのだ。ジョンの追悼イベントだから、ジョン・オンリーになるのは仕方のないことだが、このイベントはあまりにもポールの影が薄すぎることが気になっていたから、自身のラジオで「ビートルズだけを歌います」と言ったとき、「さすが、わたしのビートルズ恩人、わかってる」とうなづいた。そもそも、この手のイベントに出ないことが桑田の主張だと思っていたので、今回のイベントに出ると聞いたときは大変驚いたのだが。
今回のステージ、今までいろんなところで歌ってきたカバーよりも丁寧に、原曲に忠実に歌っている姿を見て分かったのは、改めて、心の底から誰よりもビートルズが大好きであるということ。それを生で見られたことが本当にうれしかったし、自分もビートルズファンの原点に戻った気がした。ビートルズファンとして最高に幸せな約30分だった。ある意味、自分にとって最高に贅沢なバーチャルなビートルズ日本公演だったのかも。
で、家に帰って久々に「嘉門雄三&VICTOR WHEELS LIVE!」が聞きたくなり、レコードを取り出したら、このライブが行われたのは81年12月、今からちょうど30年前とのことであった。ここに入っているカバーはどれも名演なのだけど、ビートルズは「エニイタイム・アット・オール」を選ぶセンスに、当時グッと来たことを思い出した。この、アルバム、中学の時、ホントよく聞いたのだけど、CD化されないのかな……。



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