アマチュアベートーヴェン研究家 風仙人(旧:Pastorale)の徒然日記

ベートーヴェンの15番のピアノソナタをこよなく愛するアマチュアベートーヴェン研究家の日記帳です。

ウィーン+α紀行[第2巻](第7回 ハイリゲンシュタット墓地)3

 シュライバー川のほとりにあるベートーヴェンの小路(Beethovengang)散策した後、Beethovenruheと称する案内板が見えたのである。「Ruhe」とは、休息、やすらぎといった意味なのであるが、その先には、ベートーヴェンの胸像が設置されていたのである。これは、「前回」もしっかりと見たもので、そこでは、日本では、なかなかお目にかかれない大きなかたつむりが印象に残ったところだったのである。この銅像のことを知ったのは、国営局の「こちらの番組」であったが、この日も、少しばかり時間をかけて眺めることにしたのである。
15_04_Beethovenpark_8

15_04_Beethovenpark_915_04_Beethovenpark_1015_04_Beethovenpark_1115_04_Beethovenpark_12











 そこから、さらに西に進むと、Beethovengangは終わり、カーレンベルガー通り(Kahlenberger Strase)に出たのである。そして、シュライバー川沿いのヴィルトグルプガッセ(Wildgrubgasse)をさらに上流に行こうとすると、「Weinort Nusdorf−Heiligenstadt」と示された案内版が設置されていたのである。「ワインの地」とあるので、このあたりがワイン用ぶどうの産地なのかと思いながら、さらに上流へと歩を進めることにしたのである。その反対側には、ハイリゲンシュタット墓地を示す行先表示もあったので、少しばかり安心したのである。
15_04_Beethovenpark_13(Wien Nussdort)15_05_Heiligenstadtfriedhof_1





 この付近のシュライバー川は、下流と違って、河道が下方にあるため、護岸ののり長も長く、勾配もやや急なものになっていたのである。しかも、石張りの護岸にあるが、その表面は滑面状態にあったので、湿った状態の石張りの上を行くと、すべり落ちそうな感じがしたのである。一応、水際まで下りて行ったのであるが、晴れていたこともあり、すんなりと下りることができたのである。また、石張りをしているが、カラムシのような草が覆い茂っていたため、石張りだけとならない自然な感じが趣のある護岸だったのである。
15_04_Beethovenpark_17(Schreiberbach)15_04_Beethovenpark_14(Schreiberbach)15_04_Beethovenpark_15(Schreiberbach)15_04_Beethovenpark_16(Schreiberbach)











 そして、間もなくすると、ハイリゲンシュタット墓地が見えたのである。この墓地のことは、今回の旅について色々と調べているうち、その存在を偶然知ることとなったのである。墓地の入口は、鉄格子の門扉で閉ざされていたが、その脇には、何もなく、誰もが入れるようになっていたのである。その手前には。礼拝堂のような建築物もあり、欧風の佇まいを感じながら、静寂な中での墓地内を散策したのである。15_05_Heiligenstadtfriedhof_215_05_Heiligenstadtfriedhof_3






 一応、この墓地にも、音楽関係の人が埋葬されているかと思って、調べたところ、著名な音楽関係者は埋葬されていなかったのである。ただ、知識が稀薄なアマチュア研究家なので、実際は、著名な音楽関係者が埋葬されていたかも知れないのであるが、そういった中で、「この名レーサー」が埋葬されていたことが分かったのである。小生は、カーレースのことは、詳しくないが、事故でやけどの跡が痛々しいラウダの姿は、記憶に残っていたのである。

 墓地で、お目当ての墓所を探し当てるのは、なかなか大変なのであるが、ネットで見た写真をスマホに収めていたため、その写真を頼りに探すことにしたのである。そして、間もなくすると、写真と同じような墓石を見つけたのである。墓石には、「Familie Lauda」とあったので、間違いなくニキ・ラウダが埋葬されている墓所だったのである。埋葬されている石蓋は、とても巨大なもので、どうやって設置したのかと思ったくらいなのである。
15_05_Heiligenstadtfriedhof_4(Niki Lauda)
 それから、少しばかり墓地内を散策したのであるが、特に誰の者ともわからない墓所を写真に収めたのである。それは、二人の愛らしい天使を別々の墓所で見かけたため、つい写真を撮ってしまったのである。そして、その後ろには、ぶどう畑が広がっており、収穫期には、多くのブドウが実を付けると思ったのである。小生は、アルコールが強い方ではないが、こういった地で収穫した葡萄酒は、とても味わい深いものだろうと思いながら、ハイリゲンシュタット墓地を後にしたのである。
15_05_Heiligenstadtfriedhof_5
 今日の曲は、ニキ・ラウダが「赤い帽子」をトレードマークにしていて、熱い情熱を持ってレースに挑んでいたと思うことから、「ピアノソナタ 第23番 ヘ短調 op.57 《熱情(Appassionata)》」の第1楽章(Allegro assai)としよう。今日は、県外でのイベントに出席のため、早朝から出かけることになったのである。そして、昨日から、娘が幼い孫2人を連れて帰省しているため、わが家はてんやわんやなのである。その孫は、小生に全く似ていないのであるが、どこかにDNAが受け継がれているかと思うと、それが良いのである。

