2025年12月31日
節目の年だった2025年
2025年があと数時間で終わろうとしています。
この一年を個人的に振り返りますと、様々な節目の年であったと思います。
まず1月1日に、私がこのめぐみ教会の牧師になってちょうど20年となりました。2004年の最後の礼拝の後で、役員会がありまして、そこで私たち夫婦が忠雄牧師の後任として奉仕することとなりました。そして2005年の元旦礼拝で発表いたしました。そのときに私は「めぐみ教会を日本一の教会にします」と宣言したのですが、後で言わなきゃよかったと後悔しました。といいますのは、自分のなかではすぐに達成してしまったからです。めぐみ教会は私にとって世界一の教会です。この20年間大変なこともたくさんありました。この会堂を建てたときの借金の支払いのために牧師給が出なかったときもありました。子どもが大きな病気になったこともありました。色々な危機がありましたが、本当に主は忠実なお方で、すべての必要を満たし、すべての悪いことから護られ、私たちを祝福してくださいました。
3月には神学校の校長として6回目の卒業式がありましたが、ちょうど100人目の卒業証書、修了証書を渡すことができました。この百人の方たちは、20歳そこそこから、76,77歳の方までおられましたが、私が一生会うことのない人に会い、イエス様の福音を伝えてくださいます。私がいけないところ、住めないところに教会を建てあげてくださいます。まさにそれが教育の力、イエス様が教えられた弟子作りの原則です。このような尊い働きに携われることを感謝し、いつも申し上げているとおり、これはこのめぐみ教会の皆様のご理解とご協力とお祈りがなければ出来ないことで、めぐみ教会の働きでもあります。めぐみ教会の皆様に感謝します。
4月に還暦を迎え、60歳になりました。大学を出るときに「牧師だけにはならない」と誓って会社に勤め始めなしたが、もしその会社を辞めてなかったら、今ごろ一次定年で退職金をもらって、それから雇用延長で65歳まで働くという感じだったと思います。勿論全然後悔とかはしてなくて、牧師になって本当に良かったと思っています。
牧師の世界では60はまだ若造と言いますか、まだまだ働く世代ですが、それでもやはり60代になったと思ったら、急に人生の景色が変わったというか、ゴールが見えてきたというか、これからの残りの人生をどのようにまとめていくか、神様のために最後までどんな働きができるか、色々考えはじめるようになった年でした。
5月には結婚25周年を迎えました。いつも言っていますが、結婚式の翌日新婚旅行でシンガポールに行き、数日過ごした後、そのまま日本には帰らず、マニラに飛んで、バギオという町のAPTSアジア太平洋神学大学院で新婚生活と留学生生活が始まりました。フィリピンでどんな結婚生活になるか、ちゃんと食べられるか、英語で勉強してちゃんと卒業できるか、お金は大丈夫かとか、不安もたくさんありましたが、今から思えば怖いもの知らずというか、何も分からずに飛び込んだ世界でしたが、無事に4年後、長女が2歳半のときに修士号をもらって、帰国することができました。その後日本での伝道者生活がはじまったわけですが、神様はこの25年間、スーツケース2つで始まった私たちの家族をこんなに豊かに祝福してくださいました。8月には、新婚旅行で言ったシンガポールに25年ぶりに行くことができ、神様の恵みのときとなりました。
11月には、中央聖書神学校の創立75周年ということで、記念式典を行い、校長として基調講演をしました。CBCは800人近い卒業生が国内外に遣わされている学校です。
今から75年前の1950年、この学校の開校のための特別礼拝で、私の祖父の川崎一師が「斧は木の根元におかれている」という説教をしたということです。まさかその時には、75年後に自分の孫が校長をしているとは想像もしていなかったと思いますが、神様は私たち家族に信仰という財産を継承させてくださいました。4月には長女の栄実が通信科に入学しましたが、実は彼女の曾祖父は中央聖書神学校の前身である、神召教会にあった聖霊神学院の第一期の卒業生です。それが戦後中央聖書神学校となったのですが、そこから数えますと4世代目の入学となります。
このように、この一年は色々な節目を迎えるなかで、神様の恵み、神様に捧げた人生が本当に大きな報いとなって祝福されているのだということを改めて気づき、感謝した一年でした。
