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記事は亀井氏が死刑廃止論者として対談形式で死刑廃止を訴えるというものらしい。しかし、記事の表題である「強者の理論」で人間を抹殺する存在とは、私には他人を殺す殺人者以外思いつかない。私にはまったく想像力が及ばないため、亀井氏の記事を見てみると、
「強者というのは、何も権力者という意味ではなくて、生きていく様々な局面において、犯罪という他人に極端な迷惑をかけることなく生きていける人間、実はそれが強者なのです。死によって罪を償えということは弱肉強食が形を変えているのだと思います。」
とある。つまり残酷な犯罪によって被害を受けた被害者、そしてその被害者の喪失によって生きる意味すら見つけ出すことができない状況にすら追い込まれた被害者遺族が強者であり、様々な事情があったりなかったりして他人を殺害する犯罪者が弱者と言いたいらしい。そこには犯罪そのものに対する怒りという、一般人なら当然持ち合わせており、亀井氏のごとく警察庁に身をおいていた人物であるなら一般人以上に持ち合わせていなければならない感情はかけらも見受けられない。亀井氏のごとき呆れ果てた感覚で警察庁勤めが可能であったという事実に驚愕するほかない。
さらに亀井氏は、
「復讐心や憎しみは、確かに人間の本性のある一面であって、『目には目を、歯には歯を』と言い、市中引き回しのうえ八つ裂きにしたり火あぶりにしたり、極めて残酷な刑によって報復感情を満足させていく、これは権力者がずっとやってきたことです。」
と述べているが、そもそも「目には目を、歯には歯を」という言葉の元となったハムラビ法典は、「目」には「目」までの報復しか認めないという刑罰の限界を示したものであり、この点だけとっても亀井氏の刑法に対する無知ぶりをさらけ出しているものであると言える。
また亀井氏は、
「新たに人の命を絶つことによって本当に被害者側は癒されるのか、光市事件の被害者遺族も『三番目の殺人が起きるのだ』と言っています。死刑を求めてはいるけれども、人間の命そのものに対する強い思いももっていらっしゃいますね。」
「被害者の遺族の苦しみ、憤怒、憎しみは、第三者には理解しがたい深いものがある。しかしそれを国家が殺人といかたちで実行していくというかたちで実行していくことに問題があるのです。」
と述べ、
「人間には赦すという気持ちがないという前提に立った国家のあり方とは、私はまちがいだと思う。」
という驚くべき結論を導き出す。人間には赦す気持ちがあると信じることは自由であるが、決して赦さないという気持ちがないとは断言できないはずである。それならば、なぜその被害者遺族の感情を無視して「まちがい」などと断言するのであろうか。
更に「新たに人の命を絶つことによって本当に被害者側は癒されるのか」という思考は無知であり傲慢である。まず、傲慢である理由は家族や親しい人を失った喪失感は決して埋められないものであるにもかかわらず、そのような問いを行っている点である。その問いは根底に「死んでしまったものは仕方ない」という思考がなければ導き出せないからである。そして、無知である理由はこの問いが被害者本人が完全に思考から抜け落ちているからである。亀井氏の4頁の記事に被害者本人について触れた記述が何一つないことがそれを明らかにしている。
現在収監されている死刑囚は、すべて故意に人を殺していることを理由に死刑判決を受け確定した者である。また未確定の被告人においても同様である。その者に死刑を執行することの是非において亀井氏は信じられない例えを持ち出すのである。
「たとえば食堂をやっていて一生懸命仕事をして大繁盛する。これはいいことで、誰も批判することではない。ところが、それによってライバル店がつぶれる、サラ金から金を借りる、サラ金に金が返せない。一家心中するという場合だって、普通に起こりうることでです。」
「つまり、人間存在そのものが自分は意図しなくても他を傷つけ、被害を与えている存在でもあるのですよ。」
これがその例えである。しかしこれは、意図して他人を殺害した死刑囚や死刑判決を受けた被告人と、真面目に働いた結果意図せずに他人を傷つけた人を相対化しようとする例えであり、悪質そのものであると言える。
亀井氏の主張には論理もなければ被害者本人の気持ちを推し量るという思考もない。来る総選挙ではこの点を十分考えて投票すべきであろう。
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