ウィーン+α紀行[第2巻](第6回 小川のほとりへの再訪)5

 ハイリゲンシュタット教会の鐘の音を聴きながら、ハイリゲンシュタット公園を出て、グリンツィンガー通り(Grinzinger Strase)に出て、ベートーヴェン公園(Beethoven parkに向かったのである。そして、アルムブルスター通り(Armbrustergasse)に入って、この後に訪れるベートーヴェンハウスを右側に眺めながら、歩を進めたのである。ちなみに、「アルムブルスター通り」という名称は、18世紀にこの地域で作家として活躍したヨハン ミヒャエル アルムブルスター(Johann Michael Armbruster)に由来しているというのである。

 なお、通りの名称が幾つかあるため、少しばかり調べてみたところ、「Strase」は大通り、「Gasse」は、細道、小路、「Gang」は木陰道、並木道と使い分けているようなのである。そして、アルムブルスター通りを進むと、前回は建設中にあった「ハイリゲンシュタットの建設現場」も、立派な建築物が建っていたのである。ここでは、現場を撮影したことで、怒られたのであるが、そういった教訓が色々と活かされることになったのである。そんなことを思いながら足を進めていくと、エロイカ通り(Eroicagasse)との交差点に差し掛かったのである。この「Eroica」という名称は、交響曲第3番に由来していると思ったのである。
15_04_Beethovenpark_115_04_Beethovenpark_2(Eroicagasse) 





 そして、エロイカ通りをしばらく行って、シュライバー川(Schreiberbach)に架かる橋を過ぎると、小川のほとりのあるベートーヴェンガング(Beethovengang)の入口が見えたのである。前回も、「小川のほとりの情景」として、シュライバー川沿いの小路を散策したのであるが、この日も同じように散策することにしたのである。久しぶりのベートーヴェンガングでの散策となったが、以前と変わることのない情景だったのである。
15_04_Beethovenpark_315_04_Beethovenpark_4(Schreiberbach) 





 その護岸を見ると、日本では、なかなかお目にかかれない自然石による石張り護岸だったのであるが、適度に落差工もあり、適度な流速対策を施していたのである。ただ、落差工の箇所には、雑木の流木が引っかかっていたので、この日は緩やかな流れであったが、雨風が強い時は、流木も流れてくるということなのである。こういった小川のほとりの情景を写真に収めていると、どこからとなく、鳥のさえずりが聞こえてきたのである。
15_04_Beethovenpark_5(Schreiberbach)15_04_Beethovenpark_6(Schreiberbach) 





 これは、すぐに第6交響曲の第2楽章の最後に鳥の鳴き声を楽器で描写したことが頭に浮かんだのである。おそらくベートーヴェンも、聞いたことのある鳥のさえずりではないかと思ったのである。この日は、天候にも恵まれ、小川のほとりで鳥のさえずりを聴くことができたのである。当時は、今のように川沿いに家屋が立ち並んでいたのではなく、自然の中での散策だったので、あのような名曲が生まれたと思うのである。そのようなことを思いながら、シュライバー川沿いを散策しながら、次の目的地へと向かったのである。
15_04_Beethovenpark_7(Schreiberbach)
 今日の曲は、小川のほとりを再び散策したことで、「交響曲 第6番 ヘ長調 op.68 《田園(Pastorale)》」の第2楽章(小川のほとりの情景:Szene am Bach;Andante molto moto)としよう。あの鳥のさえずりの正体がわかることはないと思うが、豊かな自然にあることを体験できたことは、「見るべきものは見た」ではなく、「聴くべきものは聴いた」ということになるのである。一方で、今日は休みを取って、薩摩の実家に帰省することになったのである。これは、明日が母親の検診日なので、その付き添いとして一緒に病院に行くからなのである。年齢が年齢なので、油断できないのであるが、何とか良い結果となってもらいたいものなのである。そして、明日は、この用事の他にも、色々と予定があったのであるが、重なるときは重なるものなのである。そういったことで、予約投稿となるので、何とか平穏好日となってもらいたいものなのである。

ウィーン+α紀行[第2巻](第5回 ハイリゲンシュタット公園)4

 37系統トラムの終点駅のHohe・Warteからハイリゲンシュタット公園に向かったのであるが、早朝ということで、人気もなかったこともあり、澄んだ空気の中をゆったりと歩いていたのである。その途中は、大小の起伏もあったため、少しばかりの時差ボケもあったこともあり、初日からこけてケガするとしゃれにもならないので、久しぶりのウィーン散策ということもあり、注意しながら目的地に向かったのである。そして、しばらくすると、ハイリゲンシュタット公園の入口に到着したのである。
15_03_Heiligenstadterpark_1
 実は、前回も、「ハイリゲンシュタット公園(Heiligenstadter Park)」には、立ち寄っていたのであるが、帰国してから、とんでもないことがわかったのである。それは、ここにベートーヴェンの銅像があったということだったのである。やはり、しっかりと調べておかないと、こういうことがあるものなのである。そして、前回も通った公園名を示す石碑と一緒になったベンチの横を通り過ぎたのである。ここまでは、前回と同じであったが、まさか、この先にベートーヴェンの銅像があるとは思わなかったのである。
15_03_Heiligenstadterpark_215_03_Heiligenstadterpark_3