この一年を個人的に振り返りますと、様々な節目の年であったと思います。
まず1月1日に、私がこのめぐみ教会の牧師になってちょうど20年となりました。2004年の最後の礼拝の後で、役員会がありまして、そこで私たち夫婦が忠雄牧師の後任として奉仕することとなりました。そして2005年の元旦礼拝で発表いたしました。そのときに私は「めぐみ教会を日本一の教会にします」と宣言したのですが、後で言わなきゃよかったと後悔しました。といいますのは、自分のなかではすぐに達成してしまったからです。めぐみ教会は私にとって世界一の教会です。この20年間大変なこともたくさんありました。この会堂を建てたときの借金の支払いのために牧師給が出なかったときもありました。子どもが大きな病気になったこともありました。色々な危機がありましたが、本当に主は忠実なお方で、すべての必要を満たし、すべての悪いことから護られ、私たちを祝福してくださいました。
3月には神学校の校長として6回目の卒業式がありましたが、ちょうど100人目の卒業証書、修了証書を渡すことができました。この百人の方たちは、20歳そこそこから、76,77歳の方までおられましたが、私が一生会うことのない人に会い、イエス様の福音を伝えてくださいます。私がいけないところ、住めないところに教会を建てあげてくださいます。まさにそれが教育の力、イエス様が教えられた弟子作りの原則です。このような尊い働きに携われることを感謝し、いつも申し上げているとおり、これはこのめぐみ教会の皆様のご理解とご協力とお祈りがなければ出来ないことで、めぐみ教会の働きでもあります。めぐみ教会の皆様に感謝します。
4月に還暦を迎え、60歳になりました。大学を出るときに「牧師だけにはならない」と誓って会社に勤め始めなしたが、もしその会社を辞めてなかったら、今ごろ一次定年で退職金をもらって、それから雇用延長で65歳まで働くという感じだったと思います。勿論全然後悔とかはしてなくて、牧師になって本当に良かったと思っています。
牧師の世界では60はまだ若造と言いますか、まだまだ働く世代ですが、それでもやはり60代になったと思ったら、急に人生の景色が変わったというか、ゴールが見えてきたというか、これからの残りの人生をどのようにまとめていくか、神様のために最後までどんな働きができるか、色々考えはじめるようになった年でした。
5月には結婚25周年を迎えました。いつも言っていますが、結婚式の翌日新婚旅行でシンガポールに行き、数日過ごした後、そのまま日本には帰らず、マニラに飛んで、バギオという町のAPTSアジア太平洋神学大学院で新婚生活と留学生生活が始まりました。フィリピンでどんな結婚生活になるか、ちゃんと食べられるか、英語で勉強してちゃんと卒業できるか、お金は大丈夫かとか、不安もたくさんありましたが、今から思えば怖いもの知らずというか、何も分からずに飛び込んだ世界でしたが、無事に4年後、長女が2歳半のときに修士号をもらって、帰国することができました。その後日本での伝道者生活がはじまったわけですが、神様はこの25年間、スーツケース2つで始まった私たちの家族をこんなに豊かに祝福してくださいました。8月には、新婚旅行で言ったシンガポールに25年ぶりに行くことができ、神様の恵みのときとなりました。
11月には、中央聖書神学校の創立75周年ということで、記念式典を行い、校長として基調講演をしました。CBCは800人近い卒業生が国内外に遣わされている学校です。
今から75年前の1950年、この学校の開校のための特別礼拝で、私の祖父の川崎一師が「斧は木の根元におかれている」という説教をしたということです。まさかその時には、75年後に自分の孫が校長をしているとは想像もしていなかったと思いますが、神様は私たち家族に信仰という財産を継承させてくださいました。4月には長女の栄実が通信科に入学しましたが、実は彼女の曾祖父は中央聖書神学校の前身である、神召教会にあった聖霊神学院の第一期の卒業生です。それが戦後中央聖書神学校となったのですが、そこから数えますと4世代目の入学となります。
このように、この一年は色々な節目を迎えるなかで、神様の恵み、神様に捧げた人生が本当に大きな報いとなって祝福されているのだということを改めて気づき、感謝した一年でした。





