2011年09月01日

発明の技術分野によっては特許を与える対象とはせずに、例えば化学物質、医薬、食品、治療方法等の発明は発明者証のみの対象とする法制を採る国もありました。
このような国では、化学物質、医薬などの発明について個人に特許権を認めてしまうと公益上問題が生じてしまうと判断していたようです。

発明者証のみの対象であって、特許の対象とはならない発明については、特許出願、発明者証出願の自由な選択が出願人に保証されていないといえます。
ということはそのような技術分野の発明についての発明者証の出願には、パリ条約4条Iに規定されている優先権の利益は認められないと考えることもできそうです。

ちなみに日本でも公益的な見地から化学物質、医薬、飲食物などには特許を付与しない法制を採っていたことがあります。
もちろんその代わりに発明者証を与えるなんてことはしていませんでしたが。
こちらの特許出願のサイトに説明がありますが、特許出願をして得られる特許権が強い権利であることを知ると、医薬などに特許を付与しなかった理由がわかるかもしれません。

発明者証制度は現在ではほとんどの国々で廃止されていて、例えば旧ソ連では1991年に廃止され特許制度のみの採用となりました。
廃止されるまでは発明者証制度を採用する旧ソ連などの国々が発明者証と特許とを同等に扱ってよと主張して、先進国との間で意見が対立したようです。
先進国にとっては、特許と比べると発明者証はかなり利用しづらく特許と同じ地位を認めるメリットがありませんでした。



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2011年07月31日

1967年7月14日に改正されたパリ条約(ストックホルム改正条約)において、発明者証と優先権に関する規定(4条I)が設けられました。パリ条約は特許庁のサイトのページを参考に。
この規定により発明者証出願に基づいて特許申請などにおいてパリ条約の優先権を主張することが可能となり、特許申請などに基づいて発明者証出願においてパリ条約の優先権を主張することが可能となりました。
この前書いたように、特許出願と発明者証の出願とは同じ内容になり得ることがこのような規定が認められた理由の一つであるようです。
この規定を設けることによって、発明者証制度を採る国々が条約に加入しやすくなったという面があります。

ただし、この規定による利益を得るためには、「出願人が自己の選択により特許又は発明者証のいずれの出願をもすることができる同盟国において」という要件を満たす必要があります。
この前説明したように、旧ソ連や社会主義国グループなどでは特許か発明者証かどちらかの出願を選ぶことができたので、こららの国においては4条Iの規定の利益を得ることができるようになりました。
上記の併有国である要件を課すことによって、発明者証出願のみを認めて特許出願による保護を認めないような国がなくなります。



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2011年07月04日

発明をして保護を受けたい場合には、特許事務所に依頼するなどして特許申請の手続きをして審査を経て特許権利化を図ることが一つの方法であるのは知っていましたが、外国には発明者証制度という別の方法で発明を保護する制度があるそうです。
特許申請から権利化までのプロセスの一例についてはこちらに

発明者証制度というのは、発明者証が発明者に与えられると、国家が発明を独占的に実施する権利を持つことになって、その代わりに発明者には国家から報酬を受ける権利が与えられたり、税金の減免などの特典が認められたりする制度であるとのことです。調べた範囲では、キューバでは特許制度とともに発明者証制度が採用されているみたいです。

発明者証制度は、旧ソ連では共産主義を貫くために1931年に制定された発明に関する法律で特許制度と併存して採用されたそうです。
発明者証制度を利用する場合にも、特許申請の手続を行うのと同じ政府に発明者証の出願手続をする必要があって、特許申請の書類の内容と同じような記述をして、必要な図面などを添付しなければならなかったそうです。
そして政府の審査を通過すると、発明者証が証明書として発明者に付与されるということで、手続的には特許申請によるものと近かったのではないかと思われます。
特許制度と発明者証制度が併存していたとはいえ、主役は発明者証制度であって、発明の技術分野によっては特許制度の保護の対象にはならないものもあったようです。