 そして、しばらく進むと、木陰で少し隠れたベートーヴェンの銅像が見えたのである。その銅像に近づくと、ステッキと帽子を持って散歩している様子を描写したものが彫られたものだったのである。前回は、情報がなかったため、スルーしてしまったが、「これを見逃すとは」と、改めて情報収集力のなさを痛感したのである。そして、正面だけでなく、色々な角度から、この白い大理石の像を眺めていたのである。
15_03_Heiligenstadterpark_415_03_Heiligenstadterpark_515_03_Heiligenstadterpark_615_03_Heiligenstadterpark_715_03_Heiligenstadterpark_815_03_Heiligenstadterpark_10
















 その側面に目を向けると、そこには、「Modell von Robert Weigl +1902」「ausgefuhrt 1910」と、文字が彫られていたのである。早速調べてみると、「ausgefuhrt」は、「ausfuhren」の過去分詞で、「やり遂げた」ということで、1910年にやり遂げたという意味になるのである。そして、気になるのが「Modell von Robert Weigl +1902」なのである。「Modell」は、モデルという意味なので、すぐに分かったのである。ただ、「Robert Weigl」は、人の名前であることはわかったが、初めて目にした名前だったので、調べることにしたのである。
15_03_Heiligenstadterpark_9
 ロベルト・ヴァイグル(Robert Weigl 1851〜1902)は、オーストリアの彫刻家だったのである。1902年12月27日に亡くなったので、「+1902」と彫られていたと思ったのである。ヴァイグルは、当初ゲルストホーファー墓地に埋葬されていたが、1903年2月にウィーン中央墓地に名誉墓が授与されたというのである。翌日にウィーン中央墓地に行くことになるのであるが、このことを知らなかったので、ヴァイグルの墓所に行くことはなかったのである。1910年ということは、ヴァイグルが亡くなった後に、この銅像が設置されたということになるのである。

 そして、しっかりと、ベートーヴェンの銅像を眺めて、次の目的地に向かうことにしたのである。その時、ハイリゲンシュタット教会の鐘が鳴り響いていたのであるが、この教会の鐘の音というのは、ヨーロッパならではのことなのである。ただ、耳が遠いため、何となく鐘の二重奏のような聞こえ方がしたのである。それでも、初夏の心地よい気候の中で、少しばかりの時差ぼけを感じながらのハイリゲンシュタット公園の散策は、気持ちの良いものだったのである。
15_03_Heiligenstadterpark_11
 今日の曲は、ベートーヴェンの散策姿の銅像を見て、ハイリゲンシュタット公園をのんびりと散策できたことで、「ピアノソナタ 第15番 ニ長調 op.28 《田園(Pastorale)》」の第1楽章(Allegro)としよう。昨日は、ちょっとした難題をクリアすることができたことも、この曲となったのである。そして、今日は、朝から外出となり、なかなかハードな一日となったのである。そのうえ、家庭内用務も待っていたのであるが、何とか平穏好日となったのである。

ウィーン+α紀行[第2巻](第4回 ハイリゲンシュタットへ)5

 定刻が6時20分到着であったが、20分ほど早く到着したのである。そして、手荷物を受け取った後、到着口を出た時、前回同様「とうとう来てしまった」という何とも言えない寂しさと、これからの旅のわくわくとする気持ちの双方が入り混じった感情が押し寄せてきたのである。そして、今回は、前回利用した高速バス(Vienna Airport Lines)ではなく、鉄道を利用することにしたのである。

 前回は、鉄道を利用する機会が少なかったが、今回は色々と鉄道を利用する機会が多いと考えたからなのである。この日の目的地が前回宿泊地のもよりの駅のWienWestbahnhofであったが、少しは慣れておいた方が良いと思ったので、鉄道を選んだのである。そして、案内を見て乗車口に向かったのであるが、チケットは空港内で購入していたのである。プラットホームは、AからEまで分割されており、その区間内に停車する日本では、あまり見かけない長いものだったのである。
15_01_Wien Flughafen
 そして、入線してきた列車に乗車して、7時37分に発車したのである。しばらくすると、乗務員が改札に来たので、購入したチケットを見せると、「このチケットは違う」というのである。その瞬間、「しまった」と思ったのである。小生が乗るべき電車は、OBB レールジェット、あるいはS7のSバーンだったのであるが、「CAT(シティ エアポート トレイン)」というシャトル列車に乗車してしまったのである。

すぐに、ボーンヘッドであることが分かったので、言われた料金を支払ったのであるが、初日から痛い出費となったのである。ただ、CATは、ウィーン空港からウィーン・ミッテ駅を結ぶ最速の列車なので、すぐに到着したのである。そして、地下鉄のU3に乗車して、Westbahnhofまで向かうことにしたのである。そして、この日の宿泊は、前回もお世話になったホテルメルキュールウィーンウェストバーンホフ(Hotel Mercure Wien Westbahnhof)だったのである。約2年ぶりとなったが、ほとんど変わっていなかったのである。

