シュライバー川のほとりにあるベートーヴェンの小路(Beethovengang)散策した後、Beethovenruheと称する案内板が見えたのである。「Ruhe」とは、休息、やすらぎといった意味なのであるが、その先には、ベートーヴェンの胸像が設置されていたのである。これは、「前回」もしっかりと見たもので、そこでは、日本では、なかなかお目にかかれない大きなかたつむりが印象に残ったところだったのである。この銅像のことを知ったのは、国営局の「こちらの番組」であったが、この日も、少しばかり時間をかけて眺めることにしたのである。




そこから、さらに西に進むと、Beethovengangは終わり、カーレンベルガー通り(Kahlenberger Strase)に出たのである。そして、シュライバー川沿いのヴィルトグルプガッセ(Wildgrubgasse)をさらに上流に行こうとすると、「Weinort Nusdorf−Heiligenstadt」と示された案内版が設置されていたのである。「ワインの地」とあるので、このあたりがワイン用ぶどうの産地なのかと思いながら、さらに上流へと歩を進めることにしたのである。その反対側には、ハイリゲンシュタット墓地を示す行先表示もあったので、少しばかり安心したのである。


この付近のシュライバー川は、下流と違って、河道が下方にあるため、護岸ののり長も長く、勾配もやや急なものになっていたのである。しかも、石張りの護岸にあるが、その表面は滑面状態にあったので、湿った状態の石張りの上を行くと、すべり落ちそうな感じがしたのである。一応、水際まで下りて行ったのであるが、晴れていたこともあり、すんなりと下りることができたのである。また、石張りをしているが、カラムシのような草が覆い茂っていたため、石張りだけとならない自然な感じが趣のある護岸だったのである。




そして、間もなくすると、ハイリゲンシュタット墓地が見えたのである。この墓地のことは、今回の旅について色々と調べているうち、その存在を偶然知ることとなったのである。墓地の入口は、鉄格子の門扉で閉ざされていたが、その脇には、何もなく、誰もが入れるようになっていたのである。その手前には。礼拝堂のような建築物もあり、欧風の佇まいを感じながら、静寂な中での墓地内を散策したのである。

一応、この墓地にも、音楽関係の人が埋葬されているかと思って、調べたところ、著名な音楽関係者は埋葬されていなかったのである。ただ、知識が稀薄なアマチュア研究家なので、実際は、著名な音楽関係者が埋葬されていたかも知れないのであるが、そういった中で、「この名レーサー」が埋葬されていたことが分かったのである。小生は、カーレースのことは、詳しくないが、事故でやけどの跡が痛々しいラウダの姿は、記憶に残っていたのである。
墓地で、お目当ての墓所を探し当てるのは、なかなか大変なのであるが、ネットで見た写真をスマホに収めていたため、その写真を頼りに探すことにしたのである。そして、間もなくすると、写真と同じような墓石を見つけたのである。墓石には、「Familie Lauda」とあったので、間違いなくニキ・ラウダが埋葬されている墓所だったのである。埋葬されている石蓋は、とても巨大なもので、どうやって設置したのかと思ったくらいなのである。 それから、少しばかり墓地内を散策したのであるが、特に誰の者ともわからない墓所を写真に収めたのである。それは、二人の愛らしい天使を別々の墓所で見かけたため、つい写真を撮ってしまったのである。そして、その後ろには、ぶどう畑が広がっており、収穫期には、多くのブドウが実を付けると思ったのである。小生は、アルコールが強い方ではないが、こういった地で収穫した葡萄酒は、とても味わい深いものだろうと思いながら、ハイリゲンシュタット墓地を後にしたのである。
今日の曲は、ニキ・ラウダが「赤い帽子」をトレードマークにしていて、熱い情熱を持ってレースに挑んでいたと思うことから、「ピアノソナタ 第23番 ヘ短調 op.57 《熱情(Appassionata)》」の第1楽章(Allegro assai)としよう。今日は、県外でのイベントに出席のため、早朝から出かけることになったのである。そして、昨日から、娘が幼い孫2人を連れて帰省しているため、わが家はてんやわんやなのである。その孫は、小生に全く似ていないのであるが、どこかにDNAが受け継がれているかと思うと、それが良いのである。