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2011年05月14日

明治32年の特許法の改正はパリ条約に加入するためにあわててつくったものだったそうで、10年後の明治42年に特許法の改正が行われたとのことです。

この明治42年法で、職務発明の規定が初めて設けられたり、特許申請の発明の新規性の要件について国内公知主義を採ることが決められたり、特許権の効力が及ばない範囲が決められたりなどしたそう。

初めて設けられた職務発明の規定では、「職務上又は契約上なした発明の特許を受ける権利は、原則としてその職務を執行させた者に帰属する」として、原則、特許を受ける権利は使用者の側の権利になる主義であったよう。
今の特許法では逆で従業者である発明者のほうに原始的には権利が帰属するそう。

国内公知主義というのは、日本国内のみを基準にして特許申請の新規性について判断する主義で、例えばフランスのみで知られてるけど日本では知られてない場合には日本では新規性ありとする考え方。
今の日本の特許法では採用されていません。

特許権の効力が及ばない範囲としては、「研究又ハ試驗ノ爲ニスル特許發明ノ應用」及びそのような研究又は試験「ニ依リ製作シタル物」と規定されていたそう。これは今でも引き継がれて試験又は研究のためにする特許発明の実施には特許権の効力が及ばないとのこと。



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2010年11月08日

日本では現在、実用新案制度で無審査主義を採用しているそうですが、この前書いた無審査主義による弊害を是正するための制度を導入して工夫しているよう。実用新案制度は審査主義を採用している特許制度を補う役目という面ももちあわせているそうなので、無審査主義を採用しやすかった事情があったのかもしれません。
平成5年に実用新案法が改正されて無審査主義が採用されたそうで、それまでは審査主義が採用されていたよう。現在の特許制度と実用新案制度との違いについて詳しくはこちらの特許事務所のサイトで相談を受け付けています。

話は変わりますが、世界で一番最初に文章として書かれて表現された特許法がつくられたのは1474年にヴェネツィア共和国においてだそうです。ヴェネツィア共和国は697年に建国されて、1797年にナポレオン・ボナパルトに征服されて滅びるまで1100年間続いた国であるとのこと。
特許法がつくられる前から既に特許を認める習慣はあったようですが1474年にきちんと特許法が成文化されたよう。
その当時、ヴェネツィア共和国では外国から新しい技術を取り入れたい事情があって、外国で知られている技術でも最初に国内にもってきた人には特許権を認めたとか。そのため外国人の特許権者が多かったという話もあるそう。
このヴェネツィアから特許制度がヨーロッパの国々に広まっていったとのこと。



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2010年10月18日

無審査主義では、実体的な審査をせずに特許権を認めてしまうために、特許権が与えられた後に紛争が生じてしまう場合が多くなるという欠点もあるそう。実体的な審査をした特許権でもその後に特許権の有効,無効が争われることがあるんだからこの欠点は容易に想像がつく気がします。
特許権を持っている人が発明品について事業を起こす場合には、特許権が実体的な要件も満たしていて有効であるという自信がないと不安でしょうけど、無審査主義の下では自分で先行技術調査などをして特許性を判断していくしかなさそうです。審査主義であれば審査官によるお墨付きをもらえるので少しは安心できそうですが。

無審査主義を採用することで、不安定な特許権だらけになって紛争が生じやすくなってしまうと、商取引がやりづらくなりそうだし、本来うまくいきそうな流れを止めてしまうようなこともありそうだし、産業界が混乱してしまいそうです。また技術競争が激しくなってくるとなおさら紛争は生じやすくなりそう。
そういう事情から、フランスでも1968年,1978年の改正法で審査主義の方向に行って、特許申請について調査報告が作成されるようになったそう。
発明の新規性,進歩性の判断をするのに必要な書類が引用された予備調査報告が作成されて、この予備調査報告に基づいて調査報告が作成されるそう。新規性がないのが明らかで補正をするように通知をしたにもかかわらず補正をしなかった場合には特許出願が拒絶されてしまうとのことです。
フランスも審査主義といえるようですが、進歩性などまで拒絶理由とする日本ほど審査主義が徹底されていないようです。



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