 時間が朝の8時過ぎだったため、さすがにチェックインという訳には行かなかったのである。ただ、キャリーケースを預かってくれるかと尋ねると、それは引き受けてくれたのである。そして、指定された荷物室までキャリーケースを預けて、ホテルを出て、最初の目的地である「ハイリゲンシュタット公園(Heiligenstadter Park)」に向かうため、地下鉄U6に乗車して、「Nusdorfer Strase」まで行き、そこから37系統トラムのGlatzgasseに乗り換えて、Hohe・Warteに向かうことにしたのである。

 そのU6から37系統トラムに乗り換える途中、少しばかり歩くことになったのであるが、その途中に日本ではなかなかお目にかかれないアーチ橋を見かけたのである。そして、久しぶりのトラムの旅は、10分ほどであったが、途中に前回訪問した「エロイカハウス(Eroicahaus)」や、「セタガヤパーク(Setagayapark)」を眺めていると、目的地のHohe・Warteに到着したのである。そして、最初の目的地であるハイリゲンシュタット公園に向かったのである。
15_02_Brucke
 今日の曲は、ハイリゲンシュタットに到着したということで、「交響曲 第6番 ヘ長調 op.68 《田園(Pastorale)》」の第1楽章(田園に到着したときの朗らかな感情の目覚め:Erwachen heiterer Empfindungen bei der Ankunft auf dem Lande;Allegro ma non troppo)としよう。今朝は、日向の国で、震度4の地震があり、肥後の国も、そこそこ揺れたのである。一方で、天気は、あいにくの雨模様で、先週に引き続き、紙資源のゴミ出しができなかったのである。昨晩は、娘からのTV電話があったが、やはり孫はいつ見てもかわいいものなのである。ちなみに、小生には、全く似ていないのであるが、それが良いのである。こういった一日となったが、今日も何とか平穏好日となったのである。

ウィーン+α紀行[第2巻](第3回 ウィーン行き全日空NH205便)5

 お江戸の空港では、特にトラブルもなく、ウィーンに向けて22時45分ごろに離陸することができたのである。離陸して間もなくして、前の座席の後ろについている機内用モニターを操作すると、日本語、英語、フランス語、ドイツ語、中国語から選べるようになっていたのである。スペイン語がなかったのは、少し意外に思ったのである。語学力のない小生は、当然のごとく日本語を選んだのである。モニターには、到着までの所要時間が14時間と映し出されていたので、さすがウィーンまでは長旅にあると実感したのである。
14_06_Die Abfahrt

 そして、離陸が遅かったこともあり、シートベルト着用のサインが消えると、キャビンアテンダント(CA)が慌ただしく、食事の準備を始めたのである。待ち時間がもう少しあれば、中央停車場まで行ってシウマイ弁当を買って食べようかとかんがえていたのであるが、それを諦めて、無料ラウンジを利用しようとしたら、ビジネスクラス以上と言われたので、少しばかり空腹状態にあったのである。

 そうこうするうちに、機内食が運ばれてきたのである。前回は、オーストリア航空だったので、CAは一人を除いては、すべてオーストリア人であったが、今回はANA便ということで、ほとんどが日本人CAだったのである。そして、運ばれてきた機内食は、まさかの親子丼に加え、サラダ、ヨーグルト、そして洋風のトロっとした野菜煮込みにクラッカーが添えられていたのである。
14_07_Die Mahlzeit im Flugzeug14_08_Die Mahlzeit im Flugzeug



 

 やはり、国際線の楽しみは、機内食なのである。前回は、水を注文するにも、炭酸入りか、否かという点に注意しなければならなかったが、日本人CAは、無条件で炭酸なしのミネラルウォーターを提供してくれたのである。その機内食であるが、やはり肥満体にあるため、サラダから食べて、次に親子丼と野菜の煮込み料理を食べることにしたのである。親子丼は、とても暖かく、おいしくいただくことができたのである。

 食べると、すぐに眠たくなったので、少しばかり眠ることにしたのである。前回は、両側を乗客に挟まれた格好となる内側の席であったが、今回はラッキーにも、3列をひとり締めできたので、それなりにゆったりすることができたのである。モニターを見ると、ロシアのウラジオストク、ハルビン、チタ、モスクワ、そしてベラルーシのリダを抜けて、ウィーンに行くというルートが示されていたのである。ただ、実際は、カスピ海から黒海の南側を抜けるコースだったのである。

 ただ、さすがに14時間は、長いので、「このドラマの劇場版」を見ることにしたのである。このドラマは、いつも奥方と観ていたので、劇場版も映画館で観ようという話だけはしていたのであるが、結局観る機会を失ってしまったのである。そのため、奥方に先駆けて一足早く観ることができたのである。ただ、TVでも放映されたため、奥方も観ることができたのである。到着まで残り2時間余りのアンカラ北部を通過する時点で、2度目の機内食が運ばれてきたのである。

 今度は、トマトペンネとチキンのクリームソース、おしゃれなパン、サラダ、それにさつまあげのような練り物とポテトサラダ、そして果物となっていたのである。なお、乗客の中には、ビールやワインといったアルコールを注文していたのであるが、初日も少しばかりハードなうえ、ちょっとした時差ボケも考えられたため、コーヒーをお願いすることにしたのである。
14_09_Die Mahlzeit im Flugzeug14_10_Die Mahlzeit im Flugzeug