そこから、さらに西に進むと、Beethovengangは終わり、カーレンベルガー通り(Kahlenberger Strase)に出たのである。そして、シュライバー川沿いのヴィルトグルプガッセ(Wildgrubgasse)をさらに上流に行こうとすると、「Weinort Nusdorf−Heiligenstadt」と示された案内版が設置されていたのである。「ワインの地」とあるので、このあたりがワイン用ぶどうの産地なのかと思いながら、さらに上流へと歩を進めることにしたのである。その反対側には、ハイリゲンシュタット墓地を示す行先表示もあったので、少しばかり安心したのである。


この付近のシュライバー川は、下流と違って、河道が下方にあるため、護岸ののり長も長く、勾配もやや急なものになっていたのである。しかも、石張りの護岸にあるが、その表面は滑面状態にあったので、湿った状態の石張りの上を行くと、すべり落ちそうな感じがしたのである。一応、水際まで下りて行ったのであるが、晴れていたこともあり、すんなりと下りることができたのである。また、石張りをしているが、カラムシのような草が覆い茂っていたため、石張りだけとならない自然な感じが趣のある護岸だったのである。




そして、間もなくすると、ハイリゲンシュタット墓地が見えたのである。この墓地のことは、今回の旅について色々と調べているうち、その存在を偶然知ることとなったのである。墓地の入口は、鉄格子の門扉で閉ざされていたが、その脇には、何もなく、誰もが入れるようになっていたのである。その手前には。礼拝堂のような建築物もあり、欧風の佇まいを感じながら、静寂な中での墓地内を散策したのである。


一応、この墓地にも、音楽関係の人が埋葬されているかと思って、調べたところ、著名な音楽関係者は埋葬されていなかったのである。ただ、知識が稀薄なアマチュア研究家なので、実際は、著名な音楽関係者が埋葬されていたかも知れないのであるが、そういった中で、「この名レーサー」が埋葬されていたことが分かったのである。小生は、カーレースのことは、詳しくないが、事故でやけどの跡が痛々しいラウダの姿は、記憶に残っていたのである。
墓地で、お目当ての墓所を探し当てるのは、なかなか大変なのであるが、ネットで見た写真をスマホに収めていたため、その写真を頼りに探すことにしたのである。そして、間もなくすると、写真と同じような墓石を見つけたのである。墓石には、「Familie Lauda」とあったので、間違いなくニキ・ラウダが埋葬されている墓所だったのである。埋葬されている石蓋は、とても巨大なもので、どうやって設置したのかと思ったくらいなのである。 それから、少しばかり墓地内を散策したのであるが、特に誰の者ともわからない墓所を写真に収めたのである。それは、二人の愛らしい天使を別々の墓所で見かけたため、つい写真を撮ってしまったのである。そして、その後ろには、ぶどう畑が広がっており、収穫期には、多くのブドウが実を付けると思ったのである。小生は、アルコールが強い方ではないが、こういった地で収穫した葡萄酒は、とても味わい深いものだろうと思いながら、ハイリゲンシュタット墓地を後にしたのである。
今日の曲は、ニキ・ラウダが「赤い帽子」をトレードマークにしていて、熱い情熱を持ってレースに挑んでいたと思うことから、「ピアノソナタ 第23番 ヘ短調 op.57 《熱情(Appassionata)》」の第1楽章(Allegro assai)としよう。今日は、県外でのイベントに出席のため、早朝から出かけることになったのである。そして、昨日から、娘が幼い孫2人を連れて帰省しているため、わが家はてんやわんやなのである。その孫は、小生に全く似ていないのであるが、どこかにDNAが受け継がれているかと思うと、それが良いのである。









