 そして、到着まで残り1時間余りとなった時点で、黒海西側のバルカン半島から北西に向きを変えて、セルビアのベオグラートとルーマニアのブカレスト間を抜けて、ハンガリーの首都ブダペスト上空を通って、目的地のウィーンへ向かう航路となっていたのである。その後、1時間足らずで無事シュヴェヒャート(Schwecha)のウィーン国際空港に到着したのである。
14_11_Vulcan

 今日の曲は、ウィーンに再び到着したという喜びにあったことから、「ピアノソナタ 第26番 変ホ長調 op.81a 《告別(Das Lebewohl)》」の第3楽章(再会 Das Wiedersehen – Vivacissimamente)としよう。今日は、一日中雨が降り続けていたのであるが、そうなると頭をよぎるのが災害発生なのである。災害が発生すると、素浪人とはいえ、色々なシーンに駆り出されるので、それなりに大変なことになるのである。そういった中で、リビングのエアコンの調子が悪いため、ちょっと見てみたが、特に異常はなかったのである。ただ、エアコンの効きが悪いので、週末あたりにしっかりと点検した方が良さそうなのである。こういった一日であったが、何とか平穏好日といった感じとなったのである。

ウィーン+α紀行[第2巻](第2回 肥後からウィーンへ)4

 出発当日も、前回同様に、奥方に肥後の空港まで送ってもらうことにしたのである。ただ、行きは、小生の運転によるものであるが、送ってもらう立場としては、当然のことなのである。この日は、梅雨入り後であったが、日頃の行いが悪いにも拘わらず、天候には恵まれたのである。そして、前回もそうであったが、同じ場所に座って、お江戸行きの飛行機を待つことにしたのである。ただ、前回と違うのは、ラウンジを使用することができたことなのである。これも、貧乏人の見栄というものなのである。
14_02_Kumamoto Flughafen
 そこでは、飲み物が飲み放題で、お酒好きの人は、ビールも1杯だけであるが、無料なのである。ただ、小生は、酔っぱらってしまうと、記憶をなくしてしまう可能性もあるため、コーヒーで済ませることにしたのである。そして、驚いたことに、小生が海外でお世話になった方への心遣いとして準備した肥後のお菓子がサービスで提供されていたのである。そこで、時間までに、そのお菓子とコーヒーで少しばかりくつろいで、携帯に充電して待つことにしたのである。
14_03_Die Lounge
 そして、お江戸行きの飛行機の搭乗案内があったのである。前回は、下総の国際空港を午前中に離陸する便であったため、お江戸での前泊だったのである。ただ、今回は、お江戸の空港を22時45分発ということで、前泊することなく、当日にお江戸へ移動できれば良かったのである。貧乏人としては、この宿泊費を浮かせることで、かなり変わってくるのである。そして、肥後の空港を17時20分に離陸して、お江戸の空港に19時5分に到着する便に乗って、お江戸の空港で待つことにしたのである。

 肥後を定刻に離陸して、お江戸の空港にも、ほぼ定刻とおりに到着したのである。しばらく、日本ともお別れだったので、お江戸の中央停車場に行って、シュウマイ弁当でも買ってこようかと思ったのであるが、今の世の中、何があるかわからないうえ、3時間ほどの待ち時間だったので、おとなしく空港ロビーで待つことにしたのである。ただ、肥後の空港と同じように、無料ラウンジを利用しようとしたのであるが、こちらはビジネスクラス以上でないと、無料で利用できなかったのである。しかし、有料であれば、利用できたのであるが、貧乏人にそのような余裕はないのである。そうこうしているうちに、搭乗案内のアナウンスがあったのである。

  航空会社は、前回はオーストリア航空であったが、今回は、全日本空輸、いわゆるANAだったのである。しかも、前回同様、ウィーンへの直行便だったのである。ウィーンへの旅程を考える際、前回のことがあったため、当然下総の空港からのオーストリア航空をイメージしていたのである。そのため、ANAの直行便の話を聞いた時は、少しばかり驚いたのである。そのANA便であるが、日本人が多いと思ったのであるが、意外に欧米人も多かったのである。

 それから、夜遅い時間の出発ということも、初めての体験だったので、国際便モードだったのである。そして、機内に案内されたのであるが、3列シートの窓側から2番目だったのである。本来であれば、通路側を取りたかったのであるが、既に埋まっていたのである。ただ、搭乗締切を終えても、両隣には、誰も乗ってこなかったのである。世の中、何が幸いするかわからないのであるが、3列シートを独占した状態で、ウィーンに向けて離陸したのである。
14_04_Der Flugsteig14_05_Der Flugsteig





 今日の曲は、ウィーンを再び訪れるという少しばかり浮かれた気持ちがあったということで、「交響曲 第4番 変ロ長調 op.69」の第1楽章(Adagio−Allegro vivace)としよう。更新が前回から1週間後となってしまったが、なにしろ1年前のことなので、微かな記憶を頼りに更新しているため、それなりに時間を要してしまうのである。そして、ちょうど1年前の今日は、ドイツのボン、ケルンを回っていたのである。このことについて述べるのは、もう少し後になりそうなのであるが、記憶が残っている限り、この日記帳に記そうかと思うのである。

ウィーン+α紀行[第2巻](第1回 思い立ったが吉日)3

 2023年から2024年にかけて、初めてのウィーンに加えて、ザルツブルグでの道中について「ウィーン+α紀行」として述べたのである。とにかく、初めてのことだらけであったが、多くの人の好意によって、何とかオーストリアの一部について知ることができた良い機会となったのである。そして、2024年には、思いもかけずに、インドネシアへ行く機会があり、2年連続の海外となったのである。

 そのインドネシアに行く準備をしている過程で、奥方から「ついでに、ウィーンに行ってみたら?」という軽い冗談まじりのノリで言われたのである。冗談が通用しない小生は、それを真に受けて、2度目のウィーン紀行について画策することにしたのである。そこで、前回もお世話になった旅行会社を訪ねたのであるが、前任者は退職されていたので、新しい担当の方に相談することになったのである。

 そして、今回の旅程の中で、前回と大きく異なった点がオーストリアのウィーンだけでなく、ドイツのケルンに行く工程を加えたことなのである。ケルンの空港は、「ケルン・ボン空港」ということで、ボンの最寄りの空港なのである。ボンというと、ベートーヴェンの生家があるのである。やはり、アマチュアベートーヴェン研究家としては、一度は行ってみたいところなのである。

 ただ、国をまたぐのは、初めてのこととなるため、不安だらけなのであるが、認知症が進行するまでに、行っておきたいと考えの方を優先させることにしたのである。一応、時期は、前回と同じく6月としたのである。やはり、気候が良かったことと、仕事の関係上、この時期が最適にあると考えたからなのである。それにしても、円安、ユーロ高ということもあり、貧乏人としては、困った額となったが、平知盛の「見るべきものを見た」という信念のもと、決断することにしたのである。

 前回は、かなりラフな旅程であったが、今回は、ケルン・ボンが加わることになるため、それなりの計画を立てたのである。この旅程表は、そのうち示そうかと思うのである。そして、前回も準備したのであるが、今回も旅先で見知らぬ人にお世話になるケースが必ず発生すると思ったので、ちょっとした心遣いを準備することにしたのである。日本では、捨てられるケーキの受け皿としての小籠に、肥後の国のお菓子を小袋に入れた質素なものなのである。ただ、前回でもそうだったが、こういったものでも、外国の方はかなり喜んでくれるのである。そういった準備をして、肥後の空港に向かったのである。
14_01_Das Gegengeschenk
 今日の曲は、再びウィーンを訪ねることが決まったということで、「ピアノソナタ 第26番 変ホ長調 op.81a 《告別(Das Lebewohl)》」の第2楽章(不在 Die Abwesenheit−Andante espressivo)としよう。ウィーン再訪は、昨年のことなのであるが、つい日記帳の更新をさぼってしまったのである。ただ、どういうわけかわからないが、ほったらかしにしていたにも拘わらず、意外に多くの方が日記帳に訪問しているのである。世の中物好きな人が多いのであるが、特に見られても困ることがないので、問題ないのである。

ウィーン+α紀行(第90回【最終回】 ウィーン+α紀行完結)5

 ヘーゼルナッツトルテとコーヒーによるスイーツで、お腹を満たした後、しばらくしてオーストリア航空OS051便への搭乗となったのである。席は、中央の4列席の左側から2番目となったが、行きも同じ位置であったため、あまり気にしなかったのである。ただ、この時はマスク着用だったのである。そして、いよいよ離陸となり、ウィーンを離れることになったのである。機内のCAは、いかにもドイツ系の白人女性で占められていたが、その中に、日本人男性CAが1名乗務していたのである。

 そして、離陸後間もなくすると、ドイツ語と日本語による挨拶があり、その中で、機内食は、計4回を予定しているというのである。間もなくすると、1回目の機内食が運ばれてきたのであるが、機内食というよりお菓子とドリンクだったのである。この時、ドリンクは、コーラを注文したのである。これは、ウィーンではコーラが比較的高かったため、貧乏人としては、ミネラルウォーターを買っていたので、コーラを注文したのである。そして、しばらくすると、今度は機内食が運ばれてきたのである。
17a_01_Flugzeugessen17a_02_Flugzeugessen




 機内食を食べると、例によって砂男が目に砂をかけてくれたため、少しばかり寝入ってしまったのである。そして、しばらくして目覚めたのであるが、目覚めた理由は、飛行機がかなり揺れていたからなのである。画面を見ると、カスピ海を超えて、タシュケントに向かっている途中だったため、ウズベキスタン上空だったのである。そして、揺れが続いている間、子どもが大声で泣いていたのである。大人でも、あまり気持ちの良いものでなかったのであるが、多感な子どもの場合は、無理もない話なのである。

 それでも、しばらくすると、徐々に揺れが収まってきたのである。そして、揺れが収まってしばらくすると、3回目の機内サービスがあり、それはサンドイッチだったのである。この時も、コーラを頼んだのであるが、サンドイッチとの相性がよかったこともあり、たちどころに完食となったのである。残り1〜2時間という時点で、最後の機内食が運ばれてきたのである。この機内食も、温められており、とてもおいしかったのである。
17a_03_Flugzeugessen17a_04_Flugzeugessen




 飛行ルートを見ると、北朝鮮を避けたルートだったのであるが、旅客機でも、何をするかわからない国なので、当然のことだったと思うのである。そして、いよいよ着陸となり、行きのようにソフトランディングではなかったが、無事着陸することができたのである。搭乗時間が12時間〜13時間の長旅であったが、あまりそのことを感じなかったのである。ただ、途中何度か足を適度に動かし、エコノミー症候群とならないよう注意したのである。

 飛行機が到着した後、窓越しにオーストリア航空OS051便を見ることができたので、写真に収めることにしたのである。そして、手荷物を受け取り、レンタルWi-Fiを返却して、娘からの指示通りに東京駅に向かったのである。東京駅には、JR成田エクスプレスで向かうことにしたのである。そして、出迎えに来ていた娘夫婦にお土産を渡した後、久しぶりのお米ということで、昼食用として崎陽軒のシウマイ弁当を購入したのである。娘は、身重だったこともあり、羽田空港まで行くということであったが、無理しないように諭したため、東京駅で別れることになったのである。
17b_01_Flughafen Narita
 そして、羽田空港で、シウマイ弁当を食べたのであるが、久しぶりのお米だったこともあり、たちどころに完食となったのである。その後、肥後の国に向かう飛行機に搭乗したのである。肥後の国に向かう搭乗券も、ウィーンで発券されたものであったが、何とか搭乗することができたのである。そして、肥後の空港には、日曜日だったこともあり、奥方と息子が出迎えに来てくれたのである。そして、小生の運転で、無事自宅に帰りつくことができたことで、「無謀な旅」と家族を心配させたウィーン+α紀行が終わったのである。

 最初は、ウィーンだけを予定していたが、空白の一日ができたことで、ザルツブルグとメードリングも訪ねることができたのである。そして、今回の紀行では、色々な人にお世話になったのである。中でも、日本人のS-1さんと、S-2さんには、本当にお世話になったのである。そういった人たちに感謝の意を表する一方で、ウィーン+α紀行第2巻を考えるようになったのである。ただ、異常な円安なので、貧乏人には辛いところであるが、まだ見るべきものは見ていないので、いつの日か実現したいと考えているのである。

 今日の曲は、無事帰国した安堵な気持ちを考えて、「交響曲 第6番 ヘ長調 op.68《田園(Pastorale)》」の第5楽章(牧歌、嵐のあとの喜ばしい感謝に満ちた気分:Hirtengesang. Frohe und dankbare Gefuhle nach dem Sturm;Allegretto)としよう。これで、しばらくは日記帳を更新することはなさそうであるが、大きな事件があった時は更新しようかと思うのである。

ウィーン+α紀行(第89回 出国前のウィーン空港での出来事)5

 6月11日(月)にウィーンに到着して、ウィーンだけでなく、ザルツブルク、メードリングといったところを訪問したウィーン+α紀行も、いよいよ6月17日(土)で終わりとなり、日本へ帰国することになったのである。日本へは、ウィーン空港を13時30分発のウィーン航空OS051便に乗って、成田空港には翌日の6月18日(日)の8時50分に到着する予定となっていたのである。そのフライト時間は、12時間20分となっていたのである。

 時間が午後ということであったが、何があるかわからないこともあり、少し早めにウィーン空港に向かうことにしたのである。そして、ウィーン空港への鉄路は、シティ・エアポート・トレイン(CAT)とOBBのSバーンだけで、かなり慣れてきた地下鉄は運行していなかったのである。そのため、行きと同じくリムジンバスで空港に向かうことにしたのである。リムジンバスでは、スペイン語を話す乗客と乗り合わせたのであるが、これまで聴いたことのない奇妙な音楽を携帯電話で聴いていたのである。

 それでも、30分もしないうちに、ウィーン空港に到着したのである。離陸までに、かなりの時間があったため、すぐに搭乗手続きが出来なかったのである。そのため、搭乗手続きを行うカウンターも、表示していなかったのである。しばらくすると、成田行きのOS051便が表示されたため、搭乗手続きをすることにしたのである。そして、搭乗手続きを終えたので、手荷物検査を終えて出国手続きをすることにしたのである。この手荷物検査では、携帯電話が出てこなかったため、少し焦ったが、しばらくすると出てきたのである。

 そして、最後のお土産を購入することにしたのである。それは、ワインなのである。実は、ワインを市内で購入しようとしたのであるが、S-1さんが言うには、空港の免税店で購入した方が良いというのである。ところが、免税店が空港内に見当たらなかったのである。実は、免税店は出国手続きを終えたところにあったのである。ワインは、3本までが免税の対象となるというので、3本のワインを購入することにしたのである。ワインは、緑化の恩師と娘の婿殿、そして奥方へのお土産としたのである。これらのワインは、20ユーロから30ユーロの手頃なものを選んだのである。

 お土産を買い求めた後、少しばかり空腹感を感じたので、食事を取ることにしたのである。そこで、街でよく見かけた「aida」というお店があったので、そこで簡単な食事をすることにしたのである。ここでは、ヘーゼルナッツトルテとアメリカンコーヒーを注文したのであるが、レシートを見ると、「verlangerter」と記載されていたのである。これは、「拡張」という意味であるが、オーストリア人は様々な形でコーヒーを飲むので、色々な名称があったのである。
17a_01_Flughafen Wien-Schwechat
 ここでは、ミネラルウォーターも一緒に注文したのであるが、合計で14ユーロ50セント(約2,030円)だったのである。ウィーンでのスイーツでは、ザッハトルテと、アップフェルスチュールーデルを食べたいと考えていたが、このヘーゼルナッツトルテも、なかなかのおいしさだったのである。そのヘーゼルナッツトルテとコーヒーは、飛行機が見えるテーブルで食べたのであるが、少しばかり名残惜しいものを感じたのである。そして、このスイーツによってお腹を満たされた後、搭乗口に向かったのである。
17a_02_Flughafen Wien-Schwechat
 今日の曲は、ヘーゼルナッツトルテとコーヒーに合うような感じのする小生が最も好きなピアノ協奏曲である「ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 op.58」の第1楽章(Allegro moderato)としよう。実は、空港で奥方からLINEによる連絡があり、空港で自撮りするように言われたのであるが、「すごい顔」と酷評を受けたのである。

ウィーン+α紀行(第88回 まさかのイベント遭遇)4

 前回の日記帳では、ウィーン市内の道路事情について述べたのであるが、スペイン系のスタッフによるホットドックを購入して、行きつけとなったスーパーに行く際に、突然通行規制を始めたのである。この時は、何の規制かわからなかったが、とにかくホットドックに合うカフェオレを買いに行くことにしたのである。そして、スーパーでの買い物を終えてホテルに戻ろうとした時には、完全に道路を封鎖していたのである。この道路は、フェルバー通り(Felberstrase)という比較的大きな道路だったのである。

 そこには、交通規制をしたため、警官が数名立っていたのである。ただ、道路周辺に人が集まり始めていたので、何か始まるのではないかと思ったのである。それでも、ホットドックを早く食べたかったため、ホテルに戻ろうとすると、西の方角から集団が迫ってくるのが見えたのである。そのスピードが少しばかり速かったのであるが、その集団が近づくにつれて、その正体が分かったのである。その集団は、車道を自転車で走行している人たちで形成されたものだったのである

 最初は、何かのパフォーマンスではないかと思ったのであるが、その集団を見て、「えっ!」と驚いてしまったのである。その自転車に乗っている人の中に、全裸だった人が含まれていたのである。そして、全裸の人は、男性だけでなく、女性も含まれていたのである。この集団は、奇声を上げながら、全面通行止めとなった車道をまい進していたのである。この光景は、日本では、絶対にお目にかかることはないと思ったので、しばらく様子を眺めることにしたのである。

 そして、この行列が何なのかを帰国して調べてみると、「ワールド・ネイキッド・バイク・ライド」ということで、直訳すると、「世界的な全裸での自転車走行」というのである。これは、オーストリアだけでなく、アメリカからイギリス、ハンガリーから南米パラグアイといった多くの都市で行われるもので、全裸で自転車に乗ってサイクリングするイベントだったのである。このイベントの本来の目的は、車社会への抗議や自転車利用促進を訴えるものだったのである。

 なお、参加条件としては、全裸や半裸が望ましいとされているようであるが、絶対条件ではないということなのである。のため、全裸の人に交じってボディーペイントや、仮装など、さまざまな参加者が集まっていたのである。そして、この日は、たまたまウィーンで開催されたものに遭遇してしまったのである。そして、この集団が通り過ぎると、警官がサッサと規制解除を始めたのである。そして、しばらくすると、何事もなかったように、車が通行するようになったのである。

 こういったイベントは、ウィーンだけなのかと思ったのであるが、調べてみて、全世界に及んでいるということに少しばかり驚いてしまったのである。写真を撮ることにも、一瞬躊躇したが、比較的服を着ている人が多いところだけの1枚だけ撮ることにしたのである。ウィーンでの最後の黄昏時であったが、外国では最後の最後まで、何があるかわからないということを良い意味で体験させてもらったのである。
16j_01_Nacktes Fahrrad
 今日の曲は、自転車の集団が楽しんでいる様子に映ったことで、「ロンド ハ長調 op.51-1」としよう。ウィーンでの最後の黄昏時であったが、こういったシーンに遭遇したことも、ある意味幸運だったと思うのである。今日は、大型連休の谷間であるが、貧乏人は働くしかないので、通常出勤となったのである。ただ、昨日が小生と奥方の出身地での日帰り出張だったため、帰宅が遅かったこともあり、少しばかり疲れていたのである。それでも、今日は、特に何ごともなかったことで、何とか平穏好日となったようなのである。
RSS
訪問者数

    Profile

    風仙人(旧:Pastor...

    Archives
    父さんのつくった歌

    QRコード
    QRコード
    • ライブドアブログ